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Lunatic Party ・・・2


  ≪四≫

 次の2日間、龍麻は3-Cの喫茶店で出すお菓子を作り上げる為、学校の家庭科実習室に時間が許す限りこもっていた。数人の女子生徒らの協力もあり、どうにかこうにか当日の模擬店オープンまでには予定していた数を全て完成させられた。

「きゃああ、美味しそー」
「さすが緋勇さんよねッ。あ、あたし、味見してもイイかな?」

 はしゃぎながら教室にそれらを運び込む同級生の後姿を見送る龍麻自身は、当面甘いものは口にするのはおろか、匂いもかぎたくないという気分に浸っていた。

「…今はうーんと渋いお茶を飲みたい心境だわ…」

 ぼそりと呟く龍麻に、背後から凛とした声が掛かる。

「良ければ僕が茶でも点てようか」
「その声は…翡翠。そっちのバザーの準備も、もう終わったの?」

 時計の針は学園祭開場予定より1時間以上前の時間を指している。随分早くに完了したものだと不思議に思う龍麻だった。

「ああ。結構細々としたものも出品するから、念のため早目にこちらにお邪魔したのだけれどね」

 如月は実行委員会がアシスタントスタッフを幾人か手配してくれたので、あっという間に用意が終わったのだと言う。どうやら『王蘭のプリンス、真神を来訪』という一報をいち早く聞き付けた女子生徒らは、競って名乗りをあげたらしい(←誰が情報を事前に流したのかは分かり切っているが…)

「だったらバザーが始まるまではゆっくり他も見物して行ってね」
「…良かったら───」

 如月は時間まで学校の中を一緒に回ろうと言いたかったのだが、その言葉を続ける前に、

「それじゃあ、私、急いでるから、また後でね」

 爽やかな笑顔を残し龍麻は如月の元からぱたぱたと足早に去っていった。如月はやれやれと苦笑いを1つ浮かべる。
 どうせ彼女の行き場所は分かっている。

<こうなったら…商品の仕入れも兼ねて旧校舎で修行をするとするか>

 あいつのことは考えるだけでも癪だと、そのまま通いなれた旧校舎の方向へと歩いていく。


 一方の龍麻は正反対の東階段の方を目指して歩いていた。
 途中外から伝わる賑やかな声に、何気なくひょこっと廊下の窓から顔を覗かせると、

「あッ、アネキーッ。おはようさんッ。今日もええ天気やで〜〜〜」

 元気な声を校庭一面に響かせて、劉が無邪気な笑顔で手を振ってくる。昼から行われるコスモレンジャーショーのステージ設営を手伝っているのか、その右手には愛用の青龍刀ではなく、トンカチがしっかと握られていた。

「お早う、劉君。今日はいつに増して朝から元気一杯ね」
「わい、こういうお祭ゴトめっちゃ好きやから。お蔭さんで昨日からワクワクして、よう眠れんかったわ」

 劉から少し離れた所に、やはり黙々とトンカチを使っている霧島もいたので、龍麻はねぎらいの言葉をかける。

「霧島君もご苦労様」
「あッ、龍麻先輩!お早うございます!!」

 龍麻からの挨拶に相変わらずしゃきっと背筋を伸ばし礼儀正しく応じる。その姿に思わず微笑を誘われるが、

「あら?ところで、肝心のコスモレンジャーの3人とアラン君は…」

 姿は見えねど声だけはしっかりと響き渡っているので、一体どこに…と、ステージの周辺に視線を巡らせると、果たしてステージ裏で何やら4人が声高に話し合っていた<正確には紅井と黒崎2人が揉めているのを、本郷とアランが仲裁している>


「もうッ、あなたたちいい加減にしなさいよッ。恥ずかしいじゃない、ヨソの学校にきてまでヒーロー同士が仲間割れしているなんて」

 情けないったらありゃしないと、本郷が叱り飛ばすが、一向に紅井と黒崎の険悪な会話は収まりをみせない。
 もれ伝わる会話の端々から察するに、どうやらショーでの決め技である【ビックバンアタック】について、誰が発動させるかという件が口論の原因らしかった。

「いつも通り俺っちの決めゼリフでびしっと発動するのが当然だろ!」
「ふん、毎度毎度ワンパターンでは、視聴者に飽きられるのも時間の問題だ。彼らは常に変革を求めているのさ」

<視聴者って…いつからテレビ番組みたいになってるの、このショー?>

 龍麻が心の中でこそっと突っ込んでいると、どうやら今度は本郷に代わってアランが話をまとめようと試み始めた。

「2人とも、今日は真神学園のメデタイお祭デス。そして、なによりもいいショーを行うためには、自分たちのフレンドシップが一番大切デース!」

 だからケンカはもうやめて、みんなで前向きにショーのことを考えようと訴える。

「そうよ、ブルーの言う通りよッ」

 本郷は珍しく(?)真っ当なアランの言葉を支持するが、さて、それじゃ具体的にどうしようかとなると考えが浮かばないようだ。


 そんな4人を見兼ねた龍麻が窓越しに声を投げ掛ける。

「あらやだ、恥ずかしい所を目撃されちゃったわね。でも聞いてたのなら話は早いわ。ね、龍麻。何か良いアイディアないかしら」
「そうね…黒崎君の意見は一理あると思うわ」
「ふッ、さすがひーちゃん。大衆心理もしっかりと判っているようだ」

 黒崎は我が意を得たりと、眼鏡を持ち上げつつ笑いを浮かべる。

「でもね、黒崎君。得てして大衆っていうのは、刺激を求める一方で定番というのを見ないと何となく物足りないって感じるらしいのよ。だから、決めの言葉はいつものように紅井君が担当した方がいいと思うの」

 つまりは、黒崎に方陣技の基本的プランを考えさせることで今日のショー自体の実質上のリーダーとした上で、しかしステージでの決め台詞はあくまで紅井が担当するということにし、お互いに納得するよう差し向ける。

「成る程!」

 黒崎と紅井双方が同時にうなずいた。

「では俺が今まで密かに構築していたプランを今日この真神の記念すべき学園祭を祝す意味でも惜しげもなく披露するとしよう。その為には、コスモブルー(=アラン)とコスモイエロー(=劉)そしてコスモホワイト(=霧島)お前たち3人にも参加してもらうからな」
「えッ、僕も…ですか?」

 得々として語る黒崎からご指名を受け、霧島はそんなことまでさせられるとは聞いていなかったので声を上げて驚く。狼狽し無意識に後ずさりしようとするその肩を、だが紅井がガシっと掴んだ。

「ようしッ。そしたら早速はりきって秘密特訓だッ」

 紅井の屈託の無い笑顔を浴びせられ、もはや抵抗する意思を失い力なく首を縦にふる。

「…諦めるんや、霧島はん。これもみんなの平和の為っちゅーヤツや」

 溜息混じりの劉の言葉は、だが既に引きずられていった霧島には届かなかったようだった。

「Hahahaha!秘密特訓、楽しーネ」
「そんな大声で言ったら、もう秘密ちゃいまっせ」

 アランは上機嫌に大声で笑うと、口笛まで吹きながらその後ろに続く。劉はそんなアランにすかさず突っ込みを入れるのも忘れない。

「じゃあアネキ、わいも浮世の義理に付きおうたらんとあかんので一緒に行くわ。ほなまたなッ」

 最後に残った本郷が龍麻に、これで無事にショーの幕を上げられそうだと礼を言う。

「せっかくだから、コスモグリーン(=龍麻)にも参加して欲しいんだけど、うーん、でも無理よね。龍麻は別に用事がありそうだし。だけどショーは絶対見に来てよね。待ってるから」
「ありがとう。必ず行くわね」

 自分の発言の招いた思わぬ結果に龍麻は少なからぬ罪悪感を感じたが(特に霧島に対して)でも彼らが無事仲直りしたのだし、これはこれで良かったんだと自分に強引に言い聞かせ、その場からそそくさと離れる。



「あ、ひーちゃんが来たよッ」

 2階に向かう階段を昇っている龍麻を頭上から呼び止めたのは、小蒔と、そして織部姉妹だった。

「よッ、久しぶり」
「ご無沙汰しております」

 3人は弓道場の方に向かう前に、一足先に学校の中を見学していたのだという。

「雪乃と雛乃は真神の学園祭は初めて?」
「わたくしは、親睦試合の関係で一年生の時からお邪魔させていただいてますが、姉様は今年が初めてなんですの」
「いいよな、公立の学園祭は。オレらの学校なんて、案内状が無ければ家族の者であっても外部の人間は立ち入り禁止なんだぜ」

 私立の女子高は変に堅苦しくから、反対に真神の学園祭の自由な雰囲気が羨ましいと雪乃は苦笑混じりで話す。それに軽くうなずきながらも、雛乃は更にこう付け足す。

「何だか今年の真神の学園祭は例年以上に活気に溢れている感じですわね」
「そうかな〜?」

 小蒔は、去年までと特に代わり映えはないと思うけどと首をかしげるが、

「あッ、でも今年はボクたちが参加できる最後の学園祭だから、そう言ってくれるとスゴク嬉しいよね、ひーちゃん」
「そうね」

 龍麻もにっこりと同意する。

「そうだ、もう武道場の方では空手部の対校試合始まってるんだよ。紫暮君来てるし、醍醐クンもそっちを見に行くって言ってたから、ひーちゃんも一度顔出してきたら」
「そうね、試合が終わるまでには顔を出すようにするわ」

 龍麻は小蒔ら3人とも親睦試合が始まる頃に弓道場で会う約束し、一旦別れることにした。


 再び1人になると、さっきの小蒔の言葉が妙に心に響き渡る。

<そうか…、今まで準備に忙しくって気が付かなかったけれど…。私にとってこれが最初で…そして最後の、真神での学園祭なんだ…>

 そう想うと何故だか胸の奥がきゅっと締め付けられた。だが、

<いけない、せっかくの楽しい学園祭なんだから。今日は思う存分楽しまないとね>

 気を取り直し、笑顔を頬に浮かべると、そのまま同じフロアにある最終目的地を目指す。




 ≪伍≫

 龍麻が入ったのは、お化け屋敷会場である霊研の隣にある空き教室だった。

「あ、ほら龍麻が来てくれたわよ、京一君」

 お化け屋敷出演メンバーの控え室として開放されたその部屋には、アン子の用意してきた白い着物を楚々と身に纏った葵が開場前の最後の準備をしているところだった。

「ゴメンね葵、時間が出来たら着物の着付けを手伝うって前に約束したのに。お祭ムードに気を取られてついつい道草をいっぱいしてたから…」

 龍麻が会いに行かなきゃと急いでいた、その相手は葵の方だった(ということで如月の予想は半分ハズレ)

「そんな、別に気にしないで。私の方は全く心配なかったわ、浴衣よりずっと簡単だったから。それより、どう?これで何とか幽霊に見えるかしら?」
「うん。すごく幻想的で、雰囲気があっていいわ」
「うふふ、お褒めの言葉をありがとう、龍麻」
「ひーちゃん。俺の方もばっちり決まってるだろ。闇の貴公子、ドラキュラ見参!ってな感じで」
「京一…」

 突然背後からの声に振り返り、そして初めて見る京一のタキシード姿を前に、龍麻は思わず息を飲む。

「へへッ、似合うだろッ」

 まあ、イイ男は何着ても着こなせるんだけどなと、アン子の用意した舞台衣装用のマントを揺らし得意気な京一に、だが龍麻は眉をひそめ、真剣な顔で忠告する。

「確かに似合うけれど…何だかあんまりヴァンパイアっぽくないわよ」

 思わぬ否定的な言葉に、京一はその場で思わずコケそうになる衝動に耐え、龍麻に問い返す。

「な、何が…?」
「そうねぇ、ヴァンパイアって小説とか映画とかで見る限り、高貴で、知的で、ナイーブで、そこはかとなく憂愁を身に纏ったっていうイメージがあるから…。もしかしたら、ミスキャストだったかも」

<だって、いつも明るくて、大らかな京一のイメージに合わないんだもの…>

 自分の言葉の発する<ひょとしてさやかの歌より上かも知れない>攻撃力に全く気がつかないまま、抱いた感想を率直に述べる龍麻に、哀れ京一はダウン寸前まで追い込まれた。

「健康的なヴァンパイアって、何だかちょっとヘンよね」
「龍麻、今の京一君はまだまだ完成していない状態だから。そこまで言い切るのはちょっと可哀想よ」

 葵の言葉に、龍麻は京一の顔をまじまじと見つめて、あッと声を上げる。

「確かに、良く見ればまだメイク完了してないわ」
「良く見なくても一発でわかるだろッ」

 ようやく衝撃から立ち直った京一の呆れ声に照れながら、龍麻は自分のコメントを軌道修正する。

「…そうか、発展途上の吸血鬼だったのね。でも…開場まであと30分しかないわよ。仕度間に合うの?」

 見れば京一以外のメンバー<ちなみに全員女子生徒>は葵も含めて、全員メイクまで全て完了させている。

「ったく、いざやるとなると面倒くせェもんだな、化粧ってのは。当り前だけど、今までやったコトねェし」
「そうね、やったこと有ったら怖いわよね。それはそれで」

 至極真面目にうなずく龍麻に、京一はまたも調子を狂わされる。

「…と、とにかくこんなの毎朝しなきゃなんねェオンナってヤツを心から同情するぜ。俺が女だったら迷わずその分の時間も寝てたいからな」
「ふうん、つまり京一は寝坊したのね。学園祭のある今日も相変わらず…」

<ドキッ>

 図星を指され、もはや黙り込むしかない京一だった。

 葵は京一の仕度を途中までは手伝ったのだが、そろそろ会場に行って小道具の準備の方もしておかなければと切り出し、

「それでね、龍麻。もし良かったら私の代わりに京一君のメイク仕上げてくれる?」
「それは構わないけれど…私、吸血鬼のメイクってした経験が無いわよ」
「うふふ、龍麻ったら、そんなの誰だってそうよ。龍麻が映画なんかで見たヴァンパイアのイメージでやってくれれば充分だから」

 葵は後はよろしくねと言い置くと、他の生徒らと連れ立って教室からあっという間に出て行ってしまった。


 いきなり京一と2人きり、ぽつんと取り残された龍麻は困惑し切った表情で、京一を見つめ返す。

「本当に私がしてもいいの?普通のメイクだってほとんどやった経験が無いんだけれど」
「ああ、構わねェよ。俺がするよりは千倍マシだろ」

 京一がそう言ってくれるのならと覚悟を決めて、龍麻は葵に手渡されたバッグの中から適当に化粧品を選ぶと、京一の顔にメイクを施していく。

「うーん、他人の顔をいじるのって結構難しいな…」

 とか、

「あッ、やだ、色使いに失敗したわッ。早く拭き取らないと…」

 など、始めの内は龍麻の口から出る言葉と同様、その手付きもかなり危なっかしい限りで、内心京一をして、俺がやった方がまだマシだったかと後悔させる程だった。

 それでも徐々に慣れてきたのか、いつしか口を閉ざし黙々と作業をこなしていく。


「悪いけれど、少し目を閉じてくれるかしら?」
「ん…」

 成すがままの京一は神妙に瞼を伏せる。

<あ…>

 なぜだか急に龍麻の胸がドキっとした。

<やだッ。ど、どうして…>

 今までこんなにも無防備な京一の顔を間近で見るのが始めてだったからだろうか…。

 右手に持つブラシが油断すると、胸の動機と一緒に細かく震えてしまう。それを京一に悟られないよう、左手も添えてそっと瞼の辺りにも色を落としていく。

<こんなモノかな?それにしても…京一ってば睫毛長いのね。鼻筋もすっと通っているし>

 よく亜里沙が『黙っていればイイ男なのに』と悪態つくけれども、

<言われてみれば確かに>

 静かに目を閉じている京一は、不思議といつもとは別人のように感じられる。

<小説とか映画で見た吸血鬼より、もっとずっと格好良いかもしれない…>

 何時の間にかそんな白昼夢めいた感慨に誘われていた。


「あとは…口紅だけ塗れば完成ね」

 その呟きがあたかも呪文だったかの如く、京一が瞼をゆっくりと上げる。

 目に飛び込むのは、リップブラシを手に数種の口紅をパレットの上で混ぜ合わせ一心に色を作っている、龍麻のややうつむき気味の顔だった。

 龍麻はふと京一の眼差しを感じ、目線を上げる。

「どうする?これは自分で塗ってみる」

 ともすれば吐息がかかる位至近に伝わる柔らかな声に、京一は一瞬呼吸するのを忘れる。

「…………悪いけどひーちゃんが塗ってくれねェか」
「了解」

 くすっと口元に笑いを浮かべて、龍麻は手にしたブラシを京一の唇に乗せる。

「ひょっとしてくすぐったい?でもきちっと唇を閉じて、じっとしていてね」

 軽く身じろぎした京一を注意すると、龍麻はそのまま作業を続行する。だが京一の方はそれが理由なのではなく、

<ったく…そんな無防備な顔を間近に晒すなよッ>

 ともすると、今は自分だけを映し出している龍麻の黒い瞳に誘い込まれるように、手を伸ばしこの場で彼女を抱き寄せたいと欲する気持ちを、ギリギリの所で押さえつけている反動からであった。


「やっと、完成いたしました」

 最後の仕上げとして自分が鞄にしのばせていたブラシで前髪を後ろに梳き流すと、龍麻はどんなものでしょうかと京一に手鏡を渡す。

「……」
「あの…気に入らないのかな?どこか変??」

 龍麻が訊ねても京一は無言のままなので、これは葵にきちんと手直ししてもらわなきゃと、龍麻は慌てて席を立とうとする。

 その寸での所で手首を掴まれて、

「違うぜ。まだ仕上げが残ってるって」
「え?」

 その言葉と表情の裏に潜む危険信号を肌で感じ取ったまさに次の瞬間、京一は龍麻の顔に自分の顔を近づけた。

「だ、駄目だってばッ」
「良いじゃねェかよ。いってみりゃ、これは本番前のリハなんだからよ」

 近寄る京一の顔から、龍麻が必死になって逃れようともがくのに対し、人を襲う練習代わりだと言わんばかりに、京一はにやりと笑いを浮かべる。
 いつもだったらそんな京一に押され気味の龍麻も、だが今日は負けてはいなかった。

「絶対駄目ッ!!そんなことをしたら……化粧が落ちちゃうよ…」

 一生懸命自分なりに頑張ったのにと、薄っすら涙すら浮かべて睨み返してくる。

「それに、もう時間が迫ってるじゃない。早く行かないと先に準備してくれているみんなに悪いでしょう」
「ちッ、せっかく美女を襲えるいいチャンスだと思ったのによ…」

 顔を不満げにむくれさせた京一を見て、

「…えせヴァンパイアだわ、やっぱり」

 ぼそっと辛らつな言葉を口にするが、まだ何故だか火照ったままの顔を京一の目から隠そうと、後ろを素早く向いて化粧道具を片付け始める。


 再び訪れた無言状態の2人を呼び覚ますように、突然教室扉が開け放たれた。

「わ〜い、ダーリンだ〜☆」
「フフ、遊びにきたわよ」

 龍麻と京一が同時にその方向を見遣ると、高見沢と、藤咲の2人が手を振りながら近付いてくる。

「あら?2人きりだったなんて。何だかとってもお邪魔虫だったみたいね、アタシたち」
「そ、そんなこと無いわよ。もうこの教室から出ようってところだったの」

 藤咲の言葉を必死に打ち消す龍麻に、高見沢も援護といえない援護射撃をする。

「そうだよ〜。だってこの教室、2人きりじゃないよ〜。わ〜、こんにちは〜」

 どうやら高見沢には、残り3人の目には見えない存在が見えているらしく、誰もいないはずの空間にまで愛想良く挨拶を始める。

「うふふッ、隣の教室にもお友達いっぱいだって〜。ほら、すごく喜んでいるよ〜この子」

 みんなにもこの感激を伝えたいって言ってるよと、それはそれは無邪気な笑顔の高見沢の言葉に、

「き、聞きたくねェ…」

 恐らく今日のイベントに合わせて裏密が呼び寄せたんだろうと、京一は背筋に鳥肌を立てながら耳を塞ぐ。


「ったく、情けないわね、京一。そんなアイツなんか放っておいて、どう龍麻?アタシたちと付き合ってくれない」

「何に?亜里沙」

 見当が付かず、小首をかしげる龍麻だったが、次の言葉を聞いて仰天する。

「龍麻が一緒だったら、男からのナンパ率がグッと上がると思うんだけど」
「ちょッ…亜里沙ッたら、突拍子も無いこと言い出さないで!」

 慌てふためく龍麻と、自分を鋭く睨みつける京一を交互に眺めやって、藤咲は冗談よと艶然と笑う。

「あんたたち2人の仲を裂くようなマネ、アタシがする訳ないじゃない。それでなくても…この間は大迷惑をかけたんだし。その…本当にあの時は…」

<…亜里沙……?>

 先だって自分が行方不明になった愛犬エルを共に捜してくれと依頼したことが、その後に起こった京一失踪に繋がったのだと藤咲はずっと自責の念を感じていた。せめて自分たちに謝罪をしに、というのが今日学園祭を訪れた本当の理由だったのだと、龍麻は藤咲の言葉と表情からすぐに気付いた。

「アタシ……」

 藤咲の唇が謝罪の言葉を紡ぎ出そうとするのを、龍麻はやんわりと制する。

「亜里沙が気に止むことは無いわ。誰だって自分の大切な者を見失った時、どうしようもなく不安になる…。ましてや亜里沙にとってエルは弟さんのような存在…そうでしょう?」

 龍麻の言葉に京一も高見沢も黙ってうなずく。だが、藤咲はまだ自分を許せないと言いたげに表情を強張らせたままだった。


 そんな彼女に龍麻はすっと近付くと、他の2人に聞こえないよう耳元でひそっとささやく。


「龍麻…」

 藤咲は目を見開き龍麻を見つめ返すと、龍麻がはにかみつつ、ありがとうと感謝の意まで表すので、藤咲はますます驚きの余り言葉を失う


「ちょっとォ、ダーリン。さっきから亜里沙ちゃんとだけ仲良くしてるなんてズルい〜。舞子も仲間に入れてよ〜。ね、いいでしょう?」

 拗ねた口調の高見沢が子供っぽくふくれっつらをつくり、横から割り込んでくる。

「ゴメンね、舞子。もう話は終わったから。そうよね、亜里沙」
「……そうだね」

 藤咲はこの子といるとシリアスなムードも何もあったもんじゃないと、表情を緩める。

「亜里沙ちゃんはね〜やっぱり笑っている方がずっとステキだよ〜。その笑顔のまんま、お祭にれっつごー」
「ふふ、ありがとう舞子。で、あんたはこれから何処に行きたいの?ま、大体想像はつくけれど」

 高見沢は嬉々として学園祭のパンフレットを藤咲に見せている。まるで仲の良い姉と妹といった2人の様子に、龍麻までほのぼのとした気持ちになってくる。と同時に、高見沢の明るさと優しさに出会った時からもう幾度と無く救われているなと、藤咲と同じく感謝の気持ちを胸に抱いた。

「何か食べに行たいな〜。あッ、こっちのたこ焼き屋さん美味しそ〜、でもクレープも捨てがたいし〜」
「はいはい、分かった。それじゃアタシは、この欠食児童と一緒に適当にそこらを回らせてもらうとするわ。龍麻もアタシたちと一緒に何か食べにでも行く?」
「ううん、今はまだお腹空いてないし、自分のクラスの様子も気になるから、一旦教室に戻るわ」

「ダーリンのクラスは何をやってるの〜?」

「一応、喫茶店…」

 なら好都合じゃないと、藤咲が言うので、結局3人連れ立って3−Cに向かうことになった。


「じゃあ、京一、開場したら顔を出しにまた来るわね」

「おう」

 ひとまず京一と別れると、龍麻らは廊下に出た。途端に自分の方を見て、クスっと笑う藤咲に龍麻は軽い不信感を抱く。

「な、何よ。亜里沙」
「ううん、龍麻ったら相変わらずねって思っただけ」
「ん?………ま、まさか…」
「キスの1つも満足にさせてあげないなんて。アタシ、アイツが少しばかり気の毒に思えてきたわ」
「!!!!」

<あの場面、見られてたのッ!嘘ッ!!>

 恥ずかしさの余り、耳たぶまで赤く染めた龍麻は文字通りその場から逃げ去るように走り出した。

「あ、先にいかないで〜。舞子、ダーリンの教室がどこなんだか分からないんだから〜。ねェ、ダーリンったら〜〜!!」

 その後ろをパタパタと高見沢が追いかける。藤咲は、ちょっとからかっただけなのに、あんなに照れなくてもとせせら笑う。

<でも、あんな程度でも照れる龍麻から、さっきみたいな言葉を口にしてもらえるなんて、思いもしなかったわ>

 藤咲は龍麻が囁いた言葉を、もう一度頭の中で反芻する。


──それに…あの事件のお陰で、私の中で京一という存在がどんなに大きくて大切なものなのかが分かったの…

「…ちょっとはアタシ、イイコトしてあげたのかな。あの2人にとっては」

 ここしばらく自身を苛<さいな>んでいた暗い感情がさらさらと清められていく。
 藤咲はやっぱり今日思い切ってここに来て本当に良かったと、ふっと笑みを零した。

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