灯 火杏 花奈作 |
龍泉寺の裏庭の一角では、今日も涼浬は鍛錬に余念が無かった。 涼浬の手から放たれたソレはひゅっと風を切るや、目も眩むような速さでカシっと乾いた音を立て松の幹に深々と突き刺さる。もうかれこれ半刻以上はこの動作を繰り返しているだろうに、彼女の所作はひたすら淡々と───正確無比・精巧なからくり人形のような───そんな印象すら抱かせる。 恐らく通りがかった仲間たちが声をかけたとしても、返事を返すどころか振り向きもせずにやり過ごすに違いなく。事実、彼女が動きを止めるのは、幹に刺さった飛刀を抜き取る時と、時折額髪を伝って流れる汗を無意識に拭う時位で。 やがて皆人を家路へと促す入相の鐘が響いてきた。 それでも彼女は動きを止めるどころか、この黄昏でさえむしろ好都合とばかり一層身を入れる。 「よッ、今日も熱心だな」 慌しさを増した空気に反発するごとく至極のんびりした足取りで自分に接近する人影に、気配に敏い涼浬が気付かぬはずもないが、いつものように無関心さを装う。 無言のまま手にした飛刀がまた一閃。 「おお、すげーな、あんな遠くまで」 パチパチと賞賛の拍手などされても、ただただ迷惑なだけで。 「おッ、今日はまた真っ赤な夕日が高尾のお山のほうに沈んでくぜ。そーいや、俺が初めてこの街に来た日も、そりゃもう夕日が見事でさ」 「…………あの…龍斗殿。大した用が無いのでしたら、これ以上の邪魔は…」 背を向けたまま言ったのは、自分なりに精一杯の抗議の気持ちを込めてだったのだが、 「………涼浬」 龍斗が不意に真剣な口調で自分の名を呼べば、流石に振り返らずにはいられなかった。 その結果─── 「よっしゃぁ、こっち見たぜ」 作戦成功とはしゃぐ龍斗を前に、この人はいつもこんな調子なのに迂闊だったと、今度は自分に溜息をつく。 けれども、それでいて何故か不愉快さを覚えないのは、屈託の無いその笑顔のせいなのだろうか? ────不思議な人………… 「ところで、涼浬ってさ────夕日、好きか?」 「は……?夕日……ですか」 「そう、夕日」 降って湧いた突拍子もない問い掛けに、涼浬は完全に面食らう。 「…そのようなこと急に申されても……今まで考えたことも有りませんから…」 「そっか…判った」 あっさり納得してくれて、ホッとしたのも束の間。 「それじゃ、これから見に行こうぜッ」 グイと手首を掴まれると、そのまま文字通り引きずられるように庭を横切る。何だかんだ言って龍閃組最強の男に抗う術も無く、連れて行かれた先は、 「ここ、特等席なんだ」 本堂の屋根の上…。 「あの…御仏の真上に腰掛けるなんて、時諏佐殿や他の方々から叱られませんか?」 「大丈夫、大丈夫。百合ちゃんはこの時間は大抵自分の部屋の中に篭りっきりだし、他の連中なら一応坊主を名乗ってる雄慶にさえバレなきゃ問題無いって」 「そういう問題ではないと思いますが」 「そりゃ、俺だって最初は普通に木の上から眺めようと思ったんだけど、この寺で一番高い木は京梧が先に見つけちまってて。かといってこのまま素直に引き下がって、アイツに見下ろされる場所から眺めるってのは、俺の沽券に関わる問題で…」 「…………そうなんですか……」 「それに…こっからの方が良く見えるからな。夕日だけじゃなくって、家々から夕餉の煙が立ち始める様子や、その匂いに手招きされるように家路に向かう人々や……もちろん、涼浬が毎日毎日頑張ってる姿も」 「…え?」 硬く結ばれた涼浬の表情から、みるみるその鋭さが失われていった。 「────夕日ってさ、……綺麗だよな。お日様ってヤツは昼間は眩しくってまともに目を開けて見ることが出来ないくせに、別れ際になったら何で急にこんな優しくって綺麗な光を放つんだろうって……ガキの頃不思議に思ってさ」 「………………」 「……で、ガキなりに俺が考えた結論が『この先やってくる夜を恐れるな、もし闇が怖ければその時はこの姿を思い出せばいい』って、その日一番綺麗な光を投げかけることで、地上に居る俺たち一人一人を精一杯励ましてるんじゃないかってさ。そう思えば…夕焼けはまるで空に赤々と灯された灯火みたいに見えないか」 黄金色の光を頬に受けて微笑む龍斗の横顔に誘われるよう、涼浬も穏やかな笑みを口元に浮かべ…。 「……はい。…それに夕日ってまるで…────…みたいですね」 「え、よく聞こえないけど。……できればもうちょっと大きな声で」 「………え……そ、それは……」 「おいッ、お前ら。一体どこに昇ってるんだッ」 突然地から湧き上がる怒声に、 「わ、やべッ。雄慶に見つかったッ。アイツ図体だけじゃなくて声もデカイから、この様子じゃ百合ちゃんにもバレてるだろうなぁ」 「罰として今日の夕餉は抜きかもしれませんね」 冷静に状況を判断する涼浬とは対照的に、朝に蕎麦食って以来何も食ってないから空腹で死にそうなのに…と龍斗は盛大に愚痴をこぼす。 「…よろしければ後で私が調達して参りましょうか……」 「そ、そっか〜、何といっても涼浬は忍びだもんなッ」 願ってもない申し出に不機嫌な表情はどこへやら、たちまち調子良く笑う龍斗に、涼浬は努めて厳しい口調で言い渡す。 「このような目的の為、日頃から鍛錬を積んでいる訳ではありませんよ。今日は……特別です」 「うむ、ならば隠密行動は任せたッ。……いいか、これは重要かつ危険な任務だ。敵による妨害も予想されるが、くれぐれも気をつけるんだぞ……」 負けずに龍斗も謹厳な顔で頷くが、程も無く両者は同時に吹き出してしまった。 翌日もひたむきに鍛錬に励む涼浬の姿は変わらず…。けれども入相の鐘の音に弾かれたかのように空を見上げると、表情を匂やかに和らげる。 まなざしの先には昨日にもまして鮮やかな茜色に燃える夕空が。 そして──── |