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転校生 第壱話其ノ壱

 新宿区にある都立真神学園高校。旧制中学の時代から続く古い伝統校であるこの学校は、都心にありながらも広い校庭と校舎を持ち、桜などの木々に囲まれた校域は一種独特の神域のような厳かささえも漂わせていた。そんな雰囲気からか、この学校の卒業生は自分たちの学校を「櫻の杜」と呼び、巣立っていったのである。



 ≪壱≫

 1998年春4月。新しい学期に突入したばかり、教室の空気はまだどことなくぎこちなさを漂わせているはずの3-Cの生徒たちは、朝から噂話に花を咲かせていた。

────ねえねえ知ってる?
─────知ってる、今日このクラスに転校生が来るんでしょ
──────さっき、マリアせんせが教頭と話していたの聞いたわ、と
────あっ噂をすれば来た!

 からりと扉が開けられると、数ヶ月前からこの学校に赴任してきた英語教師の真紅の薔薇の花を連想させる華やかな姿が現れた。

「Good Morning Everybody. もう知っているヒトもいると思いますが、今日からみんなと一緒に勉強することになった転校生のコを紹介します。さあ入ってらっしゃい」

 教室の中は好奇心を抑えきれない表情の生徒たちの目線が、扉に集中される。そこからのびやかな肢体を持った一人の女子高生が、やや緊張した面持ちですっと音も無く教室に入ってきた。


 瞬時、教室の空気がふわりと流動的に動き、そして止まった。


 くせの無いさらさらのセミロングの黒髪、顔立ちはやや長めの前髪と、琥珀色の縁取りの眼鏡のためか、ハッキリとは確認できないが、その輪郭は驚くほど色白で、形の良い鼻梁と、堅く結ばれた桜色の唇は芯の強そうな性格を示し、きちんと学校規則に則った膝の真中程のアイボリー色の制服のスカート丈の裾からは、すらりとした白い足を覗かせていた。

 マリアに促されて、黒板にさらさらと達筆な字で書かれた名前は────緋勇龍麻
 その様子は容姿の上ではまずまずキレイな優等生的女子生徒といった第一印象をクラスの生徒たちに与えたようであった。


 教室内が静まり返ったのも束の間、中学校ならいざ知らず、高校、しかも3年生での転校生とは物珍しいのか、先程噂話に花を咲かせていた女子生徒らを中心に矢継ぎ早に質問が浴びせられた。

「名前難しいけど何ていうの?」

 ひゆうたつまです、と、緊張気味ながらよく透る澄んだメゾソプラノの声が教室に響く。

「男の子みたいな名前だよね、あだ名は〜?」

 苦笑しながら龍麻は、前の学校ではひーちゃんと呼ばれていたと小声で告白。

「どっから来たのぉ」

 近畿、奈良県の県庁所在地からですと、しかし完璧な標準語で答える。

「誕生日は」「血液型は」「好きな男のコのタイプは」

 しかし徐々に中身がプライベートな領域に入ってきた為、龍麻は困惑気味に担任教師の方を振り仰いだ。

「そんなに一度に沢山質問したら、緋勇サンも困るでしょう。今日はもうこれ位にしてね。緋勇さんは、ご家族の仕事の都合で1ヶ月前にこちらに着たばかりなの。わからないトコロが多くてとまどうかもしれないから、みんなもイロイロ親切にしてあげてね」

 助かったと言わんばかりに少し表情を和らげた龍麻に、マリアは教室の後方にポツンと空いていた席を指し示した。

「緋勇サンの席は…、そうね美里サンの隣が空いていたわね。美里サンは学園の生徒会長でクラス委員でもあるから、分からないことがあったら相談するといいわ」


 龍麻が自分の席に向かおうと真っ直ぐ歩くその様子を見て、下卑た笑いを浮かべた男子生徒がいた。誰が見ても不良だと人目で分かる風体を持つその生徒は、龍麻の優等生的にとりすました顔が気に入らなかったのか、公衆の面前で恥をかかせてやろうと企み、横を通り抜けるのを見計らってずいと足を通路に投げ出した。

 だが次の瞬間バランスを崩したのは龍麻ではなく、その男子生徒だった。大音響と共に椅子ごと床に強か体を打ちつけてクラスの全員の爆笑を買う。

 その様子を黙殺するかのように龍麻は振り向きもせず、さっさと自分の席に座るや次の授業の教科書を鞄から出している。
 そしてクラス中の耳目が倒れた男子生徒に向けられる中、龍麻の様子だけをじっと見詰めている者がただ2名いた。



 ≪弐≫

 一時限目は、そのままマリアの英語の授業であった。先程、龍麻の様子をじっと見詰めていた1人は他ならぬ担任のマリアだった。

 <フフッ、やはりこのコが…>

 自分がこの街に来た目的の一つが、今ようやく果たされようとしている、その喜びで胸の中がいっぱいであった。

<やっぱり、この学校には、アレがあるのね>

 そうなると、彼女のほかにも、彼女に集うナカマがこの学校には、いやこの学校の生徒に限らず自然と彼女に吸い寄せられるように現れるはず…。

 頭の片隅で考え事に熱中していたマリアは、はたと龍麻と視線があってしまった。龍麻はマリアが自分に向けられている眼差しの強さを、少し怪訝そうな様子で感じ取ったようである。
 マリアは、自分の顔をすばやく高校の英語教師に戻す。

「……それでは、次を、そうね緋勇サン、読んでくれるかしら…」

 指名され、龍麻は立ち上がりページを繰る。クラスメイトの興味津々といった耳に、驚くほど流暢な英語が飛び込んでくる。読み終えると感嘆の溜息に近いものがクラスの中にふうと漏れる。
 特に彼女の斜め前に座っている髪の短い、見るからにスポーツ少女といった感じの少女は、尊敬の眼差しで龍麻を見詰めていた。


 一時間目が終わった休み時間。隣の席に座っていた、マリアからクラス委員として紹介された黒い長い髪をした少女が、龍麻の方に近寄ってきた。

「こんにちは。さっきは時間が無くて挨拶できなくて御免なさい。私は美里葵っていいます。美里は美しいにふる里の里、葵は葵草の葵です。これからよろしくね」 

 やさしい微笑をたたえて龍麻に話し掛ける、その様子は驚くほど清楚で、龍麻も同じ女性でありながら思わず見惚れてしまうくらいであった。

「こちらこそ、よろしく美里さん」

 ようやく緊張の糸が解けたのか、龍麻の表情がふと緩みそうになる。

<どこかで会ったこと?───そんな訳無いわよね>

「ふふっ、縁あって同じクラスのお隣になったのですもの。これから一年仲良くしましょう」

 葵の親しげな言葉に、知らずとにっこりと笑みを交わす二人の所に、元気よく近づく人影があった。

「葵ってば、早速転校生クンに声を掛けるなんてマメだね。その調子で男の子にも関心を持てばいいのに。あっ転校生サンはじめまして。ボク、桜井小蒔。名前は花の桜に井戸の井、小さいに種蒔きの蒔で小蒔って書くの。弓道部の部長をやってんだ。これから一年ヨロシクね」

 細身な体躯と茶色の短めの髪、活力と表情に満ちた大きな瞳、何だか可愛いリスを連想するな、と龍麻は心の中でこっそり感想をもらす。

「それにしても、緋勇さんて凄いよね。さっきの英語。ボクあんまし得意じゃないから感動しちゃった」
「…あの、私、以前は親の仕事の関係でアメリカに住んでいたから。英語はね」
「へー、じゃあ帰国子女なんだ。ナルホド。じゃあ、向こうにボーイフレンドの一人や二人はいたんでしょ。葵ってさー」

 ここまで言うと、小蒔は龍麻に顔を近づけて、ぼそぼそと言葉を続ける

「…こう見えても、彼氏いないんだよね。結構声は掛けられてるみたいなんだけれど、全部断ってるし。別に理想が高いって訳じゃないらしいけど。ここはアメリカ帰りの緋勇さんに、アチラ流の男性との付き合い方をレクチャーして貰った方が…」
「…聞こえてるわよ小蒔。もう、変なこと言わないで、緋勇さんもびっくりしてるじゃない」

 葵は形の良い眉を少しひそめ、小蒔の暴言をたしなめた。

「あっ次数学の授業だ。ボク宿題のプリントを見直さなきゃ。緋勇さん、葵、じゃあね」

 来た時と同じ位元気よく立ち去る小蒔を見て、葵は溜息をつく。

「ごめんなさいね、小蒔がおかしなこと言って。本当に、気を悪くしないでね」
「ううん全然。それより二人は仲がいいのね、ずっと同じクラスかクラブだったの?」
「いいえ、小蒔とは一年生の時、同じクラスだったの。私、今では学園の生徒会長なんて務めているけれど、昔は引っ込み思案だったから中々お友達が出来なくて…。でも小蒔はああいう物怖じしない明るい性格だから、クラスに馴染めずにいた私に声をかけてくれて、それからはずっとお友達。本当に小蒔には感謝しているわ。だから…」

<ああ、だから自分の体験を振り返って、転校生の私が心細い思いをしていないか、声を掛けてくれたという訳。本当に優しい人なのね…>

「ありがとう、気を遣ってくれて」

 笑顔を美里に向けると、美里はぽっと上気した顔になった。

<な、何でかしら。女性なのに。でも緋勇さんの顔を見ると、何か胸がドキッとするわ>

「そ、それじゃあ、今日は生徒会があるから駄目だけれど、明日なら時間が空いているから、色々と学校のこと紹介するわね」

 美里は顔を赤らめながら、そそくさと龍麻の傍を離れると、今度は

「あーあ、あんなに顔を赤くしちゃって、可愛いね〜」

 軽い調子の声が龍麻に向けられた。

 声の主を仰ぎ見ると、へへっといかにも軟派な表情を浮かべた、明るい茶色の髪の男子生徒が立っていた。実を言えば彼は龍麻のすぐ前の席に座っていたのだが、一時間目の授業開始直後から熟睡していたらしく、龍麻の視界には入ってこなかったのだ。

「よお、転校生。俺は蓬莱寺京一。これでも剣道部の主将をしているんだ。ヨロシクな」

 そう言われて見ると、確かに表情や態度は軽そうだったが、制服に身をつつんだ中肉中背の体からはよく鍛えられた筋肉が感じられ、その肢体からは《氣》が漲らんばかりだった。
 肩に担がれた紫布に包まれた刀(おそらく木刀だろう)を常に身に帯びている姿さえ、ごく自然に映ることからも、彼がただならぬ技量の持ち主であることを瞬時に龍麻は悟った。

「そうだ、一つ忠告しておくが…このクラスで平穏無事に過ごしたかったら、目立たないようにすることだな。学園の聖女(マドンナ)を崇拝する奴はいくらでもいるってことだ。このクラスには、あいつらみたいに…」 

 京一が示した方角には、朝龍麻の足を引っ掛けようとした男子生徒を中心にした数人の柄の悪いグループがたむろしていた。

「頭に血の上りやすい輩もいるしな。それよりお前、さっき佐久間に何か…」

言いかけた所でチャイムが鳴り響き、同時に厳格そうな面持ちの男性教諭が教室に入ってきた。


 3年A組の担任教師でもある数学の高瀬川は生徒に恐れられているらしく、席を立っていた生徒たちは慌てて自分の席に戻って、教室はぴりぴりとした空気に包まれていった。

「──それでは、先日の宿題のプリントから始める。まあ、今回の宿題は過去の大学入試から拠り抜いたから多少は難しかったろうが、こんな程度がこなせない様では受験は乗り切れんぞ」

 そういうと、数人の生徒を順順に当てていった。当然だと言い放つ言葉とは裏腹に、正解すれば意外な、出来なければそれこそ嘲りの言葉を容赦なく生徒に浴びせ、その陰湿な態度は今日始めて授業を受ける龍麻にも不快さを感じさせるに充分だった。

「次の問8は、一番難易度が高かったな。…そうだな、美里、お前なら分かるだろう?」

 高瀬川は学年首席である葵を名指した。しかし葵は設問1は解けたが、設問2が分かりませんでしたと素直に答えた。

<それはそうだ、設問2は東大医学部の過去問だからな。何でも生徒らに正解されては教師としての俺の面子がたたん>

 高瀬川は教育者としては有るまじき、生徒に対する優越感を感じることに快感を覚える教師だった。その一方で不良グループのような連中は当てようとはせず、攻撃の矛先は自分に牙を剥きそうに無い生徒に専ら集中させていた。

「それじゃあ問2は、そこで余裕をかましている蓬莱寺に解いてもらおうか」

 驚いたことに教室中が緊張感漂う中でも、京一はしっかりと自分の夢の世界に入り込んでいた。龍麻はそっと指先で前の席の京一を突付いて見たが効果は無い。

<仕様が無いわね…>

 軽く息を吐くと掌に力を込め、それから京一の背のある部分を軽く触る。

「?!な、何だっ」

 次の瞬間、京一が弾かれたように顔を上げると、その目前に高瀬川の不機嫌な顔が見えた。

「蓬莱寺、夢の中ではいい答えが浮かんだか。まあ毎度補習を受けるような勉強好きなお前にはこの問題は易し過ぎるだろう」
「………」
「そうか、それがお前の答か。まあ仕方ないだろうな」

 また、こんな大人気ないことをいっている。そんなことでは生徒に嫌われてしまうのにと龍麻は哀れみにも近い眼で高瀬川を観察していた。高瀬川は大仰にため息をつくと、今度は真後ろの龍麻の方に視線を送る。

「それなら蓬莱寺に構う余裕のある、後の席の転校生。名前は…緋勇だったか。お前が解いてみろ」
「えっ、緋勇さんは今日から学校に来たばっかりだから、まだ宿題のプリントを渡されてなかったのに」

 思わず小蒔が不平の声を漏らすと、じろりと高瀬川に睨まれた。

「なら桜井が替わりに答えるか」
「いやボク、そのッ」
「俺は生徒を特別扱いはしない、それが転校生であってもだ。…で、解けないのか緋勇も」

 言っている内容は立派だが中身は伴っていない。龍麻はこれ以上事態を硬直させるのは、世の中の数学嫌いを増やすだけだし、時間の無駄でもあると思い素直に席を立った。

「…蓬莱寺君。プリントを貸してくれる」

 穏やかな口調でそう言うと、京一は教科書に挟んであったプリントを彼女に渡した。
 黒板に向かいながら受け取ったプリントを眺めると、およそ配布されてから今の今まで少しも手を付けていなかったのが明らか過ぎる程、綺麗に真っ白だった。

<…悪いけど蓬莱寺君。これじゃ先生が嫌味の一つや二つ言いたくなる気持も分かるわ>

 口の端を少し歪めて溜息をつき黒板の前に立つ。高瀬川はそれを判らない諦めのサインと受け取り、ほくそえむ。
 しかし龍麻はチョークを白くほっそりとした指で優雅に持つと、躊躇することなくさらさらと数式を書き始めた。その間わずかに15秒。

「これでよろしいでしょうか。先生」

 高瀬川は目の前で繰り広げられた光景に先刻までの笑みは消え、顔色を青くしたまましばらく言葉が吐き出せなかった。
あくまで冷静さを保っている龍麻と対称をなす酷く狼狽した様子に、同級生たちは日頃の恨みの幾許かが晴らせた心地よさのようなものを一様に感じていた。




 ≪参≫

「もぉ、最高。見たあの高瀬川の顔〜」

 小蒔は先程の光景を思い返しては背中を震わせ、笑いがとまらない状態であった。

「ふふふっ、そんなに暢気にしていると授業に間に合わないわよ。小蒔はそれに今週体育係でしょ、早く行かなくていいの」
「あっと、やばい。バスケの準備頼まれてたんだ」
「…私はもう着替え終わったから、よかったら一緒に手伝うわ、桜井さん」
「サンキュッ」

 3・4時間目は3年C組とD組合同の体育の授業であった。今は男女とも体育館でバスケットボールをやることになっている。スポーツ万能の小蒔としては、一番力が入る授業でもある。

「倉庫からボールを出してきたから、あとは得点板ね」
「手伝ってくれてありがと、緋勇さん。それに引き換え、もう一人の体育係は何さぼってんだか。大方女子更衣室でも覗きに行ってんじゃないの」
「覗くか、阿呆」
「わッ、京一、いつの間に」
「しゃーねーだろッ。宿題やってなかったからあの後高瀬川にとっ捕まってたんだよ」

 憤懣やるかたなしといった表情の京一が、しかし素早く着替えてきたのかきちんと体育着姿に変わっていた。その姿はさっきより一層凛々しさを増したようで、見れば京一に黄色い声を送っている下級生の女子生徒が体育館の入り口に両手の指に足らない位いる。

「いいよねぇ下級生は、京一の実態を知らないで済むからさ。緋勇さん、気を付けた方がいいよ。こいつ、超女好きのドスケベだから」
「転校生にあらぬことを吹き込むなよ、美少年。いくら俺の方がもてるからっ…」

 絶妙のタイミングで、小蒔が手にしたバスケットボールが顔目掛けて投げ付けられる。それをまた、鮮やかな反射神経で避ける京一に、龍麻はある種感動を覚えた。

「だあれが美少年だ」
「だって、ないじゃん。胸」
「ぐぐっ。別にボクは今の体型で人様に迷惑をかけたこともないし、第一人それぞれで個性があったっていいじゃない」
「…迷惑はかけていないが、目の保養にはならない!いいか、女らしい体型というのは、ほれ、そこにいる緋勇みたいなのを指すんだ」
「えっ私」

 確かに小蒔の目から見ても、龍麻は平均よりもやや高い身長に、引き締まった長い手足と細い腰。形の良い胸と、羨ましい限りのスタイルの持ち主だった。あまり二人にじろじろと観察されたので、思わず龍麻も顔が真っ赤になってしまう。

「京一君、もう男子は集合かかっているわよ。行かなくていいの?」

 葵の救いの手がのびて、ようやく龍麻も息苦しい視線から開放された。

<何でだろう、蓬莱寺君に見られるとドキッとするのよね。さっきも妙に勘のいいことを言っていたし、気をつけなきゃ…>

「どうしたの、緋勇さん。私たち同じチームでこれから試合よ」
「へへへ、葵とボクが居れば楽勝だね。あッ、もちろん緋勇さんも本場仕込みのプレイ、そっちも楽しみにしてるからね」


 ホイッスルが鳴ってボールが小蒔に渡ると、前言に違わず素早い動きで敵のディフェンスを翻弄する。

「葵、パスッ」

 葵が絶妙のコントロールで渡されたボールを的確にシュートする。この2人が中心となってゲームが進んでいく。だが龍麻は、特に積極的に試合に参加するでもなくこぼれ球をフォローするのに専念していた。

 しかし試合が続くにつれて小蒔と葵に対するガードが厳しくなってきた。小蒔が葵にボールを渡そうとしても前方は自分より背の高い生徒たちの壁が出来ていた。

「んもおー、しょうがないなー。あッ緋勇さん、パスッ」

 小蒔は後方に待機していた龍麻に5秒ルールぎりぎりでボールを渡す。
 それまで暇を持て余し気味だった龍麻の身体が反射的に弾かれたように動く。

「えっ」
「嘘っ」

 呆然とするチームメート達の見守る中、龍麻は一陣の風の如くの速さで、敵チームのディフェンスを易々と突破すると、そのままジャンプしてダンクシュートを鮮やかに決めた。
 応援にまわっていた同級生たちから一斉にキャーっと黄色い歓声があがる。
 そこから堰を切ったかのような龍麻の超高校生級のプレイが始まった。
 敵側のボールパスをジャンプで取り返すと、その態勢のまま3ポイントシュートを放つ。

「何だって女どもが急に騒がしくなったんだ?」

 別のコートで試合をしていた京一が騒ぎの起こっているコートを見ると、ちょうど龍麻が前方をディフェンスで固められ足止めを食っているところだった。否、次の瞬間には、真後ろに来ていた小蒔に振り向きもせずにワンバウンドでパスを送り、そして、再び葵からのパスでボールが手許に戻ってくると、この日7本目のダンクシュートを華麗に決める。

「…すっげージャンプ力。あいつ一体何者なんだ…」


 試合が終わると、クラスの女子生徒達は龍麻を取り囲み、興奮が隠し切れない有様だった。唯一人、龍麻は元のクールな雰囲気を素早く取り戻していたが。

<今日転校してきたばかりだのに、もうクラスのムードを変える中心人物になってやがる。当の本人は別段声高に自己主張してるって訳じゃないねェのにな>

──まっ、いづれにしても…

「この1年間は楽しめそうだな」

 京一は何故だか愉快な気分になって、その手でもてあそんでいたボールをその場から無造作にゴールポストに投げるや、更衣室へと向かう。
 これまた鮮やかにシュートを決めたのだが、京一の関心は既にこの場から離れていた。

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