彼岸花陸 風音作 |
ふと、閉じていた目を開けて視線を周囲へとやる。 其処には赤く…紅い何かが、ぼんやりと濁った視界の中で浮かび上がる。 俺はそれに吸い寄せられるように、そろり…そろりとやけに重たく感じる足を引き摺るようにして近づけば。 其処には花があった。 それは若草色の茎の上には紅く細い花弁が集まった花…彼岸花。 ………死人花。 足元で群生するその花は、死人の近くに咲くという。 不吉な名を纏った、花だ。 だが不吉なものは、当然のごとく敬遠される。だが、それは刻として人を惹きつける<力>を持っているもので…、魅了される人間がいるのもまた事実だ。 俺も…魅了された人間の一人だった。 何故、こんなにも俺はこの花に惹かれるのであろうか。 もしかしたら、同じような色の髪を持つが由縁なのかもしれぬ。 俺は毒々しいまでの紅い花弁に触れようと、右手を伸ばそうとして其処で初めて俺は手が何かを握っていることに気付いた。 手のひらにしっくりと馴染む棒状の物…それを握り締めているが故に花に触ることが叶わぬ。 ならば…と、その棒状のものを手のひらから落とすと、固い音を立ててそれは地面へと倒れた。 自由となった手で、漸く花弁に触れると…瑞々しい感触がする。 だが、それとは正反対に手のひらの表面は軽くツッパリを見せていて…何事かと、花弁から手を離すと覗き込んだ。 俺は正しく、言葉を失った。 手のひらには赤色というよりは黒色に近いのものがべったりとついていて、それが空気に晒され凝固した血液であることは一目瞭然であった。 今更ながらに粘ついた感触が皮膚を侵食していく。 どうしてこのような物がついているのだろう…?それを考えたとき思い至ったのは先程手放した棒状のもの。あれは、一体なんだったのだろうか。 出来れば見ないでおきたい…そう弱気になる心を叱咤し、俺は足元に転がるそれを見る。 …ああ、やっぱり。 やはり、そうであったか。 足元には刀が一刀転がっていて、その刀身には己の手と同様に血糊がついている。 足元に転がっている刀、それは即ち死人花の根元に転がっていると同義であり。 …まるで、この毒々しいまでに紅い花はこの血液を養分に育ったのではないか…と、そのような想像をして…。 それならば…また、こうも言えるのだろう。 この俺の、この紅蓮の髪は、手のひらにこびりつく血糊を吸い上げて色づいたのではないか………と。 そう思い至った俺は…気が付けば、己の鼓膜をも劈く叫び声を上げていた。 ◆ 突然、深い眠りに陥っていた私の意識を浮上させる声が、正確にいうのなら叫び声が、すぐ隣から上がり…私は重たい瞼を抉じ開けた。 「ど…したの?天戒?」 そう呼びかければ、彼の吐く荒い呼吸の音だけが忙しなく聞こえ。 布団から起き上がり、座っている彼に倣って私も身を起こした。 彼の顔を覗き込むと、息を呑んだ。 なんて、顔をしているの?顔は色を失い、目はカッと見開き、一点凝視するその姿は異常そのもので…私は天戒に纏わりついている危うい雰囲気を何とか和らげたくて…そっと彼の右の二の腕にそっと触れる。 途端、大げさなほどにビクンと震える肩は、私を拒絶するような色を感じて…それに小さく傷ついた自分が、ここにいた。 「ね?…天戒?どうしたのよ…。」 チクリと痛んだ心は無視して私は彼の顔を辛抱強く覗き込む。 こんな風な取り乱し方をした天戒を、私は知らない。夜中にあんな悲鳴をあげるなんて、私とこうして同じ部屋で寝起きすることが多くなってからもなかったことだった。 此処は鬼が哭く村…なんらかの嘆きや闇を抱える人たちが住む村。 ならば、天戒も抱えるものがあるのだろう。 彼の裡にはどれだけの闇が渦巻いているのかしら…? そうしてどのくらい経ったころなのか、分からないけれど…少し落ち着きを取り戻したのか、天戒の顔に血の気が戻ってきた。 そして、ポツリポツリと言葉を零す。 「…………」 「そう…そんな夢を……」 「…彼岸花には、毒があるそうだ。墓場の近くに生えるというだけでも不吉であるのに、毒までもある…。正しく死人花。ならば、多くの人の血を流してきた俺にも同様、毒があるのだろう。そしてその毒は…きっとお前までも侵していくような気がしてならない」 そういうと、天戒は自分の右腕に触れる私の手に大きな手を重ねると、そっと離させる。掴まれた手は私の膝上で開放された。 だけど、私は彼の意図を無視して今度は、彼の右手をしっかりと握る。 身振りで、気配で彼が「離せ」と言っていることは分かった。 だけど、そうする気にはどうしてもなれず…私は口を開く。 「ねぇ、聞いて。…そうやって物事の悪いところだけを見るのは天戒の悪い癖。私の話…聞いてくれるでしょう?」 少しまだ悩んでいるようだったが、私は其れを意に介せず更に言葉を綴る。 「前にね…嵐王に聞いたことがあるの。確かに彼岸花の根には毒があるらしいわね。だけど、毒抜きさえすれば薬になるらしいわ。…だから有毒という恐ろしい面を持つその反対側では、人を助けるものになるのよ。だから…」 喩え貴方が毒を持っているのだとしても、私は貴方のその反面も知っているから。 「私はだから、天戒の手がどんなに血塗れていたとしても傍を離れるつもりはないわ。…絶対に」 「だが…ッ!!」 尚も言い募ろうとする天戒に私は少し体を伸ばすと、固く結んでいる唇に口づけを落とした。 「ッ!」 「少し、黙って。…ねぇ、この手が血で汚れているの?そう思っているの?」 「…………」 「そう…なら私が綺麗にしてあげるわ」 私は握っていた天戒の手のひらを何度も何度も撫で、そしてそこにも唇をつける。仄かに暖かい感触が薄い皮膚越しに感じて。 「ほら、綺麗になった」 そう言って手のひらを彼へと見せてあげれば、そこで漸く緊張させていた顔の筋肉を弛緩させ、顔にほんの少しだけ笑みを浮かべさせた。 「………悠燈…。」 だから私は、彼に告げる。 「だから、だから、この手で私を抱き締めて」 |