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魔獣行〜後編 第拾七話其ノ弐

 ≪伍≫

「ここから池袋までは山手線か埼京線で約10分。どちらの電車も運行本数は多いし、今から出発しても17時前には余裕で到着できそうよ」
「なら向うについても、まだしばらくは明るいぜ」
「とはいえ、そろそろサラリーマンの退社時刻に重なる。そうなると池袋も結構な人手だろう」

 校門へと足早に向かいながら、五人は早速これからの打ち合わせを始めた。

「うーん…結構大変かもね」

 醍醐の言葉を受け小蒔がぼやくのに対し、京一は、

「いや、俺は、そうは思わねェぜ」
「えッ────?」

 四人全員の視線が京一へと集まる。

「ヤツが力を貸していた帯脇を俺たちは倒した────。ヤツが何者かは知らねェが、向こうの方から、ちょっかいかけてくるかもしれねェぜ」

 それは十分に考えられると、醍醐が深く頷く。

「だが、たとえ罠が待っていようとも、行かない訳にはいかんだろう」
「そうね…。あれから日も経っているし、罠を仕掛けている可能性は高いでしょうけれど。でもこれ以上被害を拡大するのは…」
「ああ、関わりの無い人たちが犠牲になっていくのを、これ以上手をこまねいて見ていたくはない。この《力》がある限り、これは俺たちの務めだからな。俺たちが……やるしかないんだ」
「ったく、相変わらずすかしたこと言いやがって。今からそんな気ぃ張ってたら、いざって時に身体が動かねェぜ」

 醍醐の肩を軽く叩き、駅へ向かおうと目線で促す。

「そうだな…」
「…あれ?向うにいるのって…」

 いち早く校門付近に佇む人物に気付いた小蒔は、素早く額に手をかざしてよくよく見やる。

「霧島クンだッ!!」
「おッ、本当だな。こんな所で何やってんだ、あいつは」
「何って…、多分、京一に用が有るんじゃないのかしら」
「俺にか〜?────おい、諸羽!」

 帰宅する真神の生徒たちからの好奇に満ちた視線と目をあわさぬよう、今まで地面を所在無く見つめていた霧島は、京一の呼び声にぱっと顔を上げた。

「京一先輩、龍麻先輩。みなさんも……お久しぶりですッ!!」
「相変わらず元気いっぱいね」
「はいッ、ありがとうございます。龍麻先輩もお変わりないですか?」
「ええ」

 龍麻が笑顔で応えると、霧島も破顔一笑する。

「龍麻先輩がお元気そうで、僕も嬉しいです」
「お前という男はつくづくいいヤツだな、霧島。礼儀も正しいし…」

 醍醐が感心すれば、それまでやや憮然としていた京一までもが満足そうにうなずく。

「さすがは俺の弟子だぜッ」
「ホント、師匠はこんなに礼儀知らずなのにねぇ〜」
「────!」

「ところで、霧島」

 小蒔と京一が諍(いさか)いを始めぬよう、醍醐が場の話題を素早く転じた。

「体の方は良くなったのか?」
「そうだぜ、お前絶対安静の重症だったろ。もう出歩いても大丈夫なのか?」

 醍醐や京一の問い掛けに対し、霧島は実は今しがた病院に行ったばかりなのだが、院長先生からこれからは週に一、二度程度の通院でいいと言われたのだと説明する。

「そうか、そいつは良かったな」
「はいッ!でも、僕、感激です。みなさんや、その……京一先輩にそんなに心配してもらえるなんて…」
「あははッ、相変わらずだね、霧島クンの《京一先輩病》は」
「怪我は治っても、それだけは治らなかったか……」
「え────?」

 きょとんとする霧島を前に醍醐は苦笑を浮かべ、小蒔は神妙な顔で京一に忠告する。

「京一、こうなったら少年の夢を壊さないように、普段の素行にも気をつけなよ」
「あー、はいはい、わかりましたよッ」

 およそやる気とは無縁の、投げやりな返事を返す。
 しかし続く霧島の言葉に対しての口調は一転して重く、

「あの……みなさんは今から帰る所なんですか?」
「いや────、池袋に………ちょいとした野暮用でな」
「何カッコつけてんだよ、話したって別にいいじゃん。あのね、ボクたちこれから豊島でおきてる謎の事件を解決しに池袋に行くんだよ」
「えッ、それってもしかして、人が突然発狂するっていうあの事件のことですか!?」
「────ったく、おしゃべりなヤツだな」

 京一は舌打ちすると、やむなく霧島に向い直り説明を続けた。

「お前には黙っておこうと思ってたんだけどよ、どうもな、この事件の犯人は帯脇と関係があるんじゃねェかって」
「帯脇と!?」

 その人物の名を耳にした途端、霧島の表情がみるみる強ばる。

「そうですか……それなら────僕も…僕も一緒に連れて行って下さい。帯脇に関係するのなら、僕にも関係はありますッ」
「それはそうかも知れねェが────」

 京一は同行に異議を唱えるが、霧島は強くかぶりをふった。

「そいつが何者であれ、さやかちゃんを傷つけるのに荷担したのなら、僕は……絶対に許さないッ」
「霧島……」
「京一先輩、龍麻先輩、みなさん……お願いしますッ!!」

 霧島の気迫のこもった嘆願に、龍麻は自然と頷いていた。見れば葵や小蒔、醍醐も同じように────京一だけはまだ首を縦にはしなかったが、否定の色はその表情から消え去っていた。

「ありがとうございます。僕……すっごく嬉しいです。皆さんの足手まといにならないよう、一生懸命頑張りますッ!!」
「しょうがねェな」

 渋々といった様子で、京一も承諾する。

「その代わり、自分の身は自分で護れよッ。俺たちにゃ、そこまでの余裕はねェからなッ!!」
「とか何とか言って、いざって時には助けに飛んで行くのが京一なんだよね〜」
「誰が行くかッ!」

 吐き捨てるように小蒔に向かって言葉を返すなり、そのまま京一は地面を蹴り上げる勢いで歩き始めるが、少し歩いたところでくるりと振り返った。

「おらッ、早くこねェと置いてくからなッ」
「は、はいッ、京一先輩ッ!!」

 あたふたと霧島が京一の後ろを追いかけ始める様子を目に葵は三人に微笑む。

「京一君、いつにも増して頼もしく思えるわね」
「…そうね」

 小さく頷き、今度は龍麻が三人に声をかける。

「────それじゃあ、私たちも行きましょう」




 ≪六≫

 池袋に到着した六人がひとまず東口の改札から表へと出た時、太陽は幾分高度を下げたとはいえ、街を調査するにはまだ十分な明るさを保っていた。

「池袋か……久しぶりだな、ここも」
「うん。近い割には滅多に来ないしね。でも、池袋にも美味しいラーメン屋が結構あるんだよね〜」
「桜井………」

 溜息混じりに、俺たちは遊びに来た訳じゃないんだぞと醍醐が釘を刺す。

「ゴメンゴメン、わかってるって」
「まあ、美味いラーメンが食いたきゃ、さっさと悪党を捜せってことだな。けどよ────」

 京一は首を巡らせ周囲を観察する。

「こうやって眺めてても、妙なところはねェな」

 校門での醍醐の発言を裏付けるがごとく、駅前は学生・サラリーマン・買い物客らが文字通り交差している。おさおさ新宿に引けを取らぬ盛況振りに葵も頷いた。

「街を行き交う人の表情を見る限りでは、とてもあんな事件が起こっているなんて思えないわね」
「そうだな。池袋、渋谷、新宿────都内で有数の人と物の密集する場所だ。こういう所には、あらゆるものが引き寄せられてくるというが…、どうだ、龍麻…お前も何か感じないか?」

 龍麻も同様に神妙な表情を見せると、醍醐は苦笑を頬に浮かべてそれに応える。

「うむ。苦手なものほど敏感に反応すると良く言うが……、いや、感知してしまうからこそ苦手なんだろうか────」
「要するに、アレがいるって言うんだろ?醍醐」

 アレとは何ですかと霧島が訝しげに訊ねれば、

「アレっていうのは、ほら、夏に出るアレのことだよ」

 京一は謎かけのままで返し、にやりと口角を上げる。

「夏に出るアレ………?」

 考え込む霧島に、小蒔が京一の言葉を真に受けちゃダメだよとアドバイスする。

「幽霊はなにも、夏にしか出ないって訳じゃないんだからさッ」
「えッ、アレって……幽霊のことだったんですか!?」
「まぁ、そういうことだ。それに人の集まる所には、成仏できないアレが人肌求めて漂ってくるって言うからな」
「それだけじゃないわ…よくは判らないけれど、激しい憎悪を感じるの…」

 葵が表情を固くする。見えぬそれらに対抗するかのように…。

「何か…強大な悪意がこの街の空を覆っている……」
「渦巻く怨念を糧とする、か」

 ヤツがこの街にいるのは間違いなさそうだと、京一もまた────。

「取り合えずもう少し街の状況を見ようぜ。俺も池袋はあんまり詳しくねェけど」
「それなら一番人通りの多い所がいいんじゃないかしら…」

 龍麻の提案に、霧島がだったらサンシャイン通りに足を運んではどうですかと口添えする。

「お前、池袋近辺は結構詳しいのか?」
「ええと、はい、実は…さやかちゃんの所属事務所が池袋にあるんです。それに僕たちの学校も池袋から近いですし……」

 だから新宿よりは池袋の方が…と控え目に案内を買って出る。

「今度は霧島君が頼もしく見えるわね。それじゃお願いできるかしら」
「はいッ、龍麻先輩。喜んで────」


 霧島の先導で歩き始めた一行は、ものの数分もしない内に彼のアドバイスが正しかったことを認識させられる。サンシャイン通りは既に入口から人の姿が溢れ返らんばかりの賑わいを見せており、

「あんな事件のウワサがあるってのに、結構な人手だね…」
「確かにそうだな。怖いもの見たさの野次馬もいるだろうが、大半は気にも留めない────自分だけは大丈夫、と思ってるんだろうな」

 醍醐ですら予想以上の混雑を前に、呆れ口調になるのを隠せずにいる。

「けどよ、無感動で無関心────。そうじゃなければ、やってらんねェってのも有るんじゃねェのか」
「そうね…でも……」

 ぽつりと龍麻が呟く。

  ────それはとても、寂しいことね……。

 けれども気を取り直して付近を探索し始めた矢先、

「待って下さい────みなさん!!」
「あら……この声は……」
「さやかちゃん!」

 振り向いて確認するまでもなく、京一が声の主の名を言い当てた。

「はい、お久しぶりです」

 嬉々として挨拶をする舞園に、霧島はどうしてここに?と疑問を投げかける。

「今日は赤坂のスタジオで、レコーディングのはずじゃ…」
「ふふッ、もう終わったのよ。それで事務所に戻る途中、皆さんの姿を見かけたからつい嬉しくて声をかけちゃったんです」
「そうなの、私たちも思いがけずここで舞園さんに逢えて嬉しいわ」
「龍麻さん…。ふふふ、私も龍麻さんに逢えてすっごく嬉しいです。お元気そうな姿を見て安心しました。それから、あの時は本当にありがとうございました」

 そう言うなり五人に頭を下げた。

「そんなに気を使わないで。私たちは当然のことをしただけだもの」
「葵の言う通りだよ、さやかチャン」
「それに、用事が済んだなら早く帰った方がいい。この辺りはちょっと…良くないからな」
「……あの事件ですね。私にも何かお手伝いできると良いんですけれど…」
「何言ってんの、さやかチャン。余計なことは考えずに、仕事頑張ってねッ」
「さやかちゃんの歌声を聴くことで、癒されている人は沢山いるんだから」
「はいッ!」
「それに、もし本当に助けが要る時は遠慮なく声をかけさせてもらうさ」

 一旦は憂い顔を作るが、続く小蒔や葵の励ましの言葉に再び明るさを取り戻す。そして、醍醐の申し出にその時はぜひと笑いかけ、ふと表情を止めた。

「不思議ですね、皆さんと話してると何だかすごく元気になれる気がします」
「舞園さん……」

 龍麻の声に重なるように、やや離れたところから男性が呼び掛けてきた。

「さやかちゃん!そろそろ行かないと」
「あッ……は〜い」

 男性に向かって慌てて返事をすると、五人に向かって再度頭を下げる。

「ごめんなさい…私、もう行かなくちゃ…。さっきからマネージャーさんを待たせたままなんです」
「私たちもそろそろ移動しなきゃと思っていたから、そんな風に謝らなくてもいいのよ」
「……龍麻さん……。あッ、そうだ────」

 さやかは鞄の中から銀色に光るCDの入った透明のプラスチックケースを取り出した。

「良かったらこれ…受け取って下さい」
「これって…もしかして……」

 訝(いぶか)しむ龍麻に、さやかはマネージャーに聞こえないよう小声で話す。

「さっきレコーディングしたばかりの新曲が入っているんです」
「そんな発売前の貴重なものを…私に?」
「ぜひ龍麻さんに最初に聴いていただきたいんです」

 手早く龍麻にそれを渡すと、今度は霧島と一言二言言葉を交わした。

「────また後でね、霧島くん」
「うん、さやかちゃんも気をつけて」
「皆さんもお気をつけて……それじゃあ、失礼します」


「やっぱりカワイイよなぁ、さやかちゃんは」

 遠ざかる舞園の後姿を見送りつつポツリと京一が呟く。そんな京一の姿に小蒔が「相変わらずだらしない顔だよね」とボソリと断定する。

「………あら…?小さな男の子が一人で走ってくるわ」

 と、今度は葵が反対側から近づいてくる人影に気付いた。

「本当だ……迷子か?」

 周囲を突き飛ばさんばかりにこちらに向かって駆け込んでくる男の子の形相は必死という形容詞が相応しく、何事かと醍醐が眉をひそめる。

 だが、こちらが声をかけるまでもなく、男の子は目の前で立ち止まると、

「見つけたぞッ!!お前ら人間なんかに、この世界は好きにさせないからなッ!!」

 まだ舌足らずな幼い口調におよそ似つかわしくない辛らつな言葉を、居並ぶ六人に向かって吐きかけてきた。

「はぁ?何言ってんだ、お前────」
「ボクは知ってるんだぞッ!!お前たち人間は、ボクの仲間をたくさん殺した。自分たちの都合だけで、ボクの仲間を何万匹もッ!!」
「何だ……こいつ…」
「……………………」

 黙りこくる龍麻を男の子は「しらばっくれてもダメさ」と挑発的に睨みつける。

「ボクはもう、お前たちの仲間を五人もやっつけたんだ。でも、お前たちはしぶといな。いまだにボクの────」

 それまで握り締めていた小さな拳を開くと、自らの腹部を撫でさすった。

「お腹の中で泣きわめくんだからなッ!!」

「「────!!」」


「あ、ちょっと待て────」

 嬌声交じりに走り去る男の子を、慌てて醍醐が呼び止めるが、

「行ってしまったか……一体どういうことなんだ」
「お腹の中なんて、それってもしかして……食べちゃった…ってこと」
「ふふふ、知らないの、お姉ちゃんたち……」

 小蒔らが男の子の言葉の意味を捉えかねていると、今度はいつの間にか近寄っていた少女が語りかけてきた。

「この辺りはねぇ、むか〜しむかしは寂しい森だったのよ。でも追い剥ぎに辻斬り……悪〜い人がいっぱいいて、旅人も動物もみ〜んな殺されちゃったの」
「そういえば…この辺りに寺社が多いのは、一説には亡くなった方を弔う為とか…。それに他にも……」

「療養所の人々に…一時、奇病が流行ったという噂は聞き及んでましたが……まさか、裏でそのような恐ろしい儀式が執り行われていたからだとは……」
「ああ、俺たちも現場に踏み込んだ時は、あまりの異様な光景に驚いたけどな」
「私には…儀式や化け物よりも、その術者の心に潜む闇の方が……」

 ……遥かに恐ろしゅうございます、京梧様────

「────ひーちゃん?」
「いえ………何でもないわ」

 幻聴かと心の中で呟くが、けれども少女は嬉しげに尚も語りかけてくる。

「うふふふ、お姉ちゃんには聞こえるのね。そうなの、ひどいでしょう?他にも馬や、犬や、それから────猫も────!!」
「油断するな、皆。この少女、どこかおかしいぞッ!!」

 醍醐の警告にも、少女は同じく酷薄な笑みを浮かべるだけで。

「みんなが寂しがってる。……冷たい地面の下で泣いているの。お腹が空いたって泣いてるの……。だからあたし────」

  パパとママをみんなにあげた────
  みんな、おいしいおいしいって喜んでくれた……────

「だからあたしも一緒に食べたの………」
「喰った……だと……。一体どういうことだッ!?」

 京一は相手がまだ子供だという遠慮をかなぐり捨てて問い詰めるが、少女は動じることなく「ついておいでよ」と冷ややかに返す。

「みんながいるよ、寂しくないよ────」

 くるりと背を翻すと、少女は先ほどの男の子と同じ方角へ小走りに走り去った。

「さっきの男の子といい、あの子まで…一体…」

 ますます困惑する小蒔に、葵が例の事件との関連を口にする。

「もしかすると、二人とも何かに憑かれているのかしら」
「それはあり得るな……とにかく後を追おうぜッ!!」
「ああ、事件の手がかりをここで見失う訳にもいかん。急ごう、みんな」




 ≪七≫

 追跡相手が子供だったことが幸いし、さして苦労することなく次なる目的地へと到着した。

「ここは…雑司ヶ谷霊園……」

 簡素な入口に掲げられた表札を龍麻が読み上げると、鬱蒼とした木立に囲まれてずらりと立ち並ぶ墓地を前に、小蒔がふと洩らす。

「随分と広いね。夜、こんな所を歩いたら確実に迷子になりそう……」
「不吉なことを言わんでくれ、桜井。夜の墓地なんて青山霊園だけで十分だ」
「そういえば、そんなことも有ったわね」

 懐かしいと口を開きかけた葵だったが、直後、表情を強張らせる。

「────何か……いるような気がしない?龍麻……」
「そう?この辺りでは強い負の《氣》は然程(さほど)感じないけれど…」

 大丈夫よと断言すると、墓地独特の雰囲気に呑まれかけていた葵を落ち着かせる。

「龍麻……。私ったら、少し過敏になっているのかもしれないわね。心配かけて……ごめんなさい」
「龍麻はそう言うが、俺は…やはり何か感じるんだが……」
「気のせいだ、気のせいッ!!お前もちょっと過敏になり過ぎだぜ、醍醐。それより、こんなトコでぐずぐずしてっと、あっという間に日が暮れちまうじゃねェか」
「それもそうだな。よし、あっちの区画からしらみつぶしに探索するか」


 園内を歩き回る事10分。しかし────

「う〜ん。ボクはやっぱり何も感じないけどな…」

 小蒔が本当にあの子の言葉を信じても良かったのか、首を傾げる。

「一体何が────」
「君たち……」
「────ッ!?」

 不意に背後からの声にぎょっとしつつ振り向けば、そこに立っていたのは、ごく普通の紺色のスーツを着、銀縁の眼鏡をかけた、見るからにサラリーマン然とした男だった。

「何だ、ただのおっさんか」

 京一が何か用かと問いかけると、淡々とした口調で物騒な言葉を口にする。

「君たち……死にたいと思ったことあるかい?」
「えッ………?」
「僕はあるよォ……いつもいつもだ。課長さえいなければなァ。そう、あの課長さえいなければ、いなければ………。ああそうかッ……くッ、くくくくく…」

 閃いたといった様子で、口元をひきつらせ歪な笑い声を上げた。

「やっぱり食っちゃえばいいのかなァ。あのでっぷりとした腹に牙を突き立てて…うひッうひひひいひ」
「何だ、こいつ……」
「うふふふ。可愛いわね、ボーヤたち」

 今度は別の区画から若い女性が急接近してくる。

「わッ、きょ、京一先輩…こっちからは女の人が追ってきますよ」

 いち早く気付いた霧島が警告を発する。女性は口紅の朱も鮮やかな唇を舌なめずりしながら、恍惚の笑みを零す。

「柔らかくて美味しそう……。私を捨てたあの男なんかよりよっぽど美味しそう…ねぇ、どこから食べられるのがいい?そのお顔から?それともお尻かしら?……ふふふ、それともやっぱり……丸飲みがいいかしら?」

 その異様な言動に圧倒され、霧島のみならず京一も言葉を失った。

 気が付けば先ほど遭遇した子供たちは勿論、見知らぬ男女の群れに徐々に包囲されつつある。
 年恰好も身なりも統一の無い彼らの共通項といえば、狂ったように笑う姿。
 そして────

「みんなみんな、お腹を空かせている」
「今度はボクたちの番なんだ!!ボクたちが人間を喰らい尽くす番なんだッ!!」

 目の前にいる人間たちへの、剥き出しの殺意。

「まさか、この人たちは全員……憑依された人たちなのッ!?」
「わからねェ…けど…」

 一般人相手に自分たちの《力》を無闇に振るう訳に行かないと、京一は苦渋に満ちた表情を浮かべる。

 どうすればいい────全員が天を仰ぎかけたその時、

「みんな────!早く、こっちへ!!」
「えッ!?……あッ!!天野さん!!」

 人垣の向う側から天野が早くこちらへと大きく手招きしていた。

「ここは《彼ら》の憩いの場なのよ!私が安全な場所まで案内するから、早くッ!!」
「あの人……、誰なんですか?」
「あの人は天野さんといって、ルポライターなの、霧島くん。この東京に起こる怪事件を追っていて、いつも私たちを助けてくれる人よ」
「そうなんですかッ!!よかった〜。助かりましたねッ」

 葵の説明に、霧島はほっとした表情を浮かべる。

「ああ、まさに救いの女神だな。一般人を傷つけるワケにはいかねェし、ここは逃げるぜッ!」

 その場から駆け出すと、憑かれた人々もまた一斉に走り出した。

「う、うわッ、追っかけてくるよッ!」

 ────どこへ……どこへ行くんだぁぁあ
 ────あはははははッ、逃がさないわよ、ボウヤたちッ
 ────ボクが最初にやっつけてやるんだあああ

「こんな所で捕まる訳にはいかん。みんな走れッ!!」


 彼らをまく為に住宅地をジグザクに駆け抜け、ようやく一息つくことが叶ったのは駅近くに有る公園まで辿り着いてからだった。

「追ってはこないみたい………もう、大丈夫よ、みんな」

 気遣う言葉を口にする天野に対し、けれども全員礼を返すどころではなく、ただその場にへたり込んで荒い息を吐くばかりで。

「はぁ……ボク……もうダメ………」
「さすがの俺も……息切れしているな」
「ぼ……僕もです。それにしても…天野さんって、足が速いんですね。もしかして……学生時代は陸上部か何かに所属されてたんですか?」

 激しく胸を上下させながら、霧島が心底感心した面持ちで天野に訊ねた。

「確かに……。あれだけ走ったのに、息切れ一つしねェなんてよ。大したモンだぜ、エリちゃん」

 京一も必死で息を整えながら、いつもの調子で天野に話し掛ける。
 だが────

「………エリちゃん?」
「えッ……?あ……ああ、そうなの。ルポライターはこの脚で情報を集めて歩くんだもの。日ごろからちゃんと鍛えてるのよ」

 天野はぎこちなく相槌を返すと、張り付いた笑顔で六人を見つめた。

「それに引き換え、ふふ、みんなそんなに息切れしちゃって。………あら?……緋勇……さん。あなたはもう大丈夫なの?」
「はい、ご心配おかけして済みません」

 そう…と受け答える天野の口調は明らかに愛想を欠いている。

「もう少し疲れているかと思ったけれど、意外だわ……」

「天野さん……何だか、様子が変ね」
「ああ……いつもと感じが違うな」
「……………」

 違和感を覚えた葵と醍醐が囁き合うのを黙って聞いていた京一が、唐突に天野に問い掛けた。

「なぁ、エリちゃん。さっき墓地にいたのは……。あれは皆、霊に憑依された奴らなのか?」
「────いいえ、違うわ」

 きっぱりとした否定に引き続いて飛び出した発言に、一同は目を見開いて驚く。

「あれこそが、誰もが心の奥底で望んでいた姿なのよ」
「なんだって!?」
「天野……サン」

 口元に再び優越感に満ちた笑みを浮かべ、天野は滔々(とうとう)と語り始めた。

 滅びの道を加速する現代文明は間もなく終焉を迎える…。
 そして来る新しい混沌の世には、獣の性(さが)を持つ者こそ相応しい。
 生きる為に…ただその純粋で崇高な目的の為に────殺し合い、奪い合い、そして────喰らい合う

「それこそが人間の本能であり、本性…。この世紀末にこそ、人類はあるべき素へと帰るべきなのよ」
「エリちゃん……一体どうしちまったんだッ」
「そうだよッ!こんなのなんだか………全然天野サンらしくないよッ!!」

 京一や小蒔が不信感を真っ直ぐにぶつけても、挑発的に見返すだけだった。

「ふふふ……真実が知りたければ私についてらっしゃい……こっちよ────」




 ≪八≫

 公園から歩くこと数分、天野に導かれるまま辿り着いた場所は、現在何らかの事情で工事が滞っているのか半壊状態のビルや建物が埃だらけの重機と共に放置されている、街中とは思えぬ殺風景な空間だった。

「この辺りはみな廃屋か……」
「なぁ、エリちゃん。こんな人気のねェ所で一体何をする気だよ」

 焦れて京一が問いただすが、天野の答えは先程までと何ら変わらず。

「知りたければいらっしゃい……。この中に全ての答えがあるわ」

 素早く身を翻すと、斜めにひしゃげたシャッターの隙間から内部へと姿を消した。

「あッ、天野サン!!」
「しょうがねェ。俺たちも中へ入るぜ」

 警戒しつつ六人も天野に続いて内部に侵入する。
 窓という窓が閉ざされた廃屋内は、当然ながら明かりが点されている筈もない。


「薄暗くって……よく見えな────あッ!!」
「どうした、桜井────」

 無言のまま小蒔が指差す方角を見て「うッ」と声を低く詰まらせた。先ほどの墓地での一群と同じ、殺意を剥き出しにした眼でこちらを見据える人々の姿が、そしてその真ん中で嫣然(えんぜん)と微笑む天野の姿が醍醐の目にもはっきりと捉えられたからだ。

「私たち…囲まれてるわ!!」

 間髪あけず背後の異変に気付いた葵も叫び声を上げる。

「やっぱりこれはみんな、憑依された人たちなの……?」
「どう見ても普通の人間の瞳(め)じゃないですね。あれじゃ…まるで────」
「ああ、血に飢えた獣の眼だ…。どいつもこいつも尋常な人の瞳じゃねェッ」

 霧島の言葉に強く頷くと、京一は袋から抜き去らぬままの剣を天野に向かって突きつけた。

「一体、どういうことなんだ?エリちゃん」
「フフフ………ウヒヒヒヒヒッ!!」

 すると、今までの天野からは想像も及ばぬ下劣な笑い声が場内に響き渡る。

「エリちゃん────!?」
「違う。今のは天野さんの声じゃないわ」

 龍麻がきっと睨みつける間に天野の声は完全に男のそれへと変貌を遂げ、こう告げた。

「────ようこそ、獣の巣窟へッ!!」

「まさか天野さん────」
「ああ…恐らくは俺たちに会う前に何者かに憑依されたんだ」
「そんなッ………ヒドイよッ!!」
「くそったれがッ!とっととエリちゃんの体から出ていきやがれッ!!」

 小蒔が涙目になりながら天野の体を乗っ取っている男に抗議する。京一は剣を袋から素早く取り出し青眼に構え、醍醐や龍麻も京一に倣いそれぞれ臨戦態勢を取った。

「くくくッ、この女は十分に役目を果たしたぜッ。邪魔なてめェらを、この罠に誘い込むなぁ」
「そういうことか…」
「貴方が────憑依師なの!?」

 龍麻の言葉に一瞬だけ表情を固まらせたが、フン…と鼻を鳴らすと、

「答える義理はねえなァ。それより────余計なことに首を突っ込んだ己の愚かさを呪うんだなッ!!俺の可愛い獣たちが飯の時間をお待ちかねだ。喰われたくなかったら、せいぜい無様に逃げ回ることだな」

 先刻闘わずして逃げ出したことを愚弄(ぐろう)する言葉を投げかける。

「くッ………」

 相手が一般人というハンディが肩に圧し掛かり、六人は苦渋の色を濃くする。その様子をひとしきり嘲笑すると、控えている手下たちに抹殺の合図を送った。

「────────やれッ!!」


「ちッ、こうなったら……やるしかねェッ。けれど…諸羽────お前はこの闘いには参加するな」
「えッ……?」

「まだ傷が完治してねェだろ、だからこのまま下がってろ」
「でも、僕だって…」

 闘えますと言いかけたが、京一に一睨みされてそのまま口ごもる。

「霧島…、闘うばかりが何も修行ではないぞ」
「あ……は、はい、そうですね────あの時の僕は……」

 先日の屋上での自分の闘いぶり────闘いの高揚感に浮かされるまま突っ走ってしまい、皆に迷惑をかけたことを思い出して赤面する。あの時は相手が人外のモノだったから良かったものの、今目の前にいる敵は心は獣に憑かれているとはいえ、ただの人間である。

「分かりました」
「それに霧島君が後方にいてくれたら何かと安心だわ。葵と小蒔のボディガードをよろしく頼むわね」

 そう言い置くと、龍麻と京一は呼応するように前方へと駆け出した。醍醐は反転し、自分たちの背後から襲いかかろうとしている一群へと単身向かう。

「桜井────」
「オッケイ、ボクにまかせて」

 背後の敵へと威嚇射撃する。矢は過たず足元付近の床に突き刺さり、獣に取り憑かれた男は怯んで立ち止まった。そこへ、

「おるぁあああ」

 いつもよりもかなり手加減を加えたハードブローだったが、それでも男は埃だらけの床にあっさりと沈んだ。

「まだ精神面が憑かれているだけで、身体的にはあの時の帯脇のような際立った変化は特に現われてないな。ということは、京一、龍麻────」
「ああ、判ってる。要するに峰打ちすりゃいいんだろ」

 京一は手にした刀の柄を握りなおすと、

「行くぜッ────」

 敵陣を剣を一振り、二振りしながら駆け抜ければ、数瞬後、折れ重なるように獣憑きの人々が昏倒した。

 そして龍麻も、

「────巫炎」

 闇に鮮やかに燃え広がる浄化の炎で相手の目をくらませ、鳩尾に掌打をすばやく叩き込む。

 攻撃に直接参加しない葵はといえば、こちらからの攻撃によって必要以上のダメージを負った人が居ないか、万一の場合は即座に回復できるようにと、三人の周囲に絶えず気を配っていた。

「凄い……」

 そんな五人の闘いぶりを始めて見る霧島は、ただただ眼を奪われるだけで……。

 終始優勢な闘いを続ける五人と霧島は気付かなかった。
 獣憑きの人々をけしかける一方、自らは手を下せず後方に退いていた"天野"の《氣》が、とある瞬間、妖しい光を放ったことに…。

  逢魔が時は、もうすぐそこまで忍び寄っている────

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