灯 火

ユズリ葉作





 荷物を纏め終わり…龍泉寺の廊下に出ると時諏佐の部屋へと向うが、途中通りがかった縁側が視界に入ると足を止めた。
 天気の良い昼に差し掛かる時刻。縁側の板の間には明るい陽光が差し込んでいる。
 温かそうな日の光に誘われ、向っていた廊下の先と足先は迷うが…結局は、そちらに足を向け縁側へと向かう。
 やがて足の裏に感じた暖かな感覚に顔を綻ばせ…そこに座ると庭へ素足を投げ出した。

 座ってみれば、廃寺だった頃の名残か…好き好きに生えた植物達が目に映る。
 無軌道に生え繁った其れ等はまるで山に生える草花に酷似し…数日前に出てきたばかりの隠れ里を私に思い出させた。

 隠れ里…。
 其処まで考えて…自分の胸に渦巻いていた迷いが舞い戻る。
「ふぅ…。」
 一つ溜息を洩らした。

 時諏佐に逢いに行くのはその迷いを払って出した答えを口にするためだったが…今こうして庭を見つめている自分は、変らずに迷いを抱えている。
 私を悩ませるのは…昨日の出来事。
 昨晩自分がした行動への理由が分からなくて…戸惑っているからだった。

 それが分かって私の心は先ほど廊下を歩いて居た時のように消沈する。せめて何か答えを得るきっかけを掴もうと…庭を順繰りと見つめるが…。
 草の繁った庭は私のそうした悩みに呼応したのか…先ほど以上に故郷を思いださせ、更に私を追い込んだ。
 今、自分を悩ませていること。
 それを考えれば…そうして庭を、里を思い出すのは辛い。
 見回していた目を止め、俯こうとするが…最後に行き着いた一本の木に気付くとそれに目を留めた。

 暫し迷った後、縁側から素足のまま庭に降り立って…その木に近寄る。
 木の幹に触れれば、そこにある幾筋かの亀裂へと指を這わせた。
「……。」
 人差し指の先ほどしかないその亀裂は…自分が付けたもの。
 そう…此処に来て初めての晩、鍛錬する際に作ってしまったものだった。

 木から目を伏せると太ももに片手をやって、そこからそれをした物を一本抜き取る。明るい陽光の中、鈍く光り手にしっくりと馴染む…クナイ。
 本来は“苦無い”と書き、その字の通り…苦無く人を殺すことが出来る道具。
 この扱いを方を初めて教えてくれたのは…。
「…兄上だった。」
 クナイをきつく握り締めた。



 …優秀な兄。
 一番好きで…一番大切だった人。私に厳しく、優しくて…里の中、誰よりも優秀だった彼は皆の憧れの的だった。
 私は、そうした彼を兄と呼べることを幸せに感じ私自身にも寄せられる羨望の眼差しを気持ちよく受け止めて過ごしていた。
 永遠に続く日々。いや…続いて欲しかった日常。
 崩れることが来ることなど信じられず、また考えもしなかったのに…崩壊は襲い掛かる。
 里の長を兄が殺したあの日。それは前触れもなく…突然。
 そう…突然訪れた。

 私を含め里の皆は最初、信じなかった。
 優秀な彼がそうするに及ぶ経緯が分からぬ、と誰もが兄を信じていたのだ。だが時間が経つに連れ…一人、また一人と態度が変っていく。
 私を心配し慰め、励ます者は日に日に居なくなり…代わりに兄を“裏切り者”と呼ぶ者が増えていった。
 周りがそうして変化を遂げる中、私は未だ衝撃から立ち直れず…信じられない…信じないと思っていたが、ある時気付いてしまう。
 かつて私へと寄せられていた羨望の眼差しが、“裏切り者の妹”という蔑むもの変っていることに。
 口さがなく言われる言葉。投げつけられる罵倒。陰口…。

 そうした事が…そうした事が全て、私の中にあった兄上への想いを萎縮させる。彎曲させ…変貌をさせた。
 慕うという暖かな感情は変わり果て誰よりも深い恨みを。どろどろとした憎しみが私の中に宿るようになった。

 そして…――――――――――



 俯いていた顔を上げるとクナイを握り締めていた手の力を抜く。
 もう一度木の幹に触れ…踵を返して先ほど来たように縁側へを足を向けるが…途中で足を止めると、振り返りざまにその木に向かってクナイを投げつけた。
 クナイは、私の頭に描いた通りに飛び…次の瞬間には、狂う事無く目標とした木の中央に突き刺さる。
 分かりすぎているその結果に私はただ呆然として…。
 今、クナイを投げつけた手を見下ろそうとするが、耳に届いた…パチパチッという手を叩く音にそちらへと顔を向けた。
 振り返った先には…背の高い男が一人。
「相変わらずいい腕をしている。」
 と、縁側から私を見て微笑んでいた。

 何時から観られていたのだろう?そう思うも…男を見返し、名前を呼ぶ。
「…龍哉…殿。」
 男は私の声に寄りかかるようにしていた柱から体を起すと首を傾げ…。
「もう投げないのか?」
 と訊ねた。
 私は彼から視線を逸らし、俯くと首を振る。
「…別に鍛錬しているわけではなかったので…。」
 私のその答えに男は“それは残念だな”と一言呟いて…何を思ったのか、私と同じように素足のまま庭に下りる。
 私の脇を通り過ぎ、突き刺さったままのクナイを抜くと私の元へと歩み寄った。
「ん。」
 差し出されるクナイ。
 私はそれを暫し見つめ…一つ息を零すとおもむろに受け取り、礼を口にする。
「…ありがとうございます。」
 そうした態度は男の気に触ったのか、俯き続ける私を彼は見つめ…。
「どうした…?何かあったのか?」
 と優しく訊ねてくれた。
 その声に…俯いていた顔を上げる。上げれば…声と同様に優しく私を見ている彼の眼差しに気がついて、言葉を綴ろうとするが…。
「龍哉殿……。」
 縋ろうとしている自分に気付いて、また顔を伏せると口を噤んだ。
「…いえ、何でもありません。」
 彼はそんな私を見つめ一つ溜息を洩らす。
「何でもないという瞳はしてないがな。…君の瞳は。」
「…っ…。」
 自分の心を的確にそう言い当てた彼に私は、言葉を無くすと…先ほど渡されたクナイに視線を注いだ。
「……。」
 黙っている私が見つめるもの。それに彼も直ぐに気付いたようで…また手を伸ばすと、それを手に取った。
「これが…どうかしたか?」
「……。」
「涼浬…?」
 優しく問うてくれる彼。
 そんな彼の言葉は…迷い続ける私の心に痛み入るようで…心を酷く揺らし、知らずに口は言葉を紡ぎ始めようとする。
「私…。」
 クナイの無くなった手を握った。
「…私には…何も無いのです。私の全ては…奈涸が…兄があってのもの、でした。」
 ぽつりと…だが、昨晩気付き…それからずっと自分を悩ませ続けた事を、そうして声に乗せれば…止まらなくなる。
「どういう事だ?」
 そう訊ねてくれる目の前の人に理解してもらいたくて…より具体的な言葉を紡いでいく。
 彼の手にあるクナイを見つめて、続けた。
「そのクナイもそうなんです。…クナイは兄が初めて私に教え…そして、彼を殺すために私が最も鍛錬を積んだもの。」
「……。」
「…気付いたんです。私が何かを行動するのは…行動しようと思うのは、何時も彼の事だった、と。」
「……。」
「彼が私の側に居た時は、優秀な彼に置いてかれないように…優秀な彼の妹であろうと必死で努力していました。」

 頭に過るのは昔の私。
 村の皆から羨望を浴び…そして、それに恥じないよう努力していた頃の事。
 手の平の皮が剥けてしまっても構わず…ただただ鍛錬を続けていた。そう出来たのは…幸せだったからだ。

「そして…彼がああして村を去れば、今度は彼を殺すため…追い越すために鍛錬を積んだ。」

 胸に宿った彼を怨む思い。
 それに突き動かされるように昼夜関係なく鍛錬に励んだ。
 これでは彼には勝てない…これでは、私の想いは果たせない…と。

「全て…全て…何もかもが兄があってのものだった。…私の行動原理は何時も兄だった。」

 握り締めた手に爪が食い込むのも構わず…握り続ける。
 それと共に視界が歪んで…。歪んだ視界には昨晩見た…久しぶりに逢った兄の悟りきった顔が映し出された。

「昨晩だって…下された命を果たす“飛水の忍び”としての“私”ではなく…。…彼を見逃すという、“彼の妹”でしかなかった。」
「……。」
「私は…私は…何処まで行っても……兄の…兄があっての“私”なのです。」
「涼浬…。」
 黙って聞いてくれていた男の優しい声に、握っていた手の平を開く。
 顔を上げ…眉間を寄せると訊ねた。
「そんな私が…どうやって生きていけば良いのでしょう?兄の元を離れてどうやって……生きていくの…?」
 当惑するように私を見つめる眼差し…それすら、兄の顔に重なって…。
 こんな時ですらそうして兄を思い出す自分に嫌気がさすと…顔を伏せる。
「…教えてください、龍哉殿…。」
 ただ言葉だけは…縋るように目の前の男に紡いだ。

 男…龍哉は、そうして黙った私を暫く黙って見つめていたが…ふぅっと一つ息を吐くと口を開く。
「…突然闇の中に放り出された…というところ、か。」
 比喩を用い、そう言った彼の言葉に顔を上げる。
 顔を上げれば、先ほど以上に優しい光りを称えた瞳にぶつかった。
「……。」
「何を支えにして生きていいのか…分からなくて、涼浬は迷っているんだな。」
「…はい。」
 彼の言葉に頷けば、彼は目を細め…クスッと笑う。
「本当によく似ている。」
「えっ…。」
「…俺の妹さ。」
「妹、さん…?」
 訊ね返せば龍哉は頷き…ふっと私から視線を上げ、青い空を見つめる。
 思い出すように懐かしむように目を細めた。
「遠い…遠い故郷に置いてきた妹。…俺と父の愛情を一心に受けて育ったからとても我が侭で…純な娘。」
「……。」
「君は…彼女にそっくりだよ。」
「…龍哉殿…。」
 彼の言葉に当惑して、ただ彼の名を呼べば…彼は見上げていた空から私に視線を戻して微笑むと、足元を見つめ話し始める。

「彼女は…妹はね、俺にべったりだった。一人で歩こうとしない…娘だった。」
 “例えば”と言う。
「俺が何かをしようとする。すると彼女も真似をするようにそれをする…というように、決して自分で何かを“始める”ことはしなかった。」
「……。」
「俺はその事に早くから気付いていたが…それで良いと思っていた。純粋に妹が可愛かったからだ。でも…ある時気付いた。」
「何に…?」
「愛し方にだよ。…甘やかすだけが愛情ではない。本当に愛しているなら…信頼して居るというのなら、手を離すこともまた愛情なんだ。」
「……。」
「酷く子供っぽく、一方向にしか物事を捉えない…見る事を知らない彼女を見て俺はそれに気付いた。…この子には自分で歩るかせることが必要なのだと。」
「…っ…。」
「だから俺は……故郷に彼女を置いて、今此処に居るんだ。……何処か君の兄上に似ているだろ?」

 龍哉はそう言って苦笑いを浮べる。
 そうした表情の作りかたは…今、彼が口にしたように確かに…私の兄に重なって…。
 私はそれに驚いて彼を見返すが…龍哉はその笑みを消すと、私を真直ぐに見つめなおす。
「君の兄上が…彼が望んでいたのは、そういう事なんじゃないかな?」
「……。」
「涼浬が持っている自分への依存心をなくす事。そして、出来るなら…“飛水”からも開放される事を願ったのだと俺は…思う。」
「“飛水”から…開放、ですか?」
 私の言葉に頷く。
「君の兄上は…奈涸は、最初…君の中の自分への依存心を無くしたいと考えていたんだと思う。」
 龍哉はそう言うと手にしていたクナイを指で回し、手の中で遊ばせる。
「だが…自分が君の側から離れれば、君が今度は“飛水”にそれを…依存する事を見出すということも分かっていたんだろうよ。」
「……。」
「それでも良かったんだ。君に殺されることはつまり…君が“飛水の忍び”として一人前になることなのだから。だが…もう一つの可能性にも気付いたんじゃないかな。」
「可能性…?」
 クナイをピタッと止めると、刃先を私の首へと向ける。
「殺しに来た君が…自分を殺せなかった時、それを…考えた。」
「それは私が……。…私が…彼を殺せない事を兄は予想していたと言う事ですか?」
 そう問えば、龍哉は私に向けていたクナイの刃先をまた上げ、反対の手の指に引っかけた。
 私の顔から視線を外し…俯くと頷いた。
「…ああ。予想…と言うほどではないが…その可能性も考えてはいたんだと思う。」
「…っ…。」

 全て…全て…兄の計算通りだったのだろうか?
 何もかも…昨晩、ああして私が刃を止める事も…兄には…奈涸には予想済みだった…と?

 龍哉の言葉に、私は新たに巻き起こった焦燥感とも付かない…激しい感情に心を波立たせる。
 何処まで行っても追いつかない兄。それを…まざまざと見せられた気分だった。

 彼は、そうした私の気持の変化に気付いたのか…動かしていたクナイを止めると、私を見つめる。
「涼浬。」
「……。」
「涼浬!」
 強く私の名前を呼び、私の気をもう一度引き戻すと首を振った。
「勘違いするな。君の昨晩の事は…奈涸にとっても色々と考えた中の一つに過ぎなかったというだけだ。…多くの場合…彼は君の手によって死ぬ事を考えていたんだ。」
「……。」
「君が…“飛水の忍び”になる可能性が一番高い事を、彼は知っていたのだから。」
「…っ…。」
「でもな。奈涸は…昨晩、君が選択したそれを考えた時…気付いたんだろうよ。」
「…何にですか…?」
 興味引かれるその言い方に彼を見つめ直す。
 龍哉は…私の前で少し迷い、一つ息を吐くと仕切りなすように真剣味を帯びた言葉で訊ねた。
「…涼浬。彼を殺そうとその刃を下ろした瞬間、君がそれに躊躇したのは彼への愛情故だな?」
「…っ…。」
 ドキッと…思ってもみない言葉に、たじろぐが…迷った末に、俯くと頷く。
「…はい。」
 私の答えに、龍哉はふっと緊張感を緩め…顔を綻ばせた。
「その瞬間。あの瞬間に…君は“飛水の忍び”ではなく彼のたった一人の妹である“涼浬”という人間になったんだよ。」
「えっ…?」
「“飛水の忍び”ではなく…“個人”として考え、想いを抱えて生きる一個の人間。…誰に従うのでなく、自分で明日を決められる人にね。」
「…わ、私は…。」
「自分の行動理念を決めていた“彼”故にではなく……“妹”であり“家族”である“涼浬”という人間として行動したんだ。君は…。」
 悩み、迷っていた答えが…正しかったのだと言うように、先ほど私が口にした言葉を使って、そう言った龍哉は…。
 呆然と見返す私に目を細め…。
「奈涸は…君の兄上は……そうした君を見れて幸せだな。」
 “…羨ましい事だ”と、締め括った。

 龍哉の言葉…彼から今聞かされた事実に胸が詰まる。
 優しく微笑み続ける彼の顔から顔を伏せると…昨晩別れる前に見た、兄の横顔を思い出した。
 彼の言葉を裏付けるように…清々しい表情の兄。あんな兄は…確かに初めて見た気がした。
「兄上…。」
 呟くように洩らす。
 心に渦巻いていた迷いが今、形を変えて…思いもよらなかった形となり胸へと迫った。
 それは…兄の深い自分への愛情を知っての事。
 先ほど緩んだ視界がまた歪むが…それに気付いてか、龍哉は手をあげると私の頭に触れる。

「涼浬。」
「…はい。」
 顔を上げる。
「君が…今は迷うのはだから何だよ。…昨日初めて歩き始めたばかりだから…戸惑っているんだ。」
「……。」
「それまで奈涸に…飛水にと多くの者に照らされた道を歩いていた君が、突然日の照らない暗い闇に落されたから…迷う。」
「……」
「どうやって歩いていいのか?と。」
「…はい。」
「そして“自分で行動を決める”という事に対する恐れもあるんだろうな。」
「……。」
「だが…涼浬。本当の主は誰でもない、自分なんだよ。唯一無二の存在。…自分で感じることのできる己こそ…最も尊ぶべきものだ。」
「龍哉殿。」
「俺は“龍閃組の緋勇龍哉”なのではなく、“緋勇龍哉”という人間が選択し…“龍閃組”というモノに組したのだと思っている。」
 其処まで言うと龍哉はクスリと笑い、御堂を振り返る。
「…雄慶はどうだか知らんが…京梧も同じように言うだろうよ。…ここは、そういう者達が集っている。」
「……。」
「自分で考え、自分で歩む。誰の言葉にも従わず、自分の思ったままに行動する…そう言う奴が集るところ。」
 御堂にやっていた視線を戻し、私を見ると言った。
「初めて此処に来て…百合さんにそういう所を作りたいのだと話を聞いたから…俺は此処に残ったんだ。龍閃組に組すると。…涼浬、君はどうする?」
「えっ…?」
「戻るのは楽だ。何も考えず、ただ従うだけの人生に。“飛水”の里の戻ればそうした生活が待っている。…だが、君は気付いたんだろ?自分で歩くことを。」
「……。」
「何も照らさない…暗いだけの道を…一人で歩くこと。此処に残るとはそういう事だ。…怖いと竦んでいるなら、君はやはり…里に戻るか?」
「…私…。」
「……。」
「私は……。」
 龍哉を見つめ…彼に答えようとする。…が。
 自分の気持ちを整理しきれなくて…いい言葉が見つけられなくて、私は俯くと躊躇いながら言葉を紡いだ。
「私にはまだ正直…よく分かりません。自分の人生を…自分一人で歩くという事は…。でも…。」
「でも?」
 顔を上げる。
 真摯に見つめ…私を優しく包むような黒い瞳に目を細めると答えた。
「私にはただ眩しく感じたのです。龍哉殿や…この寺で生活する者達が。」
「……。」
「理由が分からなかったその眩しさは…生きる事の強さなのだと知ったから……私は考えたい。」
「……。」
「ここで…ここに残り…明日は自分で歩けるのだと…信じて、共に居たいと思います。…よろしい、ですか?」
 そう答えた私に龍哉殿は、表情を崩す。
 大きく笑い、頷いた。
「ああ、勿論だ。…君が此処に残るなら…涼浬が俺たちの仲間に入るというのなら…俺は何度でも手を差し延べる。手を繋ごう、涼浬。」
「え?」
「同じ志を持つなら…向かう先は同じだろ?例え道行きは暗くとも…何人かが寄り、手を繋げば…怖さもなくなる。」
「……。」
「目に見える闇に出来た恐怖も…手に感じる確かな感覚に消えるさ。…ちょうど、暗闇に灯火が灯るようにな。」
「龍哉殿…。」
「俺たちが灯火になって…君の道標となろう。涼浬。」

 兄を絶対だと思っていた。太陽のように…変らず、私に影響を与え続ける存在だと。
 太陽は明るすぎて…その下にあった闇に気付かせなかった。
 突然消えた太陽は、残光だけを私の瞳に残していて…尚一層暗くなった闇。
 それに戸惑っていたが…。
 こうして月のように、夜の闇に消えてしまう道を灯す灯りになってくれるという人が居る。
 深い闇へと恐れ萎縮していた心がそれによってこんなにも軽くなった。
 寒々しく感じていた胸を包むようにそう言ってくれた彼に…私も顔を綻ばせ笑った。

「…ありがとうございます。龍哉殿。」
「ああ。さて…先ずは…水場への道標になるかな。」
「えっ…?」
「俺たちの足。こんな足で屋敷に入ってみろ。百合さんに何、言われるか…。」
 龍哉は、苦笑いを浮べ…素足で踏んだ土に汚れた足を私に見せる。
 私はそんな彼にクスッと笑うと頷いた。
「…ですね。」
「だろ?じゃ…行くか?」
 そう言って、私に差し出す手の平。その手に驚いて、私は顔を上げ…もう一つ笑うと…。

「はい。」

 自分の物を重ねた…――――――――――――――――――












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