墓 標ユズリ葉作 |
墓前の跪いた人影に気付くと足元を見つめていた視界を上げその背に声を掛ける。 「…嵐王?」 呼ばれた男はその声に顔を上げ、こちらを振り返り…俺を認めると一つ頭を下げた。 「若。」 従順なそうした様子を目の当たりにしながらも彼の元へと歩み寄り、ここに居る理由を訊ねる。 「お前も父上の墓参りに?」 そう問えば男…嵐王は、一つ頷き…。 「…全てが終わった事を報告しようと思いましてな。」 と格式ばって答えた。 俺はその返事を聞きながらそう答えた彼の横に立つと…膝を落す。 「そうか。」 頷きながら、供えようと手にしていた線香に火を点けようとして…墓石へと添えられた色とりどりの花に気付いて手を止めた。 俺にその場所を譲り、今は一歩下がった所で頭を垂れている嵐王に目を向け…。 「これも…?」 『お前が供えてくれたのか?』と問えば、彼は首を一つ振る。 「儂ではなく…和季(かずき)殿です。」 「和が…?」 問い直せば、今度はゆっくりと頷き…思い出すように答えた。 「儂が来たらちょうど此処におりましてな…添えておりました。儂に気付くと、一つ笑って……鬼修様と…儂の父に、と申しておりましたわ。」 「そうか…。」 正月を迎えたばかりだが富士での戦いの影響か…江戸の町には桜が咲いている。 鬼哭村のあるこの山の至るところでも、一斉に春を待っていた野の花が芽吹き…暦を疑うばかりだ。 その花を山に入って摘んできたのか…墓石へと添えられた花はどれも小さく稚い。…が、その一方で野に咲く花らしい力強さを感じるものだった。 そうした花を此処に添えた彼女…和季を思う。 昨年の春にこの村に…この江戸に来たばかりの彼女は、付き合った月日の浅さに反して自分を始めとする多くの者達にとって掛替えのない人だった。 そうちょうど…この花達のように…慎ましく、力強い…ひと。 誰もが持つ心の隙間にとすっと入り…静かにそこで咲いて、見るものを和ませるような…そんな女性。 以前から俺や嵐王、そして尚雲が此処に立つことを知っていた彼女がそうして此処へ挨拶するように花を添えることは至極、自然な気がした。 山裾をあらって拭く風に髪を靡かせ…俺はまた墓石へと向きを返ると止めていた手を動かす。 今度こそ持ってきた線香に火を点けようとするが…俺のそうした行動に気付き、黙ったまま何も言わずに立ち去ろうとする嵐王に気付くと、また手を止めた。 振り返り、立ち上がった彼を振り返る。 「行かなくて良い。お前も共に参ってくれ…嵐王よ。」 そう言えば…面を付けままの男は、その言葉に躊躇うよう立ち尽くす。 「しかし…。」 と僅かな言葉を洩らした彼に俺は首を振って…。 「臣下だとかそういう事ではなく…俺はお前と共に亡き父を参りたいのだ。そしてそれに…意味がある。」 答えれば、嵐王はそれでも黙っていたが…最後には、溜息混じりという風にまたその場へと膝を下ろした。 「…分かりました。儂も同席させて頂きましょう。…ですが、若より一歩下がった此処での参列でお許し願いたい。」 “臣下だとか”…そう口にした俺にそれでも尚、決して俺の隣に立つことを由としない嵐王のそうした頑なな律儀さに俺は少し笑い…。 「分かった、構わん。」 と、一つ頷いた。 「ありがとうございます。」 すっと下がる頭を俺は暫し見つめ、視線をまた手元へと戻すと…懐から火打石を取り出す。 花や背に流した俺の髪がなびくだけの静かな空間に乾いた火打石の音が鳴り響き…後には線香の香だけが辺りには広まった。 火の点いた線香を墓石へと添え、手を合わせる。 目を閉じ…此処に眠る幾つかの魂のために、と心の中で祈りを上げた。 そうして暫く自分の世界に閉じこみ…次に目を開けると、一言洩らす。 「終わったな…。」 独り言のようなそれに、背から静かに相槌が打たれる。 「…はい、何もかも。」 俺はそう答えた男を顔だけで振り返る。 「……。」 「……。」 先程のように彼はそこに居る。俺の背から一歩下がった其処で…変らず俺に顔を上げずに控えている。 俺はその距離を見つめ…かつて毎日のように見ていた彼の素顔を思い出す。 幼少の折には俺の隣に立ち、共に過ごした。それが当たり前だと思っていた。 だが、彼がその任に付いてから…俺が鬼道衆の頭目になった時から、俺達の距離はそれへと変る。 俺から一歩下がり…俺の背を見つめるようなその関係。手を伸ばせば触れそうで…決して触れ合わぬ距離だった。 寂しくあった。…淋しく思った。 つい先日まで共に過ごしていたものが俺へと距離を置くこと。嵐王はその始めで…従弟である尚雲までがそうして俺を“頭領”という立場に追いやった。 親しみを篭め、大切にされていると実感する度に感じる距離と…俺に寄せられる期待の眼差し。 決して同じ位置で、同じく失敗をする人だと見てもらえぬそんな存在になったのだと…元服を迎えた夜、俺は突然に理解したのだ。 その悟りはまるで一人だと言われたように幼い自分の心に迫ったが……それも過ぎ行く時に忘れる術を覚えていった。 淋しいと思った心に蓋をし、ただ顔を上げて前方を見据える。 今のこの関係のように、後ろに控えるものに淋しさを要求するのではなく…そうした彼らを反対に全て受け入れるように抱え込むように立つ。 孤高に只管に…ただただ走ることを俺は覚えたのだった。 だが…―――――――――――― ふっと墓石を振り返り…そこに添えられた花を見つめる。この花を添えた彼女を想い…意を決すると口を開いた。 「…嵐王。」 「はっ…。」 「面を脱げ。」 ゆっくりと体ごと彼を振り返り、嵐王を真直ぐにとらえる。 「お前の眼を…顔を見て話したいのだ。」 そう言えば、嵐王は何も言わず…俺へと顔を上げるが……俺の揺るがない瞳に気付いたのか、後頭部に手をやった。 程なくして俺のものとは似ても似つかぬ黒く真直ぐな髪がぱさりと空気に舞う。 そして…昔馴染みの顔が目に映った。 「…これでよろしゅうございますか?」 面を被り…『嵐王』としてのくぐもりがちの声が、それだけで本来の『洒門』としての声に変る。 喋り方も『嵐王』としてのものではなく…『洒門』のものへと変化した。 俺にそれに眼を細めると…頷く。 「ああ…。」 「…そうですか。」 「……。」 「……。」 俺は久方ぶりに見る幼馴染の顔を見つめる。 彼はまた先程のように俺から目を伏せ…若干、緊張するように俺の言葉を待っていた。 俺はそうした彼を見つめ…言葉の糸口探す。 自分がこれから告げること。その言葉の重さ、意味の大きさを想い、慎重に最も良い言葉を捜すが……。 背に卸していた髪が風に舞うのを見て…決意すると口を開いた。 「嵐王。…いや、洒門。」 「はい。」 「俺は…鬼哭村を開放する。」 「……。」 「山に、村にと張っていた結界を解き…山道をならし、村の子が自由に江戸の町に行けるようにしたいのだ。」 「……。」 「殺伐としたこの空気を一掃し…そして…皆を幸せにする。」 「…はい。」 「だから鬼道衆は…。」 そこまで言うと、俺の言葉を補うように洒門は顔を上げ…俺を見つめて言った。 「…解散なさるのですね。」 予期していた…というように、次の言葉を言い当てた彼に俺は一つ頷く。 「そうだ。」 「……。」 洒門は黙っていた。 何も言わず…表情を曇らせることもせずにただ、俺の言葉の意味を飲み込むようにただ黙っていた。 俺はそうした彼に更にという。 「洒門。誰もが幸せになることは成し難いことだ。“幸せ”とは形のないもので…本来なら誰かが決めるものではない。」 「……。」 「一人一人が見出すもの。…だがな、俺には皆をそうさせる義務がある。」 「……。」 「俺自身の手でそれが成せないならば…皆がその結論に辿り付けられるよう…道をならしてやり、導く存在になる必要がな。」 「…若…。」 「それが…俺に寄せられる眼差し。“御屋形様”と呼ばれる言葉の持つ意味なのだから。」 「…はい。」 「そうする為には、今のままでは…今の“復讐”という思念に凝り固まった、他から閉ざされたこの村では駄目なのだ。だから…。」 そこで言葉を切った俺に洒門はゆるりと顔を上げる。その表情には戸惑うような恐れるような色が見える。 「若…?」 弱々しくそう呼んだ彼を真直ぐ見ると俺は一つ頷いて、言葉にした。 「嵐王。そう呼ぶのは、これが最後だ。」 「!」 「九角家当主として最後の命をお前に下す。」 「…はい…。」 「野に戻れ。」 「……。」 「九角家の影。“嵐王”という名の籠から飛び立ち…自由な空を羽ばたく野の鳥に戻るのだ。」 「……。」 「それが最後の命だ。…良いな?」 「……。」 洒門はそう言った俺を暫く見つめ…ふっと顔を俯くとぽつりと洩らす。 「貴方様が今、開放しようとしているその鳥自身が…それを望んでいなくてもですか?」 「そうだ。」 「……。」 「お前もまた…“鬼哭村”に住み、俺が守るべき民の一人なのだから。自分の道を歩めるよう…開放してやるのが俺の役目。」 「…でもッ…!」 弾かれたように顔を上げた男に俺は首を振る。 「洒門。」 『もう決めたのだ』と目で語れば、酷く傷付いたというように…男は頷き、俯いた。 「分かりました。…お受けいたします。」 「…ああ。」 供えた線香も燃え尽き…二人の長い髪だけが、変らずに風にとなびいていた。 俺は目を伏せたままの洒門を見つめていたが…彼はふっと口元に笑みを浮べるのに目を留める。 「…本当は…。」 「ん?」 「本当は心のどこかでホッとしているのです。」 そう言って先ほどあれほど痛々しい目をしていた彼は仄かに諦めに似た笑みを浮べ、顔を上げた。 「富士での戦いが終わった折からこうなることは予期していました。貴方様がその道を取るだろう事を。」 「…そうか。」 「あちきは…それを思うと堪らなく“嵐王”になるために生まれ育ってきた自分という存在の虚しさを感じて居たんですよ。」 「……。」 「でも…和季さんが…。」 「和が?」 「そんなあちきに一番に気付いてくださったんです。」 「……。」 「『これで掛け値なしに研究に没頭できますね』って。」 「…っ…。」 「そう…笑って仰ったんですよ。」 「…和らしいな。」 「そうですね。確かに彼女らしい。」 「……。」 「彼女には“嵐王”としてのあちきも“支奴”としてのあちきも見せていますからね。…その彼女がそう言ったのは何故だったのか…。」 洒門はふっと俺を見ると微笑む。 「今、若にそれを言われて分かった気がします。嵐王ではなく…『洒門』としてのみ生きる人生を思って、やっと…。」 「……。」 「『掛け値なし』…『駆け引きなく』己が欲することにのみ己を賭けられる。…そう彼女は仰っていたんだ。」 「……。」 そう言って黙った洒門に俺は、少し目を伏せ…考えた後、口を開く。 「洒門。俺は…この事に関しては、決して謝らぬぞ。」 「若…?」 「お前が先代からどれだけ『嵐王』について語られてきたか分かっている。その言葉の重さ。今、俺が口にした事の残酷さもな。」 「…はい。」 「だが…謝るつもりはない。」 「…若……。」 俺は逸らしていた目をまた洒門に当てる。 「謝ったら…俺は非を認めることになる。自分がとった道を否定すること。それだけは出来ないのだ。」 「はい…。」 「これは俺の驕りかもしれん。だが……分かって欲しい。」 『何よりお前には…』と、言えば…洒門は、元から細い目を尚一層嬉しそうに細め頷いた。 「ええ、分かっております。…それでいいのです、貴方様は。若は…そうでなくては。」 「……。」 「強い…強い君主にお成りにあそばせましたね。」 「……。」 「正直申し上げれば…少し残念です。そんな貴方にお仕え出来なくて…。」 「洒門…。」 「でも、良いのですよ。そんな貴方様が下した決断です。あちきも喜んで…従いましょう。」 「……。」 洒門はそう言うと手にしていた面に目を伏せる。 「この面も…もう必要のないものですね。」 「そう…だな。」 「…ならば、ここに供えても宜しゅう御座いましょうか?」 「此処に?」 「最後に…最後まで『嵐王』として全う出来たあちきの父が眠るのもまた…此処ですから。此処に供えたいのです。」 「そうか…。」 「はい…。」 承諾するように頷いた俺に、洒門は僅かに笑い…顔を上げる。 「?」 そうした彼に不思議に思って俺も顔を上げると…風に紛れるようにして…俺を呼ぶ声が聞こえた。 探すように何処に居るのか訊ねる言葉。それに洒門は、顔を上げたのだ。 顔を戻すと俺を見る。 「和季さん、若を探していらっしゃるようですね。」 「…だな。」 「行ってあげて下さい。あちきはもう少しここに…父上と話すことが出来ましたから。」 「そうか…。」 彼の言葉に頷くと、立ち上がって歩き出し…少し行って立ち止まった。 墓石の前に膝をついている彼を振り返り名を呼ぶ。 「洒門。」 「はい?何でしょう?」 「その…今度、共に酒を飲もう。俺の臣としてではなく…友として、な。」 「若…。」 「駄目か?」 「…あちきが酒に弱いことを知っていてそう仰ります?」 「あ、そうか……では、どうするかなぁ…。」 困ってそう言えば、洒門は少し嬉しそうに笑って首を振る。 「…冗談ですよ。…楽しみにしております。」 「そうか……では、な。」 「はい。」 優しく包むように体の脇を通っていく風。頬に触れるその温度も柔らかく…暖かい。 俺は天気の良い空を見上げる。 その青さに目を細め…今年の春に皆の顔に浮かぶ表情を想う。 皆、誰もが微笑み…笑っていてくれること。 それを信じ、目を閉じた…―――――――――――――――――――― |