≪伍≫
鳥居をくぐってすぐ、本殿までの参道には両脇にはずらりと出店が立ち並び、それらを冷やかし半分で物色する人々で境内は相当にごった返していた。
「提灯の灯が明るいね。外は真っ暗なのにここだけはまるで昼間みたいだよ」
「それに結構な人手だな。迷子にならないように気をつけんとな」
注意を呼びかける醍醐に、ガキじゃあるまいしと京一が毒づく。
しかしその舌の根も乾かぬ内にとはまさにこのことで、
「おッ、焼きそばの匂いが漂ってきたぜッ」
「あッ、あっちでくじ引きやってるよ!」
「おい、待てッ。注意した矢先に勝手な行動をするな」
京一と小蒔は同時に叫ぶと、それぞれがてんで別の屋台へ向かおうとする。
渋い顔をして醍醐が二人を押し留めると、「じゃあ…」と小蒔が龍麻にどっちから行きたいかと訊ねてくる。
小蒔の質問に龍麻は間髪入れず焼きそばの屋台と答えた。
その言葉を受け、京一は喜び勇んで目的の屋台に向かって爆走する。
「だよなッ!!そうと決まれば──行くぜッ!!!」
「あ、待ってよッ」
かといって小蒔にも、慌てて京一を追いかける様子から龍麻の選択に不満は全く無さそうだった。
「二人ともはしゃいじゃって」
葵は龍麻と醍醐に笑いかける。
「ところで龍麻が京一君の意見を迷わず選んだ理由って何かしら」
意味有りげに訊ねてくる葵に、龍麻はどこまでも澄ました顔を崩さず理由を説明する。
「単純な理由よ。小蒔自身も教室で焼きそばを縁日で食べたい食べ物の筆頭に挙げてたじゃない」
「成る程。それにしても、あの二人のはしゃぎ様を見ていると、とても高校三年生とは思えんな」
嘆息気味に言う醍醐だったが、その表情は存外に明るい。
焼きそばの屋台の方に目を転じると、一足先に駆けつけた京一と小蒔が三人に早く早くと手招きしていた。
「せっかくの縁日ですもの。負けずに私たちも楽しまなくちゃ。ほら、行きましょう。葵、醍醐君」
屋台の鉄板の上からは、焼きそばをひっくり返すリズミカルな鉄ゴテの音と、漂ってくる香ばしい匂いが絶えず発せられ、それが京一と小蒔だけでなくその場にいる者全員の鼻腔を適度に刺激する。
「いい匂い〜」
小蒔は思わずうっとりとした声をあげる。
「このソースの匂いが食欲を刺激するんだよなッ。早いとこ買って食おうぜ」
「一皿500円か…ボクどうしよっかな…」
お店の人が居るので「値段が高い」という率直な感想こそださないが、小蒔はその値段を前に買おうかどうしようかとお財布を手にしつつ躊躇した。
「小蒔、焼きそばだったら私がおごるわよ」
「エッ、ホント!やったぁ〜!!」
龍麻の言葉に小蒔は遠慮も何もかもふっ飛ばして大喜びするが、京一のからかいの言葉にはたちまち真剣な面持ちへと変相する。
「小蒔、お前ってヤツは冗談抜きで餌(くいもん)につられて誘拐されるタイプだな」
「失礼だな。知らない人からは貰ったりしないよーッだ」
「そりゃ当り前だろ。にしてもひーちゃんも物好きだな」
小蒔に500円玉を渡す龍麻を横目に、京一は自分の焼きそばを注文する。
「ふーんだ、京一みたいに甲斐性無しにそんなこと言われたくないもんね。あッ、おじさん。ボクにも焼きそば一皿ッ」
「俺が甲斐性無しだったら、お前はごくつぶしだろうがッ」
あわや言い合いになりかけたが、その間に割り込む形でタイミング良く店主から白いトレーにのった焼きそばが二皿出された。こんもりと盛られたそれぞれの焼きそばから立ち上る湯気で鰹節がふわふわと陽気に踊っている。
その様子に京一と小蒔は生唾を飲み込む。
この焼きそばを出来立てアツアツの内に賞味しようと休戦協定が無言の内に結ばれると、二人は割り箸を手に、いただきますの挨拶もそこそこに食べ始める。
「うーん…ホイヒイ(おいしい)」
「ほろひょっほひーふはほおふあひはははんへえ…(このちょっとチープなソース味がたまんねェ)」
小蒔はともかく、京一は何を言っているのか四人には全く解読できない。たまらず葵がちゃんと飲み込んでからしゃべった方が良いと京一に口ぞえするが、効果は今一つ上がらなかった。
「全く行儀の悪い…」
「ホント、同じ真神の人間として恥ずかしいッたらないわね」
代わって苦言を呈する醍醐に同意したのは、愛用のカメラとそして大きな紙袋を手にしたアン子だった。
突然五人の目の前に現れたことに京一は驚き慌て、思わず焼きそばをゴクンと音を立てて飲み込んでしまう。
「何でお前がこんなトコに」
「何で?じゃないわよ、この真神の恥!!」
あたしはアンタと違って遊びに来てる訳じゃないのと、京一を鋭く睨みつけながら言い放つ。
小蒔も京一を非難するアン子の言葉に居心地悪くしたのか、お皿の隅に残っていた一口分の焼きそばを慌てて飲み込んでから、改めて話しかける。
「あ、そういえばアン子、今度のPTAの広報に使う写真がいるって言ってたっけ」
「そんなツマンナイ用事なら、さっさと適当に済ませちゃったわよ。とまあその件はいいんだけど、ふふふ、あたしが今追っかけてるのは全く別のものなのよね〜」
アン子は何を追いかけてるのか聞きたいでしょうと思わせぶりの笑顔をふりまく。
「まさかまた事件かッ」
「事件と言えば事件かも…。でも醍醐君の想像しているようなネタじゃ無いわね。なんなら焼きそば一皿で情報提供してあげてもいいけど。どう、龍麻?」
「焼きそば一皿ね。分かったわ」
快くうなずく龍麻の姿を見て、アン子はもう少しふっかけるべきだったかしらと呟く。
「…うーん…せめて800円位はいけたかも…」
「今のセリフ全部こっちまで聞こえてるよ、アン子」
「お前ってヤツは…」
「…………アン子ちゃん…」
小蒔と醍醐の追及と葵の呆れ顔を前に、アン子は、仕方ないタダで教えてあげると渋々折れる。
「さっすがアン子」
「今更お世辞言ったって遅いわよッ。まァいいわ。撮影に成功した暁には1枚500円で売ってもいけるもんね」
アン子はちょいと耳を近づけなさいと、五人に合図を送る。
「実はね、極秘に仕入れた情報によると今日マリア先生が縁日に来るらしいの」
「それのどこが事件なの?」
「マリア先生ね───」
息を詰め聞き入る一同を前に間をたっぷりと取ってから、アン子はにやりと口元に勝ち誇った笑みを浮かべて衝撃告白をする。
「…どうやら浴衣で来るらしいのよ!」
「「えええッ?!」」
アン子はマリアには根強いファンがいるから、結構良い商品になるんだと意気軒昂と説明する。
「これはレアモノでしょう。絶対撮影に成功してやるわッ」
「でもマリア先生だってむざむざとアン子のカメラの前に現れるとは思わないけれど」
前に犬神のアパートで布団を干している姿を真神新聞にすっぱ抜かれて以来、マリアがアン子に対して警戒心を強めているのを龍麻は知っていた。
「問題無いわ。今日は完璧な作戦を立ててきたんだから。…ちょっと待ってなさいよ」
いきなり物影に走り去るとゴソゴソと紙袋から何かを取り出し、そして1分もしない内に再び五人の前に現れた。
「ふふふ、これなら完璧に変装できてるでしょ、龍麻」
だが龍麻はすぐには言葉を返せなかった。
なぜなら、今のアン子は
「お前、よりによって何でウサギなんだよ…」
京一も脱力するようなド派手なウサギの着ぐるみを身につけていたからだった。
「うるさいわねッ。これは演劇部の部長にお願い(脅迫)してやっと借りたんだから、余り贅沢言えないの」
ウサギが京一を叱りつける姿に、道行く人は何事かと振り返る。それを見て龍麻は率直な感想を述べた。
「むしろ思い切り目立っていると思うけど…」
「心配御無用。今日はこの方が目立たないイベントも有るし」
「…イベント?」
「そ。あッ、いけない。こんな所でグズグズしてたらチャンスを逃しちゃうわ」
そう言いながらも別れ際、カメラテストと称してちゃっかり龍麻の浴衣姿を撮るのを忘れないのはさすがだった。
<これで万が一の場合の保険もバッチリ。いや、最近では龍麻のファンもかなり増えてるから、むしろこっちが主力商品になったりして…おほほほほッ>
鼻歌交じりに雑踏の中に消えていく上機嫌なウサギの姿は、だが五人を含め周囲の人々の目にはどこまでも不気味に映っていた。
≪六≫
「私たちはくじ引きの屋台にでも行きましょうか」
放心状態に陥りかけた一同の気持ちを立て直そうと龍麻が殊更明るい声で提案した。
「くじ引きって、あの紐を引く奴か…」
お世辞にも客で賑わっているとは言えないくじ引きの屋台を前にして、京一は醍醐からの質問に得々と説明する。
「ああ、確かに紐の先に高価そうなモンがつながっているように見えるんだが、これがどうも本当かどうか分からねェときてる」
「でも…だからドキドキするのよね」
葵も子供の時分にやった記憶をたぐり寄せて言葉を添える。
「そういうものか…やった経験が無いから良く分からんが」
「だったら思い切ってやってみない?醍醐君」
龍麻はそう言うと、暇を持て余していたお店の人にお金を払い、
「さあ、どの紐を引く?」
醍醐の目の前に五本の紐を差し出した。
「俺がか…。本当にいいのか龍麻」
もちろんと龍麻が笑顔で頷く。
龍麻が手にしている五本の紐の内、どの紐を選ぶべきかを真剣に検討している醍醐の背に、今度は小蒔が声援を送る。
「頑張ってね、醍醐クン」
「頑張ってはちょっとナンセンスだろ、小蒔。こいつはもう完全に運試しなんだぜ。引けるのは一本だけだからな」
「そっか〜」
「それじゃ醍醐君、心の準備が出来たらどれでも好きなのを選んでね」
龍麻から促されるままに醍醐は無作為に四番目の紐を選び、ついと引っ張る。
紐は何の抵抗も無く、するりと景品の山から抜け出た。
どうかいい物が当たりますように…という小蒔の祈りが通じたのかその先には──
「指輪…だ」
意外な景品に驚く醍醐だったが、それよりもはるかに驚愕している店主の様子からして、この店で一、二を争う高価な商品だったのは疑いようも無かった。
「すごいわ、醍醐君!」
「しかもこれ、天金石の指輪じゃないかしら」
指輪に光る石を見て、龍麻が素早く鑑定する。
「ひーちゃん、この指輪も葵がつけているのみたいに何か特別な効果が有るの?」
「天金石には確か集中力を高めてくれる効果が有るって…」
「それなら尚のこと、俺が持っているのはまさに宝の持ち腐れというヤツだな」
醍醐は受け取った景品を龍麻に渡そうとするが、龍麻はそれをやんわりと押し留める。その瞳には『誰に渡すべきなのか分かっているでしょう』と醍醐を咎めるような様な光が宿っていた。
けれども、それが思いやりからのものだというのを知っている醍醐は、その気持ちをありがたく受け止めて皆の前で照れながらも、景品の指輪を小蒔に手渡した。
「え…ボクにくれるの…。ありがとッ、醍醐クン、ひーちゃん」
「ついてたわね、おめでとう醍醐君、小蒔」
龍麻の祝福の言葉に対し、醍醐は礼と共にくじ引きも案外捨てたものじゃないなと感想を言う。
「おうッ、見てるだけでも結構おもしろかったしな」
「ボクまで不思議と緊張しちゃったよ」
「うふふ、私もよ。何だか久しぶりにドキドキしたわ」
思いもかけない結果に興奮しながら五人はくじ引きの屋台を離れた。
「あれは」
しばらくして、葵がとある屋台の前で足を止める。
「りんご飴…」
葵の呟く言葉を耳にし、さすがに葵は目の付け所が違うと京一は小蒔に話しかける。
「どういう意味だよッ、それって」
「さァてね〜。それより醍醐、お前はどっか行きたいトコねェのかよ」
「そうだな…。今年は色々と有ったし、これからのことも考えて、ひとつおみくじを引いてみるのも悪くはないな」
京一は醍醐に話題を振って小蒔の追撃をそらそうと試みたのだが、醍醐の返答を聞くや頭をがっくりと下げる。
「かーッ、ホントお前ってジジくせェヤツだな」
「何を言うんだ。神社にお参りしたらおみくじを引くのが普通だろう」
どこまでも平行線を辿る京一と醍醐の言い争いをぼんやりと聞いていた葵だが、その目線はまだりんご飴の屋台に留まったままである。
「ねえ、おみくじに行く前にりんご飴の屋台に寄っていかない?」
「え?本当に」
「よかったね。でもりんご飴なんてボクも久しぶりだなぁ。あれって縁日でしか食べられないもんねッ!」
龍麻の言葉に一寸驚いた風の葵だったが、電球の光を反射して色とりどりの輝きを放つりんご飴が並んでいる光景を眼前にして顔をほころばせる。その様子を見て龍麻と小蒔は目を見合わせてにっこりと笑う。
「どれもこれも綺麗な色だね。1個300円か…どれが一番美味しいのかな」
「ははは、桜井は食うことばかりだな。ん…どうした美里。まさか金が足りないのか?」
小蒔がてきぱきと青緑色のりんご飴を選び取ったのに対して、肝心の葵がじっとそれらを見つめたまま動かないのを醍醐が気遣う。
「う、ううん。違うの、醍醐君。私…実は今まで食べたことが無かったから」
恥ずかしそうに告白する葵の言葉に一同はえっと声を揃えて驚く。
「やっぱりおかしいわよね、縁日には毎年来ているのに食べたことが無いなんて」
「そんなこと無いわ。何事にも初めてというのが有って当り前なんだから。それよりも…」
葵にどれでも好きなりんご飴を一つプレゼントすると、龍麻が切り出した。
「龍麻…」
突然の申し出に、でも良いのかしらと聞き返す。照れ笑いを浮かべて龍麻がその理由を話す。
「今日は四人が晴れて一仕事を終えた記念すべき日ですもの。だから…縁日で皆に何か少しでも喜んでもらえることが出来たら良いなって、学校を出た時からずっと思ってたの」
「そういうことなら喜んでご馳走になるわ。ありがとう、龍麻。こんなに楽しい縁日は今年が初めて。…きっと龍麻のお陰ね」
そう言うと葵はやや小ぶりな、けれども一番真っ赤な色のりんご飴を選び取り、皆が見守る中、生まれて初めて口にするりんご飴を味わった。
「どうだ?美里。悪くはないだろう」
「ええ…甘酸っぱくて──とっても美味しい……」
「浴衣にりんご飴、ホント風流だね〜」
葵と小蒔が共にりんご飴を味わっているのを中心にして、五人はおみくじの置かれた社務所の方へとゆっくりと移動した。
本殿の屋根が見える辺りまで進んだ時、高く澄んだ声が一同を呼び止める。
「葵オネエチャン、龍麻ッ」
振り返ると、腕に愛猫メフィストを抱いたマリィが参道の真ん中に立っていた。
「Hi、ミンナ」
「おッ、マリィじゃねェか。何だ、お前も来てたのか」
「そういえばこの間から中学校に通ってるんだよね。どう、もう友だちは沢山出来た?」
小蒔の質問にマリィはウン…と頬を赤らめてうなずく。
「今日はトモダチと来た」
友だちという言葉がマリィの小さな口元から明るい響きと共に自然に零れ出て、龍麻はそれだけでも無性に嬉しくなる。それは龍麻だけでなく他の四人も同じ気持ちだった。
「もう友だちが出来たのか。良かったな」
「どうだ、チビ。縁日は楽しいだろう」
「ウンッ!!」
醍醐と京一の問い掛けに、マリィは元気良くうなずく。
「良かったわね、マリィ。ところでお小遣いはもらったの?」
「パパ…にもらった」
葵の父親を呼ぶ時に使うその呼称にまだ慣れていないのか、ちょっとだけぎこちない口調に変わったが、屈託の無い表情と言葉からマリィが美里家で可愛がられている様子が容易に窺えた。
「でも…欲しいモノいっぱい。マリィ、すっごく悩んじゃう…」
「ほう、随分日本語が達者になってきたな。どうだ、京一。お前、代わりに英語を教えてもらった方がいいんじゃないか?」
醍醐の冗談に、京一は大きなお世話だとムキになって言い返す。
「それに俺はひーちゃんから個人レッスンでイロイロ教えてもらう予定だしよ」
「それだったら今度の日曜日、中間テストに備えてみっちりと勉強しましょうね」
「……いやそれは…ちょっと…イヤかもな〜」
にこやかな笑顔の中にあくまで勉強だけだからねと龍麻が目線で釘を刺すと、京一はたちまち勢いを失い言葉を詰まらせる。それを見て葵や小蒔、醍醐、そしてマリィまでも笑ってしまう。
「ミンナも楽しそう…。龍麻もエンニチ、楽しい?」
マリィはさっき京一が自分にした質問を、今度はそっくりそのまま龍麻にしてみる。
「勿論よ」
「ウンッ!!」
そして、さっきの自分と同じ様に即答する龍麻の様子に全身一杯で喜びを表した。
「こんなに楽シイコト、マリィ初めて…。エヘヘ、アリガト、龍麻。それじゃあ、トモダチ待っているから、マリィ、もう行くネ」
『bye』と歌うように別れのフレーズを口にして、マリィは本殿とは反対の方角にぱたぱたと走り去って行った。
マリィの後ろ姿を見て、小蒔はホントに楽しそうと笑う。
「見ている方まで嬉しくなるよね」
「ああ、あんなことが有ったなんて夢だったようにも思えるな」
縁日を楽しんでいるマリィの無邪気な様子が、余計醍醐にその想いを強く抱かせたのだろう。しみじみと呟く言葉に四人は深くうなずいた。
「でも、あの子を縛り付けるものはもう何も無い…。今まで奪われ、踏みにじられたものを、あの子はこれから、一つ一つ取り戻していくのよ」
マリィを思い遣る葵の言葉は、けれどもマリィに対してだけに当てはまる言葉では無いと…それもまた、その場に居た全員が実感していた。
≪七≫
「よし、それじゃあ景気付けにおみくじを引きに行くとするか」
醍醐の号令でおみくじの置かれた社務所に行くと、そこでは雛乃が巫女装束で五人を迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ、皆様」
「よッ、久しぶり。早速だけどおみくじ引かせてもらうぜッ」
ここまで言って、京一はやや声のトーンを低める。
「で、雛乃ちゃん、俺には是非大吉を…」
だがそのセリフを全部言い終える前に、醍醐からは非難の言葉が、小蒔からそれに追加して後頭部まではたかれる始末である。
「お前って奴は、どこまでも図々しい奴だな」
「大体雛乃がそんなことする訳ないだろッ!!」
「皆様の運勢をわたくしが変えるなど到底できませんわ。さあどうかこちらの箱をよくお振り下さいませ…」
柔らかく微笑みながら、出てきた札に書かれている番号のおみくじを後でお渡ししますと言葉を添えて箱を指し示す。
箱を振る音が社務所の前に五つ響く。
真っ先に札を引いたのは京一。次いで小蒔、醍醐、葵──
「おいおい、ひーちゃん、エラく素直に振ってるな」
最後にカランと乾いた音を立てて札を転がり出したのは龍麻だった。
番号の確認もそこそこに、そのまま自分の運命を指し示す札を雛乃に渡した。
「龍麻様は壱百七番ですわね。はい、どうぞ──」
押し戴くように差し出されたおみくじをその場で素早く開く。
そこに書かれていた吉凶は…
「……大吉だわ」
ぽつりと龍麻が結果を呟くと、小蒔がどれどれと龍麻のおみくじの文面を覗き込んできた。
「『何事も思う様になる。しかし油断は大敵。危機に関しては思わぬ助けがあるかも』…って何のことだろうね」
首を傾げる小蒔に、お前はどうだったんだよと京一が声をかける。
「中吉。これから良いことがあるのかな。葵は?」
「私は吉よ。これから上昇するか下降するかは努力次第ですって」
俺も同じ吉だったと醍醐が続け、そして京一こそ何だったんだと聞き返す。
「…………」
それに対して奇妙な沈黙が数秒続いた後、京一は引きつった笑いを浮かべる。
「まッ、所詮はおみくじ。こんなの運試しみたいなモンだろツ」
「…怪しいなぁ〜。えいッ」
「あ、バカ野郎。勝手に何すんだよッ!!」
京一の手から小蒔がすばやくおみくじの紙を抜き取る。
取り返そうと慌てふためく京一だったが、
「──わッ、大凶!!」
「何ッ!?本当にあるのか」
「私、初めて見るわ。龍麻は見たことある?」
「いいえ。ある意味大吉引くよりも凄い運の持ち主だと思うけれど…でも、ねえ…」
仲間の口から次々に出る同情の言葉にがっくりと肩を落とす。
「えー、なになに…『多大な困難が降りかかる恐れ有り。絶望の淵より一条の光見出し新たなる境地拓くべし』だって。…ホント大丈夫かな」
小蒔などは朗読をした後、ここは一つ厄除けしていった方が良いんじゃないかと勧めだす始末である。
「冗談じゃねェぜ。やっとのんびりできそうだってのに。これ以上下らないコトに巻き込まれて堪るかよッ。それに俺は占いの類は信じねェことにしてるしなッ」
完全にむくれているその様子を見て、雛乃は京一を剛毅な方ですねと評する。
「…ですが、蓬莱寺様。神社で起こることには必ず何らかの啓示が含まれているものです。念の為ご用心なさって下さい」
「あ…ああ」
雛乃の真摯な口調に圧倒され、さすがの京一もうなずく。
「龍麻様も…くれぐれもお気をつけて…」
雛乃が龍麻を憂うような発言をしたのは、大吉を引いたにも関わらずその表情が今一つ冴えないものだったからだ。
「どうかこれをお持ちになって下さい…。何も起こらぬことをお祈り申し上げてますわ」
別れ際、雛乃から御守りとして見事な蒔絵の施された印籠を手渡された時には、大丈夫と龍麻はいつもの笑顔で礼を返した。
だが──
<今が大吉…っていうことは、この先の私の運勢は落ちる一方ってことよね>
埒も無い考えだと笑い飛ばしたい所だが、出掛けに聞いた裏密の予言、おみくじの文面、そして巫女としての能力を十二分に兼ね備えている雛乃の言葉…。
それらが通奏低音の如き役割を以って龍麻の内奥で予兆という調べを奏で始めるまで、あとわずかだった───
≪八≫
「さてと、そんじゃラストはひーちゃんのリクエストだな」
一応厄除けとして花園神社本殿で参拝を済ませた後、京一が龍麻に話しかける。
「私の?」
思いもかけないといった表情をする龍麻を、葵と小蒔はしょうがないなと笑う。
「もう龍麻ったら…。せっかく縁日に来たというのに今日は私たちにおごってばかりだったじゃない」
「そうだよ。それに今日の縁日は誰よりもひーちゃんに楽しんでもらおうって、それを目的に葵とボクは前から計画してたんだし」
だから雪乃と雛乃にも協力してもらって、龍麻の着る浴衣までこっそりと用意していたんだと小蒔が計画の全貌を明かす。
「遠慮はいらないぞ、龍麻。さあ、何処へ行きたい?」
「ありがとう、皆…」
感激の面持ちで礼を言ってから、龍麻は人差し指を桜色の唇に軽くあて、しばらく考え込む。
「決まったか?ひーちゃん」
「うん…。ただ、その…内容を聞いても皆絶対に笑わないでね」
やや照れながら披露した龍麻のリクエストは『わたアメ』
幼い日に食べて以来一度も口にしていないというのがその理由だった。
「そうだよね、りんご飴もそうだけど、わたアメっていうのも縁日ならではの食べ物だもんね」
と小蒔が言えば、
「あれって作っている工程自体もとても面白いわよね。ざらめを真鍮に開けられた真ん中の穴に投入してしばらくすると、ふわふわと白い糸を連想させる飴が次から次へと出てきて」
葵が明るく応え、そして龍麻もうっとりとした顔で言葉をつなげる。
「それがいつの間にか割り箸の先にふんわりと雲のように絡み付いていって…。思い出すわ…、まるで魔法を見ているようだって興奮したあの日のことを…」
あの日──そう言ってから龍麻は自分の言葉に驚いた。
自分は幼い日の記憶のほとんどを手放していた、忌まわしい事件をきっかけとして…。
何かの折に断片的に記憶が甦ることはあったが、それらは辛いものばかりだった。
だからすぐに忘れようと自分の過去を封印する。
同時に悲しいと感じる心をも凍結しようと試みる──十数年来、その繰り返しだった。
だけど今、心をよぎったのは想い返すだけで無性に微笑みたくなる…そんな記憶だった。
「それじゃあ、こいつは俺がひーちゃんにおごるぜ」
「あー、ひょっとしてさっき甲斐性ナシって言われたのがよっぽど悔しかったんでしょ、京一」
からかう小蒔に、お前には金輪際食べ物はおごらねェと京一が宣言する。
「今までだっておごってくれたコト、一度きりだって無いくせに」
「……うッ…」
「ははは、勝負有りだな、京一」
「あ、そういえば、私ってば京一には何もおごってなかったわ。それなのに…」
ゴメンねという龍麻の詫びの言葉を、京一は謎めいた言葉で遮る。
「俺は充分ひーちゃんからいいモノをご馳走してもらってるぜ」
それは言わずもがな龍麻の浴衣姿だったのだが、京一ははっきりそうと龍麻には伝えなかった。
そして、龍麻も敢えてその言葉を聞き出そうとは思わなかった。
京一が買ってくれたわたアメを笑顔で受け取ると龍麻はそれをうっとりと眺め、やがて瞳を閉じてそっと口に含む。
<甘くて…あったかい…>
口に入れた瞬間ふわっと舌の上で溶けたわたアメは、幼い頃と変わらぬ味がした。
|