≪四≫
学校から15分ほど歩いていくと、目的の店『王華』に到着した。
各人が口々に薦めるメニューの中から龍麻が選んだのは、あっさりとした東京風醤油ラーメンだった。程無く熱々の湯気を立てた器が四人の前に並べられ食欲を掻きたてられる。
「…そういえば桜井、今日は美里と一緒じゃなかったのか」
「うん醍醐君。葵はアン子に頼まれて、一緒に旧校舎に行ったんだよ。アン子ッてばここの所、例の幽霊騒動の真実に迫りたいんだって張り切っていたから」
「ふひゃあ、ふぁのひ…」
「うわ、汚いな〜京一。こっちまで汁が飛んできたよッ。ちゃんと食べてから喋ってよね」
「ん…ごくッ。あの赤い光がいっぱい見えたっていうヤツだろ」
「うん。他にも廊下に人影が見えたとか、獣の声が聞こえたとか、とにかく前からいろいろ怪しい噂があるんだよね」
「ゆッ幽霊なんて、この世の中に居る訳ないじゃないか」
「…何で声が上擦っているの、醍醐君」
そう言うと、龍麻は少しお酢を入れてまろやかにしたスープをレンゲで一掬いして飲む。
「いや、別に…。ただ、あそこは立ち入り禁止になっている為、中には入れないって聞いているんでな」
「…抜け道があるんだって、アン子は言ってた」
「おう、俺も部の後輩から聞いたぜ。何でも周りを囲っている柵のどっかが外れて、そこから内部に入れるらしいぜ」
「でも、そんなに厳重に囲ってあるのに、何でわざわざ入ろうって思うのかしら」
「そんなのは、へへッ、決まってるぜ。人目につかないトコでヤリタイことがあるからだろ。例えば…」
片目をつぶり、声を顰めて龍麻に囁きかける京一の後頭部を、小蒔が素早く殴る。
「コラッ、何変なことを緋勇さんに語ってんだ」
「ッいてー、まだ何もいってねェぞ。本当、凶暴な奴」
「ふん、年中オネエちゃんのことしか考えてない京一よりはマシだよ」
その時、睨み合う二人の背後にある店の入り口が勢い良く開き、息を切らしたアン子が四人の所に駆け込んできた。
「おい、アン子どうした。て、オイ俺の水を勝手に飲んでるんじゃないッ」
だが、京一の制止もふりきって、コップの水を一気に飲み乾すと、
「────ふうッ。大の男が水のコト位でガタガタ言ってんじゃないわよ。
それより、大変なの桜井ちゃん!美里ちゃんを、美里ちゃんを探してッ!!」
『えッ!?』
アン子を加えた五人が真神学園の旧校舎に再び辿り着いた時には、日は半分暮れかけて木造の校舎は黒々とした威圧感を漂わせていた。
道すがらアン子に事情を聞き出したところ、旧校舎の鍵を借りる為に、生徒会長の葵と共に職員室に行ったのだが、その後もアン子一人では心細いだろうからと、一緒に校舎内に潜入してくれたのだった。そして懐中電灯を持って奥の方に行った時、突然赤い光が向かって来た為その場を逃げ出したのだが、気が付いたら傍らに居たはずの葵が居なくなっていたのだった。
「ホントに幽霊が居たんだ…」
「ばーか。まだそうだと決まったわけじゃねェだろ。それより何処から入ればいいんだ?」
「ここよ」
そういうと、植え込みの影に隠れていた塀の一部をパッと外した。
「成る程、これじゃ先生方も気がつかないな。おい、ここからは俺と京一で行く。お前たち三人は危ないから帰れ」
「絶対嫌だよ!中に葵が居るのに、友達を見捨てるようなマネできるわけないじゃん」
「そうよ。第一、あたしと美里ちゃんが何処ではぐれたかもハッキリ分かっていないのに。そんなに無駄な行動をしている時間は無いんじゃないの?」
二人の凄い剣幕に、醍醐もこれ以上押し問答をするのは諦め、せめて自分達に離れないようにして付いて来るように言った。
「緋勇は…、ッて、もう勝手に塀の中に入っているじゃないか。京一のヤツも一緒に…仕方の無いヤツらだ」
龍麻は旧校舎に近付くにつれ、皮膚に突き刺さるような妙な波動を感じてきた。神経を研ぎ澄まし、たどっていくとどうやらそれは地下からのようである。
<一階ではぐれたのなら、これは違うのか…。それにしてもここは一体…何故こんなにも重苦しいくらいの《氣》を感じるの>
真剣な表情をしている龍麻を横から見て、京一は不思議に思った。
転校以来何かと注目の的であり、積極的に声を掛けてくるクラスメートらに対しても、無愛想なとまでは言えないが淡白なくらいあっさりとした態度を取り続けている。少なくともこの三日間の彼女を見る限り、普段はおっとりと大人しい感じで、佐久間や醍醐と戦っていた時でさえ決して好戦的な様子はなかった。
それなのに、美里が旧校舎で怪しい赤い光に追いかけられて行方不明になったと聞いてからは、誰よりも積極的に行動をしている。
よっぽどお人好しなのか、それとも…訳ありか。いずれにしても京一にとって興味を引く存在であった。
だが、今はそれよりも行方不明になった葵の捜索が優先である。
「急ぐぞッ、緋勇」
≪伍≫
日没時のオレンジ色の光が差し込む旧校舎の中は埃と黴臭さで包まれていた。歩く度に床板がぎしぎしと悲鳴のように軋み、あたかも闖入者たちを追っ払おうと叫びをあげているかのように五人には感じられた。
「何せ建てられたのが第二次大戦中っていうから、約60年前の建物よね。戦時中は陸軍の訓練学校に使われていたのよ。おまけに当時、軍の実験用の施設が地下にあったっていうし、いずれにしても歴史のある建物っていうわけね」
「その話なら俺も聞いたことがあるぞ、遠野。確か一階の奥に地下に下りる梯子があるらしいな」
「あら、詳しいのね、意外だわ醍醐君」
「ああ、俺の祖父が職業軍人だったんで、生前よくその話を聞かされていたんだ」
当時、軍部はここで何か秘密裏に研究を進めていたのだと。ただ日本の敗戦によってその研究は放棄され、同時に建物も軍部からGHQ(連合国軍総司令部)の手を経て、再び元の学校施設として利用されるようになったのだ。
「地下か、もしかしたらその時に隠されたお宝があるかもな〜」
建物の歴史には興味は無いが、秘密裏の研究という言葉に京一は魅惑の響きを感じたようだった。
「京一、今は葵のことが優先だろ」
「そりゃそうだけどよ。興味あるじゃんか。ははあ、小蒔お前ビビッてナニが縮んじまったんじゃねえの」
「ナニって何だよ!」
「ナニってナニだよ〜ん」
「よさんか京一、桜井も」
醍醐に一喝され、二人は悪戯っ子のように首をすくめて互いの非を突付きあう。
「こっちよ、皆。ここの更衣室と保健室の先で赤い光を見たのよ。…緋勇さん、どうしたの、涙流して」
「えッ、や、やだな、目に埃が入ったみたい」
<どうしたの私。さっきから胸が締め付けられるように苦しい…。懐かしいような、哀しいような…ここは初めてくる場所なのに>
「取り敢えず、この辺りの教室から調べよう」
五人は扉が半開きになっている手前の教室をのぞくと、薄暗く視界も悪い中から不思議な青い光が浮かび上がっていた。
「遠野が言っていた光というのはあれか?」
「ううん、違う。あたしが見たのは赤い光。あ、あれはまさか…美里ちゃん?」
「葵、葵の体から光が出ているの!?」
見ると、床に倒れている葵の全身を、静かな青い光が包んでいた。
「いったい、何だっていうんだよこの光は」
アン子ら四人が衝撃のあまり立ちすくむ中、龍麻だけが葵に近付きそっと床から上半身を抱き上げた。龍麻が葵に触れると、光はすっと葵の体に吸収されるように消えてしまった。
その様子を見て、入り口付近に棒立ちになっていた四人も、ようやく呪縛から解き放たれたかのように葵の傍に向う。
「葵、葵ッ!目を覚まして!!」
小蒔の呼び声で、気絶していた葵は薄っすらと瞼をあげる。
「…緋勇…さん…?」
「大丈夫?」
「…私、気絶していたのね」
ゆっくりと立ち上がった葵に、小蒔とアン子が半泣きの状態で縋りついた。
二人が落ち着きを取り戻した頃合をみて、葵が気を失った時の状況を皆に語る。
「私、赤い光に追い付かれそうになって、もう駄目だ、って思った瞬間に目の前が白く光ってそれで、気がついたら緋勇さんに…。ありがとう、緋勇さん、みんな」
「それなんだけれど、ボク達びっくりしてすぐに動けなくて、だって葵…モゴモゴ」
小蒔の口をとっさに龍麻が塞ぐ。
「???。私が、何か?」
「ううん、何でもないわ。それよりもう暗くなったし、早く帰りましょう」
さっきの光のことは葵には言わない方がいいだろうと龍麻は判断した。
<見覚えのあるあの青い光。それの意味するところは…>
葵の無事を喜びつつ全員で廊下に出た時、背後からクチュクチュと歯をかみ鳴らすような気色の悪い音が聞こえてきた。
振り返りその方角を見ると、二つ奥にある教室の通路の窓に赤い光がいくつも映し出されていた。視界の悪い中、一番視力のいい小蒔が蝙蝠ッと鋭い悲鳴を上げる。
蝙蝠は教室奥で徐々に集団を為し、こちらに向って殺気立った空気を送ってくる。
「どうやら、大人しく帰してはくれないようだぜ」
京一はそう言うと、紫布に包まれた木刀を抜いて構える。
「桜井、美里、遠野、緋勇。お前らはさっさと帰れ」
「やだッ、ボクも戦う。空を飛ぶヤツならボクの弓が役に立つはずだよ」
「…戦える味方は多い方がいい。当然、私もここに残ります」
小蒔と必死の表情と、そしてそれとは対照的に冷静な龍麻の、だが威圧感をも感じさせる様子に醍醐は仕方が無いと居残ることを同意する。
「緋勇は大丈夫だろうが、桜井は絶対俺たちの前に出るなよ。遠野、美里を連れて早くここから出ろ」
「あたしは仲間外れッ?そりゃあ、戦力としてはアレかもしれないけれど、みんなを置いて逃げることなんてできないわよ」
抗議の声を上げるアン子に、今度は龍麻が説得にあたる。
「遠野さん。あなたにはあなたにしか出来ない協力をして欲しいの。ここを出て先生方に助けを求めて。この件は不法侵入した私たちよりも、正規のルートで入ってきたあなたの方がスムーズに話が流れるでしょ」
「まあ、それはそうだけれど、でも」
「…じゃあ、これを預けておく。大事なものだから後で必ず返してもらうわよ」
割れたら困るからと言って眼鏡を外し、驚いて口をぽかっと開けているアン子の手に握らせると、肩を押し出すように軽く叩く。
「じゃあ早く行って」
アン子と美里に類が及ばないよう、残った四人は蝙蝠達の集団を惹き付けるべく、敢えて蝙蝠の集団が拠点としている教室に自ら飛び込む。
待ち構えていたように蝙蝠達は四人に襲い掛かってきた。醍醐は小蒔を庇う形で、その場で近付いてきた蝙蝠に強烈なハードブローを見舞う。京一と龍麻は集団を切り崩す為少しずつ前進して行く。
龍麻が襲いかかってきた一匹に掌打を決めると、蝙蝠は霞のように揺らいで消えた。
「こいつ等は陰の《氣》で活動しているという訳ね」
それならと更に体内で《氣》を増幅させ、今度は掌底・発剄を前の2匹に容赦なく見舞う。陽の《氣》に当てられたそれらも塵のように消え失せさせる。
「すげ〜。お前って本気に戦うと、そんなに強いのかよ」
「よそ見をするな、京一ッ」
龍麻の戦いっぷりに気を取られた京一の腕を目掛け、暗がりから飛び出た蝙蝠の一匹が鋭い牙をたてる。醍醐の声を聞いて、素早く小蒔が援護射撃で撃ち落した。
しかし京一の左腕からは、血がつぅと二筋流れ出る。
「大丈夫、京一君」
腕を押さえる京一に慌てて葵が駆け寄った。
「痛てて。…美里。何で戻ってきたんだよ」
「先生を呼びに行くのはアン子ちゃんだけに頼んだの。私もみんなと一緒にいたいから」
葵が素早く京一の傷口に手をかざす。すると、淡い光が発すると共に傷が治っていく。
「この力は────?」
「分からないわ。でも、こうすればいいって頭の片隅で何かが語りかけるの」
「まあいっか、サンキュー、美里」
再び京一が龍麻に加勢しようと、目前の一匹を諸手上段で打ち倒す。しかし京一が前線に復帰した頃には、あらかたの蝙蝠は龍麻が倒してしまっていた。
「今回の俺って見せ場少ないな〜。それより緋勇、お前眼鏡無くてよく戦えたよな」
「ああ…。あれは伊達眼鏡だから、別に無くても大丈夫なの」
「何で伊達眼鏡なんか…、ああ〜ッ!!!」
素っ頓狂な声をあげて、京一は硬直した。
「五月蝿(うるさ)いなあ、京一」
「そうだぞ、京一。何一人で騒いでるんだ」
「京一君、どうしたの」
後方にいた三人が素っ頓狂なまでに大声を上げた京一の所に近寄る。京一は口をぱくぱくさせ、体を震えさせていた。
「さっき蝙蝠に噛まれたのがまずかったのか」
「ええッ、それってまさか毒とかに冒されたってコト?」
「ちっちっ違うッ。ひ、緋勇を見ろッ!」
「???」
京一の言葉が理解出来ないまま三人は自分達の方を振り返る龍麻を見、そして京一と同様に絶句した。
絹地のように白く滑らかに輝く肌は闘いの余韻からほんのりと頬が上気し、そこにすっきりと通った鼻梁と桜色の唇が絶妙のバランスで配置されていた。そして、何よりも印象的なのは濃く長い睫が影を落とす黒曜石のような深く澄んだ瞳、その眼差しの清冽さが四人の心を捉える。
眼鏡をかけていた時には、そこそこキレイな子だという印象だったが…。
「すっげェーー…。こんなに美人だったのかよ……」
月明かりを浴びて浮かび上がる冴え冴えとしたその美貌は、同じ高校生かと思えるくらい神秘的で、じっと見詰めていると魂もふらふらと吸い込まれてしまうのではないかという気持ちにまでさせた。
四人の驚愕する表情を見て、龍麻はうつむきながらポツリと呟く。
「だから…そういう風に見られるのが嫌で眼鏡かけていたの…」
アン子を旧校舎から脱出させるのに、あの場はああいう手段しかとっさに思い浮かばなかったので、驚く四人を責めても詮無いことであったが、やはり強いて隠していたことが発覚するのは後ろめたさと共に辛かった。
「ごめんなさい、こんなぶしつけに見ては緋勇さんに大してとても失礼よね」
似たような経験を持つ葵が龍麻の心情を汲み取る。小蒔も、自分が龍麻をじろじろと観察したことを悪かったと反省し、視線を隣の人物に移す。
「そうそう、現にココにも一匹危険な奴がいるし」
ようやく我を取り戻した感じの京一は、それが自分を指しているのが判り易いほど判ったので憮然とした表情を浮かべている。
「隠すなんて…もったいない。でも、他の連中に見せるのももったいないかもな〜」
「京一。緋勇はお前の所有物じゃないんだ。馬鹿なこと言っているんじゃない」
変な目で見て済まなかったな、と素直に謝る醍醐は話題を蝙蝠の方に切り替える。
「それより不思議なのがこいつらだ」
醍醐は先程自分が倒した大蝙蝠の一匹をつまみあげる。その口元には並みの蝙蝠には見られない鋭い牙が見える。
「本来蝙蝠は草食性の生き物だという。それなのに…」
「そう、この蝙蝠たちは人間を狙っていたわ。それも威嚇ではなく明らかに捕食の意図を漲らせて」
「緋勇さん、それじゃ最近行方不明になっている生徒達ってまさかッ」
葵は顔面を蒼白にして叫ぶ。
「……そういう可能性も否定できないと思う」
「俺も同感だぜ。何ていうか、ここはヤバいっていう感じがさっきから首筋辺りにチリチリして仕方ねえ」
一同が重苦しい予感に支配されつつこの場を立ち去ろうとした時、それは聞こえた。
否、正確には音声として聞こえた訳ではない。だが、それははっきりした意識としてその場全員の頭の中に流れ込んできたのである。
───────目覚めよ
その言葉が体中に共鳴したかと思うと、その場の全員の体から先程の葵と同じ揺らめく青い炎の如く、《氣》が強く噴き上がった。
「こ、これは一体…!?」
「ボク達の体からも青い光が!?」
「体が、体が熱い」
「…クッ、どうなってやがんだ」
<同じだ、あの時と。私が自分の力に覚醒した時と!!ああ…駄目ッ、もう…意識が…>
意識を失う間際、別の人間の足音がこちらに近付いているように龍麻は思ったが、しかし為す術もなく四人と同様に床に崩れ落ちてしまった。
どれ位意識を失っていたのか───全員がほぼ同時に意識を取り戻した時には、月は天高く晧晧とした光を放っていた。
「俺たち、何で外にいるんだ?」
狐につままれた思いの一同を、小蒔の明るい言葉が和ませる。
「うーん。ま、そんな訳分かんないこと考えてもしょうがないよ、今は無事に全員外に出られたんだし、それで良しにしようよ。…それよりボクお腹すいちゃった。またラーメン食べに行こッ」
「ははは、まったく桜井は色気より食い気だな。逞しくて羨ましいよ」
「そうね醍醐君の言う通りだわね、ふふふ」
「よっしゃ、もう一回食いに行くか。緋勇、お前も行くだろう?」
龍麻は黙って頷いた。
しかしその瞳からは先程までの鋭さが消え失せ、朧月のように弱々しい物憂げな光が宿っていた。
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