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初めてのおかいもの |
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![]() ≪壱≫ 「おい、龍麻」 自分を呼び掛ける声に、龍麻は席を立とうとしかけた動作をぴたりと止めた。 「この後、空いているか」 「特に用事は入れていないけれども、何か私に?」 また、ラーメンでも食べていかないかという誘いだろうと、予想していたが 「俺と一緒に、その、買い物に付き合ってくれないか」 「ええッ、醍醐君とショッピングッ?」 意外な言葉に日頃の冷静さも何処へやら、声がやや上擦ってしまった。 「俺と買い物じゃ、やはり嫌か…」 「ごめんなさい、そういう意味じゃなくて、ただちょっと意外だなって」 でも、男の人の買い物に付き合うのって初めてだから、役に立たないかもしれないけれどと龍麻は弁解する。 「いや、買うのは女物だから…」 「???」 目を丸くして自分を見ている龍麻の様子に、醍醐はようやく自分の説明が言葉足らずだった事に気が付いた。 「すまん。この間の闘いの時、お前の手甲を勢い余って台無しにしてしまったから、それの詫びに、新しい手甲を買おうかと思ってたのだが、如何せん俺にはどんな物が良いのかがさっぱり分からん。だから、いっそ龍麻と一緒に買いに入った方が無駄にならないだろうと思ってな」 「この間の冗談、本気にしていたのね…」 三日前の凶津との闘いの時、醍醐の攻撃を凶津諸共受けた衝撃で、龍麻は自分の手甲が使い物にならない程、ぼろぼろになってしまったのだった。 <確かに、あの時私、醍醐君に『弁償してね』なんて言ってしまったけれど> あの言葉は、自分の身体を心配している醍醐の気持ちを解そうと、自分なりに頑張って言ってみた冗談の積りだったのだが。 「やっぱり、私の冗談ってタチが悪いのね。もっと京一君を見習わないと…」 「あれは冗談だったのか?」 呆然とする醍醐に、龍麻は本当にごめんなさいと真摯に謝った。 「だって、醍醐君。手甲なんて、そこらのお店じゃ売っていなかったでしょ」 「確かに…。俺がよく行くスポーツ用品店にも全くそれらしい物は置いていなかったな」 ちなみに、醍醐のお気に入りのお店は練馬区にあるらしい。 「デパートにも無かったし…」 律儀にも、醍醐はあの闘いの後、一人で都内のお店を周っていたのだった。 「うん、私もあれは貰い物だから、何処で手に入れたのかが分からないの」 「そんなに貴重な物だったのか、俺は何て事をしてしまったんだーー」 頭を抱え込む醍醐に、龍麻は自分の言葉に責任があるとはいえ、京一が言うように確かに醍醐は固すぎるきらいが有ると、溜息をついた。 「京一君と足して2で割れば、丁度いいのにね」 「俺が、何だって?」 何てタイミングのいい出方をするんだ、と心の中で驚く龍麻は、しかし表面は冷静さを保ったまま、張り付いたような笑顔を見せた。 「いえいえ、こちらの話です。それよりも、醍醐君の悩みを解決するのを手伝って欲しいんだけれど」 「話は粗方聞かせてもらっているから、事情は分かっているぜ。で、お前が使っていた手甲って何処で手に入れたんだ?」 何が事情は分かってるだ、と知らず知らずの内に、関西のノリを発揮し、つっこみを心の奥底でこそっと入れてしまう龍麻だった。 「だから、貰った物で…」 「誰に、何時?」 京一の質問に、龍麻もその言葉の意味に、はたと気が付いた。 「あ、そういう事ね。これは私が東京に行くのが決まった時に、奈良にある父方の実家の蔵に有ったものを叔父様が譲って下さったの」 「つまりは、骨董品って訳か」 「流石に、学校の成績はナンだが、そういう事には頭がキレる奴だな、相変わらず」 いつの間にか醍醐は立ち直ったようで、話に加わってきた。 「うるせェな、俺はお前と違って機転が利くと言って欲しいな!」 「どうせ、俺は直球勝負しか出来ん、不器用な男だッ」 自分の足りない所をズバっと指摘されて、醍醐はちょっとムカッときた様子だった。 「もしもし、二人とも」 京一と醍醐の間にすかさず龍麻が割って入る。 傍から見ると、あの二人に割って入るなんて命知らずな行為に思えるかもしれないが、龍麻の《力》を知っている人間には、寧ろ割って入られた二人の方が命知らずに映るのは間違い無い。その位、彼女の破壊力は仲間の中でもずば抜けているのだから…。 「結論が出たんだから、後は行動しましょう」 にっこりと笑って、二人を威嚇する。京一と醍醐は、その笑顔に弾かれたように、ぱっと龍麻から数歩離れる。 「とは言え、俺達に骨董品屋なんて縁がねェからなあ」 確かに、一介の高校生が骨董品集めをしている方が稀な事だろう。だが、龍麻の脳裏には何処かで骨董品屋を知っている気がしてならなかった。 <何だろう…> 龍麻は視線をじーっと天井、壁、床、机の上と這わせていった。 「それ何、京一君」 ふと眼に留まった自分の前の席である京一の机の中に、くしゃくしゃになった紙が突っ込まれていた。 「これは、昨日公園で拾ったスポーツ新聞だ」 京一は、こう見えても一応毎日鍛錬は欠かしていないようだった。そして、その鍛錬の後で、ゴミ箱に捨ててあるスポーツ新聞を拾ってくるのも、日課の一つだった。 「呆れた奴だな」 「いいじゃねェかよ、盗んだわけじゃねェし。それよりか、このページのおネエちゃんの胸が色っぽい…」 ぱこっと背後から京一の頭を殴る人間が現れた。 「馬鹿な事を、醍醐君に吹き込むんじゃないッ」 「痛ッてー。何するんだよ、小蒔ッ!」 君があんまり馬鹿だからだよ、と小蒔は言い返す。 「ほら、ひーちゃんだって呆れて物も言えないじゃない」 龍麻は京一と小蒔の会話に耳を貸す様子も無く口をつぐ噤んだままだった。 しかし、すぐに顔をぱっと明るく輝かせる。 「分かったわッ!!」 突然の歓声に、3人は心臓に掌打を浴びせられたような思いがした。そして『何がッ』とこれまた見事なハーモニーで龍麻に言葉を投げ返してくる。 「これよ、これを見て」 龍麻が鞄から取り出したのは、先だってアン子からプレゼントされた真神新聞。トップ記事は逞しい肉体美をアピールするが如く、サンドバックに蹴りを入れている醍醐の写真。 「醍醐の写真ー?」 興味無さそうに反応する京一に、『違う、そのもっと下』と指で示す。 ────元禄年間創業 如月骨董店 古物買入──── 「灯台下暗しって、こういう事を指すのね」 「東大もと暗しー?東大生ってもともと根が暗いっていう意味じゃなかったのか?」 京一の天然ボケに、君が口を挿むと話が低級化すると今度は小蒔のパンチが飛んでくる。 「善は急げ、私、アン子にここのお店の事聞いてくる」 珍しくご機嫌な龍麻は、足取りも軽やかに新聞部へ直行する。 「ああいう性格だったっか、あいつ…」 醍醐の呟きが、妙に重々しく聞こえてくる。日頃の温和かつ冷静な彼女からみたら、別人に映ってしまうようだ。 「辛気臭い顔をしているよか、ずっとマシじゃねェか。あいつも、それだけ俺達に気を許して来たって事だぜ」 「あら、龍麻。うふふ、どうしたの。今日は随分と機嫌が良い様ね」 新聞部の扉を開けた龍麻の目に入ってきたのは、アン子と、生徒会の用事で足を運んでいた葵の姿だった。 「本当。龍麻が自分から新聞部にやって来るなんて珍しいわね。もしかして入部希望?」 「残念ながら…。アン子に教えて欲しい事があるの。この新聞の後援者についてなんだけれど」 簡単に自分達の事情を説明した龍麻は、アン子に新聞の下に掲載されている『如月骨董店』について訊ねた。 「うーん。このスポンサーについては、ウチの校長と知り合いだか何だかで、ずっと前の新聞から宣伝を載せているって事しか分からないわ」 「時諏佐校長の?」 龍麻は、転入手続きの時に面会した校長の顔を思い出した。公立では珍しく女性の校長だったが、かくしゃくとした人柄だった。ただし、普段は入学式や卒業式などの重大な行事以外には、表立って姿を見せる事は余り無かった。 「そう…。」 少し凹んでしまった龍麻を慰めるように、葵が『それでも住所くらいは教えてもらえるわよね』とアン子に微笑みかける。 「その位なら、お安い御用よ。たしか、こっちの棚に…」 ≪弐≫ 「…それで、いつの間にお前達まで付いてくる事になったんだ?」 醍醐の疑問に、小蒔はえへへと天使の如き笑顔で返す。 「いいじゃねェか。俺も自分の剣が欲しかったしよ、ま、ついでだ、ついで」 京一はさり気ない様子を装いながら、内心『いくら醍醐でも、ひーちゃんと二人きりのショッピングだなんて美味しい思い、独り占めさせてたまるかよ』という不純な思いが渦巻いていた。 「ふふふ、たまには事件とは無関係でお出かけするのも楽しいわよね」 葵まで、京一の下心を知ってか知らずか、調子を合わせてくれる。 「それより、ひーちゃんは?」 小蒔は、何時の間にか龍麻の姿が消えていた事に気が付いた。 「龍麻は、どうせ骨董屋に行くのなら、鑑定して欲しい物があるとか言って一度自宅に戻ってから来るそうだ」 4人が新宿駅に到着した頃、龍麻が駆け足で追いついて来た。 「ごめんね、待たせたかしら」 「ううん、ボク達も今着いたトコだから…。ひーちゃん、ずっと走ってきたの?」 うん、とさらっと答える龍麻は、息一つ乱す様子も無い。 「武道の基本は、強靭な足腰だからね。走り込みは欠かせないから」 「相変わらず超人振りを発揮しているな…。大体いつもどんな練習をしているんだ」 トレーニング大好き人間の醍醐は、龍麻の練習方法に以前から興味津々だったので、電車に乗り込んでから、質問をしてみる事にした。 「朝は一時間ランニング、距離にしたら15キロ位かな。普段は学校だから、昼間は特別な事はしていないけれど、週に一回位は道場で二時間通しで実戦形式の稽古」 それ以外にも一緒に旧校舎巡りをしているのに、どこにそんな時間と体力が有るんだと目を白黒させる4人を前に、龍麻は涼しい顔で説明する。 「でも、新宿に来る前はもっと大変だったのよ。あの時は正直、死ぬ思いだったわね」 「お前が死ぬ思いとは、想像するのも怖いが…」 「朝3時に起床して、まず滝に打たれる。次に夜目に慣れる為、夜が明ける前に山中を一周走る。それからは型の習得から、応用までみっちり12時間位練習」 全て自分が望んだ事だから、弱音を吐く事を龍麻は自分に決して許さなかった。それに身体を使っている間は、余計な事を考えずに済んだし、疲労から夢にうなされる事無く眠る事も出来たのだった。 「…すごい、まるで修行僧みたいな練習をしていたのね…」 葵と小蒔には理解の範疇を超えている練習だという事しか認識できなかった。 「ずっと小さい頃からそんな練習してたんだ」 「ううん、違うわ」 じゃあ、いつからと小蒔は聞こうと思ったが、その時龍麻の表情が、ふっと悲しみに歪んだような気がしたので、もうこれ以上追求するのはやめようと決心した。 「…ボクもひーちゃん見習って頑張って練習しなきゃ。高校最後の試合には絶対勝ちたいしね」 「最後の試合か…、絶対応援しに行くわね」 「ホント、約束だよッ」 満面の笑顔の小蒔に、龍麻と葵も笑顔で、皆で見に行こうと約束する。 ≪参≫ 埼京線に乗って十条駅を下車し、そこから徒歩で10分程の所にアン子から教えてもらった住所に違わず、目指す骨董品店が店を構えていた。 木戸を開けると、玄関まで余り広くは無いがよく手入れの行き届いた露地庭が清涼感を持って客人を招き入れる。 <…庭の為だけでは無いような気がするんだけれど。妙にここの空気は澄んでいる感じがするわ> 「すみませーん」 ガラス戸越しに、小蒔が元気の良い声で中に入るであろう店の人に声を掛ける。しかし店内は静まり返っていて、人の気配が感じられない。 「…誰もいないのかしら」 「んな阿呆な。門が空いてるのに留守って訳はねェだろ」 遠慮無しに中にずかずかと入り込もうとする京一だが、不思議とガラス戸が開かない。 「おっかしいなー?」 首を捻る京一に、仕方なく龍麻が代わりに扉に手を掛ける。 「んッ!?」 「どうした、龍麻?」 手を掛けた瞬間、電気が走ったように手を扉から離した龍麻を不思議そうな表情で醍醐は見る。 「いや、何でも無い…」 息をゆっくりと整え再び扉に手を掛けると、今度は何の抵抗も無くすっと扉が開いた。 <今のは結界──?でも、何で普通のお店にこんな物が張られているのかしら> しかし店内は、小さな外観からでは想像できなかった位、豊富な品揃えで5人を圧倒させる。 「すっげー、こんなに色んな木刀見たのは初めてだぜ」 「葵、見てよ、この指輪。ほらッ、可愛いーー」 京一と小蒔は物怖じする様子も無く、店内の品物を物色しだした。 龍麻も周囲の様子を眺めやると、雑多な品物に溢れているようだが、それぞれの置き場には理に叶った秩序が感じられ、店主の骨董品に寄せる愛情が感じられて好感を覚えた。 「…感じの良いお店ね」 「褒めて頂いて恐縮だね」 背後から突然声を掛けられて、龍麻は飛び上がらんばかりに驚く。 振り向くと、利休色の着物を身に着けた若い男性が立っていた。年の頃は自分達と大差ないように見えたが、醸し出す落ち着いた雰囲気が年齢を推測するのを邪魔した。 <不思議だわ…この人の《氣》を感じる事が出来なかった> 龍麻は《氣》の訓練を積んだお陰で、周囲の人の《氣》を察知して存在を知る事が可能だった。この能力の為、目隠ししたとしてもそれなりに闘える自信もあった。だが、今目の前にいる男性の《氣》を感じる事は全く出来ないでいた。 一方の相手も不思議そうな顔で龍麻を見ていた。 「…店の扉を開けたのは、君かい?」 「す、済みません。勝手に入り込んで」 平謝りする龍麻に、いや開業中だから構わないよ言って寄越す。 「ッたく、だったらもっと立て付けのいい扉に替えろよな」 ぶつぶつと文句を言う京一に、君達は真神学園の生徒かと訊ねてきた。 「おうさ。俺達は醍醐とひーちゃんの買い物に付き合ってわざわざ新宿から来たんだぜ」 「私達、真神新聞にこちらのお店の広告が掲載されていたので、今日お邪魔させて貰ったんです」 喧嘩腰になりがちな京一に被さるように、葵が穏便に説明する。 「そうか。で、一体何がご入用なんだい」 「その前に、この品物を見て欲しいんですけれど…」 龍麻は持ってきた大きなバッグの中から風呂敷に包んだ物を二つ取り出し、大切そうに文机に乗せる。しゅるっと音を立てて結び目を解くと、中からは古風な横笛と琵琶が姿を見せる。 笛は唐栖との、琵琶は嵯峨野との戦闘の後で手に入れたものであった。龍麻はその前の『村正』の件もあったので、この品物を不用意に一般の人に渡しておくのは危険だと考え、取り敢えずは自分の家に保管していたのであった。 「これは───!?」 店員の目はすぐに驚愕の色に変わった。 「一体これを何処で手に入れたんだ?」 「出所は…申し訳ないですが教えられません。でも盗品では無いわ。それだけは信じて下さい」 真剣な表情をする龍麻に、若者も嘘を言っているようでもないし、君の事を信じようと言ってくれた。 「ありがとうございます。実は、この品物をこちらで預かって欲しいと思って、持参したんです」 「…売るんじゃ無いのか?」 「これは元々私の所有物ではないので、本来の持ち主が現れるまでは、これに相応しい所で置いてもらうのが一番良いと考えたんです」 「この笛は、かの『青葉の笛』だね」 「ええ、そうです。それに、こっちの琵琶は『蝉丸の琵琶』…。いずれも曰く付きの楽器ですから」 店員はしばらく逡巡した様子だったが、ぽつりと『分かった、こちらで責任を持って保管しよう』と約束してくれた。 「良かった、やっぱり道具は大切にして頂ける方の所に有るのが、一番幸せですからね」 龍麻はほっとした表情で、店員に感謝する。その端正な笑顔は、無表情な店員も思わず心動かされてしまう程だった。 「実は、売り物の方もちょっと有るんですけれど…」 躊躇いがちに、再度自分のバッグから幾つか武器や装飾品の類を取り出す。何れも旧校舎に潜った時に、そこで手に入れた物だった。 「…凄い、結構掘り出し物も多いね」 店員は、今回も龍麻が出所は話さないだろうと踏んでいたので、敢えてその点には触れずに、品物の鑑定をてきぱきと行った。 「こんな金額でどうだろうか?」 店員が電卓で計算した末に見せた数字は、龍麻の予想を遥かに上回る金額であった。 「ええ、こんなにッ。…本当に良いんですか?」 「勿論だよ。もっと高値でも良い位かとも思ったんだが、これだけの品物を実際に使いこなせるだけの手練も余り居そうに無いからね。相場からいったらこんな感じかな」 それでも、高校生の自分達には似つかわしくない大金だと、龍麻は困り果てた顔をする。 「それなら、君達がこの金額に見合う買い物をして行ってくれればいいよ。このお金が有れば、それなりの品物をお譲りする事が出来ると思うよ」 やったーと小蒔が声を上げて喜ぶ。 「…済まんな龍麻。本当は俺が弁償しなければいけなかったのに」 「いいのよ、あれは旧校舎での修行中に皆で手に入れた品物だから。換金したお金は当然皆に還元されないとね」 そこで、今回は5人全員分の装備品を購入する事に決めた。 <龍麻の意見で、お金が出来たら他のメンバーにも購入する事というのも決まったが> ≪四≫ 「まずは京一君からね」 「へへッ、悪いなー」 目を爛々とさせ、京一は木刀を物色する。 <女の子からのプレゼントとしては、ちょっと物騒なモンだが、ひーちゃんに選んでもらった木刀を使うっていうのも、それはそれで気合が入りまくるぜ> 「…これは、中々いいわね」 龍麻の手に握られているのは、『童子切安綱』 平安時代中頃に鍛えられたもので、源頼光が、大江山の酒呑童子を退治したときに使った刀と云われている。 「京一君だったら、きっと使いこなせると思うわ」 「ひーちゃんがそう言うんだったら、俺もこれに決めたぜ」 京一は、龍麻から剣を受け取ると、軽くその場で素振りをして感触を確める。その流れるような所作に、龍麻も見惚れる。 「流石だわね」 龍麻の褒め言葉に、頬を緩めっぱなしになる京一だったが、次の言葉で一気に奈落に突き落とされた気分になる。 「やっぱり、お店の方の薦めた剣が一番だわ」 「そーくるかー…」 <ひーちゃんって、妙なところで天然ボケが入っているからな…> 京一の気持ちを他所に、龍麻は葵に近寄る。 「次は葵の番ね」 「えッ、でも、私武器なんて装備できないわよ」 驚きの声を上げる葵に、龍麻は葵の《力》は人一倍精神力に負担がかかっているから、それを補えるような物が必要なんじゃないかと言い、指輪はどうかと提案する。 「宝石には、各々人を守護する力が秘められているし、これだったら葵にも負担にならないでしょ」 「ええ、そうね。ありがとう、龍麻」 宝石だったらと、小蒔も加わって3人でショーケースの中の指輪をあれこれと選びにかかる。龍麻は隅の方に置かれていた、濃い菫色の結晶を嵌めた指輪に眼を留める。 「この濃い菫色の石、とっても綺麗だわ」 「これはアイオライトだね。この石には愛を護る力があると言われているんだ」 店員の言葉に、葵もそれだったらこの指輪に決めるわと、ショーケースから『菫青石の指輪』を選び取る。 「…不思議だわ。何だかこの指輪を嵌めると、心が落ち着くような感じがする」 「良かったね、葵」 喜ぶ葵と小蒔に、龍麻は今度は小蒔の番よ、と声を掛ける。 「私、弓の事は門外漢だからよく分からないけれど、小蒔は今どんな弓が欲しいの?」 「うーん。そうだなー。今使っているのは公式競技用だから、威力の方が今イチなんだよね。だからと言って、ひーちゃんみたく、いきなり強力な技が使えるわけでもないし…」 「それだったら、強弓を使うといい」 店員は棚から、いくつかの弓を選び出した。 「強弓って事は、張りが強いんだよね。でも、ボクそれを引き絞れるほどの力が無いんだけど」 「…これだったら女性用よ、小蒔」 龍麻が差し出した弓には、草書で書かれた色紙が添えられていた。 「何て書いてあるの?」 「『はんがくの弓』って書いてあるわ」 「はんがくって、値段が半分って事か?」 横から話に割り込んできた京一に、店員は呆れたような表情を浮べ、それを見た龍麻は大きな溜息を吐いてから、説明をする。 「あのね、板額(はんがく)っていうのは人名なの。鎌倉時代初期の女傑で、越後の国城九郎資国の娘で、甥の資盛が源頼家に対して挙兵した時、その陣頭で戦ったという伝説が残されているのよ。その彼女が得手としていたのが弓術という訳」 「へえ、そんな昔の時代にも強い女性はいたんだねッ。ボクもそしたら彼女にあやかってこの弓を使ってみるよ」 「お前が女にあやかってどうすんだ。もっと男らしく堂々と…」 京一は最後の言葉を発する事無く、小蒔の鉄拳によって大地に沈められる。 「…醍醐君は、もう何を買うのか決めた?」 熱心に店の陳列物を眺めていた醍醐に、龍麻は訊ねてみる。 「そうだな…。俺は今まで徒手空拳のみで闘っていたから、何を使うべきなのか今一つ決め兼ねている所だ」 確かに、醍醐の鍛えられた筋肉はそれだけでもう、立派な武具と化していると言っても過言ではないだろう。 「それだったら、弁慶の泣き所とかを護るものを買ったらどうかな。醍醐君は、体が大きい分、相手の攻撃も当り易いから、急所を護るものがぴったりだと思うわ」 「弁慶か…、確かに君の言う通りだね」 店員の若者も、龍麻の言葉が醍醐の容貌と余りにも一致した物に聞こえたのか、少し愉快そうな声で頷いている。 「それだったら、こっちに足甲が有るから、これの中から選ぶといい」 棚の下の引出しを開けると、そこには様々な足甲が並んでいた。 「わあ、凄い。これ、『蹴速』(けはや)って書かれているけれど、もしかして当麻蹴速(タイマノケハヤ)にちなんだ品なんですか?」 興奮を押さえきれない龍麻に、見当の付かない醍醐は、それは誰の事なんだと訊ねる。 「当麻蹴速は、垂仁天皇の頃の人だから、『古事記』『日本書紀』に登場する人物なんだけれど、大和の国の当麻出身で、出雲の国の野見宿禰(ノミノスクネ)と力比べをしたという逸話が残されているの。ちなみにそれが相撲の元祖とされていて、奈良には彼を祭神とした神社も残されているわ」 そうかと話の内容の半分位は何とか理解出来た醍醐は、じゃあ俺もあやかってこれにしようと『蹴速』と書かれた足甲を抜き取る。 「でも、本当は野見宿禰に因んだ足甲があれば良かったのにね」 龍麻の言葉に、さっきの力比べに『蹴速』が負けたのかと醍醐が聞き返す。 「負けただけなら良かったんだけれど…。当麻蹴速は、最後あばら骨と腰の骨を折られて死んだと伝えられているのよ」 「随分不吉な話だな。醍醐、お前も祟られないように気を付けろよ」 醍醐がその手の話に弱いのを知っている京一は、わざと怯えさせるような言葉を醍醐に掛ける。醍醐の顔色が少し蒼褪めているように感じた店員は次の言葉を付け加えてくれた。 「今度までに『宿禰』に因んだ足甲を用意しておくよ。その時は下取りしてあげよう」 安心した醍醐は再度『蹴速』を手に取る。葵は感心した表情で龍麻に話し掛ける。 「龍麻って確か奈良県出身だけど、それにしても、そういう事に詳しいわね」 「父方の実家が神社だから、人よりその手の話をよく聞かされていただけよ」 「へええ、ひーちゃんってもともとお家が神社なんだ。じゃあボクの友達と一緒だね。やっぱり巫女さんの格好とかさせられたの」 「ええ、うちの神社は代々女性が主体になって祭事を行っていたの。今は父の弟夫婦が跡を継いで、従姉妹達が後継ぎになると思うんだけれど、私も、一応修行のような真似はさせられたの」 「ふふふ、京一君たら、何だか嬉しそうな顔をして…」 葵の指摘通り、京一はにやにやとした、煩悩剥き出しの顔をしていた。 「何を想像してるんだか」 小蒔が冷たい声を浴びせかける。 「当然、ひーちゃんの巫女さん姿。いや、さぞかし清楚なお姿だろうなと」 「巫女さんをそんな煩悩塗れの視線で見ていたら、京一の目は潰れちゃうぞッ」 当の本人を横に置いての相も変らぬ代理人戦争に、龍麻はこっそりと溜息を吐く。 「あの二人は放って置こう。それよりも、今日の主旨は龍麻、お前の買い物だったんだからそれを済ませないとな」 同じく溜息混じりの醍醐に、龍麻も黙って相槌を打つ。 「君は何を?」 大方、薙刀か何かだろうと想像していた店員は、龍麻が小声で手甲をと囁いた時には、驚きの声をあげた。 「君が使うのか…」 「あの、やっぱり変かしら」 <それはそうでしょうね。一体何処の世界に手甲を嵌めて闘っている女子高生が居ると思うのよ…> 店員からの真っ当な反応を目にして、やや挫け気味になる龍麻だったが、龍麻が買わないのなら私も遠慮するわと、葵から言われたので、その言葉を励みに購入する事に決めた。 「…どれも男性用しか無いのだが」 遠慮勝ちに品物に手を出そうとしない龍麻の手を取って、店員は自分の見立てた手甲を一つ一つ嵌めていく。当然、京一は面白くない表情で、その様子を背後から見ている。 「どれが一番使い易いかい?」 「そうですね…」 青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が彫り込まれた見事な意匠の手甲を再び嵌めてみた。店員の目が手甲の彫り物に注がれる。しかし、龍麻には威力は有りそうだが、何となく手にまだ馴染めない気がして、それを外す。 「こちらの方が、軽くて使い易そうです」 そう言うと、驚くほど軽い金属で捲かれた手甲を手に嵌める。試すように、掌打を目の前に打ち込んでみる。すると表面の金属が龍麻の《氣》と反応して、火のように明るく輝く。そのまばゆ眩い程の美しさに、一同は息を呑んで見詰める。 「でも、これって今日の買い物の中で一番高価そうな気がするんだけれど…」 気に入ったものの、5人の分を合わせたら相当な金額になる事は間違い無いので、龍麻はまだ迷っているようであった。 「構わないよ。君もさっき言っていたじゃないか。『道具は大切にして頂ける方の所に有るのが、一番幸せですから』と。それは僕も同じ意見だよ。これらの武器は、勿論美術品としての価値もあるけれども、やはり武器である以上、使いこなせる人達の手に有る方がより幸せなんだと思う」 「でも…、本当にお勘定が…」 「僕も商売上の事だから、お金にはシビアにさせて貰うが、もし今回の買い物が先程の下取りの価格よりも上回っていたなら、その分はツケにさせて貰うから遠慮はしなくていいよ」 「それって、また品物を下取りしてくれるって事なんですね」 「ああ、いい品物を入手できたら、いつでも来てくれ」 最後に会計を済ませると、やはり少しばかり購入金額の方が上回ったらしく、店員はこの分は次回に廻しておくからと宣言する。 「それと、君の手甲は男性用だから、こちらも手直ししておこう。一週間もあれば充分だから、その位経ったらもう一度店まで来てくれるかい」 龍麻は分かりました、と返事をし、その頃までには何かまた品物を手に入れて来ようと密かに旧校舎潜りを計画し始める。 「また、来てくれよな」 店員の言葉に見送られて、5人はそれぞれ満足の良く買い物をした充実感を感じつつ店を後にした。 ≪伍≫ 「今日は珍客だったな…」 店じまいをしながら、店員はふと呟きを漏らした。骨董品店という店柄、一種変わった客を相手する事には慣れてはいるのだが、それでも今日の5人組は極め付きの風変わりな客だった。 最初に鑑定させられた品々にも驚かされたが、更に驚いたのは彼等が選んだ武具だった。 あまたの武具からある程度こちらで選択肢を絞ったにせよ、それらの中から店員が密かに『これぞ』と思った品を悉く選んでいった、龍麻の審美眼に敬服の思いだった。 「あれは、一般の人間には扱う事もままならないのだが」 そして龍麻に道具を見立ててもらった彼等も寧ろ道具に選ばれたかのように、自然にそれらを身に付けた。 だが、一点だけ、店員が意図したものと違った品物が選ばれたのがあった。他の4人にはそれぞれのベストといえる選択をした、龍麻自身の手甲は、何故か今この店にある最高の品物よりは格の下がる手甲だったのである。 「尤も、あの手甲を身に付けることの出来る人間がそうそう現れるとは思えないが…」 四神の模様の彫られた手甲こそ、この店の至宝と呼ぶべき逸品だったのであった。創業以来置かれているが、これを身に付けた人の話は生憎と聞いた事が無かった。 <しかし気になるのは、あれを手に嵌めた時…> この品物の謂れを知っている店員は、龍麻が手甲を嵌めた時の一瞬を見逃さなかった。 <この手甲を輝かせる者こそ四神を従える者が現れた証、という言い伝えがあったな> 確かに、あの時彫り物の一部が光を放った気がしたのだ。強い光と弱い光。強い光を帯びたのは、『玄武』の文様、そして弱い光を帯びたのが、 「『白虎』か…。彼の者も目覚めようとしているのか」 <そして、東京を覆わんとする禍禍しい《氣》。この街が、時代が四神を、そしてそれを従える者を求めているのかも知れない…> まさか、彼女が───、そう思い至ってから、店員は軽く首を左右に振った。 「いや、彼女は四神の者ではない。そうでない事は、この僕が一番よく分かる」 恐らく白虎やその他の四神は、別の所で目覚めようとしている筈だ。 「それならば、彼女は一体──」 何者なのだろうか、と考えを巡らせる。『四神の手甲』よりは格が下がるとはいえ、『オリハルコンの手甲』を易々と身に付け、しかも自身の《氣》の力で光り輝かせるなど、並みの使い手には見えない。華奢な外見に見合わず、あの瞬間彼女の放った《氣》は、今まで知る誰よりも膨大で、そして美しかった。 「簡単に結界も破ってしまったし…」 今日は蔵の整理をしようと考えていたので、不用意な客が入って来ないよう、店の入り口に結界を張っていたのだが、それも効果が無かったようだ。本物の陰陽師ではないからそれは致し方の無い事だとは思うが、だが、あの木刀を持った男、彼も中々の《力》の持ち主のようだったが、彼には僅かにも動かす事も能わなかった。 しかし、彼女は何の苦労も無く、簡単に結界を解いてしまった。 <本当は『四神の手甲』を装備できたのでは無いだろうか> だが、彼女の表情にはその時戸惑いのような感情が浮かんでいた。それは四神がまだ完全な目覚めを見せていないからか、それとも強大な《力》を持つ事に対する怯えからなのか…。 「判断しかねるな…」 しかし店員の表情には、嬉しそうな感情が浮かんでいた。 龍麻と友人等から呼ばれていた女性、彼女に対する興味は尽きる事は無い。そして、来週にはもう一度、会う事が出来る、それを楽しみにしている自分に気付く。 <一番不思議なのは、他人にこんな感情を抱く事の出来る自分自身かも知れないな> |
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