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Anniversary



Hodie Christus natus est;
   hodie Salvator apparuit;
 Hodie in terra canunt angeli;
   laetantur archangeli……

 この日、キリスト生まれ給いぬ
   この日、救いの御子現われ給いぬ
 この日、地上に天使の歌満てり、大天使祝い給う…



 1998/12/24 PM.6:00 新宿アルタ前

 俺とひーちゃんは夕方待ち合わせの約束をしていた。遅刻しないように学校からダッシュし続け、10分前には見事到着した俺だったが、その時にはもうひーちゃんは柱にもたれ掛かるような格好で俺を待っていた。

「珍しい…京一が遅刻しないなんて」

 ひーちゃんの辛口コメントを軽く聞き流すと、まずは繁華街をあてどなく歩き始める。

 ご多分に漏れず、街ん中は流れる音までがクリスマス一色。歩く人も着飾ったカップルだらけ。あいつらはきっとこれからクリスマスディナーと洒落込もうって寸法だろ。

 翻って自分たちを見ると…学校帰りの俺は当然の如く制服のまんま。
 そして傍らのひーちゃんは…。本当だったら、もっとお洒落してくるトコだろうが、今日の午後に退院を許されたばっかで、そんな時間も無かったんだろう。制服こそ着てねェが、手編みのセーターとタータンチェックのスカート姿の上にラフなコートを羽織ってるだけだ。

 …ま、それでもじゅーぶん綺麗なんだけどよ。

 現に、道行く奴ら(とくにヤロー共)は、こっちにちらちらと視線を送ってくる。

 それを違う意味で解釈し、居心地悪さを感じてるのか、ひーちゃんの、やっぱりもっとちゃんとした格好をすれば良かったかなという独り言が聞こえてくる。

「いいんだって。あいつらはひーちゃんに見惚れてるだけだぜ」

 ましてや、ひーちゃんがもっと気合入れた格好で現われた日にゃ、新宿はパニック状態になるぜ。

「まさか…」

 ぷっと吹き出すその横顔は、本当に可愛らしい。

「嘘じゃねェよ。それより何かメシでも食おうぜ。今日はひーちゃんの退院祝いだし」

 そして2人で初めて過ごすクリスマスイブだ。となると、男としては当然こんなセリフを吐きたくなるって訳で。

「ひーちゃんの行きたいトコで良いぜ。もちろん、俺が全部奢るからよ」
「本当?ありがとう」

 ひーちゃんは、ぱっと屈託の無い笑顔を頬に浮かべてから、何にしようかとどこか子供っぽい仕草で思案顔を作る。

 何か…こんなひーちゃん見るの、ホントに久しぶりな感じがする。意識が戻ってからは、あの化けモン院長の予想を上回る驚異的な回復ぶりを見せていたし、実際病室でも明るい笑いを見せていたけれど、

───今の笑顔…それって演技だったんじゃねェか…

 そんな問いかけをしたくなる瞬間が、時々胸の中を鋭く突き抜けていった。

 でも…結局それを口にする勇気は湧かなかった。
 あの時、凶刃から彼女を助けられなかった俺には…。
 彼女が生死の境を彷徨っている時にも……俺は何もしてやれなかった…。


「京一、どうしたの?」

 ひーちゃんの声に、何でもねェよと軽く応える。

「そう…。それなら、聞いてくれる?今夜のディナーの希望を」



 PM8:30  龍麻の自室近くのスーパー

 ひーちゃんのリクエストは『王華』のラーメンだった。
 何もクリスマスくんだり、いつも食ってるモンをわざわざ食いに行く必要は無いと俺はあえて言い返したが、

「別にクリスマスだからって、皆と同じようにフランス料理食べたりチキン食べる必要も無いでしょう」

 その鮮やかな切り返しに、それもそうだといつもの店に足を運んだ。いつもと違うのは店に閑古鳥が鳴いてた位で、ひーちゃんは久しぶり食べる定番のラーメンの味に心から満足した様子だった。

 思った以上に早く夕食も済んだので、それからちょっと俺らしくはねェが、それなりにムードのある所にひーちゃんを連れて行った。だがご丁寧にも更にムードを盛り上げるように粉雪がちらつき始めたので、退院直後のひーちゃんをこの寒空の下におくのは、いくらなんでもマズいかと早々にここから切り上げることにし、そのままひーちゃんのマンションに向かう。

「家に行く前に、少しはクリスマスっぽいのも買っていこうぜ」

 普段良く利用するスーパーに立ち寄り、買い物かごを持った俺が、ワインやら、酒のつまみやらを遠慮なくそこに放り込んでいくのを見ると、さすがに制服姿でそれは…とひーちゃんは苦笑を浮かべ、でも黙認してくれる。そんな彼女の手にはクリスマスキャンドルがしっかりと握られていた。

「そうなると後はケーキだけだな。ま、スーパーで売ってるケーキなんて大して美味くなさそうだけどよ」

 つい本音を漏らしてしまったので傍にいた店員が睨んできたが、構わずクリスマス用に華やかな飾りつけのされたソレらのうち、どれにしようかとケースを覗き込む。しかしひーちゃんは俺の肘を掴むと、

「あ、ケーキはいいの。もう有るから」

 そう言うと、もうレジに行かなきゃと促した。

「有るからって…」

 一体いつの間に用意してたんだ?
 そんな疑問を抱きつつ、閉店間近で混雑しているレジ前に2人して大人しく並んだ。



 PM.9:00  龍麻のマンションの一室

 小雪のちらつく中、ようやく部屋に戻ってきた…っていっても、こっちも全く火の気が無かったから、ひーちゃんは、

「これって、冷蔵庫の中より寒いかもね」

 慌てて部屋中の暖房器具にスイッチを入れて回る。ここは俺の体温で冷えた身体を温めてやるぜ、と言いたいトコなんだが、……ま、それを今するのはちょっと……イロイロとひーちゃんとは約束したからな…。

 仕方なく俺は手に持った荷物をテーブルに置き、そして台所に行ってグラスとかを棚から適当に見繕う。

「………何だ、コレ?」

 そんな時、俺の目に飛び込んだのは……。これって…ひーちゃん…。


「京一、もう部屋の中温かくなったから」

 ひーちゃんはカウンターキッチン越しに声を掛けてくると、後は自分が用意すると言って俺をここから追い出した。

「おッ、床暖房か…。さすがにリッチな作りしてんぜ、ここのマンションは」

 ひーちゃんが戻ってくる間、床にあぐらをかいて下からゆっくりと伝わる温もりを実感する。俺んちのコタツとは偉い違いだぜ。

「あら、コタツでみかんをほおばる、それこそ日本人に生まれて良かったって思う瞬間でしょ」
「まあ、な…。それより、そろそろキャンドルつけてもいいか?」
「そうね、お願い」

 ひーちゃんは、サイドボードの上のCDデッキを操作してから、そこの引き出しに入っていたマッチをポンと手渡す。俺が受け取ったマッチを擦り、クリスマスキャンドルに火を灯すのを確認すると、すぐに部屋の照明を消して台所に引っ込んだ。
 闇の中に幻想的にキャンドルの炎が浮かび上がると、部屋には不思議と安らぎを感じさせる空気が満ち始める。

 ちょうどCDの1曲目が終わりかけた頃、その明かりに導かれるように、ひーちゃんが手に何かを持って近付いてきた。

 って、おい、怖えェな、いきなりナイフの登場かよ。大方ケーキだろうと思ってたから、マジでビビったぜ。

「ゴメン、びっくりさせた?」
「暗闇からナイフが現われたら誰だってビビるって」

 俺の過剰な反応がおかしかったのか、ひーちゃんは悪戯っぽい笑いを閃かせる。そしてナイフとお皿をリビングボードに置くと足取りも軽く台所に戻り、すぐに引き返してきた。

「今度こそお待ち兼ねのクリスマスケーキよ」

 目の前に置かれたのは、長方形で茶褐色の武骨なケーキだった。

「これがクリスマスケーキか〜」

 俺の知ってるクリスマスケーキってのは、イチゴのショートケーキとか、チョコレートケーキとかの上にサンタの格好をした砂糖菓子なんかが乗っている、そんなケーキばっかしだったから、ひーちゃんの持ってきたケーキを見ていささか面食らう。

「うう…悪かったわね、地味なケーキで。これはパウンドケーキっていって、イギリスの伝統的なお菓子で、これでも立派なクリスマスケーキなんだから」

 流れるような手さばきで切られた瞬間、そのケーキの切り口からはブランデーとフルーツの混じった、何とも言えない馥郁たる香りが漂った。

「さ、召し上がれ」

 勧められるままに、パクっと一口…。

「……うめぇッ」

 正直、普段は生クリーム系が苦手でケーキ類は殆ど食わねェけど、口の中でどっしりかつしっとりとした食感が特徴のこのケーキは、フルーツの甘さがお酒のほろ苦さと溶け合って、メチャクチャ俺好みの味だった。

「もしかして、俺の好みに合わしてくれたのか〜?」

 蓬莱寺京一、感激いたしましたと、素直に今の気持ちを伝える。

「うふふ、それもあるけれど、でもね、これを作った理由はそれだけじゃ無いの」

 照れながら、ひーちゃんも自分が作ったケーキを一口食べ、満足そうにうなずく。

「ん、成功、成功。作ってから全然味見してなかったから、ちょっと心配だったのよ」
「にしても、よくこんな手間ヒマかかりそうなもの作る時間有ったな〜。退院したの今日の3時位だろ」

 感心しきりの俺に種明かしをしようかと、何故かひーちゃんはやや表情を硬くする。

「…パウンドケーキってね、作った直後より、時間が経ってからの方がより美味しくなるの。だから昔からイギリスとかでは、1〜2ヶ月ぐらい前からフルーツをお酒に漬けて準備をし始めて、そして10日位前にケーキを焼いてクリスマスを迎えていたのよ」

 ってことは、このケーキを焼いたのは…

「12月13日の午前中…」

 俺の質問にひーちゃんは小さく呟くと、そのまま唇をキュッと噛み締め黙り込む。

「悪ぃ…ヤなこと思い出させちまったな」

 謝罪の言葉にも、黙って首を左右に振るだけだ。

 それは当然の反応だろう、その日は…俺にとっても悪夢のような出来事の起こった“あの日”だからだ。

 しかも、その前夜には龍山のジジイから実父の死の真相を告げられていた。庵からの帰り道、雨に濡れたひーちゃんはまるで雫と一緒に地面に溶けてしまうかのように、どこまでも儚げだった。だから俺は…打ち明けるには時期が早過ぎると思いながらも、あんなことまで言い出してしまった。

 そして、その翌日…突然襲い掛かった闇に呑まれ、そして青白い刃に斃れた彼女を抱き締めた時、心底恐怖に震えた…。

 失わつつあるモノの余りの大きさに……


「京一…」

 ひーちゃんが俺を気遣うようにそっと声をかけてくる。
 情けねェ、俺の方こそひーちゃんを力付けることも出来ずに。

 ひーちゃんはただ静かに優しく俺を見つめていた。キャンドルの灯りの向うに浮かび上がるその容貌は、この世ならぬ気高さをも湛えていた。

 その瞬間、ガキの頃クリスマスに一度だけ姉貴に無理矢理連れてかれた教会で見た、ある図像を思い出した。

(聖母…マリア…)

 俺は、こういったのには全然詳しくねェが、たしか今日生まれたキリストってヤツの母親、聖母マリアってのは、何でも処女のまんまだっだんだと、これも姉貴から聞いたことがある。
 何人たりとも冒してはならない神聖な存在。そんなもんこの世に存在するものかと、ガキの頃の俺は訳も無く反発したが。

 本当は俺なんかが傍で触れちゃいけねェ女なのかもな…

 柄にも無い、そんなことが頭に浮かんだのは、あの時のヤツの…そう柳生宗祟の言葉がまだ引っ掛かっていたのかもしれない。
 そして空ろな俺の耳に流れ込むのは、聞き馴染みの無い言葉で歌われている聖歌…。


「京一、お願いだから私を見て」

 いつの間にか俯いていた俺を、ひーちゃんが静かに叱咤する。

「…私、自分の過去に、ううん、自分の宿星に向かい合うのは今でも怖いと思ってる。でもね、楽しい未来を夢見て生きろって言ってくれたのは、他ならないあなたよ、京一」

 だから、私…と一旦言いよどむが、俺が顔を上げ、視線が交じり合った数瞬の後、話を続ける。

「さっき京一、棚から見つけたでしょ。フルーツを漬けていた瓶…。あの瓶に付いてたラベルの日付の意味…分かるわよね」
「ああ…」

 あれは、俺が八剣に成す術も無く破れ、その上情けないことに仲間たちの前から姿を眩ましていた時…。自分を見失っていた数日間。

 あの時、ひーちゃんがどういう思いでいたのか、彼女は詳しいことは何も語ってくれず、周囲の人間の証言でそうだったのかと察するだけだった。
 でも、今なら俺にもはっきりと分かる。あの時ひーちゃんにどれだけ不安と苦悩と行き場の無い怒りを与えていたのかということを。ただひーちゃんの意識が戻ってくるのを待つしかなかったあの5日間、俺も同じ思いを味わっていたからだ。

「京一が居なくなって…。でも信じていた。必ず、必ず元気な姿で戻ってきてくれるって。それを願いながらこれを作っていたのよ…だって…」

 やや声を小さくしながらも、ひーちゃんは真っ直ぐに俺を見つめ続けている

 ああ、これは俺への天罰ってヤツか…。ひーちゃんの優しい言葉が、むしろ俺を責め立てている。


 だが…次の言葉を聞いて、俺は自分の耳を疑った。

「……心から愛する人と一緒にクリスマスを過ごしたかったから…」


 カチャっと乾いた音を立てたのは、俺の手から力なく落ちたフォークだった。


 ひーちゃんの口から告げられた、初めて聞く【愛する人】という言葉。それも…俺に対して…。


 その言葉と同時に涙が一粒、白い頬を真珠のようにきらめき零れる。その涙を俺はとっさに指でそっと掬いとると、ひーちゃんは頬をうっすらと赤らめた。

「ゴメンね、突然泣いたりして。でも今のは祈りが通じた嬉し泣きだからね」

 2人がずっと一緒にいられますように、そう願いながら作ったのがこのケーキだったからと、ひーちゃんは噛み締めるようにケーキをもう一口食べる。

「これって効果絶大だったみたい。でも、肝心の味が、何だかもう涙と一緒になってきて、ほろ苦くなった…」

 言葉を言い終える前に、ひーちゃんの唇に深くキスを落とす。その言葉とは裏腹に、どこまでもどこまでも甘い彼女の唇を堪能してから、ようやく解放した。

「ごちそーさま、ひーちゃん。俺のキスの味は甘かっただろッ」
「もうッ、悪ふざけはよして…」
「だってひーちゃん、俺のこと心から愛する人って言ってくれたじゃねェか」
「うッ…そ…それは…。そうだけど…」

 照れ隠しから、今は冗談めかした言葉しか言えない俺に、ひーちゃんは言葉を濁らせ、そしてついには、今日は飲み明かしましょうねとごまかし笑いをし始める。

 その顔は、聖女でも黄龍の器でもない、普通の少女のものだった。


「京一…何か言ったの…?」

「いいや…。にしても、噂通りひーちゃん、洋酒系は本当に弱かったんだな」

 ワインボトルは既に3分の2以上開けている。お陰でほんのりと頬を桜色に染め、やや意識がふわふわとし始めているひーちゃんには俺の呟きが聞きとれなかったようだ。

──俺も今夜は神様ってヤツに祈りを捧げてみるぜ

 この世に、こんなにも愛しいと思える存在を与えてくれたことを。
 彼女と2人で同じ時を刻んで行けることを。

「ひーちゃん、お前こそ俺が心から愛する女だからな」

 そして…願わくは、彼女を襲う様々な困難から護りつづけていけるよう…



Hodie exsultant justi dicentes;
  gloria in excelsis Deo.
 Alleluia!

この日、正しき人々歓喜して
  天なる神に栄光あれ!

  Edward Benjamin Britten作曲 
   “ Celemony of carols”より

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