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Lacrimosa 龍麻編


 その時、頬を伝った涙の冷たさで目を覚ました。

「ここは…」

 ぼやける視界に映し出されたのは、見慣れた自分の部屋。灯りは落とされているとはいえ、微かに開かれたカーテンの間から差し込む月光で部屋の中は意外と明るく、私は視線をぼんやりと天井から壁、そして自分の寝ているベッドサイドへと移した。

「私…一体…?」

 制服を着たままベッドで寝ている状況を理解出来ず困惑顔を浮かべてしまう。咄嗟に起きようとすると、胸元を痛みが走り抜けた。

<そうだった…>

 目線を下に落とし、ため息を1つつく。

 となると、あの後意識を失った私をここまで連れてきてくれたのは…。
 答えを口にする間も与えず、部屋のドアが遠慮がちに開かれた。


「ひーちゃん…」

 目を覚ましているとは思ってもいなかったのか、京一は入り口で一瞬立ち止まる。

「色々面倒かけてごめんなさい…」
「…俺は別に…。それより、傷はもう痛まないのか?」

 気遣わしげな表情で、京一がベッドに腰を下ろしたままの私に近づいてきた。

「ホントは血のついたままの制服で寝かすなんて真似したくなかったんだけどな。かといって俺が着替えさせる訳にも…」

 そこから先はさすがに言いにくいのだろう、京一は語尾を濁らせる。
 私は自分の血で汚れた制服を見せたくなくて、ぎゅっと手を胸元に押し当てて身を固くする。


「大丈夫か…」
「大丈夫だったんだ…」

 彼と私の言葉が重なる。


 互いにその言葉の続きを促すような沈黙がしばらく続いた。




 沈黙に耐えかねたのは私の方だった。
 隣に座った京一の方を見ず、言葉を続ける。

「あの時と違って今回は大丈夫だったのね…。でも…やっぱりあの時と同じ…」
「何が…だ?」

 何かを護る為に何かを失う…そう言いかけて、言葉をのみこんだ。

 京一たちを護りたかった気持ちに偽りは無い。
 あの時の自分の判断に後悔もしていない。


 でも…やるせない…。
 辛い…苦しい…それは何故…?


 言葉の代わりに涙が後から後から溢れては零れる。


「…ひーちゃん、そんなに自分を責めんなよ」
「……の時…、彼もそう言ったの…」

 私の言葉に、京一は流れる涙を拭おうとしていた指を止めた。


「破壊の《力》を制御できずにいた私に誰も近寄れなかったの…天童以外は…」

 その時の光景を思い出して…そして…

「嫌ッ」

 先刻の光景を思い出して、私は京一の傍から離れた。

「…見たでしょう…私の《力》…」
「…………ああ」

 やや間をあけて…でも京一ははっきりと肯定した。

「…恐ろしいと思わなかった?あんな…あんな破壊の《力》を持った私をッ。今日は…大丈夫だったけれど…でも…この先は…」

 心が痛くて…傷口から一気に血が流れ出る。

「ひーちゃんッ、考え過ぎるのはもうよせよッ」

 京一の語気鋭い呼びかけにも構わず、激しく首を左右に振る。

「自分で自分が分からない…このままどうな…ッ」


 突然、眩暈に襲われたように視界が変わった。


「え…?」

 乱暴にベッドへ押し倒されたことに気付き、抗議の声を上げようとするが、それよりも早く京一の唇が私の唇を塞ぎ、その強さに意識が一瞬遠のく。必死で抵抗しているのに、外れた唇から漏れる吐息はどこか甘みを帯びてしまい、それが恥ずかしくて唇を噛み締めたまま横を向いた。


「こっち見ろよ…ひーちゃん…」
「………」

 その言葉にぎゅっと瞳を閉じ、頑ななまでに拒もうとする私に京一は業を煮やしたのか、私を押さえつけている腕の力を更に強めた。その痛みで反射的に目を開けると、京一の真摯な眼差しが自分を射抜いていた。


 ぞくりと身体の奥から震えが上がる。



 そして次々と浴びせられる行為の激しさに


                   …私はただ翻弄され…


 気がつけば


「……きょ…いち……」

 自分を組み伏せている人の名前を力なく呟いていた…




 それがまるで何かの呪文だったかのように、自分を押さえつけていた圧迫感が霧散する。そっと京一の方へ視線を泳がせると、彼は真顔からいつもの愛嬌ある笑顔に変えていた。

「怖かっただろ、ひーちゃん」

 今度はこくんと素直に首を縦にふる。
 だって…本当に怖かったから…。抗えなかったから…、京一に。

「…あ」

 京一の前では、ただの…無力な存在に過ぎなかった自分に気がついて顔を赤らめた。

「そういうこと」

 京一は笑って私の前髪を柔らかくかき上げる。けれども、ふいに困ったような表情を浮かべた。

「…どうしたの?」
「その…早く着替えてくれねェか。いや、俺的にはこれはこれで嬉しいんだけど…」
「…馬鹿ッ」

 軽く京一の胸元を小突くと、そのままベランダへと追い出した。
 外から文句を言ってくる京一をひとまず無視し、鍵をかけカーテンを閉めてひと心地つくと、乱された着衣を脱ぎ捨てる。

「痛ッ…」

 鈍痛のする胸元には先程の戦闘で負った傷と…そして…京一によって刻まれた「痕」がくっきりと残されていた。

 強くつかまれていた手首もまだ疼いている。
 それは今もなお京一に抱きすくめられている錯覚を私に与えていた。


 ──アレは冗談じゃなくて本気だったんだ。
 でも…私が…拒んだから…


 途端に身体に残る先程の「証」が熱を帯びて…。
 それを気取られるのが嫌で、火照りが冷めるまでそのまま自分の手首を握りしめていた。




 ようやくベランダの窓を開けると、京一は寒そうに震えながら転がり込むように部屋に入ってきた。

「ったく凍え死ぬかと思ったぜ」

 そういえば京一ったら随分薄着だな…って、それは自業自得じゃないかと思い至ると、思わず小さく笑ってしまう。

「ひーちゃん…」

 ちょっぴり傷付いた顔をする京一が気の毒で、私はお詫びと和解の印に身体を密着させる。京一は破顔すると私を軽々と横抱きに抱え上げ、優しく頬にキスを落とした。


「…ごめんね…」

 まだあなたを受け入れることができない臆病な自分を、どうか許して欲しい…、そう京一の耳元に囁くと、

「構わねェよ」

 待ってるからと言ってくれたのが嬉しくて、また涙を零してしまう。
 そんな自分に呆れつつ、でも…。


 あなたの優しさに包まれて、今夜はこのまま腕の中で眠ってしまおう。

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