相 棒杏 花奈作 |
「今年の桜も、もう見納めだな…」 半ば以上葉桜となった梢の向こう側には高層ビル群が透かして見える。自然と人工物の共存といえば聞こえはいいが、俺にとっては幾年経ても馴染めない光景だった。 もっとも今日ここに来たのは花を愛でる為なんかじゃない。仇敵である柳生の不死の秘密を探るべく中国奥地に位置するという崑崙目指して旅立つ前に、この地に住む古馴染みに会いに来たのが主目的であって、だから俺のこのような感慨など桜にとっては余計なお世話といった所か。 それでも足はいつしか公園の片隅にひっそりと鎮座する古社の近くへと向いていた。何故なら、ここにある桜の樹は俺にとってこの地に住むもう一方の古馴染みで、ならばこそしばしの別れを告げる相手としては打ってつけだと、その時の俺は少々柄にも無い考えを浮かべていたって訳だ。 ところが…常ならば場所柄人知れず咲き誇る桜の樹に思いがけず先客が居た。 さながら桜の精を想わせる──── 「……ひみこ?」 その少女はたっぷりと一呼吸おいてからこちらを振り向くと、長い睫に縁取られた大きな瞳をぱちくりとさせた。 「おぬしは………まさか……」 まじまじと互いを見やるその時の俺たちの仕草は鏡に映したかの如くそっくりで、はたから見れば間抜けそのものの姿だったと思う。だが言ってみればそれだけ衝撃度が大きかったという事だ。なぜならば、 「久しいのぅ………あれからかれこれ百有余年は経過した訳じゃからな」 「そうだな…」 俺たちが最後に別れたのは今から130年近くも昔の話で。そんな常識では考えも及ばぬ時を超えた再会に顔をほころばしているひみこの言葉に、俺はやや口元を歪ませて、こう付け足した。 「いや…俺の場合はそうとも言い切れねェ事情が有るんだがな」 「…どういう意味じゃ、それは?」 今度は瞬きもせず自分をじっと仰ぎ見る。 真剣そのものの表情。そんな時だけ黒目がちな筈の瞳が薄っすらすみれ色を帯び…。 摩訶不思議な、けれども見る者を魅了せずにはいられない色合いは変わらねェなと腹の底で呟いてから、これまでのあらましを彼女に語り聞かせた。 「なるほどの〜」 一通り語り終えた俺を、今はベンチに並んで腰掛けてるひみこが見詰め返した。 「それにしても………おぬしもつくづく不運な男じゃのぅ」 「────悪かったな」 俺のこれまでを不運という一言で片付ける彼女の口調は相も変わらず、 「けれども……息災そうで何よりじゃ。またこうして相見(あいまみ)える日が来るとは思わなかったから…正直、嬉しい気分じゃな」 てらいもなく笑う表情も別れたその日と全く変わりが無かった。 違うといえば、身に纏っているのが着物ではなく学校の制服だという点。何でも昨日学友たちと連れ立って夜桜見物に来たのだが、そこでちょっとした事件に巻き込まれ、結局花見は途中でお開きに。で、今日は学校を終えた後その続きをしに、こうしてまた公園に足を運んだらしい。 「これは真神の制服なのだが…、どうじゃ、わらわに良く似合ってるであろう。ああ、そうそう…」 ひみこは鞄の内部をごそごそと探ると、和菓子の包みを取り出す。 「花見といえば……やっぱり団子じゃの。ほれ、おぬしも食べるか」 「まあ、こういう時は酒を嗜む方がむしろ風流ってもんだけどな」 手渡された串団子を受け取りつつも、何となく素直に礼を返せず憎まれ口をたたいてしまったのは、半分照れ隠しからか。 「じじむさいことを…。とはいえ、実際今のおぬしはわらわよりもずっと年上じゃし、そういう年よりくさい考えが浮ぶのは、時の流れからして致し方あるまいの」 「言ってくれるぜ」 けれども彼女の言うように公園で二人並んで座っている様子は、確かにかつてのそれとは異なる印象を周囲に与えるのは間違いなく。だからそれ以上は反論せず手にした団子を無言で頬張っていた俺に、一足先に食べ終えたひみこが語りかけてきた。 「何せ19年前にこっちの時代に飛ばされたということじゃからな」 「そうだな。その分お前より歳を取っちまったということだ」 「ということは…その年月の間に色々と経験をし、その分成長してきたということじゃな…。それに引き換えわらわは何一つ……」 言葉を不意に引っ込めたひみこの横顔は見たことの無い寂しげな様子で。今までそんなことにも気付かなかった俺の迂闊さに内心舌打ちした。 恐らく彼女のことだから語れと命じても頑として語らないだろうが、俺がこの時代に居ることと、ひみこがこの時代に目覚めたということ────状況こそ似ているが、内包される事情は非なるものだということは、その横顔からも容易に推測できる。 「ところで……」 重苦しくなりかけた空気を振り払うよう、ひみこが再び口を開く。 「おぬしはひょんなことからこの時代で神夷京士浪を名乗ったということだったが」 「ああ…そうだが」 今更それがどうしたと思わず突き放した言い方で返してしまうが、意外にもひみこは全く意に介する素振りを見せなかった。 「良いか、あまねく名というのは名付けられたモノに意味を与える為に存在するのじゃ。成り行きとはいえ、その時その場面でおぬしがその名を口にした…そのこと自体に大きな意味があったのだと。つまりじゃ…」 一旦言葉を区切り、すみれ色を濃く溶かし込んだ瞳で俺を見つめる。 「…おぬしが極めんと欲した剣術…。それを後の世まで引き継ぐ者を育てるのが、その名を負ったと同時におぬしが背負った使命なのではなかろうか。かつてその名を負った男がおぬしに自身の剣術を託したのと同じようにな」 「俺の剣術を…」 「そうじゃ、一代で埋もれさせるのはあまりに惜しいと、そしてそなたの技と心根を引き継ぐに相応しい者がこの時代には居ると時がそう想い、だからこそ、そなたはこうして今ここに存在しているのだと……わらわは心からそう思うぞえ…」 ひみこは柔らかな笑みを頬に浮かべ、また黙り込んだ。 「…そうかも知れねェな」 その時、俺の脳裏に浮んだのは数年前に喧嘩別れした弟子の顔だった。 まだ幼さの残る負けん気が強い表情には、間違ったことは許さないという真っ直ぐな光が宿っていた。そしてそれは未熟ながら太刀筋にもよく現われていた。 (あれでサボリ癖さえなけりゃ…) 「京一に逢った瞬間、わらわにはすぐに分かったぞ。おぬしがこの時代に居ることが…」 「そうか。で、あいつは達者にやってるのか」 「そうじゃな、まだまだ力不足という感が否めない所だが……むッ!?」 立ち込める陰の《氣》に顔をしかめつつ目を凝らすと、樹々の根元から屍の群れがのそりと這い上がり、ぽっかりと空ろな眼窩をこちらに向けながら近寄っていた。 「こいつらは──亡鬼!」 「…昨夜の悪夢から未だ覚めやらぬ寝坊助な輩が残っていたということじゃな」 「成る程。どこの世界にもそういう困った奴がいるという訳か」 共に溜息をつきながら立ち上がると、互いに背中合わせになる形で構えを取った。 その時──── 「あ、そうじゃ」 一つ頼みが有ると、ひみこが背中越しに言い寄越してきた。 「何だ?」 「さっきと話が違うと笑い飛ばされても致し方ないが、それでも…この闘いの間だけは…神夷京士浪としての名を、使命を忘れ、元の蓬莱寺京梧に戻って闘ってくれぬか?」 「……どういう意味だ、ひみこ」 「ええとそれはその……つまり……」 途端に歯切れが悪くなったので、何事かと振り返る。 驚くことにひみこは頬から耳まで真っ赤にしていたが、不審そうな俺の視線に気付くと、 「わらわが背中を預ける相棒は、蓬莱寺と名の付く男のみと決めているからじゃ。あの時、そう約束したからの」 目を反らすことなくきっぱりと言い切り、そして微笑んだ。 「そうだったな」 俺もひみこに笑いかけると、剣先を敵へと向け高らかに鬨(とき)を告げてやった。 「それじゃ行くぜ、ひーちゃん」 懐かしい呼称を耳に、瞬時、表情をぱっと明るく輝かせたが、 「むぅ、けれど京梧の分際でわらわに指図するなぞ、百年…いや二百年早いわッ」 主導権を先に握られたと感じたのか、たちまち不機嫌へと転じたひみこは、腹いせとばかりに掌底・発剄を亡者たちにぶっ放し始めた。俺も負けじと素早く《氣》を練り上げると、敵の一群に剣掌・旋を放つ。 「ほほう、中々やるではないか」 「お前こそ腕は鈍ってねェみたいだな」 にやりと肩越しに笑みを交わすと、ひみこと俺は呼吸を整え《氣》を同調させる。 「参るぞ、京梧」 「ああ、これで最後だッ」 後は互いを信じ、がむしゃらに前へと向かって走り出せば良かった。 まるっきりあの頃と同じように。 その瞬間、俺たちは時すらも駆け抜けていたのだろう────。 |