通り雨陸 風音作 |
四半刻前までとは打って変わり、急速に雲行きが怪しくなった空を見上げたのは、那智瀧より村へと戻る道すがらのことであった。 「拙いな」 そう呟く間にも雲は黒く色を染めては重さをつけていく。 其れを見て俺は一刻も早く村へ帰るべく、足を速めた。 しかし、それでも。 那智瀧から村への距離を考えても、雨が降り出す前に帰還する事が難しいのは明らかで。 実際、中間地点に差し掛かった辺りでついに地面に滴が染みを作った。 一つ零れた滴は辛うじて保っていた雲の均衡を崩し、次の滴を誘発する。其れが続いて雨へと転じ、無遠慮に俺の体をも打ち付けた。 俺は、勢いを増していく雨に、このまま村へと急ぐよりは雨が凌げそうな場所を探し、身を隠した方が良いと判断した。 前後左右に視線を巡らし、少し前方にある大木を暫しの居場所とし、身を預けた。 こうやって木に寄りかかって見る雨の景色は常の景色とは違った色を見せ…それが酷く新鮮に感じると共に、懐かしい感情を引き起こす。 そう云えば…昔もこういうことがあった。随分と昔のことで今の今まで忘れていたが…。 目を瞑ると、瞼の裏に浮かび上がってくるものに思いを馳せた。 それは、昔…そう俺が元服を済ますよりもっと前のことであった。 尚雲と共に修行のために入った山中で、こうやって雨に降られあの時も同じように雨宿りをした。 しかし、直ぐに止むだろうと高を括っていた俺達は中々止みそうにない雨模様に痺れを切らし、土砂降りの中飛び出して屋敷へと戻ったのだった。 当然、ずぶ濡れになって帰宅した俺達は、仔細を告げずに修行に行っていたこともあり、先代嵐王にこっぴどく叱られたものだった。 その時の様をありありと思い出し、俺は口の端に笑いを浮かべる。 飄々としているあの従兄弟も覚えてはいるのだろうか? とその時、俺に声を掛けるものが居た。 「どうして笑ってるんです?天戒さん??」 驚き、目を開けた俺の目の前には番傘を俺へと差し出し、首を傾げる女だった。 この春にこの村へとやってきた、緋勇律だった。 「律…どうしたのだ?」 「いやぁ〜雨がこんなに降ってるのに天戒さんの姿が見えないから。この刻限から考えて見回りの途中で立ち往生しているんじゃないかってね」 そう思って迎えにきたんですよ、と話す律の手から傘を受け取ると、律はもう一つ持っていた傘を開ける。 「そうか…悪いことをしたな。どうせ通り雨だろうと、ここで雨宿りしていたんだが…心配かけたな」 「悪いことだなんて!愛する人の心配をするのは当然の事。悪い事だなんてありえませんよ!やだぁ、天戒さんったら!私の愛を疑わないでくださいまし」 パチンと小気味のいい音を立てて、律の左手が俺の肩口を叩いた。 それにふっと笑みを零すと、俺は律と肩を並べて歩き出した。 「で、さっき。どうして笑ってたんです?」 そう尋ねる律の顔は好奇心に満ちたもので、この娘はこの村へやってきたときから俺のことを事細かに尋ねてきた。かといって、不快になるところまでは深追いしないその性格を好ましく思い、今まで人には話すことのなかった事柄を彼女にはぽつりぽつりと零すようになったのだった。 「いや、昔のことを思い出していただけだ。前も先程のように雨宿りをしたことがあったなと思い出してな。その時は尚雲も一緒だったのだが」 「そうなんですか〜うーん、尚雲さんと!羨ましいなぁ〜尚雲さんッ!そうだッ!今度は私と一緒に雨宿りしましょうね?」 「ははッ!そんな風に思うとはお前はやはり変わった娘だな」 そう笑えば、律は大真面目な顔で「約束ですよ?」と迫る。 其れに「わかった」と応えを返せば、満面の笑みが待っていた。 そういった具合に他愛のない話をしながら、歩くことどれくらいだろうか。 もうそろそろ村が見えてくると行った地点で、強かった雨脚も衰えを見せてきて、あと数分もあれば止み上がると言った風になった。 俺は傘から手を出すと、その雨の具合を確かめる。 そうする俺の横で律が突然、悲鳴に近い声を上げた。 「あーーーッ!!!!しまったぁーーーッ!!!」 「ん?どうした、律?」 あまりにもな声に驚き、慌ててそう尋ね返すと、律はこの世の終わりといった表情を呈し、がっくりと肩を落としている。 「わ、私の馬鹿ぁ…。持ってくる傘、一本にすればよかった…。そうすれば一緒の傘に入って密着できたのにッ!!!相合傘出来たのにィ!」 本気でそう思っているのだろう律に、笑いが込み上げるのを止められそうになく、俺は声を出して笑った。 「天戒さん…私、冗談言ってるんじゃないんですよ?本当に…自分を呪いますよ」 「ははッ、今からでも遅くないのではないか?そんなに俺と同じ傘に入りたいのであれば、こちらに入ればよいだろう。まだ雨も完全に止んだわけではないのだしな」 「えッ!?いいんですか?いいんですか?いいんですね?もう嘘だって言っても入っちゃいますからね!?」 「そのようなことで嘘を吐いても仕方なかろう?」 そう言えば漸く安心したのか、一変して極楽へでも行ったのかと思わしき笑みを浮かべ、いそいそと俺の傘へと身を寄せた。 この娘と共にいると、なんと驚く事の多いことか。 それは決して嫌な感情ではなく、逆に心地よくも感じるものだった。 そんなことを考え、俺は隣りの律の肩に手を回した。 …いつも驚かされている律に対しての趣向返しとして…。 一体、どんな反応をするのだろう。 それが、楽しみだ。 |