≪八≫
「ふぅ〜、満足満足ッ」
十数分後、小蒔が充足感に満ちた表情で店内から姿を現わしたが、すぐにそれは訝しげな表情に取って変わる。
「どうしたの?霧島クン。ボーッとしちゃってさ」
「ああ、どうもさっきから様子がおかしいぞ。何か気になることがあるのか?」
「いえ、その…僕は………」
二人の問い掛けに霧島は返答もそこそこにまた口ごもってしまう。そんな霧島の様子を見、ますます狐につままれてしまう感の五人とは対照的に、舞園は涼しげな笑みを浮かべた。
「ふふッ、霧島君ったら、さっきからずっと蓬莱寺さんに見惚れてたでしょう?」
「「───??!!」」
「ち、違いますッ、僕はただ…」
しかし、続く霧島の弁明を耳に、
「えッ……?」
葵は戸惑い、
「京一が………?」
醍醐は眉をひそめ、
「カッコイイ────!?」
小蒔は開いた口がふさがらなかった。
「そうです、格好いいなァと思って…」
自分の言葉に強くうなずくと、霧島は心の奥に溜め込んでいた言葉を一気呵成に放出する。
「さっき助けてくれた時だって、すごく堂々としてて──」
「いや、それは単に自信過剰なだけで……」
「しかも名前を名乗っただけで、皆逃げるように去って行って──」
「でも、それは単に悪名が高いだけで……」
醍醐と小蒔は口を揃えて否定するも霧島の勢いを止めることはできず、その言葉は路地を空しくこだまするだけだった。
「第一、その木刀の扱い!!きっと腕も立つんですよね?」
「それは…、確かに間違いではないけれど…」
これは否定すべき質問ではないのだが、それまでの霧島の発言の数々をかんがみれば、葵はここで素直に同意していいものか窮してしまう。
「僕は部活で西洋剣術(フェンシング)を学んでいるんですけれど…蓬莱寺さんのような人に稽古をつけてもらえたらなァって…」
霧島はくるりと京一の方を向き直ると、真剣な面持ちで激白した。
「僕、蓬莱寺さんを尊敬しますッ!!」
「ソッ……ソンケー!?」
衝撃的内容に小蒔は知らず声をひっくり返らせる。
「そんな言葉…言われたこと有る?京一」
「………………………………」
呼び掛けても返答しない様子から、十七年に及ぶ彼の人生で言われた例は一度たりとも無かったのだろうと、霧島を除く五人はそう断定した。
「霧島」
霧島に負けず劣らず、醍醐も真剣な口調で語りかける。
「考え直すなら今だぞ。お前の人生がかかっているからなッ」
「……?どうしてですか?」
皆の示す反応が理解できず困惑の色を浮かべるが、幸い、まだこの件に関する発言をしていない人物がいたことにはたと気付いた。
「緋勇さん…」
瞬間、不可思議な声が龍麻の頭に重なり響く。
──あ…上……
……何故、…を見捨…たのですか?………
あなただけ……の味方………たのに…───
<……?!>
けれど密やかに紡がれるそれに、耳をそばだてようとすればふつりと途絶えてしまい、代わって霧島の問い掛けてくる声が明瞭さを伴ってくる。
「蓬莱寺さんを尊敬しちゃいけないなんてこと、ありませんよね?」
どこか縋りつくような声音に、クスッと龍麻は笑みを零すと、
「ええ、勿論よ」
最初の質問の時とは打って変わって、今度は明快な答えを返す。
「よかった!!緋勇さんは、蓬莱寺さんのことを理解してるんですねッ!!」
霧島はようやく得た賛同の言葉に、喜びを満面にみなぎらせる。
「僕も蓬莱寺さんのように、強くなりたいんですッ」
──………を護れる《力》が……
<あ…、また…>
一体何事だろうと沈思する龍麻を他所に、小蒔は今やすっかり霧島の崇拝の対象となった京一をからかうのに余念が無い。
「蓬莱寺さんッ!僕、本当にあなたのこと尊敬してます!!」
「えッ!?あッ、あァ、そう…」
冗談だと片付けられるのが心外なのか、霧島は自分の言動に一層力を込めるが、肝心の京一はといえば、上の空の返事しか返してこない。
「だから、あのッ…そのッ…あのですね───」
霧島は呼吸を一つ整えると、
「京一先輩───ッって呼んでもいいですか?」
「えッ………?」
唐突な申し入れに、京一は完全に自分のペースを見失った…。
「だめでしょうか…」
ダメに決まってんだろ──ッと、喉元までは拒否の言葉が出るのだが、霧島の勢いに、らしくもない歯切れの悪い返事をしてしまい、
「えェと、そりゃ、まァ……これといってダメな理由もねェが………」
「じゃあ、いいんですねッ!?」
「えッ……?あ、あァ…」
結局、押し切られる形で、消極的ながらも諾と応じたのだった。
「やったぁ!!ありがとうございますッ、蓬莱寺さ───」
と言いかけ、慌てて京一先輩と修正した霧島の声は、自然喜びに弾んでいる。
「あッ、僕のことは諸羽って呼んでもらって構いませんからッ」
「…………………」
成り行きとはいえ、思い掛けぬ事態の推移に茫然自失となる京一を、小蒔は腹を抱えて笑い飛ばす。
「京一ってば、おっかし〜。すっかり霧島クンに圧倒されてるんだもんッ」
「うッ、うるせェッ!!」
京一は咄嗟に小蒔に言い返す。が、
「よかったね、霧島君!!」
「うん」
本気で喜んでいる舞園と霧島の様子を見て、まあこれも仕方ねェかと苦笑する。
「それより…ええっと……霧島」
かといって、霧島の望みを100%叶えないのは、抵抗感からか、照れくささからか、はたまたその両方かもしれないけれども…。
「……はい」
変わらぬ呼び方に霧島は少し落胆するが、
「中野の帯脇ってのは、お前らの知り合いか?」
「────!!…それは………」
続いての京一の問いにさっと顔色を変え、口ごもってしまう。
同様に表情を強張らせた舞園は、けれどこのまま黙っているのは…と、ぽつりぽつりと語り始める。
「あの人の狙いは、私なんです。皆さん、さっきは本当にごめんなさい。私のせいで皆さんに迷惑を…」
「舞園さん」
先ほどからずっと黙り込んでいた龍麻が自分の言葉を遮ったことに、舞園は驚き目を見張る。
「ここにいる皆は誰一人、迷惑だなんてこれっぽっちも思っていないわ」
「緋勇さん…、あ、あの…」
龍麻は凛然とした口調で言い切るが、
「ああいう厄介ごとを前に、黙って通り過ぎる真似が出来ないってだけで…」
単にお節介なだけなのと付け足すと、最後には恥ずかしげに笑った。
「立ち去り際のヤツらの言動からみて、これで済むとは思えんしな…。よかったら事情を話してくれないか?」
「そうだねッ、ボクたちが力になるよ」
「私たちに遠慮は無用よ、さやかちゃん」
重ねて他の三人からの申し出に、舞園と霧島は全てを打ち明ける決心を固めた。
≪九≫
「それじゃ、ここからは僕が説明します。帯脇斬己は中野界隈では有名な不良で──」
彼自身はそんなに腕っ節が強い方ではないのだが、生来の狡猾さと、敵に廻った者に対する陰険かつ執念深い手口での報復措置で、いつしか近隣の不良たちを束ねる存在にまでのし上がったという。
「…う〜、ヤなタイプ…。そんなヤツがさやかちゃんのファンなんだと思うと、確かに良い気分にはならないよね」
嫌悪を隠そうとしない小蒔に、それだけで済めば良かったんですがと霧島がため息をつく。
「もしかして…ファン心理が嵩じて、ストーカー行為にまで及んでいるとか…?」
果たして、龍麻の問を肯定する答えが返って来た。
「はい。さやかちゃんを自分のモノにしようと、執拗に付け狙ってくるんです」
「ちッ、どうしようもねェ変態ヤローだな」
「それで、今日のようなことがよくあるという訳か」
「はい…」
その他にも、学校や仕事場で待ち伏せされた等、帯脇が今まで舞園にしてきた数々の行為を打ち明けていく。話が進むにつれ沈鬱さを増していく二人の様相から、事態は相当深刻な状況にまで陥っているのだろうと容易く推測できた。
「私、何度も断ったんですけれど、全然わかってくれないんです」
「そういう事情で霧島がボディガードか。ひとりじゃ大変だろう…」
「はい、でも…。僕もさやかちゃんの歌声が大好きですから。さやかちゃんを護るためなら、僕は何だってできます」
きっぱりと言い切る霧島に、先ほどまでの不安の影は最早見受けられなかった。
「よッ!!男だね、霧島クンッ!!」
「ああ、立派なもんだな」
「さすがは俺の一番弟子」
「こらッ、京一!!都合のいい時だけ弟子にするんじゃないの」
「へいへい」
霧島の決意に感心しきりの一同だったが、京一が何気なく洩らした一言から、話は別の方向へと流れていった。
「けど、その帯脇ってヤツ……おかしな《力》を持ったヤローじゃなきゃいいけどな」
「その可能性は否定しきれんな」
「「おかしな…《力》……!?」」
霧島と舞園はその言葉に、顔を見合わせる。
「それってもしかして───さやかちゃんの歌声が持っているような《力》のことですか?」
「やっぱり…。やっぱりそうなのね」
葵は龍麻の推測通りだったと息を呑む。
「その《力》に気付いたのは、いつ頃なんだ?」
醍醐からの質問に、今年の春、高校に進学し、本格的に芸能活動を始めてからだと、舞園は答えた。
「頂いたファンレターや、スタッフの方々から、私の歌を聴いて病気が治ったとか、勇気が湧いてきたとか…それを聞いて初めて気付いたんです…」
───自分の歌には、不思議な《力》が有るって…
「こんな《力》を持っているなんて、私、変でしょうか?」
自らを卑下する舞園の言葉を、龍麻はそれも即座に否定する。
「人々の心を癒す歌声……って、とても素敵な《力》だと思うわ。だから胸を張って、ね」
「良かった…そんな風に言ってもらえるなんて、私嬉しいです」
でも…と、喜びに満ちた舞園の表情に訝しげな色が混ざる。
「どうして皆さんは、《力》のことを知ってもそんなに平然としているんですか?私、もっと驚かれるか、敬遠されるかと思っていました」
「まぁ、俺たちの周りには、妙な《力》を持った奴らがゴロゴロいるしな」
「そういうキミもあんまり、人のコト言えないよね」
「なに、俺のなんてまだカワイイ方だぜ、なッ?醍醐、美里」
小蒔からの突っ込みを逆手にとる京一の言葉に、醍醐は声を詰まらせ、葵は困ったように曖昧な笑みを浮かべる。
「それって、まさか…皆さんにも、さやかちゃんのような《力》が?」
今度はこちらの番ねとうなずくと、葵は、舞園が目覚めたのと時を同じくして、自分の内に宿る《力》に目覚めた人がこの東京にはたくさんいるのだと打ち明ける。
「もちろん、私たちもそうよ」
「俺たちと接触して敵対する者もいれば、仲間になる者もいるがな」
この《力》が何の為に有るのか、そもそもなぜ俺たちがそれに目覚めたのかすら、実はまだ分かってないと前置きをして、醍醐は自分たちのこれまでを説明する。
「だが、少なくとも俺たちは今まで──俺たちの大切なものを護る為に闘ってきた」
「大切なものを………」
醍醐の言葉を霧島は反射的に呟き返す。
「まぁ、その帯脇ってヤローが何者なのか、俺たちの方でも調べてみるが、二人も充分に気を付けろよ」
「はい…」
舞園は京一の忠告を素直に受け入れると、霧島に何事か小さく囁く。
「…そうだね、いい加減に戻らないとマネージャーさん、心配してるね。おまけに内緒で出てきちゃったから、きっと今頃カンカンだよ」
「何だよ、そのマネージャー、そんなにうるさいのか」
「いえ…いつもはそうでもないですけれど…」
ただ帯脇以外にも何か有ったらしく、ここの所、舞園の周辺に神経を尖らせているのだという。心配してくれる気持ちはありがたいのだが、やや窮屈に感じられて、それで今日霧島と二人、監視の目をかいくぐってこっそりと抜け出してきたという訳だった。
「さやかちゃんだって、女子高生だもん。もっと自由に遊びたいよね」
「それならいつでも新宿(ここ)へ来いよ。俺たちと一緒ならお前も安心だろ?霧島」
「はいッ!!皆さん…本当にありがとうございます」
「そんなに気にしなくて良いんだぞ、二人とも。それより、急がないといけないんだろう?だったら俺たちが駅まで送っていこう」
≪拾≫
学生たちに混じって帰宅するサラリーマンや、逆に歓楽街へと向かう人々やらで、夕暮れ時の新宿駅近辺はかなりのラッシュ状態になっている。そんな中、人混みに漂うように、あるいは逆らうように、七人は歩いていた
「しっかし、相変わらず新宿ってのは人の多い街だぜ」
「うん…けどボクは賑やかで好きだなッ」
「そうかぁ?歩くのにうぜェよ」
人を避けて歩くなんて面倒だと言い放つ京一を、霧島は先輩らしいですねと笑うと、京一の傍らを歩く龍麻に、おもむろに訊ねた。
「緋勇さんは、ご自分の街……お好きですか?」
「…私の街……」
その言葉に、しばし龍麻は考え込む。
新宿に住むようになって、ようやく半年が過ぎた所だ。だから自分の街と言うのには、まだ憚りを覚える…
「済みません、そういえば緋勇さんは今年になってこちらに来られたんですよね」
変な質問をして済みませんと恐縮する霧島に、大切な人たちが住んでいるこの街は大好きだと、龍麻は笑顔で答える。
「あの人の言葉に従って、ここに来て良かったと、今では心からそう思っているの」
「……?」
「私ね………ううん、何でもないわ…」
最後の言葉に引っ掛かりながらも、霧島は龍麻が口を閉ざした以上、それを問うのは失礼だろうと判断する。
「そうですか。僕も、自分の住む街が大好きです。何も無いところだけれど大切な人はいっぱいいる…。僕も自分の力で自分の街を──、自分の大切なものを護れるように、強くなりたいんです。だから、皆さんみたいな《力》があったらなぁって…、そう…思うんです」
てらいも無く皆への羨望の気持ちを表す霧島を、カワイイと小蒔が絶賛する。
「逆に京一の方が弟子入りして、この素直さを学ぶべきかもねッ」
「そうか?俺は素直なヤツだと思うけどな」
「それは自分の欲望に、だろッ!!」
いつものように口喧嘩を始める小蒔と京一の姿に、舞園は皆と一緒なら嫌なことは全部忘れてしまいそうな気がすると微笑む。
「私も好きです、新宿(このまち)───」
駅に近付くにつれ、人波は押し寄せる一方だった。しかし、
「こうして人々の中に紛れてしまえば、誰も私に気付かない」
ここに舞園さやかがいると悟られた様子は全く無い。
人々は無関心なまま、次々と彼女の傍らを通り抜けてゆく。
「沢山の人の中で、私もただの一人の人間なれるんです。何一つ特別な所なんて無い、ただの私に……」
静かに呟かれたその言葉は、普段決して周囲には明かせぬ舞園の本音なのかもしれない。
「さやかちゃん…」
「芸能人っていうのも、結構大変なものなんだな…」
気遣う葵や醍醐に、舞園は心配無用ですと笑う。
「私は歌うのが何よりも好きで…芸能界入りは自分の意思で決めたことなんです。それに、さっき緋勇さんの言葉を聞いて、この《力》は誰かの役に立ててるんだって励まされて…だから、これからも頑張ろうって気持ちになれました」
「舞園さん…」
舞園の明るい声に皆の気持ちが軽くなった、その時───
「───よォ、霧島っちゃん」
「──────!!!」
まさに不意打ちの形で、髪をモヒカン刈りにした痩せぎすな男が、先刻の不良共従えて現れた。
「こんなトコで会うとは、奇遇だなァ…」
「奇遇…だと?大方、またさやかちゃんの後をつけてたんだろう、帯脇ッ!」
「何だ、霧島。このバカみてェな頭をしたヤツが帯脇か?」
京一のおよそ非友好的な発言で、帯脇は青筋をピクリとひきつらせるが、
「……霧島っちゃん、事情も知らねェ他人を巻きこんじゃあ、いけねェなァ〜」
「…………」
「なァに黙り込んでんだよ。俺様に挨拶もなしかァ?」
あくまで霧島の弱みに攻め込むという辺り、確かに評判通りの男だと、五人は初対面にも関わらず瞬時に理解出来た。
帯脇は霧島をひとまず黙らせておいてから、わざとらしく今気付いたという風に舞園に声をかける。
「おッ、さやかじゃねーか。相変わらず可愛いな」
ケケケと発せられた笑い声は、機械的な甲高さで耳に不快なことこの上ない。
「さやかちゃんに触るなッ!!さやかちゃん、僕の後ろに…」
「う、うん」
舞園を庇うその姿が、対する帯脇の怨憎を煽る。
「すっかりナイト気取りだなァ?あんま、俺の女にベタベタ触るんじゃねェよォ」
「さやかちゃんは……誰のものでもないッ!!」
「ガキが、粋がってんじゃねーよッ!」
「ちッ、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって。そういうてめェも、あんまり粋がらねェ方がいいぜ」
しばらく霧島と帯脇の舌鋒戦を観戦していたが、それにはもう飽きたと、京一は腕組みを解くと、帯脇を真正面に見据える。
「この二人に手ェ出したら、てめェは五体満足で新宿(ここ)から出られねェぜ」
「そうだぞ、ボクたちが相手になるからねッ」
「てめェらが真神かよ?知ってるぜェ、バカな蓬莱寺に、巨漢の醍醐。男女の桜井に、生徒会長の美里…ケケッ、結構イイ女だなァ…。ん?」
四人を侮蔑する言葉を矢継ぎ早に並べる帯脇だったが、自分の知らぬ五人目の存在を目にし、怪訝そうな顔をする。
「そっちは誰だァ?俺様のデータにゃねェぜ〜?」
龍麻は素直に自らの名を明かすが、淡々とした口調はそのままに次の言葉を付け加える。
「…でも、扱う人間の主観を反映し過ぎたデータの場合、誤謬(ごびゅう)が多くて利用しても役立つとは思えないけれど」
「何ィ?」
「ひーちゃんも案外言うねぇ〜」
隣にいる京一は笑いを噛み殺しきれず、帯脇はお前も抹殺リストに載せてやると龍麻を睨みつける。
「……が……まぁ今日はいいサ、俺様は寛大だからなァ。今回だけは見逃してやるぜ。可愛いさやかの顔も見れたことだし…」
だが次は無いから覚悟しとけと、お定まりの台詞を残し、帯脇は手下を引き連れて、その場から退場した。
「ちッ、気に入らねェヤローだぜ」
「ボクのこと、男女だって、ムカツクッ!!」
「皆さん……ご迷惑をおかけして本当にすみません…」
平身低頭の霧島に、お前が謝る必要は無いと京一は諭す。
「でも…特に緋勇さんは…帯脇は見ての通りの性格ですから、僕としては心配です」
「大丈夫だって。俺たちん中じゃ、ひーちゃんが一番強ェんだから」
「京一先輩よりも…ですか?!」
信じられないと吃驚する霧島と舞園だが、醍醐もそうだとうなずく。
「そうそう、何てったってボクたちのリーダーなんだよ、ひーちゃんは」
「緋勇さんって、あの京一先輩が一目を置く程強い方なんですね」
「……そんな……」
龍麻は即座に否定するが、どうやら先程の帯脇に対する発言はかなり強烈な印象を与えたらしく、納得はしてもらえないようだった。それに、霧島と舞園を見ていると、彼らを落胆させる言葉を連ねること自体何となく気が引けてしまう。
どうしようかと心迷う間に、いつしか新宿駅東口に到着していた。
「それじゃあ、僕たちはそろそろ行きます」
「ああ、二人とも気を付けろよ」
「ありがとうございます。あの…本当にまた、遊びに来ても構いませんか?」
ひょっとして自分たちの発言で気分を損ねたのではと、舞園は黙りこくっている龍麻に恐る恐る訊ねる。
「もちろん。気が向くままに遊びに来てくれればいいのよ」
「はいッ、ありがとうございます。お言葉に甘えてまた遊びに来ますね」
「ひーちゃんの言う通り、ボクたちいつだって歓迎するからさ。あッ、でも、さやかちゃんはカワイイから、今度来る時はナンパとかにも気をつけないと…」
小蒔は声のトーンを一つ下げると、特にこの辺には京一並にタチの悪いヤツが多いからねと、舞園に囁く。
「小蒔…どうしてお前はそう、一言多いんだよッ!!ったく、さやかちゃんが俺のことを誤解したらどうするんだ」
「あははッ、誤解してるのは、さやかちゃんじゃなくて、霧島クンの方だよね!!」
「えッ、そんなことないですけれど?」
これはいよいよ重症かもと笑う小蒔を横目に、京一は霧島を呼び止める。
「霧島、何かあったら遠慮しないで俺たちを頼って来いよ」
「はいッ、京一先輩!!」
「今日は本当にありがとうございました」
名残惜しそうに何度も振り返りながら、霧島と舞園は人の渦の中へと消えていった。
「行ってしまったわね。二人とも本当に大丈夫かしら…」
何も起こらないといいけれどと、葵はしきりに心配する。
「ああ、帯脇のあの、絶対的な自信が気にかかるな」
醍醐も慎重な意見を述べるが、京一は霧島がいるから大丈夫だろうと事も無げに答える。
「あいつ、ああ見えても結構根性ありそうな目ェしてたぜ」
「へぇ〜よく見てる、さっすがセンパイ!!」
「うるせェなッ、ほら、とっとと帰るぞッ」
大股で家の有る方角へと足を踏み出そうとするが、
「ん、どうした。ひーちゃんは、ついてこねェのか?」
「ゴメンなさい、私、本屋さんにちょっと用が有るから…」
ここで四人に別れを告げ、龍麻は行きつけの書店へと足を運んだ。
≪拾壱≫
幸い捜していた書物はあっさりと見つかり、そうなると時間的にも気持ち的にも余裕が生じたので、隣接するCDショップを覗いていくことにした。
いつものように一番奥に位置するクラシックCDコーナーへと向かう、その途中、
「…この声は…」
龍麻の耳に飛び込んだのは、舞園さやかの、発売を間近に控えた新曲のプロモーションビデオを通して流れる歌声だった。見れば、店内中央には特設コーナーという形で、彼女に関連する商品が集められている。
<…そういえば、彼女の曲を聴いたことが無かったのよね>
折角だし買っていこうとCDを手に取り、レジへと近付いていくが、ふいに歩みを止める。視線の先にはファンと思しき男子学生数人が、購入したばかりのCDを手に、声高に談笑していた。
その様子は先程の京一の様子と重なり…居たたまらなくなった龍麻は彼らに背を向け、手にしたCDを元の場所へと置きに戻った
結局何も購入せず店内から出れば、とうに夕日はビルの谷間に沈み、代わって人工の光がとりどりに街を包み込む。そんな新宿の宵時、人々は決まって急ぎ足で歩いていた。
その姿は、闇から逃れたいという人間の、本能的な恐れがなせる業じゃないか…とその時の龍麻の目に映ってやまない。
<私も…逃れたい…こんな暗い気持ちから…>
そんな想いを抱え、ひたすら走るように歩き続け、中央公園に辿り着く頃には、さすがに軽い疲労感を覚えたので一寸だけ休憩していこうと、手近なベンチに腰掛けた。
「私…どうしちゃったんだろう…」
胸元に手を当てれば、脈打つ鼓動は鎮まっていくのと裏腹に、次は不快感が襲ってくる。
<不快なのは何?>
それは、先刻の高校生らと同様、舞園さやかを前にいつになくはしゃいでいた京一の姿なのだろうか?
<いいえ、違う…一番不快なのは…>
龍麻は立ち上がると、噴水池に近付いた。
ぼんやりと灯る外灯を背景に、水面に映し出された自分の顔は、どこまでも不安定に揺れている。
<こんな気持ちが自分の中に有ったなんて…>
罵倒すべきは燻った想いを抱える自分自身のはずなのに。
なぜか、その時口にして責めずにいられなかったのは──
「……京一の馬鹿…」
「ひーちゃん」
その直後、背後から声を掛けてきたのは、今、まさに悪口を投げかけてしまった人物。震える脚でぎこちなく後ろを振り返れば、当然ながら京一は憮然とした表情で立っていた。
「いきなり名指しで馬鹿ってのはねェだろ」
「ごめんなさい…」
身をすくめ俯く龍麻に、まぁいいぜと京一はため息をつく。
「あんだけ毎日毎日小蒔やアン子が馬鹿だのなんだの言いまくってたら、ひーちゃんだって悪しき影響を受けちまうもんな」
そう笑うと、少し話していかねェかと、龍麻が座っていたベンチを指差す。
無論、断る術も無く、龍麻は大人しく京一の左隣に腰掛ける。
「京一はどうして中央公園(ここ)に?」
一時の衝撃から立ち直れば、真っ直ぐ家に帰ったはずじゃないかという疑問が湧いてくる。
「俺か…俺は…。ま、一応鍛錬ってヤツをしにだな」
「それって、ひょっとして…」
霧島君に発奮してなのと、重ねて問い掛ければ、
「別に、霧島の一件とは関係ねェよ。前からやってることだし」
京一は照れくさそうにそっぽを向く。
「俺のことより、ひーちゃん。お前こそ、何でこんな時間にここにわざわざ立ち寄ったんだよ」
夜の帳(とばり)が降りた中央公園は、女性が一人で立ち寄る雰囲気の場所ではない。ましてや、
「暗い顔して噴水を眺めるようなトコじゃねェだろ。何だか今日はヘンだぜ、ひーちゃん。ラーメン屋でもそうだし…。そういや職員室から戻ってきた辺りからずっと何か考え込んでた節が有ったしよ…やっぱ犬神に何かヘンなことを吹き込まれたんじゃ…」
「……犬神先生…」
犬神という単語で、努めて忘れようとしていたあのフレーズがまた耳の奥で鳴り響く。
───人の心は移ろい易い…
「変なのは京一もよ…」
「俺が?」
「そうよ、私、今日みたいな京一見たくなかった…」
舞園を前に、心底楽しそうにはしゃぐ京一なんて、見たくなかった。
舞園を特別な女の子と言い切る京一の言葉なんて、聞きたくなかった。
───男の子って、こういうコの方が好みだったりするのかな?
「私は護られるような可愛げのある女の子じゃない…だから…」
───愛などというものが、永遠に不変なものだとは考えない方がいい
「だから…」
「待てよ、ひーちゃん」
遮る京一の声は、いつもより低く…それは大抵不機嫌になっている証拠だった。
何より龍麻はその先に続く言葉を聞くのが怖くて、自分の足元へ頼りなげに視線を送る。
「……ひょっとして嫉妬してたのか?」
「嫉妬…?!」
そうかも知れない…あの時不愉快に感じたのは事実だしと、俯いたまま小さく頷く。
「…それだけじゃなくて…さっきお店で舞園さんのCDを嬉しそうに購入する人を見て、『京一もこんな風にCDを買って、家で聴いているのかな』って思ったら、何だか急に居ても立ってもいられなくなっちゃって…」
深くため息をつく龍麻を、京一は自分の傍に引き寄せると、自分の胸元に龍麻の顔をうずめさせるようにして抱き締めた。
「…ちょっと…」
その腕に籠められた強さを咎める龍麻に構わず、京一は話し始める。
「俺さ、ひーちゃんが仲間のヤロー共と楽しそうに話してんの見て、無性に腹が立ったりしてたんだぜ。でも後になって、何でこんな気持ちになるんだって、そんな小さな考えしか浮かばねェ自分がとことん情けなくなったりして…」
「…京一も……」
「それに引き換え、ひーちゃんは、普段俺が何しようと嫉妬なんてコレっぽっちも見せたことねェじゃないか。おまけに仲間の誰にだって同じように優しく接してるし…けど、ひーちゃんでもやっぱり嫉妬するんだって知ったら、何だかやけに嬉しくなっちまって…」
「……………」
龍麻の耳に、京一の胸の鼓動が届く。
それは龍麻と同調するように、早いリズムを刻んでいた。
ようやく息苦しいまでの腕から解放され、ゆっくりと顔を上げれば、京一の顔から笑顔が消えていた。
「その…悪ぃ……」
「そんなこと…」
これ以上は、けれども、言葉では到底表せそうにない。だから…
京一の頬にそっとキスをした───
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