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変生〜前編 第拾話其ノ壱

 ≪壱≫

 長かったようで短かった夏休みも終わり、今日から二学期がスタートした。

「……はあ〜…」

 京一は自分の長い手足を持て余すように椅子を直ぐ後ろの席に何度もスイングさせながら、さっきからぼやき続けている。

「新学期早々、何を落ち込んでいるの」

 その後ろの座席の龍麻は何故京一が朝からぼやいているのかが理解できず、京一が椅子ごと倒れないよう、自分の机で支えてあげながら訊ねる。

「夏休みの宿題だったら、何とか間に合ったでしょう」

 半分以上龍麻に手伝ってもらったという理由付きではあったが。

「だってよ〜、今日は9月1日だぜ」
「そんなことくらい、カレンダー見れば誰だって分かるわ。だから二学期が始まったんでしょ?」
「…そっか、ひーちゃんは知らねェんだよな。今日が何の日なのか」

<たく、新学期早々、この後避難訓練なんてダルい行事が待ってるんだぜ…>

 半分哀れむような目で京一は龍麻の机の上に自分の頭を乗せて上を見上げる。行儀が悪いと龍麻はおでこをぺしっと叩いてから、そんなことは自分も知っていると答える。

「知っているわよ。何でも今日はイベントがあるって聞いたわよ。」
「イベント…?」
「うん、高いところから滑り台みたいなので滑り降りるとか、火をかこんで何かやったりとか、そうだおかしがどうだとか言ってたから、最後にご褒美でお菓子が貰えるのね」

 そう答えた瞬間、京一の茶色い髪が10センチくらい龍麻の視界からずり落ちた。

「ひーちゃん、その話誰から聞いた」
「お隣に住んでいる片山さんのお宅の太一君」
「……何歳なんだ?」
「ひまわり幼稚園の年長さんよ」

 まるで東京の学校の9月1日は、アメリカのハロウィンみたいな子供の行事が行われる日だとすっかり勘違いしている龍麻だった。


「ひーちゃん、お前、歴史上では9月1日に何が起こったか位知ってるだろ…」
「大正12年に、関東大震災が起こったわね…それが何か?」

 即答で正解が返ってくる。
 どうしてひーちゃんは勉学は得意なのにこういう日常的常識の範囲の知識に著しく欠ける時があるんだろうと、朝から疲労感を強くする京一だった。

 ちなみに太一君の言っていた『おかし』とは、お=押すな、か=駆けるな、し=しゃべるなという、避難訓練の時の合言葉である。


「俺もう帰ろうかな…」
「えッ、新学期早々無断欠席する気なの!」
「はははッ、まあ京一の無断欠席は今に始まったことでは無いがな」
「あ、醍醐君。今日も部室でトレーニングしてから来たのね」

 おはようと挨拶を交わしてから、久し振りに会った醍醐と会話をする。

「相変わらず熱心ね。でももう3年生は引退でしょ?」
「ああ、だが練習には通うつもりさ。それに後輩の指導もしたいし…」

 そう言いながら、醍醐の視線が斜め前の空席になっている辺りを辿っているのを、龍麻は気が付いた。

「…2学期も始まったのに、やっぱり来ないね」
「登校日の時も姿を見せなかったし、もしや部室には顔を見せているかとも考えたんだが」

 話題が最近めっきり姿を見せなくなった佐久間の件に移ったため、京一は分かり易い位ありありと興味が無いという顔をつくって黙ってしまう。

「遠野の話だと、自宅にもほとんど戻っていないそうだ…」
「何か変な事件に巻き込まれてないと良いんだけれど」

 そこまで話をした所で、担任のマリアが教室に入って来た為、醍醐は自分の席に戻っていった。



「あー、やっと終ったぜ」

 今日は午前中で授業が終了したというのに、やけに大袈裟に喜ぶ京一を、小蒔がまだ頭の中が夏休み状態じゃないのとからかう。

「そんなことより、小蒔、時間は大丈夫なの」

 龍麻が時計をちらっと見る。

「あ、やばッ、もう他の部員が待ってる〜。あ、葵、あおいーー」

 片手を大きく振って、職員室から戻ってきた葵に声を掛ける。葵も時間は大丈夫なのかと龍麻と同じことを訊ねている。そんな葵に、小蒔は何かメモのような物を渡した。

「さっきからひーちゃんも美里も時間時間って、いったい何が有るんだ?」
「小蒔、この二人には何も話してなかったの?」

 きょとんとしている京一と醍醐の表情を見て、小蒔は話すのを忘れてたと言う。

「えへへ、今日はウチの部と親交のあるゆきみヶ原高校で練習試合が有るんだ」
「ゆきみヶ原?」

 その言葉を聞いて、京一は声を裏返して驚く。

「ゆきみヶ原っていえば荒川区にあるお嬢様学校じゃねェか!…確か都内でもおねーちゃんレベルが高いって評判の」

 京一の驚きに比べて、小蒔の反応はふうんとテンションが低かった。

「じゃあ、小蒔頑張ってね」

 龍麻は小蒔に紙袋を渡す。

「前に約束したでしょ、最後の試合を必ず応援に行くって。それで昨日の内にこれを作っておいたの。試合前にお腹が空いたら食べてね」
「わァ、手作りのクッキーだ。ありがと、ひーちゃん」

 小蒔は貰ったクッキー入りの紙袋を鞄の中に入れようとした。その時、鞄に見慣れない御守りが付いているのを京一が目敏く見つける。

「お前、そんな御守り持ってたっけ?」
「あッ、これは…醍醐クンに借りたんだ」

 やや照れた表情で説明する小蒔と、それ以上に顔を硬直させている醍醐を交互に見遣ってから、京一はにやついた笑いを浮べる。見れば龍麻と葵もニコニコと笑っている。

「ば、馬鹿。そんなんじゃないってば。これは、ボクにとって今日の試合が三年間の締め括りだから、何より雛乃との三年越しの勝負にケリを付ける大事な試合だから、それでだよッ」
「照れなくたっていいじゃねェか。それより雛乃…ッて?」
「雛乃はゆきみヶ原の弓道部の部長で、ボクのライバルなんだ。何でも実家が由緒ある神社だって」
「へえーー、雛乃ちゃんか〜。名前通り、さぞかし和風美人って感じなんだろうなッ」
「それは想像に任せるよ。それより、ボクもう行くから」

 小蒔が後でねと言う龍麻と葵の声に押されるように、教室を出て行った。


「それにしても、醍醐…」

 にやついた笑顔を消していない京一が、醍醐に話し掛ける。

「お前、仮にも女にプレゼントするのに御守りはねェだろ?」

 もうちょっと気の利いた物を贈れなかったのかと揶揄する。

「お、おい、何を誤解してるのか知らんが…。この御守りはだな、そのッ、由緒ある物で、これを持っている時、俺は試合に負けたことが一度も無かったんで、それで…」
「ふふふッ、小蒔喜んでたわよ。醍醐君に借りたんだって、わざわざ私と龍麻の所まで見せに来たもの」

 葵のフォローの言葉も、お堅い醍醐にはむしろ逆効果だったようで、先に行くと顔を赤くして大股で教室を出て行ってしまった。

「醍醐君、試合会場知っているのかしら…」
「んな訳ねェだろ、ッたく世話の焼ける…。おいッ、醍醐待てよーーー」

 龍麻の指摘に、京一が慌てて醍醐を追いかけて教室を出て行く。廊下で呼び止めている声が、少し遠くから聞こえてきた。
 葵はその様子を聞いてから龍麻の方を見て、くすっと笑う。

「何だかんだいっても、京一君って小蒔と醍醐君のこと心配しているのよね。…龍麻はどう思う?私は醍醐君と小蒔ってお似合いだと思うんだけれど」
「そうね、醍醐君って見た目以上に繊細な所が有るから、小蒔みたいに明るい性格の女の子の方がピッタリくるんじゃ無いかしら。逆に、小蒔も案外と古風な所が有るから、醍醐君みたいに真面目な男の子の方が、って私が偉そうに言うことじゃ無いけれど」
「小蒔って他人のことには敏感なのに、自分のことになると案外と鈍いところが有るから…、それは、でも、龍麻も同じかしら?」
「え、私?」

 葵はくすくすと笑っている。

「龍麻の場合は、相手が積極的過ぎるくらい積極的だけれど」
「もう、葵ったら」

 軽く睨む龍麻に、葵は表情を少し引き締める。

「いずれにしても、あの二人上手くいくといいんだけれど」
「それもそうね…。いずれ時が来れば…自ずと答えも出るのでしょうね」




 ≪弐≫

 四人は途中で『王華』で昼食を取ってから荒川区内にあるゆきみヶ原高校に向った。JR山手線『日暮里駅』の近くに立地する同校は、小学校から短大までの一貫教育と良妻賢母を校訓に、歴史ある校風で知られている名門女子高であった。

「へへッ、晴れて女子高に入れるとは、小蒔に感謝しねーとな。ところで、美里。弓道場の場所は、その地図に書いてあるのか?」

 京一の問い掛けに、葵は小蒔から貰った地図を取り出し、再度よく眺める。

「…何だ書いてねェのか。小蒔の奴もそそっかしいな」

 横から覗き込んで地図を見ると、京一は呆れた声を上げる。

「どうする、中に入って探すか?」
「それは幾らなんでもマズイでしょう、醍醐君。一般的に女子校に限らず、私立の学校って無闇に外部の人間が入るのを嫌うのよ。私が前に通ってた学校もそうだったわ」
「龍麻って、前は私立に通っていたの?初耳だわ」

 そうだったっけと、龍麻は自分が前に通っていた学校のことを少しだけ話す。

「前に通っていたのは、奈良市内にある私立明日香学園というミッション系の学校だったのよ」
「へえ〜、ミッション系かぁ」
「…良からぬ想像を働かす暇が有ったら、早く弓道場に行く手段でも考えろ」

 醍醐が京一を軽く叱る。龍麻は、この学校の生徒に事情を話して案内してもらったらどうだろうかと提案する。

「そうだな、それが一番妥当だろう。それじゃあ、すまないが───」

 醍醐が龍麻と葵に、適当にその辺りを歩いている生徒に声を掛けてもらおうとした時、背後から四人を咎める声がした。


「おい、お前ら。人の学校の前で何騒いでんだ」

 見れば、手には勇ましく薙刀を包んだ布を持ち、こちらを警戒するような目付きで睨むゆきみヶ原の制服を来た女子生徒が立っている。

「怪しいやつらだな…」

 確かに名門女子高に用が有りそうな顔ぶれにはとても見えないだろうなと、龍麻は状況を見て心の中で笑ってしまう。京一は、高飛車な物言いが気に入らないのか、いきなり何言うんだと、女子生徒に食って掛かる。

「こっちが先に聞いてんだ。返答次第じゃ痛い目見るぜッ」

 過激な言葉に負けず、その女子生徒の構えは隙がほとんど無い勇ましいものだった。

「(すっげー女…、こいつに比べりゃ小蒔の方がまだ可愛いぜ)」
「(うん…そう…だな)」

 京一が醍醐にぼそぼそと話をする。その内容が相手にも聞こえたのか、女子生徒は目を丸くする。

「小蒔だって?───。あんたら、小蒔の知り合いか。あいつにこんな柄の悪い友人がいたとはな」
「私たち、今日こちらで行われる小蒔の最後の試合を見に来たんです。こちらの学校の方には迷惑をかけませんから、弓道場の場所を教えていただけるでしょうか」

 葵が過不足無く、自分たちの目的を相手に説明する。

「ふう〜ん、あんたが美里葵か?」

 葵は相手が自分の名を知っていることに驚いたが、小蒔からいつも聞いているという言葉に納得させられる。

「ふんふん。確かに小蒔が惚れるのも無理ねェな。噂通りの美人だぜ」
「…お前本当にここの学校の生徒か?」

 呆れ気味の京一の言葉に、女子生徒は怒りよりも失望の方が大きい顔をする。

「悪かったな、その、お嬢様じゃなくて」

 龍麻は、失礼な発言をした京一に軽く肘鉄をしてから謝る。

「あんたは…?──まあ、いいぜ。弓道場だったら門を入った所を左に曲がって、そこにある体育館のすぐ横だからよ」

 あばよッと女子生徒は、自分は反対側の校舎に消えていった。龍麻は彼女と目が合った時、どこかで会ったことが有ったような気がしたが、試合に間に合わないという醍醐の呼び声に、すぐにその考えを止めて弓道場の方角に身体を反転させた。


「どうにか間に合ったようだな」

 既に試合は始まっていたようだが、まだ主将クラスの射的は行われていなかった。

「きれいな弓道場ね」

 葵は感心した風に声を上げる。その時、弓道場にいた観衆の声が一段と高まる。

「あ、ほら、小蒔が出てきたわよ」

 龍麻が自分達が入ってきた入り口とは反対側の出入り口の方から、緊張した顔付きの小蒔が、恐らく相手校の主将である女子生徒と一緒に場内に入場して来るのを見つけた。

「あらッ?小蒔の隣の人、どこかで見たことが有るような顔立ちね」

 葵が龍麻にささやく。しかし、場内を包むぴりっとした空気が、これ以上会話を続ける雰囲気を許さないといった感じだったため、龍麻は黙ったまま試合の成り行きを眺める。

「構え──」

 思えば、いつもは自分達の背後で援護射撃に徹してくれていたので、こうしてまともに小蒔の射撃姿を見るのは初めてだった。

 遥か先にある的を見据える、その眼差しには邪念が無い。すっと伸びた背筋や、しずかに引き絞る指先にも無駄な動きは無い。

<…小蒔、綺麗>

 いつもよりも、ずっとずっと大人っぽく見える小蒔が新鮮だった。

「射て!!」

 半瞬置いて、場内が今までで一番湧いた。



「凄かったわね、小蒔」

 葵は興奮を押さえきれないといった面持ちで龍麻に話し掛ける。
 四人は試合が終った小蒔を、ゆきみヶ原の正門の前で待っている所だった。

「まったく、よくあんな離れた小さな的の真ん中に命中させることが出来るもんだ。これも日頃の精進の成果だろうな」

 醍醐も葵も、小蒔の勝利を我がことの様に喜んでいる。

「それにしても遅いわね」

 一刻も早く自分の感動を伝えたいのか、葵はやや痺れを切らしたような様子である。

「心配ねェって、ボク勝っちゃった〜、ラーメン奢って〜とか言って、そのうち戻ってくるだろ」
「ふう〜ん、京一、ラーメン奢ってくれるんだ…」
「ゲゲッ、小蒔ッ!」

『小蒔!』

 いつの間にやら京一の背後に現れた小蒔は、皆からの祝辞にサンキュと笑顔で礼を言う。

「小蒔、おめでとう」
「ひーちゃんも応援ありがと。試合前にひーちゃんがくれたクッキー食べたら、何だか気持ちが落ち着いて、今日は何だか上手くいきそうって予感がしたんだ。それに…」

 少し顔を赤らめてから、小蒔は話を切り替えた。

「あ、そうだ。雛乃がもうじきこっちに来るんだ。何でも──」

 小蒔が言い終える前に、ゆきみヶ原高校弓道部部長である織部雛乃が五人の所にやって来た。

「こちらの方々が、小蒔様の御学友の皆様なのですか」
「小蒔様〜?お前何時からそんなに偉くなったんだ」

 普段聞きなれない上品な言葉遣いに、京一は驚きつつ小蒔に訊ねる。

「雛乃は誰にだってこの調子なんだよ。でも、確かにボクも小蒔様って柄じゃないし」
「ふふ、小蒔様はわたくしにとって大切な方ですもの。そうは参りませんわ」

 はにかんだ笑みを浮かべる雛乃に、小蒔は右から順番に名前を紹介する。

「右から背が高いのが醍醐雄矢君。その隣が美里葵さんで、それとボクの隣にいるのが緋勇龍麻さん、いつもボクはひーちゃんって呼んでるんだけど」
「これはこれは、皆様始めまして。織部雛乃と申します。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます」

 和やかなムードの中、約1名が疎外感を訴えた。

「…あの〜桜井さん。誰か忘れていないでしょうか?」
「あ、この人は一応友人の蓬莱寺京一君。名前と顔は速攻で忘れても構わないから」
「俺は一応かッ!」

 京一と小蒔の漫才のようなやり取りを、雛乃は愉快そうに笑う。

「それにしても、雛乃さんってさっきの人と似ているわ…」

 葵の呟きに、小蒔はもしかして雪乃に会ったのかと聞き返す。

「雪乃は、雛乃の双子のお姉ちゃんなんだ。長刀部の部長で、合気道の師範代の腕前を持っているから、京一なんて簡単にノされちゃうかもね」
「そいつは大袈裟だぜ、小蒔」

 颯爽と雛乃の姉、雪乃が現れた。

「さっきの怪しげな連中だな。ま、小蒔の友達はオレの友達にもなるし、よろしくなッ」

 歯に衣着せぬ言葉遣いは、なまじ姿形が瓜二つな雛乃が横にいるだけに一層際立って感じられる。だが、乱暴に見える言葉遣いや態度が、龍麻には不思議と不快に感じられない。

「こちらこそ、先程は助かりました」
「……いいんだよ、お互い様だし」
「?」

 不思議そうに見詰め返す龍麻に、雛乃がこれから神社の方に来られませんかと誘う。

「小さいけれども、古い歴史のある神社なのです。どうぞ皆様、ご足労願えれば」
「えッ、雛乃、それ本気か?そりゃ、美里って子や緋勇って子なら構わないけれど、オレは反対だぜ、こんなむさ苦しい男共を神社に連れて行くのは」

 雛乃は京一の方をじろっと見ながら渋った態度を取る。

「姉様」

 穏やかだが揺るぎの無い口調に、姉の雛乃は不承不承家に連れて行くことを承諾する。




 ≪参≫

 ゆきみヶ原高校から、徒歩で通える範囲に、姉妹の家である織部神社は鎮座していた。道すがら、織部姉妹と龍麻ら女性陣はこれからお邪魔する織部神社のことで話題の花を咲かせている。

「織部神社の御祭神は何ですか?」

 日頃から神社仏閣巡りが好きな葵が訊ねる。

「熊野の御祭神である須佐之男命が主祭神です。元々は紀伊の国にあったそうですが、徳川家康が江戸入府の際に、この地に勧請されたのが始まりと言われております」
「そういえば新宿中央公園にも熊野神社ってあったね」

 小蒔が思い出したように名前を上げる。

「和歌山にある熊野三社を本宮とする熊野神社ってのは、全国に3000近くあるって話だぜ。まあ、それだけ当時の信仰を集めたってことだろ」
「往時は『蟻の熊野参り』とか『伊勢へ七度、熊野へ三度』とか言われた位だもの」

 龍麻は雪乃の言葉を裏付けるような発言をする。

「緋勇様は神社とかに興味お有りですの?」
「…興味というか、私も本家が神社だから、つい…職業意識って訳じゃないけれどもね」

 へえと驚く雪乃に、小蒔が龍麻の実家は奈良にある神社だと前に教えてもらったと言う。

「大和国でしたら、さぞかし古い歴史のある神社なのでしょうね」
「う〜ん。言い伝えによれば、確か祟神天皇の時代に初めて伊勢に斎宮を置いた頃に遡るらしいから、かれこれ1600年位かしら?」
「1600年って、どういう歴史なんだよッ」

 想像もつかない数字を持ち出されて、今までの会話に付いていけなかった京一までが、思わず口を出す。

「だから言ったでしょう、あくまでも言い伝えだって」
「言い伝えだからといって、全てがまやかしということでは御座いませんわ。もし宜しければ、詳しく教えて戴けませんか」
「良いけれど、大分難しい話になるわよ」
「ボクはパスするよッ。後でダイジェスト版で教えてくれればいいからッ」

 小蒔は理解不能だからと一抜けした。
 聞き手が織部姉妹と葵の三人になった所で、龍麻は知っている限りの話をする。


 祟神天皇六年、皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)をして、天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいむら:所在には諸説あり)で祭らせたと『古事記』に記載されている。

 この豊鍬入姫命の母は、紀伊國の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘、遠津年魚眼眼妙媛(トホツアユメマクハシヒメ)といって紀伊国造(世襲の地方長官)出身で、紀伊国造家は、紀伊の日前宮(ひのくまのみや:現在和歌山市内にある日前国懸神宮、紀伊國の一の宮で、旧官幣大社)の祭祀権を掌握していた。
 日前宮は日本でも最も古い歴史のある神社の一つで、これも『古事記』神代第七段第一の書に、天石窟(あまのいわやど)に隠れた天照大神を招き出す為に大神をかたどった鏡を鋳ると記した中に、

『即ち石凝姥(イシコリドメ)を以て冶工(たくみ)として、天香久山の金を採りて、日矛(ひほこ)を作らしむ。又、真名鹿(まなか)の皮を全剥(うつはぎには)ぎて、天羽鞴(あめのはぶき=ふいご)を作る。此れを用て造り奉る神は、是即ち紀伊國に所座(ましま)す日前神(ヒノクマノカミ)なり』と、日前宮は天照大神をかたどった鏡(八咫鏡)を祀る社であると説かれている。

 その紀伊国造の血脈である豊鍬入姫命が、神宮の初代斎宮となったのも当然といえば当然の成り行きであった。


「緋勇様のお話では、元来八咫鏡は紀伊国で祭られていたのが、時代が変わって大和そして伊勢に移されたという事実があるということですのね。それで、その八咫鏡と緋勇様のご実家の神社との間に何か関わりがお有りになるのでしょうか」

 雛乃の言葉を肯定しながら、しかしと話を続ける。

「実際に伊勢に神宮が移されたのは六世紀以降と言われているけれど…」

 次の垂仁天皇の時代、有名な倭姫命(ヤマトヒメノミコト)をして伊勢國に祠を立てしめたとされている。倭姫命は優れた巫女として力を発揮しただけでなく、更に次代の景行天皇の御代に、甥の日本武尊(ヤマトタケル)が東征する際に草薙剣を授けたとされる。ところが、である。

「不思議なことに、倭姫命が伊勢に遷御した時に八咫鏡や草薙剣も一緒に伊勢に遷したという記述が『古事記』にも『日本書紀』にも明文化されていないのよ」
「三種の神器としても名高い、八咫鏡や草薙剣がですの?」

 雛乃の疑問に、ここからが本題なのだと龍麻は続ける。

 草薙剣は、須佐之男命が八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際、大蛇の尾から出現したとされ、元の名を天叢雲剣という。その名前の意味は、天に幾重にもかかっている雲を意味している。

「即ち、八咫鏡(光)に対する天叢雲剣(闇)という図式が浮かび上がるように、この二つは互いに密接な関係だった訳で、元々天皇家の三種の神器は、二種の神器だったとも言われている位なの」

 それを裏付ける資料が平安時代前期に書かれた『古語拾遺』に載っている。そこには天照大神が、天孫降臨の際に八咫鏡と草薙剣を二種神宝として、永く皇孫に伝えよと命じている。更には持統天皇の即位式でも同様に鏡と剣のみが登場している。


「…中々複雑な話だけど、ようはこういうことだろ?三種の神器と言われているものは、もともとは鏡と剣の二種類だけで、しかも伊勢神宮に遷されたとされる八咫鏡は本物ではないという…」
「そう。倭姫命が日本武尊を信用して草薙剣を授け、周知の通り、彼の死後彼の妃によって尾張國熱田神宮に奉じられているのと同じように、本物の八咫鏡も何者かに預けられたということなの」
「それじゃあ、もしかして本物の八咫鏡を保管していたのって…」

 葵の言葉を引き継ぐように、龍麻は大きく頷いた。雛乃と雪乃は感嘆の息を漏らす。

「緋勇様…。織部神社も実は草薙の≪力≫を代々継承してきましたの。実際にどういう≪力≫かは、追々分かっていだだけると思いますわ」
「オレたちの神社と緋勇さんの神社はそういう意味じゃ近しい関係だってことになるのかな」
「ええ、そうね。ただ私の方は八咫鏡の≪力≫というのが、今一つ量りかねるというか…」

 『古事記』の天照大神の言葉に曰く、『これの鏡は、もはら我が御魂(みたま)として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎きまつれ』とあるように、明らかに武器である剣よりもより神に近い存在とされている。


「今はっきりしているのは、緋勇の家が八咫鏡を代々護って来たという言い伝えを持つことと、その為に代々【陽】の武術を伝承してきたという事実だけね」
「もしかして、龍麻の使っている武術がそうなの?」
「ええ、そうよ」

 話が武術に移った為、醍醐らも再び会話に参加してくる。

「そうなると、緋勇家には他にもお前みたいな使い手が何人もいるってことか!」
「うーん、それはちょっと外れてるかもしれない」

 実際、自分の養父も緋勇家の人間だが、武術とはおよそ無縁の人生を送っている。

「てコトは、難しい言葉で一子相伝ってヤツか…。ま、それだけ強い≪力≫だからむやみやたらに伝承させねェってことなんだろうな。…ちッ、何か俺のクソ師匠を思い出しちまったぜ」
「木刀男、お前も何かの流派の後継者なのか?」

 雪乃の質問に京一は答えを詰まらせる。

「京一は師匠と喧嘩別れしたまんまなんだって」
「てめェ、小蒔。人のプライベートをべらべらと他人にバラすなッ!!」

 だって本当のことだもんと言う小蒔を、半ば本気で京一が木刀を持って追いかける。

「あッ」
「ああッ!」

 何時の間にか織部神社の境内に入り込んでいた小蒔と京一は、同時に見慣れた人物を発見した。

「エリちゃん?」

 久し振りね、と天野がいかにも取材中といういでたちで挨拶してきた。皆も一緒なのと天野が訊ねてきたが、それに答える前に背後から怒鳴り声が飛んできた。

「おいッ、このブン屋!また人の神社の中を嗅ぎ回りやがって!!」

 凄まじい剣幕で、手にした長刀までも構える雪乃に、葵は何事かと驚く。

「天野さんは、私たちの知り合いで、今までにも色々助けてもらって…」

 龍麻も取り成そうとするが、雪乃は文字通りその矛先を向けたまま睨み付ける。

「こいつ、ここ何日かオレたちの神社の周辺に現れては、何か調べてるんだ。そうだ、お前は探偵だろッ!それでこの神社を潰して土地を買収しようとしているなッ!!」

 それは地上げ屋の仕事じゃ…と龍麻は思ったが、火に油を注ぐのを是としないので、ここは黙っておく。

「こんなボロっちい神社、黙ってたって勝手に潰れるだろ」

 京一は、そんな龍麻の気持ちを理解せず事態を悪化させる方向に持っていく。

「あら、京一君。ここは由緒正しい立派な神社よ。そんな言い方するもんじゃないわ。ふふふ、元気な巫女さん。安心して、もう用事の方は終わったから」
「うるせえ、そんな探偵の言う言葉信用できるか」

 私はルポライターであって、探偵じゃないんだけどと天野の口がぼやきの形をとる。

「じいちゃんも余計なことをしゃべって無いといいんだけどよ…」
「姉様」

 今まで事の成り行きに口を挿まなかった雛乃が初めて口を開く。

「『人を疑わば、信を得ることあたわず』無闇に人を疑ってはいけないと、いつもおじい様がおっしゃってるでは有りませんか。第一、この言葉は先祖代々、織部家の人間が語り継…」
「分かった。分かった。オレが悪かった」

 雛乃の説教モードが長くなりそうだと双子の勘で察知した雪乃は、ここは謝って置く方が後々面倒が少なそうだと瞬時に判断した。

「分かっていただければ結構です。…姉が大変失礼な物言いを致しました。姉に代わりまして、織部が妹、雛乃が謹んでお詫び申し上げます」

 深々と敬礼をする雛乃につられるように、雪乃もぺこっと頭を下げる。

<どっちが姉で、どっちが妹だか…。でも、この二人は対照的だけれど絶妙なバランスが取れていて、これはこれで理想的なのかも>

 陰と陽、相反する二つのものは互いを求め合い高め合う、そんな言葉を先日最後の稽古の時に鳴瀧から聞いたなと、龍麻はぼんやりと思い返していた。

「それじゃ、私はそろそろ行くわね。皆とはまたどこかで会える気がするわ」

 笑顔で去って行った天野の背中に、雪乃はまだ往生際悪く『二度と顔を見せるな』と捨て台詞を吐く。

「天野さん、今度は何を調べているのかしら…」

 葵が気遣わしそうに龍麻に囁く。その疑問に龍麻は答えられない。だが、何か自分たちにも関わることではないかと薄々感じられ、それは葵も同様のようだった。




 ≪四≫

 社務所兼住居である建物の玄関を開けると、雛乃は姉に皆様を奥の間にお通しして下さいと言い、自分は持て成しの用意をする為、廊下の反対側に消えていった。
 立派な木造の廊下を龍麻らは感嘆しながら歩く。雪乃はこの建物は江戸時代から殆ど建て替えられていないのだと説明した。

「にしても、ボロい家だよなー」

 京一一人は雪乃に悪態を付く。

「歴史が有る建物だと言えッ、この木刀馬鹿」
「地震が来たら一発で潰れちまうんじゃねェのか」
「…京一」

 龍麻は東京都指定文化財になっている織部宅を破壊したいとは思わなかったので、ここで≪力≫を使う気持ちはさらさら無かったが、これ以上愚弄するのなら後で…と目で訴える。

「何だか、最近のひーちゃんてば怖いぜ…」
「朱に交わっただけです」

 環境が悪いと澄ました顔で龍麻は言い切る。その様子を醍醐が見ていた。

<まあ、確かに最近の龍麻は以前のような思い詰めた様子が減って明るくなったが…。やはり≪力≫のことや諸々の出来事を自分の中で解決できたからだろうか。それに引き換え──>

「…羨ましいよ」

 醍醐がぽつっと発した言葉に、一同は何が?と訊ねる。

「い、いや、歴史有る建物に住んでいる人々が、という意味だ」

 慌てる醍醐は、そうだよなとすぐ前にいた葵に話を振る。

「ええ。それに、雪乃さんはこの神社をとても大切に思っているから」
「へへ、そう言ってもらえると何だか嬉しくなっちまうな。…まあ、多少ボロいのは認めるけどよ」

 奥の間に到着した一行に、雪乃はそこら辺に適当に座ってくれと促す。

「そんなこと無いわ、400年近い歴史を経てきた立派な社殿よ」
「…ただ刻(とき)が流れたからといって、その物に価値が生まれる訳では有りません」

 お茶の用意を整えた雛乃が、静かに襖を開けて入ってきた。

「おッ、巫女さん姿」

 喜ぶ京一はちゃっかりと一番上座に座りこむ。
 全員にお茶が行き届いたところで、雛乃は言葉を続ける。

「時間の流れよりも大切な物を経て、初めて価値が生まれるのです。例えば──そこに纏わる人の想い、言い伝え。そしてそのものが持つ意味など。そして、それは時として私達人間の為すべき道を指し示すのです」
「雛ッ」

 雪乃は雛乃がこれから話そうとする話の内容と、そしてそれをする意味を理解したのか、やや咎めるような口調をする。

「それって、織部神社の持つ草薙の≪力≫にも関係するのかしら」

 龍麻の≪力≫という言葉に、葵ははっと気付いた表情をする。

「もしかして、お二人は私たちの≪力≫のことを──」
「ゴメン、葵。実は…」

 小蒔が以前に電話で相談したことがあると告白した。自分たちの≪力≫のことは部外者には秘密にするという暗黙の約束を破ってまで電話したので、小蒔は内心後ろめたく思っていた。

「以前に小蒔様から皆様の≪力≫のことをお聞きしましてから、いつかこの様にお話する機会が来ると思っておりました」

 雛乃は真っ直ぐな目を龍麻に向けた。その目はどうなさいますかと訊ねていた。

「小蒔が話をしたということは、それだけお二人を信用しているのだと思う。私は小蒔の判断を信じたい…。だから雛乃さんの話を是非聞かせて欲しいけれど…」

 龍麻はここまで発言して口を閉ざした。誰かが反対するようであればと考えての上だったが、誰も反対する者は居なかった。

「これから私がお話いたしますのは、あくまでこの神社の言い伝えです。それをどう思うかは皆様次第です。ただ、この東京に起こりつつある異変を解く鍵になればと…」

 雛乃は一度息をゆっくりと吐き、気持ちを整えてからゆっくりと語り始めた。


────昔、昔のことです。
 この地方に一人のお侍様がいました。そのお侍様は心優しく、民を思い、近隣の人々から敬愛されておりました。
 ところが、ある日道に迷った女性を助けた時から、お侍様は変わってしまわれました。お侍様はその女性に恋をしてしまったのです。その女性は都の姫君でした。片思いとはいえ、そのような身分違いの恋が許される筈も御座いません。

 お侍様は呪いました…自分の身分を───そして自分の無力さを───。

 お侍様はその土地に祭られていた龍神様の力を呼び起こし、姫を奪う為に三日三晩、都に嵐を起こしました。都の軍勢がお侍様のお屋敷に攻め込みましたが、そこにお侍様の姿を見つけることは出来ませんでした。都の人々が見たのは、醜くもおぞましい異形の者達でした。
 それは大地の裂け目から現れた鬼達と、自らも鬼に変わったお侍様でした。
 
 やがて鬼達は討ち取られ、お屋敷は焼かれました。そして近隣の人々はお屋敷の有った場所に社を建てると、お侍様の霊を弔ったといいます…。


「それが、この神社のそもそもの発祥なのだと言い伝えられております」
「…初めて聞いた。そうなんだこの神社」

 ようやく小蒔が沈黙を破るまで、一同は何か長い物語を聞いたかのように、頭の中に痺れを覚え黙り込んでいた。

<よく有る縁起話のようだけれど、何処かでひっかかる物を感じるのよね…>

 龍麻がふと横を見ると、珍しく京一までもが黙って何かを考えているようだった。

「…大地の裂け目から鬼が出る、とはどういうことなんだ」

 醍醐が自分の疑問に感じた点を素直に口にする。ここ2回、鬼たちと攻防を繰り広げたのは確かに地下だったが、あれは≪鬼道門≫を巡る争いであって、大地の裂け目という言葉とは結びつかないように感じたのだった。

「確かに、あれは大地の裂け目っていうよりかは、異空間との接点ッて感じだったよな」

 京一も醍醐の言葉に同調する。


「皆様は【龍脈】という言葉を御存知ですか?」

 雛乃は疑問に疑問を返す形をとる。聞いた覚えの無い言葉に四人は首を捻る。

「…緋勇様は御存知のようですね」
「父親が研究の傍ら、風水の仕事もしているから」

 龍麻が軽くはにかんで笑う。小蒔は龍麻に訊ねる。

「【風水】って、あれのこと?ほら、最近本屋さんでよく見る「幸せを呼ぶ風水」だとかっていうタイトルの占いの本に出てくる」
「本来の風水は、古代中国で生まれた地相占術。そびえる山や流れる川の位置、その土地の持つ性質を観て、家を建てる場所や社を造る場所を決め、個人や、ひいては地を治める国自体を吉相に導く呪法の一種なの」
「何だ、そんなのただの占いじゃねェか」

 あっさりとした京一の言葉に、龍麻は返答に困ってしまう。

「ふふふ、蓬莱寺様。風水はただの占術とは異なるのです。風水とは確実に吉を得る為の手法なのです。だからこそ、過去の為政者たちは、国の中核といえる都を、風水において尤も吉相といえる地に置くべく精力を注いで来たのです」
「日本でいえば、例えば平城京、平安京がその代表的なものだ」

 雪乃の補足に、葵が歴史の授業でそれらしい話を聞いた覚えがあると言った。

「≪四神相応の地≫──」

 龍麻が少しだけ答えを言うが、残りの説明は織部姉妹に委ねることにした。

「今、緋勇様がおっしゃられたように、その土地を≪四神相応の土地≫と呼びます」
「四神っていうのは、南北東西の四つの方角にいるとされている守護神、聖獣のことさ」

 北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎。

「それぞれが、特に日本では、山、池、川、大道に当てはめられて、それらを全て備えた土地のことを指すんだ。それら四神に護られた中央には黄龍と呼ばれる黄金の龍が眠ると信じられている。そして黄龍はそのまま大地そのものに喩えられている」

 風水の世界では、大地の生命エネルギーの通路を【龍脈】と呼び慣らわしてきた。

「先程の言い伝えの龍神は、この地の地下深くに流れる龍脈なのではないか、とわたくしたちは考えています」

 人をヒトならざるモノに変える≪力≫が龍脈にはあり、そしてそれが自分達の住むこの東京の地下にも潜んでいるのだと、織部姉妹は五人にそういう事実を提示したのだった。


「もしかして、ボクたちの≪力≫も龍脈から得たものなのかなぁ。そうだとしたら凄い話だよね」

「…凄い、というより空恐ろしい気もするけれども」

<大地が意志をもって人に≪力≫を与えるなんて常識では考えられない、でも、あの時私が、そして皆が≪力≫に目覚めた時に、何者かの意志が流れ込んで来たのは確かだった…>

 龍麻の発した空恐ろしいという言葉が、その場の全員の心をぴしりと打つ。

「ボクたち、これからどうなっちゃうんだろう…」

 小蒔がいつになく深刻な表情を見せる。

「そうだとしたら、俺たちの責任は重大だな」

 醍醐も負けずに考え込む顔つきになる。

 場の空気が重たさを含んだのを感じつつ、雛乃は話を締め括ろうとする。

「この地を護ろうとする≪力≫を大地より授かったのは、醍醐様たちだけでは御座いません。それに龍脈の活性化は乱世の始まり───ですが、同時にそれを治める者も現れると言われております。いずれにせよ、この東京の歩む道は二つのみです」


 陰と陽が互いに共存を目指す陰(かげ)の未来か───
 闇を払い全てを浄化する陽(ひかり)の未来か───


「緋勇様でしたら、いずれを選ばれますか?」
「私、私なら───」

 龍麻は、織部姉妹が自分の心を試しているのではないか、ふとそんな予感がした。≪力≫を持つ者としての覚悟があるのか、そして≪力≫を持つ者として相応しい存在なのか。

 今まで幾多の邂逅を果たした≪力≫を持つ者の顔と言葉を次々と龍麻は脳裏に浮かび上がらせる。

 彼らの中には、ここにいる四人と同じ様に仲間として共に東京に忍び寄る異変に立ち向ってくれる者もいる。
 しかし半数近くは志を違え、敵として対峙した。
 唐栖、嵯峨野、凶津、水岐…。彼らは彼らなりの意志で≪力≫を使っていた。
 彼らはそろってこの世界を腐り切ったモノだと感じていた。中にはそれを浄化させるのが自分の使命だと言い切った者もいた。

 しばらく熟考した後、ようやく自分の意見を固めた。

「私は世界を浄化する必要は無いと思う。もしこの世を良くしたいと願うのならば、世界を≪力≫ある何者かの意志だけで変えるよりも、そこに生きる人たち一人一人が自分たちの手で変えていくことの方がずっと大切だし価値有ることと思うの。≪力≫有る人間が全てを決めてしまうなんて…私の、いえ私達の≪力≫は決してそんなことに使うべきではない、それが私の意見よ」

「では、緋勇様のお考えは陰と陽の共存を目指されるというものなのですね」
「より良い選択という意味では、そう考えてもらって結構よ」
「そうですね、おっしゃる通り、そうなれば皆が幸せになれるのかもしれませんね」
「でもよ緋勇さん。現在の東京の置かれている状況ではそんな甘っちょろいことは言ってられねェぜ。今までの数々の怪奇事件で、常に被害者の立場にあるのは≪力≫無い人たちなんだ」

 それによ、と雪乃が声を落とす。

「…戦乱の予兆が現れたんだ、今年の初めに」

 毎年新年の恒例として行われる歳旦祭でのこと、この神社の神宝である刀(無論草薙の剣を御分身として譲り受けた物である)が鍔(つば)鳴りを起こしたというのだった。

「うちの神社の記録でも、今から130年位前に鳴ったのが最後だとされている。あの時も江戸は動乱に陥ったと、じいちゃんが言っていた」
「もしもこの街が戦火に包まれれば、きっとたくさんの人が不幸になるわ。でも、私達の≪力≫でその未来が変えられるとすれば…私は変えてみたい」

 沈黙を続けていた葵の突然の発言に、一同は瞠目してそちらを見た。

「龍麻が≪力≫を使って大切な人を護りたいと思ったのと同じなだけよ。私にも不幸にはしたくないと願う大切な人たちがいるから」
「人を不幸にしない為の≪力≫か…」

 葵の言葉に触発されたように呟く醍醐の隣で、京一が力強く立ち上がる。

「俺もこの東京が薄汚ねェ連中に荒らされるのは気に食わねェ」

 それに龍麻も葵も決意しているのに、男の俺が覚悟を決めないのは格好がつかないと明るく笑う。

「ありがとう、京一」
「別にひーちゃんに礼なんて言われる筋じゃねェぜ、そうだろ」
「そうそう。ひーちゃんにはボクも付いてるからねッ」

 彼らの会話を傍で聞いていた雪乃がすっくと立ち上がる。

「決めたぜ、雛。オレもこいつらに付いて行く。オレは、緋勇さん、アンタを気に入ったんだ。それにそこの木刀野郎より、オレの薙刀の方がよっぽど役に立つぜッ」

 ありがとうと龍麻が雪乃に礼を言う暇も無く、雛乃がやや憮然とした面持ちで静かに立ち上がる。

「姉様はいつもお一人で決めてしまわれるのですね…」

 静かだが威圧的な雰囲気に、雪乃は何か不満でも有るのかとやや口ごもりながら言う。

「私と姉様の≪力≫は二つで一つ。二人が≪力≫を合わせれば、より大きな≪力≫になるのです」
「あ、ああ…分かってるけど」
「私に対する気遣いならご無用ですわ、姉様」

 そして雛乃は再び床に正座すると、龍麻の方に三つ指をつく。

「どうか私もお連れ下さいませ、緋勇様」
「嬉しいけれど、そんなに畏まれると緊張するからもっと普通に…もう仲間なんだから」

 雛乃は満面の笑みで龍麻と、そして自分と同じ様に笑顔を見せる雪乃を交互に見詰める。


 丁度その時、柱時計が6時の時間を告げた。

「こんなに遅くまで皆様を引き止めてしまって申し訳御座いませんでしたわ」
「ううん、雛乃と雪乃がボク達と同じ≪力≫を持っていて、それに仲間になってくれるなんて、すごく嬉しいし頼もしいよ」

「小蒔様…」

 雛乃はそう言うと、小蒔に一張の弓を差し出す。

「これって、雛乃が大切にしていた弓じゃない?」

 目を見張る小蒔に、雛乃は最後の試合の記念に受け取って欲しいと懇願する。

「本当に…三年間楽しゅうございました。これは、その思い出のよすがとして是非小蒔様に受け取っていただきたいのです」
「ボクこそ、本当にこの三年間はいい思い出だったよ。ありがとう、大切にするね」

 二人の間には、この三年間の思い出が走馬灯のように駆け巡っているのいるのだろう、同じ弓道という世界を通じて育まれた友情に、そこにいた誰もが憧憬の思いを強くした。

<醍醐君…?>

 龍麻がふと見上げると、醍醐がやや虚ろな表情で小蒔と雛乃の二人を見詰めていた。

「どうしたんだ、龍麻」

 もう友達だからと親しげに名前で呼んで来る雪乃に、龍麻は醍醐の抱えている陰鬱な思いをここで曝け出したくないと思い、咄嗟に違う話題を口にする。

「あ、いや、あの建物何かなッて?」

 指差した先には、たとえて言うのならば正倉院のような古式ゆかしい校倉造の建物があった。入り口には太い注連縄が結界を張るかのようにしっかりと張られている。

「あの宝蔵には、曽祖父が乃木様よりお預かりした宝物が収められていると聞いております」
「乃木様って、あの乃木希典(のぎまれすけ)のこと?」

 乃木希典は明治時代の陸軍大将である。台湾総督を経て、日露戦争の時には第三軍司令官として旅順攻略に当たった。明治天皇大葬の日、夫人と共に殉死し、後には軍神として神社に祭られる存在になっている(東京、下関、京都に乃木神社が存在している)

「はい。乃木様は、親交のありました当時の織部神社の神主である曽祖父にこう言い残されて日露戦争に赴かれたそうです」

 ───もうすぐ≪塔≫が完成する
     その≪塔≫が地上に姿を見せた時、わが帝の国は変わるであろう

「塔?当時そんな大きな塔の建設って計画があったかしら」

 首を捻る龍麻らに、雛乃は乃木と、同じく当時の海軍大将で日露戦争の総司令官であった東郷平八郎の二人が中心となって、何かの研究が極秘裏に進められていたと言う。

「その計画の、文字通り【鍵】となる物が、一つは千代田区九段坂に在ります靖国神社に、そしてもう一つを当神社でお預かりしたとのことです。わたくし共も、実際にこの目で拝見したことは無いのですが」
「≪塔≫に【鍵】、おまけに乃木だ東郷だの、全然訳分からねェぜ」

「京一〜、キミ一応日本史の授業は受けてるんだろ?」

 小蒔の冷たい言葉にも、

「当然、俺の日本史は俺の生まれた日から始まっている!」

 京一は恥じる様子を毛筋にも表さず、胸を張って答える。

「だめだこりゃ…、これ以上雛乃と雪乃に京一のアホ菌を移しちゃ失礼だから、ボクたちはこれで帰るね」


 織部姉妹に見送られて、五人は新宿まで戻ってきた。

「結構遅くなったな〜」

 京一はいつものようにラーメン食いに行こうぜと、皆に声を掛ける。

「ボク、パスね」

「ごめんなさい、私も今日は…」

 小蒔は、今日の試合の結果を早く家族に知らせたいから、葵は家の方でもう夕飯の用意をしているだろうからというそれぞれの理由で、ラーメン屋行きを断る。

「何だよ、付き合い悪りィなーー」

 小蒔に祝福のラーメンを本当に奢りたかったのだろう、口を尖らせて文句を言う京一を醍醐が俺と龍麻が付き合うからと慰める。

「そうだ───」

 醍醐は別れ際の小蒔と葵、そして京一と龍麻に明日会わせたい人物がいると言って来た。

「その人は西新宿の外れにすんでいて、言ってみれば俺の師匠のような人だ。本当はもっと前から皆を連れて行こうと、手紙を何度も出していたのだが、一向に返事が無くてな…。だが、今日織部神社で聞いた話も気になるし、龍山先生だったら、きっと俺たちの力になってくれる人だから」
「へえー、醍醐君のお師匠さん、龍山先生って言うのか〜」

 名前を新井龍山といい、易の世界では別名『白蛾翁』と呼ばれかなりの有名人という。じじいか、と半分興味を無くしている京一を無視する形で、女性三人は明日の訪問を快諾した。


「それじゃあ、明日またね」

 明るい声で別れの言葉を交わす。
 その時の五人は今日の出来事と、そして新たな仲間として出会いを果たした織部姉妹の言葉を、誰もがまださほど深刻には受け止めていなかった。

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