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第六話其ノ弐

 ≪伍≫

「とうとう小蒔の奴、姿を見せなかったな」

 放課後の教室内で龍麻と京一と醍醐の三人は、空席のままになっている小蒔の席を囲むように立っていた。

「美里が家の方に電話をしに行ったから、それで何か分かるだろう」

 程無く葵が教室に戻って来た。しかしその表情は先程よりも冴えない。

「…お家の方に聞いたら、いつも通りに朝家を出たって…」

 想像していた中でも最悪の事態に、京一は向こうの出方が分からないが、ここでジッとしているよりはマシだろう、と言い放ち、さっさと教室から出て行く。
 龍麻もそれに続くが、横を歩く醍醐の様子がひどく落ち込んでいるのが気にかかった。

 正門で二手に分かれようと醍醐が言うと、龍麻は醍醐と一緒に行動すると主張する。

「そうか、それじゃ京一と美里は桜井の通学路を追ってくれ」

 何で醍醐と一緒にと京一は龍麻に反駁しかけたが、その龍麻の横に立つ醍醐の表情を見て、大人しく指示に従うことに決めた。

「分かった。一時間後に中央公園で落ち合おうぜ」
「私も、他に小蒔の行きそうな所とか電話してみるわ。…龍麻達も気を付けてね」


 京一と葵と別れ、龍麻と醍醐は新宿駅周辺の繁華街を早足で巡る。
 人込みで混み合っているが、それすらも何らいつもと変わりの無い街の様子に、二人の心の奥には失望感が込み上げる。

 そんな折、醍醐が思いがけない言葉を龍麻に投げかけてきた。

「龍麻、お前には友と呼べる存在がいるか」

<友。真神に転校して来た時には、自分には過ぎた存在だと思っていた。でも、今こうして、一緒に行動し、考え、喜び合える存在が出来た。これを友というのなら…>

「共にありたい、そう願う存在を友と呼ぶのならば、私にもそう思える人達はいるわ」
「そうか、友というのは己の財産の一つだ。大切にしなくてはな」

 随分と他人行儀な言い回しに、龍麻は心の中に引っかかるものを感じる。

<彼は私のことを友とは思っていなかったのだろうか>

「では、友を裏切ってしまったことはあるか」

 龍麻の胸の内を、傷跡を刃物で撫でられたような痛みが走る。

<私はまだ、あの事件のことを話していない。皆には話さなければと何度も思ったのに、いざとなると勇気が出ないでいる。私は、自分が否定されるのが怖いと思う…そういう小さい人間なのだ…>

 否定されることを不安に感じるという気持ち、それは、龍麻がそれだけ東京で得た友を得がたいものだと思っている証なのだが、今はそんな客観的な判断が出来るようなゆとりは無かった。

「すまない、余計なことを聞いてしまった」

 龍麻が余程悲しい表情を見せたのか、醍醐はそれ以上龍麻に質問をすることに罪悪感を覚えてしまった。

「どんなに喧嘩が強くても、どんなに頭の回転が速くても、人は…大切な存在を前にして、時にどうしようもない自分の無力さを思い知らされる。俺はあの日──あの時どうすべきだったのか──」

 その時、醍醐の瞳は目の前の光景を映していなかった。
 龍麻は醍醐の言葉を無理に促さずに、ただ黙って待っていた。

「今はまだ言えないが、いつかお前にも話す時が来るかもしれん。その時は俺の話を聞いてくれるか」
「勿論。その時は必ず」

<私も、いつか必ず…>

「そうか、お前は本当にいい奴だな…。大分俺の話に時間を費やしてしまったな。今は桜井を捜すことに専念しよう」

 それから二人は更に足を速めて、雑踏の中をわずかの手掛かりが転がっていないかと歩き回ったが、それも全て徒労に終ろうとしていた。

「そろそろ約束の時間だな、仕方ない。一度中央公園まで行こう」

 醍醐の言葉に従い集合場所に向う途中の路地で、思いもかけない人物と遭遇した。

「あッ、ダーリンだ〜。元気ィ〜」
「ええ、見ての通り元気にしているわ」

 桜ケ丘中央病院の看護婦の制服を着た、かなり目立つ姿で高見沢は思い切り龍麻に抱きついてくる。

「よかった〜、わたしも元気〜ッ!!ねェねェ、今度どっかに遊びに連れてって〜。私、遊園地に行きた〜い」
「…そういう話はまた今度ゆっくりね。ところで何で舞子がここにいるの。まさか、入院中の四人の容態が悪化したの?」
「ブ〜ッ、はずれ。その反対なの。意識不明の四人の内、一人意識が回復したの。おまけに石化の進行もゆっくりになったの〜。そのことを知らせて来いって院長先生から、皆はこの辺りにいるはずだって言われて来たの〜」
「それはわざわざ知らせてくれてありがとう。でも、何で今になって良くなったのかしら」
「院長先生が言うには〜、一度に多人数を石化させるには、ある程度の限界があるんじゃないかって〜」

 その言葉の裏には、今まさに誰かが石化されているということを告げている。

「まさか桜井がッ」

 小蒔が行方不明なことを知らない高見沢は、醍醐が怖い表情をしたことを不思議そうに見ている。醍醐が掴みかからんばかりの勢いで、犯人の特徴は何か言ってなかったかと聞くと、高見沢は、紫暮が話してくれた不審人物と類似した特徴を教えてくれた。

「…中央公園に急ごう、龍麻」


 中央公園の待ち合わせ場所に、まだ京一と葵の姿は見当たらなかった。
 醍醐は高見沢と別れた後ずっと沈黙したままだったが、ふいに言葉を漏らす。
「全ては俺のせいかも知れん」

 その言葉は龍麻に向けられた、というよりも自分を傷つけることで周囲に対して苛立つ気持ちを抑えようと発せられた言葉のように聞こえた。

「醍醐君、そんな風に思い詰めないで」

 龍麻の少し憤りを含んだ言葉に、醍醐は自分が弱気になっていることを指摘されたと思い、こんなことでは皆の足を引っ張ってしまうなと自嘲気味に言葉を返す。

 重い沈黙が続く、その緊張感を破ったのは、少女の悲鳴だった。
 駆けつけると、チンピラのような男子高校生二人が、一人の少女の手首を掴み無理矢理連れて行こうとしていた。

「やッ、止めてください」
「へへへ、止めてくださいだって、可愛いね〜」
「俺達は、別に怖いことしようって言ってるンじゃねェよ。ちょっと付き合ってくれれればそれで充分なンだぜ」
「比良坂さんッ!」

 龍麻の叫び声に、比良坂はより一層強く男の手を振り解こうともがく。

「お前たち、ここで何してるんだ」

 醍醐の姿を見て、少し男子高校生たちは比良坂の手首を握っていた力を緩める。

「別に俺達は、この娘をデートに誘ってるだけさ」
「そんな無粋な誘い方があるかッ」

 京一が木刀を構えながら乱入してきた。後から葵の姿も見える。
 4対2とたちまち形勢逆転したことで、男たちは不承不承その場を立ち去ろうとする。

「おい待てッ。お前たち杉並の者か?」

 彼等は杉並区の弦城高校の者だと答えながら、その質問をして来た醍醐の顔をしげしげと眺め、我が目を疑ったような表情を見せた。

「もしかして、お前は杉並桐生中の醍醐雄矢か?!」

 そうだと言う醍醐に、不良達はにやついた笑いをしながら、

「丁度いいや、俺達はお前を探してたんだ」
「凶津さんがお前を待ってるぜ。…女も預かってる。場所は醍醐なら分かるはずだと言ってたから」
「…早く来ねェとヤバイことになっちゃうかもな、最近の凶津さんはマジでやばいから」

 そう吐き捨てると、二人はさっさと逃げ去ってしまった。
 不良達から解放された比良坂も、ただならぬ様子の四人に、お礼もそこそこに中央公園から立ち去って行く。

「助けて頂いてありがとうございます。…また、偶然お会いできたらいいですね




 ≪六≫

 新宿駅から地下鉄丸の内線に乗り換え、四人は醍醐が中学時代を過ごした町、東高円寺に向う。初めて訪れるその土地を、龍麻らは醍醐の誘導するまま付いて行くだけであった。

 道すがら、醍醐は自分の中学時代を、そして過去の事件について話し始めた。


*
*


 凶津煉児と出会ったのは、五年前の中学一年の頃、同じ中学校に入学したのがきっかけだった。

 その頃の俺はどうしようもなく荒れていて、ただ自分がどれぐらい強いのか、自分にどれぐらいの強さが有るのかを知りたかった。連日相手構わず喧嘩ばかりの日々だった。
 そして気が付くと、自分の傍らには常に凶津の姿があった。

 今でもあの頃の奴の瞳はよく覚えている。
 決して満たされることの無い飢えと、決して手に入らぬ何かへの切望に満ちたその目は、ただ相手を───そして自分自身をも傷つけることしか知らぬようだった。
 だからかも知れない、俺達がつるむようになったのは…

 月日が流れ、中三になった頃には俺も手加減や節度ってものを覚えていた。
 この俺の中の凶器をどんな時に、何の為に使うべきなのかを少しずつ分かり始めていた。

 だが凶津は違った。奴の中の黒い炎は衰えを知らなかった。奴のそれはもはや喧嘩ではなく、ただの暴力だった。
 いつの間にかチンピラ共の大将となり、日々傷害・窃盗・婦女暴行を繰り返す。
 無職で酒乱の父との生活がそれに拍車をかけてた。

 俺はそんな奴を止めることができないでいた。

 やがて中学最後の冬が訪れようとした頃、凶津に逮捕状が出たのを知った。
 罪状は殺人未遂、しかも実の父に対する…。父親を斬り付け逃走中と新聞にも掲載されていたその事件を知り、そして俺は二人の城だった廃屋の隅で奴を見つけた。
 

 血塗られた手と、泣きすぎて腫れた目───。そこに居たのは、紛れも無くかつて友だった男の変わり果てた姿だった。奴は俺に『助けてくれ』とだけ言ってきた。
 一体何から助けて欲しかったのか。警察の追っ手からか、荒んだ環境からか、それとも壊れていく自分自身からなのか…今でも分からない…。
 俺は奴に自首するように勧めた。だが奴は、そんな俺を変わったとなじった。

「変わっちまったな醍醐。俺とつるんでた頃のお前は、もっとギラギラした瞳をしていた」
「変わったのはお前だ、凶津」
「そうか…もう俺達は友と呼べる関係じゃねェってことか」

 人はどうやったら他人を傷つけずに生きていけるのだろう。人はどうやったら他人を理解してやれるのだろうか…。人は足掻きながら自分を──ましてや他人を理解してやることなど出来ないのかも知れない。
 ただ、その時の俺にはもう一度奴と勝負することしか思いつかなかった。そうすることで、あの頃に時間を戻したかったのかも知れない。

 日付も時間も覚えていない。ただ、雪が妙に白く眩しく降りかかっていたことだけがひどく印象的だった。

「どうしてもやるってェのか」
「あァ、俺にはこれしか思いつかない…」

 二人の少年の間を分かつように、非情なまでにパトカーのサイレンが無神経な音を立て──

「なんでだ…?なんでなんだよッ!!お前だけは分かってくれると思っていたのに…」

 勝負には俺が勝った。その頃には近所の人間が通報したのか、警察が周りを取り囲んでいた。
 警察に連行される間、奴は一度も俺を見ようとはしなかった。まるで魂が去った後の抜け殻のような目をしていた。

『信じていたのに…醍醐、お前だけは…俺を裏切らないと…』

 助けを求めたのに裏切られたんだ──かつて…友と呼んだはずの男に。
 そして、あれから二年近くたった今もあの時のことは忘れられない。


*
*


「お前達は…お前はこんな俺を軽蔑するか」

 醍醐の告白を聞き終え、三人はただ黙っていることしか出来ないでいる自分にもどかしさを覚えた。
 お前は悪くない、と言うことは簡単だった。
 だが、そんな言葉だけで慰められるほど、醍醐の心に受けた傷が浅くは無いのは明白だ。

「…私がそんなに立派な人間に見える?」

 龍麻にはそう言うのが精一杯だった。
 自分の心の奥には、醍醐たちにも伺い知ることの出来ないであろう更にどす黒い『罪』が澱(おり)のように沈んでいる。

「それよりも醍醐君……勇気ある告白をしてくれてありがとう」

 自分は醍醐と違って、まだ他人にその内奥を明かす勇気は無い。でも、今日の醍醐の言葉で、自分の中にも少しの勇気が湧いてきた気がする。

「龍麻…。そんな風に言われるとは思ってもみなかったよ。ありがとう…」

 醍醐の声は少し震えているように聞こえた。


 やがて四人の前に、ほとんど取り壊されている廃ビルが不気味な姿を見せた。
 ここは醍醐が中学の頃、取り壊し予定の古い雑居ビルがあり、当時はここを溜まり場にしていたのだった。
 そしてあの日、凶津と最後に拳を合わせた場所でもあった。

「ここからは俺一人で行かせてくれないか」

 醍醐の言葉に、龍麻は知らず知らずの内に頬が紅潮してくる。

<何で、何で醍醐君、まだそんなこと言うの…>

 思わず唇を噛み締める表情を見て、醍醐はこれは全て自分が蒔いた種だから、お前たちを巻き込むわけにはいかないと弁明する。
 すると京一は自分の木刀を醍醐に向けて突きつけた。

「お前何か勘違いしてねェか。お前はここへ何をしに来た。大昔の感傷に浸るためか?それとも過去にケリをつける為か?」
「……………」
「そうじゃねェだろ。小蒔を助け出すためじゃねェのかよ。そして、それは俺達も同じだ。小蒔は俺達が必ず助ける。俺達にとって小蒔は大切な仲間さ。それから醍醐、お前もな…」

 三年間も一緒にいてそんなことも分かんねェのかよ、と最後は照れた顔を京一は見せた。

「…いいわね、男の子って」

 葵は龍麻にそっと話し掛ける。それから醍醐の方を優しく見詰める。

「私達は友達でしょ。友達が苦しんでいるのを見過ごすなんて出来ないんじゃないかしら」
「京一君と葵の言う通りよ。醍醐君、行こう。皆で小蒔を助けましょう」

 皆の暖かい気持ちに、醍醐はその頑なに自分を責めていた心が少しずつ溶かされていくのを感じていた。

「ああ。皆で桜井を、そして被害にあった他の人達も助けようッ!」

 四人はもう躊躇(ためら)うこと無く、廃ビルの中に入っていった。




 ≪七≫

「これは、皆石化された人達なの?」

 葵の驚きも無理は無かった。
 廃ビルの中程に進んでいくと、そこに若い女性の姿をした沢山の石像が林立していたのだった。その大半は迫り来る死への恐怖からか顔が歪んだまま石化していた。
 しかし、この石像の中に小蒔の姿は無かった。ほっとする気持ちと失望する気持ちが入り混じるのも束の間、少し離れた所に置かれた石像の影から男が現れた。

「凶津か…。お前変わったな」

 数年ぶりに会う友に対する醍醐の言葉に、凶津は自分は変わってはいないと主張する。

「もっとも、もし俺が変わったとしたら、それはお前に裏切られてからだな」
「そんな言い方って…。醍醐君はどれだけあなたのことを思っていたか…」

 異を唱える美里を、醍醐はいいんだと静かに制する。

「それだ。その態度だ。偽善者ぶったその態度の影で、俺が一体どれだけ惨めな想いをしたか。醍醐、お前には一生分からねェだろうよ」
「…桜井はどうした」
「本当は殺っちまおうかと思ってたんだけどよぉ、それじゃ芸が無さ過ぎるだろ。今の俺には特別な《力》が有るんだし」

 愉悦に浸った笑いを浮かべる凶津が指し示した先には、今朝登校途中で襲われた小蒔が立っていた。────石像と化して。

「!!!」

「どうだ、中々の出来だろ」

 凶津は石像となった小蒔を撫で回す。

「醍醐の奴、女の趣味は悪かねェ。まッ、強いて言えばツラが気に入らねェな。この女、最後まで表情を変えやがらない。俺は恐怖に歪む顔を見ねェとイケねェってのに」
「凶津ッ!!──貴様!!!」

 ついに感情を爆発させた醍醐に、凶津はそうだ、お前のその顔が見たかったんだと満足そうな色を、その目に宿す。

「表に出ろッ!──二年前の決着をつけようぜ」



 雑居ビルが解体された跡地には、どこからか集められたのか、凶津の手下である近隣の不良やチンピラが10人近く既に臨戦体制をとっていた。

「ちッ、今度は男(ヤロー)付きか…」
「へっへっへ、でも女の方は今までに無い位上玉だぜ」
「凶津さんに付いていれば、女に苦労しねェからな」

 勝手なことを口々に言う不良共に、京一は数で勝ったからっていい気になんじゃねェと一喝する。

「威勢のいい奴だな。だが、こいつ等は俺の手下の中でも選りすぐりの猛者ばかりだぜ。醍醐を招待するには、それなりに礼儀ってモンが必要だからな」

 確かに彼らの手には今までに無い位、木刀やバタフライナイフ等々、凶悪な武器を携帯している。
 一方、今の四人の中で武器攻撃が出来るのは京一ただ一人だけだった。
 もちろん、龍麻も醍醐も多少の武器ごときに怯えるような腕前ではないが、複数を一度に相手するとなると、攻撃とガードの両方を徒手でこなすのは至難である。そして何より遠距離攻撃の出来る小蒔の不在が、この戦いを厳しいものにさせると醍醐はすぐに感じ取った。

「…すまんな皆」
「醍醐君、小蒔のことを心配してるのは、私達だけじゃないのよ」

 龍麻は醍醐ににっこりと笑いかけると、ほら、と自分達の背後を指差す。
 そこには雨紋、高見沢、藤咲、裏密、紫暮の五人が立っていた。

 五人が何故ここに居るのかに驚く三人に、龍麻は新宿を出る時と、この廃屋に到着した時の2回、それぞれ携帯で連絡を入れておいたのだと説明した。

「私は強制しなかったのよ。でも、ここに皆が来ているということは、皆も小蒔を助けたいと思ってくれたから」
「そういうことさ」

 雨紋が片目をつぶる。

「小蒔さんをいじめる悪い子は許さない〜」

 高見沢は腰に手を当てて、怒った顔を作る。

「ふふ、そういうコト。たっぷりとあたしの《力》でお仕置きして上げる」

 藤咲は手にした鞭を構える。

「ミサちゃん〜実験中の魔法使いたいな〜」

 裏密はんふふふふ〜と、いつもと変わらぬ笑いを浮かべている。

「俺達鎧扇寺学園空手部に対する侮辱を、ここで晴らさせてもらおう」

 紫暮はその巨体に気合を込める。

「すまんな皆」

 先程と同じ言葉だったが、その口調には弱気な所が消え失せていた。醍醐は仲間達の登場に、完全に自分の調子を取り戻したのだった。

「行くぞッ、凶津!」
「望むところだッ!醍醐ッ!!」




 ≪八≫

 中距離攻撃の出来る雨紋と藤咲が先制攻撃を仕掛ける。

「ブラッシュウイップ!」

 藤咲の鞭が蛇のようにうねり、ナイフを持っている男の手首を見事捕らえる。そしてそのままぐいっと引き寄せコールタールの上に叩きつける。

「やるねぇ、姐さん。それじゃ、俺サマも派手に行くぜッ、雷神突きッ!」

 体内で高めた《氣》を雷気に変え、目の前一直線の敵を次々と麻痺させていく。
 進行方向右側に固まっている敵の一群には、裏密と高見沢の霊力を合わせた方陣技が炸裂する。
 初めて出合った者同士とは思えない息のあったその攻撃は、直接的なダメージより精神に訴えかけるのか、無傷ながらも次々と気絶し無力化されていく。

「てやぁぁぁッ!鷹翼打ち!!」

 紫暮は先に見せた二重存在の《力》を解放し、左右にリーチの長い技で、裏密と高見沢が倒し損ねた敵を薙ぎ払う。

 後方を紫暮という、醍醐と並ぶ防御力を誇る男が護ってくれている為、龍麻と京一と醍醐の三人は一気に凶津のいる敵陣奥を目指す。
 その三人に葵・高見沢から次々と援護術が掛けられる。

「俺とひーちゃんで周辺の手下を引き受ける。だから醍醐、お前はきっちりと片をつけてこいッ」

 京一はそう言うと龍麻に目で合図して、凶津をガードしている不良共に攻撃を仕掛け、龍麻も武器攻撃に備えてすばやく手甲を装着すると円空破を放った。


 醍醐は凶津と一対一で向かい合う。

「二年前まで、てめえと俺はほぼ互角だったなぁ。だが、今の俺は違う。新たな《力》を手に入れたんだ。絶対的な《力》って奴を見せてやるぜ」

 言葉に違わず凶津の攻撃は醍醐の知っている二年前のものとは桁違いに強力なもので、醍醐はほぼ防戦一方の態勢に追い込まれる。

「へッ、誰かを助けようとか、そんな甘っちょろい気持ちで闘ってるから、弱っちくなったんだな醍醐。だが俺は違う。俺は俺の為だけに闘う。俺はそんな下らない人の情なんてモンは捨て去ることが出来た。それがこの《力》だ」

 凶津は自分の掌に冷え凝った《氣》を集める。

「今のお前を倒すのは簡単だ。だがそれでは面白みがねェ。お前の偽善者ぶったツラをずたずたにしてやるには、そうだな───他人を狙った方が効果的だ」

 拳が氷のように冷たい《氣》を練り終わる。その禍禍しい《氣》は正面にいる醍醐ではなく、凶津の背後で二人のチンピラを一度に相手している龍麻を目標として捉えた。

「俺と同じように、お前にも人の情の下らなさを教えてやるぜッ!!!」

 仲間達は凶津の行動の意図を知り、声にならない叫びを上げる。

 龍麻は避けようとするが、至近距離だったのが災いして今から完全に避けるのは無理だった。

<今から《氣》で相撃ちを試みても間に合いそうに無いけれど>

 自分も小蒔と同じように石化するだろうと覚悟を決めるが、それでも抵抗できるところまでは抵抗してやろうと、自身も《氣》を練る。

<それに私がいなくなっても、皆が無事ならば、必ず小蒔と醍醐君をそして自分を助け出す方法を考えてくれるはず>

 醍醐には龍麻の決然とした姿に、石化した小蒔の姿をダブらせる。

 ──小蒔の表情は、諦めを知らない表情だった。
  恐らく心臓が石と化す最後の最後まで、自分達が助けに来ることを信じて疑わなかったのだろう。
  だが俺達は間に合わなかった──
  今度もまた、間に合わないのか…。俺は仲間達を犠牲にしているだけなのか…

「…違うッ。今度は、今度こそ俺は、俺は助けてみせるッ」

 腹の底から湧いてきた気持ちが、醍醐の体に今まで以上の《力》を発揮させる。

「はぁ──ッ!凶津、俺の《力》を受けてみろッ!!!」

 醍醐の拳からは、今までとは破壊力も飛距離も異なる破壊的な《氣》がほとばしった。

「何だ、この圧倒的な《力》は!!」

 その《氣》の流れは叫びを上げる凶津のみならず、龍麻やまだ闘っていたチンピラ達をも巻き込み、挙句の果てに周囲の瓦礫を吹き飛ばす程であった。

「そんな、凶津さんが…」
「ば、化けモンだッ」

 圧倒的な《力》に恐怖した凶津の手下達は散り散りに逃げ出してしまう。


「醍醐、お前もっと手加減しろよなッ。ひーちゃんまで巻き込みやがって、無茶苦茶だぜ」

 まともに背後から技を喰らった凶津はまだ地面に突っ伏しているが、龍麻は直ぐに瓦礫の間からすくっと立ち上がった。

「大丈夫よ。《氣》を練っていたお陰で、醍醐君の《氣》と相殺してダメージを減らすことが出来たから」

 想像以上に凄い破壊力を見せた技に呆然としている醍醐に、龍麻は顔や制服に土ぼこりを付けたまま、にこりと笑いかける。

「でも本当に凄い《氣》だったわ、ほら…」

 醍醐の目の前に手甲を見せる。しかし、それは激しい《氣》を受けた為か、すでに紐も切れ、ぼろぼろになっていた。

「今度弁償してね」

 うろたえる醍醐の耳に、龍麻の呟きがそっと流れ込んでくる。

 ──醍醐君の《氣》は護ろうとする気持ちで一杯だったわ。助けてくれてありがとう

 龍麻はそう言うなりくるりと背を向けると、仲間達が手招きしてる方に向って走って行った。折角の美人がこれじゃ台無しだねと、藤咲がぶつぶつ文句を言いながらハンカチで龍麻の顔の汚れを拭いている。

「…終ったな、醍醐」

 京一が醍醐の背中をトンと突く。

「いや、まだだ。…桜井達を助けに行かなければ」

 表情を引き締め、醍醐は再び廃ビルの中に向って大股で歩き出した。




 ≪九≫

「何故!?」

 元凶である凶津を倒したので石化は解けたものだと思い、建物内に戻って来た一行の前に、小蒔らの姿は変わらず石像と化したままだった。

「間に合わなかったか…」

 絶望の黒い染みが胸中に広がろうとした矢先、突然石像が淡い光を放った。

「…ここ、ドコ?」
「小蒔、小蒔良かった…」

 きょとんとした表情の小蒔を、涙を溢れんばかりに浮べている葵が抱きつく。
 見渡すと他の石像も元の女性達に戻っていた。
 紫暮が、彼女達を駅まで送っていくと言い、雨紋らと一緒に先に現場を後にした。

「皆ボクを助けに来てくれたんだね、ありがと…」

 やっと状況の呑み込めた小蒔が照れながら皆に礼を言う。

「小蒔が無事で本当に良かった…」

 しみじみと語る龍麻に、小蒔は本当に皆に心配を掛けていたんだと実感した。

「ホントはね、ちょっと怖かったんだ。でもきっとひーちゃんが…皆が助けに来てくれるって信じていたから。…ありがと」

 へへ、と照れ笑いをすると、さあ、帰ろうと出口に向う。
 しかし、小蒔の足がぴたっと止まった。

「どうした、桜井」

 醍醐が小蒔の前に回ると、出口付近に凶津が座り込んでいた。
 憑き物が落ちたような無気力な瞳でこちらを見上げ、力なく笑う。

「…これじゃぁ二年前と全く同じじゃねェか、醍醐」

 醍醐は凶津に近寄ろうとするが、凶津はそれを拒絶する。

「頼むから俺をそんな目で見るな。…俺は鬼に成れる筈だった。お前を怨み憎むことで鬼の《力》を手に入れられる筈だった…」
「鬼の《力》?」

 凶津の言葉の意味が分からない醍醐が聞き返す。

「俺のこの邪手(イビルハンド)の《力》と、奴らの持つ鬼の《力》。その二つが有れば怖いものて何も無いと思っていた。…だが、俺は鬼に成れなかった」
「奴らとは誰のことなんだ」

 既に醍醐に反抗する気力も失せたのだろう、凶津は乾いた笑いをひとしきりすると、五人を驚愕させる内容を淡々と話す。

「いいぜ醍醐、教えてやる。この街はもうすぐ鬼の支配する国になる。俺達《力》を持つ者と鬼達の支配する国に。───奴等の名前は鬼道衆。この東京は間も無く狂気と戦乱の波に包まれるだろうよ。そして奴らはいずれ、お前のところにも現れるぜ」

 凶津の話を遮るように、パトカーのサイレン音が近付いてきた。これだけの大人数が廃屋からぞろぞろと出てきたのだ、近所の人間が不審に思って通報したのだろう。

「もう行けよ醍醐」

 躊躇う醍醐に、凶津は強い口調で追い払う。

「いいから行けッて言ってんだ。俺は塀の中からお前等の逃げ惑う姿を、せいぜい高見の見物をさせてもらうぜ」

 醍醐達は凶津一人を残して行くことに後ろ髪を引かれる思いを感じながら立ち去った。


 その後姿を見送ってから、凶津は出入り口とは別の方向を鋭く睨む。

「こそこそ覗きに来やがって。出てきやがれ、鬼道衆」

 柱の影から鬼の面を付け深緑の忍び服を纏った男が影のように音も無く姿を現す。

「…みすみす敵を見逃すとはな、所詮ヒトの為せる業か。主(ぬし)があの男を本当に殺せるかどうか見届けに来たのだが」
「下種ヤロウめ」

 監視されていたことに、凶津はあからさまに不快感を表す。

「ふん。それにしても…ヒトの情というのは不思議なものよ。稀代の剣豪もその為命を落としたという」
「てめェらには判らねェだろうが、人間っていうのはその情を支えにして生きていける。その情のお陰で信じられない《力》を出せる時が有る。…さっき醍醐が見せたように。…俺も、あいつに出会ってからそうやって生きてきた…」

<いや、生きていきたいと思ってたんだがよ、どこで間違えちまったかな…>

「やはり曇った太刀でヒトは斬れぬか。欠陥品は処分するほかあるまい」

 鬼面の男の冷厳な言葉に、凶津は再び瞳に生気を宿す。

「貴様らがくだらねェっていう人の力がどれほどの物か見せてやるぜッ」

 だが凶津が攻撃を仕掛けるよりも早く、目には見えない刃のようなものが次々と襲い掛かってくる。
 凶津は攻撃も防御も為せないまま切り刻まれ、全身血塗れになって床に倒れ込む。

「造作も無い…、もう終わりか。たかがヒトが我等に勝てると思ったか。ククククッ、黄泉路の果てで待っておれ、あの男もすぐに後を追わせてやる」

 その時凶津の手がぴくりと反応する。

<ふ、ふざけやがって…、俺は…俺の《力》はまだ…>

 次の瞬間、凶津を見下していた男の鬼面に一筋の傷を与えた。その傷口から赤い血がゆっくりと流れ落ちる。

「へへッ、ざまあみやが…れ」

 しかし、再び凶津は床に崩れ落ちると、もう二度と動くことはなかった。
 鬼面の男は、傷口をぐいっと袖で無造作に拭う。

「面白い。まこと面白い」

 無人となった廃墟内に、くぐもった笑い声を響かせる。

「ヒトの力、それがどれだけのモノか今しばらく見せてもらおうぞ」


<────醍…醐……>


 新宿の雑踏の中、龍麻と醍醐が同時に顔を上げる。

「ん?醍醐君、どうしたの?」
「いや…空耳だろう」

 傍らを歩く小蒔の問い掛けに醍醐は一瞬だけ視線を宙に漂わせたが、軽くうなずくと、そのまま何事も無かったかのように歩き始める。だが龍麻は、その醍醐の背後に半透明の凶津の姿が重なって見えていた。

<…まさか、あの後何かあったの>

 凶津は暫く醍醐をただじっと見詰めていたが、次第にその姿は街の明かりの中に消えていく。

「最期に、友達にお別れを言いたかったのね…」

 涙が零れ落ちないように、眦(まなじり)に力を入れて龍麻は悲しみに堪えた。
 今の醍醐にこの事実は残酷すぎる。いつか、必ず話せる日が来る時まで、この夜の出来事は自分の心の中に仕舞って置こうと密かに決意した。


<醍醐…死ぬなよ、醍醐…>


 密やかな声が、雑踏の間をぬって龍麻の耳をいつまでも木霊していた。

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