≪壱≫
関東最古の不動霊場として、そして今では江戸城守護・五街道の守護を司る寺として知られている目黒不動尊の広大な境内は春の花見も兼ねて、いつも以上に賑わいを見せていた。物売りや、それを購入しようとあれこれ物色している人々の声が喧(かまびす)しい。
国の内外では時代が大きくうねろうとしているのに、庶民にとっては日々の生活が第一なのか、それともそのことに目を瞑りたい想いなのか、享楽的な空気が信仰の場を完全に支配しているようだった。
「ま、それもいいんじゃねぇの。俺はアイツ見たくクソ真面目じゃねえからな」
朝帰りを暗示する女の白粉の匂いも漂わせ、鮮やかな紫の着流しを羽織って一人の浪人風の男が当てもなくぶらぶらと歩いていた。
茶褐色の髪は適当に束ねられ、いかにも遊び人という風体だったが、活力に満ちた瞳と腰に下げている刀、そしてそれを無意識のうちに玩ぶ指先から溢れる《氣》は、見る者が見ればかなりの使い手であるということを悟らせるに充分だった。
昨日の女はイマイチだった、という気持ちから今日は気分を替えて遠出してみたのだが、どうやらこれといった女にも出会えないでいる。
<そろそろ戻るか。どうやら無駄足だったな>
そう思っていた矢先、男共の怒鳴るつける声と子供の泣き声とが耳に飛び込んできた。
<大方、子供がぶつかったことでイチャモンでもつけてんだろ>
放っておこう、そう判断しかけたが、刀を抜く音と周囲の悲鳴を聞くや、すぐに踵(きびす)を返す。
大勢の人たちが人垣を作って取り巻いている現場には、案の定怯えて泣いている5歳位の子供に、用心棒崩れの男が抜き身の刀を手にさかんに喚いている。時ならぬ騒ぎに見物人は大けれど助けようという意気込みの者は誰も居なかった。
<仕方ねェな>
面倒くさいと思いつつ仲裁するかと思ったその時、子供と男の間に見た所歳の頃は17、8歳位の若い女が音も無く割って入った。
<…ガキの姉か?にしても、こいつは>
京梧の目を驚かせたのは、真珠を磨いたような肌に、整った目鼻立ちが際立って美しい、江戸でも稀に見る極上の美女だったということである。
男は子供といえ武士の魂を汚す者には教訓を垂れる必要が有るというのに、それを邪魔するとは怪しからんと怒鳴つけ、たとえ女であっても容赦はせんと切っ先を突きつける。一方の女は謝るでも取り乱すでもなく、ただじっと双眸を相手に向け、子供を庇うように立ちはだかるのみである。
焦れた男は、やや裏返った威嚇の声と共に闇雲に女に向けて刀を振り下ろす。
周囲の見物人からは逃げろといった言葉が飛び出すが、女は毛筋ほどの怯えも見せず微動だにしない。
がつ、という鈍い音が境内に響く。
「ちょっと兄さん、若い娘相手に張り切りすぎてんじゃねェか」
相手の刀の刃先を自分の鞘で受け止めると、浪人風の男はにやっと笑った。
「…俺を蓬莱寺京梧と知って、まだやり遭おうってんなら相手してやるぜ」
その聞き覚えのある言葉に用心棒の男は完全に闘争心を失い、女と子供に捨て台詞を吐くやその場を慌しく立ち去っていった。硬直していた境内の空気が一気に緩和されると、人々は口々に今の様子を喋りながら三々五々場を離れる。
女もそれまでの硬い表情を緩め、泣いている子供に優しく話し掛ける。どうやら、見ず知らずの他人の為に、自分の命の危険も顧みなかったらしい。
その様子に半ば呆れながら、京梧は女に声をかける。
「しかし、無茶すんなー。下手したらあんた死んでたんだぜ」
「……こちらこそ、子供共々助けていただいて忝(かたじけな)く思います」
鈴を鳴らしたような、玲瓏とした声が返ってきた。しかし、その美しい黒々とした瞳にはおよそ表情というものがなかった。良く見ると、白魚のようなほっそりとした指には杖が握られている。
「あんた、目が見えねえのか…」
京梧はますます呆れて物が言えないという風で女をまじまじと見る。
女は悪戯を咎められた子供のように小声で笑う。
それに呼応するかのように周囲が清浄な《氣》に包まれ、俄かに女の黒髪や体に桜色の吹雪がちらちらと舞い落ちる。着ている着物はごくごく普通の翠色のものだったが、それすら華麗な錦に見える程、女の冠絶した美貌と相重なって一幅の絵画を思わせる幻想的な光景であった。
「私、名をたつきと申します」
これから新宿まで帰るというたつきを、京梧は自分も目的地が同じであるのを幸いに、護衛を兼ね自宅まで送り届けることにした。
道中のたつきは目が不自由なことを感じさせないような足取りの軽やかさで、京梧にはその美しい瞳が光を映さないことがますます信じられない気持ちになってきた。
「しかし新宿からここまで目が不自由なのに一人で来るか?ゆうに一里はあるぜ」
「…どうしても、お参りしたかったのです」
たつきは生まれつき目が見えない代わりに、耳などで人の気配を察することが出来るから不自由は余り感じたことはないと言う。
「でもよ、自分の目を癒してくれるんだったら、不動さんより観音さんの方が霊験あらたかっていうんじゃねえか」
たつきは静かに首を振る。
「いいえ、私の大切な人の無事を祈りたかったのです。私の目は…、その方が生きている証なのです。この目はその方に捧げたと思っておりますから」
京梧の表情が曇る。
「…そいつって、その…ひょっとしてアンタのいい人とか?」
「…気になりますの?」
たつきに心を覗かれたように思い、京梧はどきりとする。
「ふふッ、その方は私のたった一人の兄ですの。もう五年近く生き別れになってしまっておりますが…今一度お会いしたいのです」
──私が生きているうちに…
最後の言葉は、唇が呟いただけなので京梧の耳には聞こえなかった。
やがてたつきが住んでいる家の付近にまで辿り着いた。
内藤新宿の歓楽街からは離れた閑静な竹林の影に、柴垣に囲まれた鄙びた風情の庵がひっそりと立っていた。
「たつき!!いったい今までどこへ行っていたのだ!」
庭先から、張りのある男の声がたつきと京梧に咎めるような口調でかけられる。
「申し訳御座いません。目黒のお不動様までお参りに…」
声をかけた長い髪を垂れ下げて紐で一つに結んでいた男は、京梧よりも恰幅のよい長身の体に刀を佩き、威風堂々とした風情であった。
「こちらの方は、境内で絡まれていた私を助けてくださったのです」
「うむ、そうか。たつきが手数をかけたようだ。俺からも礼を言わせて貰おう」
京梧は目と目がぶつかり合った刹那、背に今まで味わったことの無いような冷たい感覚が走った。
「俺は蓬莱寺京梧っていうんだ。アンタは?」
「蓬莱寺か、知っているぞ中々の使い手だそうだな。俺の名前は柳生宗崇だ」
<柳生宗崇!あの伝説的な剣の使い手として知られている奴がこいつなのか>
通りでこちらが圧倒される位に《氣》が異様に強い訳だと納得する。
<それにしても、どうしてこいつがたつきと一緒にいるんだ?おまけにコイツの目は…危険な色をしている>
二人と別れた後も、京梧は宗崇の存在に圧倒され、しばらくはそのことばかりが頭の中を駆け巡っていた。そしてそれ以上にたつきのことも気にかかってしかたなかった。
<あんな摩訶不思議な雰囲気を持った女は初めてだ…>
≪弐≫
四時間目の授業終了のチャイムが鳴り終わると、龍麻の席まで醍醐がやっと授業が終ったなと言いながら近付いてきた。
「今日一日は大変だったろう」
「…確かに」
苦笑を浮かべて龍麻は醍醐を見上げる。
昨日の旧校舎では思いもかけぬ事態が次から次へと起こり、結局アン子とは会えず仕舞いで、だから龍麻は早朝新聞部の部室前で登校するアン子を待ち構えていた。
目的は、勿論自分の眼鏡を返して貰うことだったのだが、アン子は龍麻から預かった眼鏡が伊達眼鏡であることを夕べの段階で気付いたらしく、今朝初めて見る龍麻の素顔に驚くと共に、逆に何でわざわざ眼鏡をかけていたのかを問い詰める。
『駄目よッ!眼鏡っていうのは、あたしみたいに本当に目が悪い人間がかけるか、お洒落の為だけにかけるものなの。そんな綺麗な顔を隠しちゃう為なんて、絶対にこのあたしが許さないわよ!うーん、そうねえ、この真神新聞第二号を無料で進呈するから、換わりにこの眼鏡はこっちで預からせてもらうわね』
『そんな』
龍麻の哀願はきっぱりと撥ね付けられ、返って今度是非写真に撮らせてと頼まれてしまう結果にまでなってしまった。
『大丈夫。緋勇さんはもっと自分に自信持ってがんばんなさいよ』
お陰で他の生徒が登校してくる頃には、教室中の生徒から視線の集中砲火を浴びせられる羽目になってしまったのだが。
「遠野さんには負けるわ。でもこうなったら、開き直って慣れないと駄目ね」
「その様子なら心配なさそうだな。昨日の一件もあったし、お前が真神に嫌気が差したんじゃないかと少し不安だったんだ。…美里も特にかわった様子も無いし、京一と桜井はいつもの調子だから問題は無さそうだが」
「そういう醍醐君は大丈夫なの」
「そうだな…。今朝トレーニング中、少し力が入りすぎてサンドバックを駄目にしてしまったが、それ以外は特に今の所何も変わらんな。…まるで、昨日のことは夢だったように感じてしまう位、今日はごく普通の一日だったな」
「そうね、いっそ夢だったらステキなのに…」
やや沈んだ口調の龍麻に、醍醐も続ける言葉も浮かばず、二人して黙り込んでしまう。
「よう、何二人でいちゃついてるんだ」
重苦しい空気を払うような明るさで京一が声をかける。
「お堅い醍醐もひーちゃんの美貌を前に、ようやく女のコに関心を持つようになったか」
「な、何を…」
「お生憎様。醍醐君は京一君みたいに無節操じゃないから」
口ごもる醍醐に代わって、龍麻が珍しく京一に反論する。
京一は昨日の夜から、堅苦しいのはヤダからこれからは『ひーちゃん』てあだ名で呼ぶからな、俺のことも名前で呼んでくれよと一方的に宣言してきたのだった。龍麻を除く3人は、その時京一の尻から犬もしくは狼の尻尾がパタパタと振られている姿を一様に連想したらしいが…。
「俺が無節操て、どういう意味だよ」
「うふふ、さっき授業中居眠りしてた時、うっとりした声で人の名前のようなものを呟いてたもの。あれって絶対女の子の名前でしょう」
「ひーちゃん…それは大きな誤解だぜ…」
顔では悲しんで見せたものの、内心京一は嬉しくてたまらなかった。
転校してから三日間ずっと頑なな態度を取っていた龍麻が、たとえ憎まれ口に近いものがあっても自分を構ってくれているだけでも大きな進歩だった。そして彼女が自分たちに対して僅かでも笑顔を見せると、京一には何となく幸せという感慨が湧いてくるのであった。
「夢ン中のことなんか、目が覚めたらさっぱりと忘れちまったぜ。そんなことより相談があるんだけどさ。今、桜が綺麗な時期だよな。その綺麗な桜の花の下で、ひーちゃんと友情について熱い語り合いをしたいなーと」
「で、そのココロは何なんだ京一」
「美女と飲む酒はさぞかしウマいだろうな、と」
冷たい視線にたじろぎも見せず京一は嬉々とした表情を浮かべている。醍醐は深く溜息をつくと、京一に説教を始める。
「酒は肉体だけでなく精神をも鈍らせる。京一、お前も武道を志す者の一人ならばその位のことは判るだろう」
「生憎と俺の腕は、酒くらいで鈍るほどやわじゃねェからな」
「その意味の無い自信はどこから沸いて来るんだ。大体俺たちはまだ高校生だ。未成年である俺たちが酒盛りなど、社会的にも許されてはおらんぞ」
「法律や道徳で宴会やれりゃ苦労はしないって、真神の総番殿は堅すぎだぜ」
「お前が柔らかすぎるんだッ」
「…それに俺はひーちゃんを誘ってるわけで、ムサくるしい男を誘った覚えは無いんだけどよ」
やや形勢不利になりかけた醍醐に、アン子と小蒔という強力な助っ人が現れた。
「京一と緋勇さんとを二人きりなんて、そんな猛獣に餌を与えるより危険な真似させる訳にいかないじゃない」
「そーだよッ、それにお花見だったら大勢で行った方が楽しいじゃない」
事態がより紛糾するのではと内心龍麻は不安になりかけたが、そこに更に葵が現れ、『緋勇さんの歓迎会を兼ねてお花見にいきましょう』と提案してくれたので、京一も大勢で行くことを納得したようだった。
「ただし、お酒は厳禁だぞ」
「しつこいンだよ醍醐」
「お前ならジュースに混ぜてでも持ってきかねないからな」
「………(ナルホド、その手があったか)」
「そうだ、それならマリア先生も呼ぼうよ」
京一の心の中を読み取ったのか、小蒔が名案を思いついたと言った。
「ええッ、先生の引率付きかよ。そんなん気分悪りいぜ」
「桜井の提案が妥当だな。まさか先生の前で飲酒は出来ないだろう」
今日の主役である龍麻が了承した為、マリアを呼ぶことに決定した。
提案者である小蒔が先頭に立って職員室に向おうと教室の扉を開けたところで、出会い頭に佐久間とぶつかってしまった。だが佐久間は小蒔には目もくれず、停学処分の解けたことを喜ぶ醍醐に対して噛み付くような態度をあからさまに見せる。
「いつも偉そうに俺を見下しやがって。…醍醐、いつかお前に思い知らせてやる」
「何だと、てめえ」
言われた当人に代わっていきり立つ京一を慌てて醍醐は制する。佐久間は挑発的な態度のまま、今度は龍麻にどす黒い沼のように濁った視線を送る。
「…緋勇。俺ともう一回勝負しろ。やるのか、やらねえのか?!」
「断ります」
思わず息を呑む一同を横目に、龍麻は間断なくきっぱりと言い放った。
「てめえ逃げる気かッ?!」
「そう解釈してもらっても結構です。とにかく、私にはあなたと闘う理由が無いですから」
取りつく島も無い龍麻に尚も喰らい付く佐久間へ、京一が止めの一言を放つ
「馬鹿。お前なんざ、何度闘ったってひーちゃんには勝てねェよ。ひーちゃんもそれが判ってるから敢えて相手してねェってことが理解出来ないんなら、お前の強さもそこまでだな」
本気になった龍麻の強さを昨日の旧校舎での戦闘で体感した他の三人にも、最早佐久間がどうあがこうとも勝敗は明白であることが判っているので、京一のキツい一言にもさして抵抗を覚えず納得してしまう。
「!!!」
衝撃を受けたのか、呆然としている佐久間の前をすり抜けるように一同は教室を出る。
葵と醍醐は佐久間を放って置いて良いものか気懸かりに感じているようだが、アン子の『早く行かないと、マリア先生帰っちゃうかも』という言葉に後押しされ、一同は足早に職員室に向った。
≪参≫
土曜日の午後だった為か、職員室には数名の教師が居残っている他には人影はまばらだった。マリアの姿も見当たらなかったが、タイムカードはまだ出勤の位置にささったままだったので、帰ってはいないようである。
きちんと整頓されているマリアの席付近で待っていると、隣の席の犬神が声をかけてきた。
「ぞろぞろと珍しい面子が揃ってやってきたな。ところでお前たち、俺に何か隠し事をしていないか?」
「いやだなあ、センセー。隠し事なんて何にもないですよ〜」
わざと明るく振舞う小蒔を横目に、犬神はさらりと爆弾発言をする。
「昨日の夕方、旧校舎に入っていったのを見たのは幻だったということか、緋勇?」
「いえ、昨日の夕方旧校舎に入りました」
白を切るのも無理と考え、龍麻はあっさりと白状した。後ろにいる京一とアン子は声にならない悲鳴をあげていたが。
「ふん、あっさり認めたか。蓬莱寺と違って素直なことはいいが、あそこには二度と近寄るんじゃないぞ。あそこは危険だからな」
「先生はまさか、あそこにあるモノを知っているんですか!?」
「あそこにあるモノ?何があるっていうんだ遠野。俺はただ──あそこの校舎は老朽化して床板も脆くなっているので、踏み外して怪我をしたら危ない、と言いたかったんだが」
「えッ、あッ、そうなんですか〜。イヤだわ、先生たらお茶目でッッ」
「………」
あからさまに動揺を見せるアン子に、京一が馬鹿ヤロウと小声で叱る。
「マリア先生に用なら間も無く来られるだろう。先生なら旧校舎のことで教頭先生と話し合い中だ。彼女も大分あの建物にはご執心のようだからな…」
「私たち、これからマリア先生を誘って一緒に緋勇さんの歓迎会を兼ねてお花見にいこうと思っているんです」
「桜か、そうだな中央公園は今盛りだからな。まあ、俺は桜の花が嫌いだから興味ないが」
「桜の花が嫌いだ、なんて、まさか昔桜の木の下で思い切り振られたことがあるからとか」
京一の皮肉を犬神は一笑に付す。
「残念だが蓬莱寺、お前の下世話な想像は外れだ。…俺が桜の花を好きになれないのは、桜が人に似ているからだ。美しく咲き誇る桜も、一瞬の命を生きる人も、たとえどんなに美しかろうが、やがては散ってしまう。俺には、桜の花も人の命も散りゆく為に無駄に咲き急いでいるように感じてならない」
「でも、先生」
葵が珍しく心情を吐露する犬神に対して、真剣な口調で反論する。
「私はそうは思いません。いつか散ってしまうはかない命だから、だからこそ桜は美しいんだと思います。死があるからこそ、人は強く激しく、そして優しく一生懸命生きていけるのだと私は思います」
「それは、君が死というものを知らないから言える詭弁だよ」
「…まるで先生は数多の死を見届けてきたかのような物言いをなさいますね」
そう言う龍麻の表情には、犬神と同じように死を間近に感じてきたような感慨が漂っていた。犬神と龍麻の視線が交錯する。
「まあいい。それより、中央公園に桜以外のモノが散らんように気をつけることだな」
立ち去った犬神の言葉の裏を掴みきれないまま、入れ替わるように姿を現したマリアを花見に誘う。
マリアが二つ返事で快諾してくれた為(但し飲酒はダメとここでも京一は釘を刺されてしまったが)、一旦解散後、6時に中央公園の入り口付近に集合することになった。
ぞろぞろと上機嫌で校門まで連れ立って歩く六人の視線の先に、小柄な人影が映し出された。
「あッ、ミサちゃんだ。そうだ、ミサちゃんも誘おう」
制止しようと慌てふためく男性二人を尻目に、小蒔は元気な声を張り上げて裏密ミサを呼び止める。
「お花見、桜、紅き王冠〜。場所は何処なの〜?」
「中央公園なんだけど、ミサちゃんも来るでしょ」
「ここから西の方角ね〜。7(ザイン)に剣の象徴あり〜紅き王冠に害なす剣〜〜。鮮血を求める兇剣の暗示が出てるわ〜。はっきり言って方角が悪いわね〜」
裏密の登場に、すっかり調子を狂わされている京一と醍醐は、早くこの場を逃れたい一心で黙りこくっていたが、小蒔は、こんな現代に剣なんてと首を傾げている。
「信じるも信じないも〜その人の自由だけどね〜。緋勇さんは〜どう思うのかしら〜?」
「さあ、最近は物騒だから何が起こってもおかしくは無いと思うけれど、それでもこの時代に拳銃とかじゃなくて、剣、それも鮮血を求める兇剣ねえ…」
あっ、とアン子が声を上げる。
「もしかしたら、あれよ。そう、今国立博物館で行われている日本大刀剣展に展示されていた日本刀」
「昨日の新聞で、盗難にあったって報道されていた日本刀のことかしら、アン子ちゃん」
「その通りよ、美里ちゃん。その日本刀なんだけれど、警備員や防犯装置があったにも関わらず、一夜のうちに消えていたそうよ。しかも外部から触れた形跡も無い。となるとまさに文字通りその場から煙のように消えてしまったってことになるわね」
ごくりと息をのむ一同を前に、アン子は更にこの日本刀には、ある奇怪な伝承が伝わっていると語り出した。
室町時代の、伊勢地方で3〜4代続いたある刀工が鍛えた刀の斬れ味は、朝露を斬るが如く、刀身は曇ることを知らぬ名剣として知られていた。
が、その一方でこの刀は怨念に満ち、持ち主の精を吸い取る妖かしの刀とも噂された。
ことに徳川家に数々の悲惨な死をもたらした。
家康の祖父松平清康はその刀の持ち主に殺され、父広忠もその刀で傷を負い、嫡男信康が切腹に使用したのも同じ刀だったといわれている。
代々の徳川家に災いをもたらしたその刀の大部分は処分されたが、その中でも芸術的に価値があるといわれた一振りのみは、厳重な管理のもと徳川の霊的聖地である日光東照宮の支配の及ぶ土地の祠に封印されたという。
「最近、日光の華厳の滝の滝壷にあった祠から、室町時代の無名の刀が発見されたんだけれど、それがこの伝承の刀ではないかと学者先生も言っているのよ。でね、この妖刀の名前なんだけれど…。『村正』っていうのよ」
京一はその名前を聞いて、脳裏をふと何かがかすめたような気がしたが、その正体をはっきりとは思い出せなかった。
「その話が本当かどうかも怪しいけれどね。でも幕末の倒幕の志士達は徳川に仇なすこの刀を競って求めたというし、本当にあったとしたら現代の江戸、東京にも祟りが起こるかもしれないわね」
「…何だか嬉しそうに怖いことを言うよね、アン子ってば。で、結局ミサちゃんは?」
「ん〜、やっぱり〜参加するのは止めておくわ〜」
小蒔の誘いをあっさりと断り、裏密が何やらカバラめいた言葉を呟きつつ去った後、醍醐がぼそっと言った。
「俺には村正という妖刀よりも、裏密の方が何か仕出かすと思う…」
「同感だぜ…醍醐…」
|