≪九≫
「これで全部か」
立ち向かってきた最後の一人を床に沈めながら、同時に動きを止めた仲間たちに声をかける。
「一応峰打ちだがこのダメージだからな。当分は起き上がれない────」
しかし続く筈の言葉は不意に断ち切られ、無言状態の醍醐に五人の視線が注がれる。
「どうした?醍醐。ほうけてる場合じゃねェぞ」
京一は冗談めかして笑い飛ばすと、表情を一変、最奥に陣取っている人物を険しく見据えた。
「それよりも…残るはてめェだけ────」
だが醍醐同様、京一も突然言葉を言いよどみ、
「もうッ、二人とも何やってんだよ!!天野さんを助けるのが先だろッ!!」
彼らの様子を苦々しく思った小蒔もまた、
「コラッ!!さっさと降参して、天野さんから出て────」
三人が三人とも台詞を忘れた俳優のごとくその場に呆然と立ち尽くす様子に、龍麻も葵も戸惑いと不審の混じった表情を交互に見せる。そんな彼らを前に、未だ天野の中に巣食う男は見下した笑みを口元に浮かべた。
「くくく、まったく単純な奴らで助かるぜ。……てめェらは、もう終わりだな。てめェらはもう、逃げることは出来ねェよ」
「何ッ!?どういう意味だッ!?」
醍醐の問いを嘲笑ではぐらかすと、男は殊更わざとらしく咳払いを一つ払う。
「あらためて────ようこそ、獣の王国へ!!」
「────!?」
闘いには自分たちが勝利した筈なのに、この期に及んで一体何を言い出すのかと一同は唖然とする。そんな中、葵がいちはやく天野の身の異変に気がついた。
「あ……行ってしまう」
見れば天野の身体から不自然なゆらめきを伴う氣が霧散し、そして彼女の身体は何の抵抗も示さずに床に崩れ落ちた。
「天野さん────!!」
慌てて全員で駆け寄るがピクリとも反応を示さず。不安を隠し切れない一同に、今は多分気を失っているだけだと葵が治癒術を施しながら告げた。
「けどよ、エリちゃんの意識が戻るまでこの場に留まる訳にはいかねェぜ」
「そうね……」
周囲に倒れ伏す人々を気遣わしげに見回しながら龍麻も同意する。このまま放置するのは心苦しいけれども、意識を取り戻した彼らに関わり合っているゆとりなど今の自分たちには無かった。
「ともかく外へ出てさっきの公園まで戻りましょう」
≪拾≫
公園の一角にあるベンチに天野を横たえると、龍麻らもすぐ近くのベンチに腰をかけ、彼女の意識の回復をただひたすら待ち構えた。
「はぁァ…なんかちょっとびっくりしたね」
はたから見ればくつろいでいるようにしか見えないだろうが、去り際に残した敵の言動に緊張感は一層重みを増している。
「普通の人たちが急にあんな風になっちゃうんだもん」
「ああ、全くだぜ。憑依師か………予想以上に厄介なヤローだな」
皆が無言で頷いた時、背後のベンチから微かに身じろぎする音がした。
「う……、ここ……は……?」
「あッ、天野さん!!」
「良かった、気が付いたのね」
「もう大丈夫だぜ、エリちゃん。どこも…おかしくねェよな」
「わたし………一体どうしたの?」
「急に起き上がったら危ないですよ、天野さん」
皆から一斉に覗き込まれ慌てて起き上がろうとする天野を醍醐が静止した。素直に従う天野は、だが、続く醍醐の言葉に自分の置かれていた状況をたちまちに理解する。
「あなたに取り憑いていた憑依師は俺たちが追い払いました」
「そうよ……」
眉根を曇らせながら天野は必死で断絶した記憶を手繰り寄せ始め、
「そうよ、私…、この事件を追っててあの男に会って…彼は私を…」
はっと気づいた表情で一同を振り仰いだ。
「彼は私を利用してやるっていったのよ!!私、もしかしてあなたたちに酷いことを?」
どうやら操られていた間の記憶は全く無いらしい天野に、京一がいつもの軽い口調で答える。
「なに、別に気にするほどのことじゃねェよ。エリちゃんも俺たちも、こうして無事だったんだしな」
しかし、その言葉の裏に潜む事情を敏く感じ取った天野は一層沈痛な顔を作る。
「みんな、ごめんなさい…。わたし、手助けするつもりが迷惑かけちゃって…」
「天野さん…」
「緋勇さん…。本当にごめんね……」
「迷惑だなんて…。私たちだって同じように事件を追っている以上、自分の身に何が起きるかなんて予測できないし…だからもうご自分を責めないで下さい」
「緋勇さん…。あなたは本当に優しい子ね。ありがとう…」
「いえ、私は皆の気持ちをただ代弁しただけですから」
迷いなく言い切る龍麻に、そういうことだと残りのメンバーも頷く。
「ま、そんな訳で済んだことはいいとして、エリちゃんはあの憑依師の正体、知ってんのかよ?」
「憑依師…」
京一の口から飛び出した単語に天野は目を見張る。
「そう、あなたたちはもうそこまで知ってるの。相変わらずいい腕しているわね、杏子ちゃんは」
「う〜ん、憧れの天野さんにそういってもらったなんて、もしアン子が聞いたら泣いて喜びそう」
「ふふ、正直、私も彼女の情報収集力には舌を巻くわ。でも、いえ、だからこそアン子ちゃんが彼に会わなくてよかったとつくづく思うのよ」
「彼?それは件の憑依師のことですか?」
「ええ…。豊島区にある狐狸沼高校三年生、火怒呂丑光(ほどろうしみつ)────それが今回の事件の裏にいる憑依師の正体よ」
すっかり普段の明快な口調を取り戻した天野の説明によると、憑依師はあらゆる霊を自在に操り、時として人を取り殺すことを生業としていたこと。その中でも特に一部の憑依師たちが好んで憑依師と言う呼び名を用いたこと。そして、それが長い時を経て、その血を受け継ぐ一族の呼び名として定着したこと…。
「私がそれに気付いた頃────、彼の方から現れたのよ」
「そして、そいつに取り憑かれた…俺たちを罠にはめるために、な」
「京一先輩、それじゃあ、やっぱりその火怒呂って人が帯脇に蛇の霊を憑かせたんですね。そして帯脇から皆さんのことを聞いて、知っていた…」
それまで黙って話を聞き入っていた霧島がおもむろに口を挟んできた。
「ああ、大方そんなトコだろうよ」
「それにしても奴の目的は一体……?」
「彼自身は人間全てに獣の霊を憑依させ、その獣の王国の王として自分が君臨するんだと言っていたわ」
「……確かに憑かれた人たちも口々に同じようなことを言っていましたが……」
壮大を通り越してむしろ滑稽に響く彼の言葉に醍醐は首をひねる。
「そうね、そこがどうも私にも腑に落ちないのよ。でも…彼の目的をどうこう言うよりも目を向けなければいけないのが、その事態が本当に意味するものじゃないかしら」
鋭さを増した天野の舌鋒を受けて、龍麻が言葉を結ぶ。
「それは即ち、この東京が大混乱に陥るということ。そして…そうなるよう彼を煽動している者が裏に存在しているということ…」
「まさか……鬼道衆のように、誰かが≪力≫持つ人たちを操って?」
「葵、その鬼道衆だって…」
今際の際、彼ら鬼道衆の背後にも糸を引く者が居たことを示唆し、九角は逝った。
「だったら尚更…私たちは絶対に阻止しなくちゃ……。ね、龍麻」
葵が『私たち』という単語に込めた重みを、龍麻も九角の血を引く者として等しく受け止めていた。この事実から決して目を背けてはならないと深く頷き返す。
「ええ。これ以上悲しい事件が起きないように…。私たちは、私たちにしか出来ないことをしなきゃ…」
しかしながら今の龍麻にはまだ知る由も無かった。
自らの体内に刻まれた本当の意味を────。
「二人の言うことはもっともだと思うわ。この事件の背後には、何か大きな力の存在を感じるの。鬼道衆をも遥かに凌駕する────抗いがたい、運命とも言える≪力≫……」
あたかも託宣を告るごとく言葉を紡ぐ天野は、しかしより確信に満ちた声でこう続けた。
「でも、あなたたちならそれを覆すことが出来る。私は…そう信じているわ」
「天野さん…」
「運命を覆す≪力≫、か…。何か自信出てきたねッ」
葵と小蒔は同時に頬を輝かせ、京一も口元にいつもの笑みを浮かべる。
「へへッ、イイこと言うぜ、エリちゃん。それじゃ、これから火怒呂って奴の居場所を────ッ…!?」
だが────次の瞬間、声を詰まらせ、身を硬直させる。
「京一?」
「京一先輩…!どうしたんですかッ!?」
「わから…ねぇ…。ただ、身体が……俺の…、俺の身体が…ッ」
切れ切れに答える京一の声には我が身が思うままにならない当惑と苛立ちが滲んでいた。しかもそれは異変を案じる仲間たちにも瞬く間に伝播していく。
「しっかりしろ、京一!一体どうした、────────むぅッ!」
醍醐が何か衝撃を受けたように頭を両の手で押さえつけながら低く呻く。
「ぐッ……頭が…頭が……割れそうだッ!」
「醍醐クン……、────ッ!!」
金切り声を一つ上げると小蒔は身悶えつつ地面に膝を折る。
「小蒔ッ!」
「あ…葵…。ボクも…身体がヘンに…。何なのこれ……熱い……熱いよッ!!」
「小蒔!京一君…醍醐君!一体みんなどうしてしまったの!?」
「同じだわ……」
「え…?」
「わたしが彼に身体を乗っ取られた時と同じ……」
たちまち異常な空気につつまれていく彼らを前に、表情ならず声までをも強張らせている天野の呟きを耳に、霧島がひょっとして…と口を開く。
「これが、立ち去り際にあいつが言い放った『逃げられない』って意味なんでしょうか」
「そうね。きっとさっきの廃屋においては勝敗は二の次で、私たちを操られた人たちと闘わせること自体が罠だった…。そして多分闘った時に受けた傷か、精神的な高ぶりが霊の侵入を容易にしてしまった」
だからあの時後方で積極的に闘いに参加しなかった自分と霧島は他の仲間たちのような異変に襲われずに済んでいるのだと気付き、葵が慌てて残る一人を振り返る。
「…龍麻……!?」
けれども今まさに葵の目には、龍麻も自らの体内から湧き上がる渦に引き摺られていく姿が捉えられようとしていた────。
≪拾壱≫
<身体が……心がばらばらに千切れそう…>
────『汝ガ…』
呼びかける声の主は暗闇にとぐろ巻く一匹の蛇────その姿は現実の景色が曖昧さに溶け出すのと引き換えに龍麻の瞳に次第にはっきりと映し出されていった。
<……八岐大蛇……?いえ…違う。あれは……>
────『汝ガソウナノカ?』
暗闇を払うがごとく、静かに黄金に輝くその姿は何物なのか?疑念を抱く龍麻を他所にそれはゆっくりと重たげに瞼を上げ、声ならぬ言葉は波動と化して直接龍麻の心を掻き乱す。
────『汝ガ此世デ我ニ捧ゲラレシ……器ナノカ?』
<器……またその言葉を。それって一体────!!>
思いを巡らせようとした刹那、激しい動悸と頭痛に堪え切れずにうずくまる。それでも必死に身を起こそうとするが、内を巣食う渦は一層激しさを増し、龍麻の意識は次第に水面下へと落ち行こうとしていた。
と…
その時、キィんと鍔鳴りがしたかと思うと背後から烈風が一陣、捕らえようとしていた渦を吹き払う。
────大丈夫か?
闇の中から差し伸べられた手にすがる形で立ち上がるが、今度は四方八方から吹き込む熱風に押しやられ再び大地に膝を付いてしまう。
────くそッ、炎に取り囲まれたな。だが…ここで諦めてたまるかッ。いいか、動かずそこで待ってろよ。
あまりの息苦しさに言葉ではなく首を縦に振ってようやく答えると、声の主は龍麻をその場に残し、ひるむことなく前へと進む。
<誰……?>
必死に目を凝らせば、陽炎の彼方、声の主と思しき男の姿が捉えられた。程よくがっしりとした体躯、髪を一つに引き結んだ異相の男は迫りくる業火を前に一歩も引かず構えた剣で炎を薙ぎ払う。
<あなたは一体誰なの?>
龍麻の問い掛けにも、剣士は振り向くことはなく、照り返しに全身を紅蓮に染め上げたその姿は幻影の如く視界の先でゆらめくだけであった。
「龍麻…龍麻、龍麻────!!」
突然、自分の名を連呼する葵の声が間近に飛び込んでくる。
「葵……?」
「よかった…龍麻は大丈夫だったのね」
「…皆は…?」
「意識はまだ残っているようなんだけれど…ひどく苦しんでいて…」
葵は力なくうなだれる。その様子から見て、おそらく自分の意識が飛んでいたのはほんの一瞬だったらしいと判明した。
「私、どうしたら…どうしたらいいの…」
「桜ヶ丘病院、あそこだったら京一先輩たちを治してくれると思いますよ」
「そ、そうね…急いでタクシーを捕まえて。さあ、小蒔────」
霧島の提案を受けて、葵がうずくまる小蒔の方に手を触れるが、
「……ううう……ああああッ!!」
「きゃッ────!」
「葵!」
驚く程乱暴に払いのけられた勢いでよろめく葵を龍麻が後ろから慌てて支える。
「駄目だわ。もう迂闊に近寄れない…。皆、獣に支配されかけている」
「そんな…ッ。私たちでは何とも出来ないの」
「京一先輩…、皆さん……くッ!!どうすればいいんだッ!!」
「なんや、人の枕元でそないに騒がんといてや。」
やり場の無い怒りに叫ぶ霧島のすぐ背後のベンチから、盛大なあくびを交えながら抗議の声が上がった。
「まったく、わいの大事なお昼寝タイムが台無しやないか」
年の頃は自分たちと同じ位だろうか。だが、それまで全く存在すら気取らせなかった青年に、龍麻らは警戒心を拭いきれなかった。
「あなた……一体、誰────?」
「誰って…見たらわかるやろ。熟睡中を叩き起こされた気の毒な中国人留学生や────と、そこまではいくらなんでも判らんか」
ぽかんと見つめるだけの四人に、自称・気の毒な中国人留学生は不機嫌そうに顔をしかめた。
「あんな、姉ちゃんたち。黙ってないで、誰か一人位こっちのボケにびしっと突っ込んでぇな」
「え、あ…、はい…。ごめんなさい」
「まぁ、ええわ。別に謝ってもらう程のこっちゃないし。ほんま、池袋っちゅうんは騒がしいとこやなぁ。よッ────と」
軽やかな動作で青年はベンチから跳ね起き、改めてこちらに向き直る。
「あ、あああ〜〜〜ッ!あ、あなたは……!!」
「な、なんやなんや。突然そないな大声あげたらビビるっちゅうねん」
「あなたは、あの時僕を助けてくれた……」
「おっと、その声…確か聞き覚えがあるで………。そうや、そうや、あん時死にかけてた少年やんか!!」
思案顔も一瞬だけで、ぽんと手を打ち親しみに満ちた笑みを浮かべた。
「なんや、すっかり元気そうやな〜。よかったなぁ、成り行きとはいえ心配しとったんやで。やっぱ、岩山センセっちゅうのはスゴイ人なんやな。じいちゃんにきいてた通りやったわ」
「岩山先生をご存知って…。それじゃあ、この人が…霧島君の命の恩人なのね」
「はいッ、龍麻先輩。この方が僕を病院まで運んでくれたんです。その節は本当にありがとうございました」
かしこまって感謝の意を表明する霧島に、青年はちょっと照れくさそうに鼻頭をこする。
「ははッ、なに、当然のことやんか。それよか、そっちにおるんは病人かいな?なんやったら、わいが診たるけど────」
異変を訴える三人に気付いた青年は一歩二歩近寄るとこちらを振り返った。その表情からはそれまでの人の良い笑顔はがらりと打ち消されていた。
「少年……、この池袋で何しおったんや」
「え…?」
それまでと一転、厳しく問い詰める青年の口調に霧島は口ごもる他無く、その様子に埒が明かないと判断したのか、今度は龍麻らの方に向き直る。
「…あんたら……一体、何を知っとるんや?隠さんと…、正直に言うてみぃ!!」
「この子、もしかして…」
ひそと囁く天野の言葉に、青年の視線は益々鋭さを増した。
「………………」
「…私たちは、ここで起きている事件を解決するために来たんです」
「緋勇さん!」
止めようとする天野を、葵がこの場は龍麻に任せさせて下さいと小声で遮る。龍麻は青年にひたと視線を向けた。
「敵の正体は突き止められたんですけれど、仲間がその人の術に…」
「…………」
無言のまま青年は背中に吊り下げていた袋から剣を抜き放った。
「何をするつもりなのッ!?」
「………詳しい話は後や。時間が無い、あんたらはさがっとき」
これは黙っていられないと天野が抗議するが、ぶっきらぼうに言い放つと青年は再び三人のもとへと歩み始める。
「安心せぇ、わいの勁は本場モンや。それに多分…」
苦悶する三人を前に剣を振りかざしながら、彼の全身から氣が漲り始めたのに龍麻と葵が気付く。
「わいはあんたらの敵やない」
「えッ……?」
「ええから、さがっときッ」
一様に疑問符を口に浮かべる龍麻らをけん制すると、術を唱え始めた。
『我求助(われたすけをこう)、九天応元雷声普化天尊(ひとのいのちつかさどりしらいていよ)、我需(われもとむ)、無上雷公(しこうのらいこうと)、威名雷母(らいぼのみな)、雷威震動便滅邪(らいていのきょういがじゃをめっす)』
練り上げられた氣が青年の剣先へと集中する。
「な…何なの、この光は────!!」
天野の目にもそれと判る程の膨大な氣だが、その中に葵は癒しの波動が宿るのを感じ取った。
「わからない、でも……とても神聖な輝き」
「あれは…ひょっとして…」
「活剄(フォジン)────!!」
青年は中空で印を切り結ぶと、目にも留まらぬ速さで剣を三振りする。
「うッ…」
「くぅ…」
「あれ……?」
氣が放つ乾いた音と明滅する光が消えた時、三人を捕らえていた呪もすっかりと祓われていた。
「ボク…どうしちゃったの?」
「小蒔!皆も…ああ────!!」
まるで催眠術から解き放たれた人のように無邪気に首をかしげる小蒔の様子に、思わず葵が目に涙を潤ませる。
「憑き物が落ちたのね!…良かった…」
天野もホッとした口調で三人の無事をことほいだ。
「そうか……今のが獣の霊」
「おいおい、醍醐、顔が真っ青だぜ。助かったばっかで、また倒れんじゃねェぞ」
喉の奥でくくっと笑いながら揶揄する京一も、しかしいつもの快活さとは程遠い雰囲気で、
「京一先輩…大丈夫ですか?」
「ん?……あぁ。みっともねェとこ見せちまったな、諸羽」
まだ不安げな霧島に対し、苦々しさを口元に滲ませた。
「そんなことありません!……でも…よかったです」
「小蒔も…大丈夫?」
「う…うん」
龍麻の問いに心配かけてごめんねと応えると、さっきまでの自分について述懐する。
「なんかすごくヘンな感じだったよ。自分の中の、もう一人の自分に吸い込まれるみたいで…」
「ああ…確かに妙な感じだったな。この身体の中に、俺の知らないもう一人の俺が居る…霊云々よりも、そのことの方が嫌な後味だ」
「そうね。────よく…判るわ」
思いつめた表情で握り締めた手をぎゅっと胸に押し当てる。まるで先ほどの恐怖がまだ内に宿っているかのように。
「緋勇さん…?」
「あ、はい。安心したせいか、今頃になって震えがきてしまったみたいです。一時はどうなることかと思いましたから…本当に大事に至らなくって良かったです」
「ええ…。それなのに私ったら、駄目ね。うろたえてばかりで…結局いざという時にはなんの役にも立たなかったもの」
先程以上に激しい自責の念にかられた天野の言葉を、葵が強い口調で否定する。
「そんなことありません!!さっきだって、天野さんの状況判断が無かったら、私たち…もっと不安だったと思います」
葵の意見に龍麻もうなずくと、天野は精一杯の笑みを浮かべ、二人に感謝の気持ちを伝える。
「ありがとう、美里さん、緋勇さん」
ようやく場が落ち着きを取り戻したところで、一人見慣れぬ顔が居ることに醍醐が気付いた。
「ところで…あっちにいるのは一体誰なんだ?」
「あッ、この人は、以前大怪我をした僕を助けてくれた人で、そして今も不思議な技で皆さんから獣の霊を追い払ってくれたんです。えっと……あの…まだお名前をきいてなかったですよね」
ややばつが悪そうに霧島が訊ねると、青年もそういやまだ自己紹介しとらへんかったと笑い返す。
「わいは台東区華月高、劉弦月。今年の春に知り合いを頼って中国から留学してきたんや。まぁ、よろしゅう頼むで」
「ちょっと待て。助けてもらっておいてなんだけどよ、なんで中国人のクセに関西弁なんだよ」
「おッ?おッ!?」
不躾ともいえる京一の疑問に劉は気分を害するどころか機嫌良く答える。
「ええなぁ、ええツッコミやわ。わいな、ほんまは中国人やのぉて関西人なんや。大体、こんな関西弁ペラペラな中国人おったら気持ち悪いやんか」
「…その割には、話す言葉が生粋の関西弁と少し感じが違うみたいなんだけれど…」
と、今度は半年弱とはいえ関西に住んでいた龍麻が異論を挟む。
「…………」
「あ、ご、ごめんなさい」
「くぅ〜、なんやなんやッ。あんた、見た目はぼけ〜っとしとるようで、ちゃんとツッコめるやないか!わい、ほんッまに嬉しいわ」
ぱしぱしと龍麻の肩を叩くと、劉は一層愛嬌づいた笑顔を浮かべた。
「よっしゃ、そのお礼にほんまにほんまのこと教えたるッ」
劉の説明によると、彼自身は最初の紹介通り中国生まれの中国育ちであるのだが、日本に渡ってきて最初に世話になった人が関西人だったという。
「その頃のわいは、ほとんど日本語しゃべれんかったさかい、見よう見まねでしゃべっとったら…この始末やッ。今更、標準語覚えるんはえらいこっちゃし、せやからこんなんなってもうてん」
「なんか、むちゃくちゃテンション高いね、この人。ねえ、ひーちゃん、関西の人って普段からみんなこんな調子なの?」
「……彼が特別…という気がするけれども…」
「何ゆうてんねん、会話ってのはこう、ポンポンポ〜ンっと弾むように進めなあかんのや、嬢ちゃんたち…っと、そーいや、あんたらの名前、まだきいてへんで」
「やれやれ、ようやくこっちに話が戻ってきたな」
受け止める一方だった会話の流れに、ようやく棹をさせたと醍醐が苦笑する。
「俺は、新宿区真神学園の醍醐雄矢。で…こっちで放心してるのが、同じく真神の蓬莱寺京一だ」
「へへ、京一ってば劉クンのノリについていけないみたいだね」
「う、うるせーな。そんなんじゃねぇ、ちょっと考え事してただけだぜ」
「ふーん、ま、そういうことにしてあげるよ。あ、ボクは同じく真神の桜井小蒔」
「私も同じ真神の美里葵よ」
「それからわたしは天野絵莉。ルポライターをしていて、みんなとは友達なの」
「さ、さよか…」
小蒔、葵に続き、天野も自己紹介をするが、それを受ける劉の態度はどこかぎくしゃくとしていた。
「劉さん、天野さんがどうかしましたか?」
「え、い、いや、何でもないんやッ。ただ、わい、姉ちゃん位年上の女性ちゅうのが、そのちょっと…ん、まあどうでもいいこっちゃな。気にせんといてくれへんか、少年」
「は、はい。あ、僕は霧島諸羽といいます。文京区鳳銘高校の一年です。劉さん、あの時は本当にありがとうございました。今、僕がここに居るのは劉さんのお陰ですもんね」
「ほんま礼儀正しい少年やなぁ。けどそんな昔のこと、もう気にせんでもええで」
照れくさそうに頭をかいてから、視線を龍麻の方にひたと向けた。
「さてっと…残るはあんたお一人やな。あんたの名前もわいに教えてくれんか?」
「私の名前は緋勇龍麻。よろしくね、劉君」
「緋勇…龍麻、か────」
一呼吸たっぷり息を飲み込むと、劉はやけにしみじみと龍麻の名を復唱する。
「ええ名やな…」
「そうかしら?まるで男の子みたいって小さい頃は散々からかわれたけれど」
思いがけぬ反応に龍麻は困惑するが、劉は真剣な口調で言い返す。
「そんなことあらへんで。そう名づけたお人の、我が子に対する強い願いが感じられるええ名や!」
「……………そう言ってくれたの、劉君がはじめてよ。ありがとう」
はにかみ半ば嬉しそうに顔をほころばす龍麻につられて、劉もにっこりと笑う。
「やっぱりわい、あんたとはえらい気が合うと思うわ。ほんまこれからもよろしゅうな、緋勇はん。さて、そんじゃそろそろ行きまっか!!」
「行くって……おい待て。お前まさか、俺たちについてくるつもりじゃねェだろうな!?」
「もちろんそうや。わい、困っとる友達を見捨てておけるほど、冷血漢とちゃうで」
しれっと答える劉の様子に、醍醐は『いつの間に友達になったんだ?』と半ばあきれかえるも、彼の同行に関してはまんざらでもないようだった。
「なんだかこんな展開、前にもあったような気がするわ」
なし崩し的な展開に天野は思い出し笑いをする。あの日と同じように、今日のこの日もいつかは懐かしさを伴った記憶となるのだろうか、そんな想いを心の奥にたゆとわせながら。
「確かに…。でも、劉クンがスゴイ技を持っているのはよくわかったし、それなら…やっぱり一緒に来て欲しいよね」
「ええ…私も小蒔の意見に賛成だわ」
「僕もそう思います。劉さんは僕や京一先輩や、みなさんを助けてくれた人です。そんな人が一緒に闘ってくれるならすごく力強いです」
「くうううゥゥ。みんな、ええお人やあ…。初対面のわいのこと、そんなに信用してくれるやなんて。わい、感激や────」
そう叫ぶと、劉は袖に目頭をやり感涙にむせぶ仕種を見せる。
「大げさな奴だな。だが、まあ俺も異存はない。その背にした刀も相当な腕と見えるしな」
「そうはいっても、醍醐。なんか、うせんくせェヤツだよな」
「京一先輩…でも、この人は…劉さんは、僕の命の恩人です。それに京一先輩のことも助けてくれたじゃないですか」
「そりゃま、そうだけどよ……」
むしろ助けられたというその事実が、逆に京一をして劉の助力を仰ぐことに抵抗感があるということに霧島は気付くよしもない。
「龍麻先輩のご意見は…。劉さんも一緒でいいですよね?」
全員の視線が集まる中、龍麻がにっこりと首を縦に振る。
「いいんですねッ!よかった……ありがとうございます」
「霧島君ったら、この場合、お礼を言うべき相手は私じゃなくて、劉君じゃない」
「あ、それもそうですね。ありがとうございます、劉さん」
「そんなに気ぃ遣わんといてや、何やごっつうこそばゆいわ」
ひらひらと手を振り返しながら劉は霧島たちからくるりと背を向ける。
一方、まだ渋面を崩さない京一へ、龍麻がこっそりと耳打ちする。
「実を言うとね、劉君の術。あれと似たような術を以前どこかで見たことがあるような気がして…もう少しで思い出せそうなんだけれど…」
「ったく、しょうがねェなあ………まあ、確かに俺もこいつの刀術には興味あるし……好きにしなッ」
「ふふふ、ありがとう」
ふいと視線をそらす京一と同じ方向を眺めやれば、茜色の雲はるか遠く、ぼんやりと上弦の月が宵闇を従えて姿を現し始めていた。
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