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月 光



お前を愛するという気持ち、全てはそこから始まった筈だ。

なのに、どうして……いつしか愛するよりも愛されたいと願うのだろう。
何かを期待してしまうのは間違いだと判っていながら……

月の光さながら無心に注ぐ愛など、所詮この世ではただの幻なのか?



 龍麻が意識を取り戻して早二日。今日が日曜日ということもあって、仲間たちが入れ代わり立ち代わり姿を見せ、一日中人気の絶えない病室だったが、最後に残っていたのはやはりいつもの四人だった。

「は〜い、皆さ〜ん。これにて本日の面会時間終了で〜す」
「ええ、もう?まだ七時じゃない」

 小蒔は不服げに抗議するが、高見沢は病院の規程だからと頑として譲らず、葵も小蒔をたしなめる。

「それに、龍麻だって一日中皆の相手をしたから疲れたわよね」
「私なら大丈夫よ、葵。でも…舞子が岩山先生に叱られてしまったら申し訳ないし…」
「そっか…。うん、それじゃ明日また、学校が終わったらすぐに顔を見せに来るね、ひーちゃん。…って、あれ、どうしたの、京一?」
「あ、ああ……」

 いつになく反応の鈍い京一に、小蒔は怪訝そうな表情を見せる。

「ヘンなの、さっきからずっと黙り込んでて…」
「うむ、そうだな。いつもなら一番騒がしいお前が黙ってるなんて」
「京一君、ここ数日の事件で疲れたのかしら?」
「別に、そんなんじゃねェよ」
「じゃ、あれかな?昨日今日と一人だけ学校で補習を受けたから、脳ミソがすっかり麻痺しちゃったとか」
「あのなぁ……そりゃ、確かに補習のせいで俺一人ここに来るのは遅れちまったけど──」

 あわや衝突となりかけた二人に醍醐が慌てて割って入る。

「おい、お前たち、病室で言い争いなんかするもんじゃない。いたずらに龍麻が疲れるだけだろう」

 だが、くすくすと笑む龍麻に、

「…龍麻?」
「ううん、何かいつもと同じだなって……そう思ったら嬉しくって」
「………そうか。それじゃそろそろ俺たちは帰るとするか」
「あ、待って、醍醐君。洗い物だけしておかないと」

 葵は自分たちが使った湯飲みなどを乗せたお盆を持ち上げるが、龍麻がそれ位自分で片付けるから置いておいてとやんわり制止した。

「でも……龍麻、そんな身体で…」
「そうだよッ。…という訳で、はい、これはキミの役目ね」

 葵から奪ったお盆を隣の京一にポンと手渡す。

「……俺が〜?」

 呆気に取られる京一に対し、小蒔は涼しげに言い放つ。

「当たり前。今日一人だけ遅刻した罰だよ」
「成る程、そういうことなら龍麻も京一も異存は無いだろう。悪いが俺たちは一足先に帰るぞ」
「あ、待って〜。舞子もこれでお仕事終わりだから、皆と一緒に帰るよ〜」
「うふふ、それじゃあまた明日ね、京一君、龍麻」



「……ッたく、あいつら」

 ぱたんと目の前で閉じられた扉に向かって京一はただ一人、苦笑いする他なかった。

「何だか無理矢理押し付けられた形になったわね…ごめんなさい」
「これ位いいって。それより薬飲まなきゃなんねェだろ。ほら、水」

 コップに入ったそれを受け取りながら、龍麻は少し眉をひそめる。

「…傷が痛むのか?ひーちゃん」
「……うん……まだ多少…」

 そして紙に包まれた粉薬を一気に舌上に乗せると、水を口中に含み急いで嚥下する。

「……苦い…」

 顔をしかめつつ残った水でその味を流し去さるまでの、龍麻が見せた存外子供っぽい仕草に、堪え切れず京一は吹き出してしまう。

「やっと、ね。京一」
「…?」
「ううん、それより……やっぱり何だか疲れているんじゃないの?さっきの葵たちの言葉じゃないけれど」
「そりゃ、二日もアン子に振り回された挙句、休み返上でレポートだの補習で絞られたとくりゃ、俺だって少しは疲れも溜まるって。ま、あいつらの手前、そんなカッコ悪いこと言えねェけどよ。でも……ひーちゃんと一緒に卒業したいからなッ」

 冗談めかして笑ってから、中国に渡って剣の修行をする為にも───と、見せる横顔は以前より真剣味を益していた。

「うん…。……けれど……あまり無茶はしないでね」
「ああ、判ってるって。そう言うひーちゃんこそ、いい加減寝ろよ」

 素直に身を横たえるのを見届けて京一は扉に向かう。
 と、その背に───

「……京一がそう望むのなら…私はどこにも行かない。……ずっと傍に居るわ………」

 京一は黙って頷くと、そのまま部屋を出て行った。



 程も無く病室に戻った時、既に龍麻はまどろみの中に身を浸していた。

「今日は一日俺たちの相手して、よっぽど疲れてたんだな」

 部屋の明かりを消せば、カーテン越しに伝わる光が一瞬にして部屋の中を寒色に染め抜き、静謐そのものの白皙の顔をより鮮明に浮き上がらせる。

 枕上近くの椅子に腰掛ければ、自然、胸に去来するのはあの日の衝撃。

(ひーちゃんは…気付いているんだな)

 自分があの日以来、毎日折を見ては単独で旧校舎に潜っていることを。いや、龍麻だけではなく、仲間たちも気付いているのはほぼ疑いようが無い。
 禁止されているその行為を、しかし、誰一人として咎めはしなかった。

 皆、感じ取っているからだ……あの時を境に、何かが大きく変わったことを───。
 表面上変わらないのは、皆が皆、それに気付かない振りをしているだけで。


 《力》に目覚めたとはいうものの、その無力さを噛み締めたことは何度も有ったが、己の存在そのものの無力さを感じ取ったのはあれが初めてだった。

 八剣に敗れた時は言うなれば技に破れたという感覚だった。
 けれども、あの時、あの場に現れた《凶星の者》──柳生宗崇に対しては…、

(ヤツの放つ《氣》、ただそれだけでその場から一歩も動けなかった…)

 誰一人、あの龍麻ですらも……。

(けれどもあの時……もしや、ひーちゃんは……)

 京一は浮んだ考えを慌てて否定する。
 そんな訳が無い。現にさっき龍麻はあの夜と同じ言葉を口にしたじゃないか…と。


「…そうだよな」

 そっと手を頬に伸ばせば、かすかに漏れる寝息がものやわらかに指を撫ぜる。
 それは彼女が自分との約束を果たしてくれている確かな証。

 どこにも行きはしないと…、ずっと傍に居ると…───

 だが、同時に胸中に生じた衝動が京一を愕然とさせる。




幾度約束を交わせど、生じる焦燥感は一体?
どんなに結ばれようとも、人はいつの日か離れ離れになってしまうからか…

だからこそ彼女の全てを盗みたい…何もかも手に入れたい。
愛とは程遠い感情に揺すぶられるまま──


 ───魅入られた月に罪は無い。




 龍麻にそれを悟られぬよう病室から抜け出した京一は、そのまま屋上へ向かった。
 結界を施された病院に流れる《氣》と肌を刺す夜気に身を晒せば、燻る気持ちが少しは浄化されるのではないかと思ったのだが、

「情けねェな……」

 気持ちが静まる代わりに深々と溜息が零れた。

 この先、闘いが激化の一途を辿るのは目に見えている。
 しかしながら、こんな自分にこれまで通り龍麻の相棒が務められるのか───柄にも無く弱気な考えまでがよぎっていく。


 振り仰げば、数日前この街に初雪をもたらしたのと同じ薄墨色の雲が夜空を深々と覆い、僅かに雲間から顔を覗かせる月は、地上に光を届かせようともがいているようだ。


「………お前はどうなんだ?」


  どこにも行かない……ずっと傍に居るわ………
  京一がそう望むのなら───


「そうじゃなくって……お前自身の望みは何なんだッ」

 拳を打ち据えれば、屋上にフェンスの軋んだ音だけがこだました。




どんな些細なことだって構いはしない………もっと俺にぶつけてくれ。
お前の正直な気持ちを。お前の───望みを────

そうすれば躊躇いなく俺はお前を抱き締められるのに……

闇の中に閉ざされた月よ。お前のココロは今、どこにある。




 ようやく静寂を取り戻そうとしたその時、遠慮がちに背後で鉄扉が開く音がする。

「…………ひーちゃん………」

 ゆっくりとした足取りで京一の元に歩み寄ると、龍麻は、実はあの薬そんなに効き目は強くないのよねと苦笑いする。

「だからちょっと外の空気を吸いたくなって……」
「ちょっとって…そんな身体で無茶すんじゃねェッ。さっさと病室で寝てろ」

 たちまち驚きは怒りに変化し語調を荒らげて戻れと促すが、それでも龍麻は強く頭を振る。

「お願い。少しの時間でいいから……このまま一緒に居させて……」
「……………」


 けれども了承の返事代わりに着ていた上着を脱ぎ掛けようとする京一の手はやんわりと押しとどめられ、

「…それじゃ、いくらなんでも京一が寒いでしょう」

 ならばと、今度は抱き寄せて上着を二人の肩へ掛け直せば、龍麻は微笑を頬に浮かべた。

「……こうすると…温かいのね」
「ああ……そうだな…」

 相変わらず月は雲に閉ざされているが、仄かに漏れ出ずる光はどこまでも清らかに。心傾くまま互いの温もりを感じながら、ただ静かに夜空を眺めていた。



「龍麻…俺は……本当の強さってやつをいつか身につけたい。だから…」

 いつの間にか再び寝入った龍麻に、京一はそっと告げる。

「中国には俺一人で行く。…今…そう決めたんだ」





手探りでもいい…寄り添う心があれば、離れていてもいつかまた必ず巡り合える。

どうかこの想いがぼやけぬよう、迷わぬよう…
月の光よ、夢の果てまでやわらかに照らし続けてくれ────


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