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第四話其ノ弐

 ≪四≫

 アン子の情報から、都会に住む鴉の半数が寝床にしているという代々木公園を目指すことにした。新宿から山手線に乗って三駅移動すればもう渋谷に到着する。さすが都内屈指の繁華街ということもあり、駅周辺は大勢の人でごった返していた。

<連続殺人事件が起こっているというに…これが都会特有の無関心というのかしら>

 つらつらと考え事をしながら歩いていたせいで、気付いた時には龍麻と他の四人との距離は大分離れていた。慌てて駆け足で追いかけるが、目の前の交差点の信号は無情にも赤に変わってしまった。
 仕方ないと取り敢えず皆が歩いていく方向を確認していると、突然重い衝撃を肩に受け、たまらず尻餅をついてしまう。ぶつかった相手もまた同年代の女子高生で、自分同様に派手に尻餅をついている。

「痛たた…。あッ済みません。あの、お怪我は無いですか」

 ひたすら謝ってくる少女に、龍麻は大丈夫よと返事をし、スカートの埃を払いながらすっくと立ち上がる。大方、互いに他に気を取られ前方不注意だったのだろうと推論すれば案の定、

「よかった…。ごめんなさい、少し考え事をしていたのでぼーっとして前を見ていなくて」
「いいのよ、私も同じように考え事をしていて注意力が散漫だったから」

 軽く微笑むと、相手が立ち上がるのに手を貸す。
 少女はそんな龍麻に少し驚いたように目を見開くと、はにかみつつ訊ねた。

「あの…失礼ですけれど以前何処かでお会いしたこと有りませんでしたか?」
「…残念だけれど、私は二週間前に東京に引っ越してきたばかりだから」
「そうですか。ごめんなさい、妙なこと言ってしまって。私、品川区の桜塚高校二年の比良坂紗夜といいます。もしよろしければ、お名前を教えてくれませんか?」

 比良坂紗夜と名乗った少女はやわらかな栗色のセミロングの髪をゆったりと結んでいる、大人しそうな少女だった。髪と同じように栗色がかった瞳は、けれどもどこか現状に満たされていない不安定な心を映し出しているように揺れている。

<彼女も私と同じように、自分自身を疎ましいと感じているんだろうか…>

「私は新宿の真神学園3年の緋勇龍麻よ。…もしかしたら、あなたの言う通りに以前に何処かで会っていたかも知れないわね…」

 半分慰めの気持ちを込めて、龍麻も自分の名を名乗ると、

「ううん、いいんです。初めて会ったのに、何だか昔どこかで…という気がしただけなんです。──でも、また何処かでお会いできるといいですね」
「そうね、そういう偶然を楽しみにしているわ」


 信号が青に変わったところで、少女と別れてセンター街の方に向う。入り口付近で、はぐれた龍麻を心配し待っていてくれた葵と、そしてそこから少し先を右折したスペイン坂の辺りで小蒔・京一・醍醐とも無事合流した。

「もう、どこふらふらしてたの。心配したんだから」

 ちゃんとついてきてよねと小蒔が龍麻の腕をぎゅっと掴んで歩き出す。その光景を羨ましそうに見詰める京一と醍醐が後ろに続く。…もっとも、どちらを羨ましいと思ったかは全く正反対だったが。

 当初の張り詰めた気持ちが、ふっと緩んでいく、そう全員が感じた時、路地の奥の方から女性の悲鳴が雑踏に紛れてかすかに聞こえてきた。

「聞こえた…聞こえたぜッッ!!俺に助けを求めるお姉ちゃんの悲鳴が!!!」

 制止する皆の言葉を振り切り、京一は声のした方角に走り出す。
 龍麻も京一を追うように全速力で駆け出すが、徐々にどす黒い《氣》の塊が感じられ胸が苦しくなってくる。

 角を曲がると、突如としてそこに現れたのは黒い嵐が吹き荒れたように鴉が女性を襲っている光景であった。若い女性は必死に顔を庇うようにして鴉の攻撃を防ごうとしているが、それも持って後わずか数秒といった様子である。

「くッ、間に合わねェか」

 悔しさに顔を歪める京一の横から、技を使っている暇は無いととっさに判断した龍麻は、自分の学生鞄の留め金を外し、それを鴉の群に向って投げつけた。
 放物線を描いて皮の鞄が、中に入っている教科書やノートなどを空中で撒き散らし、あたかも散弾銃のように鴉達に襲いかかる。女性にもいくつか当たってしまうのは止むを得なかったが、自分の《氣》を使った技が当たるよりは軽傷で済むだろうという目論見の上での行動だった。

 鴉の群は闖入者に驚き、一旦中空に退避する。その間に京一は女性を助け起こし、龍麻は他の三人が追いつくまで女性を庇いつつ構えをとったまま待つ。
 《氣》を高めていると、背後の方から皆とは違う、別の《氣》の流れを察知した。

<敵だろうか>

 注意をそちらに逸らしたのを見逃さず、鴉の一羽が龍麻の方に向って急降下してきた。
 カウンターで掌打を叩き込もうと身構えるが、突然鴉は雷撃を浴びたように痙攣すると地面に叩き付けられた。

「誰ッ」
「そんなに怖い顔をすんなよな。レディが危険な目に会ったら助けるのが俺サマの流儀だ」

 振り向くと、そこには派手な金髪の髪にピアスが光る、ミュージシャンらしい風貌の、だがその手には不釣合いな槍を持っているのが奇妙に印象的な高校生が、立膝をする格好で塀の上からこちらを見据えている。

「そっちの兄ちゃん達も、あいつらを追っ払う気があるんなら手ェ貸しな」

 挑発的なその言葉に龍麻らが返事するより早く、鴉の集団は再び降下してきた。

「おらッ、水月突き」

 金髪の男は、眼前の一匹を正確な槍さばきで、見事に撃墜させる。

「ここはボクに任せて!やあッ」

 負けじと遠距離攻撃の得意な小蒔の通し矢が、直線状の鴉達を次々に射落とす。
 龍麻は脇にあったビールケースを踏み台にすると自分のジャンプ力を最大限に発揮し、鴉の群の中心部に遠心力をかけて剄を飛ばす。

「円空破ッ!!」

 その衝撃波は波紋のように広がり、鴉達を翻弄し地面に叩き付ける。

「よっしゃあ、止めだ。剣掌・旋だ、喰らえッ!!」

 京一の剣先より発した《氣》の衝撃波が地面に転がっている鴉達を竜巻状に薙いで通過し、わずか一分足らずの間に、鴉達はほぼ全滅していた。


 片が付いたので龍麻が女性を助ける為にぶちまけてしまった鞄の中身を拾っていると、槍を振るっていた青年も一緒になって拾ってくれた。

「へえ、アンタ音楽好きなのか」

 その手には、今日学校で弾こうと思っていたショパンのピアノ譜が握られている。

「俺も音楽が大好きだぜ。ま、こんなに高尚な趣味じゃないけどな、ほらよ」

 乱暴な言葉とは裏腹に、大切そうにそっと龍麻に渡してくれた。




 ≪伍≫

「ありがとう助けてくれて。私、こういう者なんだけれど」

 襲われていた女性は丁寧に礼を述べると、一番近くにいた葵に名刺を手渡す。

「ルポライター…天野絵莉さん」
「今はフリーで仕事をしているんだけれどね。それで今日も例の連続殺人事件を追って渋谷に来ていたのだけれど…。それにしてもあなた達の《力》は…?」

 ルポライターという世間に様々な情報を喧伝するのを生業にしている人の前で、常人には無い《力》を振るってしまった迂闊さを後悔しながら、今はこの場をどう切り抜けようか思案している五人に替わって槍使いの青年が天野に向って話し掛ける。

「またアンタか。俺サマは前にも忠告しておいたはずだぜ。この事件の調査からは手を引けって。その内本当にヤバイことになるぜ」
「君、天野さんと知り合いなの」

 小蒔の質問に、青年は前にも一度鴉に襲われた彼女を助けたことがあるといった。
 天野はこの事件の真相を知りたいと、幾度も渋谷に取材に来ていたのだが、そのことが気に食わない輩に襲われることが最近続いていたという。

「あの鴉は明らかに殺意を持っていた。それにさっき鴉以外にも感じた気配は…」
「ああ、あんな《氣》を発するヤツは、少なくともまともじゃねェ。早いトコ蹴りを付ける必要があるな」

 醍醐と京一の会話を耳にして、青年は真面目な顔つきに変わる。

「お前ら、伊達や酔狂で言っているのとは違うが、半端な気持ちで事件に首を突っ込もうというんなら止めた方がいい」

 そう言いつのる彼に、醍醐は自分達の名を名乗り、今までの経緯をざっと語る。


「そっか、お前が魔人学園の醍醐か、噂には聞いてたぜ。昨日もアンタの学校の奴らとウチの連中が遣り合ってたようだし」
「佐久間か…。すまないことをしたようだ」
「いいって、喧嘩なんてモンはどっちもどっちだからな。俺もちょっと遣り過ぎたし、と、こんなことはどうでもいいよな」
「そう言ってくれると、こちらも助かる。…どうだろうか、俺達に協力してくれないか?見た所目的も同じようだが」
 
 さて、どうしたものかと青年が考えを廻らせていると、空気を切り裂くような高音を奏でる笛の音が聞こえてきた。
 たまらず耳を塞ぐ一同の頭の中に、愉快そうに語りかける声が流れ込んでくる。

「くくく…、よかったじゃないか雷人。君にも仲間が出来たようで」
「唐栖。やっぱりお前がやったのか」 
「残念だな、貴女を10番目の犠牲者にしたかったのに…」

 絶句する一同に、唐栖と呼ばれた男は自己陶酔の極みの声色で、言葉を紡ぎだしてゆく。

「僕は神によって選ばれた証である、《力》を手に入れたんだ。ふふふ、鴉の王たる《力》をね。地上を這いずるだけの蟲けら共にその偉大な神の意志が理解できるはずもない。僕は神に一番近い所にいる。何か言いたいことがあったらここまで来るんだね…僕は逃げも隠れもしないよ」


 笛の音と共に唐栖の声が遠ざかった後、槍使いの青年に龍麻はそろそろ自分の名前を教えてくれないかと頼む。

「美人に頼まれると弱いからな、いいぜ教えてやる。俺の名前は雨紋雷人。渋谷にある神代高校の2年だ。それでもって、今のヤツ…唐栖亮一は俺サマのクラスメイトだ」
「今の彼が、今度の事件の黒幕という訳なのね、俄かには信じがたいけれども…」
「でも、天野さん。あなたを襲ったのは間違い無く彼が操っていた鴉です。こんなことは他の誰も信じてはくれないでしょうけれども」
「ええ、悔しいけれどその通りね。警察に話した所で、返って怪しまれるだけだわね」

 天野は龍麻の指摘を尤もだと頷く。

「ここはやっぱり俺達で何とかしなければいけないだろうな…」
「そうだよ、これ以上犠牲者を出すなんて許されないよ!」
「あなた達…いったい!?危険なことは承知しているの?」

 心配してくれる天野の好意は嬉しかったが、葵は毅然とした口調で自分の気持ちを話す。

「私達はただ、私達なりに東京を護りたいと思っているだけなんです。子供が…と思われても仕方有りませんが、護りたいという気持ちは大人も子供も皆同じです。私達の《力》はその為に有るんだと思います」
「《力》ってさっきの…」

 不審がる天野の言葉を、すかさず京一が咳払いをして誤魔化そうとする。

「ふふふ、言いたくないならいいわ、無理して聞かない。…それよりお礼代わりに私の知っている情報を提供させてもらえないかしら」

 一刻も早く唐栖の方を追い駆けたいとはやる気持ちが一同にはあったが、情報は有れば有る方が後々有利だろうという龍麻の意見で、まず天野の好意を素直に受けることにした。

 鴉の生態について、天野が語った内容の大方はアン子と同じだった。
 捕食活動としては人間を襲わない彼らだが集団になった時の手強さは並みの動物では太刀打ちできない。事実上、鴉は都会の生態ピラミッドのトップに君臨すると言ってもいい。但し、人間を除いてという前置き付きだが。
 けれども次に、鴉の背負っている歴史的背景について興味深い話をしてくれた。

「世界の様々な神話に共通していることは、かつて鴉は神の使いと信じられていたということよ」

 ギリシア神話のアポロン、北欧神話のオーディンはいずれも鴉を寵愛していたし、日本神話の世界にも八咫烏が、神武天皇の東征の際、天照大神のお告げにより飛来したとされている。

「しかし、これも数多くの神話で登場するのだけれど、鴉はやがて神の座を追われている。理由は様々だけれどね。そして神の座を追われた鴉の姿は、堕天使と同一視されているの。」
「それって、昔、鴉は人間より偉かったっていうコト?でも、だからって鴉が人を襲ってそして殺してもいいってはずないじゃない!」

 小蒔は頭をふるふると振りながら強い口調で訴える。

「どっちにしてもこのままにしてはおけない。相手が《力》を持っているとしたら尚更だ。雨紋、俺達に協力してくれるな」

 協力を依頼する醍醐に雨紋は黙って首を縦に振る。龍麻らにもその目に決意の強い光が宿る。
 無言の内に結束を固めた彼らを、天野は頼もしそうに眺める。

「…本当に最近の高校生には驚かされるわ、私も歳をとるはずよね」
「天野さんはどうされるのですか?」

 葵の問い掛けに、天野はこの事件の調査から手を引くと告げる。

「残念だけれど、私にとってこれはビジネスなの。記事に出来ない事件をいつまでも追うわけにはいかないのよ。でも、皆の無事は陰ながら祈らせて貰うわね」




 ≪六≫

 雨紋を加えた六人が代々木公園に辿り着いた時には、辺りにはまったく人影が見当たらなかった。仲間内で人一倍陰の《氣》に過敏になっている葵は自分の肩を自分でそっと抱くように身を硬くして、周囲に渦巻く憎しみと憤りに満ちた《氣》に耐えようとしている。

 そんな変わり果てた公園の様子を驚く一同に、雨紋は出来るだけ人を近づけないようにしていたが、それでも野次馬根性で中に何人かは入ったまま出て来ない、アンタ達も気をつけるんだなと、厳しい顔で忠告する。

「雨紋君って優しい人なのね。普通は自分のことだけで精一杯なのに、見知らぬ他人のことまで気にかけるなんて、中々出来ることではないわ」
「これ以上関係ない人間が死ぬのを見ンのはゴメンだから。それにオレ様もアンタ達が思っているのと同じで、渋谷が好きだし出来れば護りたいって思っているしよ」

 雨紋は葵が真剣に褒めてくれたことに照れて目線を泳がせている。
 龍麻は、そんな雨紋の《力》に溺れない、率直なまでの優しさと気遣いが好ましいと思っていたので、雨紋と目が合った拍子に好意的な表情を見せる。

「アンタ達って、本当にお人好しなんだな。知り合って間の無い俺のことを信用してくれるなンてよ…」

 そう言うと、工事途中の現場を指差す。

「あそこにあいつが、唐栖がいるはずだ。あいつはいつもそこから俺達を眺めてやがる」
 鉄骨に反射する夕日の照り返しに目を細めながら、雨紋は訥々(とつとつ)と唐栖との出会いを語る。


 ───二ヶ月前、雨紋のクラスに転校して来た唐栖亮一は、別段目立つ生徒では無く、むしろ無口で友人は少ないようだった。
 しかし、雨紋は席が隣同士だったということと、互いに音楽が好きだったという共通点からよく話をした。もっとも、自分はロック、彼はクラシックと趣味は大分ずれていたようだが。
 そんな唐栖の様子が変化したのは、今から一ヶ月弱前のことだった。
 彼は今六人が目指そうとしている工事現場の頂上に、話が有るからと雨紋を呼び寄せたのだった。

『雨紋、君は神を、神の存在を信じるかい?』

 いぶかしる雨紋を前に、唐栖は日頃の無口さが嘘のように、次から次へと語りだす。
『…僕は信じるよ。神は等しく生きとし生けるものを創ったというけれど、それは間違いだ。神が創り出したのは二種類の人間だよ。《力持つ者》と《持たざる者》僕は選ばれたんだ、神に等しき《力》を持つ者として…。そして、君も選ばれた人間なんだよ雨紋』


「俺サマは、その時の唐栖の心情が理解できなかった。イヤ、理解しようとしていなかったのかもしれない…それがこんな結果になってしまったのかもしンないな」

 薄暗い建築現場の中の階段を歩きながらなので、彼の表情は見えないがその声の沈痛さが全てを物語っていた。
 鉄の階段を蹴る音だけが空しくこだましている。

「雨紋君」

 しじまを破るように、龍麻が静かに語りかける。
 その言葉は龍麻自身の苦い思い出から発せられたものだったとは、その時誰も気付かなかったが。

「雨紋君が気に病む必要は無いわ。人は誰でも先のことなんて判らないで今を生きているんだから。それにあなたは唐栖と違って自分の《力》に溺れなかった。その強い意志が有れば、きっと彼を立ち直らせることも出来る。…大丈夫、まだ間に合うはずよ」

 振り返ると、龍麻が諦めないでと目で語っていた。闇の中でも吸い込まれそうな程強い光を放つ瞳に雨紋は見惚れてしまう。

「緋勇さんっていったよな、アンタ、本当にイイ女だな」

 顔を赤らめながら言う雨紋に、京一が間に割って入る。

「お前、年下のクセにひーちゃんにあんまし馴れ馴れしくすんなよ」
「何だよ。アンタ、緋勇さんの何だっていうンだ。まさか…彼氏っていう柄じゃなさそうだしな」
「ゴチャゴチャうるせえッ。とにかく、むやみやたらにひーちゃんとくっつくなってことだ」

 ぎゃあぎゃあと低次元の争いを始める二人に、狭い階段で暴れるなと醍醐は一喝する。

「本当に大丈夫かなあ、この二人一緒にいて」
「大丈夫よ、小蒔。喧嘩するほど仲が良いって昔から言うじゃない。それだけ雨紋君が私達に気を許し出しているっていうことの表れだと思うわ」

 葵は、こんな僅かな間に皆の気持ちを惹きつけてしまう龍麻の魅力に驚きながらも、自分自身もそんな彼女と一緒にいる心地良さを強く感じていることを自覚し始めていた。



「ようやく到着したようだね、待っていたよ」

 屋上に着いた一同の目に映し出されたのは、大勢の鴉を従えて氷の様に鋭く冷たい表情をした唐栖の、今まさに復讐の刃を抜き出そうとしている堕天使の如き姿であった。

「君達は神に選ばれた《力》を持っているのに、どうして僕に抗おうとするんだろう。特に君だ…、美里葵」
「えッ、どうして私の名前を…」
「僕の可愛い鴉達が教えてくれたんだよ。君の持つ《力》と、その美しい容姿は、傲慢な人間達の渦巻く不浄の街に神の鉄槌を下そうとするこの僕の傍らが相応しい…」

 呆気に取られる葵に向って、尚も唐栖は語り続ける。

「この腐りきった街には、粛清が必要なんだ。自然の恩恵を忘れ奢り高ぶる人間達、犯罪はこの世から倦むことを知らぬかのように日々繰り返され、様々な悪徳が地上を徘徊している。それを裁くことが出来るのは、選ばれた《力》を持つ人だけなんだよ」
「待てよ唐栖。神に選ばれた人間なんていやしない。腐った街ならば、これからオレ達で変えていけばイイじゃないか」
「雨紋は相変わらず甘いんだな。でも黒い水の中に、たった一適の澄んだ水を垂らしたところで、その色が変わろうはずはない。それと同じだよ、人の世も。変わらないのならば、壊して作り直せばいいんだ」

 いかれてやがると悪態をつく京一らの言葉を涼しく聞き流す。

「さあ、美里葵。僕と一緒に世界を造り直そう…、君がいるべき場所はそこでは無いのだから」


  ────貴女はここには相応しくない─────

 龍麻の頭の中に唐栖の言葉に共鳴するような言葉が流れ込んでくる。      

    ────世の為貴女の《力》が必要なのです────

<何、この感覚は…>

       ────俺と一緒に、この歪んだ世界を…────

<やめて、勝手なことを言わないで>

              ────壊してくれ────

<駄目ッ!!>

 何かが弾ける感覚が走り抜け、龍麻は思わずうずくまった。


 傍らにいた葵が慌てて龍麻を支える。龍麻の蒼褪めた顔をよく見ると額からは冷たい汗がしとどに流れていた。小刻みに震えている龍麻を感じ取りながら、葵は自分でも驚くほど強さと穏やかさを兼ね備えた表情を唐栖に向けた。

「私はあなたと一緒にいることはできません」
「何を…」
「ここにいる皆は私の大切な仲間だからです。それに、私は信じています。人の持つ優しい心と、誰かを愛し護ろうとする力を…」

 葵は、龍麻を支える腕にぐっと力をこめる。

「ふふふ、下らない、実に下らないな」

 ひとしきり笑い飛ばした後、

「…そうか、ならば皆ここで死んでしまえ」

 唐栖は形相を一変させると、懐から横笛を出し、その音色で眷属と化した鴉らを操る。

「さあ、お行き!あいつらの目をくりぬいてやれ」


 遠距離から攻撃の出来る小蒔がまず迎撃を行う。京一・醍醐・雨紋の三人はその間をぬって唐栖に接近しようと試みる。しかし、足場が限られているのと、鴉達の数が圧倒的に多い為、中々前進ができない状況であった。
 葵は龍麻に癒しの術をかけようとしたが、龍麻にそれよりも仲間の援護を優先してと言われたので、前方の三人に防御術を施す。

「ちッ、洒落になんねェ数だぜ、おまけに宙に分散しているから、剄を纏めて喰らわすこともままならねェしな…」
「せめて、緋勇が復帰してくれたら戦況が楽になるんだがな」
「情けないこというンだな。レディを護るのが男の証ってもんだろ。そらッ、ライトニングボルト!!」

 雨紋は槍を繰り出し、数羽の鴉を撃ち落しながら怒鳴る。

「龍麻サンの分もオレ様達が頑張ればいいッ!」

 やるな、と京一が感心しながら、ならば自分も負けじと諸手上段を鮮やかに決める。
 続いて醍醐が墜落してきた鴉達に止めのハードブローを豪快に放つ。
 三人の技が届かない遠方の敵には、小蒔が正確な射撃で足止めしつつ応戦する。

 皆が必死に戦っている姿を見て、龍麻もよろよろとしながらも四肢に力をいれて立ち上がる。

「駄目よ、龍麻。まだ安静にしていないと…」
「葵、もう大丈夫だから。皆が一生懸命戦っているのを見ていたら、私もじっとなんかしていられない。…皆が、私に力を与えてくれるのを感じるわ…。大丈夫、雨紋君が一人護って来たこの渋谷の街を、そして私達も護りたいと思っている大切な場所を壊させやしないわ。私達のこの《力》は護る為に有るのだから」

 行く手を阻む鴉らを掌打で払いのけて、龍麻は前線に加わる。

「おっ、ひーちゃん、もう平気なのか」
「京一君、醍醐君、二人の《氣》の力を私の《氣》と同調させてくれる?」

 意図が分からず不思議そうな二人の手を、説明している暇は無いと龍麻はさっと握り、《氣》を王冠のチャクラと呼ばれる経絡に集める。すると京一と醍醐にも自分の《氣》が常では考えられないくらい増幅していることを実感する。

「唸れ、王冠のチャクラッ!!」

 充分に高められた三人分の《氣》を、龍麻はかっと目を見開き一気に放出する。その閃光にも似た《氣》の衝撃波は、鴉達の陰気を払い無力化させていく。

「すげー、かっこいい技使うな」

 雨紋は目の前で繰り広げられた始めて見る合わせ技に、素直に感動した声をあげる。

 一方の唐栖は、まだ戦いを諦めたようではなく、再び笛を唇に当てると妙なる調べを奏で出す。
 その調べの持つ禍禍しい魔力が《氣》を放出している三人の元に忍び寄る。

「やべえ。龍麻サン、避けろッ」

 雨紋は叫んだが、龍麻は今陣形を解くと放出し終えていない《氣》が暴走するかもしれないし、そうなった場合足場の悪いここでは被害は甚大だと、ここは敢えて肉体のダメージを覚悟した上で技を喰らおうとした。
 その意図を察した京一と醍醐も来るべき攻撃に備えようと身を固くする。

「僕の笛からは誰も逃れられないよ…。───何ッ!?」

 唐栖の目に驚愕の色が浮かぶ。
 一番手前の龍麻に襲いかかろうとしていた魔力が、突如として自分に向って跳ね返ってきたのである。

「そんな馬鹿なッッ!!!」

 まともに衝撃を受けた唐栖は、そのダメージに耐えかね昏倒してしまう。

「あぁ…鴉達よ…僕も…僕もあの空…へ」

 意識を朦朧とさせて、それでもまだ鴉の王たる者の意地なのか、最後にぽつりと呟く言葉が、戦いの終った場に響き渡った。



「唐栖よ…」

 雨紋は昏倒した唐栖に語りかける。

「鴉も人間も同じなんだよ。汚れて堕ちて生きていくのは簡単だ。だがな、心まで堕ちなきゃ、希望ってヤツに飛んで行ける翼を持っている」

 それは先程まで闘った敵に対するものではなく、親友に語りかけるような優しい口調で。
 雨紋は、共に戦ってくれた五人の顔と唐栖の顔を見比べながら、だから、と言葉を続けた。

「俺サマは人間を信じている。人の持つ心を、そしてこの街を…」
「雨紋君…。あなたの気持ちは、きっと彼に届くと思うわ。それに、もう今の彼から歪んだ陰の《力》を感じることは出来ない。無論、彼の行ってきたことは罪だけれど。でも、それを罰する資格なんて私達には無い…」

 龍麻のねぎらいの言葉を、雨紋は痛い程身に染みて聞き入った。

「そうだよな、時間はかかると思うけど、こいつならまた立ち直れるよな」

 雨紋は今回の件で迷惑かけたことを詫び、そしてふいに思い出した疑問を口にする。

「最後、あの状態からどうやって唐栖の技を跳ね返せたンだ?」
「特に私は何も…」

 首を捻る龍麻の髪の毛がぱらりと揺れると同時に、結んでいた金箆が結び目から切れて地面にひらひらと落ちる。

「あッ、もしかして、ミサちゃんがくれたこれが役に立ったんじゃないの」

 小蒔は指先で摘むように拾いながら、自分の考えを口にする。

「そうよ、きっと。それで役割が終わったから、龍麻の元から離れてしまったのよ」

 感嘆する葵の言葉を耳に、裏密の予言能力の凄さにかえって悪寒を覚えた者が若干2名いたが…。

「…ちょっと気に入っていたのにね」
「だったらさ、帰りにパルコでひーちゃんに似合うリボンを買っていこうよ。ボク付き合うよ」
「ふふふ、だったら私も付き合うわ」

 急に買い物話に盛り上がる女性3人に、醍醐は女心は分からんと複雑な顔をしてコメントする。
 京一はそんな醍醐に小声で応える。

「深刻な顔を見るよりはずっとマシだろう。俺は今のひーちゃんの顔の方が好きだぜ。だからよ、ここは俺たちも女どもの買い物に付き合わねェか」

 醍醐はそれは尤もなことだと、京一の提案を快諾する。

「で、お前はどうすんだ!?」

 京一は先程から黙り込んでいる雨紋に問い掛ける。

「俺サマは付き合えないぜ」
「えッ」

 何で、と小蒔が不満を漏らす。龍麻はいいからと小蒔の肩にそっと手を置く。

「唐栖君が心配なのね」
「ああ、唐栖をこのまま放っておく訳にはいかない。それにお互い目的は果たせたしな」
「う〜ん、折角友達になれたと思ったのに、もうお別れなんて…」

 もうちょっと何か言ってと、小蒔は哀願する表情で龍麻の方を振り仰ぐ。
 龍麻は、彼を束縛することは出来ないと断言した上で、

「でも、今日あなたと出会えて本当に良かったと思っている。…ありがとう」

 今まで五人に見せたことの無い極上の笑顔で雨紋に微笑みかけた。

「参ったな、龍麻サンにそんな顔をされると弱いんだよな…。こっちこそ礼を言わなきゃいけないのに」

 自分の槍先をじっと見詰め決心を固めた雨紋は、力強い視線を龍麻に向ける。

「よし、決めた。オレ様はこれからは龍麻サン達の為にこの《力》を貸すぜ。何かあったら遠慮せずオレ様を呼び出してくれ。あッ、それからこれからはオレ様のことは雷人って呼んでくれよ龍麻サン」

 喜び合う一同の中で、ただ一人、京一だけが複雑な表情を浮かべていた。

「こいつが強いのは俺も認めるぜ。でも……どうも気に喰わないぜ」
「何ぶつぶつ言ってんだ、京一」

 何でもねェとうそぶく京一に、雨紋は周囲には聞こえないように囁く。

「…龍麻サンはフリーみたいだし、オレ様にもまだまだチャンスはある。へへッ、年上の彼女って言うのも悪くないなー。そう思うだろうセ・ン・パ・イ」

 にやっと笑う雨紋に、京一は手に持った木刀を喉元に突きつける。

「お前に気安く先輩呼ばわりされたくないぜッ。だいたい、お前なんかひーちゃんとは不釣合いなんだよー、この金髪不良頭」

 相変わらず中学生レベルの口喧嘩を耳にし、龍麻達はこれから先の道行きに一抹の不安を覚えるのだが、 しかしそれにも増して、共に闘える仲間ができたことのほうが数倍も嬉しかった。

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