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転校生 第壱話其ノ弐

 ≪四≫ 

 昼休み、京一は龍麻の姿を探したが既に教室にはいなかった。同じクラスの女子生徒からの屋上へ向う階段で見かけたという情報を頼りに屋上にあがると、果たして龍麻がぼんやりと柵に身をもたれ掛けて校庭を眺めていた。

「…よう、もう昼メシ食っちまったのか」
「蓬莱寺君」
「この学校、珍しいか」
「ええ、建物の配置がね。あの校舎────」

 すっと指差した先に有るのは、古びた木造校舎。

「旧校舎か…。今は使われてねェな。近々取り壊すって話だが」
「これだけ広い敷地の中だというのに、なぜあの校舎はあんな片隅に…。まるでその存在を隠そうとしているみたいだなって」
「そんなもん、考えたことねェぜ」

 内心妙なことに関心を持つ奴だと京一は思ったが、そのことをそれ以上追求するよりも今は自分が先程から抱えていた疑問を彼女に問う方を優先させた。

「緋勇…お前、2時間目の授業の時、俺に何をしたんだ?」
「えっ!?」
「俺は自慢じゃねェが、一回寝付くとよっぽどのことが無い限り目を覚まさない」
「それって、胸張って言えること?」

 龍麻の冷たい反応にめげず、京一は追及する。

「…ま、とにかくその俺がだ。お前が軽く触れただけで目を覚ますなんて、おかしい。おまけに妙に目覚めがよかったのか、あの後あの授業中一度も眠気に襲われなかった」

 教室での様子とは打って変わった真剣な表情に耐えかねたのか、龍麻は視線をやや下に向けると、ぽつりと呟いた。

「《氣》の力…」
「《氣》!?」
「私の母は、気功を使った治癒士なの。だから私も見様見真似で簡単な気功は使えるの」
「成る程…あん時佐久間にも同じ技使ったのか」
「佐久間…?」
「朝、お前の足を引っ掛けようとした奴だ。クラスの連中には、あいつが自分で勝手にすっ転んだように見えたようだが、だが俺の目は誤魔化せねェ」
「……」
「お前すれ違う瞬間奴に《氣》を放ったろう。周囲に判らないくらい微量の」

<逆にいえば、それだけコントロール良くポイントを突けるだけの技量があるってことか>

「何で私が?面白いこと言うのね、蓬莱寺君って」

 京一は類稀な技量に素直に感心しているのだが、龍麻はあくまで否定を続ける。

「俺の剣の技にも似たようなものがあるからな。俺の場合は剣に《氣》を乗せる遣り方だが」
「……用がそれだけなら、私はもうこれ以上話せることは無いんだけれど」

 自分のことを追求されるのはもう沢山といった感情を織り交ぜた声色でそう答えると、唇をきつく結びその場を立ち去ろうとした。

「悪かったな、何か気分を害してしまったようで。んじゃ、お詫びの印に今から俺がざっとだが、この学校の中を案内してやろう、こっちだ緋勇」

 龍麻がいやだと言う暇も与えず、その手を掴むと階段の踊り場までさっさと歩いていく。


「さってと…何階から案内しようか」
「強引…」

 手を振り解こうとする龍麻を逃がすまいと、京一は握っている手に少し力を入れる。そしてふてぶてしいまでの陽気な口調で、さっさと階下に向かって歩き始めた。

「うーん、じゃここは順番に一階から行くか」

 一階は一年生の教室と職員室と保健室がある。
 職員室なんて蓬莱寺君は一番行きたくないタイプなのにわざわざ案内してくれて悪いなと思ったら、少し龍麻の気持ちはほぐれてきた。

 そんな矢先、

「!!?」

 廊下の角を曲がったところで、出会い頭に龍麻は誰かとぶつかってしまった。

「すみません。大丈夫ですか」

 ぶつかった相手に頭を下げて謝っている龍麻の手を、彼女が逃げないよう、それまでしっかりと握っていたはずの京一が、なぜだかぱっと振り解く。

「随分殊勝なことだ、お前がわざわざ職員室に自主的に足を運ぶとは」
「…はあ〜、よりによって一番遭いたくない奴に」

 そそくさとこの現場を離れようとしたのだがそれも叶わず、思わずため息と共に本音が漏れる。

「奴!?」
「いえ先生に遭えて…」

 じろりと京一を睨みつけている教師は、よれよれの白衣に無精髭、おまけに大分きつい煙草を愛用しているのか、そこら中に煙草の香りが染み付いている。
 一見すると冴えないただの中年男性教諭だったが、数学の授業の時とは明らかに異なる京一の過度の反応といい、ぶつかるまで龍麻に全く気配を感じさせなかったことといい、そして何より眼鏡越しに見える目の鋭さが、この人物を一介の公立高校教師と片付けていいんだろうか、と龍麻の脳裏を薄っすらと疑問符がかすめていった。

 一方の犬神も見慣れない生徒に興味を持ったようだった。

「君か、マリア先生のクラスに転入してきた生徒は」
「はい、緋勇龍麻といいます」
「…緋勇か。俺は隣のB組の担任をしている犬神だ。まあ生物の授業で顔を合わすこともあるだろうから、しっかりと勉強をするんだ。学生の本分は学問だからな」

 少なくともこいつを見習うんじゃないぞ、と京一の方を一瞥すると、そのまま職員室に入っていった。京一は再度大きく溜息を漏らすと、気を取り直した声でじゃ次2階に行こうと龍麻を促した。


 2階は二年生の教室と生物室がある。と廊下の一角に女生徒ばかりの人だかりが出来ていた。

「あれはオカルト研究会、別名霊研っていうトコの部室だ。昼休みになると、そこの部長が占いをやるんだが、それが良く当たるって言うんで毎日この盛況ぶりだ」

 この研究会が学校に部活動として認められているのも不可思議なのに、女っていうのはどうしてこうも占い好きなのか分からねェな、と京一が述懐する。

「緋勇も試しに占ってもらうか?」

 どうしようかと悩んだ3秒後、背後に人の気配を感じた。

「んふふふふふ〜、京一く〜ん。我が霊研にようこそ〜」

「う、裏密ッ。いつの間に…」

 背後に湧いて出た裏密に、京一は飛び上がらんばかりに驚いたが、龍麻は平然と後ろを向く。
 するとそこには後髪を巫女のように長く垂らして一つに結び、手にはなにやら怪しげな手製の人形を持っている小柄な少女がゆらりと立っていた。瓶底眼鏡のため、龍麻と同様目の表情等は読み取ることは出来ないが、口元には友好的な笑みを浮かべているのが分かる。

「それと〜あなたが〜、転校生ね〜緋勇龍麻さ〜ん。私魔界の愛の伝道師裏密ミサちゃ〜ん。霊研の部長をやっているの〜。今日はもう御仕舞だけれど、我が霊研は迷える子羊たちをアドバイスする処なの〜。何かあったら〜遠慮なく来てね〜」

 やや後退り気味の京一を無視して、龍麻は礼儀正しく裏密に言葉を返す。

「ご親切にありがとう、裏密さん。今度何かあったら是非頼らせてもらうわ」
「…緋勇さ〜んって、不思議な人ね〜。私たちいい友達になれそう〜。じゃ〜ね〜」

 裏密より不思議な奴はいねえよ、と京一は心の中で叫びながら、何で龍麻はこんなやつと普通に会話できるのかが信じられなかった。

「…お前ってああいう奴が好きなのか。さっき俺に対してはあんなにそっけなかったのに」
「人の親切には、相応の感謝でかえすのが人の道でしょう」
「ふーん、じゃ、今俺に感謝してる?」
「えっ、それはさっき私の気分を害したお詫びだって、自分から言っていたじゃない」
「あっそうだった」
「…嘘。感謝しています。ありがとう」

 にこっと軽くだが初めて京一に対して笑った彼女を見て、京一はドキっとした。

<こいつ、やっと俺にも笑いやがった。おまけにこいつ、笑うとすげえ可愛いじゃねェか>


 後は3階だけだな、と京一は自分の照れている顔を見せないように、龍麻の前を歩く。
 と、今度は京一が誰かと衝突し、ぶつかった相手はキャッと悲鳴をあげて廊下に尻餅をついた。

「痛った〜。もう何処に目をつけているのよ」
「ゲゲッ、アン子」
「京一〜。あっ逃げるの!卑怯者!!」

 脱兎の如く逃げ出す京一を横目に、龍麻はアン子の手を取り助け起こした。
 龍麻より少し長めのストレートの黒髪に、黒縁の眼鏡。
 眼鏡で表情を隠している龍麻と違って、眼鏡の奥からも一重の瞳は尚も生き生きとして、勝気で知的そうな印象を強く相手に植え付ける少女だった。

「ふう、もうアイツったら。ありがと。えっと、あなた今日転校してきた緋勇さんよね」
「…はい」

<自分はもうこんなに校内に知れ渡ってしまったのだろうか、あまり目立たないように心がけていたのに>

 自分のこの半日の行動が充分目立ちまくっていることに全く気の廻っていない龍麻は、別のクラスの人間まで自分の名前を知っているのが不思議でたまらなかった。

「あなた、今何で私の名前を知っているのって思ったでしょ。ふっふっふ、この新聞部部長遠野杏子様の情報網を舐めてもらっては困るわ。今日貴方が転校して来るのを逸早くスクープしたのもこのあたしですもん」

 新聞部の部長…道理で観察力に溢れた鋭い眼差しを見せているのかと龍麻は納得した。

「ここで出会ったのも何かの縁。緋勇さん、あなたもう同級生の女の子の間で凄い人気者なのよ。でね、ついては今日の放課後に色々とインタビューしたいのだけれど、時間空けてくれるかしら、ね、いいでしょう」

<インタビューか、うーん困ったな。これ以上目立った真似はしたくないんだけれど>

 ちらっとアン子の方を見ると、そこにはもう獲物を見つけたハンターの様な、爛々とした目の輝きを見出した。

<でも…ここで変に逃げると、有らぬことを調べて書かれてしまいそうだし…>

「分ったわ…あまり大した話は出来ないと思うけれど、放課後教室で待っているわね」

 龍麻の心中を知ってか知らずか礼を言うアン子と別れて、龍麻は一人昼休みの終りかけた教室の方角に足を向けた。



 教室の扉を開けると、だしぬけに横から野太い声がかかった

「おいっ、転校生」

 悪意の《氣》を感じて横を見ると、案の定佐久間が龍麻を非友好的な態度で出迎えてくれていた。

「転校早々、大した人気者だが、あんましいい気になるなよ緋勇」
「……」

 好きで騒がれたわけでもなし、勝手に周囲が騒いでいるだけなんだから、いい気になりようがないんだけれどと内心呟くと、そのまま無言で遣り過ごそうとしたが、その冷めた態度が益々佐久間の怒りを買ったようである。

「てめえ生意気なんだよ」

 佐久間が龍麻の肩を掴もうとした瞬間、間に京一が割って入った。

「おっと、女性に対する態度としては、ちょいと紳士的じゃねェよな」
「蓬莱寺か…」

 京一が水を注したことで、佐久間も戦意が削がれたのか、そのまま教室を出て行ってしまい、龍麻は言葉だけで追い払った京一を、やはりかなりの腕利きの剣士なのだと再確認した。

「有難う、蓬莱寺君」
「いいって、こんな人がいっぱい居るところじゃ、やだろ」

<見かけによらず、蓬莱寺君って、美里さん同様に心配りの細やかな人なんだ…>

 さっき自分が言ったことを気に掛けてくれたのかと、龍麻は胸の中がほわっと暖かくなってきた。

「それより佐久間の奴…」

 これで引き下がってくれりゃあいいがなと、京一は佐久間のねちっこい性格をしっているので、龍麻がまた絡まれるのではないかと不安を感じ取っていた。

 そしてその不安は正しかったのである。




 ≪伍≫

 放課後3-Cに約束通り遠野杏子が姿を見せた時、教室内は部活動や帰宅の為人影もまばらになっていた。

「お待たせ、緋勇さん」
「ううん…。この学校はクラブ活動が盛んなのね。半数以上の人が部活に顔を出しているみたい」
「特にこのクラスは運動部の部長が顔を揃えているからでしょ、って、あらら珍しい。京一も部活に出てるみたい」
「蓬莱寺君って、たしか剣道部の部長をしているんでしょう?」
「名前だけはね。ありゃほとんど幽霊部員よ。まあ腕か立つから皆も黙認しているんでしょうけれど。ッて、あのバカの話なんかしてもしょうがないわね。今日の主役は緋勇さんなんだから。まずは月並みな質問からね…」

 アン子の話を遮るように、ふいに乱暴に教室の扉が開けられた。

「へへ、ちょうどいい。まだ教室に残ってたぜ」
「転校生、ちょっとツラ貸せや」

 振り返って見ると休み時間に佐久間を取り巻いていた男子生徒数人が、敵意を剥き出しにした態度で龍麻に声をかけていた。その余りにも不躾な態度に、当の本人よりもアン子の方が先に怒りを爆発させた。

「ちょっとあんた達、突然何よ!緋勇さんに何の用?!」
「るせえ、ブンヤは引っ込んでろ」
「あんた達みたいな小者、いっくら脅されたって怖くないわよ。それよりその図体の使い道を考えたらどう?今だったら新聞部で荷物持ちぐらいになら雇ってあげてもいいわよッ。あら、怒ってんの?驚いた、あんた達にもプライドってものがあったのね。いっとくけど、アタシの新聞部は、アンタたちみたいな能無しに売られた喧嘩なら、いつでも買ってやるわよ。そうねえ何ならウチの新聞の見出しを飾ってあげてもいいわね〜」

 アン子の次々とマシンガンのように繰り出される毒舌に不良グループは押されっぱなしだった。
 その様子に同じ位唖然とする龍麻だったが、すぐに表情を引き締めた。

「けッ、おめえら使いもロクに果たせねえのかよ」
「さ、佐久間さん」
「すッ、すいません」

 卑屈な表情で自分達の大将に詫びを入れる不良達を無視して、佐久間は龍麻とアン子を睨みつける。

「どけよ遠野。オレはコイツに用があるんだ…」

 邪魔するのならば暴力も辞さない、とその目は訴えていた。かすかにアン子が身じろいだのを感じ、龍麻はアン子を庇いながら佐久間の方を向いた。

「だめよっ緋勇さん。こいつはこう見えても…」
「はなから大人しく言うことを聞いてくれりゃ手間は省けたんだ。幸いここにはあの剣道バカは居ないし…おいおめェら。コイツを案内しろ」

 そう言い残すと、不良達に龍麻の前後を固めさせ、さっさと教室を出て行った。廊下で幾人もの生徒とすれ違ったが、皆目線を合わせないよう、まるで波が引くように通路をあけてこの一団を遣り過ごした。

<まずいわ…。佐久間はレスリング部でナンバー2の実力の持ち主なのに。どうしよう…>

暫く呆然としていたアン子は、やがてある考えが閃くと龍麻達とは反対の方向に向かって猛然とダッシュしていった。



 連れてこられたのは不良の溜まり場の定番的な体育館裏の空き地だった。
 佐久間は周囲に人が居ないのを確認すると、龍麻が逃げられないよう半円を描いて手下たちを囲ませた。

「ツラは眼鏡で分かんないが、けっこういい躯してんなぁ」
「何なら躯で俺たちに奉仕してもらおうか」
「大声出しても、ここには誰も来ないしよぉ」

 口々に薄汚い言葉を吐きながら不良達は龍麻を値踏みするようなにやけた表情をしてみせた。

「…で、わざわざここへ私を案内してまで伝えたい用件って何かしら、佐久間君」

 たった一人で拉致されたのにも関わらず、龍麻がまったく怯えたような様子を見せないことに、佐久間を始め不良達は苛立った。
 最初のうちは自分と違う優等生の彼女が気に入らない(おまけに自分の憧れの美里葵までこの転校生に強い関心を持っている)嫉妬心から、ちょっと強請って金でも巻き上げるつもりだったのだが、今目の前にある落ち着き払った龍麻の表情を見ている内に、それを力ずくで恐怖と哀願に歪めさせたいと考えを改めることにした。

「その強気な態度がいつまで続くかよ。てめェにこの学園の流儀ってヤツを教えてやる」

 そう言い放つと目で手下達に合図を送った。手下達は隠し持っていた鉄パイプやメリケンサックを装備しだし、事態は只の恐喝よりも一層深刻化していったようだった。

<困ったな、余計怒らせてしまったみたい。対処を誤ったようね…。ここは最初に大人しく一発殴られておいた方がいいかしら>

 さすがに困惑して、今後の自分の対処策をあれこれ考えている龍麻の頭上から、場の空気に似つかわしくない明るい声が聞こえてきた。


「おいおい、転校生をからかうにしちゃ、ちょいと遣り過ぎじゃねェのか?足元がこう騒がしくっちゃおちおち部活サボって昼寝してなんかしてられねェな」
「蓬莱寺、てめえいつの間に」

 見上げると、そこには確かに京一が澄ました顔をして大木の枝に器用に寝転がっていた。

 京一はちょっと伸びをしてから軽々とした動きで龍麻の左隣に着地した。

「てめェ、転校生に味方すんのかよッ!!」
「少なくとも、たむろしているむさ苦しいヤローどもよりは、たった一人健気に立ち向おうとするオンナノコを助けるのが、男としては当然!!だろ」

 口調や表情はあくまで普段と同じ飄々とした感じだが、佐久間を見据える眼光だけは鋭かった。

<やっぱりここで張っていて正解だったな。にしても、佐久間のヤロー、相変わらず卑劣な手段しか使ってこねェぜ。女相手に多勢に無勢とは…。本当はもう少し緋勇の様子を見てたかったトコだけど、このままじゃ危険だし、しゃーねーな>

「蓬莱寺…、俺はなぁてめェも前から気に入らなかったんだよ。スかしたつら面しやがって」
「奇遇だな、佐久間」

 京一は不敵な笑顔で言葉の爆弾を投げつける

「実をいうと、俺も前からお前の不細工なツラが気に入らなかったんだよ」

 佐久間らの怒りは頂点に達したようで、みるみる顔を真っ赤にしていく。
 手加減不要と感じ取った京一は、龍麻に余裕たっぷりの表情で叫ぶ。

「オイッ、緋勇ッ。俺のそばから離れんじゃねーぞ。いくぜッ!!」

 だが、龍麻は京一が加勢してくれたからといって嬉々とした気持ちにはなれなかった。
 一刻も早く事態を収拾することが肝要と判断し、佐久間の手下達に『諸手上段』を喰らわして京一が前方を開けてくれたのを機に一気に佐久間の前まで間を詰める。

『緋勇ッ、何をする気だ』

 佐久間と京一がその俊敏な動きに目を奪われた刹那、龍麻は練った《氣》を拳に集中させた『掌打』を一発佐久間に叩き込み、続け様、佐久間がバランスを崩した状態になったところに容赦なく『龍星脚』を決める。
 その蹴りは天を駆け上る龍を連想させ、京一は今までに見たことの無い、あたかも舞を舞っているかのように洗練された攻撃術に見惚れてしまった。


 気が付くと息一つ乱さず無表情で立っている龍麻の足元に佐久間が仰向けに倒れている。その様子に手下の不良達も蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。 
 佐久間は無様な声をあげながら尚も龍麻に挑みかかろうとしていたが、それは別の援軍によって遮られることになった。

「そこまでだ、佐久間!」
「だ…醍醐」
「もう止めるんだ。そうすればリンチのことは目をつぶってやろう」

 醍醐と呼ばれた人物は、高校生離れした筋骨隆々とした身の丈2メートル近くはあろうかという立派な体躯を持っていた。決して声を張り上げているわけではないのだが、その言葉には佐久間をも黙らせる威厳が存在していた。
 更に醍醐の背後に息を切らせ駆けつけた葵の姿を見つけ、佐久間は自分の敗北をこれ以上無い恥辱と感じ脱力した。

「もう止めて、佐久間君」
「み、美里」
「そうそう、大人しく従った方がいいぜ佐久間クン」

 まだ佐久間を挑発する京一に醍醐は「よさないか」と一喝を与え、佐久間にはこの場から立ち去るように促した。


 汚辱にまみれた佐久間の後姿を見送ってから、醍醐は先刻から黙り込んでいる龍麻に真摯な態度で詫びを入れた。

「転校早々、うちの部のものが迷惑をかけてすまなかった。だが君も余り無茶はしないことだ、ああ見えても佐久間の実力はなかなかの者だからな。まあ京一も居たことだし怪我も無くてよかったが」
「そういえば、醍醐。今日は一日姿が見えなかったけれど何処か出掛けてたのか」
「ああ、今日は一日トレーニングジムに篭っていたんだ」
「けッ、この格闘オタクが。それでよくここが分かったな?」
「それは美里に感謝するんだな。実際あの慌てぶりは見ものだったぞ。『緋勇さんが危ない』て真っ青になって俺のところに駆け込んできたんだからな」
「えっ、ええアン子ちゃんから話を聞いて私…。でも本当に怪我が無くてよかったわ。あっ、緋勇さんにちゃんと紹介していなかったわね。この人は醍醐雄矢君て言って私たちと同じ3−C組のクラスメイトでレスリング部の部長も務めている人なの。こちらが今日転校してきた緋勇龍麻さん」
「よろしく緋勇」

 握手を求めてきた醍醐に、龍麻も友好の意を表してぎゅっと握り返す。
 先程強烈な技を見せたとは思えない龍麻の華奢な指に醍醐は信じられないといった様子を隠せなかった。

「…しかし、先程の技。あれは古武術に似た技があったと思うんだが、いったい何処で習ったのか?」

 さすがに格闘オタクと京一に称されただけのことはある、自分の動きを一度見ただけで見破ってしまうとはと、龍麻は内心動揺したがそれは押し隠し、昔ちょっとだけ護身術で習ったことがあると嘘をついた。

「それにしてもすごい技だったな」
「やりあってみたくなったか」

 京一が茶化したので、醍醐はそんなことはないと否定しつつ、否定し切れない曖昧な表情を浮かべていた。

「いずれにしても、ようこそ我が真神学園へ。いやもう一つの名前を教えておいた方がいいだろう。誰が言い出したか分からないが、この学校にはもう一つの名前がある」

 その名は───魔人学園。

 いつとはなしに口に上るようになったこの異名こそ、今日転校してきた謎の女子生徒に冠すべく為に生まれたのではないかと、三人はその時本能的に感じ取っていた。

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