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Lacrimosa 京一編


 九角との闘いで《力》を使い、意識を失ったひーちゃんを背負って、俺は1人龍麻の家へと向かっていた。
 他の奴らとはじじいの庵のある竹林を下った所で別れた。もういい加減夜も遅くなっちまったから美里と小蒔の場合、家族も心配するだろうし、それにこれから先もあんな連中との闘いが待ち受けてると分かった以上、迂闊に出歩く訳にもいかない、そう醍醐が判断して、醍醐があいつら2人を、そして俺がひーちゃんをと自然に分担して、明日の再会を約束して別れた。

 ひーちゃんはまだ意識を取り戻さねェ。
 だが呼吸も…鼓動も…、今の俺よりずっと穏やかで、心配はなさそうだ。


 そう…俺の方がさっきからおかしい。
 あいつの──九角の言葉を思い返す度に鼓動が強まる。



『…蓬莱寺…。この女…龍麻を護ってやれ』



 お前に言われるまでもねェ。ひーちゃんを護れなんて、敵の首魁であったお前にイチイチ指図されたくねェぜ…

 だのに…さっきからなぜ落ちつかねェんだよ。
 何に…苛立ってんだ……。



 …その時俺の右の肩口がひんやりとした。
 見ると、そこにもたれるようにして眠り続けるひーちゃんの顔が…。静かに閉じられたまなじりからは涙が零れ、俺の肩を濡らしていた。


 ──急ごう…



 歩く速度を速め、ひーちゃんのマンションに帰ると、すぐさまベッドにそっと横たわらせた。

 だが苛立つ心は相変わらずで。でもそれの正体は少し分かった気がする。今のひーちゃんの心の中は、逝ってしまった九角のことで一杯だから…。

 それにしても今日の俺は変だ。嫉妬心に苛まれるなんて今に限ったことじゃねェのに、なぜこんなにまで苛立つんだ。

 自分の気持ちに整理のつかないまま、ひーちゃんの頬を伝う涙を指先で拭うと、俺は部屋から出て行った。



 しばらくリビングで雑誌を読みながらひーちゃんが目覚めるのを待ってたが、部屋で眠ってるあいつのことが気になって、文字なんてちっとも頭ん中に入っていかねェ…。

 結局雑誌を閉じ、ソファーの上に放り投げると、様子を見に寝室へと入ってみた。


 すると──

 ひーちゃんは既に目覚めていた。




「ひーちゃん…」

 ベッドに腰掛けて、じっと何かを考えているその姿は、数ヶ月前を思い起こさせた。比良坂紗夜を失ったあの頃のあいつを…。

「色々面倒かけてごめんなさい…」
「…俺は別に…」

 大したことしてねェ。ただお前をここまで連れて来ただけだ。
 何もしてやれなかったんだから。
 ただ見ているしかなかったんだからな…。


 先刻の戦闘の激しさを雄弁に物語る、ひーちゃんの制服。胸元には血の紅が…。
 鮮明にあいつを彩り、倒錯した美をはらんで、俺の目を奪う。

 だが、ひーちゃんは俺の視線に気付いたか、居心地悪そうに制服の胸元を隠す。汚れたものを見せまいとするのではなく、自分の心をも隠そうとする、そんな感じだ。


 まただ…。
 俺は心の中でため息をつく。



「大丈夫か…」
「大丈夫だったんだ…」


 俺とあいつの言葉が重なる。
 空白の時間が流れ、俺はそのぎこちなさを埋める術を必死に模索していた。


 沈黙を破ったのは、ひーちゃんの方だった。

「あの頃と違って今回は大丈夫だったのね…。でも…やっぱりあの時と同じ…」
「何が…だ?」

 そう訊ね返すしかない俺に、ひーちゃんはその先を答えてくれない。
 代わりに涙が止めどなく溢れては零れていった。


「…ひーちゃん、そんなに自分を責めんなよ」
「……の時…、彼もそう言ったの…」

 頬を濡らす涙を拭い去ろうとした俺に、ひーちゃんがようやく口を開く。だが、それは俺をこれ以上近づけまいとする響きを伴っていた。


 ──近付けねェ…

 あの時、ただ一人闘いに赴くひーちゃんの背中を見つめるしかなかった。
 あの時、あいつに近づけたのは…

「…天童以外は…」

 どこまでも残酷な、ひーちゃんの唇から漏れる言葉。
 あまつさえ、あいつは俺から身を遠ざけ、自らを貶める。

「…見たでしょう…私の《力》…」
「…………ああ」

 ──見たぜ…この目で。けれど、あの時の俺は見ているしかできなかったんだ。

「…恐ろしいとは思わなかった?あんな…あんな破壊の《力》を持った私をッ」

 ──恐ろしい…、そんな風に思う訳ねェだろ…。

「今日は…大丈夫だったけれど…でも…この先は…」
「もうよせよッ」

 激昂するひーちゃんに呼応するように、俺まで気持ちが昂ぶってくる。


   やべェ、このままじゃ自分を抑えられなくなっちまう。



「自分で自分が分からない…ッ」


                 俺は…ッ




 突然磁場が乱れたようにひーちゃんへと腕を伸ばす。


 あいつを乱暴に押し倒してしまったと気付いたがもう手遅れだ。

 抗議の声を上げようとする桜色の唇を咄嗟に塞ぐ。潜り込ませた舌先で歯茎を強く突き、逃げ遅れた舌を絡めとり、口腔内を思うがまま蹂躙する。その激しさに、僅かに外れた唇から漏れるひーちゃんの吐息はうすら甘く、それに驚いたあいつは唇を噛み締め、横を向いてしまう。


「こっち見ろよ…ひーちゃん…」
「………」

 不機嫌な声音で促しても、ひーちゃんはより頑なに俺を拒むだけだった。そんなあいつを逃がすまいと、か細い手首を掴んでいた指に力をこめると、ひーちゃんは睫を震わせながら俺を見上げた。


 ぞくりと熱いモノが身体の奥から湧き上がる。



  埋めたい
     満たしたい
        あいつの中を──



 左手でひーちゃんの両手首を力任せに押さえつけ、空いた右手でセーラー服の襟元をはだけさせ、指先をブラの紐に引っ掛け肩からすべり落とす。

 露になった胸元に走る一筋の傷。乾いてこびり付いている褐色の血が、より肌の白さを際立たせる。傷口を舐め溶かすように舌を這わせると、ひーちゃんはくぐもった声を上げた。
 そこから形の良い双丘へと螺旋を描きながら唇を伝わし、頂にある蕾を舌先で転がす

「!!」

 声を立てないよう必死に堪えるひーちゃんだが、身体は正直に反応するのが可愛くて、俺はその肌に次々と轍<わだち>を残していった。
 俺を押し返そうとする手を払いのけ、のけぞる首筋にキスをし、両手で胸を揉みしだくと、身体から完全に力が抜け落ちたのが分かった。

 俺は素早くシャツを脱ぎ捨て、再びあいつを抱き寄せる。



 だがその時、彼女の声が玲瓏と耳を打った。


「……きょ…いち……」


 俺の名を呟くその声に、俺の中でたぎっていたモノは急速に沈静化していった…




 腕の下に押さえ込んでいたひーちゃんを解放し、そっとベッドを離れる。訝しげな瞳でひーちゃんが見上げてくると、俺は今の行為の照れ隠しとばかり、必死に普段の自分を取り繕った。

「怖かっただろ、ひーちゃん」

 俺の言葉に、あいつは素直にうなずいてくれた。
 俺も…怖かったぜ…、力ずくで汚してしまうところだったんだからな…




 ひーちゃんが着替え終えるまでの間、俺はベランダに追い出されていた。
 上着を身につけてない身体に10月の夜風はさすがに冷たく、俺の中で未だ燻っていた熱を確実に冷ましてくれる。

 だが、指に残るあいつの滑らかな肌の感触は容易に抜け去ろうとしない。
 指先をそっと口付けるように近づけ、俺は天を仰いだ。


『これからのあいつを…龍麻を護れるのは、てめェしかいねェんだからな』

 風に乗って九角の言葉が甦る。


 ──そうか…俺は不安だったんだ…

 護ってやると言いながらも、本当に護れるのかどうか…。あの時、俺は足手まといに過ぎなかった。そんな情けねェ俺に比べて、あの時のひーちゃんはあまりにも気高すぎて…いつか天空へ飛び去ってしまうんじゃないかと…。

 そういえば誰かが言ってたな。あいつは天女みたいなヤツだって…。

 さしずめ俺は天女を地上に引き止めるため、羽衣を奪い取るような真似をしかけたって訳だ。そんなことしたって、いずれ天女は羽衣を取り戻し去って行くのだと、おとぎ話でさえ相場は決まってるのにな…。


 ──良かったんだよな、これで

 そう呟く俺に、天空にいまだ縫いとめられている月は清らかな光を降り注いでくれた。




 しばらくして背後でからりとベランダと部屋を隔てていた窓が開けられた。寒さにこごえかけたとぼやきながら慌てて中に入ると、その様子がおかしかったのかひーちゃんは小さく笑った。

「ひーちゃん…」

 その時の俺は多分ヘンな顔をしたんだろう。さっきあんなに酷い仕打ちをした俺に笑いかけてくれるひーちゃんに驚いて…。

 ──俺を許してくれるのか?

 するとひーちゃんは、動揺する俺の心を見透かしたように、身体を柔らかくもたれかけてくる。それが無性に嬉しくて…。俺はひーちゃんを今度は出来るだけ優しく腕に抱えると、薄紅色に色づいた頬にキスをした。

「…ごめんね…」

 臆病な自分を許して欲しいと囁く声に、

「構わねェよ」

 待っているからと、俺はごく自然に返した。



 今、俺の腕の中で眠りについているひーちゃんは、ごく普通の女の子で…。特別な存在だから護るんじゃなくて、愛しい存在だから護りたいんだと実感できる。
 焦ることは何もない…ひーちゃんも俺も──

 そう思いながら、俺もまた眠りについた。

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