≪伍≫
「わーい、着いた〜」
最初の目的地、白髭公園に到着するなり、高見沢は嬉しそうに公園内に走って行く。
「まったく、緊張感に欠けるよね」
きつい言葉に比して表情はぐっと柔らかい小蒔だった。
高見沢のハイテンションさに気持ちが解れたのか、車での移動中に、病院内で見せていたナーバスさはすっかり吹き飛んでしまったようだ。
その逆に、醍醐は公園内に入った時から、どこか落ち着きの無い、神経質な表情を見せ始める。
「そうか、俺はここに入った時から、何だか寒気がするんだが…」
醍醐君大丈夫、と高見沢は声を掛けてきたが、ついとその横を向くと『こんにちは〜』『うん、元気にしてたよ〜』と明るく会話を始める。
「???」
面食らう一同にも構わず、誰もいない空間と楽しそうにお喋りをしてる高見沢に、京一は恐る恐る何をしてんだと尋ねる。
「この辺りを漂っている幽霊さんたちにあいさつしてるの〜」
「へえ、幽霊さんたちね…ッ!!!!何ぃッ、幽霊────!?」
驚きで目をむく京一をよそに、高見沢はこの辺り一帯は東京大空襲の時爆撃された沢山の人が犠牲になったが、その為今も戦争が終ったことも知らないまま、苦しみ彷徨いつづける霊達がいっぱいいると説明する。
「だから、ここに来て皆とお話するの。いつも楽しいお話だけ〜」
無邪気な表情で話していた高見沢だったが、ここまで話をしてからはっと気付いた表情に変わった。
「わたしって、わたしって、変!?変じゃないよね?」
それは今まで彼女は周囲からこの《力》で奇異の目で見られていたことを如実に語っていた。
「変なんかじゃ無いわ。…本当に高見沢さんは優しくて、そして強い人なのね」
龍麻は、思ったままを高見沢に伝える。
<自分にも幼少時代、周囲から似たような反応をされた経験が有ったわ…でも>
龍麻は奇異の目で見られるのが嫌で《力》を隠そうとしていたが、高見沢は自分の《力》を周囲の目に負けず、躊躇わずに他人(死者)の為に使っていたのだった。
「心からそう思うわ…。私なんかが言うのもおこがましいけれど」
「嬉しい〜。やっぱりダーリンはわたしのこと分かってくれる人〜」
そう言うなり、がばっと高見沢は龍麻に抱きついてきた。
その光景を微笑ましく見る小蒔、羨ましそうに見る京一、青い顔をして見る醍醐がいた。
「き、君の優しいのはよく分かった。とッとにかく先に進もうじゃないかッ」
強引に話を進めようとする醍醐に、小蒔は、今度は醍醐君がおかしくなっちゃったよとぼやいてみせる。
ようやく高見沢から解放された龍麻に、醍醐は小声でちょっと話があると、仲間から少し離れた場所に連れ出す。
「龍麻。お前を信用してお前だけに話しておく」
その顔は真剣そのものだった。同じように真剣な顔をして頷く龍麻だったが、その後の醍醐の告白に、内心込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。
「俺は幽霊の類は苦手というか、余り得意な分野ではない。…肉体の無い相手には何をやっても通じないからな。こんなこと、京一や桜井に知られたら厄介だが、お前だったら黙っていてくれるだろう」
「ええ、誰にも話さないから安心して」
<こんなこと、話せないわよね…特に小蒔には。醍醐君、小蒔を好きみたいだし…>
慈母観音のような微笑を見せる龍麻に、俺は良い友を持ったと醍醐も安堵した笑いを浮かべる。と、そこへ、
「ふう〜ん、醍醐君って幽霊さんが苦手なんだ〜。…惜しいなァ〜」
背後からの不意打ちを口から心臓が飛び出るほど驚いた醍醐に、高見沢は私も内緒にしてあげるからね、と自分が調合した栄養ドリンクを滋養強壮剤として渡しながら約束してくれたものの、その瞬間、醍醐は裏密に続いて苦手な人間が一人誕生したことをまざまざと悟る。
他のメンバーと合流すると、龍麻らは周辺の探索を本格的に行うべく、公園を後にする。すると程無く、一つの廃ビルが目に入ってきた。
「いかにもってカンジだね。…ここら辺で高見沢さんには帰ってもらっていいんじゃない」
小蒔の言葉をえッと驚く高見沢に、京一もここから先は危険だから帰るように促す。
「せっかくお友達になったのに、お別れするのは淋しいよ〜」
そう泣き出すと、龍麻の腕にぴたっとくっつき離れようとしない。
「あのなー、お前に万が一何かあったら、酷い目に合うのはこの俺なんだよ、お前んとこの院長に」
京一に説得されても高見沢はテコでも動かないとばかりに、益々龍麻にぎゅっとしがみ付く。
(…助ケテ)
微かな声が龍麻の頭の中に流れ込む。
高見沢の声とは違う、いささか幼さの残る男の子の声…。
(…ヲ助ケテアゲテ)
「院長先生もわたしのこと、役に立つって言ってたでしょ〜」
「うーん確かに、意外なことをやってくれそう…。もうちょっと一緒について来てもらおうか、ひーちゃん」
小蒔の提案に龍麻も同意した。京一は、二人がそう言うならしょうがない、絶対自分の傍を離れるなと、はしゃぐ高見沢に命令する。
「それに、もう探す手間も省けちまったようだし。今更帰ってくれというのも無駄だな」
京一はそう言うと、建物の影に隠れている人物に、こっちに出て来いと木刀を抜きながら話し掛ける。
物陰から出て来たのは、高校生らしからぬ成熟した身体と、妖艶な雰囲気を漂わせる女生徒であった。
「あんまり遅いから、今日はもう帰ろうかと思ってたわ。ふふふ、あんた達の目的は分かっているわ。それにあんた達のことも知っているわよ…麗司に聞いてるから」
そう言うと、順順に自分たちの名前を言い当てていく。
「どう、当たってるでしょ」
「………さあ、どうかしら」
あくまで冷徹な態度を取る龍麻に、誤魔化そうとしても無駄よと言い放つ。
「あたしは覚羅高校三年の藤咲亜利沙っていうのよ。…それにしても、あんな面白みの無いお嬢さんを助ける為にわざわざこんなトコまで来るなんて、あんた達イカレてるんじゃない」
葵の悪口を言われたことにかっとなった小蒔は、大切な友達を悪く言うなんて許さないと藤咲に食って掛かる。
「ふふッ、馬鹿じゃないの、ムキになるなんて」
「じゃあ、なんでこんなコトするの?」
「…あんた達みたいな甘チャンに、あたしや麗司の気持ちが分かるもんか!」
否定の気持ちをむき出して反論する藤咲に対し、返す言葉が見つからない一同だった。
おまけにあの女を助けたいなら黙って付いて来なと言い捨てるなり、藤咲はさっさと廃ビルに入っていった。ここで反抗して葵を救い出す手段を失っては元も子もない。
「あのね、ダーリン」
藤咲を追いかけて歩き出した直後、高見沢がこそっと龍麻に耳打ちする。
「あの人をあんまり嫌いにならないで」
「…どういうこと?高見沢さん」
「あの人を助けてって、みんなが言ってるの。特に、あの人の後にいた小学生ぐらいの男の子…よく分からないけど悲しい氣に満ちてるの〜」
半べその高見沢を慰めながら、龍麻はその小学生の男の子とはさっき聞こえてた声の持ち主だろうかと首をかしげる。しかし今は確める術も無いので、取り合えず藤咲に従おうと決心した。
廃ビル内のとある一室に全員入ったのを確認して、藤咲が口を開く。
「これから麗司の国に案内してあげる」
藤咲の言葉とは裏腹に、内部はコンクリートを打ちっぱなしのままの埃っぽい空間が広がっているだけで、誰かが待ち構えているはずと身構えていた一同は、誰の気配もしないことに少し緊張感を緩めた。
その時、
───ガチャン
背後で鉄の扉が閉められ、カチャカチャと鍵を閉める音がする。
しまった、と思う間も無く、今度はガスの洩れるような音が、部屋の中に無気味に響く。
「ガスが洩れてくる所を塞がないと…」
手分けして探すが、それらしい箇所が見つからない。やがて仲間達の身体が床に崩れ落ちる。
<…睡眠ガス…?まずい…もう、意識が…>
≪六≫
どれだけ意識を失っていたのかは定かではない。だが、目覚めたのは全員ほぼ同時だったようだ。自然な眠りではなかったので気分は車酔いになったように最悪であったが。
「ここは、何処───」
目の前には、ただただ砂漠が広がっている。
「…夢とは現世の出来事にも似たまほろばのコト。ようこそ、麗司の国へ。ふふッ、でももうあんた達はここでおしまい。だってずっとここにいるんだから」
勝ち誇った顔を見せる藤咲の傍らには青白い顔をした小柄な青年が佇んでいた。
「ボクの名前は嵯峨野麗司。亜理沙と同じ高校に通っているんだ。ボクはただ───誤解を解きたかったんだ。ボクは葵を苦しめてなんかいない。ボクなりに見守っているだけなんだ」
「ふざけるな、てめェ。美里はなあ、今病院で死にかけてンだ」
京一の怒り声にも、嵯峨野はひくひくと神経質そうな笑いをうかべるだけであった。
「葵は死んだりなんかしない。このボクの王国で、一緒に暮らすんだから」
「…葵は何処にいるの」
静かに問い質す龍麻に、ほらあそこにいるよと嵯峨野は指差す。
「葵ッ!」
小蒔が叫び声をあげるのも無理は無かった。
葵は磔刑に処せられたかのように、十字架に鎖で縛り付けられ、死んだようにぐったりと目を閉じている。
嵯峨野は葵の前に立ちはだかると、おもむろに自らを語り出した。
───いつものようにいじめられぼろぼろになっていた。
ぼろきれのように何の価値も無いまま、地面に横になっていた。
周囲の無関心、そんなのにも慣れっこだった。ボクはもう死んだものなんだ、そう思えば何も感じないでいられた。
でも、その日は違っていた。そっと額に当てられた手…
ボクが気がつくと彼女は少し吃驚した表情をして、そして透き通るような優しい声で話し掛けてくれた。
彼女だけだった。葵だけが、このボクに優しくしてくれた。その日からボクは生まれ変わったんだ。
もうボクは葵無しでは生きていけない───
「そんな、じゃあ、葵の気持ちは…?」
「これからはボクが葵を護っていくよ。君たちではなくてね」
「キミは間違ってる…。キミは葵の優しい気持ちを踏みにじってる」
嵯峨野の独白に小蒔はたまらず反駁する。が、そんな小蒔に嵯峨野よりも藤咲の方がより苛烈に食って掛かってきた。
「ぬるま湯に浸った嬢ちゃんが、キレイ事いうんじゃないよッ!!イジメなんてヤる方もヤられた方も悪いなんていうのは、ヤられたことのない奴が、力が強い奴がいうセリフなんだ。ヤった奴の心には傷ができるっていうの?ヤられた方は一生消えない魂の傷を、十字架を背負って生きていかなきゃならないんだ。そうじゃなきゃ弘司だって…」
藤咲は一気にまくし立てると、最後には言葉を詰まらせて自分の腕にぎゅっと力を込めた。まるで愛しい誰かを抱きしめているかのように。その姿は強い言葉とは裏腹に、辛そうな内面を如実に吐露していた。
「いいんだよ亜利沙。何だっていい。葵がボクのそばにいてくれれば」
藤咲の本心に興味の無い嵯峨野は、ただ自分の主張を繰り返していた。
「葵をボクに譲ってくれるんなら、キミたちは無事に帰してあげる。───どうせここではボクに叶わないんだから」
「勝手なことを言わないでッ」
仲間達は龍麻の声に我に帰る。
<ひーちゃんが、怒ってる?>
小蒔は信じられない光景を見たと思った。
入学以来一ヶ月の間、いつも穏やかな表情ばかりが目に付く(だからこそ、たまに笑顔や困惑顔を見ると、新鮮に映ったのだが)彼女の、こんなに怒りを隠さない姿を見るのは初めてだった。
「あなたには葵の優しさから、藤咲さんの言葉から何も感じ取ることが出来なかったの? あなたがしていることは、ただ相手を自分の意のままに束縛しているだけ。それはあなたが今までに受けていたイジメと何ら変わらない。ましてや、護ることなんかじゃない」
その《氣》は前回代々木公園での京一・醍醐との方陣技の時と同じ位の強さで、周囲はその《力》に圧倒された。
当の龍麻も、自分の感情をコントロール出来なくなっていた。
自分の内部から別の感情が発露する。
(私の存在が、どれだけ多くの人々の運命を狂わせてしまったか…)
「こんな、こんな形で護られたって…死んでいることと変わりはしない…」
(私は本来死するはずだったのに、おめおめと生き残ってしまいました)
「だったら…私を…」
(ただ…自分から死を選ぶことすら許されぬ身を、厭(いと)わしいと思うばかり)
「いっそ殺して…」
何か別の意識に操られるように、龍麻は意図していない言葉を紡ぎ出してしまった。
「ひーちゃん?」
不吉な言葉に京一が不安を覚え、目線を龍麻に向ける。
自身の発したの意外な言葉に驚き、目を閉じ黙り込む龍麻の横顔が、京一の知っている龍麻とは別人のように見えた。
<この横顔に見覚えがあるような気がするンだが…>
「ふん、弱い犬ほどよく吼える。そんな顔をしたってボクはもう、怖くない。ボクは生まれ変わったんだ。ねェ亜利沙、いつもみたいに、いいよねあいつら殺っちゃって。ボクをいじめた他の奴らみたいに…」
「そうよ、力の無いものは力のある者に屈するのが運命。見返してやりなさい、あなたを虫ケラのように扱った薄汚い人間たちと同じように」
気付けば嵯峨野の念が呼び寄せたのか、周囲には悪霊や夢魔、死神といった成仏できず苦しみ漂う魂が取り囲んでいる。
「掌底・発剄」
醍醐が左から接近してきた悪霊に剄を打ち込む。
《力》に目覚めてから、時折龍麻に《氣》の使い方を学んできた為、当初の頃よりも威力・コントロール共安定感が増したようだ。
「みんな、がんばって〜」
高見沢の励ましがオーラのように立ち上り、小蒔の身体に力を漲らせる。
「ありがと。いっくぞー!」
立ち引きを応用させた技『弓返り』で、より一層ダメージを与える矢を射込む。
龍麻も《氣》を敵に向けて放つが、先程の不穏当な自分の発言の衝撃で集中力が欠け、ダメージを今一つ与えられていない。
子供の姿をした夢魔の石つぶてが、そんな隙だらけの龍麻に襲い掛かる。
結果、その内のいくつかを避け切れず、こめかみから血を滲ませる。
嵯峨野は自分の《力》で人を傷付けたことに気持ちが高まり、壊れた笑いを発する。
「ははは、精神が強いダメージを受ければ、肉体もまたダメージを受けるんだ」
「ちッ、諸手上段!!」
間に京一が割って入り、夢魔に強烈な一撃を与え消滅させる。
「大丈夫かッひーちゃん」
「ごめんなさい。ぼんやりしていた」
「おい、高見沢。お前治癒術も使えるだろ」
はーいと返事する高見沢が近付いてくる、その寸暇に京一は龍麻にささやく。
「俺は、人の命を軽んじる奴は大嫌いだが、自分の命を軽く見る奴はもっと嫌いだ」
はっと目を見開く龍麻に、高見沢が『癒しの光』を降り注ぐ。
<温かい《氣》…>
「もう痛くないよね〜」
にっこり笑う高見沢に、龍麻も笑みを誘われる。
<そうだ、まだ倒れる訳にいかない。葵を、そしてあの人達を助けないと>
醍醐と小蒔の息の合った連携で、目前に道が開ける。
龍麻は2人の意図を察し、周囲の敵を無視して一直線に正面奥に陣取っている嵯峨野と藤咲に肉薄する。
「あいつまた先走りやがって…命がいくつあっても足りないぞ」
毒づく京一に、醍醐はさっきとは《氣》が違うから今度は大丈夫だと制止する。
「ふん、一人で来るなんて、ちっとは度胸があるのかしら」
藤咲は手にした鞭を巧みに操り、龍麻の白い首を締め上げようと鋭く空を切る。
「えッ、何?」
やった、と思った瞬間鞭が弾かれ、藤咲は驚愕の声を漏らす。
龍麻の並外れた運動神経と研ぎ澄まされた感覚が、無意識の内に鞭の動きを見切っていたのだ。陽の極意の一つ、【各務】である。
藤咲がそのことに気がついた時には、龍麻は練った《氣》を拳に乗せる掌打を繰り出していた。
「…あなたって、…強いのね…」
藤咲が龍麻の技を正面から受け、地面に倒れこむ。
「亜利沙ッッ!!くそッ、ボクの技を…第三幕、第三夜。行けッ白鷺」
何処とも無く飛来する白鷺の幻影が襲い掛かる。
左腕で庇うが、その嘴の触れた所が麻痺したように動かなくなる。
「くっくっく。ここはボクの世界なんだ。お前たちはもう助からないんだよ、ははは」
「目を覚まして…嵯峨野君!《力》を誤った使い方をしないで」
龍麻は動かない左腕でバランスを崩しそうになりながら、まだ動く右腕に全ての《氣》を込めて、凍気の花を咲かせる。
「雪蓮掌ッ!!」
嵯峨野の身体に、凍った《氣》の断片が散華のように降りかかる。
「どうして……」
放心状態で嵯峨野はその手から力なく琵琶をすべり落とす。
嵯峨野が倒れると同時に、龍麻も受け身を取ることもままならなずどうっと音を立てて砂地に身体を叩き付けられる。
「これ…は?」
龍麻が痺れる左手を庇いながら近寄ると、見事な意匠の琵琶が砂地に胴の部分を半分埋もれさせていた。
「蝉丸の琵琶…何故こんな所に…」
平安初期に歌人としても名高い琵琶の名手蝉丸の愛用した楽器。
彼は時の天皇の第四皇子でありながら、盲目であったが故に父帝に嫌われ、逢坂山に捨てられたという。彼の姉である逆髪(さかがみ)の宮も同様に捨てられ狂気に陥るが、最後は二人巡り合って互いの身の不幸を嘆いたとう伝承が残されている。
<盲目であったが故に実の父に嫌われても、蝉丸はその高潔な心を捨てなかった。彼の純粋な魂は、遠く室町時代の天才能楽師に響き、現代までも語り継がれているのだから>
───盲目故にこそ、見えるものがあるのです
体内に疼く何かが、そう龍麻に語りかけてきたような気がした。
それにしても────
<この間の青葉の笛といい、蝉丸の琵琶といい、なぜこんな因縁のある楽器が彼等の手に>
青葉の笛は、一の谷の戦いで熊谷直実に討たれた若年の美少年平敦盛が愛用していた横笛である。彼を討った直実は、後に出家したと伝えられ、この話は謡曲・浄瑠璃でも取上げられるほどであった。
<元の持ち主の数奇な運命を見続けていた楽器…その楽器を《力》有る者に託した人物がいるのだろうか?それとも、楽器の方が手にした人を《力》有る者に変えていったのだろうか…>
じっと考え込む龍麻に、仲間達が心配そうに駆け寄ってきた。
高見沢は『やすらぎの光』を、半身が麻痺している龍麻に施す。
「あまり無茶はするなよ、緋勇」
「これも自分の性分ということで…、いつも迷惑かけてごめんなさい、醍醐君」
それよりもあの二人は、と龍麻が尋ねると、藤咲と嵯峨野もようやく意識を取り戻した様子だった。
「どうして…ここはボクの世界なのに…。やっぱりダメなんだ…」
嵯峨野は絶望の色を濃くした表情をして、独り言を呟いている。
「やっぱりダメなんだ…。ボクなんか生きていても…」
嵯峨野の《氣》が弱まるのに連動して、彼の作り出した夢の国が震動をあげ、崩壊し始めた。その様子を止めることも出来ず見守るばかりの仲間たちの目前で、嵯峨野の姿がゆらりと揺らぎ、消え行こうとしている。
「ダメよッ。そんなこと言わないで。生きて、アイツらを見返してやるのよッ!…そんな、生きるのを諦めるなんて…あの子みたいなこと言わないでッ、頼むから!!」
藤咲は必死に説得をするが、嵯峨野は淋しい笑みを一つ浮かべると、一同の見詰める中さらさらと砂漠の砂のように大気中に溶けて消えていった。
「やべェ、まじで崩壊が進んできたぜ」
創造主の喪失が、さらに世界の崩壊を招いたのか、一段と震動が激しくなってきた。
だが自分達がここまでどう辿り着いたのかが分からない以上、出口が見つかる術も無い。
「肉体が眠りから覚めることが出来れば、脱出も可能なのでしょうけれど…」
全員が精神だけ分離している状況ではその望みも一縷のものに等しい、とその先に続く言葉を龍麻は飲み込む。
誰もが諦めかけていた矢先、何か遠くから呼びかけるような音が聞こえてくる。
「しッ、あれは」
龍麻の呼び掛けに全員が耳を澄ますと、砂礫の彼方から犬の鳴き声が確かに聞こえる。
「あれは…エルだ。あたしの犬だよ。エルッ、エル───」
藤咲の声に応じるかのように犬の鳴き声は一層はっきりと、そして曇天の空は一瞬で光線に引き裂かれた。
≪七≫
闇に閉ざされていた瞳をそっと開き、ぼんやりと視界が焦点を合わせ始めると、そこは最初に連れてこられた廃屋内の一室であった。
「ボク達、戻って来られたんだね」
でもどうやってと疑問を口にする小蒔に、龍麻はあれを見てと耳打ちする。
小蒔の視線の先には、先程とは打って変わったような優しい笑みを浮かべている藤咲が犬を抱きしめていた。
「エル、あんたが助けてくれたんだね…ありがとう」
ご主人の無事を喜ぶように、犬も鼻を鳴らすように喜びの声をあげる。
「あいつがあんな顔をするなんて、意外だな」
「京一君。動物は人間よりも、心の優しい人には敏感に反応するものだって聞いたことがあるわ。あの人も色々あってあんなことをして来たけれども、実際本人も辛かったんじゃないかしら」
龍麻の言葉に、京一もそうかもなとうなずく。
「…嵯峨野はどうなったんだ」
醍醐はまだ問題は終っていないといった厳しい表情で、藤咲に問い掛ける。見ると藤咲の傍らには嵯峨野がうつ伏せに横たわっていた。
「…大丈夫死んではいないわ。でも、もう目を覚ますことはないかもしれない」
藤咲は表情をまた硬くする。
「麗司の心は、夢の世界に閉じこもってしまったから…。現実から、いじめれられる毎日から逃げて、自分だけの楽園に言ってしまったのよ。あの子と、あたしの弟と同じように」
藤咲の弟は、嵯峨野と同じように学校で執拗ないじめを受けていた。そしてある日、姉に宛てた一通の遺書を残し、この廃ビルの屋上から飛び降りて死んだのだという。
「遺書には『生きていくのに疲れました。お姉ちゃんごめんなさい』ってあった。…たった10歳の子供が生よりも死を選んだんだ。それがどれだけ辛いことだったか…。あたしは弟をいじめた奴らを一人一人呼び出して、半殺しにしてやったわ。それでもあの子の痛みのどれ程に伝えられたか…」
「だから嵯峨野を焚きつけたのか」
「そうよ。どんな手を使ってでもいい、やられたことは倍以上にして返してやれと。自分を殺す位の勇気とちから強さがあるなら、それをいじめた奴等に向ければいい。そうじゃないかッ?」
龍麻は肉親を失った藤咲の憤りを100%理解できるなんて、不遜な考えは浮かばなかった。
だが、死を選ぶのに勇気が必要なのだろうか。
それよりも自分を愛してくれている人達を残して死ぬということは、残された人達をどれほどに傷つけるのだろう───
(…俺を残して死ぬな!───、残された者の哀しみは、憤りはどうすればよいのだ…)
「そんな悲しそうな、同情の顔をされるのはまっぴらだよ」
私は今悲しそうな顔をしていたのかと、龍麻は藤咲の言葉で初めて知る。
私は───と言葉を続けようとしたが、何を言えばよいのか言葉が見つからない。かつて自分も同じような過ちを犯したのではないかという、覚えの無い意識がそれを阻害させていた。
「藤咲、俺はいじめに有ったことも、いじめたことも無いので偉そうに言う資格は無いかもしれん。だが、これだけは言わせてもらう。自分を殺すことに力の強さは必要ない。お前も嵯峨野も強さというものを誤解している。本当の強さは自分の心に負けない勇気なんじゃないのか?自分の心に負けて何で他人に勝つことが出来る…」
ここまで話をして、醍醐はふと言葉を途切れさせる。
───この街で何を信じろと言うんだい。…犯罪の芽は摘んでも摘み切れない。
───粛清が必要なんだよ。その為に僕の《力》が…
唐栖の言葉が、そして、もう一つ胸の奥に閉ざしていた記憶が、醍醐の心に微かな軋(きし)みを生じさせる。
「違う───ッ」
醍醐は首を左右に振って声を上げる。その言葉は、藤咲ではなく自分に向けられたように聞こえてきた。
「断じて違う、《力》は、俺達の《力》はその為に有るんじゃない。…嵯峨野は負けてしまったんだ。自分の心に…」
真神の五人の中で、最も大人びて屈強な印象を与えていた醍醐の、意外に繊細で脆い内面を目の当たりにし、自分達に目覚めた《力》に今一番怯えているのは、常日頃純粋に力を追い求め、修養を積んでいた醍醐だったのではないかと龍麻は感じた。
葵も同様の不安を抱いている。だが彼女はその不安を隠すこと無く、花見の前に自分に自分の気持ちを曝け出した。裏を返せばその不安を目を逸らすこと無く見詰める勇気を持っているということだ。
小蒔はあの日のことは別段気に留めている風は無かった。それは、小蒔は《力》という物に対して、最も執着心が無いという証なのだろう。
京一は、単純に自分に新しい《力》が覚醒したことを喜んでいるようだった。かといって今までの彼とは何ら変わった様子も無かった。彼には《力》に振り回されないだけの自己が既に確立されていたということなのだろう。
自分は────どうなんだろうか?
自分は葵のようにまっすぐに自分の不安を見据えることをせず、小蒔のように《力》に執着を抱かない境地にもなれず、京一のように《力》に振り回されないだけの自信を感じることもできない。
こんな中途半端な自分が《力》を持っている、そのことが許されるのだろうか…
自分の罪を明かす勇気すらも持たない弱い自分に…。
龍麻はちらっと京一の横顔を見、先程彼に言われた言葉を心の中で呟く。
『俺は、人の命を軽んじる奴は大嫌いだが、自分の命を軽く見る奴はもっと嫌いだ』
更に鳴瀧の言葉が龍麻の心によみがえる。
───『誰かを護りたい』という気持ち、それこそが何にも勝る最大の君の《力》なのだ
<そう、そうよね。京一君の言う通りだわ。自分を大切にしないで、どうして人を大切に思うことが出切るのだろうか…。そして鳴滝さん。今ならその言葉の意味が、少し、分かるような気がします>
龍麻は再び藤咲に視線を移す。するとその背後にぼんやりと少年の姿が佇んでいるのが目に飛び込んでくる。
少年は龍麻の視線に気が付くと、涙を湛えた瞳で見詰め返してきた。
「ああ、そうか〜。あなたの後ろにいたのって、弟さんだったのね〜」
霊体の《氣》に敏感な高見沢も、龍麻と同じように藤咲の後ろにいる少年に気付いたようだった。高見沢の言葉で少年は嬉しそうな表情に変わる。
「何テキトーなこといってんだよ」
藤咲だけではなく、京一・醍醐・小蒔にも高見沢の言葉の意味が理解出来ないでいた。
「もう行くって。緋勇さん達にありがとうっていってる。それから、あなたにはごめんねッて…もう僕の為に苦しまないでって…」
「ふざけるなッ!!そう言えばあたしが改心するとでも思っているのかい!!」
高見沢の言葉の唐突さに、藤咲は自分の一番大切なものを汚されたとでも感じたのか、怒りを露にする。
しかし───
────お姉ちゃん… お姉ちゃん… お姉ちゃん、ありがとう────
「この声は、弘司ッ!?でもどうしてあんたの声が…まさか」
「あなたは可愛そうな人…自分を傷つけることでしか人を愛することが出来ない。だから教えてあげる…。私の《力》で───」
高見沢は、先程までとは打って変った大人びた口調で藤咲に語り掛ける。その身を優しい蒼白い光が包み込んでいる。
「誰にも等しく愛が降り注いでいることを───」
────僕の分まで幸せに────
「弘司…ごめん…ごめんね」
高見沢の言葉に嘘偽りの無いことが分かった藤咲は、ただ声だけが聞こえる弟に必死に話し掛ける。
────ありがとう────
「あたし…あたし」
──── …バイバイ────
「ちょっと、待ってッ!!まだ話したいことが──ッ」
────バイバイ…お姉ちゃん────
「…あたしの方こそ、ありがとう…さようなら…」
少年は微笑みながらゆっくりと天に昇っていく。
やがてふつりと気配が途絶えると、藤咲は人目を憚らずその場で泣き崩れた。
それは弟を失って以来初めて流す涙であった。
表に出た時には日はとっくに暮れ果て、人影もまばらになっていた。
「今日は大変な一日だったね。でもボク、結局誰が悪いのかよく分かんなくなっちゃった」
軽く溜息をつく小蒔に、醍醐はしみじみと言葉を返す。
「時としてそういうことはある。いろんな小さなことが積み重なって、やがて取り返しのつかないことになっていた…。緋勇にもそういうことは無いか?」
「そうね…」
曖昧な表情を浮かべる龍麻に、醍醐は、もしも済んでしまったのならあまり気にしないことだ、お互いに…と小さな声で言った。
「たく、デカイ図体でウジウジしても暑苦しいだけだからやめとけって」
とかく沈みがちなムードの三人に、京一は常よりも意識して明るく言葉を投げつける。
「そうだよ〜。みんな笑顔笑顔ッ」
すっかり元の様子に戻っている高見沢に、先程の彼女と今の彼女のどちらが本当の彼女なのだろうかと疑ってしまう。
「敵わないな、高見沢さんには…」
「もう〜ダーリン水臭い〜ッ。舞子って呼んでよ〜」
ほっぺたをふくらませて高見沢が龍麻にしがみ付いて来る。その様子にようやく全員笑顔に戻った。
「待ってーーー」
と、その時、後の方からこちらに向かって走ってくる音が聞こえてくる。
「…藤咲さん!?」
藤咲は息を切らしながらも、五人の所まで駆け寄ってきた。
「あたしも、あたしも、あんた達の仲間に入れてくれない?」
『はあッ?』と全員口を開けて見守る中で、藤咲は少し顔を赤らめて話す。
「だってさ、あんた達といると何だか楽しそうだし…」
更に藤咲はふふッと妖艶に笑って、
「緋勇さん、ううん龍麻ってすっごく強くてあたしのタイプなのよ」
京一は突然の藤咲の告白のような言葉に衝撃を隠せない。
「かあーッ、女ってのは逞しいね。しかし、ひーちゃんの魅力は男だけじゃなく女にも通用するのか…。しかもこんな美人に…羨ましい。ひーちゃん、喰われないように気を付けろよ」
「喰われますかッ!!」
真面目に反論する龍麻に、藤咲は『あたしの魅力を分からせてあげるわ』と更に煽るようなことを言う。
「すごぉい。ダーリン、モテモテだ〜」
「舞子までそんなことを…私、何だか疲れてきたわ」
がっくしと肩を落とす龍麻に、小蒔は元気出してと声をかける。
「そうだぞ、今頃病院で、美里と院長先生が首を長くして待っているはずだ」
醍醐の言葉に、今度は高見沢が慌て出す。
「あ〜ッ、私、結局今日のお仕事サボっちゃった〜。院長センセー怒ってるだろうな…」
困惑する高見沢に龍麻が確信に満ちた口調で助言する。
「大丈夫。院長先生のお怒りだったら京一君を差し出せば、全部丸く収まるから」
「マジかよ、ひーちゃん。そりゃ殺生な…」
半分泣きそうな声をあげている京一に、龍麻はさっきまでのお返しとばかりにつんとした表情をする。
「助けてくれよ〜、醍醐ォ。そうだ、お前も道連れにしてやるッ!」
「えッ、それだけは勘弁してくれッ!!」
強敵を前にした時よりも分の悪い表情を浮かべる醍醐と京一に、藤咲を含めた一同は笑いが止まらなかった。
「さあ帰ろうッ。ボクたちの街に───」
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