首ユズリ葉作 |
<side/女主> 月明かり一つ射さない暗い部屋。 部屋の暗さ…闇の深さは、開いた視界でも明らかで……自分が今、目を瞑っているのか、開けているのか分からなくなるほど。 自分の感覚を崩すその倒錯感が、唯一残っている私の理性を、砕け散らすようで…必死で自分を保とうと、手を伸ばした。 「京梧」 彼はそんな私に気付いて、自分にと伸ばされた私の手を取るとそのまま手首に唇を落す。 「どうした?怖いのか?」 優しく問う彼が心配した内容は、表面的なもの。 こうして過ごす事に対してのもので…何度となく過ごしたその夜を、この行為を怖いと思う筈はなく…。 彼への言葉を濁らすと、一つ小さく笑って見せた。 怖いのは…もっと別の事だ。 …怖い?…ええ、怖いわ。でも…… 自分の中に浮かんだ答えを消し去るよう、首を振った。 「そうか?」 首を振って否定した私に彼は、その表情を顰める。 手首を取っていた手を開放しそっと私の頬を包んだ。 「じゃあ、何で震えてんだ?」 「……」 「龍?」 答えなければ、納得しないと真摯に注がれる眼差し。 それに、目を伏せると答えた。 「怖い…わけじゃない」 「?」 「怖くは、ない。…寒い…だけよ」 一言迷い、口にした言葉は、心に僅かな符号を見せて…目を開けると、彼の首に抱きつく。 抱きつかれた彼は驚いたよう、瞬間体を固くするが…。 「寒い。寒いのよ……京梧」 耳元でそう囁けば、固くした体に息を吐き緊張を解いて…。 「なら…暖めてやる、俺が」 と、表情を緩ませた後、先程の続きを辿るように私の首に唇を落とした。 私はそんな彼に目を瞑る。 五感の一つをわざと閉じる事で、より一層彼への意識を高めた。 彼に触れられる肌。彼に求められる肢体の先。 段々と火照り出し、熱を帯びる己の体。 心に過ぎった事など、忘れてしまうぐらいこの行為に没頭したいのに、それでも何処か足りない。 欠けていると言うように、先程心にと残ったしこりは消えなくて…今し方、口にした言葉を心の中で、更にと唱え続けた。 …寒い。寒いのよ…京梧。寒い……寒い…………怖い… 心から来る震えは、一言本当の言葉を呟いてしまえば、余りにも脆く、最後の砦を押し流す。 『恐怖』を『寒気』だと、偽っていた自分をそれ以上は抑えきれなくなって…恐怖に、意識を集中するためにと、瞑っていた目を堪らず開けた。 「京梧…」 目を開いた瞬間、視界に入ったのは彼の筋肉質な首。 彼の汗が一筋流れ落ちるところまで、闇の中でもくっきりと分かるその首に、恐怖に見開いた筈の目は釘付けになった。 「……」 乱れていた呼吸が、収まってもそれから視界を逸らす事は出来なくて…やがて誘われるよう、筋張ったその首へと手を伸ばす。 「ん?何だ?」 掠れた熱っぽい声で、私にそう問う彼の言葉すら耳に入らず…。 抱きつくわけでもなく、自分の首へと迫った私の指に彼が、眉間に皺を寄せたのを黙って見つめて…。 「どうかしたか…?」 不審気に彼が再度尋ねる言葉を耳に、更にと指を這わせた。 「……」 「……」 黙って私のする事を怪訝に見つめていた彼は、瞬間私の意図に気付いて、にやりと笑う。 「いいぜ。…締めろよ」 「っ」 彼の言葉、表情に驚いて、彼を見つめ返せば……暗い闇の先で、男は私を挑戦的に見つめ…。 「お前の手に掛かって死ねるなら…俺も、諦められるだろうさ」 『飽くなき剣技への道』も、と目を瞑った。 「……」 私は、そんな彼に眉間を寄せると、彼の首を絞めていた…締めようとしていた手の平を開放し、そのまま首へと抱きつく。 「…ごめん」 「龍…」 「ごめんなさい…」 「……」 「…ごめんなさい……京梧……」 謝罪の言葉を何度となく繰り返し、彼の胸に泣き伏した。 目に止まった逞しい首の中には、大量の血液と…空気が、通っている。 壊してしまいたかった。 それが壊れれば…動かなくなるのも分かっているのに…ううん、分かっているからこそ、壊したかったのだ。 貴方を愛している。それと共に…憎んでいるから。 私だけを見てくれない、貴方を。 ――殺してしまいたかった 私の手で… 殺せたなら… 貴方は…私のモノ 私の、モノ…? 永遠に貴方は私の側から離れない…? 「…きょ…ぅ…ッ…ぉ…」 欲していた。渇望していた。 頭がおかしくなるくらい…発狂してしまうくらい、貴方が愛おしくて…。 その一方で、私はずっと憎んでいた。 初めて私に『孤独』を、『寂しさ』の本当の意味を教えた貴方を。 奔放な貴方。 貴方の視線は何時だって私を通り越し、更に遠くを見つめる。 その横顔を最初に好きになったのは、きっと私の方だったのに…。 今はそれが憎くて、寂しくて…辛い。 どんなに愛しても、貴方は私を置いて行ってしまう人。 その事実が、耐え切れないほどに…愛しているから。 「…ぁ…ッ…」 愛しているの。 …私の手をすり抜けていく貴方を。 私を孤独に…淋しい気持にさせる貴方を…。 忘れられたなら、きっと幸せ。 でも、忘れたなら…きっと本当の幸せを知らなかった筈だから。 「…ん…ッ…!」 こんな夜だけ。 こんな時だけ全身で私を求めて…私にぶつかってくる貴方を、私は愛している。 「…京梧」 「っ」 「京梧…」 「…ッ…」 「京梧ッ…!」 愛している…。 狂うくらい。憎むくらい。迷うくらい。…コロシテシマイタイくらい…愛して、います。 涙混じりに紡がれ続ける声が、枯れてしまうまで…狂い咲く花の狂乱は終わらない…――――――――――――― <side/京梧> 闇の中でも白く鮮やかな細い首。 その首筋に口付け、幾度もその声を聞きたいと乞う。 刹那に啼く声。 絹を切り裂くような…高く、切なく、甘い潤みが含まれたそれが、聞きたくて…闇の濃い宵に過ごすこの一時。 俺は焦れるように求めた。 「…は…ぁっ…」 手で、指で…と彼女を探り、唇でその味を確かめて…声に、姿態に酔う。 彼女の肌は繊細で、日の下で鮮やかに赤い華を咲かせるから、その何とも艶めかしいそれを知ってからは、跡を残すのに執着するようになって…。 明け方、俺の横で眠る彼女に自分の愛執を見つけた。 彼女を愛していた。 それは、そうして自分の跡を彼女に残そうと思えるぐらい、深いもの。 いや、そうである筈なのに…朝になればその気持ちは霧散するよう薄くなり、俺は別の事に気を取られてしまって。 彼女に背を向け、置いて行ってしまう。 こうして彼女の涙も、彼女がしようとした事も酷く俺を悦ばせ…更にと彼女への欲望が募る程、愛して求めている筈なのに…。 彼女を欲する気持ちとは全然別のところで、俺はずっと餓え続け、求め続けているから。 飽く事無く、永久に続く剣聖への道を。 「……きょ…ぅ…ッ…ぉ…」 「…ァっ…!」 これ以上愛せない。これ以上、優しく…お前を構う事は出来ないから。 この時間に…この一瞬、唯一お前を真っ直ぐ見つめる俺を、お前自身が殺すなら…俺も甘んじよう。 恋に浮かれ、愛に溺れて死ぬ。 そんな死に様を…お前になら許してやる。 それが…俺のお前にやれるモノ。 俺へと注がれるお前の愛へと応える…愛情であり、償いだ。 「…京梧」 「っ」 「京梧…」 「…ッ…」 「京梧ッ…!」 耳元で狂うように求められ続ける俺の名に…本能が疼く。 それは鎖を解かれた餓えた虎のように…満たされる事無く、お前を求め続ける夜の始まり。 狂乱の宴の…始まり…――――――――――――――――――――――――― |