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鬼道 第九話其ノ壱

 ≪壱≫

 八月最初の土曜日、いつも以上に混雑している新宿ALTA前で、元気の良い声が、人込みの中でも際立って目に留まる少女を呼び止める。

「ひーちゃん、こっちこっち〜」
「久し振りね、龍麻」

 10時にここで龍麻と葵と小蒔の三人は待合せをしていた。というのも、二日前の晩、小蒔からもし都合が良ければ自分と葵の買い物に付き合って欲しいという電話がかかってきたからだ。

「二人とも時間ぴったりね」

 もちろん快くその呼び出しに応じた龍麻は、彼女らの元へと笑顔で近づいて来る。しかし、二人が私服なのに対し、学校の制服をきっちりと身にまとった格好で。
 葵が何で制服を着ているのか不思議に思って訊ねたが、小蒔が代わって事情を説明してくれた。


「…そうなの、マリア先生に」
「私も一学期中は無断欠席もあったし、色々と騒動を起こしたから、ここは罪滅ぼしということも兼ねてね」
「まったく、あの二人にも困ったもんだよッ。だから、ひーちゃんはあんまりゆっくり買い物する時間が無いんだよね。まあ、ボクも午後から少しだけ部活動に顔を出す予定だけれど」
「私も午後から生徒会の引継ぎ絡みで用事が有るから、じゃあ皆また学校で顔を合わせることになってしまうのね」
「どちらにしてもお互い時間に限りが有るから、今日は効率良く買い物をしないとね。ところで、二人が購入したい物って何なの?」

 葵は電話で説明しなかったのと小蒔に言葉を返す。小蒔が『ひーちゃんが何も聞かずに即OKしてくれたから、言うのうっかり忘れちゃった』と舌を出して苦笑いすれば、龍麻も、時間と場所だけ約束するとそのまま電話を切ってしまい『今の今まで、二人の買い物の目的を訊ねることを失念してたわ』と告白し、三人はその場でひとしきり笑い合った。

「えっとね、ボクは弟の誕生日プレゼントを、葵は日記帳だよね。それじゃ取り敢えず、どっちから買いに行こうか?」

 時間も無いし、と小蒔は龍麻に相談する。

「そうね、選択に悩みそうな買い物を優先した方が…。それじゃあ、小蒔のを先にしましょうか」

 自分の方からでいいの、と小蒔が聞き返すが、葵は自分のは小蒔の買い物のついでだから全然構わないわと、龍麻の意見を支持する。それならばと、三人はオープン直後のタイムズスクエアに足を運んだ。


 途中エレベーターの中で、

「ところで今度お誕生日を迎えるのは、今度中学生になるすぐ下の弟さん?」

 葵の言葉を小蒔は軽く首を振って否定する。

「違うよ。誕生日が近いのは、来年小学校に上がる一番下の弟。ちなみに、今度中学生になるのは上から二番目の弟だよ」

 小蒔の説明に耳を傾ける内、龍麻は小蒔には一体何人兄弟がいるのかと収集不能状態に陥ってしまう。

「あ、そうか。ひーちゃんには、まだボクの家族のこと詳しく話してなかったね。えへへ、ボクは下に弟が三人と双子の妹の計六人兄弟の一番上のお姉ちゃんで、他に両親とおじいちゃん、おばあちゃんの全部で十人家族なんだ」
「今時珍しい大家族……凄いわね…」

 いたく素直な感想を漏らす龍麻に、今度は小蒔が龍麻の家族について訊ねるが、

「それよりひーちゃんには兄弟いるの…って、ゴメン、変なコト聞いて」

 龍麻が幼くして両親を相次いで亡くして、今は伯父夫婦に養女として育てられているという事情を思い出す。

<それなのに肉親のことを聞くなんて、やっぱりボクってデリカシーに欠けるのかなァ>

 当の本人が別段気にも留めてない顔をしているにも関わらず、小蒔が沈み込んだ表情をするので、龍麻は何だか可笑しくなって笑ってしまう。

「ひーちゃん?」
「ごめんね、笑っちゃって。だって、あんまり小蒔が落ち込んだ顔をするから…。私だったら全然平気よ。確かに実の両親はもうこの世にはいないけれど、でも今の父と母も私のことを大切にしてくれるし、そう考えると私は幸せなんじゃないかな、って最近つくづく思うの。…だって、私には両親が四人もいるということだから」
「…そうね、血の繋がりも尊いけれども、それ以上に尊いのは人の心と心の結びつきかもしれないわね」

 葵もしみじみとした口調で龍麻の言葉に感想を述べる。

「兄弟が多いっていうのは正直羨ましいけれどね。私一人っ子だったから…」
「龍麻ったら…うふふ、私もよ。だからよく小蒔のお宅に遊びに行くのよ」
「そうそう、あいつらったらボクより葵の方が優しくて綺麗だからって、本当のお姉ちゃんみたいに慕ってるんだよ。そうだッ、今度ひーちゃんもウチに遊びに来てね。きっとひーちゃんにも実の弟や妹みたいにじゃれてくるからさッ」

 是非そうさせてもらうわ、と龍麻は小蒔と約束する。


「それじゃ、はりきって誕生日プレゼントを選ぶぞーー」

 元気を取り戻した小蒔を先頭に、玩具売り場であれこれと物色すること20分。

「うーん、中々絞り込めないなあ」

 小蒔が目星を付けたのは、テレビ番組で登場するロボット、ラジコン、そしてゲームソフトだった。

「私も男の子の好みって、あんまり詳しくないし…」

 葵は救いを求めるような視線を龍麻に送る。

<私だって置かれている環境は葵と大差ないんだけれど。でもあんまり三人して悩んでいたら、葵の買い物が出来なくなるし…>

「これはどう?」

 龍麻が指差したのは、レースゲームのゲームソフトだった。

「これだったら、小蒔の兄弟みたいに大人数の方が楽しめるんじゃないの?」
「そうだね、これだったらボクも一緒に遊べるよッ。うん、これにするッ!」

 小蒔は目を輝かせて、龍麻の選んだゲームソフトを持ってレジに行く。プレゼント用にラッピングしてもらっている間、葵と龍麻は二人きりで少し離れた所で待っていた。

「小蒔ったら、自分がプレゼントを貰ったみたいに嬉しそう…」

 葵がクスクスと笑って、龍麻に小声で囁く。

「私個人の意見としては、子供は室内でゲームよりかは外で遊ぶのが一番だと思うんだけれど、やっぱりもう、東京じゃ無理な話なのかしら…」
「龍麻は子供時代、どんな遊びをしていたの?」
「…普段はほとんど家か図書館かどっちかにいたから偉そうなこと言えないけれど、でも長期休暇になったら、父が私と母を連れてキャンプだとか、旅行だとかで自然や見知らぬ土地に連れて行ってくれたわ」
「私も余り外を出歩く子供じゃなかったから、そういう点では龍麻と同じね。…あッ、小蒔が戻って来たわ」

 二人ともお待たせッ、と小蒔が青い包装紙でラッピングされたプレゼントを大切に抱えて足早に近付いてきた。


「次は葵の番ね」

 三人は同じフロアにある、文具売り場に移動した。日記帳は同じ棚に並んでいたので、先程より選ぶのはスムーズに進んだ。

「それでも色々あって迷うわね、龍麻はどれが良いと思う?」
「…また私が選んじゃっていいの、葵」
「いいのよ、自分の好みだけだとどうしても偏ってしまうし、それに他人の選んだ物の方が新鮮で思い出に残るでしょ。だから、去年の日記帳は小蒔に選んでもらったのよ」

 成る程と納得させられ、龍麻は葵のイメージに合った日記帳にしようと、左側にあった和風の花をデザインした花柄のダイアリーを抜き取る。

「さっすが、ひーちゃん。これだったら、葵のイメージにピッタリだよ」

 小蒔の太鼓判に、葵も嬉しそうに日記帳を受け取る。


 レジに並んでいる間、小蒔は毎日日記をつけている葵をマメだよねと褒める。

「…子供の頃からの習慣ですもの。それに、最近では書くことが多くて困るくらい」
「案外、ひーちゃんのこととかがいっぱい書いてあったりして」
「えッ」

 龍麻は小蒔のからかいの言葉に狼狽する。だが、葵の表情からして小蒔の言葉がまんざら外れでもなさそうだった。

「私のことなんて書いたって面白くないわよ…」
「そんなこと無いよ。ひーちゃんを巡る男たちの攻防だけでも、傍から見てるとコメディみたいで充分楽しいよ。ね、葵」
「うふふふ、それはそうね」

「まさか、葵。本当にそんなこと書いてるんじゃ…」

 葵は日記の中身なんて秘密なんだから安心してねと龍麻に言う。そして自分の日記の中身をばらした小蒔を軽く窘(たしな)める。


 思ったよりも早く買い物を完了した三人が、途中まで方向が一緒なので学校の近くの道を歩いていると、後ろから大きな声で龍麻の名前を呼ぶのが聞こえてきた。

「あら、雨紋君」
「よッ、久し振り。それにしても毎日クソ暑いな〜、元気だったかい?」
「ええ、元気にしているわ」

 太陽の陽射しのように眩しい龍麻の笑顔を見て、雨紋は暑さの為だけではなく自分の体温が上昇するのを感じた。

「龍麻サンの元気な顔を見たら安心したよ。まぁ、ちょっとアテが外れたけど」

 アテという言葉の意味が分からず、首をかしげるその仕草に、雨紋は今度は顔まで上気させる。

「実はサ、渋谷で天野サンから龍麻サン達に連絡を取りたいって頼まれて、それだったら学校に行ってみなッて言ったンだ」

 小蒔は京一と醍醐は学校で補習を受けてるから確かに、と納得して頷く。

「オレ様はてっきり龍麻サンも補習組かと思ってたンだがな…」

 あっけらかんとした物言いをクスッと笑う龍麻に、雨紋は、龍麻は妙に仲間付合いがイイ所が有るからと自分の言葉に言い訳めいた付け足しをする。

「…龍麻は学年でトップの成績なのよ」

 龍麻が侮辱されたと思ったのか、珍しく葵が表情を強張らせている。

「えッ、マジで?」

 驚く雨紋に、小蒔は今日龍麻に渡そうと鞄に入れていた真神新聞6号を雨紋に見せる。その2面に、先だって行われた一学期期末テストの総合成績トップ10が掲載されていた。

「……(何だよこの点数…ほとんど満点かー。スゲー、オレ様じゃ逆立ちしたってムリだぜ)……」
「分かった?それに、ひーちゃんがこれから学校に行くのは、補習を受けるんじゃなくって、補習をさせる為に行くんだからねッ」
「…二人とも。どっちにしても学校に行く事実には変わりないんだから、雨紋君は正しかったんだし、もう許してあげてよ」

 それよりも、天野がわざわざ自分達の所在を訊ねているということは、また何か事件が起きたんじゃないか、それも自分達の《力》を必要とするような…と龍麻は顔を曇らせる。

「オレ様も詳しいことは何も教えてもらってないンだ。…まッ、何か厄介事だったら、遠慮無く連絡よこしてくれよ」

 そう言い残して、雨紋は三人と別れて駅の方角に姿を消した。


「…雨紋君、わざわざこのことを伝える為だけに、新宿まで来てくれたのね」

 天野の用事に引っかかるような表情をみせる龍麻に、葵も、

「そうね。それだったら、私達も急いで学校の用事を済ませて合流するわ。時間は2時でどうかしら」

 龍麻の意見に同意して、てきぱきと約束をまとめ上げる。

「そうだね、ボクも部活動の方は顔を出すだけにしとくよ。そしたら2時に校門でね」

 じゃあね、と三人が一旦別れてそれぞれ向う方角につま先を向けると、龍麻の背中に小蒔が警告を送る。

「京一と醍醐君、連日の補習で気が立ってるから、絡まれないようにねーー」
「…無理だと思うけれど、心しておくわ」




 ≪弐≫

 ひっそりと静まり返っている三年生の教室の並ぶ階でも、もっとも空気がどんよりとしているであろう、3-Cの教室の扉を龍麻は遠慮勝ちに開けた。

「やァ、緋勇さん。遅いご出勤で、さぞかし夏休みをエンジョイしていたのかな」

 学校に来るのが11時を廻ってしまったことを龍麻が詫びるよりも先に、珍しく京一は龍麻に厭味な言葉を吐く。この言葉を笑って流すべきなのか否なのか、龍麻は悩んだが、

「気にするな、龍麻。京一は連日の補習で気が立ってるだけで、すねているだけだ」

 醍醐が気をつかって助け舟をだす。だが、京一は見えない仮想敵を相手に喧嘩を挑んでいるような表情を見せる。

「誰がすねるかッ!子供じゃあるまいし、クソッ、俺の高校最後の夏休みがこんなことで無駄に過ぎて行く…」

<うーん、確かにこれは重症かも…>

 龍麻は、醍醐からひがむなと叱られている京一のおでこに、ピトッと何かを押し当てた。

「…ッ?冷てェッ!!ひーちゃん、何すんだよッ!」
「ふふッ、少しはヒートアップしている頭が冷えるかなって。はい、醍醐君も」

 そう言うと、龍麻は京一の額に押し付けたのと同じ清涼飲料水の缶を醍醐にも手渡す。

「すまんな、龍麻。気を遣わせて」

 龍麻が二人の課題をチェックする間に、京一と醍醐は渡されたジュースを美味そうに飲み乾す。

「ぷはーッ、うめェ」
「…京一、まるでビールでも飲んだ時みたいね、その言葉」

 プリントから目をそらさずに、龍麻はくすっと笑う。けれども直ぐに口元を引き締めると、プリントで間違っている箇所を素早く指摘してやり直しを命じた。

「鬼だ…」

 鬼でも何でも結構ですと敢えて冷たい言葉を放ちながら龍麻は京一に背を向け、今度は醍醐の方の指導をする。


 初日の補習の際、教室を逃亡しようとするなど、さんざん諦めの悪い行為を働いた京一に、マリアは付ききりで監督する必要を感じたが、他の学年やクラスの補習もある為、それも適わなかった。
 そこで、学年首席の龍麻に二人の(と言うより京一の)指導を依頼してきたのだ。しかも龍麻だったら、京一が再び逃亡する等の行為を働いても、それこそ腕ずくででも止められると目論んだ上での策であった。

 龍麻導入の効果の絶大さに、マリアの遣り方を真似て他の教師も同様の手段を選ぶのにさほど時間はかからなかった。

「…龍麻こそ災難だったんじゃないか。折角の夏休みを俺達の補習に付き合わされて」
「気にしないで。どうせ夏休みっていっても大した予定も入れていないし、それに今日で一応補習も終了でしょ」

 だから、やり直しを受けないようにしっかり問題を解いてね、と笑顔で二人を促す。



 ようやく課題から解放された三人が、揃って校門に向った時には、時計の針が午後1時近い時間に差し掛かっていた。

「よっしゃーッ、無事終った記念にラーメンでも食いに行くか」

 記念とは無関係でもラーメンを食べに行く男が今更何を言うんだと、龍麻と醍醐は内心同じ言葉をつぶやいていた。

「あッ、でも私、2時に葵と小蒔と校門で待ち合わせしているのよ」
「あの二人と。何でだ?」

 醍醐の質問に龍麻が答える前に、その答え自身が三人の目の前に現れた。


「良かった、三人に会えて」
「エリちゃん──。何でここに」

 天野の言葉は、龍麻の予想通り、頼みことが有るので話を聞いて欲しいというものだった。

「ここじゃなんだから、一緒にお昼でも食べながら…。どうかしら?」
「はい。さっき学校に来る途中で雨紋君に、天野さんが私達に用が有るってことを聞いてましたから、私の方は構いませんよ」
「雨紋君たら、わざわざ緋勇さんに言いに来たのね、ふうん…」

 含み笑いをする天野に、京一が雨紋の魂胆は見え見えだぜと毒づく。

「それで、他の二人も良いのかしら」
「俺も異存は有りません。お前もだよな、京一」

 当然、と京一は胸を張る。

「話は決まりね。それじゃお昼は私がおごるわね。何を食べたい?」

 天野の申し出に、諸手を上げて喜ぶ京一だったが、しばらく呻吟した果てに出た答えはラーメンだった。

「…こんな時にもラーメンしか浮かばない自分が呪わしい」
「いいじゃないか、どうせラーメン屋に行く予定だったし。天野さん、この近くに俺達が良く行くラーメン屋が有るんです」
「それだったら、是非私も行きたいわ」

 そこで、当初の予定通り四人は『王華』に向った。



「…食べながらで悪いけれど、これを見てくれるかしら」

 天野は今日の日付の入った朝刊のトップ記事を、三人の前に差し出す。

 ──江戸川区で連続猟奇殺人事件発生
    被害者は全て若い女性 いずれも頸部損失 犯人の手掛かり未だ不明───

「これ、ここ一週間ぐらいに発生している事件ですよね。テレビでも見ました。お陰で先週の隅田川花火大会の時も、異様に警戒態勢が取られていましたし…」
「頸部損失、ということはつまり首無しという死体か」

 醍醐の指摘に、天野は顔色一つ変えること無く、発見された死体の検死報告について語る。

「検死を行った結果、頸部切断は刃物によるものでは無いそうよ。かといって熱でもレーザー光線でも無い。強いて言えば、真空の刃≪かまいたち≫…」
「待ってください、≪かまいたち≫と言えば、自然現象の一種で、せいぜい皮膚の表面に切り傷が走るくらいの力しか無いじゃないですか」

 醍醐は天野の言葉に反論する。龍麻も醍醐の言葉を引き継いで話をする。

「≪かまいたち≫は、気候の変動で空中に真空部分が生じた時に、これに触れた人体気の空気が、一時に平均を保とうとする為に起こるといわれている現象ですよね。…ただしこの現象は、冬場の特に冷え込みの厳しい地域に限定されている筈です」
「そんなことまでよく知ってるな、ひーちゃん」

 だが、京一の言葉に龍麻は逆に謎かけをするような表情を浮べる。

「私が説明したのは、あくまでも自然現象としての≪かまいたち≫よ」

 その言葉を聞いて、天野は感心したように目を大きくして龍麻を見る。

「さすがに緋勇さんは、私の言わんとしていることを察知してくれているみたいね。彼女の言葉通り、この事件の原因を一般的な自然現象として簡単に片付けてしまう程、私たちは単純じゃない…。今まで東京で遭遇した事件の例から言っても、この現象の裏にも人為的な≪力≫が働いている、と考える緋勇さんの説の方が逆に無理がないという訳ね」

 人為的な≪力≫という言葉から、三人の脳裏に共通して閃く言葉は一つ───


「この事件の調査に、あなた達の≪力≫を貸して欲しいの」

 天野の依頼に、三人の気持ちを代弁して京一が答える。

「エリちゃん一人じゃ危ないし、それに鬼道衆が絡んでるとくれば、向うから俺達のことを放っとかねェだろうし──当然協力するぜッ」

 礼を言いながら天野は、この件を葵と小蒔の二人にも話しておきたいと付け加えた。

「それなら問題無いです。今朝雨紋君と会ったときにあの二人も一緒だったし、大体どういう用なのかも予想していたので、この店に来る途中、携帯で連絡を入れておいたんです。多分二人とももうこっちに向って来ていると思います」

 お店の時計を見ると、二人との待合せ時間の2時を少し過ぎた時間だった。

「それは手回しの良いことをしてくれて助かるわ。それじゃ、途中で合流出来るように、私達もお店を出ましょう」




 ≪参≫

 天野は四人分の勘定を済ませ表に出てから、葵と小蒔が合流するまでの時間を利用して、三人にこの事件に関する情報を整理しようと提案してきた。

「検死報告の話はもうしたけれど、もう一つ、この死体には奇妙な点が有るの。それは、あまりにも不用意に死体が発見されているということ。しかも、道端に無造作に置かれた死体の目撃者も、いつからそこにそれが有ったのかまったく気付いていない。まるで、瞬きをした瞬間に切断され、頭部が持ち去られたように…」
「成る程、それで≪かまちいたち≫という発想が…。それにしても、若い女性の頭部のみを狙うなんて、尋常じゃない…。手口の鮮やかさといい、やはり鬼道衆が絡んでいるのは間違い無さそうだな」

 醍醐は難しい顔をして唸る。京一も手にした木刀を握り締める力が自然と強くなる。

「…鬼道衆といえば、先日の港区の事件でも暗躍していたわね。彼らは増上寺の地下にあった≪鬼道門≫と呼ばれる、徳川の霊力によって封じられていた現世と常世を結んでいる≪門≫を開こうとしていた…」
 
 新たに仲間に仲間になった如月の協力もあって、最悪の事態は辛くも防ぐことが出来た。だが、もし開かれていたら──
 龍麻は考えるだけでも、ぞくっと寒気が足元から走る。


「今まで、ああいった≪門≫って奴が開いたことなんてあんのかよ」

 龍麻の不安を感じ取ってか、京一が代わって天野に質問する。

「世界各地に点在する≪門≫が開いたという記録は幾つか残されているわ。最近では8年前南米の小さな村が焼失した事件が、それだと言われている」

 1990年南米メキシコのアステカ文明の遺跡近くにある小さな村が一夜にして焼失したという事件が起こった。
 当時、この事件に纏わる様々な憶測が世界のマスコミ内で秘密裏に飛び交った。新種ウイルス発生の為、政府が村人の遺体ごと焼き払ったなど。

「真実は結局明らかにはされなかったけれど、もしかして焼失した村の地下に眠る何かが目覚め、その何かを再び封印する為だとしたら…。一つだけいえるのは、≪門≫はこの世界に確かに存在し、そこから何かが出てくるということよ」
「だとすると今回の事件も、もしかしたらこの東京にまだ存在する別の≪門≫の封印を解く為に、意図的に行われているのかもしれないですね。人の頭部を…儀式か何かに利用して…」

 龍麻は自分の想像した光景に、吐き気を覚える位気分が悪くなった。

 だが、前回の事件では、さらわれた人々は『深き者』というクトゥルフ神話に出てくるような異形のモノに変化させられ、その思念を利用することで門を開こうとしていた。鬼道衆の関与の可能性が濃い状況からも、今回の犠牲者だって何らかの形で≪門≫の封印解除に利用されていることは疑いようもない。


 醍醐が、顔色が青くなった龍麻に気がつく。

「大丈夫か、龍麻?」
「うん…。あんまり、大丈夫じゃないけれど…」

 だが血の気の引いた顔を上げ、天野を真摯な眼差しで見る。

「天野さん、今回の手口は前回に比べて残虐・残忍さが際立っています。もしかしたら、今回は私達のような≪力≫の持ち主ではなくて、直接鬼道衆が手を下している可能性も考えられます。だから…」
「だから?」

 天野はわざと龍麻に聞き返す。

「確かに、私にはあなた達のように闘う≪力≫は無いわ。でも協力することは出来ると思うの。それに足手纏いになるようだったら、すぐにそこから引き返すから。第一、今は私よりあなたの具合の方が心配だわ」

 龍麻は、軽い貧血だから大丈夫、すぐ良くなると、心配する天野に弱々しく笑う。

「醍醐君、しばらく龍麻さんを背負ってあげてね」

 天野の指示に、京一は俺も居るのにと口を尖らせる。

「…蓬莱寺君は、龍麻さんに直射日光がこないように、ハンカチか何かでかざしてあげて」

 有無を言わさぬ天野の言葉に、京一も大人しく従うことにした。
 醍醐の広い背中にもたれるように背負われて、ようやく龍麻は人心地ついたのか軽く目を閉じて、表情を穏やかにする。

 その顔に陽射しが眩しくかからないように、京一は天野から借りたハンカチをかざしながら、少し醍醐の後ろをくっ付いて歩く。常よりも更に色白の肌にうっすらと珠の汗が浮かび、閉じられた長い睫が蒼褪めた頬に濃く影を落としている龍麻のその姿は、あまりにも可憐だった。

<ったく…俺ってば、こんな時に一体何考えてんだ〜>

 自分の邪な気持ちを吹き飛ばすように、京一は龍麻の方にパタパタと手で風を送る。それが心地良いのか、龍麻は小さく『ありがとう』と礼を言う。



「あら、あれは…」

 天野の言葉に、醍醐と京一も前方を見る。

「美里と桜井だ。…にしても、様子がおかしいな」

 二人は一心不乱にこちらに向って走ってくる。

「はあはあ、あッ、醍醐クンたちだッ」

 良かったーッと、小蒔は笑顔を見せる。その後ろから同じ様に荒い息をして走ってくる葵も、ほっとした顔をつくる。

「どうしたンだよ、小蒔──」

 京一が不審に思って訊ねるや否や、二人の後ろから1人の人影が、こちらに向って全力疾走でやって来る。

「HAHAHAHAHA〜待って下サーイ。Myスウィートハニー」

「ヤバッ、もう追い付かれちゃったよ。早く葵、京一の後ろに廻って」
「え、ええ…」

 葵が姿を隠したので、京一は危うく追いかけてきた男と正面衝突する所だった。

「何でソンナトコ、隠れーるデスカ?」

 銅色(あかがねいろ)の髪を持ち、京一よりも6〜7センチ程背の高い外人の男は、その体格に見合った大きな声で、それでも日本語を使って訊ねてくる。

「Oh、ユー達は誰デースか?どーしてボクとハニーの邪魔するデースか?」

 その軽い口調と自分をソンナトコ呼ばわりされたことに、京一が怒りを爆発させる。

「お前の方こそ何者だッ!」

「ボクの名前はアラン蔵人いいマース。聖アナスタシア学園の3年生デース。ユー達は、My Sweetheartと一体どういう関係デスか」

 京一は背後にいる葵に、いったい何なんだよと小声で訊ねる。
 葵は、道に迷っていたので教えてあげようと声を掛けたらいきなりこの調子なのだと困惑した顔で言う。

「…こんな時、龍麻が元気だったら、得意の英会話で追っ払ってもらえるのだが…」

 しかし自分の背中に寄り掛かっている龍麻は、まだ容態が回復していない。

 仕方ないと、醍醐は覚悟を決めてたどたどしい英語を交えて答える。

「俺達は、彼女達の、そのFriend、友達だ。それよりも、二人とも迷惑しているから、これ以上後をつけるのは、ええとStop、つまり止めてくれないか」

 醍醐を説得役に廻したのは失敗だったかと、京一ら三人が内心溜息をつくような見事な英語力だった。
 
「Why?ボクはただ、やっと出会えた理想のヒト、ハニーと話をしたかっただけデス。それなのに、逃げる。見失いたくなかった、だから追いかけた。それだけデース」

「あんな態度、見知らぬ人からされたら、誰だって逃げ出すよ」

 ましてや男性に免疫のない葵にはね、と呆れた様子の小蒔が言う。

「アオイ?それがハニーの名前デスか?お願いデース、どうかFull name教えて下サイ」
「えッ」

 たじろぐ葵は、迂闊にも名前を滑らせた失態を謝る小蒔と、アランの方を交互に見る。

「Please!」

 その勢いに、つい気の毒に感じ、葵は自分の名前と学校名まで教えてしまった。

「Cool、アオイ!ついでに、他のヒトも名前教えて下サーイ」
「俺達はついでか…。どうも日本語の勉強が足らんようだな」
「足りないのは日本語だけじゃなくて、頭の中身もだぜ。いいか、ボケ外人、一度しか言わねェから、よーく耳の穴かっぽじって聞け。俺の名前は、蓬莱寺京一だ」
「アホーダ キョーチ?」
「違う!ほうらいじ きょういちだ!!」

 分かりやすく、一音ずつ区切って発音する京一だったが、アランは相変わらずキョーチと呼んでくる。

「お前、わざとだろ…」

 一触即発の京一を押しのけるように、醍醐が自分の名前を名乗ろうとした。しかし、アランは醍醐の立派な体格を見て、スモウレスラーとはしゃぐ。

「ジャパニーズ芸術はfantasticネ。カブキ、ノウ、スモウ、シャミセン、ナガウタ…」
「外人のくせに、長唄まで知っているのか」

 驚く醍醐に、アランはNoという。

「ボク、ガイジン違う。正確にはメキシコ人のパパと日本人のママの間のハーフ」

 愛嬌たっぷりの瞳を、今度は京一の隣の小蒔と天野に向ける。

「ボクの名前は、桜井小蒔だよ」
「ふふ、私の名前は天野絵莉よ」

 二人の名前に、それぞれCute、Wonderfulとコメントして、名前を連呼する。

「こいつ、女の名前だけはちゃんと覚えるんだな」

 醍醐は妙な所に感心し、京一とそっくりだなとこっそり笑う。

「最後に、龍麻がいるんだが、そのちょっと今は…」

 その言葉に、小蒔と葵はようやく龍麻が具合を悪くしていることに気が付いた。

「タツマ…?ダイジョーブ?」

 アランの心配そうな声に、龍麻は顔を下に向けたまま応じる。

「Thank you for your concern. I'm all right. My name is Tatsuma Hiyu. I'm feel unwell, as things stand now, pardon me for my rudeness.(大丈夫、心配しないで。私の名前は緋勇龍麻。今はこの状態で失礼させてもらうけれど、勘弁してね…)」

 流暢な英語を聞いて、アランは龍麻に、初めて会った気がしないと言う。

「これで、ミンナFriendです。Good Friend、仲良しネッ!」
「調子のいい奴…」

 そう言いながらも、京一は龍麻の具合が悪かったことを不幸中の幸いと思っていた。

<このボケ外人のことだから、龍麻を見たら何しでかすか…>

 そのアランは、挨拶が終ったと再び葵に情熱的に迫っていた。

「何で葵にしつこく迫るんだよッ!」

 応戦する小蒔に、アランは葵を世界で一番愛していると告白する。

「ボクといれば、葵はHappy。だから、ボクに葵を下サーイ」
「やれやれ、埒が明かんな」
「おい、小蒔。俺たちはこれから用事が有るから、このアホと付き合ってる暇はねェと言っとけ」

 京一の機転に合わせて、小蒔と葵もそういうことだからと、アランから逃れる。

「じゃあ、俺たちは江戸川まで出掛けるンで、まッ二度と会う機会はねェと思うけれど、取り敢えず元気でな」

 調子よく手をひらひらと振って別れを告げる京一に、アランは歓喜の表情を浮べる。

「Cool!江戸川にはボクのホームありマース」
「………偶然って、怖いね」

 小蒔が思わず本音を漏らす。

 天野は一人はしゃいでいるアランを一喝する。

「私たちは遊びに行くんじゃないの!あなたも江戸川区に住んでいるんだったら、今あそこで起こっている事件の事を知っているでしょ」

 アランは天野の言葉に、表情を一変させて真面目な顔付きなる。

「知ってマース。ヒトたくさん死んでる…。あれは悪魔のしわざ。行けばミンナの命も危ないデース。絶対行ってはダメデース」
「ッたく、何だよ急に。いいか、それでも俺たちは行かなきゃなんねェんだ」

 真摯な物言いに京一も鼻白んだ様子になる。
 だがアランは、

「…分かりマシた。それなら、ボクも一緒に行きマス。江戸川のコトなら、ボクの方が詳しいデース」

 京一らの思惑を無視して、あくまでも同行することを強く主張する。

「冗談じゃねェッ!誰がお前と…」
「あの子、この事件に関して何か知ってるみたい。連れて行ってもいいんじゃないかしら」

 強硬に反対する京一の耳もとで、天野がそっと囁く
 醍醐も、アランを軽い見た目に反して何となく信用できそうだと天野の意見に同意する。

「えーッ、ボクはやだなー。ね、葵もそうでしょ?」

 しかし葵は、自分の意見は保留すると言う。

「これで2対2か…、相変わらずで悪いが、ここはやはり龍麻の意見を聞くことにしよう」

 中立の立場の葵が、龍麻の口元に自分の耳を近づける。

「…風が…、心地よい風を…感じるわ」

 流れ込んで来た龍麻の意味不明な呟きに、理解出来ない葵はもし賛成なら首を縦に振ってと頼む。

 龍麻の黒髪が縦に揺れたので、アランを同行することが決定した。




 ≪四≫

 事件が最も多く発生している篠崎町周辺を捜索する為、六人にアランを足した計七人は都営新宿線に乗って『篠崎駅』を目指す。
 車中アランは女性四人にちょっかいを出さないように、隣の車両で京一と醍醐に挟まれての移動だった。その間龍麻は葵の治癒術を施してもらった為、目的の駅に到着する頃には自力で歩ける位に回復していた。

「江戸川はいいトコロデース」

 アランは地元のことを得々と、すぐ後ろを歩く醍醐と天野に説明する。その醍醐の後ろに隠れるように、葵と小蒔が続く。最後列には、やや歩調がゆっくりの龍麻と、それに合わせるように京一が歩いている。

「特にゼンヨージのヨーゴーの松は見事デース。アオイに一度見せたいデス。デモ、今は枯れかかっていマス」
「善養寺の影向の松を知っているなんて、凄いのね。それにしても、影向の松が枯れかかっていたなんて、知らなかったわ」

 天野の驚きの言葉に、アランもとても残念なコトですと返す。

「アラン君ッて、日本語上手だけど、何年位日本にいるの?」
「日本に来たのは3年前デース。両親はもっと前に死別シタので、今は伯父サン伯母サンと同居してマス」
「そっか…、ひーちゃんと同じなんだ。ゴメンね、ヘンなこと聞いて」
「ヒーチャン?Who?それより暗い顔、コマキ似合わない。伯父サン伯母サンとてもいいヒト。だからボク今とても幸せネ。だから…二人を傷付けるヒトは絶対に許さナイ」
「優しいのね、アラン君」

 柔らかく応える葵の言葉を遮るように、アランが呟きを漏らす。

「…風が…」
「えッ、風?アラン君まで龍麻と同じことを…」

「風が…止ンダ…」

 そう言われてみると、確かに先程まで吹いていた風がぴたりと止まり、まるで真空状態になったかのように、異様に張り詰めた空気が辺りを覆っていた。

「嫌、止めて…」

 葵の様子も蒼褪めて、何かに怯える表情に変化していた。それは龍麻も同様だった。心臓が妙に早く鼓動し始め、冷たい汗が額から流れる。

「大丈夫か、ひーちゃん」

 龍麻がふらついてそのまま京一の腕に縋りそうになった時、全員の耳に何かが激しく衝突する音が飛び込んできた。

「事故か?近いぞ!」

 醍醐が鋭く叫ぶ。しかし、それよりも早くに行動していたのはアランだった。

「Shit!」

 制止する仲間達の声を他所に、アランは江戸川大橋の方に走り出していた。

「ちッ、こっちには具合の悪い奴もいるってのに…」
「私は大丈夫だから、それよりもアラン君を止めて!」

 真剣な表情で龍麻が京一に頼む。京一は分かったと言って、醍醐と共にすぐにアランの後を追いかける。


 程無く彼らの目に飛び込んできたのは、橋の欄干にぶつかり煙を上げる自動車だった。

「この辺りは、交通事故が多くて有名な所よ。専門家の間では強力な磁場が発生しているとか言われてるの。つまり霊が集まりやすい所という訳ね」

 やや遅れて到着した天野が、ざっと説明する。

「おい、アランの奴は…」

 素早く周囲を見渡すと、ちらりと車から黒い人影のようなものが踊り出た。そして、事故車の近くに倒れているアランの姿も発見できた。

「俺達はあの影を追う。天野さん達はアランの保護をお願いします」

 醍醐と京一は護岸を滑り落ちるように下り、河川敷に向う。
 すかさずアランを助けに行こうとする葵と小蒔を、龍麻は静かにだが制止する。

「二人は来ない方がいい。天野さん、すみませんけれど…」
「了解したわ」

 事情を詳しく知らない葵と小蒔に、惨たらしい事故現場を見せたくない一心で、龍麻は天野だけを伴ってアランの元に向う。

「目立った外傷も無いし、どうやら気絶しているだけのようね」

 天野の見立てに、龍麻もこの位だったら自分の≪力≫で何とかできるだろうと確信する。拳に≪氣≫を込めて、それでアランに活を入れる。


「……ン?」

 意識を取り戻したアランは軽く目を開けると、そこには見慣れない人影が映し出された。

「…もう、大丈夫よ」

 ひんやりとした白い手が、アランの額に当てられていた。

「…goddess…?」

 思わずその手を掴んで、素早く身を起こす。

「ちょ、ちょっといきなり起きないでッ」

 驚く龍麻がその手をパッと抜き取る。アランは夢現(ゆめうつつ)の表情のまま、ぼおっとしている。

「アラン君、どこか打ち所が悪かったのかしら」

 心配する天野の言葉で、ようやくアランは我を取り戻す。

「スミマセン…。ボクはもう大丈夫ネ。ただ、龍麻の顔に見とれてただけデス…」
「アラン君、今はふざけている場合じゃないの。京一と醍醐君が車内から飛び出た人影を追っているんだから、私達も早く合流しないと。と、その前に…。あなた何が起こったか見たわね。それを話してもらえるかしら」

 龍麻はアランを軽く睨みつける。アランはその視線に負けたというように、首を振ってから項垂(うなだ)れるように話す。

「変な仮面を被った男が車に乗っていたレディの…首を…」

 龍麻と天野はすばやく視線を交わし、頷きあう。

「これで事件の犯人は特定できたわ。後は…」
「京一と醍醐君に合流しましょう」



 女性陣とアランが河川敷に降りると、少し離れた所で京一と醍醐が立っている姿を発見することが出来た。

「よお、残念ながらアイツは大丈夫だったようだな」

 口では憎まれ口を叩きながらも、京一の表情はほっとしたものだった。

「犯人はやっぱり鬼道衆だったわ…。それでいったい何処に消えたの?」

 醍醐がここだ、と灌木に覆われ一見しただけでは外からはそれとは分からないような穴を指し示す。

「ということは増上寺と同じケースだわ。奥に≪鬼道門≫が有るのも疑いようがないわね」

 じっと入り口を見ながら考えを巡らせた龍麻は、自分なりの推論を述べると、

「恐らく出入り口はここだけのようだし、これから敵の本拠地に乗り込むわけだから、こちらもそれなりの準備をしましょう」

 てきぱきと指示を出し、自分の携帯で何人かに連絡を入れ始めている。
 天野は、それぞれが優れた資質を持った仲間たちをまとめ上げる実質上のリーダーとして、しなやかな強さを発揮し始めた龍麻のそんな様子に刮目(かつもく)し、数ヶ月前に渋谷で出会った時に感じた驚きとはまた異なった思いを新たにした。

「今回は誰を呼ぶんだ」

 やって来るメンバーが気になるのか、京一は龍麻に訊ねる。

「事件は若い女性ばかりが被害者として狙われているものだし、何と言ってもその手口が手口だから今回は男子だけにしたわ。皆一時間以内に駆けつけるって」

 雨紋と紫暮と如月か〜、暑苦しいメンバーだぜと、京一は視線を川の方に向ける。

「と、アランはどうするんだ?」
「…すっかり忘れてた」

 龍麻は弾かれたように早足で、すっかり元気を取り戻して葵と小蒔ににこやかに話し掛けているアランの所に行った。

「Oh タツマ〜」
「Well…(えっとね…)」

 無邪気な笑みをふりまくアランに面食らいながらも、龍麻は、この先は危険だし、我々だけでも大丈夫だからもう帰るよう説得する。
 だが、アランは断固拒否する。

「Lady達も危険なトコ行くというのに、ボクだけが引き返すなんてマネ、絶対ダメ。いくらタツマの頼みでも、これだけは譲れまセーン」

 でも、と説得する龍麻の耳に、アランが英語で呟いた言葉が辛うじて聞こえてきた

「I couldn't do anything about it at that time, but…(あの時は仕方が無かった、でも…)」
「アラン君…」

 心配げに覗き込む龍麻を見て、アランは問題ないと、元の明るい表情に戻す。

「タツマの優しい気持ち、ボクとても分かりマス。ボクに気をつかってくれてアリガトウ。…ボク、日本語の『ありがとう』という言葉、大好きネ。日本語、とても美しいコトバ多い。だから、これからはタツマもボクに、日本語で話してくだサイ」
「返って気を遣わせてしまったのは私の方だったようね…。分かったわ、アラン君。それなら、出来る限りさっきのような無茶はしないと約束してくれる?」

 それだったら一緒に来ても構わないと龍麻が言うと、アランは約束すると力強く宣言した。

「本当に、本当ね?」

 龍麻は右手の小指を突き出すようにして、アランに手を伸ばす。

「??」
「ふふ、これはね、日本では『指きり拳万』っていってね、約束する時に互いの小指と小指を絡み合わせて、約束を破りませんって宣誓する時の風習なの」

 主に子供がするんだけれど、と前置きをしてから、アランの右のごつい小指と、自分の小さな小指とを絡めて、周囲には聞こえないように『指きりげんまん〜』とお呪いのように小声で歌う。

「…これでよし、と」

 龍麻は子供っぽい笑みをこぼす。

「何だか、心があったかくなりマシた。これで、ボクとタツマはムリノシンジューねッ」
「それをいうなら、無二の親友だろッ」

 横から突っ込みを入れてきたのは、いち早く到着した雨紋だった。

「でも、オレ様はお前のことが気に入ったぜ。やっぱりレディを護るのが、男の生き様って奴だもんな。オレ様の名は、雨紋雷人!よろしく頼むぜッ」
「OK、ライト。こっちこそよろしくデ〜ス」

 そう言うと、二人は初対面とは思えない親密さで、賑やかに話をし始める。


「…本当に彼を連れて行くのかい、龍麻」
「翡翠…、早かったわね」

 相変わらず、他人に≪氣≫を読ませずに現れたのは如月翡翠だった。

「翡翠が、部外者を巻き込むのを嫌うのは分かっているんだけれど、どうも、アラン君の口ぶりからいっても部外者と決め付けるのは早過ぎるような気がしたの。…それに、これは私の錯覚かも知れないけれど、彼からは清清しい≪風≫の≪力≫を感じるの」

 龍麻が言った言葉は、取りも直さず仲間たちの中で如月が一番理解できる内容だった。

「ふッ、君がそこまで言うことに、僕が反対すると思うのかい」

 それより、紫暮も到着したようだし、そろそろ出発しようと如月が提案する。


 川を吹き抜ける風は、まだじっとりとした湿気とぎらぎらとした熱気を含んでいた。

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