≪九≫
23区最大級の面積を誇る青山霊園も、日没と共に人の姿はかき失せたように消え、園内は不気味な程静まり返っていた。心霊スポットとしても有名な所だけに、心なしか醍醐の顔色が悪いように見える。
<相変わらず、この手の物に弱いんだわ…>
龍麻は気の毒に感じながらも、アン子から事前に教えてもらっていた目撃例の多い場所を目指し、極力物音を立てないように歩く。すると、
「(!!!)」
醍醐が声を立てそうになったので、龍麻が慌ててその口を塞ぐ。
「(ちょっと醍醐君〜)」
小蒔の注意に、醍醐はわびつつも前方に何か気配を感じたのだと言う。
その言葉通り近くから重い石を動かしているような低い震動が伝わってきた。
更に足音を忍ばせて近付いてみると、墓石が動かした下のうがたれた空間に、先に下水道で見かけたのとよく似た化け物(天野の話通りなら深き者)が気絶した人間を抱えて姿を消す所であった。
「よっしゃ、俺達も潜ろうぜ」
深き者の気配が完全に消えたのを確認して京一が墓石に近寄った時、又も自分達を制止する声が聞こえてきた。
それが誰の者であるかは明らかであったので、五人は特に驚きもせず、後ろを振り返る。
「また君たちか、懲りもせず…。あれほど忠告しておいた筈だが。君達は僕の忠告を無視するつもりなのか?」
「如月君。心配してくれるのは嬉しいのだけれど、私たちにも私たちなりの事情が有ってここに来ているの。それに──」
目的が同じならばここは互いに協力した方が良いと、龍麻は如月を見つめる。
その心が分かったのだろう如月は少し表情を和らげたが、しかしそんな自分の気持ちを振り払うかのように、再び五人を突き放す言葉を発した。
「…悪いが、僕は君たちと手を組むつもりは無い」
きっぱりとした冷静な物言いに、京一が如月に詰め寄る。
「じゃあ聞くが、お前は何でここにいるんだ。俺たちと目的は同じだろう?」
「君たちの未熟な《力》では、余りに危険すぎる…」
「お前、俺たちの《力》のことも知ってるのか、だったら」
京一だけでなく、葵や小蒔、醍醐も如月が自分たちを拒む理由をつかみかねていた。
「これは、僕が決着を付けなければならない事件だ。僕の中に流れる飛水の血が命じるんだ。主の眠りと、この地の清流を汚す者を倒せ、と」
天野の話通り、やはり彼は飛水家の者として今回の事件に一人立ち向っていたのだった。
「龍麻も言った通り、俺たちにも事情が有る。鬼道衆が何かをしようと企んでいる。お前なら鬼道衆のことぐらい知っているだろう」
「私たちの使命も、鬼道衆からこの東京を護ることなの…」
龍麻、京一に続いて醍醐、葵からも異口同音に説得され、僕と君たちとでは共通の敵を追っているのかと如月はやや態度を軟化させつつも、やはり駄目だと言う。
「やはり、僕は一人で行かせてもらうよ。それが君たちの為でもある───」
<冷酷に聞こえるがこれでいい。僕の使命に彼らを──>
自分に言い聞かせる如月が、自分を包み込むような龍麻の視線に気が付き、しばし釘付けになる。
<…何だ、この感じは。彼女から感じる《氣》は一体。まさか───?>
それは以前、龍麻が初めて自分の店に来た時に感じた《氣》と同質の物だった。
至宝である【四神の手甲】、あれを装着した時、彼女から感じられた強く、そしてどこか懐かしい《氣》…
「…君は変わっているな。僕と一緒に行くということは危険かも知れないのに。───分かった、今回の件が片付くまで協力し合おう」
<彼女のことを確認するまで、共に行動させてもらおう>
如月は自分の態度の軟化を、こう自身に言い訳して納得することにした。
≪拾≫
墓石の下に隠された洞穴からは、下水道の時と同じ生温い潮臭さを乗せた空気が漂っていた。
内部は薄暗かったが二人が並んで歩ける程の広さで、その道は鍾乳洞のように、人工的というよりは元より存在していた自然の物を利用したといった感じだった。
相談の上、先頭を龍麻と如月、真ん中に葵と小蒔、しんがりを京一と醍醐が護るという布陣で進むことにした。
「何か不満そうだな、京一」
「別に、仕方ねェだろ。見通しの悪い道で、俺とお前が先頭歩いてたらますます暑苦しいだけだ」
物分りの良い言葉とは逆に、顔にはあからさまに不満と書かれていた。
<そりゃ《氣》に関してはひーちゃんが一番敏感だし、あの如月ってヤローも忍者の末裔だけあって《氣》を押さえて探索するにはピッタリなんだろうけど…何かムカツクぜ>
「俺はな、京一。あの如月という男は何と言うか、妙に信頼出来る気がするんだ。理屈では無い、何かもっと深い所でそう感じるんだ。まるで、かつて仲間だったかのように…」
「あっそ。…あ〜あ、何かいいモン落ちてねェかな」
気の無い返事を返すと先頭を歩く二人の姿を見たくないとばかりに、地面ばかりをキョロキョロと見回している。そうこうする内に京一の耳には、葵が濡れている地面に足を滑らしたらしく、前を歩く龍麻に抱きつく形でぶつかったことを慌てて謝っている声が流れてくる。
<はあー、俺だって隣に居ればひーちゃんが何かの拍子で…以下略>
妄想の世界に突入している京一を引き戻すように、足元から徐々にだが震動が伝わってくる。
「近いな…」
「──ええ」
如月と龍麻が、この震動こそが《門》が近くにある確かな証拠だと、互いにうなずきあった。
その時、小蒔の悲鳴が響く。
「ひーちゃん、危ないッ」
「───?!!」
今の震動で天井の脆くなった部分が一部剥離し、それが丁度真下を歩いていた龍麻に降りかかろうとしていた。
「葵ッ」
龍麻は真後ろを歩いていた葵がそれらに巻き込まないようにと、反射的に醍醐たちの方へ軽く突き飛ばす。
次の瞬間、轟音と共に岩がごろごろと落ちてきた。
「龍麻ッ!!」
葵の悲鳴が暗闇に響き渡る。
だが、それらは竜巻状の水に巻き上げられ、ことごとく粉砕される。
「…、どうやら術が間に合ったようだ」
如月は咄嗟に繰り出した水を操る《力》で龍麻の頭上に降りかかった岩を砕くことに成功した。その衝撃で、二人を中心とする一帯はすさまじい砂埃で目も開けられない程だったが、どうやら大事に至らなかったとほっとした安堵の息をつく。
「───??」
しかし妙に自分の両腕の触っている所が柔らかい。
<術を繰り出す反動でバランスを崩したが、その時誰かに引き寄せられたような…>
状況を思い返しながら、まだ目を開けるのも辛い位だったが強引に瞼を開ける。
「!!」
如月は自分が龍麻の両腕に抱きかかえられていることに気が付いた。
龍麻は砂埃の為、か細い咳を繰り返し、その息が自分の額の辺りに掛かっていた。
<逆に僕を庇ってくれたのか…>
感慨に耽るのも束の間、自分の顔が龍麻の胸元に押し当てられている状況に赤面し、慌てて龍麻から離れる。
「す、すまないッ!」
「大丈…、お陰で助かった…から」
龍麻は咳の為少し涙目になっていた顔に無理矢理笑顔を浮べ、立ち上がろうとするが、すぐにしゃがみ込んで辛そうな表情に顔を歪める。
「──ッ!」
「怪我をしたのか?もしかして足首を捻ったか…」
如月は龍麻に近寄ると、龍麻の細い両足首を探るようにそっと触った。
右足首に手をやった時、龍麻の口から小さな悲鳴があがる。
<もしかして、今、僕は女性の身体に勝手に触れていたんじゃ…>
龍麻の悲鳴が自分の行為を責めている物に聞こえて、手を引っ込めてそのまま硬直してしまう。
「ぼ、僕は、いや…その…」
慌てふためく如月を、龍麻は怪我の痛みも忘れて興味深げに眺める。
「如月君て、そういう表情も出来るのね…。安心したわ」
えっ、と訊き返す間も無く、ようやく視界が晴れた為に後ろに取り残されていた仲間達が二人に近付いて来た。龍麻が怪我していることに気が付き四人は青ざめるが、龍麻は如月君が助けてくれたから足をちょっと挫いただけで済んだと説明した。
「そういえば、あの岩が落ちる前に水が竜巻みたいに上がったよね。あれが如月クンの《力》なのかな?」
龍麻が葵の治癒を受ける間しばらく足止めを余儀無くされた一行は、如月が先程見せた《力》について質問していた。
「飛水流は水に纏わる術を得手としている。その為、四神の一つで水を司る玄武を守護神として代々崇めて来たんだ。そして《飛水》の姓を受け継ぐ者には、元来その血筋として水を自在に操る能力を備えている」
「翡翠という名は、まさに名は体を表しているということなのね。そして、玄武…」
龍麻はじっと目を閉じてしまう。
玄武という言葉は知っていたが、今如月の口から零れたその言葉には自分の中を揺り動かす熱い《力》がこもっていた。
「…傷がまだ痛むの?」
心配そうな葵に、もう平気と笑顔で返す。
「ならば事は一刻を争う。出発しよう」
如月はそう言ったが、背後からこちらに向ってくる気配に眉を顰めた。
「…敵か?」
しかし、近付いてきたのは顔馴染の連中だった。
「よッ、お久し振り龍麻サン」
「ふふふ、プールの時以来ねェ」
「紫暮兵庫、参るッ」
龍麻は青山霊園に向う途中で、現場に近くかつ夜出歩いても問題の無さそうな面子(龍麻は藤咲という選択肢は若干の迷いは有ったのだが、本人は問題ないと電話口で喜んでいた)に携帯で状況を伝えておいたのだった。
「皆、わざわざ来てくれてありがとう」
「へへッ、龍麻サンの求めだったら、何時でも駆けつけるぜ!」
愛用の槍を構えている雨紋が、仲間の中に一人見慣れない顔がいるのに気が付いた。
「龍麻サン、この人誰?」
「この人は王蘭高校の如月翡翠君ていって、今回の事件で協力してもらっているの」
「王蘭の如月翡翠ね。知ってるわ。ウチの学校の女子の間でも格好イイって評判になってたもの。へえ、アンタがご本人っていう訳ね」
藤咲の遠慮の無い視線に、流石の如月もたじろぎを見せる。
藤咲は尚も観察するように如月の傍まで行くと、何か囁いたようだった。その言葉に、更に如月は動揺を隠せない。
「わははは、まあ縁あって共に闘う仲間だ。よろしく頼む」
如月の背中をばんばんと叩きながら、紫暮が豪快に笑う。
一気にムードが明るくなった所で、今度こそ出発しようと、醍醐が号令を掛けた。
「おい、藤咲。お前如月に何吹き込んだんだよ」
「ふふふ、気になるの?」
またしても一番後ろを歩く京一が、すぐ前を歩く藤咲にこそこそっと聞いた。意地悪そうな目をして、藤咲は妖艶な笑いを浮べる。
「あんた、アタシに気があるとか…?」
違うときっぱり否定する京一に、からかい甲斐が無いわねと言いつつも別段怒りもせず、藤咲は如月に言った内容を教えてくれた。
「龍麻のことを狙ってるライバルは多いから、手に入れるのは大変よッて言ったの」
「!!」
「ふふふ、あんたも余り油断してると、足元掬われるわよ。あの二人って、結構絵になるじゃない、美男・美女、おまけに優等生同士で」
京一の気持ちを煽るだけ煽って、済ました顔で藤咲は前を歩く雨紋と今度は話をし始める。
<本当、京一も案外奥手なんだから…>
自分の行為がお節介という部類に入ることは十分に承知していたが、それでも龍麻の幸せの為になるならという藤咲流の思い遣りだった。
≪拾壱≫
「皆、足音に気をつけて、この先に恐らく《門》がある」
小さく龍麻が囁いた言葉が、さざなみのように後ろまで伝令される。
「膨大な瘴気だ…。《門》が開きかけているのかもしれない」
如月は更に自分の《氣》を押さえて隠密行動する。それに倣って仲間たちも身を屈めるようにし、岩を隠蓑に前進を続ける。
数十メートル進むと。今までより天井が高く広がった空間が見えてきた。
一段高台になっている所には水岐の姿が在る。
そしてその背後には、渦巻く瘴気を吸い込んでいく《門》がそびえていた。
今すぐ近付きたいのはやまやまだったが、手前にいる深き者達の圧倒的な数に、飛び出すタイミングを計るのが精一杯だった。
そんな自分たちのジレンマをよそに、水岐は深き者達に演説をしているようだった。
「──さあ、使徒達よ。新たなる同士と共に、大いなる神を呼ぶのだ。その呼び声で!──異界の地に捕らわれた我らの神、父なるダゴンを呼び戻すのだ───!!」
昂ぶる水岐の声に合わせて、深き者達も一様に蛙をひき潰したような叫びを上げる。
「…駄目、そんなことをしては…」
「葵…?」
龍麻の傍らにいた葵が祈るように目を閉じ、その身体からは旧校舎の時に見たのと同じ蒼白い光が溢れていた。
「身体が、熱くなる…。苦しみ…悲しみ…憎悪が流れ込んでくる…ああ…」
苦しむ葵を支える龍麻に、背後から冷酷な声が掛けられる。
「ほほほほ、このような処に大きな鼠が居るわ」
振り向くと、比良坂の時とは異なるが、同じ様に鬼面を被った細身の女が立っていた。
「鬼道五人衆が一人、我が名は水角。…そなたらが炎角の言っていた《力》の持ち主か。ふふふ、時代が変わっても相変わらず間の抜けた連中だこと」
やはり鬼道衆か、と龍麻が鋭い視線を投げる。
「おや、お前は。…ふふふッ、そうか、そなた今は…」
愉快そうに龍麻を眺めやる水角に、龍麻はあなたたちの目的も水岐と同じなのかと訊ねる。
「まさか、我らは水岐の言う神なぞどうでも良いわ。目的は《鬼道門》を開くこと。その為に役立ってもらっただけじゃ。徳川の霊力によって封じ込められた彼の《門》より魑魅魍魎(ちみもうりょう)共が溢れ出し、この憎き江戸の地を焼き払うことこそ我が悲願。────もう間も無くその目的も果たされようぞ」
水角の言葉に、如月の冷静な表情が一瞬崩れる。
「おや、そこに居るのは忌々しき飛水の末裔か。あの者たちと貴様の一族に受けた屈辱…、一時たりとも忘れたことは無いぞえ」
溢れ出る水角の憤怒の《氣》に同調して、地面からのまた不気味な震動が沸き起こる。
「この真上は徳川共の眠る増上寺。しかし《鬼道門》を封じていた霊力ももう保てまい」
その時、水岐の演説がクライマックスに達しようとしていた。
「───罪深き邪教の申し子よ。汝等の慟哭の歌声と噴き上げる泉の如き鮮血が、破壊の神──汝等の父たる者を蘇らせる…その時こそ世界は変わるであろう。目を閉じて、大いなる父の姿を思い浮かべよ。さあ、今こそ迎えよう…大変容の時を───!!」
誇らしげな水岐を、水角は冷たい声であれはもう用済みじゃと言い放った。
「だが、もう少し妾(わらわ)の役に立ってもらおうぞ、邪魔者を殺す為に…」
ちり…ん───と何処からか澄んだ鈴の音色が聞こえてきた。
「見ろ、水岐の姿が───!」
一行が驚く中、水岐の身体が二重にぼやけ始めた。
「あの姿は深き者?」
見る間に水岐の姿が、周囲にいる深き者と同じ姿に変化した。
「僕ハ彼ラヲ導キ、コノ腐敗シタ世界ヲ海ニ…海…ニ…ウギャアアァァーー」
再び鈴の音がちりんと鳴った。水岐は身悶えして絶叫する。
「まさかッ、あの時と同じ───?」
龍麻が水角の方を振り返る。これは莎草と同じ…人がヒトで無くなる…瞬間。
「止めてッ!!!」
龍麻の叫びを、水角はこの上なく心地よい音楽のように聞き流す。
「ほほほほ、我らが外法の《力》、とくと見るが良いわ」
水角の高笑いが響き渡る中、水岐は目玉が飛び出し、腹から口がぽっかりと開き、そこから数本の触手が伸びるという更にグロテスクな外見の異形の者に変化した。
「──!!」
水角は疾風の如く自分の懐に入ってきた人物に、その哄笑(こうしょう)を遮られた。
「やはり主(ぬし)が妾の相手か…ふふ、面白い」
「許せない…。人を道具のように利用するなんて」
龍麻は手甲を着けた拳に《氣》を素早く練り上げると躊躇わず【掌底・発剄】を水角に放つ。
その衝撃で、水角の手から小さな鈴が涼やかな音を立てて転げ落ちる。
だが、
「ほほほ、もう遅いわ。外法によって一度変化したものは元には戻らぬ。それは妾も同じこと。もう後戻りは出来ぬのじゃ、妾もそなたも!」
水角は懐に入れていた忍刀を取り出すと、こちらも目にも留まらぬ速さで龍麻に斬りかかってくる。
龍麻は足場の悪さも問題としない軽やかさで、その太刀筋をかわす。
素早い動きで闘う二人の立ち合いには迂闊に手出しが出来ないと悟った他の仲間は、龍麻を援護すべく深き者達と水角の手下である下忍達を掃討する作戦を取ろうと各々が判断した。
「おらおら、邪魔だぜッ、ライトニングボルトォォ」
雷気を帯びた雨紋の槍が、深き者達を数体、たちまち倒していく。
「バラの味はどうかしら?」
艶麗な微笑を浮べながらも、藤咲は容赦の無い鞭捌きで下忍達を足止めする。
「醍醐、お前の《力》を貸してくれ」
「おおッ」
醍醐と紫暮は、その耐久力のある身体を生かし、敵の中心部へ一気に進もうとする。
途中で立ち塞がる敵には、二人のコンビネーションの技でたちまち返り討ちにする。
「ボクも火龍の《力》、見せてやるッ」
小蒔の放った矢から放たれる炎気が、龍麻の背後を狙おうとする敵を確実に射抜く。
如月は、仮に作戦を立ててもそれを指揮すべき人物が真っ先に最前線に立っている現況を見て、やや呆れ気味であった。
「まったく、これじゃ作戦も何も有ったものではない」
そう呟きながらも、冷静に敵をその手に構えた忍刀で一刀両断にする。
「ひーちゃんは何とか水岐を救ってやりたいという気持ちで必死に闘っている。そして俺達は皆、そんなひーちゃんを助けたいから、必死になれるんだ」
いつの間にか隣に京一が来ていた。
京一も手を休めること無く、次々と向ってくる敵を薙ぎ払っていく。
「お前だってそうだろう、如月。でなきゃ、さっきみたいにひーちゃんを助けたりしねェよな」
「僕は…、この街を護るのが義務だ。ただそれだけだ」
「如月。お前何でそんなに固くなってんだ。お前が護りたいのっていうのは、街っていうそんな言葉通りの器だけなのか?違うだろ、本当は」
鮮やかな【剣掌・発剄】を決めてから、京一は闘いの最中だというのに如月の方を見遣った。
「護りたい人がいるから、その人の住む街を護りたい…、そうじゃねェか?俺はひーちゃんや仲間を護りたい。だからこの街を護りたいと決心したんだ…」
そこまで言うと、京一は如月を置いて、更に前線を目指して突き進んでいった。
「僕は──」
「…如月君」
背後からそっと声が掛けられる。葵の気配だということは振り向かなくても認識できた。
「お願い、龍麻を助けて。あなたを見ていると、以前の龍麻を思い出すの…」
葵の両手から青い光が発せられ、如月を包んでいく。
<僕は…僕は──>
如月は自分の心に問い掛けた。答えは自分の気持ちの中にある、今生まれて初めてそう感じることが出来た。
≪拾弐≫
「くッ、妾がここまで追い詰められるとは…」
龍麻と水角の勝負も、そろそろ決着が付けられようとしていた。
「…元の世界へとお帰りなさいッ」
【掌打】の構えから繰り出された龍麻の清冽な《氣》が水角の胴をまともに捉える。
水角は断末魔の叫びを上げる。
「くうぅぅ、口惜しや。またしても…裏切り者のそなたに敗れるとは」
「裏切り?一体何のこと!」
「ふふ…そなたの身に流れるは…の血。そなたは我らと……じゃ……」
「何、何を言っているの?」
水角の言葉が途切れがちなので、途中から何を言っているのか龍麻には聞き取れなかった。
「うッ、このような処で、このような処でェェッ。こ、九角様ァ────!!」
絶叫と共に水角の身体が光に包まれたかと思うと、瞬時にその場から消えてしまった。
呆然とする龍麻の目の前に、しかしまだ眩しい光に包まれた物体が浮いていた。
無意識の内に手を伸ばして触れると、光は吸い込まれるように掌の中に収斂していった。
「これは、珠?」
表面に繊細な龍の模様のある、青い水晶のような珠だった。
<それより、水角が言っていた『裏切り者』ってどういう意味。あれは明らかに私のことを指していたけれども…>
「おい、ひーちゃん、何ぼーっとしてるんだよッ、まだ闘いは終ってねェぞッ!」
京一の声で龍麻は我に返る。
背後に敵の気配を感じて振り向くと、そこには変化した姿のままの水岐が意味不明な言葉を吐き散らしながら、龍麻に襲い掛かろうとしていた。
「ごめんなさい、私、あなたを助けることが出来なかった」
悔恨の念に苛まれる龍麻の拳が水岐に向けられる。
だが、目の前にいる水岐と、かつて自分が死に追いやった莎草とがどうしてもダブってしまう。
龍麻は自分の心の弱さに舌打ちしながらも、中々本気の攻撃を仕掛けることが出来なかった。
「危ないッ、龍麻───!」
葵の悲鳴が聞こえてくる。水岐の腹部から生え出ている複数の触手が、今まさに龍麻の胴を鋭い爪先で貫こうと蠢いていた。龍麻はそれらをかわすのに精一杯で、反撃を試みることすら許されない。
「小蒔、龍麻を助けてッ」
「駄目だよ、あんなに接近していたらひーちゃんにも矢が当っちゃう」
もしそうなったらという恐怖感から、小蒔は弓を引き絞れない。
<せめてミサちゃんがいたら…>
自分に代わって魔法による遠距離攻撃が出来るのにと歯噛みする思いだった。
「どうすれば…」
「僕がやる。僕の《力》で護ってみせるッ────【飛水流…水流尖】」
念を込めた水の流れが、正確に水岐の身体を貫いた。ダメージこそ水属性の為、半減されたが、それでも龍麻が態勢を立て直すには充分な威力だった。
「迷うなッ、今だ!」
「如月君…」
<そうだ、私に今出来ることは…彼を>
「神々の炎よ、私に浄化の《力》を与えたまえ…【巫炎】」
両の拳から、神秘的な光を放つ炎がゆらりと立ち上がり、ゆっくりと水岐の身体に燃え広がっていく。その炎は不思議と熱さは感じられず、ただ清浄の《氣》だけが辺りを包み込んでいった。
<彼を死という安らかな眠りに誘うことだけ…>
固唾を呑んで水岐の最期を見守る仲間達に、信じられない光景が広がった。
「水岐君が、元通りに?」
うずくまった異形の者の姿が薄れたかと思うと、そこには全身に傷を負った、だが元の人としての水岐の姿が横たわっていた。同時に、床に倒れていた深き者達も次々と人間の姿を取り戻していく。
「瘴気が薄れていく…どうやら《鬼門》は閉じようとしているようだ」
如月が指摘した通り、洞窟内を包んでいた禍禍しい《氣》は消え果てていた。
葵が慌てて水岐の所に駆け寄るのを見て龍麻はその意図を察すると、雨紋と藤咲と紫暮の三人には元の人間に戻れた人たちを連れて一足先に地上に向って欲しいと頼んだ。
「また先に戻るハメになるのか〜。…まッ、他ならぬ龍麻サンの頼みだから、しゃあねえな。じゃ、俺サマたちは先に行くぜッ」
部外者がいなくなってから、龍麻は葵に治癒が施せるか訊ねる。
しかし、葵は哀しげに首を振るだけだった。
「私には分かるの…、もう…」
それでも一縷の望みを託した葵は自分の治癒術を施そうと、龍麻と二人で水岐を抱き起こす。
手を翳す葵に意識を取り戻した水岐が力なく微笑む。
「もう…いい。もう、僕は助からない…」
苦しげに咳き込みながら、水岐は必死に言葉を紡ぎだそうとしていた。
「何も覚えていないが…、君たちとは、何処かで会ったことがあるような気がするよ」
「水岐君…ごめんなさい」
頭を下げただ謝る龍麻に、水岐はかつて出会った時のように、詩を口ずさむ。
「かくて…かくて今、長き葬列、楽声も読経も無く──静かに、我が魂の奥を過ぎ、希望、打ち砕かれて忍び泣く。心無き圧制者の苦悩…──うなだれし我が頭上に、黒き旗深々と打ち込みたる…」
水岐の目が、もう自分たちを見てはいないと龍麻も葵も悟った。
龍麻は黙ってポケットから彼の贈ってくれた海の神の力が宿るという霊玉を取り出し、それをそっと水岐の手に包み持たせる。
「長い夢を見ていた、深く、暗い…海の底を漂う夢を…ゆらゆらと…漂いながら」
水岐は霊玉を握り、ほっと安らいだ表情を最期に浮べる。
「あァ…還ろう…母なる海…へ」
力なく手が床に投げられる。
その掌からは、海の色をした霊玉が乾いた音を上げて葵の方に転がっていた。
葵はその霊玉を抱くように手に取ると静かに泣き始める。
「葵…」
龍麻が葵の肩にそっと手を置いた時、激しく大地が震動し始めた。
《鬼門》から流れ出た瘴気の影響で、ここの洞窟が崩れ始めたと如月が叫ぶ。
「二人共、今は脱出が先だ。生きていればいずれ───犠牲になった者の仇を討ってやることも出来る」
醍醐に諭され、龍麻は立ち上がったが、葵はそのまま座って涙を流していた。
龍麻がもう一度、葵に声を掛けようとするより先に、葵が堰(せき)を切ったように話す。
「私達の《力》は何の為にあるの。この街を、誰かを護る為じゃないの?なのに何で《力》を持っているというだけで、誰一人救うことが出来ないの…。もう嫌なの。誰かが死ぬのを見るのは…」
泣きじゃくる葵を見て、龍麻は胸が潰れる程苦しく哀しい想いに満たされた。
だが、今葵をこのままにはして置けない、かといって以前比良坂を見捨てて逃げた時の自分のような無体なことも葵にしたくは無かった。
「葵…、私の手を握ってくれる?」
意味が分からないという顔で見詰め返す葵の手を、龍麻は霊玉ごとぎゅっと握った。
「…私達に出来ることは、彼の安らかな眠りを祈ることだけ…」
<お願い、お父さんお母さん。私を見守ってくれているのならば《力》を貸して…>
そして龍麻は自身に流れる緋勇の血筋を、強く自覚しようとする。
(父祖の御魂よ、どうか巫女としての《力》を今だけでいい、私に授けて下さい)
「葵も一緒に祈って。…そして感じて、彼の魂が安らぐ姿を…」
葵はこくんと頷くと、龍麻の手を握り返し、共に祈った。
────彼の魂が、安らげますように…
静かな、蒼く揺らめく海の底で、彼が望んだままに────
葵の涙が一滴、掌にある霊玉に零れ落ちた。
と同時に大地は鳴動を止め、代わりに洞穴内が黄金色に輝く光に満たされ始める。
奇跡か、それとも────?
固唾を呑む一同に、光の欠片は来迎図を思わせる神聖さでもって、死した水岐を包み込むようにさらさらと降り注ぎ始めたのであった。
厳粛な気持ちに浸された一同が最後に見たものは、水岐の姿がゆっくりと大気に消えていく光景だった。
「大地の、《力》か…やはり、彼女が…」
如月の呟きが低く京一の耳を打つ。
京一は以前にも同じ光を見た記憶があった。あれは龍麻が死蝋に立ち向って行った時、身体から発した光だった。
だが、今この光は限りなく優しく、全てを許し包み込む《力》を持っていた。
<この現象も、ひーちゃんが起こしているのか?それとも美里が…>
京一が悩む間も無く、再度震動が、それも先程よりも激しく揺さ振りで始まった。
「今度こそやべェ。ひーちゃん、美里、さっさと脱出しようぜッ」
龍麻は今度は迷うこと無く、葵の手を引っ張り仲間たちの背を追うように走り始めた。
葵も抵抗せず、しっかりと龍麻の手を握り返して前を向いてひたすら走っている。
「……龍麻、私ね…」
荒い息の下で、葵はそれでも龍麻に話し掛ける。
「マリア先生の言葉、思い出したの…」
────《力》というのはね、それを使う者がいるから存在するの。
アナタたちは自分の信じた道を歩みなさい。気をしっかり持って自分を見失わなければ、きっと道は開けるはず────
「私のこの《力》も、私がいるから…存在する。…《力》が無力なんじゃない、自分が迷っているから…何も出来ないと思い込んでいるのね…」
「葵…さっきの《力》。あれはあなたの見せた《力》だったのよ。私はそれにほんの少し手を貸しただけで…」
「ありがとう、龍麻…。私、あの時に分かったの…」
(あなたとは、生まれる前からどこかで繋がっていたんだって…。だからあなたのことがこんなに心配で、あなたも私のことを気に掛けてくれるのだと)
「葵、出口だわ」
「私達…これからも一緒に居られるわよね」
葵の最後の言葉は、二人の無事を喜ぶ仲間達の歓声に消されて龍麻にははっきりとは聞き取れなかった。
≪拾参≫
「結局、崩れちゃったね」
「ああ、真実は土の中か」
潰れた洞穴の入り口を覗き込んでいる小蒔と醍醐の横を通り過ぎて、龍麻は如月の元へ真っ直ぐ歩いて行った。
「ありがとう、如月君。如月君が助けてくれなかったら、今頃…」
「…礼を言うのは、僕の方さ。それより…あの鬼道衆からこの地を護る手伝いをさせてくれないか?」
「えッ?」
彼の言葉に驚きを見せる龍麻に対して、如月は照れながら返事を待つ。
「…本当に、いいの?…嬉しい!如月君に助けてもらえるなんて」
素直に喜んでくれる龍麻に、如月も初めて笑顔を見せる。
「ありがとう、君になら──」
「ちょっと待った──。ひーちゃん、本気でこいつを仲間にするのか?」
割り込んで来たのは言わずもがな京一だった。
だが、龍麻はどうして京一が強力な《力》と、そして何より鬼道衆に対する知識も自分たちより持ち合わせている如月を仲間にするのを反対するか、全く理解できなかった。
「京一は如月君のこと嫌いなの?」
龍麻にずばっと斬り返された為、京一は却って反論の糸口を掴むことが出来ないでいた。
「べ、別に…ひーちゃんが良いって言うんだったら俺は構わねェよ。そうだ、如月。新参者のお前に、今から仲間としての心得を教えてやる」
京一は強引に如月を龍麻の元から引き離し、皆から少し離れた場所まで連れて行く。
「蓬莱寺君、僕に言いたいことが有るのなら、今ここではっきりと言いたまえ」
「ぐッ。そういうスカした所が一番気に入らねェんだが…」
如月の沈着な態度に、京一の闘争心は煽られるだけだった。
「いいか。俺とひーちゃんはな、もうキスまで済ました仲なんだ!」
「ほう、それで…」
先制攻撃を兼ねた爆弾発言とも言える京一の言葉にも冷静な態度を崩さない。
そんな予想外の反応を示す如月に京一は調子を狂わされたが、それでも自分の優位を示そうと必死になる。
「だから人のモノに手を出すな。俺が気が付いてねェと思うなよ」
「……」
如月の目に一瞬だけキラリと光るものが走る。
そして、口元にふっと笑いを浮べると、やや呆れたような口調で応える。
「それだけか…蓬莱寺君は案外とロマンチストなんだな」
「???」
「現代の若者が、キスの一つや二つぐらいで恋人と思い込むなんて、僕に言わせれば笑止だね。それに、彼女の様子を見ている限り、特別君に強い思い込みを持っているようには見えないけど…まあ、僕をライバルだと思ってくれたことは、取り合えず光栄に思っておくよ」
江戸時代から続く隠密の血を受け継ぎ、一見古風に見える如月に、現代の若者に比べて遅れているという指摘を受けて、京一はショックを隠しきれない。
<畜生、言いたい放題いいやがってーー。 でも、クラスメイトである俺の方がひーちゃんと一緒に過ごす時間が長いんだぜ、どうだ羨ましいだろッ>
さっさと仲間たちの元に戻っていく如月の背後に、心の中で思い切り舌を出す京一であった。
一方、如月も戻りしな京一の言葉を幾度となく頭の中で反芻させていた。
<キスをしただと…許せんッ。あいつのことだ、どうせ無理矢理奪ったに違いない!>
半分正解である。如月の腹の中には京一への怒りが煮え繰り返っていた。
だが表面は忍びらしく、冷静な表情を崩さなかったのは立派という他無い。もっとも、その時の実態を見てまだ冷静でいられればたいした物であるが…
<玄武の守護星の名の元、必ず悪を断つ!!>
ともかくも、この時、如月翡翠の信条に新たな一ページが書き加えられたのは確かである。
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