目次に戻る

邪神街 第八話其ノ弐

 ≪伍≫

 更衣室で髪を乾かしていたので男性二人を長い時間待たせてしまったと、龍麻ら三人は慌てて集合場所に向う。


「ごめんね、長い間待たせちゃって」
「いいって、濡れた髪のままじゃ風邪引くからな。もっとも小蒔は俺より髪が短いから関係ねェけど」
「悪かったね。ボクは好きで短くしてるの!君の好きな天野さんだって髪は短いだろッ」

 またキミは、どうしてぼくにいちいちつっかかってくるのと言いたげな目で小蒔が睨む。

「京一…」

 龍麻からもやや非難めいた目で見詰められた為、京一は小蒔に悪りぃなとごくごく軽く謝る。

「もういいよ。そんなことより、今日は一日たっぷり遊んだからお腹が空いたよね」

 小蒔の一声に、そんな時はいつもの様にラーメンでも食いに行くかと、五人の話が纏まった。

「龍麻も今日一日楽しめたか」
「うん、ありがとう。何だかこんなに無邪気にはしゃいだのって、本当久しぶりだったから」

 来て良かったと龍麻が言うと、醍醐も最近は気の塞ぐことが続いていたから、少しは気晴らしになって良かったと笑ってみせた。


 しかし、そんな笑顔も束の間、醍醐は眉を顰める。

「何か、生臭い臭いがしてこないか…」
「生臭いというよりか、腐っているような臭いに近いと思うけれど」

 何処からだろうと五人が周囲を見渡した時、今出てきたばかりのプールの方角から、女性の悲鳴が聞こえてきた。


「まさか、さっき裏密さんの言っていた化け物が出たんじゃ…」

 龍麻の言葉に、小蒔と葵は何のことと聞いてくる。

「今は説明するよりも、プールに戻った方が良さそうだ」

 そう言った醍醐に続いて、四人もプールに戻ろうと走り出したその前方を塞ぐように、一人の青年が立っていた。


「こんな所で会うとは、奇遇だね…」

 ややパニック状態になっているプール前だというのに、場違いな位冷静沈着な表情を浮かべ、青年は五人に話し掛けてきた。

<まただわ。この人の《氣》を感じることが出来なかった>

 黙っている龍麻に代わって、京一が返事をする。

「お前は───」

 京一の言葉を、当然のように受け止めようと身構える青年だったが、

「誰だっけ?」


 天然ボケな京一の答えに、青年は思わず脱力してバランスを崩してしまう。

<真面目そうな人なのに、結構ノリのいい性格かもしれない…>

 京一に男性の顔と名前を一度で覚えろという方が無理が有るかなと、龍麻は相手の青年が少し気の毒になってしまう。


「お前は骨董屋の…」

 醍醐の言葉でようやく正解に辿り付き、青年は心なしかほっとした表情を見せる。
 彼は以前、龍麻らが学校帰りに立ち寄った、北区にある如月骨董店で店番をしていた青年だった。

「今日はバイトお休みなの?」

 小蒔の問い掛けには、あの店は僕の店だと憮然とした様子で答える。自分たちと同じ年嵩の青年からの思い掛けない言葉に、五人は異口同音に驚いてみせる。

「…僕の名前は如月翡翠。王蘭高校の三年生だ。あの店は、僕が祖父から譲り受けて経営している。尤も僕の気の向いた時しか、店を開けはしないのだが」

 道理で以前に店に行った時、自分達の持ち込んだ物を鑑定する姿も、自分達がそれぞれの装備品を選ぶのを手助けする姿にも堂に入ったものがあった訳だと龍麻は納得させられた。


「それより、早くプールに戻ろうよ」

 小蒔が急かすのを、しかし如月は静かに押し止める。

「水の中では、人間は到底奴らに及ばない…今プールに入れば、君たちも二の舞になるだけだ。それに、どのみち今から行っても間に合わない。また何人か攫われた…」

 その先の言葉は、余りにもささやかに紡がれたので、聞き取れたのは葵と龍麻だけだった。

 ───また増上寺も奴らの手に落ちたか…

「また、ってそれはいったいどういう意味なのかしら?」

 葵の疑問を遮るように、如月は深刻さを増した表情で言葉を続ける。

「縁(えにし)とは不思議なものだ。この東京には異形の《氣》を持った者たちが集う。奴らの目的は増上寺の地下に眠る《門》を開けることだ。君たちも───」

 一気に話した如月は、ここで一旦どのような言葉を続けるか、やや迷うように言葉を止める。

「…いや、君たちは一刻も早くここを離れて、今起きたことを全て忘れてしまうべきだ。いずれ全て解決する」

 如月の視線が、一瞬自分の所で止まったように龍麻は感じ、その瞳には冷淡なまでの口調とは裏腹に他人を気遣う優しさが隠されていたように思った。

「ふざけんな。お前が止めなかったら、まだ間に合ったかもしれねェのに!」

 怒りを見せる京一に、如月は、僕はそう思わないと言い返す。
 醍醐はこのような事態を前に、何故そんなに落ち着いていられるんだと訊ねる。

「僕はただ義務を果たそうとしているだけだ。それにこの一件に他人を巻き込むのは本意では無い」

 京一は義務という言葉に引っ掛かりを覚えたが、それよりも一人で全てを解決しようとする如月の姿に、かつての醍醐や龍麻を見る思いがして知らずに声を荒げてしまう。

「お前一人で全て解決できることなのか?義務だ何だって、そんなもん背負い込んでおッ死(ち)んじまってみろ。それこそくだらねェ」

 むすっとした京一の隣で、心配そうに自分を見ている龍麻に、如月は君もそう思うのかと尋ねる。

「あなたが私たちを心配してくれているのは理解できる。でも、そのことは翻(ひるがえ)ってあなたに対しても言えるんじゃないかしら」
「僕を心配してくれるのかい。ありがとう、緋勇さん…だったね。でもこれは僕自身が出した答えだからね。それにこの東京を護るのが僕たち一族の───」

 その言葉に被さるように、数台のパトカーのサイレンがこちらに接近する音が聞こえてきた。

「ようやく誰かが通報したな」

 如月の言葉に、醍醐はここでぐずぐずしていると、自分たちも警察に尋問される可能性があるから、早くこの場は離れようと言い、五人はまだ如月に聞き出したいことがあると未練を残しながらもそのまま芝公園の方角に走り出す。

<これでいい。出来ることなら、彼等を巻き込みたくは無い。特に彼女は──>

 如月は五人の姿が見えなくなるのを確認すると、自分は彼等とは反対の方角に風のように去って行った。



 プールで一日遊んだ後の全力疾走はさすがに堪えるのか、もうここなら大丈夫という所まで走り切ると、龍麻以外はしばらく肩で荒い呼吸をしていた。
 ようやく一息つくと、醍醐が提案をしてきた。

「今回のことをこのままにして置くのはどうかと思う。俺はもう少し調べた方が良さそうに思うが」

 他の四人も同様の意見だった。

「そうなると、頼みの綱は情報屋か…」

 あまり気が進まねェが、と京一が言う。

「それじゃあ、私の方でアン子に連絡入れておくわね」

 龍麻が橋渡しを買って出ると、五人は新宿に戻るべく、今朝来た道程を夕暮れの中戻っていった。


──我らやがて冷たき闇に沈み行く おお、さらば───
   さらば、短く過ぎし 我らが夏の生気ある輝きよ
     我、すでに聞く───
       窓の外の石畳に 寂しき響きして降ろさるる薪木を────




 ≪六≫

 一学期期末テストの総合成績が発表された余韻でいつもより落ち着きの無い3-Cの教室に、さらに落ち着きをなくさせんばかりの勢いでアン子が飛び込んできた。

「ふッふッふッ、ついに手掛かりを掴んだわよ!」
「手掛かりって何のことだったっけ?」

 ボケた反応をする小蒔に、まさか忘れたんじゃないでしょうねと、アン子が凄んでくる。小蒔はその恐ろしさに、思わず傍にいた龍麻に救いを求める目を向ける。

「ご苦労様、アン子。例のプールでの事件のことで何か分かったのね」

 龍麻の言葉に、小蒔もあッそうだったと手をポンと叩いて反応する。

「桜井ちゃんの暢気さには、ほとほと感服するわ〜。ま、それはそれとして…はい、500円」

 アン子は極上の笑みを浮かべて、右手を前に出す。
 龍麻と小蒔は互いに顔を見合わせるが、アン子の言葉の意味は分からなかった。

「500円払えば、今必要な情報の全てが記載されている、真神新聞最新号を読むことができるわよ」

 まさか友達から500円も取るの、と小蒔は不満の声を上げる。

「いくら友達でもロハ(無料)じゃ教えられないわ。苦しい新聞部を救う為にも500円!」

 その様子を見兼ねた醍醐は、自分たちが今直面している問題の深刻さに訴える作戦に出た。

「…仕方ないわね、じゃあ特別限定スペシャル友情割引をしてあげるわ。…150円」

 まだ金を取るのかと醍醐は呆れ、小蒔は醍醐君の説得も無駄だったみたいと諦めた。

「これ以上はビタ一文まからないわよッ、さあどうするの?」
「もともとこっちで頼んだ依頼だし、ちゃんとお礼はさせてもらわないと却って心苦しいから、私はアン子の言い値で購入させてもらうわ」

 アン子の掌に500円玉を乗せ、龍麻は新聞を受け取る。

「ひーちゃん、太っ腹〜」
「龍麻、あまり遠野の言い成りになると、後で苦労するのはお前だぞ」
「あ〜、外野はぐだぐだ言わないで。それよりあんたたちも買ってくれるんでしょ?」

 迫るアン子に、小蒔と醍醐は龍麻から後で見せてもらうからと、購入を渋る。
 そこに同じ様に新聞を手にした葵が姿を現した。

「まさか、アン子…ボクたち全員に売りつけようとしていたのッ?」
「(ちッ、もう少しで上手くいく所だったのに)」

 アン子は心の中で呟くと、あんたたち相手じゃ商売も何もあったもんじゃないわと、小蒔と醍醐、そして遅れて入ってきた京一にも無料で新聞を渡す。


 一同はしばらく真神新聞の記事を黙って目で追う。

 港区で多発する連続失踪事件。水辺の怪異。水中に潜む者の影。といったプールでの出来事を連想させる見出しに並んで、『青山霊園に怪物』という記事が目に付いた。

「アン子、これっていったい…」

 記事の関連性が理解できずに訊ねる龍麻を、まあそのことは後で説明するから、まずはあたしの話を聞いてとアン子は新聞を読み終えた五人に話し出す。

「港区の事件を調べていて気になる話があったのよ。事件は大きく二つに分かれるんだけれど…」

 一つ目の事件は、プールでの失踪事件。五人がこの間の日曜日に実際に遭遇した事件である。

 二週間くらい前から港区のプールで行方不明になる人が増え始めたが、彼らは必ずといっていいほど、数日後フラフラと彷徨っているところを発見、保護されている。
 発見されている場所も問題なのだが、そのことは後で触れるとして、保護された人は皆一様に記憶が抜けているのが特徴だとアン子は言う。

「事件のことは何も覚えていない。犯人のことも何も知らないと彼らは口をそろえて証言しているわ」


 二つ目の事件は、見出しにもした青山霊園で目撃されている化け物の噂。

 その化け物の姿は、体型は人間に近いが、魚と蛙を融合したような不気味な物で、頭部は魚そのもの。大きく飛び出した眼球に、くすんだ灰緑色の光る皮膚、長い手には水かき。それが静まりかえった夜の墓地をぴょんぴょんと跳ねているという…。

「そんな姿で墓地を跳ねてるなんて、それって笑い話じゃねェのか」

 頭の中でその光景を想像したのだろう、京一は腹を抱えて笑っている。
 だが、アン子は真剣な表情を崩さない。

「あのね…じゃあこの話を聞いても笑ってられるかしら?失踪した人たちが保護された場所、その全てが青山霊園周辺だったということを」
「それに二つの事件はこの二週間前からほぼ同時期に発生した。つまり、この二つの事件は密接な関係があるとアン子は言いたいわけね」

 ご名答、とアン子が龍麻の言葉を支持する。

「おまけにこれだけの事件。もしかしたら、あんた達の言っていた鬼道衆っていう輩も関係してるんじゃない」

 鬼道衆という言葉を聞いて、五人の顔に緊張感が走る。
 凶津に《力》を与え、比良坂兄妹を追い詰めた彼らが今回も関わっているとしたら、それを放置することは今の五人には出来ない相談だった。

「アン子──」

 自分の情報収集能力に胸を張っているアン子に、龍麻はそっと耳打ちする。
 アン子は軽く頷くと、じゃあねと言い残して教室を出て行った。


「龍麻、遠野に一体何を言ったんだ」

 醍醐の質問に、龍麻はアン子に如月の調査を依頼したのだと言った。
 プールで出会った時の彼の発言(東京を護るのが自分の義務)に引っ掛かる物が有ったのも確かだったが、

「アン子には鬼道衆のことには余り関わって欲しくないから…。彼女の責任感の強さでは、単身敵地に乗り込もうとし兼ねないでしょ。それよりは如月君の調査の方が適任だし、安全だと思ったから」

 鬼道衆に巻き込まれて命を落とす人をこれ以上見たくない、その気持ちが今の龍麻を支えていた。

「そうだな、ここから先は俺達で何とかしねェとな…。そしたら港区にもう一度行くか」



 校門に向って歩きながら、五人はアン子の話の他にこの二つの事件で気がつく点が無いか意見を出し合った。

「そういえば、この二つの場所ってちょっと離れているよねッ。いったい化け物はどうやって霊園とプールを移動してるんだろ?」
「そう言えばそうね。途中経路での目撃者がいないということは、人目に触れずに移動出来る手段が有るということね。この東京でそういう手段といえば…」

 小蒔と葵の会話に、龍麻が加わる。

「やっぱり地下ってことになるのかな。下水道とか地下鉄とか…。でも化け物の目撃例からいって、ここは下水道の方が可能性高そうね。…気が進む発想では無いけれども」

 女子三人は、下水道に潜るということにかなり嫌悪感を感じているが、今はそうも言っていられない。
 醍醐がそれなら懐中電灯がいるなというと、小蒔と葵はアン子が前に旧校舎に潜った時に使ったのが有る筈だから借りてくると、自ら買って出て足早に新聞部へ向う。


「何だかあの二人には気の毒な気がする…。」

 しばらく三人で待っていたが、小蒔と葵が思ったよりも時間が掛かっているようなので、醍醐が様子を見に行くと校舎内に戻っていった。

 京一と二人で待っていた間、思わず龍麻が本音を漏らしてしまった。

「あいつらは誰かに命令されてる訳じゃなくて、自分たちがやりたいって思ったからやってるだけだろ。何もひーちゃんが気に病む必要はねェよ。何より奴らにはきっちり礼を返したいっていう気持ちは、皆同じだぜ」

 第一奴らの仕業でどれだけ龍麻が苦しんだか。それを目の当たりに見た京一としては、今回の事件は溜飲を下げる絶好の機会だとも思っていた。


 一方首尾よくアン子から懐中電灯を借りた小蒔と葵が、三人の待つ校門に急ごうと廊下を早歩きしていると、前方に突然男子生徒が現れた。

「…佐久間君?」

 思い掛けない人物の登場に、ややたじろいでいる小蒔を無視して、佐久間は乱暴に葵の手首を掴む。
 小さな悲鳴をあげる葵に、佐久間は俺と一緒に来いと命令する。いつもとは違う佐久間に、一種の恐怖感を覚えながらも、小蒔は大切な親友を護ろうと必死に立ち向った。

「な、何で葵がキミと一緒に行かなきゃいけないんだよッ」
「うるせえ、お前には聞いてねェよ。…美里。頼む、俺と一緒に来てくれ」

 事態を大きく揺り動かしたのは、小蒔の勇気の一欠けらが生んだ平手だった。

「葵に触るな…」

 ようやく佐久間から解放された葵を庇うように、小蒔が怒りを露に前に立つ。
 一触即発の佐久間と小蒔に、葵は顔色を変え立ち竦むだけだった。

 そこに二人を探しに来た醍醐が近付いて来た為、佐久間はこれ以上の手出しは出来ず、小蒔を憎悪に満ちた目で睨みつけると、どこかへと姿を消してしまった。

 顔色の悪い二人に、醍醐は大丈夫かと声を掛けたが、葵と小蒔の二人は何も詳しい話はせず、それより早く合流しようと校門に戻っていった。




 ≪七≫

 問題のプール近くの路上の人目に付きそうに無い下水道のマンホールから、五人は下水道へと侵入する。入った瞬間から、目にもしみるほどの臭気と、ぬらぬらと光る足場の悪さが行く手を阻んでいるようであった。

「すげえ臭いだぜ…」

 京一の言葉に、小蒔は鼻が曲がりそうだよねと返事する。

「そうじゃねェ…。この臭いは───」
「海の磯臭さが混じっている。明らかに普通の下水道の臭いじゃ無さそうよ」

 青山の方角に向って、方位磁石を手にナビゲートしている龍麻は、歩いている内に徐々に高まる胸のむかつきはどうやら下水道の為だけでは無いと感じ始めていた。

 先頭を歩いていた醍醐の足がふと止まった。

(あっちを見てみろ)

 声を極力抑えて、四人に指した方向から何者かの動く姿が遠目に確認できた。

(あれって、もしかしてアン子の新聞に載っていた化け物?)

 遠目の利く小蒔が、間違い無いよ小声で言う。

(もう少し近付いてみようぜ)


 灯りを落として、足音を忍ばせて近付こうとすると、一行の前に先日芝公園で出会った水岐涼が突然、だが何気ない様子で立っていた。

「水岐…。お前が何故ここに?」

 醍醐の問い掛けに、水岐は憂いに満ちた表情を作って答える。

「かつてこの世界は薔薇に溢れ、香気に満ちた風が吹く世界だった。おォ、それが今じゃ───。草木は枯れ、灰褐色の墓標に包まれた刑場の如き惨状。人間は何て罪深き存在なんだろう…」

 相変わらず自己の世界に浸った言葉に、五人は口を挿む余地も無かった。
 水岐は表情を冷酷なものに変えると、更に過激な内容を口走る。

「シテールに住まう罪人(とがびと)に贖罪を与える為、そして哀れなる魂を捧げる為…この街の地下に何が有るか知っているかい?ここには異界への入り口が有る。深く暗い海の底へと続く。其処には偉大なる僕達の神が眠っている…」
「異界への入り口…」

 龍麻は水岐の言葉を復唱する。

<前に如月さんも同じ様なことを言っていたような…>

 ────奴らの目的は増上寺の地下に眠る《門》を開けることだ────

「あなたの目的は、その入り口を開けることなの?」

 今度は龍麻が水岐を詰問する。

「僕はその神を召喚する為に神の啓示を受けた。人間を本来あるべき姿に変える《力》を手に入れたのさ」

 やっぱりこの人も我々と同じ《力》の持ち主だったのだと、五人は理解した。
 しかし彼の次の言葉を理解することは絶対に出来なかった。

「人間は罪を犯した。自らの欲望の為にこの世界を破壊してきた。獣を殺し、草花を絶やし、世界を暗き闇に閉ざしてしまった。破廉恥なる地獄の寵児の如く、我が物顔で、さもこの世界で生きているのが人間達だけだと言わんばかりに!────人間は滅ぶべきなのさ」
「────!!!」

 その表情ではどうやら僕の考えを分かっては貰えないようだと水岐が呟くと同時に、その背後から10体ばかりの異形の者たちが姿を現した。



 足場の悪さに難渋しながら、龍麻と京一、醍醐の三人は立ち向ってくる異形の化け物を相手をするべく、前進する。その最中龍麻が二人に囁いた。

「水岐君の言っている話が本当なら、この化け物たちは元はただの人だってことになるから、出来ればなるべく傷付けないように倒してくれないかしら?」

 そんな難しいこといきなり言われても、と京一は渋い顔をしたが、それでも《力》を最低限に押さえて彼らの急所を突く攻撃をするように心掛ける。


 細長い下水道の形状が幸いしたのか今回は周囲を取り囲まれる心配が無かったので、前から接近する敵を冷静に対処しているうちに、いつしか残る敵は水岐ただ一人になっていた。

「へへッ、ざまぁねェな。後はお前一人だぜ、さっさと観念…」

 京一が勝ち誇った顔で近付いて行った時、水岐から突然鋭い攻撃が繰り出された。

 間一髪、京一は並外れた反射神経でその一撃を避ける。
 見れば水岐の右手には白銀に輝く西洋剣が握られている。

「こいつ、ただの素人じゃねェな」

 しかも手にしているのは、アルバニアの英雄イスケンデルベイが使った魂の剣。勇者が振るえば破格の斬味を見せるその剣と、フェンシングで鍛えたであろう素早い攻撃に、しばし京一は防御一方に追い込まれる。

「だが…」

 京一は木刀を握る手を構えなおし、神速の速さで袈裟懸けと逆袈裟懸けに水岐を斬り付ける。

「剣の勝負で負けるわけにはいかねェんだよ」



 勝負あった京一の元に、他の仲間が集まる。

「…少しは心配するとか、怪我は無いかとか言わねェんだな」

 他の連中が涼しい顔をしていることに、京一はやや憮然とした感じでぼやく。

「本心から言っている訳じゃないでしょ。
 それに私達も、一対一の剣の勝負で京一に勝てる相手なんてそうはいないって思っているから」

 龍麻の、真っ直ぐに自分を見ながら話すその瞳の強さに、京一は自分に対する信頼の強さを実感できて、まあなと呟き、半ば照れを隠しながら木刀を肩に担ぐ。


「それよりも、水岐は?」

 醍醐の言葉に四人がはっと気が付くと、京一の足元に倒れた筈の水岐の姿がいつの間にか消え失せている。
 辺りを見回しても、その気配を感じることは出来なかった。

 逃げ足の速い奴だと京一が悪態を吐くと、その言葉に反駁するように、下水道構内に水岐の声が響いてきた。

「君達のその《力》、実に面白かったよ。だが、これで僕に勝ったとは思わないことだね。僕の手下はまだまだ大勢いるし、それにあいつら──鬼達も僕に力を貸すと言っている」

 やはり鬼道衆が────!五人の心に衝撃が走った。
 と、その時、それに追い討ちをかけるように水岐の台詞が暗い坑内に流れる。

「まもなくある場所の《門》が開く。我らが破壊の神の目覚め、そうすれば僕は新しい世界の王になれる……」
「水岐、お前は奴等に騙されているッ!」

 醍醐の叫び声が空しく響き渡るだけで、もうそれ以上水岐の言葉は聞こえてこなかった。

「そんなコトさせるかッ、あいつの行きそうな所へ急ごうぜ」




 ≪八≫

 芝公園と青山霊園のどちらか───五人は下水道の出口から近い芝公園に戻ることにした。
 だが、夕刻の黄昏に包まれた芝公園に水岐らしい人影は無かった。

「どうやらハズレね。それじゃ急いで青山霊園に行きましょう」

 龍麻が促した声に呼応するように、名指しで呼び掛ける声が聞こえてきた。

「あら、緋勇さん、お久し振り。皆も元気そうね」

 先日プールで出会った天野絵莉だった。
 たった一人で夜の公園に居るなんて物騒じゃ無いですかと訊く龍麻に、天野は仕事だからと片目を瞑って笑いかけた。

「ふふ、何の仕事だと思う?怪物捜しよ」

 あなた達の目的も同じねと看破され黙ってしまう龍麻に、天野は私に会って迷惑だったかしらと逆に訊ねる。

「いえ、そういうことは無いですけれど。でも天野さんが心配で」

 前に渋谷で遭遇した時のことを思い出すと、こういう事件を追っている限り、身の安全は保障できない。自分達はそれらに立ち向う《力》を持ち合わせているが、一般人である天野にはそれは無い。

「ブン屋ってのは因果な商売だぜ。危険の中に飛び込むのもお構いなし…ってか。大丈夫、この蓬莱寺京一。もしもエリちゃんに何かあったら、地球の裏側からでも駆け付けるぜ!なッひーちゃん」

 京一の大見得に、小蒔は女の人にはホント見境の無いと呆れ顔で言う。
 しかし、龍麻にはそれは京一が天野と、天野を心配する自分に対する気遣いの表れだと悟った。

「…未来のアン子を見る思いがするわ」

 だが考えていたこととは違う言葉が、無意識の内にするっと口をついて出てしまう。
 その言葉を聞いて、天野は龍麻に何か?と話し掛ける。

「今更天野さんに私達の《力》を隠し立てしても仕方の無いことですし、目的もおっしゃるように同じだと思います。ですから、もし宜しければ天野さんの知っている情報を教えて下さいませんか」

 天野は快く了承する。

「それにしても、あなた達が既に下水道という答えにまで達しているのには正直驚いたわ。そう、彼等が下水道を使っているのは、まず間違い無い。この間の事件の後、ここのプールの係員に頼み込んで、プールの底を見させて貰ったのだけれど、排水溝に化け物らしい爪痕が残されていたの。───緋勇さん、あなたクトゥルフ神話って知ってる?」
「クトゥルフ神話って言えば、確かH.P.ラヴクラフトによって創造された異形の神々の神話ですよね。私達の世界と隣接した異空間や、他の惑星を舞台に幾多の神々がひしめき合い、興亡を繰り返す…」

 父の書斎の本棚に、何冊かクトゥルフ神話に関する書籍が有ったことを思い出しながら龍麻は答える。

「でも、あれって小説の世界じゃ無いですか?」
「そこまで知っている緋勇さんから、そう言われるとは思わなかったわ。…一般的には確かにクトゥルフは明くまで創作された物という認識で扱われている。でも、今この東京で起きている出来事を考えたら、それを創作という言葉だけで片付けられるかしら」

 専門的な言葉について行けなかった他の四人にも、今回の事件とクトゥルフ神話との関連に付いて話が移ると俄然真剣に耳を傾け始めた。

「クトゥルフ神話には、さっき緋勇さんが言った神々の他に、それに付随する様々な化け物たちの様子も克明に描かれているの。深き者(インスマウス)もその一種よ」

 深き者とは、高い知能を持ち海中に都市を造って生活している化け物だ。
 その姿は今回の事件で目撃されている化け物の特徴と類似点が多い。

「もし、今回の事件の化け物が深き者ならば、彼等の目的はただ一つ。彼等の主である神、父なるダゴンの復活よ」

 クトゥルフの神は遥か昔に星の位置が狂ってしまった為、現在は眠りについているといわれている。それも我々の世界とは異なる世界で。
 本来ならば、接触することは不可能だ。
 だが、天野はそれを可能にする手段が有ると言った。

「世界各地には《黄泉の門》《鬼門》と呼ばれる、現世と常世を結んでいる封印された入り口が有るという伝承が残されている。その入り口を介せば、或いはクトゥルフの神々を召喚することも不可能ではないわ」

 その言葉に、龍麻は先程の水岐の言葉を連想した。


 ───まもなくある場所の《門》が開く。
    我らが破壊の神の目覚め、そうすれば僕は新しい世界の王になれる……───


 龍麻から水岐の言葉を聞いた天野はさっと血の気の引いた顔をする。

「もしその話が本当ならば、大変なことになるわ!早く彼を止めないと、門の上にある東京は、深い海の底に水没することになる」
「当然、俺たちは今からあのイカれた野郎をブチのめしにいくつもりだぜ。だから、安心してくれていいぜ、エリちゃん」

 京一の言葉に、表現はともかくとして同感だと四人も頷く。

「本当、あなたたちって頼もしいわ。ここから先はあなたたちに任せた方が良さそうね。私もまだ色々と調べてみるから、何か分かったら連絡するわ。…ただ、邪魔が入らないと良いけれども」
「邪魔って、まさか私たちと同じ位の年の男の子でしたか?」
「あなたたちも会ったの、彼に」

 プールでの事件で遭遇した如月翡翠について天野に話をする。

「…私も、この事件を追うようになってから周辺にしばしば現れて、深刻な表情でこの件から手を引けと忠告されていたの。そう、彼、如月翡翠っていう名前なのね……。彼は他に何か言っていなかった?」

 この東京を護るのが自分の義務だと言っていたと、葵が付け加える。

「成る程ね。ひすい、と聞いて何処かで聞き覚えが有るとは思ったけれど…」

 彼は飛水家と関係が有るのかも知れない、と天野は確信に満ちた声で言った。
 飛水家とは別名を『とびみず家』と呼ばれ、江戸時代徳川幕府の隠密として江戸を護ってきた忍びの家系である。 しかし、それだけでは無い。飛水の人間には代々特殊な《力》が備わっていたといわれている。

 それは水を操る《力》。
 彼等は主である徳川家の亡き後も、その眠りとこの地を護る為、数々の水害を未然に喰い止めた。また、水浸しだった土地を人が住めるようにしたり、水の便の悪い武蔵野台地に上水路を通す時にも、その《力》を発揮して貢献したと密かに伝えられている。

「それじゃあ、如月君とボク達の目的も同じなんじゃない。それなのに、何で邪魔するのかなあ?」

 小蒔の疑問に、龍麻はこの事件を追っていれば遠からずまた彼には会える、その時に訊ねればいいんじゃないかと口添えする。

「私もそう思うわ。それじゃ、私はこれからクトゥルフに詳しい作家の先生とお会いする予定だから…。皆、気を付けてね」



 天野が去った後、醍醐は龍麻と葵と小蒔の三人の顔を見比べて何か思い悩むように考え込むと、ややぎこちない口調で葵と小蒔に話し掛ける。

「美里、桜井、もう日が暮れるから──」
「うん、日が暮れても蒸し暑いよねッ」
「いや、そうじゃなくて…、暗くなると色々と物騒だから──」
「そうだね、最近色々変な事件があったから」

 話の腰をことごとく小蒔にへし折られて次に話す言葉に詰まってしまった醍醐に、小蒔は表情をきりっと引き締めてやや怒った口調で話す。

「まさかボク達に帰れとは言わないよね…」

 図星を指されて、完全に醍醐は黙り込んでしまう。
 だが小蒔は、何でひーちゃんは良くてボクと葵は駄目なのと、追及の手を緩めない。

「醍醐君、ここで私と小蒔だけが帰る訳にはいかないわ。わかるでしょ」

 葵も頑として譲る気配は無い。

「確かに、私には龍麻のように皆を護れる位の強い《力》は無いわ。でも、私達も行ってもいいでしょう?」
「…醍醐君、私からも二人の同行をお願いしていいかしら」

 龍麻の言葉に、葵と小蒔は顔を輝かせる。
 醍醐は龍麻がそう言うなら、とそれ以上反対しようとはしなかった。

「ありがとう、龍麻。私も役に立てるように頑張るから、絶対」
「(葵…、葵もまだ比良坂さんのこと、引き摺ってるんだ)」

 葵の言葉を聞いて、小蒔は小さくつぶやいた。


「しかし、今からだと夜も遅くなる。俺と京一は男だし、龍麻も一人暮らしだから大丈夫だが、美里と桜井は家の方に電話を入れておいたほうがいいだろう」
「うーん、でも正直に話しても理解してくれそうにないし…。そうだ明日は休みだし、葵とボクはひーちゃんの家に泊まりに行ったことにしようよ。この間みたいに勉強を教えてもらうっていうのを理由にしてさ」
「…嘘をつくのは気が引けるけれど、この際そんな綺麗事は言っていられないわね。龍麻、協力してもらえるかしら」
「私は別に構わないけれど、じゃあお家に電話してね」

 三人は少し離れた所で、龍麻の携帯からそれぞれの自宅に電話しようとする。

「ふふふ、何だか少しどきどきするわ」

 親に内緒でいたずらをした幼少時代を思い出すのか、皆の顔がこんな事態にも関わらず高揚したものへと変化する。

「久し振りだよな。こんな風にガキの頃みたくワクワクすんのはよ…」

<< 前へ 次へ >>
目次に戻る