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魔獣行〜前編 第拾六話其ノ六

 ≪拾八≫

 鉄扉を蹴破るようにして、真っ先に飛び出したのは京一だった。

「帯脇───!!出てきやがれ、このくそったれッ!!」

 次いで小蒔が、さやかちゃんはお前みたいなヤツには渡さないと息巻く。

「オイオイ、てめーら、なァに勝ち誇ってんだよ」

 昨日同様、不快な金属音を連想させる笑い声を上げながら、帯脇が姿を現す。

「ホント、野暮なヤツらだなァ。俺様とさやかは、これからお楽しみなんだからよォ」

 傾きを増した夕日が影を落とし、その表情の全てを見ることは出来ないが、その発言だけで、五人が臨戦態勢を取るに充分だった。

「帯脇、貴様───!これ以上、勝手な真似はさせんぞ」
「ケケケッ、なァんだ。予定が狂っちまったなァ。こんなことなら、お前らもやっちゃえばよかったぜェ。さやかのコトを馴れ馴れしく口にする他の奴らや───霧島っちゃんみてェによッ」
「───霧島……君…?…霧島君に何をしたのッ!?」
「何だよ、さやか。そんな顔すんなよォ。俺様はただ、俺とお前の仲を邪魔する虫けらを、叩きつぶしただけだぜ?」
「そんな………」

 残酷に響くその言葉を、けれども舞園は、

「そんなのウソ!!」

 迷うことなく否定する。

「だって…霧島君は、私のことを護ってくれるっていったもの!!」

<だから…私はいつも護ってもらっていたわ…>

「辛い時も…悲しい時も…、いつも側にいてくれるって約束したもの…」

<だから…霧島君は、いつだって私の側に居てくれた…>

「霧島君は約束を破ったりしないわ。だから私……」

<だから、誰よりも、強く、強く───>

「霧島君を信じるわッ!」
「舞園さん…」

 龍麻は瞠目する。自分は一体この少女のどこを見て、あの時京一に対して「護られるような人」と言い放ってしまったのだろうかと…。

「さやかァ…、おめェ、まだわかんねェのかよォ」

 思いがけぬ手痛い反論を受けた帯脇だが、哀れみと優越感をない交ぜにした表情で舞園を見やる余裕はまだ失ってなかった。

「ケケケ、どうせ霧島のヤツは今頃もう───」
「へッ、いつまでもグダグダとふざけたコト言ってんじゃねェよ」

 京一の言葉が、帯脇の得意絶頂の笑い声に終止符を打つ。

「あいつには今、新宿一の名医がついてんだぜ」
「ええ、だから…安心して、舞園さん。霧島君は絶対に大丈夫よ」

 残る三人も同感だと強くうなずく。

「蓬莱寺さん、緋勇さん…。皆さん……!!本当に…本当にありがとうございます……」

 感極まる舞園を包み込む温かな《氣》を背に感じながら、京一は帯脇と差しで向き合う。

「………さァて、帯脇よ…。俺のカワイイ弟分を可愛がってくれた礼はきっちりしねェとな……」
「クッ……」

 自分を睨みつける眼光の強さに、思わず後ずさりしかけたが、帯脇は持ち前の虚勢でどうにかその衝動を押さえ込むことに成功する。

「……ケッ。まァいいや。取り合えず、てめェらは消えろ。俺様とさやかの邪魔をする奴は、全員死ねやッ!!」

 その台詞を合図に、総動員された帯脇の手下たちが一斉に姿を表す。

「へッ、上等だぜ」

 あっという間に包囲網を敷かれたが、今更動じる訳もなく、

「よっしゃ、────行くぜッ!!」

 愛刀を構え、一直線に飛び出していった。


「京一の奴…」

 いくら相手がただのゴロツキだとしてもと、醍醐が苦笑する。

「まあ、迎え撃つよりは逆に討って出る方がこの場合妥当だとも言えるが…。よし、背後の敵は俺が引き受けよう。龍麻は…」

 皆まで言わずとも分ると、龍麻が了承の意を込めて軽く微笑む。
 屋上の中心部に舞園、葵、そしていつでも威嚇射撃の出来るよう弓に矢をつがえた小蒔を残し、醍醐と龍麻も攻勢に出た。




 ≪拾九≫

<……そんな馬鹿な……>

 ここまで順調にコトは運んでいた筈だ、と帯脇は歯噛みした。
 目障りな邪魔者どもをことごとく排除し、掌中の珠をようやく掴みかけていた筈なのに───

<俺様の目の前のこの無様な光景は…>

 “あの男”から教わった人心を操る術を用い、易々と学内に侵入できた。
 その上で、尚も用心深く人海戦術まで敷いた。

 なのに……、

 目の前で繰り広げられるのは、圧倒的多数を少数が次々に打破する光景。
 中でも、自分の手下を薙ぎ払いながらこちらへまっしぐら向かってくる剣士の姿には畏怖すら覚える。

<このままでは俺様の築き上げた全てが奪われる……>

 恐怖と屈辱に震える帯脇が視線を彷徨わせれば、剣士を護りながら、自身も闘いに身を投じる女の姿が目に留まる。

 ───お前は…………あの時のッ!!

 瞬間、病院内の出来事がまざまざと蘇る。
 記憶のうねりはやがて大きな波となって帯脇の根底に揺さぶりをかけ、堪らずその場で膝を突くように崩れ落ちた。

 八岐の大蛇、信(まこと)に言ひしがごと来つ。すなはち船ごとに己が頭を垂り入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔ひて留まり伏し寝たり───

「ちッ、口ほどにもねェ」

 京一は、あっさりと屈服した帯脇に拍子抜けした気持ちを隠せない。
 醍醐が所詮ただのチンピラだと断ずると、

「ああ…。霧島(あいつ)が受けた傷はこんなもんじゃねェが、てめェをどうこうして、霧島の怪我が治るわけでもねェしな」

 剣の構えを解き、さっさとここから失せろと威喝する。

「二度と俺たちの前に現れるんじゃねェ」

 須佐之男命、その御佩(みはかし)の十拳(とつか)の剣を抜きて、その蛇を切り散りたまひしかば、肥の河血に変(な)りて流れき…

 だが、突如ゆらりと立ち上がった帯脇の口元には、歪んだ笑いが浮かんでいた。

「………ケケケッ……」

<あの時も突然現れたヤツの手によって、我は騙(だ)まし討ちされたのだ>

「────?」
「俺様に情けをかけようってのか…。揃いも揃ってめでてェ奴らだぜ…。そういう奴は長生きできねえんだよォ」

<我は無残にもズタズタに切り苛まれ、その屍は河を赤く染め上げ…>

「てめぇ…、何を?」

<そして、何もかもあの女の一族に……奪われたのだ>

 ───ニクキ天津神ノ奴ラニ、我ノ支配スル国モ、《力》モ、何モカモガ…

「ケケケッ…さやかァ。お前は俺様のモンだって、何度いやァ、わかんだよォ」
「…帯脇…くん…」

 尋常ならざる様子の帯脇に射すくめられ、舞園はびくりと震える。
 帯脇は血走った目を光らせながら、狂喜の叫びを上げた。

「霧島みてェな腰抜けに、何ができるっていうんだ…。これからは俺様がお前を護ってやるよ。俺様の《力》は、こんなもんじゃないんだぜェ」

 突如、生暖かい空気が吹き抜け、全員の肌を粟立たせる。

「なッ、なにコレッ───!?」
「この《氣》は…まさかッ…」
「身体が…熱い……」。
「葵ッ」
「蛇が見える……。大きな蛇が……」

 ほのかな光に包まれながら、葵は帯脇を指差す。
 すると───

「ククク…」
「帯脇の声が…」

 二つに引き裂かれた声が、不協和音を奏で、響き渡る。

「そうだ我こそは───」

 我こそは、偉大なる山神───
 我が名は、ヤマタノオロチ───

「ヤマタノ…オロチ?」
「おお、そこにおったか、クシナダ……我が巫女よ」
「クシナダ…?………それに巫女って?」

 自分を違う名で呼ぶ帯脇に、舞園は警戒心を一層募らせる。

「帯脇君……何を…言っているの?」
「お前は我より派生した、我が《力》の珠玉……。嘗(かつ)てスサノオに奪われし、我が《力》の源────」

 我が名は───ヤマタノオロチ!
  ───今コソ復讐の刻…!!

 帯脇の身体が陽炎に包まれたかのように大きくゆらぎ、ぼやけたかと思いきや、ぬめぬめとした肌と鋭い牙を持つ異形のモノに変生を遂げた。ちろりと見え隠れする舌は、毒々しい赤さで、

「まずはお前からだ。ヒユウタツマ。忌々しき天津神の系譜を受け継ぐ者よ」
「え?」
「我らが怨み、とくとその身で味わうが良い」

 呆気に取られた次の瞬間、

「……う…」

 焼け爛れゆくかと思える程の熱さが胸中を駆け巡る。

「ひーちゃんッ、どうした?」
「龍麻、しっかりして」

 身を屈する龍麻に葵が慌てて近寄り懸命に治癒術をかけるが、効き目は芳しくない。

「ククク、愚かな…、そのような術など効く道理も無い。何せ、お前の魂魄に直接毒牙を喰らいつかせたのだからな。先刻邂逅した時、既に…」
「……あ、…さっき……」

 病院での出来事が蘇る。かのモノが消滅後も心がざわついていたのは、これが原因だったのかと思い至る。

「チッ、変生したら益々陰険になりやがって…。こうなりゃ、とっととヤツを斃すまでだ」

 京一は剣を構え直すと、一気に詰め寄り、

「【剣聖・陽炎細雪】」

 持てる最大奥義を帯脇にぶつけた。
 だが──

 その中の尾を切りたまふ時に、御刀(みはかし)の刃毀(か)けき

「何ッ!?」

 鈍い音を立てながらひびが走ったのは、京一の剣の方だった。

「ククク…無駄だ。そこな“なまくら刀”の攻撃なぞ、神である我を斃せはせぬ」
「くそッ…」
「…龍麻の【秘拳・鳳凰】並みの攻撃をぶつけなければ、奴に傷を負わすことは出来ないのか…。いや、何か他に方策が有る筈だ…」

 醍醐は必死に思案を巡らせるが、帯脇は無駄だと言い放つ。

「かつて我を斃せしはただ一人、天津神であるスサノオのみ。しかし、最早ヤツは現世に居らぬ存在。お前たちの頼みの綱である天津神の《力》を継承した者は、我の毒牙にかかり、見ての通りの体たらく…」

 邪魔立てする者はもう誰も居ないと、全身を震わせ高らかに笑い、

「さぁ、クシナダァ!!今、そなたの元へ───ッ!!」
「────ッ!!」

 迫りくる恐怖で身動きできない舞園の前に、

「待てッ!!」

 旋風の如く飛び込み、敢然と立ちはだかる者が居た。




 ≪弐拾≫

「さやかちゃんには……指一本、触れさせはしないッ!!」
「霧島君ッ!!」
「ごめん……遅くなって…」
「お前……まさか病院を…」

 驚き呆れる京一に、霧島はこっそり抜け出してきたんですと説明する。

「霧島君。怪我は…」
「大丈夫。さやかちゃんの顔を見たら、痛みなんて消えちゃったよ」

 その時見せた表情は、舞園が心から待ち望んでいた霧島の変わらぬ笑顔で。
 そして…ごめんなさいと詫びる舞園に対する霧島の言葉も、いつもと同じだった。

「約束したろ?どんな時も君を護る───って」
「霧島君……」
「……貴様……、貴様…またしても我から巫女を奪う気かァッ!?」
「帯脇…さやかちゃんは、お前には渡さない」

 剣を手にした霧島の全身からは、蒼い炎がゆっくりと燃え広がっていく。

「僕のこの剣で、僕自身の《力》で、お前を斃す───!!」

 地の底からふつふつと湧き上がる怨念に身を焦がし、帯脇もまた霧島に吼えかかる。

 おのれ、やはりお前まで現世に蘇ったか、スサノオよ───!!

「スサノオ?霧島が…」
「……どうやら……そうらしいわね……」
「龍麻は…気付いていたの…?」

 まだ完全に快復出来ていない龍麻に治癒術を施しながら、葵が訊ねた。

「ひょっとしたらって、心の奥で引っかかっていた程度に…。でも…彼らしいわね…。大切なものを護る為に《力》に目覚めるなんて…」
「やれやれ、見せつけてくれるぜ。こりゃ俺が入る余地はねェな」
「初めから、そんなもんないだろッ……」
「…………。だとよ。これで一安心だろ、ひーちゃん」
「何で、ひーちゃんが安心しなきゃなんないんだよッ?」

 小蒔の突っ込みを、京一は意味有りげな笑いでかわし、

「よっしゃ、それじゃ行くぜッ…って言っても、肝心の得物がこれじゃな…」

 手にした剣の損傷具合からして、無闇に技を使ったら砕け散るのはまず疑いようが無い。

「それだけじゃないぞ、見ろ、京一…」

 帯脇を守護する格好で、十重(とえ)に二重(ふたえ)に、鬼火が次々と浮かび始めていた。

「ククク…幸いこの地には怨念が色濃く漂っている。天から下った新しい神によって我々国津神が地の底へ追いやられたように、後世、新しき神を信奉したが故に次々と殺されていった連中の怨念がな…」
「殺された…って?」

 帯脇の言葉の意味が呑み込めない小蒔に、龍麻が沈鬱な口調で答える。

「…江戸時代、この近くには…初代宗門改役の井上政重の屋敷が…在ったのよ。…別名『切支丹屋敷』と呼ばれた…」
「まさか、迫害されたキリシタンの霊魂を呼び寄せているというの…」

 葵は顔色を失い、京一は舌打ちをする。

「何でも有りだな…。無茶苦茶だぜ」
「どうする?霧島も《力》に目覚めたとはいえ、まだ実戦には慣れていないだろうし…」

 龍麻もまだ、快復には程遠いだろうと醍醐が気遣う。

「………そうね…。でも……」
「緋勇さん、お願いです。僕に帯脇と闘わせて下さい。いえ…僕が闘いますッ」
「そうこなくっちゃな。まッ、俺にしっかりついてくれりゃ全然大丈夫だぜ」

 意気上がる霧島の肩をポンと押し出すようにして、自らもまた闘いの場に身を投じた。


「……やれやれ。京一の猪突猛進癖が、霧島に移らんといいが…」
「う〜ん、霧島君の京一崇拝熱を考えると、ちょっと、いや大分不安だけど…その分、ボクたちがしっかりフォローしてあげなきゃね」

 そう言うなり、小蒔は鳴弦を始めた。

「あら、小蒔…そんな技、いつの間に覚えたの?」

 驚く葵に、

「えへへ、この間雛乃に教えてもらったんだ。何も攻撃するばかりが援護射撃じゃないって思ってね。見よう見まねに近いから、大して効果はないとおもうけどさ…」

 やらないよりはマシだよねと、片目をつむる。

「そうね…邪を払う《力》を高めれば……あるいは…」

 龍麻が小首を傾げかけ、はたと止める。

「何か作戦が浮かんだのか?龍麻」
「ええ…一応…。ということで、醍醐君は囮役に決定…」
「は…?」

 龍麻は醍醐を手招きし、作戦を耳打ちする。

「…ようするに、あの鬼火たちを一箇所に引き付ければいいんだな…」

 霊的なモノが苦手なのを知っていて結構酷いことを命じると内心ボヤいたが、しかし、このような敵に対しては自慢の攻撃力も防御力も半減以下になるのは客観的な事実であるからして、今回は囮役に徹するべきだと納得する。

「…次に、葵と舞園さん。二人には…」
「え、私もですか…?」

 自分に声がかかるとは思っていなかったのか、驚きに満ちた瞳で龍麻を凝視する。

「ごめんなさい…。でも…そんなに危険な真似はさせないから…」
「いいえ…、まさか皆さんの力になれるなんて…。私、精一杯頑張ります」

 舞園は自分の《力》を役立てられる喜びで顔を輝かせる。

「……舞園さん。そうしたら…」

 帯脇を頂点に、葵と丁度正三角形を描ける位置に立って、何でもいいから歌を歌って欲しいと指示した。

「はい、分りました」
「葵は…術でも何でもいいから、自分の《氣》を高めてくれればいいわ」
「ええ、任せて」

 そうして二人が、それぞれの位置に付いたのを確認すると、龍麻は未だ呪詛の抜けきらない身体に鞭打って《氣》を練り始める。


「チッ、こうも鬼火がうじゃうじゃと湧いてくるんじゃ、近づけねェぜ…」

 剣に《氣》を込め、一気に薙ぎ払いたい気持ちは山々だが、かといって、いざ帯脇と対峙した時に使い物にならなかったでは洒落にならないしと、この状況をどう突破するか、正直攻めあぐねていた。

「一旦下がってろ、京一」
「醍醐か。けどよ、お前あんまし得意じゃなかっただろ、この手の敵は…」
「お前たち二人を望み通り対帯脇の切り札にしてやる。だから、ここは俺に任せておけ」

 醍醐は強い口調で京一の言葉を遮る。
 ちらっと京一が背後に視線を飛ばすと、龍麻と葵と舞園が陣形のようなものを象っているのが目に飛び込んできた。

「…成る程、ひーちゃんに何か案があるって訳か…。それじゃ、言葉に甘えさせてもらうとするか。おい、諸羽ッ。俺たちは一旦後退するぞ」

 しかし、霧島は初陣に気を昂ぶらせてか、京一の制止の声にも気付かず、無我夢中で剣を振り回し続けている。

「あんな調子じゃ、直にバテちまうぜ…。マズイな…」

 危惧する京一の背後から、舞園が祈りを込めて歌い始める。

<…霧島君……皆さん…。私の歌をどうか聴いて……>

 屋上を隈なく響き渡る、心地良く涼やかなその歌声は、

「…さやかちゃん…」

 霧島に冷静さを、そして活力を取り戻させた。


 龍麻の身体が同調したのは、先ずは慣れ親しんだ葵の《氣》からだった。

 ──葵の《力》は菩薩眼……全てを映し出す、それは『鏡』の《力》に通じる

「魔を見通すは八咫…」

 ──歌声は人の心を揺さぶるもの…。魂振り…それは『珠』の《力》に通じる。

「魔を祓うは、八尺…」

 ──彼が本当にヤマタノオロチならば、伝説通り、その胎内に宿っている筈。

 龍麻の呼びかけに、音叉を叩いたように微細に震える金属音が響き始めた。

「魔を絶つは草薙…」

 三つの異なる《力》が調和を奏で始めたのを感じると、ここで一気に自身の《氣》を高め、それを媒体に全ての《力》を融合させる───

「天地霊宝…妖魔折伏方陣!!」


 帯脇を中心に渦巻く《氣》の流れが変化した瞬間を、京一は逃さなかった。

「よっしゃァ!行くぜッ、諸羽ッ!!」
「はいッ、京一先輩ッ───!!」

 初めて名前で呼ばれた喜びで霧島は顔を輝かせるが、直ぐに表情を引き締め前方を見据える。
 この一撃の為に醍醐が作り出した帯脇へと続く道を二人は肩を並べ一気に駆け抜けると、剣を高々と振りかざし、同時に帯脇の胴を斬りつけた。

 京一の剣は次の瞬間あっけなく砕け散ってしまったが、剣の軌道そのままに、拳に残る《氣》を強引に帯脇へと叩き伏せる。そこに白銀色を帯びた霧島の剣が十字に重なり、

「「剣聖・阿修羅活殺陣!!」」

 二つの光の軌跡は、岩のような帯脇の表皮を易々と切り裂いた。

「グアァァァッ。この我が…人間如きに……。もしやこれは…我の求むる体(うつわ)ではなかったのかァァ」

 絶叫と衝撃の波動は辺りを揺るがさん勢いで暫く続き───
 それらが全て治まった時、ヤマタノオロチの姿はこの場から消滅し、元の姿に戻った帯脇が倒れ伏していた。


「うぐ……ク、クソッ。大蛇と融合した俺様は不死身じゃなかったのかよ…。あのホラ吹きめッ!!」

 コンクリートの床からよろよろと立ち上がると、帯脇は狂乱したように意味不明な言葉を吼え散らし始めた。

「恨んでやる…恨んでやるぞ、あの野郎!!」
「あの野郎…?一体何を言っているんだ」
「さやか…。さ……や……か……」

 焦点の定まらない目で舞園の元へとゆっくりと近づき始める。

「さやかちゃん……下がって!!」
「帯脇、往生際がわりィぞ!!」

 京一の一喝に、帯脇は歩みを止める代わりに歪んだ笑みを口元に浮かべる。

「テメェら…あんましいい気になんなよッ。獣になりたがってるのは───俺だけじゃねェ………」

 そこまで言い放つと、急反転し、フェンス際まで一目散に駆け寄った。

「!?……まさか……ここから飛び降りる気?」

 龍麻の呼び掛けにも全く応じず、ひらりとフェンスを飛び越えてしまう。

「ククク……ケケケッ、忘れるなよ、全ては───これからさァ」

 遠ざかる声と入れ替わるように、鈍い地響きが屋上に届いた。




 ≪弐拾壱≫

「結局、奴が落ちた跡はどこにもなかったな」
「うん…一体、どこに行っちゃたんだろう。何だか謎ばかりが残っちゃったね」
「獣になりたいのは自分だけじゃない……か…」

 龍麻は帯脇の残した言葉を復唱する。

「一体どういう意味なのかしら…」
「さァな。それより、アイツの手からさやかちゃんを護れたことを喜ぼうぜ」
「そうね…。京一の言う通りよね」

 京一の言葉に、後味の悪い結末に曇らせていた表情を明るくする。

「緋勇さん…。緋勇さんや皆さんが来てくれた時、私、心の底から嬉しかったです」
「こうして僕たちが無事なのは、何もかも皆さんのお陰です…ありがとうございました。特に緋勇さんには…」

 龍麻は、自分は何もしていないと戸惑うが、

「病院で高見沢さんから話を聞きました。僕…もう少しで一番大切なことを見失うところでした…」
「そう………良かったわ」

 霧島の言葉に、表情を和らげた。

「それで…不躾なお願いが有るんですが…その…」
「何かしら?」
「緋勇さんのことも、これからは龍麻先輩ってお呼びしてよろしいですか?」
「おい、諸羽ッ。お前、この期に及んでひーちゃんにまで…」

 調子に乗るんじゃねェと、すかさず間に割って入る京一に構わず、龍麻はにっこりと承諾する。

「ありがとうございます。それと、もう一つ…さやかちゃんと相談したんですが…」

 これから先も何か必要が有れば、遠慮なく自分たちに声を掛けて欲しいと申し出た。

「僕たちは、これからも皆さんのお役に立ちたいんです」
「私の《力》を当たり前のように受け入れてくれたのは、他でもない皆さんですもの…。私の《力》が必要な時は、いつでも呼んで下さいね」
「本当かよ、さやかちゃん!!俺、明日にでも必要かも…」
「何だかんだいって、キミの方が調子に乗ってるじゃないかッ!!」

 いつものように小蒔から鉄拳制裁を受け、京一は夕日と共に大地に沈む。
 そんなごく日常の平和な光景を取り戻せたことに、五人は目を細めて笑った。


「それじゃ、皆、そろそろ帰りましょう」

 はい、と言いかけて、霧島はほんの一瞬気を失う。

「霧島君、大丈夫…?」
「うん…なんかホッとしたら、身体の力が…」
「出血してるな…傷が開いたんじゃないか?それに…もともと動けるような身体じゃなかっただろう」

 醍醐の指摘に、舞園は憂い顔をする。

「霧島君……こんなに酷い怪我なのに、私の為に…本当にありがとう」
「さやかちゃん…」
「まったく、しょうがねェなあ。ほら、手ェ貸してやるから。……立てるか」
「は、はい…済みません、京一先輩…」

 京一の肩を借りて歩き始めると、恥じ入る口調で呟く。

「僕……カッコ悪いですね」
「何言ってんだ、バカ。今日一番カッコ良かったのは、誰が見てもお前だぜ」
「そうそう。さやかちゃんを助けに飛び込んで来た時なんて、サイコーだったよ!」
「まッ、次は讓らねェけどなッ。……マジでカッコよかったぜ、諸羽」

 京一が軽く小突くと、霧島は顔を赤らめる。
 しかし、

「さァて、帰るかッ。って言っても───行き先は桜ヶ丘だけどな」
「えェッ!?僕、またあそこに戻るんですか」

 桜ヶ丘という言葉で、さぁっと顔色は青ざめていった。

「気持ちは分るが、黙って抜け出してきたんだろう?早く戻らないと、院長先生に可愛がられるぞ」
「うーん、それはどっちにしろ、逃れられないと思うけど…」
「はい……」

 すっかりしょげ返る霧島を、京一が励ます。

「諸羽───。もっと強くなれよ。さやかちゃんを護れるのは、お前だけだからな」
「は、はいッ、京一先輩。僕…頑張ります!京一先輩に負けない位」

 その時、龍麻にあの時と同じ声がまた囁きかけてきた。

  ───姉上………
  ───僕は今、ようやく見出せたんです。自分の居場所を…



 ≪弐拾弐≫

「それにしても…コイツがダメになっちまったのはショックだったぜ」

 霧島を送り届けた帰り道、京一は使い物にならなくなった自分の剣を手にため息をつく。

「本当に神話通りなら、ここで草薙の剣が登場するんだけれどね」

 その中の尾を切りたまふ時に、御刀(みはかし)の刃毀(か)けき。ここに怪しと思ほして、御刀の前(さき)もちて刺し割きて見そなはししかば、都牟羽(つむは)の大刀あり。

「八岐大蛇の尾から出てきたそれは、一旦は天照大御神に献上されるのだけれど、後に天孫降臨の際に三種の神器として再びこの地に戻ってきたとされているの。いずれにしても神剣中の神剣…。そうそう入手できる訳は無いわね」
「第一、剣よりも自分の腕前の方が大事だからな…。仕方ねェ、明日辺り旧校舎に潜るか」
「それなら、私も付き合うわ」
「本当かッ!!」
「でも…その代わりと言ったら何だけれど…、今からちょっと買い物に付き合ってくれるかしら?」
「そいつは構わねェけど…。ひーちゃんは何を買いたいんだ?」
「…舞園さんのCD…。昨日買いそびれたからっていうのもあるけれど……」

 京一を振り仰ぎ、龍麻ははにかみがちに微笑んだ。

「………最初は京一と一緒に聴きたいなって……何だか急にそう思ったから…」


 ここを以ちて、その須佐之男命、宮造作(つく)るべき地を出雲の国に求(ま)ぎたまひき。ここに須賀の地に到りまして詔りたまはく、『吾此地(ここ)に来て、吾が御心清浄(すがすが)し』と───

「これで須佐之男命にまつわる神話は一通り語り終えましたわ。けれども最後に…京梧様に聴いていただきたい歌がありますの」
「歌…?」
「ええ、この地に留まる為に新居を設けた須佐之男命が、約束通り櫛名田比売を妻に迎えた、その時の喜びを歌ったもの…。我が国に伝わるもっとも古い歌を…」

 この大神、初め須賀の宮作らしし時に、其地(そこ)より雲立ち騰(のぼ)りき。
 ここに御歌よみしたまひき。その歌───

や雲立つ 出雲八重垣
妻隠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を
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