≪拾弐≫
ようやく全員の意見がまとまったところで、それじゃあと小蒔が一同に呼びかける。
「新しい仲間も増えたことだし、そろそろ出発────」
「ってどこへやねん!!」
「うッ……さすがは本場仕込のツッコミ」
間髪入れず飛んできた劉の言葉に小蒔はぐうの音も出ず、
「確かに、正体はわかったが居場所が断定できんな」
「醍醐クンまで劉クンのマネを……」
「そんなつもりはないんだが…それはともかくとして、俺たちが無事と知れば奴も黙ってはいまい」
「ああ。さっさとカタをつけねェと、あのヤロー、今度は何をやらかすか…」
「なぁ、天野はん」
劉が打って変わって真面目な口調で天野に問いかけてきた。
「あんたはん、こんな事件追っとるルポライターなら知ってるやろ。この辺りに渦巻く怨念の正体を…」
「怨念…?そうね、確かこの辺りには……」
思い当たる節が有るのを匂わせつつも天野はなぜか答えをはぐらかし、龍麻に話を振る。
「…ねえ、緋勇さん。あなたはこういう心霊に関する話を信じている?」
「この世には人間の知識や常識だけでは計り知れない現象や存在があると感じています」
「そう…。ふふ、そうよね。そう考えなければ、とても信じられない事件を、もういくつも一緒に追ってきたんだものね」
「はい。だから今までもそうだったように、今回も天野さんの助力が私たちには必要なんです」
予想外の切り返しに驚いた天野だった、それ以上に心を揺さぶられたのは龍麻から寄せられる自分への信望。それは天野の中にまだ燻っていた劣等感を吹き飛ばすに十分過ぎる程、揺るぎない強さだった。
ありがとう────と、心の底で天野は頭を垂れると、
「それにしても…池袋周辺は護国寺や本立寺、雑司ヶ谷霊園といった墓地の数は多いですけれど、憑依師が目をつける程の強い怨恨が宿る場所となると…」
一体どこなのかと思考を沈めかけた矢先、天野の脳裏にとある場所が浮上してきた。
「強い怨恨……?────!!そう…そうだったのね」
「天野サン、何か判ったのッ?」
驚く小蒔に、天野は自信に満ちた目で微笑んだ。
「ええ…彼がこの地に目をつけた意図がはっきりと。そう、憑依師は怨恨つのる人々の呪をききいれ、猛る怨念を人に取り憑かせるのが生業────その術を使うにはそれ相応の地相が必要だったのね…」
「で…、それは一体どこなんや」
「巣鴨プリズン────かつてこの地に置かれていた東京拘置所の別名で、第二次大戦後、計59人の戦犯が絞首刑に処せられた地よ」
ここで言葉をひとまず区切ると、天野は伏目がちに説明を続けた。
「戦犯といえば同情の余地は少ないように思うかもしれないけれど、実際の処刑されたのは、ほとんどがB、C級の戦犯ばかり。ただ法律に従って戦争に駆り出され、お国の為に上官の命に従っただけの忠実な軍人たち…。信じ続けた軍に、お国に裏切られたその無念の想いは……」
いかばかりか…────。
「……激しい恨みを抱いて死んでいった人も少なくはないだろうな」
「其処に間違いないで…。ヤツはその強力な怨念の場を居として街中憑き物を放っとるんや」
「東京拘置所は、今では小さな公園に姿を変えているわ。場所ならサンシャイン60に隣接しているからすぐに判るはずよ」
「そうと決まりゃあ、行くしかねェなッ!!」
京一の言に龍麻は頷き、そして天野の方へ視線を転じる。
「解ってるわ。また、あなたたちの足を引っ張るようなことになったら、今度こそ…きっと自分で自分が許せない。わたしはタクシーを拾ってすぐにここを離れるつもりよ」
「うん…、ボクも今回ばかりはその方が言いと思うよ」
「天野さん、気をつけて下さいね」
気遣う小蒔と葵に天野は笑いかけ、
「何言ってるの、あなたたちの方こそ気をつけて」
そして同じく気遣わしげな表情を見せる龍麻の肩にポンと手をのせ、励ました。
「しっかりね!!」
「はい────」
そのまま公園を足早に去る天野を見送ると、背後から劉が声を投げかけた。
「よっしゃあ、ほな、そろそろ行こか」
≪拾参≫
夕闇迫るサンシャイン通りは、帰社途中の会社員もその数を加え、先刻以上の無秩序な人の群れで溢れかえっていた。目的地を目前にしながら思うように前へと進めぬ苛立ちに、京一はあたりはばからず舌打ちする。
「くそッ、呑気に出歩きやがって!!こっちは急いでるってのによッ」
「ホント、人をよけながらじゃ走るのにも一苦労だよッ」
「まあそうカリカリせんと、お二人さん。気を荒立てればそれこそ相手の思うツボやで」
「………」
「あ、あ〜ッ、見て見て。のんびりしてたら信号が変わっちゃうよ!!」
焦る小蒔の言葉通り50メートル程先に設置されている信号が頼りなげに明滅を始めた。あの信号を渡りきれば、火怒呂が待ち受けてるであろう池袋東公園まで文字通り目と鼻の先である。
「む、いかん。皆急げ────」
「わッ、わッ、なんや急に!!忙しいこっちゃな」
醍醐の号令の下、全員一斉に走りだす。最後尾につけていた龍麻も遅れじと仲間達をすぐに追いかけたのだが、みるみる前方を行く彼らの輪郭があやふやになる。
「────!?」
はっと周囲を見渡せば、そこは先程と同じ紅蓮の炎に囲まれていた。
「待って…待って、皆────!」
「やれやれ、どうにか間に合ったね」
「そうだな。…よし、それじゃ先を急ぐとしよう」
促す醍醐の言葉を京一が制する。
「…おい、待てよ。ひーちゃんが居ないぜ」
「京一先輩、劉さんの姿も見当たりませんよ」
「ああ、あそこッ。ほら────」
道路を挟み、まさに自分たちと対峙する格好で龍麻と劉の二人が信号の下にぽつんと取り残されていた。
「なぁにやってんだよ。あいつら…」
呆れと不機嫌を入り混じらせ京一がため息をつく。そんな京一をなだめるように醍醐が取り成す。
「まあいいじゃないか。さっきの劉の言葉じゃないが、焦って突っ込んでは敵の思うツボだ。現にこの辺りはさっきまでと空気が違う気がするんだが…」
「ええ…。濃密な負の氣を感じるわ。人に対する強い悲しみや憎しみ…それらが凝ってこの一帯を覆っているみたい」
眉根をよせる葵の顔色はやや青白く、けれども心配する小蒔には気丈に笑顔で返した。
「ひーちゃん、もしかして具合が悪くなって…?」
「そうかもしれん。氣には誰よりも敏感な奴だからな、龍麻は」
気遣わしげに醍醐が激しく車の行き交う道路越しに見やると、霧島がでも大丈夫ですよと請け負う。
「劉さんが一緒ですからね」
そんな霧島に京一は感嘆とも不機嫌ともつかぬ視線を向けた。
「そんなに凄かったのか?あいつの術ってのは」
「え、あ…、はい…それは…」
「そうね…でもあれは術というよりも京一君達が使う発勁というのに近いような気がするわ」
京一の手前、言い難そうな霧島に代わって葵がその時の状況を説明する。
「そういえば最後に『活剄(フォジン)』と言っていたけれど…」
「『活剄』…!」
────ちッ、すっかりとり憑かれた目をしやがって。大方下級の獣にでも化かされやがったか…運のねェ奴らだぜ。
「知っているのか、京一?」
「いや…昔、あいつがな…」
吐き捨てるようにそれだけ言うと、京一は霧がかった表情で沈黙を決め込む。
あれはあいつを師匠と呼び、まだ修行と称する山籠りしていた頃だったか。
地元の人間も霊地と敬い滅多なことでは近寄らないそこは、確かに研ぎ澄まされた山の氣が満ち満ちていて、そして遊び気分で紛れ込んだ若い男女は明らかに尋常でない形相を浮かべていた。
『まあ、こんな山奥で俺と出逢ったのは幸運といえるけどよ…』
素早く剣を構えたあいつの身体からは次の瞬間、その飄々とした態度からは想像も出来ない膨大な氣を発してて、俺はただ圧倒された。あいつはそんな俺を見てからかうように口元に笑みを浮かべると、訳の判らない言葉を唱え始め、
『────活剄』
青白い閃光がきっかり二回空を切り、あいつが剣を納めたと同時に二つの影が地に崩れ落ちた。…その時の俺の目にはそうとしか映らなかった。
『なあ、さっきのあの技、一体なんなんだよ』
ふもとの村にあの二人を送り届けた後、俺はあいつに聞いてみた。
『あれは…前に中国に行った時に世話になった村で教わった技さ』
あいつが中国に行ったことがあるなんて初耳だった。というか、あいつの過去なんてほとんど聞いたことねぇし、興味も無かったが。興味が有ったのはただ…
『ふーん。じゃ、俺にもいつか教えてくれるんだろ』
『半人前以下なくせに修行をさぼってばかりのバカ弟子には教えられねェな』
『るせ〜、明日っからちゃんと頑張るぜ』
『明日?』
ギロっと睨みつけられた瞬間、ゲンコツが飛んでくるのを覚悟した俺だったが、その時のあいつはふいと俺から視線を外し、そのままどこか遠くを見つめ続けていた。
「中国…か…」
無意識に口をついて出た言葉を反復しながら、京一は見つめる先の信号の色が変わるのをじっと待ち続けた。
≪拾四≫
「…ごめんなさい。私のせいで渡りそびれてしまって…」
「そないに恐縮せんでもええって。そりゃ、いきなり後ろっから腕つかまれた時はびっくりしたけどなぁ。けどこうなったらしゃあない。わいと緋勇はんと二人、大人しゅう青になるんを待とか」
「………はい」
今、龍麻の前には激しく往来する車の流れ。そして天を威圧するがごとく立ち並ぶ高層ビル。
それらはこの街ではごく当たり前の風景だった。
ひょっとすると西日が傾いてビルの窓に反射したのを、炎と勘違いしたのだろうか…、『幽霊の正体みたり、枯れ尾花』という言葉そのままに。それとも先程の憑依師の術が残っていて、それが自分に再び幻を見せたのだろうか…。
だがつい今し方、眼間(まなかい)に浮かんだ光景。
あれは草原ではなく────炎に包まれた村だった。
天を仰ぎ半眼を剥いたまま事切れた老人、半開きの家の戸口には折り重なる形で倒れた母子。殺戮と破壊に蹂躙され村ごと火葬に付されようとしている中、焼け焦げた壁に手を這わせながら必死で立ち上がろうとする少年。そして紅に染まった刀を手に、傲然と炎を従えるがごとく立つ男…。
取り巻く炎の激しさで周囲は朧にしか映らないが、男の言葉ははっきりと龍麻の耳にこだました。
待っていろ……、緋勇龍麻────。
龍麻は身震いをする。
それはあの瞬間、自分の眼前に広がった阿鼻叫喚と呼ぶべきむごたらしい光景を思い出したからだけではない。これは夢幻なのだと言い聞かせるにはあまりにも鮮烈過ぎて。耳がじんとする程に激しく脈打つこの身が、それを何よりも如実に証明してように思えてならない。
「なぁ、緋勇はん。もしかしたら、わい、こんな風についてきてもうて、迷惑だったんとちゃうか?」
龍麻の無言を自分への拒絶と受け取った劉が神妙な口調で訊ねる。
「そんなこと少しも…。劉君、私たちを助けてくれるって言ってくれて…本当にありがとう」
「ほんまか!?…ほんま…おおきに。わい…わい…、今、めっちゃ嬉しいねん」
「大げさよ、劉君ったら……あ、ひょっとして…」
あまりに喜ぶ劉の表情を見ている内、龍麻はある出来事に思い至る。
「劉君と私、以前に逢ったことあるわよね。あれは…そう、目青不動の境内で」
二ヶ月ほど前、京一と葵と三人で鬼道衆の陰の気のこもった宝珠を不動に封印しに廻った時、
『…おい、何ひーちゃんに因縁つけてんだよッ!』
『………』
『おいってば、お前聞いてンのかッ』
『ちょっとこの姉さんがエエ女やったから。えらいすんまへんな〜』
「あの時、私たちに助言してくれたわよね。『鬼に気をつけろ』って…。ねえ、一体劉君は────」
「わいにはな、この東京でやらなあかんことがあるんや」
他人が己が領域に立ち入ることを拒む劉の瞳。
だが、龍麻は劉の奥に渦巻く感情の一端を垣間見たような気がした。
凍てついた炎を思わせる強い使命感、そして────孤独感。自然、この街に来た頃の自分自身をそこに重ねてしまう。
「せやけど…もしかしたら、あんたにも会えるんやないかと…」
寂寥に胸を締め付けられた龍麻へ、劉は思いもかけない言葉を口にする。
「え…?」
「占師だった死んだじっちゃんに、わい、よう聞かされとった。日本におる緋勇龍麻っちゅう奴と、いつか……共に闘うために出会う、て」
「………」
そう語る劉の漆黒の眼差しには、さっきとは違う温かな温もりが宿っていた。
「それに、わいとあんたは昔、一度会ってるんやで」
ずっとずっと前……、あれは────
「あら、龍麻じゃないの!?こんなとこで何してるの」
背後から掛けられた声に、突如話は打ち切られた。振り返ると真後ろには大きな買い物袋を手にした三人組が立っていた。
「本郷さん、紅井君、黒崎君…」
「まあ龍麻ったら、ま〜だそんな他人行儀な言い方して」
「そうだぜ。俺っちたちは熱いハートで結ばれた仲間じゃないか」
「久しぶりだな、グリーン」
「…お三人とも緋勇はんのお友達でっか?」
訊ねる劉に首を縦に振って答えると、黒崎が眼鏡の縁を持ち上げながら逆に訊ねる。
「おや、見かけない顔だが…ひょっとして新たな仲間なのか、グリーン」
「違うわよ、今日はデートしてるのよね。そりゃヒーローにだってたまには休息が必要だもの。ああ、羨ましいわ〜。それに引き換え私達なんて今度のヒーローショーに向けて買出しよ」
本郷が真後ろにそびえる東急ハンズを指差し、肩をすくめる。
「いえ、その、私たちがここに来たのはそうじゃなくって…」
「緋勇はん。もう信号変わってるで」
再び点滅を始めた信号機に気付いた劉が、早口で注意喚起する。
「ごめんなさい、先を急いでるから。また今度ゆっくりね」
「ほな、さいなら、兄さんたち」
足早に走り去る龍麻たちと、そしてその延長線上にいる顔馴染みの面々を発見し紅井が左右の二人に声を掛ける。
「ブラック、ピンク!俺たちも緊急出動だ!!」
「…お前にリーダー面されるのは気に食わないが、意見は一緒だ」
「ふふふ、やっぱりヒーローには休息は許されないのね。ということで、待って〜、龍麻〜〜!!」
「……で、結局この三人も加わったという訳か」
「足の遅い奴なんざ、さっさとおいてくりゃ良かったんだよ」
「その意見には俺も激しく同感するぜ、蓬莱寺」
龍麻たちを追いかけたは良いものの、俊足の黒崎以外の二人は信号を渡りきれず、真ん中の安全地帯で再度信号待ちを余儀なくされたのだった。
「仲間を見捨てるなんて、ヒーローの風上にもおけないぞ」
「俺が悪いんじゃ無くて、お前の足が遅いのが悪いんじゃないか!」
「二人ともいい加減にしなさい!!」
「まあまあ…でもほら、敵だってそれなりに人数揃えてるだろうし、こっちだって頭数が増えた方が有利になるんじゃないの」
険悪になりかけたムードを小蒔が精一杯フォローする。
「それにしても…最初に私たちがこちら側に渡ってから結構時間が経ってるはずなのに、不思議と人影を見ないわね。代わりに公園の方から殺気に満ちた氣が感じられるばかりで…」
その強さは先程の廃屋の比ではないと葵が説明すると、醍醐は低く唸り顎に手をやる。
「獣憑きとはいえ元々は一般人。闘いづらい相手である上、数が多いとなると相当厄介なことになるな」
「…ここの公園って出入り口は二つあるみたいだけれど…それ以外に侵入路はないのかしら」
別れ際、天野から渡された地図を見ながらの龍麻の呟きに、この辺りの地理に詳しいという本郷が身を乗り出した。
「うーん、侵入路とはいえないけど、サンシャイン側には公園を見下ろせるテラスがあるのよ。ひょっとしてあそこっからなら飛び降りれるかも…」
「よっしゃ、じゃ、そこから全員で奇襲を掛けようぜ」
「奇襲というのは相手の裏を完全にかかなきゃ意味が無いのよ、京一」
「…う。そっか、ヤツだって俺たちがどこから攻めてくるか…姿を見せるまでは警戒してるだろうしな」
「やっぱり正面突破しか無いのかな〜。せっかくさっきより人数が増えたっていうのに…」
「人数……、ああ、そうよ、この方法ならひょっとして裏をかけるかも…!」
手の平を打ち合わせ乾いた音を小さく立てると、龍麻は仲間たちに自分の考えを手短に伝えた。
≪拾五≫
いつもは人々の憩いの場として賑わう東池袋中央公園は、今、獣たちの王国と成り果てていた。
彼らの王を僭称する火怒呂は東西に細長い園内の最奥、カスケード状に水の流れる噴水前を自らの玉座になぞらえ陣取っていたが、真正面入口に現れた六人の姿に薄ら笑いを浮かべた。
「あのまま獣に取り憑かれてれば楽に死ねたというのに、のこのこ現れるとは馬鹿な奴らだ…」
「貴様が火怒呂だな」
自分を名指しする醍醐の言葉に火怒呂は一瞬驚きをみせるが、
「俺の名を知っているとは…、成る程、術から覚めたあの女が喋りやがったんだな…。そうだ、この俺が稀代の憑依師、火怒呂丑光様よ────」
「なぁにが稀代の憑依師だよッ!こんなヒドイことばっかりして!」
「酷いこと…だと?」
園内中に嘲笑をひとしきり響かせると、ふてぶてしく言い放つ。
「俺はただ、人間の本性を引き出してやっただけだぜ?その後の行動はそいつ自身がしたいと思ってたことだ。てめェらが街中であった奴らも、あの帯脇って馬鹿な男も、だ。まぁ、もっともあいつは蛇としての素が弱かったから、折角憑けてやった大蛇の霊力を無駄にしやがったがなぁ」
「…やっぱり、あいつの仕業だったのか!!」
「────しッ、声が大きいわ、霧島君」
「す、済みません。ところで噴水前にいるあの人たちも、みんな憑依されてるんでしょうか?」
「ああ、間違いないで。襲撃に備えてあらかじめ兵隊を集めといたってとこやろ」
「どこまでも用意周到なヤローだな」
「ま、ここまで来てうだうだゆうても始まらへん。ほな、もう少し近付いてみよか」
劉の言葉に無言で頷くと四人は慎重に歩を進める。
「あなたにはこの地を流れる哀しみと痛みを訴える声が聞こえないの…?もう人々を…そして呪縛された魂を解放してあげて」
「ほう…?この地を流れる怨恨を感じとれるとは、少々てめェらの《力》とやらを見くびっていたかもな」
「そうだ、お前の術に易々と何度もひっかかる俺たちではない。だから一般人を巻き込むのはもう止めろ」
葵と醍醐、二人がかりの説得にも、火怒呂はあくまで強気な嘲笑で返す。
「お前たちこそ自分の置かれた状況をよく考えるんだな。見ろ、先程の比ではないぞ」
ずらりと周囲を取り巻く獣憑きの人々に向かい、尊大な仕種で命じる。
「行け、今度こそお前たちの手でヤツらを仕留めるのだ────!」
「やむをえんな…。行くぞッ!皆」
"獲物"目指して一斉に群がり始める人々の姿を前に、火怒呂は愉悦の色を隠せない。
「ククククク…。全ては本能のおもむくまま、さ。どうだ、美しい光景じゃねェか」
「そうかしら────」
不意に真横から流れる声に火怒呂は目を剥く。
「────お前らは、一体何故だ!!」
「自分の目でモノをしっかりと見ねぇから、こういう単純な手にひっかかるって訳だ。お前、人数でしか俺たちのことを認識してなかっただろ」
「う…」
先程よりも四人増えた分遊軍が作れるだろう、そう判断した龍麻は比較的背格好の似通った京一・霧島、そして自分の三人をコスモのメンバーと入れ替えたという訳だった。
「お前の仕業でさやかちゃんは……いや、帯脇だってお前さえいなければきっとあんなことには…」
「策士策に溺れるっちゅー言葉通りのお人やな。ほれ、あんさんの周り、もう誰も守ってくれる人はおらへんで」
「大人しく投降しなさい…そうすれば…」
「ふん…俺様の"切り札"はまだここにあるぜ」
火怒呂は二歩、三歩と後ずさりながら、懐から一枚の紙切れを取り出し、術を唱えた。
「出でよッ、八岐大蛇よ────!!」
四人の面前に先日闘った八岐大蛇が禍々しい姿を再び現す。
「まさか、帯脇!?」
「あいつ、やっぱりくたばっちゃいなかったんだな」
剣を抜きながら舌打ちする京一に、劉は首を左右に振る。
「いや、ちゃうで…。あれは符の力を使って霊魂を具現化させとるだけや」
「何だ、ただの紙切れかよ…────っと」
剣を構えつつ京一が横に飛び退るのと大蛇の尾がその真横の地面を鋭く抉り取るのはほぼ同時だった。
「降ろす媒体が人であれ、紙であれ……今、あの存在が八岐大蛇の《力》を宿しているのは間違いないわ」
体内を駆け抜けた氣が、龍麻の手甲をはめた拳から一気に放出する。
「螺旋掌か……やっぱり、源流は同じやな…。ほな、わても……螺旋掌」
青龍刀を盾に大蛇に一足に近付くと劉は空いた左手から勁を発した。その反発力でわずかに浮いた身を宙で器用にひねり、続けざまに剣を振るう。
「龍尾下閃!」
龍麻を除けば仲間内でも勁を扱うのに長けていると自負していた京一は、劉の勁と剣技を織り交ぜた連続攻撃に愕然とする。
<こいつ────闘い慣れてる>
劉は大蛇を完全に翻弄していた。
大蛇は苦し紛れに毒の霧を吐き散らすが、それらは龍麻と共に掌底発勁で吹き飛ばす。
「今やで────」
「京一、霧島君!」
「…よし、行くぜ、諸羽」
「はい、京一先輩ッ」
十二分に高められた氣を霧島と同調させながら、てらてらとぬめる胴体を目掛け剣を同時に叩き込む。
「「阿修羅活殺陣────!」」
前回止めを刺した時と同様、十字に切り裂く閃光に包まれた八岐大蛇は断末魔の雄たけびと共に消滅し始める。
「ば、馬鹿な…。こうなれば…この地に巣食う霊を全て呼び寄せて再び符に降臨させるまでだ」
背後に控えていた火怒呂は呪を唱え始める。
途端、獣に憑かれていた人々は次々と意識を失った。彼らの身体から呼び戻された霊たちは大蛇の下へと集い、見る見る内に神代の話が伝えるのと同じ八つ頭の大蛇へと変化した。
赤々と光る十六の瞳が四人を見下ろす。
一回り以上大きさを増したその身を覆う鱗は一層堅牢さを増しているようだった。
「────こうなりゃ、もう一度ぶちこむだけだぜ…」
先日損失したクトネシリカに代わり手にする伏姫の太刀。その柄をぐっと握りつつ傍らの霧島に声をかける。
「はい────」
緊迫した表情で霧島も剣を構え、必死で氣を練り直し始める。
「わいも加勢するで。三人分の剣掌を一時にぶつけられれば、あの大蛇もタダではすまへんやろし。後は…」
「……わかったわ」
「そんな小細工する時間がお前たちにあるか。行け、八岐大蛇よ。奴らを一人残らず食い殺してしまえッ」
八つの鎌首が一斉に四人目掛けて襲い掛かる。しかしその時、
「火龍ッ」
「円空破」
背後から炎をまとった矢が、弧を描く氣が、大蛇の面先を鋭くかすめ、威嚇する。獣憑きの人々が意識を失ったお陰で醍醐たちが前線に合流を果たせたのだった。
「バケモノめ、このコスモレンジャーが相手になってやる」
「俺たちがヤツを引き付ける間にお前たちは必殺技を完成させろッ」
「ああ、これぞヒーローよね!桃香、今猛烈に感激してます〜ッ」
「…やれやれ。美里、全員に援護術を頼む」
「ええ────力天使の緑」
タイミングが全てともいえる作戦を、今日、初めて肩を並べる者同志で成功させられるか…しかしそんな不安は不思議と全員の心には浮かばなかった。
「もう大丈夫です。いつでも行けますよ、京一先輩!劉さん!」
「よっしゃ、こっちは任せとき!」
「行くぜッ!!」
折りしも直前に放たれたビックバンアタックの閃光が、大蛇から一時とはいえ視力を奪い去っていた。それは彼ら三人にとっても同じなのだが、ぎりぎりまで高められた氣は三人の手にする剣から鍔鳴りを思わせる金属音を生じさせ、それが互いの位置を確認する手段となった。
「「真・阿修羅活殺陣────!!」」
三つの剣から発せられた剣掌は三位一体の放物線を描き、八岐大蛇へと叩き付けられる。
その白金輝く光の焦点に向け、龍麻が金色を帯びた氣の奔流を渾身の力を込めてほとばしらせる。
「秘拳・鳳凰────ッ」
「そんな……」
八岐大蛇の完全な消滅に火怒呂が膝を崩れおる。
「……もうお終いだ……」
「ようやく観念したか」
だが火怒呂は虚ろな瞳を地面に向けたまま、くくくと笑い声を喉の奥でひきつらせた。
「てめぇ、何がおかしいッ」
「…お終いなのは俺じゃなくって、この世界そのものなんだよ。生き残りたきゃ、獣の性(さが)を取り戻すしかねェのさ。そう、やがて来る混沌の御世。そしてその王は────この俺様だッ!!ひゃははははは」
地面に拳を数度打ちつけながら、火怒呂は狂ったように笑い続ける。
しかし、その笑い声は劉の怒声で突如打ち切られる。
「あんさん、そないなこと、誰に吹き込まれたんや?」
全員が呆気に取られる中、劉が火怒呂の元へ詰め寄り、襟首を揺さぶる。
「そいつはどこや…。今、どこにおるんやッ!?────白状せんかいッ!!」
「劉君……?」
「おい、お前どうしたんだよッ!」
「よせッ、劉」
首を絞めかねない勢いを見て、慌てて醍醐と京一が止めにかかる。劉の手から辛くも逃れられたものの、火怒呂はそのまま昏倒する。
「もう良いでしょう、もうこれ以上、この人は悪いことは出来ないわ…」
「葵…。…そうね…もうこの地に呪縛されていた動物たちの霊は全て解放されたもの」
一同が既に闇に染まった空を振り仰げば、星の明かりと見まごうばかりのビルの灯りに寄り添うよう、瀟洒な弧を描いた三日月が楚々と光を放っていた。
「本当はみんな、ただ…寂しかっただけかもしれないわね…」
龍麻らが去って程無く、火怒呂は意識を取り戻した。
もぬけの殻となった公園に恨みの言葉ばかりが空しく響く。
「ううッ……あいつら……。許さねェ…」
低くしゃがれたうめき声を上げながら、噴水の縁に手を伸ばしようやく立ち上がった。すると風も無いのに水面にさざなみが起こる。
「────!あんたは……」
後ろを振り返ると、少し離れた場所に一人の男が。街灯の届かないこの場では顔は判別できないが、威圧する気配は火怒呂の良く知る男であるのは間違いなかった。
「あんたが…あんたがやれっていうから…俺は…」
自分の鬱屈した想いを相手にぶつけるが、黙って聞いてくれているはずの男の手に、いつの間にか白銀に輝く刀が握られている。
「な、何すんだよ……。待て…待ってくれ………!!」
逃げ出そうとしても、足は地面に張り付いたかで全く動かない。
「た、助けて────」
悲痛な叫びは、しかし都会の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
≪拾六≫
公園の出口でコスモの三人組と別れた龍麻らはそのまま駅に向っていた。夜のサンシャイン通りは笑いさざめく人々で溢れている。
「……。なんや、一暴れしたら途端に腹が減ってもうたなぁ〜」
突如口を開いた劉からは先程までの剣呑さは微塵も感じられなかった。
「あ、ボクもボクも!もうさっきからお腹がなりっ放しなんだよねッ!」
「おッ、なんや、小蒔はんとは気があうなぁ。それやったらこれからみんなでラーメンでも食べに行こか?池袋だったらわい、ええとこ知ってんねん!!」
「結局こうなるんだな」
醍醐は苦笑しつつ、明るさを取り戻した一行の様子に自然と口元をほころばせる。
「まあ、たまには違う所で食うのも悪くはないだろう」
「僕も賛成です。やっぱりラーメンは大勢で食べるのが最高ですよね」
「うふふ、それもそうね。それじゃあ、劉くんに案内してもらおうかしら。龍麻も京一くんも一緒に行くでしょう」
「ああ。けどその前に、劉。ききたいことがあんだけどよ…」
『お前、さっき妙なコト言ってたよな』という京一の指摘に小蒔もそうそうと同調する。
「さっきはすごくコワイ顔してたよね、あれは何で?」
「わいの顔が怖いやてッ!?ううッ、小蒔はん、そらヒドイわぁ〜。わいかて好きでこないな細目に生まれてきたわけやないで?この傷かて…なんも好きこのんでつけてるわけやあらへんのになぁ…」
「えッ!?ゴメン、ボク……そんなつもりじゃ……」
「俺も別にお前を責めるつもりは…お前が居たから今回の闘いを乗り越えられたのは事実だしよ。…その、悪ぃな」
二人の詫びを聞いて劉は萎れさせた表情を一変させる。
「……ちゅうわけで、こんなお茶目なわいを恐いやなんて、ま、気のせいやで、気のせい。ほな行こ行こッ!はようせんと店閉まってまうで〜ッ!!」
「あッ、ウソ泣きしたなッ!」
「この────待ちやがれ、劉ッ!!」
「ほれ、こっちやで〜」
「やれやれ…あいつらときたら。けれどこれでようやくカタがついた気がするな」
大通りで鬼ごっこをはじめる劉たち三人を見やり、醍醐は表情を和らげる。
「だが、あいつ……何か知っているな。一体、何者なんだ」
「…いつかは私たちに話してくれるわ、そうよね、龍麻」
「ええ…いつか、きっと……」
そして半刻後、一同はラーメン店からこぞって満足げな表情で出てきた。
「劉さんのオススメするだけあって美味しかったですね、京一先輩」
「確かにここのラーメンも結構いけたぜ。ま、王華がやっぱり一番うまいけどよ」
「ちょっと京一〜。そんな大きな声出したら中に居る店員さんに聞こえちゃうって」
たしなめる小蒔を京一は軽口で受け流す。
「俺はグルメな男だからな」
「…の割には、年がら年中ラーメンしか口にしないのは俺の気のせいか」
「それは俺の経済事情が…って、何を言わせるんだよ、醍醐」
「うふふふふ」
言いたい放題言い合う様子を笑って見ていた劉は、最後に店から出てきた龍麻に声をかける。
「もうすっかり夜やな。それなのに昼間以上に明るい街並みって、何か不思議な感じやなぁ」
龍麻がうなずくのを受け、劉はぼんやりと街並みを眺めながら言葉を続けた。
「ここはわいが生まれ育った村なんかよりずっとおっきくて、便利で、綺麗で、人もぎょうさんおって…。せやけど、なんや足らんもんがあるような気ィがわいにはするんや。なんや、無性に寂しい気分になったりせェへんか?」
「そうね、この街を歩く人たちは、ついさっき目と鼻の先であんなことがあったなんて誰一人気付かない。それは確かに寂しいけれど…でも…心を開けば見えてくるものが、感じられるものがあるって…私はこの街に来て、彼らに出会ってから初めて知ったのよ」
「緋勇はん。あんさんのお仲間はええ人ばっかやしな。けどあんさんも…」
その時、二人の頭上に白い蝶が忽然と姿を現す。
「…白い蝶。またや…。あの時他の獣たちと一緒に去ったんやなかったんか」
「劉君…あのね、蝶って古来から世界各地で死者の魂と同一視されることが多いんですって。…ひらひらと人の傍ら近くを舞い飛ぶ蝶の姿は、まるで死者の魂が現世で近しかった人に寄り添っているよう…そういう風に連想したのかもしれないわね」
「そうか…。けど…もう大丈夫や。わいには仲間が出来たんやからな」
「…劉君…」
「だから心配せんと、もう天に帰ってええで────」
ふわり…
劉の眼前で一巡り、蝶は裳裾をひるがえすような優美な姿で羽ばたくと、そのまま闇の中にゆったりと溶けていった。
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