日曜日午前中特有のまったりとした空気を破ったのは一本の電話だった。
「……君の制服が出来上がったそうだよ」
「…『せいふく』……?そうか、ついにわらわがこの大和の国を征服する時がやって来たということじゃな」
いったいどういう耳をしているんだ?君は。
というより、年頃の女の子が悪の帝王のようなセリフを平然と吐き捨てもいいものだろうか……。何となく先行きに不安を覚えてしまった。
「それなら問うが、紅葉の言う『せいふく』とは一体何なのじゃ?」
ああ、そうか。君の場合、ここから説明しなきゃダメだったんだね。
「制服っていうのはだね……」
「………ふぅーん…成る程のぉ…。しかし何故、わざわざ皆してお揃いの格好をしなければならぬのじゃろうか…」
と一人ごちながら、
「ああ、でも、鬼道衆の下忍らもお揃いの面をつけていたし…要するに、それと同じようなものと考えればいいのか」
と一人納得していた。
面をつけた集団……今まで君はそんな奇妙な集団に囲まれて過ごしていたのか?
「誤解するでないぞ。彼らとて四六時中面をつけていた訳でもなく、そもそも、わらわのような大幹部は面などつけてはおらぬ。あ、いや………一人だけ四六時中面をつけていた者がおったな……」
結局、彼奴がいかような方法で食事を取り、顔を洗い、眠っているのか……幾度探りを入れても突き止められなかったと、あらぬ方向を見て悔しがる。
「いつか必ず、その秘密を暴いてやるぞぇ」
「…………せいぜい頑張ってくれ。それよりも、早速昼から出かけるとしよう」
「ええッ、わらわも出かけねばならぬのか?服ぐらい、おぬしが受け取ってくれればそれで事足りるではないか」
街のリズムについていけないというのが原因らしいが、ひみこは外に出かけるのを極力避けている節がある。けれどもここで甘い顔を見せたら、館長から指南役を仰せつかった意味を成さなくなる。だからこそ、
「現代社会に慣れる意味でも、積極的に外に出ようと心がけなきゃダメだよ」
ここは教育的指導に徹することにした。第一───
「制服のサイズが合っているかどうか、それは本人が試着しなければ分らないだろう?」
この僕がたった一人、店員相手に女子高生の制服のサイズがどうのとやり取りする訳にもいかないし。大体、そんな姿を他人から見たら………ただの変態にしか映らないだろう。それだけは御免被りたいというのが、偽らざる本音だ。
「…着物ならば身の丈をさほど気にする必要も無いのに…。やれやれ、洋服とは面倒なシロモノじゃの〜」
ということで渋々ながらも、ひみこは同意の意を示した。
けれども春休み最後の日曜日のデパートなんて、迂闊に近寄るものじゃなかったね。これじゃ、彼女じゃなくとも人ごみに酔ってしまうのは必定だろう。
「とにかく、この中ではぐれたら最後だから、ちゃんと後ろを付いてくるんだよ」
「そうは言っても…目がくらくらするぞぇ…」
「仕方ないね、だったら僕の手にしっかりと掴まっているといい」
「……………何を…」
躊躇う彼女を、次から次へと押し寄せる人波が容赦なく飲み込もうとするから、
「…さあ、行くよッ」
この場を強行突破すべく、有無を言わさぬ勢いで彼女の手を引っ張る。いつものように抵抗するかと思いきや、案外とひみこは無言のまま素直にぎゅっと強く握り返してきた。
学生服のコーナーの手前でようやく手を解いたが、けれども、その時彼女がポツリと呟いた言葉は妙なものだった。
迷子になるのはもう嫌じゃ───
「え?」
驚いて振り向いてみれば、彼女は僕の方など微塵に気にも留めぬ様子で、好奇心に満ちた瞳を輝かせながらあたりを見回していた。
「まぁあ、とっても可愛らしいですわ」
中年の女性店員の言葉通り、赤の縁取りがなされたアイボリーホワイトの制服は、彼女に良く似合っていた。
「…足元が妙に風通しが良く、頼りなげな……これが『すかーと』なのか…。何とも奇妙な着心地のするものじゃのぉ。じゃが、今までの着物より数段足裁きし易いな。うむ、これはこれで中々気に入ったぞ」
たちまち上機嫌になると、その感覚を確かめるように、ぴょんぴょんとそこらを跳ね回る。
……頼むから、その……この場所でそれ以上足を蹴り上げるのは危険だから止めてくれないか?
「……何故じゃ?」
「これ以上のことは、僕の口からは言えないよ…」
顔をそむける僕を見て、ニヤリと彼女が笑う。
「安心しやれ。先刻店員殿から『すぱっつ』なる下履きも一緒にもらったからの」
「………それを聞いて安心したよ…」
「心配性じゃのぉ…そんなことでは早ぅに老け込むぞ」
今度は声を上げて笑いながらくるりと鮮やかに一回転すれば、そんな彼女の所作に付いてゆこうと、セーラー服はふわりと華やかに円を描く。
「さてさて、これで用も済んだし、さっさと家に戻ろうか、紅葉」
それは真っ白な花びらを身にまとったような軽やかさで……
不覚にも、また目を奪われてしまった────
幻影を振り払うように、僕は首を左右に振る。
「ダメだよ、他にもまだ買わなきゃいけないものがある。教科書とか、文房具とか…」
「えええ〜もう疲れた〜。これ以上一歩も歩けぬ〜〜」
「分ったよ、それじゃ少し休憩しようか」
「やった〜〜!そうと決まれば、あそこにある茶店に入って団子を食べようぞ〜!」
たまたま同じフロアにあった和風喫茶を目ざとく見つけると、僕の腕を引っ張って歩き始めた。
「あれ、もう一歩も歩けないんじゃなかったっけ?」
「…………………紅葉の意地悪……」
ふくれっ面の彼女とすまし顔の僕とでしばらく睨み合いが続いたが、それはお団子が運ばれてくるまでのほんの短い時間だった。
そして家に帰ってからの彼女はといえば、真新しい制服を大切そうに壁に掛けると、飽きもせずにそれを眺めて続けている。
「もうじき…なのじゃな…」
転校初日まで、後5日。
新しい学校で一体どんな出逢いが待ち受けているのか───と。
おそらくは、期待と不安が交錯する青々とした想いが、君の胸中を染め上げていることだろう。
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