白装束

陸 風音作


夜も十二分に更けていた――…。
屋敷の外ではしとしとと鬱陶しい雨が降り続き、屋敷内にはしめやかな空気で溢れかえっていた。明かりを点けた広間ではこの一年で出来た仲間が思い思いに酒を飲み交わしている。

俺も酒を注がれた杯に口をつけ、ぐいと飲み干すと熱い液体が喉元を通っていく様を感じた。喉が焼けるようなきつい酒…だが、今日はどれだけ杯を重ねようとも酔えるとは思えなかった。いっそのこと酔えてしまえば…そう思うが酔いは一向に回ってこず、俺はそっと部屋の外へと出た。雨戸を閉め切った屋敷内は暗く、だが勝手知ったる己の屋敷…俺は迷いもせずに一つの部屋へと忍び込んだ。


部屋の中には、一人の少女と呼ぶには成熟した娘が、居た。
白い装束に身を包んだ娘…それは俺が密かに心の中で慕っていた、娘だった。

布団の上に横たわるその娘の横で腰を下ろすと、そっと前髪に触れる。
ただ、それは氷のような冷たさしか感じさせてくれず…俺は娘の名前を呼ぼうと口を開きかける。

「―――」

しかし、開いた口は音を出そうとするのだが結局名を呼ぶことは出来ずにいた。

―――いつだって名を呼べば、応えがあった。
だが今は…応えなど期待できようはずもない。

視線の先にいる娘は、そんな俺の心など構いもせずに眠りについている。
身を包むその装束は一体、誰の為の花嫁姿なのか?
その小さな口で俺を好きだと言ったのに、俺以外のモノの為にその身を白装束で飾る。
それは、決して許すことの出来ぬ裏切りだと……俺はいつの間にか握り締めていた手を更にきつく握り締めた。
俺ならば、もっと綺麗な白装束を…、白無垢を着せてやれるのに…ッ!だが、俺がいくら用意しても彼女がそれに袖を通すことは決してない。


―――突然。
制御しがたい思いが全身を駆け巡る。
理性が追いつかない程のその奔流に身を任せたいと、衝動が走った。

……他のモノのものになるというのならば、それのものになる前に俺の印を刻んでやろうか。

考え付いてみればそれはとても魅力的に感じられ…俺は握り締めていた手を解し、彼女へと手を伸ばす。
しゅるりという衣擦れの音が大きく室内に響き、俺は彼女の胸元を肌蹴させた。
そして、首筋から手を這わせ…胸の膨らみへと撫で下ろす。
こうして性的なものを示唆させても、彼女の頬が紅潮し濡れた声を聞くこともない。俺も躰の熱を上げることはない。
ただ、やけに柔らかな感触が皮膚を侵食していった。

俺は触れている乳房と食もうと口を近づける。
近づけるが…その寸前で我に返った。

無意味だ…そのようなことをしても無意味でしかない。
血が通わない躰にいくら印を刻もうとも華が散るわけでなく、痕など残せないのだ。
彼女がいるのは死の世界。
俺がいるのは生の世界。
住むべき世界が変わってしまった。追いかけられない世界へと逝ってしまった。

不意に目頭が熱くなった。
視界が滲んだ。
ぽたりと落ちた水滴が涙だと気付いたのは何度も水滴が落ちてからだった。

ああ…漸く俺は、彼女の死を受け入れることができたのだろう。
彼女の体が冷たくなろうとも、その現象の意味を受け入れられなかったのだ。


俺は、己の涙を拭い、彼女の体へと落ちた涙を拭い、着物を正してやる。
そして立ち上がって、部屋を出た。


相変わらず外では雨の気配がしたし、この屋敷を包む空気はしめやかだった。
哀しくない筈はない…だが、一種のすっきりしたものが胸中にある。
俺は皆がいる広間へと足を向け、共に彼女の死を悼み、酒を飲もうと足を進めた。







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