≪拾≫
ロビーに現われた京一を見、醍醐は怪訝そうに眉をひそめる。
京一がにやけ顔を浮かべたかと思えば突然しかめ面に変え、はたまた明後日の方角を見てため息をついてはふいに思案顔を作ったり、突如顔を赤らめては、仕舞いには一人でうなずいたりと、どうにも表情に脈略が無かったからだ。
「どうした京一」
醍醐が話しかけても、京一は上の空のままだった。
京一としては先程の龍麻との一連の出来事を思い出して、その甘い余韻に浸りたい所だったのだが、ともすると犬神に踏まれた左足と、龍麻からの【掌底・発剄】を浴びた腹部がまだ時折疼くのだった。そしてその痛みで冷静になれば、やっぱり入浴シーンも堪能したかったなどと惜しんだり、そもそも何で龍麻はあの時露天風呂に行かなかったかその理由を考えたりと、頭の中が忙しいことこの上ないのである。
<ひょっとして…ひーちゃんって今日アレだったのか?>
そう考えると、いつもより【掌底・発剄】が飛び出すのが早かったのは、ソレのせいで機嫌が悪かったからなんだと一人納得する。
<けど、まだ残り三日有るし、これからでもチャンスは巡って来るぜ>
「京一、そのだらしない顔をそろそろシャキッとさせんか」
「うるせーな。負け犬に説教されたかねェよ」
負け犬という発言にムっとする醍醐だったが、そこに思わぬ助っ人が登場する。
「野良犬に負け犬呼ばわりだけはされたくないわよね〜、醍醐君」
つかつかと一直線に京一の目の前に詰め寄るのは不機嫌な顔をしたアン子だった。
「な、何だよ、いきなり現われて。大体誰が野良犬だ」
「アンタよ、そこの蓬莱寺京一!アンタがどーも臭いのよね」
「風呂ならちゃんと入ったぜ」
いけしゃあしゃあと答える京一の言葉にアン子は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、更に詰め寄る。
「ついでに入らなくてもいい風呂まで覗いてきたんじゃないの?」
<ドキッ>
この心の動揺を悟られてはならないと、京一は必死で平常心を保とうとする。
「そんな真似するか。大方狸か狐の仕業だろッ」
「ふーん、随分と大きな狸だこと。ま、いいわ。そういうコトにしておいてあげる。それより龍麻はまだ来て無いわね。露天風呂で会った時、お風呂から上がったらここで待ち合わせしようって約束してたんだけど…」
「嘘つけ。ひーちゃんはお風呂に入ってねェだろ」
「そうなのか?遠野」
醍醐の突っ込みに、京一はあッと言葉をつまらせる。
「ふふふふ…まんまと尻尾を出したわね京一〜」
「んふふふ〜そうか〜さっきのは京一く〜んだったのね〜」
アン子のみならず裏密までもが忽然と現われ、二人揃っての薄ら笑いに、京一の背筋には冷たいモノが流れる。
「ちなみに〜ひーちゃんがさっきお風呂に来なかったのは〜この付近の山について宿の人に色々と話を聞いてたから〜。もしかしてひーちゃんもミサちゃんと同じ目的なのかな〜。だって〜この山には〜……」
そこまで言うと、この先は皆には内緒だと口を閉ざし、すーっと立ち去っていった。
「…そういう理由だったのか…成る程な」
宿に来る直前、龍麻はあのように突き放すような発言をしていたが、その後龍麻なりに何か出来ることは無いだろうかと模索した結果の行動だろうと京一は正しく推理した。
「何ぶつぶつ言ってんのよ。それよりこの不祥事、どうお仕置きしようかしら…」
「クッ……」
自業自得だなと醍醐の呟く言葉が京一の耳に滑り込む。
結局口止め料を払うことで、アン子と和解することが決定した。
「地獄だ…」
ぼやく京一をよそに、アン子は醍醐に今日の班行動で何か有ったのかと訊ねる。
「ああ、それなんだが…、おッ、丁度良い。全員揃ったな」
醍醐たちの元へ、葵と小蒔、そして彼女らと待ち合わせしていた龍麻も合流する。
全員が顔を突き合わせたところで、老婆から聞いた話をアン子に説明した。
「おばあちゃんは天狗さまの仕業だって信じてたけど」
「それなんだけれど…」
夕食の後、宿の従業員全員に話を聞いて廻ったのだが、似たような話が返って来るだけで、中には本気で天狗の仕業だと力説する者もいたと龍麻が報告する。
「どうやらこの話、単にあのおばあさんがこの辺りの昔話を盲信していたというだけでは済まされない感じね」
「ふーん、そう、天狗ね〜」
「随分と冷静だな、遠野」
「まあね。この辺りは天狗伝説の宝庫だから。愛宕山・鞍馬山・比良山は特に有名よね。それに江戸中期の『天狗経』には日本全国の山々には全部で12万5千百もの天狗が存在すると書き記されてるわ。そう考えたら、山岳信仰の残るこの集落で天狗の仕業だと信じられるのは別に珍しくないんじゃないの。どう?あんたたちはこの話本当に天狗の仕業だと思う」
「俺は天狗の面をつけた奴の仕業だと思ってるけどよ」
「あたしもそう思うわ。にしては京一、あんた、随分と神妙な顔してんじゃない」
意味深な目でアン子は京一を見る。
「まださっきの件で落ち込んでるの?」
「さっきの件?まさか京一…」
龍麻が顔色を変えたので、京一は必死で言葉を重ねる。
「その…俺が引っ掛かってんのは、面を被った奴にロクな連中が居ないってことなんだよ」
「……そうね。私も地元の人から話を聞いている間に似たようなことを考えたわ。この地の伝承を隠れ蓑にしているのじゃないかしらって」
「龍麻…ひょっとしてここでも鬼道衆が」
葵の言葉に龍麻は沈黙を守り、代わりにアン子が焚きつけるような発言をする。
「その残党か…もしくは新しい敵か…」
ここまで煽れば、彼らがこの後どう行動するか熟知しているので、最後まで言い切る必要は無いとアン子は敢えて語尾を濁らせる。案の定、小蒔が正体を確かめようと俄然躍起になる。
「今からか〜?冗談じゃないぜッ」
色んな騒動に巻き込まれて、やや疲労困憊気味の京一は反対を唱える。沈黙した様子からてっきり自分と同意見だろうと思いきや、龍麻も小蒔の考えに賛同を示す。
「ひーちゃん、何も今日、それも今夜行くこたねェだろ」
しかし龍麻は頑なに行くと主張する。
「宿を抜け出すのは良くないと分かっている。でもすごく気になるの…」
「京一〜。グダグダ言わず、ちゃっちゃと調べて来なさいよ。それとも何?あたしの言うことが聞けないっていうの?」
切り札をちらつかされては、京一はぐうの音も出ず承知する。
全員一緒に抜け出すのは人目につくだろうというアン子の助言で、一旦散会し、各自がバラバラに抜け出したところで再度集合するという運びになった。
そのアン子だが、意外にも別れ際になって大人しく留守番していると自分から申し出る。
「今回は労せずともタダで情報が入手できそうだしね」
そのタダという言葉の裏にはこの先アン子に対して奉仕活動を強要されることを匂わせているんだと、京一はこっそり腹の底でため息をついた。
≪拾壱≫
龍麻が従業員らから聞き出した天狗らしき姿の目撃例の多い場所をまずは目指し、山間の道を歩き続ける。
「ふあ〜、すごい星空…」
「うふふ、小蒔ったら、そんなに上ばかり見ながら歩いていると、転んでしまうわよ」
「ゴメン、ゴメン。東京じゃこんな沢山の星なんて見られないからさ」
「街の明かりが星の光を遮ってしまうからな」
どこかハイキング気分に浸って歩いている葵たち三人に比べて、龍麻はやや面持ちが違っていた。
「どうした…ひーちゃん」
「あ…その…さっきはゴメンね。京一…」
「イイって、気にすんなよ。けどそれだけじゃねェだろ、さっきから気にしてんのは」
「……この《力》…どうして………かしら」
「ん?」
言うべきかどうか一瞬迷ったが、葵たちと少し距離が離れていることもあり、思い切って打ち明けてみる。
「鬼道衆との闘いは終わったのよね。それなのに、どうして私たちの《力》はこのままなのかしら」
まるでこの平和は偽りのものだとあざ笑われているように龍麻には感じられてならない。
「平和ってただ護るものじゃなくて、常に闘って勝ち取るものだっていう意味なのかしら」
「さあな。だが、少なくとも今回ここの天狗騒動の首謀者はそう考えてんじゃねェのか。だからだろ、ひーちゃんが逢いたいって強く思ったのは」
「……うん」
うなずきながら、だが、半分しか納得できていない自分を自覚する。
今までは異形の《力》を持った者との闘いだった。だから自分もそれに対抗する為に人ならざる《力》に目覚め、躊躇いつつもそれを振るってきたのだ。
いわば降りかかってきた火の粉を払うに等しい行為だったともいえる。最後の九角との闘いを除けば。
そういう意味で、自分から闘いを望んだことは無いに等しかった。
葵の口にする「護る為に闘う」という言葉、自分は本当にそれを実践できていたのだろうか、そしてこれからも…。この先護るべき物が何なのか、それを見失っているから、こんな処でまた迷っているのかもしれない。
<ううん…違う。今、見失っているのは……私自身の存在そのものかもね…>
満天に輝く星々を愛でながら歩むよりも、複雑に絡まりあう木の根っこに足を取られないように山路を歩く、それこそが今の自分の姿に相応しいと、龍麻は山の大気にそっと自分のため息を混じらせた。
同時刻、龍麻と同様に美しい星空を愛でる余裕の無い人物がいた。
レジャー開発事務所という看板の掲げられた事務所の一角で、中年の男が声を荒げ、目の前の男に自分の窮状を訴えていた。
「調査の許可が下りたと思ったら、今度は天狗騒動。資材は谷に落とされるは、ショベルカーはパンクさせられるはで、工事は中断に追い込まれた。ったく、好き勝手に振る舞いやがってッ!!」
「そう言うが、ここで好き勝手に振る舞ってるのは、社長、あんたの方じゃないか」
皮肉交じりの笑いを浮かべるのは、それよりはまだ若い──しかし、隙無く上下黒いスーツを身につけた姿といい、顔面に走る一筋の傷跡といい、社長と呼ばれた中年男性よりは貫禄という点では遥かに上回っている男だった。
「……う。これは恐らく村の者の仕業に違いない」
相手の眼光に耐えかね俯いた男は額から吹き出る汗を拭いながら、それでも何人か犯人として思い当たる限りの人物の実名を挙げてののしっていった。
「それで、俺にどうしろと…」
閉口した男は、今度は自分から話を切り出す。
「ここのレジャー施設はお宅の組にとっても重要な収入資源となるはず。ですので、ちょっと若頭さんのお力を借りられれば」
「この話、うちの組長(オヤジ)には話したのか」
相手からの反応が無いので、若頭は犯人を殺ればいいんだなと相手を追い詰める。
「いいえッ、滅相も無い。しばらく足腰が立たなくなる位に痛めつけてくれれば、はい」
武器(ヤクザ)の扱いも知らぬ小心者がと腹の底で笑うが、これも仕事の内だと割り切り、現場に案内するように命じる。
「……何!?…」
最後尾を歩いていた龍麻が気配を感じて素早く後ろを振り返る。しかし背後には闇色をした森が黒々と不気味にただ広がっているだけであった。
「どうかしたの?龍麻」
「ううん、何でも…。それよりもうすぐよ。天狗の目撃例の多いという工事現場は」
そう言った直後、今度は葵が前方で何か物音がしたと龍麻に囁く。
「行ってみよう」
醍醐が先陣を務めて近寄ると、そこには噂通りの天狗が居たのだが…。
「ねェ…天狗って木から落ちるもんなの」
「どうかな?しかし猿も木から落ちると言うし」
小蒔と醍醐の呆れた声からも分かるように、この天狗は無様にも木から転落したようである。
「ぶ、無礼者。我を猿などと…。この山は我、鞍馬天狗の御山ぞッ!これを汚す者は即刻去ねい」
「去ねいってどういう意味だよ」
京一からの質問に、天狗は律儀にも答えを返してくれる。
「クッ、立ち去れという意味だ。前後の文脈から分かるだろうッ」
「ご親切に教えてくれてありがとよ。それともう一つ、あんたが俺たちに教えてくれたのは、あんたが天狗のフリをした大根役者だってことだぜ」
「正体を明かせば乱暴はしない」
自分より遥かに体格の良い醍醐の姿に若干たじろいだようだが、それでも果敢に立ち向かってくる。
「う、煩いッ。そうか、お前らあいつらの回し者だろう。俺たちの山を汚すような真似、これ以上させてたまるかッ」
「あ〜あ、交渉決裂だよ。やっぱ京一と醍醐クンだとこうなっちゃうのかな」
「小蒔、そんなのん気なこと言っていないで、早く誤解を解かないと」
二人の間に割って入ろうと龍麻が近付くより早く、
「止めて、隆!その人たち、ウチのばあちゃんを助けてくれた人たちよ!!」
彼方より飛んできた女性の声が一触即発の空気を吹き飛ばす。
朋子と名乗ったその女性は、不承不承天狗の格好を解いた男について、自分の幼馴染で名前は隆といい、現在は村の青年団に所属していると五人に説明した。
「昼間はウチのばあちゃんが大変お世話になりました。うふふ、ばあちゃんったら同じ話を何度も家族の者にするんですよ。東京から来た学生さんに親切にしてもらったって」
「東京…ふん、他所者が…」
朋子の話を聞いても尚、隆という男は警戒心までは解いてくれないようだった。
「確かに…私たちはこちらに住む方にとっては他所者でしょう。ですけれど、もしかしたら少しでも力になれるかもしれません。あなたが、あなたたちが危険を冒してまで護ろうとしているもののためにも」
「葵…」
龍麻は葵を見遣る。
月光に浮かび上がるその柔和な顔立ち、だがそこには揺るぎ無い信念が宿っていた。
それは葵だけで無い。京一も、醍醐も、小蒔も、それぞれがそれぞれの表情を見せながらも、抱いている信念は葵と一緒だと龍麻には感じられた。
「そこまで言うんだったら…」
隆にもその想いは伝わったのだろう、ようやく胸襟を開くと、この山で起こっている出来事を話し始めた。
まず最初に話してくれたのは、この山の先代の地主が亡くなった後、山を巡る地元との争いであった。
「今の地主さんが跡を継いで間も無く、先祖代々の土地を売り払ってしまって、そして村の者に立ち退きを迫ってきたんだ。青年団と役所と開発会社の間で話し合いも続いているが、平行線を辿る一途で。それに業を煮やした開発会社が現地調査と偽って、建設用地の地ならしや、最近では反対する住民に直接嫌がらせをし始めた。そのせいで、村には諦めのムードがすっかり強くなっている」
大学で自然保護に関する勉強をしている隆にとっては、そのこと以上に許しがたいことを開発会社は行っているという。
「この山は貴重な大樹や湧水、生息している動物や昆虫も数知れない。その自然の生態系と水系を無視し、力づくで工事を始めている。このままじゃ地下水だって駄目になる。第一、あんな無鉄砲に掘り起こしていたら地盤だって…」
それだけじゃないと朋子は地元に古くから語り継がれてきた天狗にまつわる伝承について説明した。
「特に鞍馬天狗は元々京都の鬼門を護る鞍馬寺の本尊、多聞天の夜のお姿で別名を魔王大僧正とおっしゃいまして、そして日本最大の大天狗として絶大な除魔招福の験力を持っておられるんです。だから先代の地主さんや私たち村の者は、山の自然を護ると共に、山の守り神として天狗を崇め、それを祀った祠を大切に護ってきたんです」
「そうだ、天狗様もきっと俺たちに力を貸してくれるはずだ」
「だから天狗の格好をしていたのね…。でもこれ以上続けるのは危険だわ。相手の開発会社だってこの事態を黙って見過ごすとはとても思えないし」
隆の無謀ともいえる行為を諌める龍麻の言葉に、朋子は憂い顔をする。
「ウチもそう言ってるんですが…隆がどうしても止めてくれなくて」
「分かっている。でも目の前で自然が壊されていくのをただ黙って見過ごす訳にはいかないんだ」
熱弁を振るう隆の決意の固さに、龍麻が翻意するのを諦めた矢先、こういう伝承話を鼻先で笑い飛ばしそうな京一が、意外な言葉を口にする。
「天狗様も一人じゃ辛いかもしれねェが、六人位になったら何とかなるかもな」
「そうだな、所詮その場しのぎだが、しばらくの間完全に工事を中断させること位なら出来るかもしれん」
二人の言葉に賛同するように、葵と小蒔もうなずく。
「当然ひーちゃんも、だろ」
「……ええ、そうね。そうだったわ。何事も行動しなければ結果は生まれないもの」
「ということで話は決まりだ。済まないが俺たち五人を件の工事現場まで案内してくれ」
「あんたたち……ありがとう」
「ありがとうございます…」
感謝の気持ちで声をつまらせながら、隆と朋子は歩き慣れた山道を案内する。
≪拾弐≫
程なくして目の前の森が途絶えたかと思うと、その辺り一帯の山の斜面は、月光を浴びながら無残な切り口を静かに五人の前に晒していた。
「酷い…こんなやり方ってないよッ」
「こんなにも沢山の木を切り倒して…ここだけぽっかりと更地になっているわ」
「この辺りには天狗の祠が有ったんだ。奴らは俺たちが大切にしていたものを土足で踏みにじりやがったんだ」
「ここまでとは…」
龍麻はこの光景を見て言葉を失い、京一や醍醐は既にやる気をみなぎらせている。
「よっしゃ、それじゃここはいっちょ俺たちが大暴れしてやるか───」
「ったく…近頃のガキはタチが悪いな」
「誰だッ」
黒づくめのスーツを着た男が、工事車両の陰から組員と共に姿を現した。
「最近話題の天狗を拝みに来たんだが、どうやら無駄足にならず無事に現われてくれたようだな」
「お、お前らだなッ。開発会社が雇った連中は」
怒りに震える隆を、男は一瞥する。
「ふん、いくら偉そうな言ったところで、所詮お前らのやってることは犯罪よ。山を護る天狗たァ、笑わせてくれるじゃないか。いいか、ここにレジャー施設が建てば村も潤う、街も発展する。ガキの出る幕じゃねェんだ」
さっさと帰れと冷たく言い放つが、隆は一歩も引かないと主張する。
「この山には俺たちの護りたい物が、村の魂というべきものが沢山あるんだ。それを簡単に諦めるなんて出来るもんかッ」
「隆…」
隆の傍らに立つ朋子も恐れずに男の方をじっと睨む。
「どうやら、どの顔も口じゃ納得できないようだな。いいぜ、相手になってやる。その代わり腕の一本や二本は覚悟しておくんだな」
「へッ、天狗退治にヤクザを雇うとは、レジャー開発も物騒になったもんだねェ」
京一は木刀を抜きながら前進する。そのすぐ背後には醍醐が続く。
そして龍麻も……
「龍麻、今回はあなたも闘うのね」
「あの二人だけでも大丈夫だとは思うけれど、相手が玄人さんだから念の為。葵と小蒔はこのまま後方で隆さんと朋子さんたちを護っていてね」
「了解ッ。あーあ、でもこんな展開になるんだったら、無理しても弓矢持って来れば良かった」
「小蒔、こんな視界の悪いところじゃ、どの道飛び道具は役に立たないわ」
「違いないねッ。それじゃ、こっちはボクたちに任せて行ってきなよ」
「おい、あんたたち、あの女の子をヤクザ相手に闘わせる気なのか?」
「そうよ、危ないわよ」
龍麻が前線に向かった直後、隆と朋子が揃って葵たちに何故止めなかったのかと抗議する。
「心配ご無用。ああ見えてもボクたちの中でひーちゃんが一番強いんだから、ねッ葵」
「ええ、そうね……龍麻なら大丈夫ですから」
安心して下さいと口にしながらも、その実、葵には少し不安があった。
闘いに向かうと背を向けた龍麻の身体から、若干だが怒りの《氣》を感じ取れたからだ。
<恐らく…この地を踏みにじったことに対する人間への怒り。この山間に渦巻くそういった一切の《氣》が龍麻に影響しているんだわ>
《氣》に敏感なのは葵も同様である。
だから《氣》を感じ取る能力を持つ者が味わう苦痛というのを葵は理解しているつもりである。そして《氣》とは人間を含む、生きとし生けるあらゆる存在から発するのだということ、それも理解している。
だが葵の場合はどちらかといえば人の感情が生み出す《氣》のみを感じ取ることの方が経験上多かった。龍麻のように、あらゆる《氣》を感じ取ってしまうという能力が、実際の所どれだけその身に過多な負担を強いることになるのか…そこまでは葵にも想像できなかった。
<どうか気をつけて…龍麻>
龍麻が前線に顔を見せたところで、京一と醍醐はいつもと同じ闘い方をするだけであった。基本的に得物を持った敵には京一が、耐久力の有りそうな敵には醍醐が、そして、最も攻撃力の高い敵に龍麻が立ち向かう、それがいつもの戦闘スタイルだった。
「ほう、俺も随分とナメられたもんだ」
そう言いながらも若頭は構えを取る。
一方、相手のその構え方から足技を主体に使ってくると瞬時に判断した龍麻は、
<相手の方にリーチが有る分、逆に技と技を繰り出す間に生じる隙も大きい。この闘いを早く終わらせる為にも…>
先日の九角戦で体得した【八雲】を繰り出し、あっさりと退けてしまう。
九角を相手にした時と違い、今回は大分手加減したことから息一つ切らさずに立っている龍麻だが、どういう訳だか心の奥に渦巻く想いを静めることが出来ずにいた。
<駄目だわ…こんなことをしても、また同じことの繰り返し。この人たちは私たちが居なくなったら、またこの土地を荒らしてしまう。どうすればいいの…私たちは…>
所詮これではその場しのぎに過ぎないという空しい気持ちになった龍麻に、ならばいっそ…と地の底から湧き上がる不気味な声が囁きかけてくる。
──ならばいっそお前の持つ《力》で元凶を全て消去してしまえばいい
<元凶を…>
龍麻は自分の中に湧き起こった得体の知れない感情に身震いした。
元凶とは即ち人間。それを消去せよとは…
<まさか、そんな真似できる訳ないわ。私の《力》はそんなことをする為に存在するんじゃないッ>
龍麻は襲いかかる呪縛に抗おうと、必死に否定の言葉を叫ぶが何故だか声にならない。
──さあ、早く…復讐するのだ。我らから全てを奪おうとする薄汚い人間共に
<…違う…こんなのは…絶対違うッ>
朦朧としかけた龍麻の脳裏に、その時浮かんだ人物は──
<九角……。もしかして、あなたは……>
その時、忽然と一陣の風が龍麻の身体を吹き抜けた。
同時に苦痛をもたらす声が掻き消え、代わりに別の声が龍麻に囁きかける。
──おー、久しぶりやないか、龍々。相変わらずエライ別嬪さんやな〜
どこかで聞いたことのあるような声だが、それが誰の物なのか龍麻にははっきりと思い出せなかった。それでも懐かしいという感情は不思議と込み上げてくる。
──ま、それはそれとして、またわいの遊び場を無茶苦茶にしよるヤツが現われたとはなぁ。全く人間ちゅうのは懲りんというのか、なんちゅうか。けど、また助けてくれておおきに
<で、でもッ>
このままでは何も解決していないと、龍麻は懐かしい《氣》を感じる相手に心の中で話しかける。
─ん〜そうか…。よっしゃッ、そんならまた龍々にわいの《力》貸したるから、それであんじょうお気張りや
澄んだ山の大気が凝り始め、みるみる龍麻の中に流れ込んでくる。
「あ…」
一瞬羽が生えたかのように身体が軽く感じられたと思うと、龍麻の全身から《氣》が四方八方に向けて解放された。
瞬く間にその場に居た全員の目に信じられない光景が映し出される───
「こ、これは…」
「一体、俺たちは何を…」
隆と朋子が見たのは、自分たちが育ち、大切に護ってきたこの山の在りし日の姿だった。
若頭も自分を包みこむ異変に信じられないといった表情をする。
「まやかしか…いや違う。これは…俺がガキの頃に過ごした街だ」
京一も、葵も、醍醐も、小蒔も、皆がそれぞれ違う光景を目にしていた。
それは──
それぞれを育んでくれ、懐かしさに胸がいっぱいになり、心がじんわりと温かくなる…
誰もが護りたいと心の奥で大切にしている『ふるさと』そのものだった。
そして龍麻もまた…。
「これが…私の護りたいもの…」
龍麻が目にした光景は、正確に表現すれば見たことのある光景では無かった。
だが不思議と胸がしめつけられ、愛おしさが募ってくる…。
これは明け方には儚く消え去ってしまう夢のようなものかもしれないが、それでも今、自分は微笑んでいられる。だから…これで充分なのだ──と
龍麻の心は、いつしか静かな幸福に満たされていた。
≪拾参≫
やがて龍麻の中の《氣》がいつもの状態に戻ると共に、辺りの光景は元の工事現場の殺風景なものへと変化する。
「何だったんだ、今のは…」
居合わせた者は口々に同じ様な言葉を発し、この場からは闘おうという殺伐とした雰囲気がすっかり霧散していた。
「…それでお前ら、これからどうするんだ」
「悪いが機械は壊させてもらう。そうすれば少しの間だが、これ以上の開発は防げる」
若頭は無駄な真似だと醍醐の発言を冷笑するが、それに対して隆と朋子が果敢にも反論する。
「無駄かどうか、やってみなきゃわからない。たとえ無駄でも、黙って見てるなんて俺には出来ないんだよ。この山の自然は俺たちや沢山の生き物たちをずっと昔から護り、育んでくれたんだ。だから今度は…俺たちが恩返しする番だ」
「この山の木も花も…鳥や虫や獣だって、ここに生きる権利が有る筈よ。それにあなたにだってさっき見えたでしょう、あなた自身の故郷が…。そこには大切な想い出があるでしょう?絶対に護りたい何かがあるでしょう…?」
心情ほとばしったその言葉に若頭は少し目を閉じ、先の光景を思い返した。
「ふッ…護りたい何か…か…」
目を開け、ガキの感傷には付き合ってられないと二人に言い放つと、
「──帰るぞッ」
背後に控えていた組員らに有無を言わさぬ迫力で命じ、背を向ける。
そして、そのまま振り向きもせず龍麻たちに話し始める。
「おい、ガキ共。そんなに工事を止めさせてえなら、もっといい方法があるぜ。ここの開発会社は裏でヤクザと癒着してますって広めてやんな。何、うちの組は痛くも痒くもねえ。もともと組長もこの話にゃ乗り気じゃなかったんだ。 それにこの山にゃ──」
最後は独り言のように締め括り、闇の中に姿を消した。
「本物の天狗が居るかもしれねえしな……」
「えへへ、カッコつけちゃって…。でも良かったね二人とも」
「本当に、何から何まで…ありがとうございました」
朋子は感涙を目に浮かべたまま、何度も頭を下げる。
「さっきの連中の話はどうするつもりだ」
「明日、村長にこのことを報告する。青年団でもう一度話し合って、村ぐるみで反対運動を起こすんだ。きっと…この山を護ってみせる」
隆はありがとうと、五人に心からの礼を言う。
「二人とも頑張って下さいね。私たち応援していますから。それじゃあ、私たちもそろそろ帰りましょう」
「え、もう行ってしまうのか?」
隆は龍麻の発言に、ゆっくりお礼もしていないのにと残念そうな顔をするが、葵はもう時間が迫っているからと丁重に断りを入れる。
「うふふ、もうすぐ消灯の時間なんです、だから私たち急がないと」
そういうことならと、隆が近道を案内してくれたので、来た時の半分の時間で宿の入り口まで辿り着くことが出来た。
「それではお気をつけて。楽しい旅行を続けて下さいね」
「さようなら」
別れを告げる、互いの表情は明るい笑顔だった。
「たまには、こういうのも悪くねェよな、な、ひーちゃん」
「ええ。……こんな気持ちになったのは初めてよ」
「ああ、そうだな…」
破壊するだけのものと思っていた自分の《力》が、こういうことも出来るのだと教えてくれたあの懐かしい声に、そして山々に龍麻は心から感謝を捧げる。
その時、龍麻の頬を心地良い風が一撫でする。
龍麻はその風に乗って微かに感じられた《氣》に想いを馳せ、そっと笑い声を出すと、京一もまた自然と笑い返す。
静けさを取り戻した里の夜は、いつも以上に穏やかに人々を安らぎで包み込んでくれていた。
≪拾四≫
「アナタたち。こんな時間まで一体ドコへ行っていたの!」
だが、京一と醍醐からはその安らぎが潮を引くように急速に遠ざかっていった。
二人を前に立たせお説教をするマリアに、京一は醍醐の生徒手帳を探しに行っていたと苦しい言い訳をする。
「嘘おっしゃい。ともかく朝までここで正座して反省なさい」
「朝まで…」
思っていた以上の重罰にさすがの醍醐も息を呑む。
「それはアナタたちの態度次第です」
ここまでは立腹した表情のマリアだったが、
「どれだけワタシが心配したか…」
そう嘆き萎れる姿には、京一も醍醐も胸を痛める。
「センセー、違うんだ!!実は俺が木刀を落として…」
京一としては、宿を抜け出したのはのっぴきならない用事だったと言いたかったのだが、それが逆効果となり、マリアの逆鱗に触れてしまった。
「Shut up!(おだまりなさい!) 言い訳してもダメです。ここでじっくり反省してもらいますからねッ」
「京一…お前…」
醍醐が横目で睨んでくるのを無視しようと京一が視線をそらすと、そこにはニヤニヤと口元に笑いを浮かべたアン子が立っていた。
「アラ、どうしたの?二人してこんな所で正座なんて〜」
「し、白々しい…」
「アン子、てめェ、マリアセンセーに何か余計なコト吹き込んだだろ。どうして一緒に抜け出してたひーちゃんと美里と小蒔が無罪放免で、俺たちだけがここで正座なんだよッ!」
「あの三人が落とした財布を探しに行ったのは知っているけど、あんたたちのことまではねえ〜」
「何…ッ」
これは京一の女子風呂覗きに対するアン子からの報復行為だと醍醐は悟った。無実である自分まで巻き込まれるのは非常に不本意なのだが。
「そうか、財布にすべきだったか…」
しかもその原因を作った人物は、アン子の言葉に的外れな感想を抱いているようで、余計醍醐の気持ちを苦々しくさせる。
「蓬莱寺クン!!遠野さんも早くお部屋にお戻りなさい」
「は〜い、分かりましたマリア先生。って、あら…?龍麻じゃない。これから一人でどこへ行くの」
龍麻は今から露天風呂に行くのだと言う。勿論マリアの許可有っての特別措置であった。
「さっきの時間にお風呂入れなかったから…」
「フフフ、緋勇サン。ミンナには内緒なんだから、成るべく見つからないように行きなさいね」
「はい。それじゃ、失礼します」
龍麻は正座している京一と醍醐の前で立ち止まり小声でごめんなさいと謝ると、小走りに去って行った。
「まあ、これも日頃の行いの差というものか…。うん?どうした、京一」
「ちくしょー、こんなんアリかよォ〜!!これからひーちゃんが、露天風呂に入るっていうのが確実に分かってて…。ああ、俺の壮大な計画が音を立てて崩れていく…。クソッ、誰か俺と代わってくれ〜!!天狗様〜〜〜!!!」
「蓬・莱・寺クンッ!!」
真神学園の生徒たちにとって、これが本邦初公開のマリアの怒鳴り声だったという。
そしてその後、京一一人が朝まで正座させられていたのは言うまでも無かった。
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