目次に戻る

変生〜前編 第拾話其ノ弐

 ≪伍≫

「………まだか、醍醐ォーー」
「……もう少しだ」

 翌日の放課後、約束通り五人は醍醐の師匠である新井龍山宅を目指して、小高い丘状の竹林の中を黙々と30分近く歩いている。

「……見渡す限り、竹・竹・タケッ!何が歩いていける距離だッ」

 京一は不平たらたらの様子で、肩に担いでいた木刀を前方の醍醐に突きつける。

「京一、怒ると余計にエネルギーを消耗するだけだよ」
「そうだ。大体女性三人が音を上げていないのに、男のお前がそんな情けないことを言っていてどうする」

 龍麻と醍醐の言葉に、京一は異を唱える。

「女性三人っつったって、あれだろ、美里は見かけによらずタフ、ひーちゃんは既に論外、それに小蒔は女じゃ…」

 京一の後頭部に、小蒔の弓の弓幹(ゆがら)がスマッシュヒットする。

「あ〜あ、折角雛乃にもらった弓をこんな使い方しちゃったッ」
「俺の頭を殴ることが、こんな使い方かッ!」

 絶対たんこぶが出来たと後頭部をさすりながら、京一はぶつぶつと文句を言う。

「うふふふ、京一君たら。見てご覧なさいよ、見事な竹林…。知らなかったわ、東京にまだこんな所が残されていたなんて」
「本当ね、葵。まさに『竹林の七賢』って言葉を髣髴とさせるわね」

 微笑みあう龍麻と葵に、

「俺には新宿にこんな所が在るとは思わなかったぜ。それにしても、醍醐。お前の師匠ってパンダでも飼ってるのか?じゃなきゃ、こんな竹林の中に家なんか建てるなっつうの」

 京一は信じられないといった顔で応える。

「…ホント、京一とひーちゃんって同じ風景見てて、見事なまでに発想が違うね」

 更に小蒔はそんな京一を信じられないという表情で見、醍醐はもう少しだからがまんしろと、京一をなだめすかす。

 その言葉通り、5分弱程で竹林の奥に庵と称すべき小さな日本家屋が見えてきた。
 周囲を小柴垣に囲まれ、今時珍しい茅葺の屋根を持つその佇まいを龍麻は一目見て気に入ったのだが、京一はまたも違う感想を抱いたようであった。

「何だ、えらいボロっちい家だな〜、本当に人が住んでいるのか?」
「まあそう言うな、中は結構きれいなんだぞ」

 醍醐は咳払いを一つすると、垣根越しに家主に訪問の意を告げる声を掛ける。

「…おかしいな、留守にされているのだろうか」
「ここまできてそりゃねェぜッ」

 殺生なと京一が醍醐の方を睨み付ける。

「まあ、先生もお忙しい方だからこういうケースも多々有るのさ」

 そう言うと、醍醐はつかつかと玄関口に向い、おもむろに引き戸を開ける。

「いいの?勝手に入って…」

 玄関が開きっ放しになっていることも驚きだが、それ以上に他人の家に断りも無く入っていいものかどうか、遠慮してついて来ない龍麻たちに、問題ないと醍醐は呼び掛ける。


「へえー、じじいの一人住まいにしちゃ、きれいに片付いてるな」

 京一が感心したように、こざっぱりとした玄関を抜け襖を開けると、今度は小蒔が歓声を上げた。

「すご〜い。見て見て、囲炉裏がある〜〜」
「まあ、皆そこら辺で適当にくつろいでいてくれ」

 勝手知ったる他人の家とやらで、醍醐は奥の方から飲み物を持って現れた。

「醍醐君はよくここに来たの?」

 龍麻の質問に、最近は忙しくて来ないが、以前はよく訪れたと言う。

「初めて先生に出会ったのは、中学3年の、丁度凶津との事件があった直後だ。…俺が一番どうしようも無く荒れていて、でもそんな俺に声を掛けてくれたのが龍山先生だった」

 凶津を裏切ったのでは無いか、その自責の念から自暴自棄に陥っていた醍醐に、龍山は共に生活をする間に様々なことを教え、彼に真の強さという物を考えさせる道を示してくれたのだった。

「あの時は一ヶ月近く、ここでお世話になったな」

 明るく笑い飛ばす醍醐だったが、その時の彼の苦悩は先だっての凶津との邂逅で、四人は図らずもその一端を知ることが出来た。3年経っても醍醐の中には根強く傷跡が残っていたのだから、当時はもっと酷かったのだろう、そう想像すると改めて龍山という人物に強い興味が湧いてきた。

「醍醐君にとって、龍山先生という存在はまさに師父と呼べる人なのね」
「…そうだな、龍麻の言う通りだな。俺にとっては実の父親以上に大きな存在と言えるかもしれない」

 腕組みをして頷く醍醐の向いで、京一も同じ様に腕組みをして自分の意見を言う。

「でもよ、お堅い醍醐の師匠だろ。さぞかしコチコチの頑固じじいなんだろうな」
「こいつの頭の固いのは、わしの所へ来る前からじゃ!」

 突然頭の上から聞こえてきた声に、全員お尻を数センチ浮かせる位驚く。


「まったく騒々しい。さっきからじじい、じじいとうるさい小僧よ」

 白髪に見事な白髯をたくわえた、身の丈は龍麻ほどの小柄な老人が、しかし年齢を感じさせない凛とした声で京一を叱りつける。

「先生、いらしてたんですか…」
「いや、今戻ってきたばかりじゃ」
「???」

 時間軸が噛み合わない会話に疑問符を飛ばしながらも、醍醐はそれなら手紙は読んでいただけましたかと訊ね、龍山は読んだと明瞭に答える。

「その割には一向に返事がもらえなかったのですが…」
「馬鹿モン。誰がむさ苦しい男なんぞに、わざわざふみをやるか」

<醍醐君と違って、随分とさばけた人柄だ…>

 四人は予想していた人柄とのあまりの違いに驚きつつ、その言動の裏にある暖かさに、さすが醍醐の師匠だと舌を巻いた。


「お主らが雄矢の手紙に書いてあった──」

 そう言うと、龍山は四人の名前を次々と正確に言い当てていく。

「あんたが美里葵さんだね。手紙に書いてあった通り、良い娘さんじゃ」

 笑顔でそう言うと、醍醐にお前のコレ(恋人)か?と小指を立ててながら囁く。違いますと顔を赤くして否定する醍醐を笑い飛ばしてから、ふと真面目な顔付きに戻す。

「美里さん、あんたのその瞳…」

 葵は龍山の言葉に、何でしょうと畏まる。

「いや、何でもない。そしてその隣が、緋勇…龍麻さんだね」
「はい」

 素直に返事を返すその顔を、龍山は束の間じっと見た。その眼差しには優しさと、そして何か別の感慨が混じっていたと、その時龍麻は感じた。


「それにしても縁とはまこと不思議なものじゃ。」

 自身も囲炉裏の傍に座り、もう一度全員の顔を眺め回してから龍山が口を開いた。

「お主ら【風水】というものを知っておるか」

 龍山の質問に、小蒔が昨日雛乃達が話してたやつだよね、と小声で龍麻に話し掛ける。

「ほう、織部の巫女姉妹にもう会ったか」

「おじいちゃん、雛乃と雪乃のコト知っているの?」

 驚く小蒔に、龍山はあの二人の名付け親はわしじゃよと返す。

「だったら、粗方理解しておろう。あの神社は熊野の神である須佐之男命と共に、大陰陽師である安倍晴明も祀っている。陰陽道の基礎となる陰陽五行・八卦は、風水においてもまた祖となる。だからあの二人も詳しかったろう」
「はい、特に【龍脈】の話が印象深かったです」

 龍麻は昨日の話の内容を反芻しながら発言する。

「うむ。龍脈とは大地そのものの《氣》が流れる通路。この龍脈の流れが森羅万象の繁栄と衰退を司っておる。その流れが緩やかで…平穏であればこそ、人の世も悠久の河の流れの如く穏やかに過ぎるのじゃ」
「先生、それで──」
「そう大声を出すでない、雄矢。お主らの聞きたいことは分かっておる、手紙に書いてあった≪鬼道衆≫という輩、それについて心当たりが無いわけでもない。」

『えッ!』

 異口同音に声を上げる一同に、龍山はこれから話す内容はお主らにとっても大切なことだから、しっかりと聞くようにと前置きした。

「では話してやろう、鬼に纏わる忌わしき話を───」


 そもそも鬼道とは何か。古くは邪馬台国の女王卑弥呼が使ったとされるその呪法は、現代では原始的なシャーマニズムとして理解されている。具体的に言えば、巫女である卑弥呼が霊的存在、即ち神と呼ばれる存在の意志を聞き、託宣や予言、果ては病気を治すといったことをやってのけた。そうしていつしか卑弥呼は支配者として、三十余国を従える絶対的な力を手に入れたのだった。

「神の声を聞き、超自然的な力を発揮したのが≪鬼道≫、じゃが人間の持つ霊力如きでは自ずと限界がある。ましてや自然現象を治めることなどまでは不可能…。しかし、それを可能にしたものが何なのか、もう分かっておるな、緋勇さん」
「…龍脈ですね」
「その通りじゃ、卑弥呼は研究の末大地のエネルギーを利用する法を編み出した。つまり龍脈を利用する方法を」

 その為に卑弥呼は龍脈の交わる場所に自分の宮殿を建て、それに付随するように楼観と呼ばれる塔を建てさせた。

「言われてみると、何年か前、奈良県の唐古遺跡でそれらしい姿の彫られた土器が発掘されていますね。あそこは確か邪馬台国の候補地の一つ…」

 その他九州の吉野ケ里遺跡、あそこも邪馬台国ではないかと騒がれているが、そこにも楼観跡が発掘の結果確認され復元もされていたはず、と龍麻は記憶を手繰り寄せる。

「卑弥呼はそうすることによって、より強大な龍脈の力を大地の霊力として得ようとした。≪鬼道≫と龍脈の力を併せ持つことで、卑弥呼の王国は未曾有の繁栄を遂げたのじゃ」
「龍脈の力と≪鬼道≫とは本来は別の存在だったのですね。でしたら…」

 葵はここまで話を聞いて、一つ疑問が有ると言う。

「織部神社で聞いた、龍脈から鬼が出現したという、あの話は何なのでしょうか」
「美里さん、本来龍脈の力とは純粋なエネルギーであって、そこには善悪などは存在しないのじゃ。乱暴な言い方をさせてもらえれば、今わしらの生活の中にある石油やガス、そういったものに置き換えれば…分かるかの?」
「はい、使い方次第で善にも悪にも変わるのだと言うことですね」
「そうじゃ、大地の流れを詠み、湧き出す大地の力を利用する、それは風水の根幹を為す極当たり前の考えじゃ。じゃが、より強大な力を得ようと≪鬼道≫によってまで無理矢理その力を吸い上げれば、必ずどこかにしわ寄せが来る。すなわち龍脈の乱れ…」

 太陽神と謳われた卑弥呼とて例外ではない。強すぎる光は、卑弥呼の陰により濃い闇を生み出した。闇は人の欲望や邪心を映し、ゆっくりと息づき始めた。

「それこそが鬼と呼ばれる輩。龍脈の乱れと≪鬼道≫の≪力≫が産んだ異形の者どもじゃ…」

 そして、霊力の衰えた卑弥呼の死と共に、倭国に再び乱世の時代が訪れた。

「倭国大乱…卑弥呼の宗女(一族の女)で後継者の壱与が266年に洛陽に遣使したのを最後に、以後約150年間、倭に関する記録は中国の歴史書に登場しない。それはまさに小国に分裂して抗争を繰り広げる暗黒の時代…」

 それを勝利したのが天照大神を祖神する大王を中心とした大和王権と呼ばれる勢力だと、龍麻は教科書にも載っている歴史の事柄を暗誦する。


「───恐ろしい話ですね」

 醍醐はその大きな体を一度ぶるっと震わせてから言う。

「人の欲望が≪鬼道≫を生み、龍脈の乱れが鬼を産む…、じゃが、話はこれで終わりではない。卑弥呼の死後歴史の彼方に失われたはずのその呪法を、江戸時代になって一人の修験道の行者が蘇らせることに成功した」

 修験道とは山に篭り自然に宿る神霊に祈りを捧げ、苦行の末に験力(げんりき)つまり特殊な≪力≫を身に付けるための修行の道である。ある意味では、風水や≪鬼道≫に近しい存在であると言える。

「その男の名は九角鬼修」

『九角!!』

  ───この様な処で、九角様…
  ───九角様に申し訳が立たぬ
 
 五人の脳裏に、増上寺の地下での水角の、そして江戸川での風角が断末魔の叫びの中で発した共通の言葉が浮かび上がる。

 九角鬼修は≪外法≫にも精通していた。外法とは仏道に背く道、その道士は鬼神や悪霊を使役する呪法を用いるとされる。九角はかねてから龍脈にも目をつけていて、その≪力≫を我が物にして江戸を支配しようとした。
 その為に使ったのが長い修行で得た験力と、≪外法≫として蘇らせた≪鬼道≫、そして…

「…幕府転覆の為組織された≪鬼道衆≫と呼ばれる、人ならざる≪力≫を持った者じゃ。今の鬼道衆の頭目も恐らくは九角の血を引く者、いたずらにその名を騙っているのではあるまい。そして今東京に異変が起こっているのも≪鬼道≫によって龍脈が乱れたせい、奴らの目的は東京の壊滅じゃ」

 一同は息を呑む思いだった。ここ数ヶ月の異変、その謎を解く手掛かりを一つ提示されたのだ。
 何故自分たちに人とは異なる≪力≫が目覚めたのか等、解けない謎もまだまだ山積だったが、しかし敵の正体を知ることが出来たのは大きな収穫といって良かった。

「謎といえば、このような物が有るのですが…」

 龍麻は制服のポケットから2つの珠を取り出す。いずれも鬼道衆を倒した時に手に入れた物であると、入手経路を付け加えた。

「ほう、この龍の模様…五色の摩尼(ごしきのまに)やもしれん」

 手にとって眺めていた龍山が、五色の摩尼について説明する。
 摩尼とは梵語(サンスクリット語)で宝珠を意味し、本来は江戸初期に江戸の霊的防備を行った天海僧正によって用いられた物だという。五色とは、黄・白・赤・黒・青のことで、それぞれが地・水・火・風・空に対応し、密教ではこの五色を以って宇宙の基本構造を表している。

「江戸末期、幕府転覆を企んだ九角が≪鬼道≫によって使役した五匹の鬼を退治した後それらに封じ込め、それぞれが江戸を取り巻く五つの不動尊に鎮守として奉納されたのじゃ」
「鬼を、鎮守に?」

 信じられないという小蒔に、鬼の霊力によって更なる鬼や邪の侵入を防ぐ方陣としたのだと龍山は言った。

「毒を以って毒を制するといういいお手本ね」
「不動巡りをしなさい、そうすれば再びこの東京を護る方陣が発動するはずじゃ」

 龍麻は再び宝珠を掌に乗せる。この中に彼らの霊力、魂が本当に封印されているのだろうか、そう考えようにもこの宝珠は余りにも美しい光を放っている気がした。

<逆に主に忠実な彼らの方が純粋だということなのかしら…純粋、言葉は美しいけれど、逆に言えば一歩間違えると恐ろしいことなのかもしれない>

 純粋…一途…真正、似たような意味の言葉を数珠つなぎのように連想させていて、ふと醍醐の性格がこの言葉に当てはまるなと思いつき、しかし龍麻はまた自分の悪い癖が出て変に考え過ぎたのかもと、それ以上思考するのを止めにした。

 後から振り返ると、この時薄々感じていた嫌な予感をもっと突き詰めて考えればよかったと後悔することになるのだが…。




 ≪六≫

 帰り際、先程の助言を実行すべく、龍麻と葵は玄関口で龍山より詳しい所在地を教えてもらう。
 五色不動の名前と場所を熱心に書き留めている葵に、龍山が静かに訊ねる。

「美里さん、あんた、自分の≪力≫は何の為の≪力≫か分かるかの?」

 思い掛けない難しい質問に、しかし葵は今の自分の考えている全てをぶつける。

「…いいえ。でも、私はこの≪力≫で大切な人達を護りたい。そして、いずれ闘うことも無くなって、早く皆がもとの生活に戻れるようになればいいと、そう思っています」

<やっぱり葵は自分の≪力≫が無くなることを願っているのだろうか>

 龍麻は葵の横顔をじっと見たが、葵の淡々とした表情からは、≪力≫に対するあからさまな嫌悪の感情を汲み取ることも出来なかった。ただ事実を事実として自分の中に静かに受け止めようと、その中で自分にやれる精一杯を果たそうとしているようだった。

<葵の強さには頭が下がるな…>

 仲間達の中で一番芯が強いのはやはり葵だと、龍麻はこの時確信した。

「それから、緋勇さん。またここに来る機会があれば、お主にも話しておきたいことがある。それまでは己が信じた道を歩むがよい」
「……はい」

 ゆっくりと応えた龍麻の声に若干の震えが混じっていたのを、葵が感じ取った。

<もしかしたら、龍麻は私達の知らないようなことも知っているのかしら…。龍脈の話にも大分詳しそうだったけれど、他にも…>

 だったら何故私達に話してくれないのだろう、と一抹の寂しさを覚えたが、

<私たちに話す必要が今は無いから、敢えて黙っているのかも知れない。時がくれば、いずれ話してくれるわよね>

 そう思い直すことに気持ちを切り替えた。


「…そのような顔をするでない、それ美里さんも心配そうにしておろう」

 龍山は柔和な笑顔をつくると、これをくれてやろうと丸い金属で出来た物体を渡す。

「これは『遁甲盤』といって、方位なぞを占う為の道具じゃ。ま、これからの道行きを照らす灯明として、御守りとして持っておきなさい」
「ありがとうございます」
「…今は一人思い悩むより、仲間達と行動するのじゃ。お主はまだまだ若いのだからな、失敗を恐れるでない」


「遅かったな」

 龍山宅の竹林の中にある大きな岩の上に腰掛けて待っていた京一が、やっと戻ってきたといわんばかりに一つ伸びをする。

「じじいにとっ捕まって、説教でもくらってたのか?」
「龍麻と美里に限ってそれは無いだろう。しかし、龍山先生は何処かしらお前のことを気にしているようだったが、心当たりは無いか」

 醍醐に訊ねられたが、龍麻には別段心当たりは無かった。小蒔も龍麻に同意する。

「だって、醍醐君以外ボクたち全員初対面じゃん。それは無いと思うな〜」
「そうだな。多分龍山先生は占い師として、龍麻に何かを感じ取ったのかもしれんな」
「…ただの色ボケじじいなんじゃないのか?」

 京一は素直に自分が受けた感想を述べ、小蒔から小突かれる。



 竹林を抜けきったところで、醍醐は明日早速不動に行こうと提案する。

「ここからだったら、豊島区にある目白不動が近いみたいだわ」

 葵が手帳を取り出して、行き先を確認する。

「それじゃあ、今日はここで解散だな。ん?桜井、お前そっちは家の方角じゃないだろう」
「へへッ、これから弓道部の打ち上げがあるから、一旦学校に戻るんだ」
「そっか、もう引退だもんなーー、って俺は打ち上げやってねェぞ!」
「あんたは年中引退してるようなモンじゃない!」

 小蒔はビシッと指摘すると、じゃあまた明日と元気よく学校の方に向って早足で歩いていく。


「小蒔はいい部長さんだったのね…、だから後輩に慕われて…」

 何気なく言った言葉だったが、小蒔を見送る醍醐の表情が羨望に近いものだったので、そこで龍麻は口をつぐんでしまった。

「…それにしても厄介だな」
「えッ!」

 龍麻は京一の言葉に、自分が今考えていたことが分かったのかとドキっとした。

「例の何とかっていう珠だよ。全部で5つあるんだろ、その内今俺たちが持っているのは2つきり」
「残り3つ…、少なくとも鬼道衆が後三人いるという訳だな」
「そういうコト。算数の弱い醍醐でもちゃんと計算できたじゃねェか、上出来上出来」
「お前に褒められてもあまり嬉しくはないがな」

 醍醐は苦笑いを浮べ、龍麻と葵も複雑な顔をする中、京一一人だけが明るく笑っていた。

「ま、笑ってられる状況じゃねェってのも分かるが、こればっかは俺たちがジタバタした所で始まらねェ。まずは不動巡りでもして、神サン仏サンにお願いでもしようぜッ」
「…そうね。うふふふ、京一君の言う通りね」
「ええ、まずは出来ることからコツコツとやりましょう」

 こういう時の京一は本当に得難い存在だと、つくづく龍麻は思った。
 思考がともすると迷宮に入り込む自分を出口へと引っ張り出してくれる牽引力をもった存在だと。


 小蒔に遅れること数分、四人も別れて家路に向った。
 ややうつむき気味に歩いていた醍醐の耳元に、ひたひたと早足で近付いて来る足音が聞こえてきた。

<まさか、鬼道衆か?>

 表情を険しくし、素早く振り向く。

「──!!」
「───ごめんなさい、驚かせちゃって」
「龍麻か…どうした、俺に何か用か?」
「うん、その、言おうかどうか迷ったんだけれど。ここしばらく醍醐君あんまり元気なかったでしょ。それで…」

 龍麻は今まで醍醐に内緒にしていたことをこの際だからと話すことにした。
 
 それは、凶津と闘った日の帰り道で自分が見た光景だった。最期に友であった醍醐に別れを告げるその姿は、今でもはっきりと思い出せる。


「───そうか、凶津が…」

 凶津があの後殺されたことは、前回の事件で下手人である風角の口から直接聞いていたので事実としては受け止めていた。

「ごめんなさい、今まで黙ってて…」
「いや、いいんだ。あの時点で話をしてくれていても、恐らく俺は冷静に受け止めることが出来なかっただろう。だが龍麻、一つ聞いていいか」
「何かしら」
「どうして、今話そうと思ったんだ」
「それは──佐久間君とのことで、醍醐君がとても悩んでいるみたいだから…」
「…京一から聞いたのか?」

 それは違うと龍麻は答えた。ここ数日の醍醐の、小蒔を見ている時にふとよぎる辛そうな表情やその他を繋ぎ合わせて推測しただけだと言う。

「はっきりとそう思ったのはさっきの自分の言葉で、だけどね」
「心配させて済まないな」
「心配だなんて…。私がこれから言うことは、凄く冷酷な言葉だと思うけれど、敢えて醍醐君に言わせてもらうわ」

 緊張した顔の龍麻を、より緊張した面持ちで醍醐がじっと見る。

「…醍醐君、もう凶津君は亡くなった。そして今生きている佐久間君は、彼とは全く別人なの──。生きている人に、死んでいる人の面影を重ねるって、双方にとって苦痛にしかならない場合もある。それを知って欲しいの」
「!!!」

 驚きで目を見張る醍醐に、

「私も以前、そう感じていたから」

 周囲の大人が自分を見る時に、その場にいない誰かの面影を探っているのではという直感を幼少の頃からひしひしと感じていた。そんな時は目の前にいる自分をまともに見てくれていない気がして、悲しかったのだと龍麻は自分の体験を語る。

「今は亡き両親のこともある程度知ることが出来たし、周囲の人達の両親に寄せる思いも、そして私に対する気持ちも感じ取ることができるから、全然平気だけれど、当時は真剣に悩んでいたの」
「…龍麻の言う通りだな、俺はもっと佐久間自身を見る必要が有る。──俺本位の目線ではなくて、奴の気持ちになって」
「私こそ偉そうなこと言える立場じゃないのに…怒ってくれていいのよ醍醐君」
「何を言うんだ。…嬉しいよ、心配してくれて」

 笑いを浮べて醍醐は、それじゃ明日と小さく手を振って別れた。


「ごくろーさん」

 醍醐の姿が見えなくなるまで見守っていた龍麻が、自分の家の方角に身体を向けると、そこには笑顔の京一が立っていた。

「京一…もしかして全部聞いてたの?」
「えっと、それは…」

 明後日の方向を見ながら誤魔化し笑いをする京一を、龍麻は真顔で怒る。

「ひどい、ひどい、ひどいーーーッ!」
「わ、怒るなよッ!俺だって醍醐のことが心配で…」

 ぴたっと龍麻は振り上げていた拳を止める。

「やっぱり、さっきの『厄介だ』って醍醐君のことも指していたのね…」
「ッたりめーだろ、俺と醍醐の仲は、それなりに歴史が有るからな」
「…生まれた時からが日本の歴史だって言った人の言葉じゃ、重みは無いわね」

 悪かったなと、やや拗ねた顔をする京一の耳元に、龍麻はそっと囁いた。

「(でもね、京一の言葉は人の気持ちを軽くさせてくれるのよ…)」




 ≪七≫

 龍麻と別れてから数分後、醍醐はまた背後から人が付いて来る気配を感じた。

「俺に何の用だ?」

 今度はあからさまに殺気を感じたので、醍醐も迷わず身構えて問い質す。
 電柱の薄ぼんやりとした灯りに姿を現したのは、しかしこれは予想していない顔ぶれだった。


「お前たちは…佐久間のッ」

 いつも佐久間に金魚のフンの如く付き従っていた男子生徒が三人立っていた。

「…佐久間はどうした?」
「ククク、相変わらず余裕を見せてくれるよな、真神の総番サマは。テメエの心配より、佐久間サンの心配をするなんてよ」
「気を付けた方がいいぜ、もう佐久間サンは、あんたの知ってる佐久間サンじゃねェ」

 男たちの不穏な≪氣≫に、醍醐は眉をひそめる。

「これを見ても、まだそんな顔をすることが出来るモンかな」

 一人の男が、醍醐に何かを投げてよこす。

「───?!これはッ」

 醍醐が掴んだものは、先日小蒔に貸した自分の御守りだった。

「桜井…」

 衝撃の余り言葉の出ない醍醐に、男たちは更に罵声を浴びせる。

「佐久間サンなら、いつもの体育館裏で待ってるって言ってたぜ」
「今の佐久間サンは新しい≪力≫を手に入れたんだ、いくらテメエが強くたって敵う相手じゃねェ」
「新しい…≪力≫…?」

 醍醐は御守りをぎゅっと握り締めた。

 それがどんなに強大な≪力≫であろうと、今逃げる訳にはいかない。そして、相手が佐久間であろうとも…。

 そう決意すると、男たちの嘲弄を背に、目的の場所へと猛然と走り出した。


 無我夢中で走りつづけ、ようやく体育館裏まで辿り着くと、醍醐はあらん限りの声を振り絞った。

「佐久間ッ!何処にいるッ!!」
「…そんなに怒鳴らなくても、オレはここにいるぜ」
「佐久間…」

 醍醐は久し振りに見る佐久間に、怒りと同時に今まで自分の気持ちを押し付けていたことへの悔恨の念がこみ上げて来た。

 だが、佐久間はそんな醍醐の気持ちを理解する余裕は無かった。佐久間の心の中には、≪力≫に対する渇望、その象徴としての醍醐を打倒するという思いが渦巻いていた。

「オレはもうお前の手下じゃない。てめェの善人面が前から気に入らなかったんだ」
「佐久間、俺は──」
「そうやって、俺をあざ笑ってたんだ。結局、お前も他の連中と同じだ」

 感情のままに佐久間は、醍醐の心の傷口を切り裂くような言葉を口にしてしまった。

「…俺を裏切りやがってッ」

  ──お前だけは裏切らないと信じてたのに…

「俺がお前の影でどんな想いをしていたかッ」

  ──俺が一体どれだけ惨めな想いをしたか…お前には一生分からねェだろうよ

「ま…が…つ」

<いけない、俺はまた凶津と佐久間を重ねている>

 龍麻の言葉を思い浮かべ、必死に自分の中に浮かんでくる幻想を打ち消そうとする。

「もう俺は学園にも部にも戻れねェ、もう俺は──」

  ──もう俺たちは…友と呼べる関係じゃねェってコトか

<俺は、俺という男は、二人の友が苦しんでいるのに、何もしてやれなかったのか…俺はこんなにも…無力だったのか>

「近寄るんじゃねェッ、そんな目で…俺を見るんじゃねェッ」

 己の無力さを嘆く醍醐の表情を、佐久間は自分に対する憐れみの表情だと錯覚した。

「オレは≪力≫を手に入れたんだ。あいつらから…」
「あいつらとは、まさかッ!」
「お前を越える≪力≫をな、見ろッ!!」

 いつの間にか風向きが変わり雲間から月が覗いたか、今まで木の陰で見えなかった空間に一人の人物が倒れているのが目に飛び込んできた。

「桜井!!」

 小蒔は意識を失っていた。その顔や剥き出しの手足には無数の打撲による痣が見られた。

「てめェ、桜井に惚れてんだってなァ。この女、以前オレのコトを叩きやがってよ」

 その恨みも晴らさせてもらうぜと、乱暴に小蒔の髪を掴んで起こす。
 小蒔はその痛みで意識を取り戻し、詰まったような苦痛の声を上げる。

「止めろッ、桜井に手を出すな!」
「近付いたら、こいつの顔に一生消えねェ傷をつけてやるぜッ」

 威嚇の意味で小蒔の頬にナイフをあてた佐久間は、抵抗の出来なくなった醍醐を愉快そうに笑い飛ばす。

「てめェの次は、蓬莱寺と緋勇をブッ殺して、そして美里を手に入れる」

 その言葉に、小蒔が自由の利かない状況の中で必死に口を動かす。

「……醍醐ク…ン。に…にげ…て」

  ───醍醐…死ぬなよ…醍醐…

 醍醐の頭に龍麻が最後に聞いたという凶津の言葉が蘇ってきた。


 そして

 ───目覚めよ

 体中の血が逆流するような鳴動を感じると同時に、またも聞き覚えのある言葉が頭の中に響いてきた。
 その言葉の衝撃に、醍醐は膝を地面につく。

 ──目覚めよ <やめろッ>
  
  ───目覚めよ <俺はこれ以上…>
  
    ────目覚めよ <≪力≫を得たところで無力な自分には変わりが無い…>
  
      ───目覚めよ 【白虎】よ…
 
 
 頭を抱えて苦悶する醍醐を、小蒔もそして佐久間までもが突然の異変に戸惑いの色を隠さずに、ただ見詰めていた。

 醍醐の頭の中には、今までの光景が、友の姿が、次々と断続的に流れ込んでくる。
 それは、あたかも死を前にした人間がそれまでの過去を振り返るかのように…

 ────≪力≫を手に入れれば、お前の大切な者を護ることも可能だ。
      お前はもう無力では無い。さあ、目覚めるのだ…


 醍醐の頭の中は真っ白な光に埋め尽くされた。




「醍醐クン…?!」

 小蒔は、自分を助けに来てくれた仲間が変容する様子を瞬きもせずに見詰めた。
 片や、情けない悲鳴を出す佐久間の目に映ったその姿は…。

 鋭く伸びた爪、耳は異様に尖り、雄叫びを上げる口元には獣のような牙が見え隠れする。
 だが、佐久間を何よりも怯えさせたのは、炯炯とした眼光、それは獲物を捕らえる瞬間に放つ光を帯びていた。


「ひッ、やめろ、やめてくれ…お、オレが悪かった。な、醍醐、許してくれよッ」

 しかし、醍醐は佐久間の哀願を一蹴するように、ただ唸り声を上げる。

<醍醐クン、駄目だよッ。お願い、元の醍醐クンに戻って───!>

 小蒔はそう叫びたかったが、衝撃が強すぎて声が喉から出てこない。全身をがくがくとただ震えさせるばかりであった。
 佐久間はそんな小蒔を足手纏いだと放り出し、さっさと逃げ出そうとした。
 しかしその退路に立ちはだかる者が居た。

「…【白虎】の目覚め、これも計画の内だ。そして、佐久間。ぬしももう少し我らの計画に役立ってもらうぞ」
「お前は、炎角!」

 ようやく言葉を出せた小蒔は、かつて品川の地下実験室で見た男を思い出した。
 だが、炎角は小蒔を一顧だにせず、佐久間に向って妖しい呪を唱え始める。

 折りしも、上空には遠雷が響音(どよ)み始める。

「…変生せよ佐久間、限りなく我らに近い魂を持つ男よ…さあ…解き放て…」
「ぐうぅーー、頭がッ、頭が割れるように痛えッ」
「嬲り、殺し、そして喰らうが良い。思いのまま、奪うが良い」

 佐久間の輪郭が徐々にぼやけ始める。

 小蒔は悪夢だと思いたかった。
 たとえ気に入らない奴だったからといって、異形の者に変化させられる姿を直視するのは耐えられなかった。

「────堕ちよ、佐久間」

 次の瞬間、異形の者に変化した佐久間と数人の下忍を残し、炎角は姿を消していた。


 立て続けに起こった異変に我を忘れていた小蒔に、理性を失った佐久間が襲い掛かって来た。丸太のような太い腕を、小蒔の頭めがけて振り下ろそうとする。

「きゃあッ」

 目を閉じてしゃがみ込んだ小蒔の耳に、何か強くぶつかったような音が聞こえてくる。
 恐る恐る目を開けると、醍醐の鋭い爪が佐久間の左肩を貫いていた。

 小蒔の目前に、ぼたぼたと赤い雫が流れ落ちてくる。

 血の臭いが、激しい痛みが、一層佐久間を凶暴化させる。両腕を無茶苦茶に振り回して辺りを薙ぎ払う勢いに、小蒔は避けようとしてその場で尻餅をつく。
 逃げ場を失った小蒔を、今度は下忍たちが襲い掛かって来た。

「あ…」

 だが、今度も小蒔が敵の攻撃を受けることは無かった。
 醍醐の雄叫びが地の底から響く衝撃波となり、小蒔を襲い掛かって来た下忍たちを全て消滅させる。

 下忍たちの陰に居たのが幸いしたが、無論小蒔も無傷という訳にはいかず、そのまま地面に叩きつけられ、再び意識が遠のいていく。

<醍醐…ク…ン>

 完全に意識を失う前に、小蒔の耳に佐久間の悲鳴が流れ込んできたような気がした。



「…ん、あれッ?何でボク…」

 顔に冷たい水が落ちてくるのを感じて、小蒔が薄っすらと目を開ける。
 自分の置かれている状況を咄嗟には理解できずにいたが、

<そうだ、醍醐クンは。それに、佐久間もッ>
 
 痛む身体に鞭打って地面から跳ね起きると、雷光に醍醐の大きな背中が浮かび上がる。

<よかった、元の醍醐クンだ…じゃあさっきのは夢…?>

 ほっとしたのも僅かの間で、佐久間の姿は何処にも無かった。


「醍醐クン…」

 いったい何がどうなったのかはっきりと分からない小蒔は、醍醐にそっと声をかける。

「俺に触るなッ!」

 醍醐は振り向きもせず、小蒔を拒絶する。

「俺は、俺は取り返しのつかないことをしてしまった…。俺は…」

 佐久間を殺したと醍醐は告白すると、その場を立ち去ろうとする。

「待って、待ってよ、ねェ醍醐クン!!」


 小蒔の呼び声を振り払うように、醍醐は一目散に駆け出していった。
 それをただ見詰めるしかなかった小蒔の身体に、雨は一層激しく降りかかってきた。

<< 前へ 次へ >>
目次に戻る