≪六≫
結局土曜日の授業全てをエスケープしてしまった龍麻と京一は、帰りのHR直前でざわついている3-Cの教室に紛れるようにこそっと戻った。
その姿を葵がいち早く見つけ近寄って来る。その後ろには恥ずかしそうな表情の小蒔もちゃんといた。
「……」
「……………悪かったな、その、小蒔…」
ばつの悪い顔をする京一に、小蒔は自分も悪かったと素直に謝った。
「これで和解成立ね。それじゃ、あとはミサちゃんの占いの言葉から醍醐君が居る場所を割り出せば…」
龍麻の言葉に、内心事態の成り行きをはらはらと見守っていた葵は、ほっとした表情をつくる。
「…龍麻は何か心当たりがあるかしら」
「≪四神の獣≫これは…場所ではなくて醍醐君自身を指している。それについての詳しい説明は後でするとして、≪蝶の住む森≫、≪蒼く延びる細い木≫この二つの言葉が手掛かりね…」
「そこに醍醐クンが居るんだよねッ」
「そうよ、間違い無いわ。葵は何か思いついた?」
「龍麻、もしかしたら…蒼くて細い木って…竹のことじゃないかしら?」
「そうなると……決まりね、醍醐君の居場所は」
葵と龍麻の会話に付いて行けなかった京一は、どこなんだと聞き返す。
「ここら辺りで、竹が沢山生えていて、蝶…ううん、蝶に似た生き物に纏わる処といえばあそこしかないでしょう」
「おじいちゃん…。醍醐クンのお師匠が住んでいるトコロだねッ!」
小蒔の方が先に正解に辿り着いたので、京一は少し面白くない顔をするが、理由を聞いてからは率先して行動に移ろうとした。
「それだったら、中央公園を抜けていこうぜ。その方が近道だ」
その言葉を待ち兼ねたように、四人はまだ放課後にはなっていない学校を抜け出し、一路中央公園を目指す。
「…さっきひーちゃんが言ってた≪四神の獣≫が醍醐クンだっていうの、どういう意味?」
その途中、小蒔が早足で歩きながら龍麻に話し掛けてくる。葵と京一も龍麻に先程の言葉の説明を求めてきた。
「皆、この間≪四神相応の地≫という言葉については教わったでしょう。玄武・朱雀・青龍、そして白虎…」
「でもあれは、そういう性質を備えた土地を指す言葉なのではなかったかしら?」
葵の指摘は、風水の世界では一般的に認知されている知識なので間違いでは無いと龍麻は評す。
「…ただ、稀にその四神の≪力≫そのものを宿した人が現れることがある。これも昨日天野さんから聞いた≪菩薩眼≫と同じで、大抵その地が乱れた時に、その乱れを治めるため、もしくはその地を───…………ごめんなさい、これ以上は今思い出せないんだけれど、とにかくその≪力≫は、私たちが≪力≫が龍脈から得たのと同じ、もしくはそれ以上のものかも知れない」
「何でひーちゃんが、そんなことまで知ってんだ?」
「前に翡翠の店に行った時に、少し彼から聞いたのよ」
この先のことを言うべきかどうか少し迷ったが、醍醐の新たな≪力≫を少しでも理解してもらう為にも、敢えて龍麻は口にのぼらせた。
「そこで、今この地に白虎の≪力≫が目覚めようとしているという兆しを見たの。翡翠が身に宿す玄武の≪力≫でね」
『!!!!』
三人は、自分たちの仲間である如月翡翠が、この東京を護る≪四神≫の一人だと知り驚愕した。
「翡翠だけじゃないわ、十中八九アラン君も間違い無く≪四神≫の一人」
「……この間の≪鬼道門≫の封印の時に、そう言われれば…」
葵は自分が眼にした光景を余すところ無く話した。如月・アラン・龍麻の三人の≪氣≫がそれぞれ獣の形を取っていたことを、そして、
「その三人ほどはっきりとした形状をしていた訳ではないのだけれど、あの時醍醐君からも獣のような姿が立ち昇るのを見たわ…あれは、目の錯覚ではなかったのね」
「……葵にも見ることが出来たのね」
龍麻の微かな呟きを、だが葵自身も、京一らも聞き取ることは出来なかった。
「話を元に戻すわね。翡翠の家で≪白虎≫が近々目覚めるという兆しを見たの、それも私たちの身近な人たちの中からと。しかも、その目覚めは…恐らく…かなり不安定な物になるんじゃないか、そう翡翠は懸念していたわ」
それが具現化したのが、小蒔が目撃したあの場面だと龍麻は最後に話を締め括った。
「じゃあ、醍醐クンの≪力≫は悪いものじゃないんだよね、だってこの地を護る≪力≫なんでしょ?」
だったら自分たちの前だけでも姿を現してくれてもいいんじゃないか、確かに佐久間を殺めてしまったことは事実だが、あの場面で醍醐が新たな≪力≫に目覚めなかったら、醍醐も自分も確実に殺されていた───
「小蒔、≪力≫そのものには善も悪も無いのよ。ようは使い方次第」
「あッ、……そうだった」
「更にタチが悪いことに四神の≪力≫については、あいつら、≪鬼道衆≫も気付いているってコトだな…」
醍醐が覚醒した時、同じ場には炎角がいた。それに風角も四神の≪力≫については何か知っている口ぶりだった。
それらを考えると、≪鬼道衆≫が醍醐の宿す≪白虎の力≫に関して、何らかの動きをみせてくるのは疑いようが無い。
「ミサちゃんの占いにも"紅き手より絶望を誘う"とあったのだし…、その言葉は恐らく炎角を指していると思うの。でも、まだ間に合うわ、まだ、大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるような口調で、最後に龍麻は言った。
そこからは四人は無言で醍醐がいる龍山の庵を目指し、新宿の高層ビル街の合い間を縫うようにひたすら早足で歩き続けた。
「……ひーちゃん…、あの、いいかな…」
ようやく中央公園の緑が視界に飛び込んできた頃、弾む息を押し殺しながら、小蒔がそっと龍麻に声を掛けてきた。
「…小蒔…、どうしたの?…」
「醍醐クンのコト…どうしてボクたちの所に戻って来てくれないんだろう。…ひーちゃんだったら、醍醐クンの気持ち、一番理解出来るよね」
「…似たような経験をした者としての意見なら言えるけれど…、でも…私、小蒔の話を聞いてから考えてたのだけれど…、醍醐君は私よりもよっぽどショックが大きかったんじゃないかしら」
≪力≫の暴走から相手を殺めてしまった事実は龍麻も醍醐も変わりはないが、殺めた相手に対する思い入れの強さからいったら、生前の莎草とはほとんど会話らしい会話すら交したことが無かった龍麻と比して、醍醐の場合の方が断然強い。しかも、龍麻はあの時が二度目の覚醒だったことから、今になってみれば、曲がりなりにも自分の≪力≫を多少はコントロールできていたのかも知れないかと、そう思えるようになっていた(勿論不完全だったのはいうまでもないが)
なにより自分の内に宿る≪力≫について、もともと朧気ながら自覚も有ったし、周囲の大人たちもその≪力≫について理解し、そして庇護さえも与えてくれたのだった例えば莎草の事件にしても、その事後の収拾に鳴瀧が秘密裏に手を廻してくれていたなど…。
だが醍醐の場合はどうだろうか。旧校舎で覚醒した≪力≫ですら、自ら持て余している風が見られた上に、今回の急激な覚醒が重なった。しかも───
「……もしかしてボク、すごく不用意なことを醍醐クンに言ったんだ…、あの時…」
───何が何だか分からないよッ、ボクには…
「あんな言葉、咄嗟に口から出ちゃったけど…、あれじゃあ醍醐クン…自分を拒否されたっ…て思っても無理ない…よね…」
小蒔はいつの間にか、両目からぽろぽろと涙を零していた。
「ボクがいけないんだ…あんな酷いコト言っちゃったから…」
「小蒔…」
ただならぬその様子に、葵も京一も小蒔の方を気遣わしげに見る。
「本心でそう思ってた訳じゃないんでしょ、小蒔」
「も、もちろんだよッ、ひーちゃんッ!」
涙を拭おうともせず、小蒔は強い視線で龍麻の方をきっと見る。その表情と言葉には、寸分の迷いも躊躇いも無かった。
「だったら、その気持ちを真っ直ぐぶつければいいのよ、醍醐君に。小蒔を護ろうとして≪力≫を目覚めさせた醍醐君だもの、他の誰の言葉よりも、ううん、他の誰よりも小蒔が来るのを一番待っているはずよ」
「そうかな…そうだとしても、ボク何て言えばいいのか…」
「そんなこたぁ、行ってから考えればいいだろう。今は一刻も早くアイツん所に行くのが先決だ。ぐずぐずしてっと、お前一人だけ置いてくぞ」
「あッ、京一、ひとりでさっさと先に行くなッ!」
京一のからかいの言葉に、小蒔も今はうじうじと悩むよりも行動しようと、気持ちを立て直すことが出来たようだった。
≪七≫
中央公園内に入ったところで、今度は葵がそっと龍麻に話し掛けてきた。
「ねえ、龍麻。もし…もし今の状態が続くとしたら、この東京(まち)はどうなってしまうのかしら───私たちの≪力≫だけで、この東京を護ることができるかしら?」
今度は葵に小蒔の不安が移ったのかと龍麻は一瞬思ったが、どうやらそれだけではないといった表情だった。
「…近頃何だか恐いの…。どんどん仲間が斃(たお)れていって私たちだけになって…それでも闘わなければならないとしたら…。私たちは護ることができるの?大切な人を…」
「葵まで…小蒔もそうだったけれど私の悪いところ真似しちゃ駄目よ。一人で何とかしようなんて、そんなことは本当に一人きりになった時に考えればいいの。──今は私たちが一緒にいるんだから…」
「龍麻…」
葵の目には、今の龍麻の表情には誰をも納得させ安心させるような包容力を持っているように映った。
<初めて出会ったときは、あんなにも頑なに自分の気持ちを見せるのも嫌がっていたのに。本当に見違えるくらい私たちの中での存在感がどんどん大きくなってくるわ…>
「そうね、皆一緒なら大丈夫よね」
それまで黙って聞いていた京一も、
「確かに鬼道衆の手から、この街を人を護れる保証は無い。だが──それでも俺たちはやらなければならない。俺たちの≪力≫はその為にある気がするんだ───」
あいつがいたらきっとこういうだろうと、醍醐の口調を真似して言う。
「大丈夫、俺たちがいるんだ。鬼道衆なんて軽くひねってやるぜ。なぁ、ひーちゃん」
「その根拠の無い自信はどこから湧いてくるんだ…って、これも醍醐君がいたら言いそうな言葉よね」
ちぇッと口を尖らせる京一を、小蒔は愉快そうに笑いながら、心の中で京一と龍麻と葵の心遣いに感謝していた。
<こんなにも皆、醍醐クンのことを思ってるんだもん。醍醐クンもきっと、ボクたちが来るのを待っているよね>
「さ、早く行こうよッ」
小蒔がすぐ後ろの京一らに声を掛けたが、その京一の顔は真剣なものに変わっていた。
「どうやら──早くってワケには行かねェみたいだぜ…。出て来いよ………いるのは分かってんだぜ」
さり気なく小蒔と葵を背後に庇いながら、京一と龍麻は構えをとる。すると、見る者を圧倒するような身の丈の男が、のっそりと前方から現れた。
その男の顔にも予想通り鬼面が着けられていた。
「鬼道五人衆が一人──我が名は岩角。ごの先、どおざない…。おで、命令された…九角様に…お前たちを殺(ごろ)せと」
どこか間の抜けた喋り方をするが、その体躯から溢れる陰の≪氣≫は、そのような印象を軽く吹き飛ばすほど強いものだった。
「…先回りされていたのね。ということは──」
「あいつの方にも、すでに鬼道衆が向っているってことか。へッ、それだったらこいつを倒して先に進むだけだぜッ」
京一は更に一歩前に踏み出して、岩角と対峙する。龍麻はその背中を護るように構えながら、この状況をどう突破すべきなのかを素早く思案しなければならなかった。
<何とか隙をついてこの場を脱出しないと…。でも岩角以外にも下忍たちで徐々に包囲網が出来つつあるみたい。
何かいい方法は…>
龍麻の脳裏にある考えが浮かんだ。だがその作戦は……
「(葵、悪いんだけれど、しばらく岩角の注意を引いておいてもらえない?)」
こそっとささやく龍麻を、私が、と葵はその言葉の意図が分からず、疑問に満ちた顔で見返す。
「(…京一だとはっきり言ってすぐに戦闘になってしまうかもしれない。それじゃあ、数の上で圧倒的に不利なこっちに突破するだけの余力は無いのよ…結果的に葵を危険な目に合わせるかもしれないけれど)」
「(分かったわ…何とかして注意を引いてみせるわ)」
葵はそれならと、にらみ合いを続ける京一の傍に近寄って、岩角をきっとした表情で見つめる。
「佐久間君をそそのかしたのは、あなたね」
完全なフェイク(でっち上げ)であるが、その鋭い言葉じりに岩角は本気で首を振って否定する。
「ぢがう。それは炎角のやったこと」
そんな事実は、小蒔の話から先刻承知である。だがそのような気持ちはおくびにも出さずに葵は、そしてその意図を敏感に察知した京一は、岩角を睨みつけるように視線を飛ばす。
「だども炎角はあいづ(佐久間)の望み叶えてやっただげ…あいづは強くなりたいと望んでいた…だがら変生(が)えてやった」
言い訳めいた言葉を、たどたどしく話しながらも愉快そうにぐへぐへと下品な笑いを浮べている。その会話の合い間に、龍麻は背後の小蒔に、昨日から持っていた道具を後ろ手にそっと渡す。
「(???何これ、ひーちゃん)」
「(いいから…早くこれを装備して)」
「(…?、うん、分かった)」
「(それからこれは、私が小蒔の名前を叫んだら、その場でかざしてね)」
(…ひーちゃん?いったい何を…)」
「(今は私を、そしてあの二人と醍醐君を信じて!)」
こくりと小さく小蒔は頷いた。
こっそり打ち合わせしている二人を気取られないように、葵は更に岩角への言葉での追及の手を緩めなかった。
「あなたたちは、何が望みなの。何で罪の無い人たちを巻き込んで」
「おでだちは捜しているんだ、ある女を───?」
「ある女って誰」
小蒔が無意識に呟いた言葉に、ぴくりと岩角が反応する。
「お前だぢに教えだら、九角様に怒られる」
「下がってろ、小蒔ッ。言わねェなら言いたくなるようにするまでさ」
もう話は終わりだといわんばかりの岩角に、京一は愛用の木刀を構え、今度は岩角を挑発にかかる。
「お前と美里は先にジジイのとこへ行けッ。岩角は俺とひーちゃんで引き留めるッ!」
その発言に逆上した岩角は、京一を無視し、小蒔と葵に襲い掛かろうと猛然と向ってきた。
「葵下がってッ!」
反射的に葵が一歩後ろに下がる。すると小蒔一人が突出してしまう形になってしまった。
「ぐへぐへッ、逃がざねえ」
腕組みする岩角の横に、いつの間にか京一が移動し、間合いをとった一撃を浴びせた。
「お前の相手は、この俺たちだぜッ」
「…ぐへへッ。その程度の攻撃だど、俺にはぎがねえな」
京一の攻撃を受けてもダメージをほとんど受けなかったことに、岩角は何でこんな弱そうな奴らに、水角も風角も斃されたのかが理解出来ないとあざ笑う。
「それはね…私たちには仲間を信じる気持ちがあったからよッ。────小蒔ッ!!」
ちょうど京一と反対側に廻り込んでいた龍麻は小蒔の名を叫ぶと同時に、岩角と小蒔の間を裂くように最大限の【巫炎】を叩きこむ。
岩角は、やや愚鈍な動きながらもその浄化の炎を何とか回避する。
そして小蒔は
「!!!!」
龍麻に言われた通り、渡された武器をかざした。
次の瞬間、共に浄化の力を宿した炎と水の≪氣≫が反応し、辺りは濃い霧に包まれ視界が遮られる。
「小蒔!今は悩むよりも、ただ行動することだけを考えて!」
「頼んだぜ小蒔ッ!お前ならあいつを助けられるはずだ!!」
龍麻と京一の言葉に弾かれたように、小蒔は視界の悪さも恐れず一目散に龍山の庵のある方に向って走り始めた。 その様子に慌てて下忍たちが包囲を固めようとするが、風のように速く小蒔はその魔手をすり抜けて去って行った。
「…アレを使ったのね、龍麻」
小蒔の気配が遠くに去ったのを感じた葵が、自分の役目を無事果たしたという様子で話し掛けてきた。
「ええ、ありがたく使わせてもらったわ。封印のお礼としてね」
「それに恐らく醍醐の所には炎角のヤローが行ってる筈だ。だからあの剣も小蒔が持っていった方が役に立つだろう…今みたいにな。さあてと。それじゃさっさとてめェを片付けて、俺たちも醍醐のヤツの腑抜けた顔でも拝みに行くとすっか」
とても敵の中央に孤立している人間が交わしているとは思えない位、余裕のある会話をしている三人に、岩角と下忍たちの怒りは更に掻き立てられ、場の緊張感は一気に高まった。
≪八≫
───…よ──。……虎よ──。白虎よ──。
聞き馴染みの有るような、だが同時に嫌悪感も覚える言葉で呼ばれ、醍醐は混乱していた。
<やめろッ、俺はそんな名前じゃない!!>
───思い出せ…己の内の黒い欲望を…柔らかき肉の感触を──。
<やめろッ、やめてくれ──!>
醍醐が必死に否定しても、その言葉は絡みつくように囁かれる。
───喰らえ。──殺せ──。さあ来い、白虎よ──。来るがいい──
<やめて…くれ…。俺は…、俺…は…>
次第に反応が弱まっていく醍醐は、自分の自我という名の崖の際(きわ)に、ぎりぎりの状態で立っていた。
だが、その二人の耳に突然、低くだがはっきりと梵語の呪禁が流れ込んで来た。
「…ナウマクサラバダタタギャテイビャク…サラバビギンナン ウン タラタ カン マン…」
不動明王咒かと、男は吐き捨てるように言うが、思いの外唱えられている咒の強さに、そうしていられるのも今の内だと脅すと、立ち込めていた瘴気に似た【陰】の≪氣≫がいったんは散らされていった。
「人の弱き心につけこむとは何と卑怯な…」
一通り咒を唱え終わったところで、術者、新井龍山はすっくと立ち上がると、自分の背後に座っている男に声を掛けた。
「雄矢よ、己の内に閉じこもったままでは何も解決せぬぞ。このままでは…お主の精神(こころ)は確実にあやつらに囚われてしまう」
だが語りかけている相手、醍醐はぴくりとも反応をしめさない。龍山はその様子に眉をひそめつつ、
「…わしにはこうしてお主を護ってやることしかできぬ。お主自身が強き心を持ち、立ち向う勇気を取り戻さねば、その精神の檻から出ることは叶わぬぞ…」
龍山は、三年前彼の元に転がり込んできた時の醍醐を思い浮かべていた。あの時は自分も立ち直る手助けをすることが出来た。だが、今それをすることが出来るのは、否、その役目に相応しいのは自分ではない、と優れた卜者でもある龍山には確信に満ちた思いがあった。
彼を檻から解放する人物とは──
「ふむ…どうやら客人が来たようじゃ、お主にな──」
ばたばたと扉を開ける音と、中に駆け込む音がほぼ同時に聞こえてきた。
「…だ、醍醐クン、ここに来ませんでしたか?」
小蒔は息を弾ませながらも、しっかりとした足取りで部屋の中に飛び込んできた。
中央公園で龍麻たちと別れてから、追っ手を振り切る為に、そして醍醐の元に少しでも早く辿り着く為に、全力疾走をして来たのだが、不思議と疲労感は薄かった。
<これってひーちゃんに渡してもらった装備品を身に着けたからかな>
「ほほ、雄矢も幸せな奴よ。こんなかわいい嬢ちゃんにそこまで心配してもらって」
<あれは高速移動を可能にさせる宝貝の1つ、風火輪…。成る程。一応封印の方は雄矢抜きでも済ませてきたという訳か。確かに今は悠長なことを行っていられる事態では無い>
あくまでもいつものように飄々とした表情の龍山に、小蒔は今はそんな場合じゃないと言いたげな顔を作る。それを見て、くわばらくわばらと龍山は一寸おどけてみせるが、すぐに真顔に戻し、
「雄矢なら──ほれ」
と、部屋の隅の柱に持たれかかっている醍醐を指差す。
「醍醐クンッ!!」
辺り憚らずその名を叫ぶと、小蒔は近寄って醍醐を揺さ振る。
だが、醍醐はその表情を少しも変えることなく、ただ虚空を見つめていた。その異様な様子に、不安の色を包み隠さず、小蒔は龍山に疑問をぶつける。
「どうして?醍醐クン、どうしちゃったのッ!」
三日前、ここの庭に倒れているのを見つけて以来ずっと意識が戻らないままだと龍山が説明する。
「身体に異常は無い。意識だけが戻らぬのよ」
「そんなッ、何とかならないの!」
「わしらにはどうすることも出来ん」
ゆっくりと首を振る龍山は、だが
「嬢ちゃん、雄矢と奥に下がっておれ…」
二人の姿を隠すように前に立ちはだかる。その時の龍山は小柄な身体が大きく見えるほどの威厳と迫力を持っていた。
「久し振りだな…小娘」
燃えるような衣とそして鬼面を身に纏った男は、小蒔にとって忘れがたい想いを蘇らせた。
「お前は…炎角…。あの時比良坂さんを──」
龍山はいきり立つ小蒔を押し止め、この場は醍醐をつれて逃げなさいと説得する。
だが、小蒔はそんなことは出来ないと言い張る。
「ダメだよ。おじいちゃんを置いてなんて行けないよッ。それにボク、皆と約束したんだッ。醍醐クンを連れて来る──って」
だから逃げる訳にはいかないと言い切ると、小蒔は自分の弓の弦の張り具合を手早く調整する。その時、一緒に持ってきた刀が床にことりと落ちたことに、龍山だけが気がついた。
「威勢がいいな…良かろう小娘。俺様が相手をしてやるぜ」
ごくりと小蒔は唾を飲み込んだが、
<今はボクがしっかりしなくちゃ…醍醐クンを護らないと、そして…自分の気持ちを伝えないと…恐くなんかない。皆だって一生懸命闘ってるんだから>
それ以上怖じること無く、受けてやると立ち上がる。
「嬢ちゃん…これを使いなさい」
龍山が一枚のお札を御守りとして小蒔に握らせる。
「それは…火伏符。ちッ、小癪なマネをする爺だ」
「よしッ、勝負だ!!」
龍山の心づくしを有りがたく受け取った小蒔が、部屋から庭に面した縁側まで一人移動した時、
「よかろう…オイッ、お前たちッ」
いつの間にか、龍山の庵を複数の下忍が取り囲んでいた。
彼らに、炎角が凍てつくような声で命令する。
「爺の始末をしてから、野郎の方は回収し九角様の所へ連れて行け」
「卑怯者ッ!!約束が違うぞッ!!!」
抗議の声にも、くくッと卑劣な笑みを浮かべるだけだった。
「相手をしてやるといったが、爺を見逃すとは言っていない」
殺(や)れ、と一言で、下忍たちは一斉に龍山目掛けて炎を打ち放つ。
「おじいちゃんッ!!」
自分の身の危険も厭わずに、小蒔は龍山と醍醐の居る部屋の中に戻る。
龍山は、そんな小蒔の一途な行動にふっと表情を緩めるかけるが、すぐに厳しい顔付きに戻すと、
「ふん…お主のような悪漢が、むざむざとわしらを逃がしてくれるとは、はなから思うとらんわ。嬢ちゃん、見ておれ。この刀の本来の≪力≫を」
龍山は小蒔が携えてきた刀、水龍刀を先程彼女がそうしたのと同じようにかざした。
清浄な水の≪氣≫を湛えた刀から発せられる護持の≪力≫は、龍山の卓越した術力と相成って炎に対する強力な結界を作り出した。
「仏法を護持するため、その昔、聖武天皇が鍛えさせた霊刀の威力はまだ健在であったな。…さあ今の内に雄矢を連れて、この場を離れるのじゃ」
しかし、小蒔はボクは皆との約束を破ることは出来ないと項垂れる。そして未だ意識を取り戻さない醍醐の広い両肩に優しくそっと自分の左右の手を置く。
「…醍醐クン。みんなキミのこと待ってるよ。だからボクは絶対キミを皆の所に連れて帰る。ボクが必ずキミを護る。…だってボク…」
──ボク、醍醐クンのこと、大好きだから
今の醍醐クンに言葉が伝わらないのなら、と小蒔はそっと自分の唇を醍醐のやや乾いている唇に重ねた。
「だから帰ろう…皆のトコロへ…」
頬をやや紅潮させたまま、小蒔はもう一度炎角と対峙するべくその場を離れた。
「ふん、あのような結界、もう幾許も持つまい」
炎角は結界が張られている以上、自分の≪力≫をそれを破る為に使うのはただの浪費になると、あえて自身は傍観し、下忍たちに間断の無い攻撃をさせていた。
威力的に弱い攻撃であっても、物量に任せて責められては、龍山の手にした水龍刀の放つ≪氣≫は徐々に弱まっていく他なかった。
「今の内にさっさと逃げれば、まだ命を長らえたかも知れないものを、むざむざと死にに来るとは酔狂なことだ」
自分の前に凛々しい姿を見せる小蒔をせせら笑う。
「うるさいッ、今度こそ勝負だッ!ボクが絶対に醍醐クンも、おじいちゃんも護ってみせる!!」
「健気なことを言ってくれるが………もう戯言(ざれごと)は終わりだ」
炎角の拳にそれまでの下忍たちのものとは質・量ともに桁外れの火の≪氣≫が集められる。
<…何とかこの一撃に耐えて、この矢でアイツを射貫かないと…それしかボクには勝機が無いッ>
小蒔はイチかバチか、その炎を避けようとはせずに、その場に踏み止まり矢を番(つが)え静かに弓を引き絞る。
──そして、いつも試合でそうするように、心の中に凪いだ海のイメージを膨らませる───
「ふん、無駄な足掻きを…骨ごと焼け尽くされるが良いわッ」
勝利を確信し、灼熱の火の玉を小蒔に狙いを定め拳から放つ。
だが前方から、別の≪氣≫がその炎を掻き消してしまった。
「───何だとッ!!」
「…醍醐…クンッ?」
驚愕する二人の目には、岩のようにがっしりと両者の間に立ちはだかる醍醐の姿が映った。
「…桜井…心配かけたな…。龍山先生も…」
「目覚めるのが遅すぎるわい、この馬鹿者がッ」
男だったらもっとしゃきっとせんかと、容赦のない言葉を発する龍山だったが、その言葉の端には喜びが滲んでいた。
「醍醐クン…」
「お前の声が聞こえたよ…」
醍醐は振り返ることなく言葉を背後の小蒔に呟く。
「こいつは俺がケリをつけなければならないことさ…俺自身の手で…」
小蒔がその手を血で汚すことは無いと暗にほのめかし、
「鬼道衆!貴様らが這い出てきた地の底へ、俺がもう一度送り返してやる!!」
しかしと、炎角はまだ自己の優位性を確信していた。
「まともな戦力がたった二人だけで、我らにどう立ち向うのか…お前はともかくとして小娘の命は無いぞ!現状をもっと冷静に把握すべきだったな」
「馬〜鹿ッ!現状を冷静に認識できてないのはオマエの方だぜッ」
小蒔にとって聞き慣れている声がその場に流れ込んで来たのと同時に、炎角に対して小蒔に負けず劣らず正確無比な威嚇射撃が射ち込まれた。
「織部が妹、雛乃、加勢いたしますッ!」
「雪乃、雛乃、何で二人ともここに…」
「細かい説明は後だぜ、小蒔。おいッ、そこの変な仮面を被ったヤツ。アンタの部下の大半はオレたちが始末したぜ」
「俺たちって…殆ど俺サマとアランがやったんじゃねェか」
とほほと溜息を吐きながら雨紋がぐったりとした様子で槍を構えて現れた。
「hahaha、細かいコトはnot to worry、気にしナイ、気にしナイッ。レディ助ける、これが男の生きザマってね」
陽気な言葉と笑顔のアランが、それでも霊銃はピタリと残った敵影に照準を合わせながら姿を見せる。
そこから先は醍醐を中心に、小蒔ら遠距離攻撃組が威嚇攻撃を、そして雪乃と雨紋がザコ掃討をと、相談せずとも自らの役割分担をそれぞれが全うすべく、技を、そして気持ちを合わせて立ち向っていった。
一方、もともと仲間の背後からの遠距離攻撃を得手としている炎角にとって、今自分の盾となるべき下忍たちを失っていては、勝負の行方は既に付いたも同然だった。
「こ、こんなはずでは…」
「人の弱き心を責める貴様の狡猾さ…断じて俺は許せんッ!喰らえッ」
白虎の≪力≫を解放した醍醐は、様々な想いを込めた一撃を躊躇わずに炎角に叩きつけた。
絶叫を残しつつこの世から消滅した炎角をじっと見つめていた醍醐に、小蒔がそっと近寄って来た。
「醍醐クン…」
「心配をかけたな…、桜井」
「ホントだよッ!!すごく…すっごく…心配したんだから…」
膨れっ面の上に涙をぽろぽろと零す小蒔に、醍醐は本当に済まなかったと詫びるが、
「えへへッ───ホントに良かった…いつもの醍醐クンに戻って…」
今度は満面の笑みにかえた小蒔を見て、言葉を失ってしまった。
「全く未熟者めが…」
「心配したのは、オレたちもだぜ」
「姉様ったら…済みません、過ぎたことを申しまして」
いつも間にやら醍醐と小蒔の周りには、龍山や仲間たちが集まっていた。
「それより、皆どうしてここに?」
小蒔の疑問は、だが雛乃の言葉ですぐに解けた。
「わたくしと姉様は神社での用事がございまして、皆様のお仲間のお一人であらせられる如月様のお店に出掛けましたの。その時、小蒔様のご学友の遠野様から、如月様宛てに皆様がこちらに向われているという連絡が入りまして、それでわたくし共もご助力をと馳せ参じた次第ですわ」
「そっか、アン子が…。でも如月君は?」
連絡を受けた当人が居ないので、小蒔は不思議そうに周囲をきょろきょろと眺める。
「丁度俺サマとアランもツーリングの途中に如月サンの店に偶然立ち寄ったトコロで、今の話を一緒に聞いたんだ。で、ここに来るのに俺たちのバイクじゃ二人しか連れて来れないってワケで」
「それにオレたち二人は、龍山のじいちゃんの庵の場所はよく知ってっから」
道案内も兼ねて、織部姉妹がそれぞれのバイクに同乗してここまで来たのだという。
「ヤマトナデシコをボクのバイクに乗せられて、Happyネ」
「……俺サマは…」
と、ここまで雨紋は言葉を言うが、傍にいる雪乃の視線が恐かったので、
「…っと、とにかく、如月さんは別ルートで中央公園に向ってるハズだぜ」
「中央公園、何でだ?」
ようやく醍醐は会話に口を挿むことが出来たが、その言葉に覆い被さるように、小蒔がいけないッと悲鳴をあげる。
「そうだ──急がないと皆が…。中央公園で岩角ってヤツと今頃闘ってる」
早く加勢に行かないと、龍麻と京一と葵の三人だけではと小蒔は事情を説明する。
だが、醍醐はその言葉にはいつものような反応を示さず、ただ無言のままだった。
「醍醐クンッ」
「………あ、ああ」
「…お願いだからもう一人で苦しむのは止めてよ。醍醐クンはボクたちの大切な仲間じゃないか。醍醐クンは一人じゃない。ボクが──ボクたちが一緒にいる。ボクたちが一緒に闘うッ。ねッ、そうでしょ?」
「雄矢…お主、嬢ちゃんにここまで言わせてまだ腑抜けてるつもりかッ。わしはそんな情けない弟子を持った覚えはないぞッ!」
「…………………行こう、桜井ッ」
長い沈黙の後、醍醐は決意を固めた表情できっぱりと言い切った。
「俺の≪力≫を必要としている仲間がいる──。俺を待っている大切な友がいる──。今の俺にはそれだけで十分だ。………ありがとう桜井」
行こう皆の所へ、という力強い宣言を聞いて、小蒔はまた涙が零れるのではないかという位嬉しく感じた。
「良かったな、小蒔ッ。……この場はオレと雛乃が護ってやるから、思う存分暴れて来いッ」
「そうですわ、小蒔様。どうかわたくしたちの分も、龍麻様を、他の皆様を助けて下さいませ」
結界を張る≪力≫を持つ雛乃と彼女を護衛する雪乃を残し、四人は中央公園に急行した。
≪九≫
いったい何人を叩き斬ったのか、京一は数をカウントするのも馬鹿らしく感じていた。
「………岩角とかいったか──こんな雑魚じゃ…俺たちは斃せねェぜッ」
「ながなが…やる。水角と風角を斃じただげのごどはある…」
「へッ」
にやりと不敵な笑いを京一は口元に見せるが、しかし木刀を構える手には、徐々に痺れるような感覚が広がっていた。
「だども、息があがっでる…」
「けッ、うるせェヤツだぜ」
<ンなこたァ、テメエなんぞに言われなくたって分かってるぜ、俺たちが苦戦していることは…>
いつもなら自分は龍麻と共に真っ先に最前線に出て、ただ前にいる敵と、傍らの龍麻の背後だけを気にすればよかった。もっともそれも中々容易くやれることではないが…。
だが、今の状態で迂闊に二人で突っ込むと、背後の葵を護る人間が誰もいなくなる。
龍麻は自身の繰り出せる遠距離攻撃の技のみを使い、敵を中心にいる葵に近寄らせないようにしていたが、その攻撃方法は激しく≪氣≫を消費するものであった。
そして京一も、たった一人で前線に出ている以上、その体力と神経の消耗は常の倍以上の早さで襲ってきていた。
<二人がいないだけでこうも苦戦するとはな…>
ちらっと龍麻の様子を横目で見やると、普段は戦闘中息切れなど起こした姿など見た記憶の無い彼女が、今はわずかだが肩を上下に揺らし、額からも一筋の汗が流れている。
<ちッ、あいつらが来るまでは、絶対俺がお前らを護ってやるッ。…だからそれまでは踏ん張ってくれ、ひーちゃん、美里>
「もうすぐだ…もうすぐ醍醐が、あいつらが戻って来る…」
自分にそう言い聞かせるように呟くと、感覚を失いかけた手をわざと苛めるようにぎゅっと木刀を握り締めた。
「ぐへぐへ、むだなごどを…。おれ、ほめてもらう、九角様に。おまえら斃じて…」
岩角は余裕の笑いを浮べつつも、内心思っていた以上に京一らが抵抗した為、既に部下の半数以上は失っていた。これ以上の失態は主人である九角の怒りを買う以上、もう負けは許されないと、総攻撃をかける合図を送る。
「クソッ、あいつらが戻って来るまで待ってるってワケには行かねェらしいぜ。ひーちゃん、お前も覚悟決めろよッ」
「京一…」
<…あの技…試してみようか…成功するかどうかは分からないけれど>
龍麻は早鐘を打ち始めた自分の心臓を独特の呼吸法でなだめながら、かつて一度だけ鳴滝が実技で見せてくれた掌法の奥義を使ってみようかと思案した。
<岩角さえ倒せれば…。あの並外れた耐久度を誇る身体を地に伏せるには…。でもその前後にどうしても隙が生じる。そうなれば──>
葵の存在を考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。そんな龍麻の迷いを葵はすぐに察知したように、
「…私のことは気にしないで。龍麻、私、あなたを信じている」
と、全てを託すように柔らかい微笑を浮べた。
龍麻はすっと重心をさらに丹田より下に意識し、足元から徐々に上部に向け≪氣≫を高め始めた。
京一も龍麻の≪氣≫が、いつもと違う動きを取り始めたのを察し、極力龍麻と葵に敵が来ないように、自身も遠距離攻撃の出来る技で、周囲を威嚇するが、ぽっかりと無防備状態になった龍麻と葵のいる空間に、残った下忍たちの攻撃が浴びせられようとした。
その瞬間、派手な音を立てて魔法が下忍たちの一群に炸裂した。
「んふふふふふ〜、ミサちゃんも〜仲間に入れて〜〜」
オルムズドの光の粉〜っと楽しそうな声を上げて、更に魔法を唱える。
「やれやれ、彼女に捕まってしまったから、ここに来るのが遅くなってしまった」
恐らく足の遅い裏密をその背に負わされた挙句、全力疾走させられたのだろう。到着した如月はやや疲れ気味の様子だった。
「…君たちの友人の遠野さんから話を聞いてね。加勢するぞ、蓬莱寺!」
「ちッ、よりよってお前か〜」
憎まれ口を叩くが、京一はその目で龍麻が技を完成させるまで一緒に頼むぜと語り、持てる全ての≪力≫を振り絞るように、前方に突っ込んでいった。
「【朧残月】」
「【飛水影縫】」
言葉を交さずとも、息の合った連続攻撃で、岩角の体勢が少し崩れた。
好機は今だと、素早く岩角の傍に走り寄った龍麻は全身に巡らせた≪氣≫を、捻りを加えた手の先からその文字通り岩のように厚い胸板目掛けて放った。
「………【螺旋掌】!!!」
衝撃波を受け、そのまま仰向けに岩角は倒れた。
やったか、と龍麻ら五人は皆そう思ったが、
「……ぐぅぅ…、今のは…効いだ…ども」
頭を左右に振り意識を取り戻そうとする様子から、岩角がダメージを受けたのは確実だったが、しかしむっくりと再び立ち上がった。
「…アイツは何モンなんだよッ、ひーちゃんの奥義を受けてもまだ立ち上がれるなんてッ」
「……恐らく、それまでの≪氣≫の消耗が激しすぎて、奴を倒せるだけの量を練ることができなかったのが一番の原因だろう……まずいな…」
京一の疑問を、瞬時に如月が冷静に答える。
しかも消耗した体に強すぎる≪氣≫を溜めたことがより一層の疲弊を呼び、かえって仇となってしまったと、龍麻も今の状態を自分なりに分析した。
誰の目から見ても、今の龍麻はもう立っているのが精一杯といった状態だった。
<…ごめん、皆…>
そう唇を動かそうとした時、龍麻の耳に何よりも待ち焦がれていた声が飛び込んできた。
「皆、お待たせッ!!」
そして…
「どこからでもかかってこいッ!!!」
鮮やかな雨紋の運転テクニックで、岩角の身体すれすれに急停止したバイクから、醍醐が素早く、龍麻の前に庇うように飛び出した。
『醍醐君!!!』
ただ一人を除いたその場全員の言葉に、醍醐はやや照れ臭そうなぎこちない顔を作り、そして岩角に対して構えをとる。
「醍醐ッ!」
一人遅れて言葉を発した京一は、遅ェんだよと睨みつけると、
「さて、面子も揃ったし、さっさとメインイベントを終らせようぜッ」
本来の活力に満ちた表情を取り戻した。
「醍醐…、この場を切り抜けるには、お前の≪力≫だけが今は頼りなんだ…。分かったな」
二度は言わねェとそっぽを向くと、醍醐と並んで正眼の構えをとった。
「ああ、俺のこの≪力≫で皆を救えるのならば…この≪力≫、振るうことにためらいは無い…。さあ【白虎】よ…俺に≪力≫を与えろッ!!!」
固唾を呑んで皆が見守る中、醍醐はあの夜、小蒔が目撃したのと同じ姿に変生した。
「…ぐ、炎角失敗しだか…」
岩角も、最大の≪力≫を溜めて迎え撃とうとする。
「ぐおおお…【破岩蹴】」
岩をも粉砕する蹴りが、鋭く醍醐の足元めがけて閃く。だが、醍醐はそれを常より俊敏な動きで受け止め、その足首を持って岩角の図体を地面に叩きつけ、
「【白虎蹴】」
逃げ場を失った岩角の胴に、スピードと破壊力を兼ね備えた蹴りを容赦無く炸裂させた。
「やったかッ」
京一の叫び声と同時に、岩角は他の鬼道衆と同じように絶叫と閃光に包まれ、そして次の刹那、地面に乾いた音を立てて黒い珠が転がっていた。
「へッ、ざまあみやがれッ。俺たちにケンカ売ろうなんざ、百億年早ェぜ」
「うふふ」
葵は京一の言葉に愉快そうに笑う。
「相変わらずキョーチはアホーデース。人類が誕生してからまだ百億年なんて経って無いデス」
「そンぐらい分かってるぜッ。言葉のアヤっていうんだ、こういうのは、このアホ外人」
「君が言うから、てっきり本気だと思ったよ、蓬莱寺。それに俺たち、じゃないだろう?この闘いを勝利に導いてくれたのは、醍醐君の≪力≫だよ」
「そうね、醍醐君、そして小蒔…本当にありがとう」
如月の言葉に頷き、龍麻は二人に笑顔を向ける。
「…そんな…でも、皆無事で本当に良かった…」
照れ笑いを浮べる小蒔は、でも隣の醍醐の表情がまた硬くなっているのに気がついた。
「……皆、済まん。色々迷惑かけて……」
「…………」
その言葉を、京一は腕組みし険しい顔をしながら無言で聞いていた。その険悪な様子に、小蒔は京一と声をかけたものの、二の句を告げることは出来なかった。
「今更、どの面下げて戻ってきたんだよ…」
「………」
「いきなり姿くらましたかと思えば、今度はいきなり現れやがって──」
「京一ッ、そんな言い方って」
何とか喧嘩するのを止めようとする小蒔を無視し、京一は木刀を突きつけるように醍醐に向け、更に語気を荒くする。
「いいや、言わせてもらうぜ。こいつは前からてめェ勝手なトコがあんだ。何でも自分独りで解決できるような面しやがって…。……こんなヤツとこれからも一緒に闘わなきゃならねェなんてよ」
一同は京一の言葉に凍りついたように静まり返ってしまう。小蒔だけがそれでも尚、言葉を出そうとするが、ようやく醍醐が口を開いたのでここは黙っていることにした。
「そうだな…京一の言う通りかもしれん…」
「…………」
京一は何も反応を示さない。
「俺がいれば、これから皆にも迷惑がかかる」
「…………」
「龍麻に美里、今までありがとう」
「…醍醐君…」
醍醐の戸惑いをある意味一番理解できる立場だったのに、結局何の力にもなれなかった済まなさで一杯の、龍麻の顔は曇っていた。葵にも、醍醐が何を言わんとしているのかを分かっているので、表情は自然悲しみに満ちたものだった。
「龍麻…お前にも随分と心配をかけたみたいだな。済まなかった。…桜井も……ありがとう」
小蒔はそんなコトないと必死に表情で訴えるが、醍醐の視線は彼女の表情を切なげに素通りしていった。
その場にいる仲間たち全員に視線を一通り落とした後、醍醐は再び京一と向き合う。
「京一…お前は俺にとってかけがえの無い友だった。お前に何と思われようと、俺はお前のことを忘れない…。もう会うことも無いだろうが………」
一礼して、そしてその場を立ち去ろうとする醍醐に、
「言いたいコトはそれだけか?」
京一が拍子抜けする位落ち着いた口調で語りかけたので、醍醐はやや面食らったように答える。
「ん…、あ、ああ…」
「そうか…ならいい───ッ」
次の瞬間、京一は持っていた木刀を振り向きもせず、背後の龍麻に投げ渡すと拳を握り締め、思い切り醍醐の頬に殴りつけた。
葵と小蒔が小さな悲鳴を上げる中、真っ当に拳を受けた醍醐はそのまま地面に尻をつく。
京一はその胸倉を掴むようにして醍醐を引き立てる。
「醍醐、前も言ったと思うが、俺たちはお前の何なんだ?」
「………?」
「俺たちは一緒に闘っている仲間じゃねェのか?その仲間を信頼できねェで、これから鬼道衆のヤツらと闘っていけると思ってんのかよッ」
そして更に京一は真顔を醍醐に近づけ、
「これから、お前の大切なものを護っていけると思ってんのかッ」
「大切なもの…」
「俺たちはお前の力になれねェ程、無力か?」
「そんなことは…」
ここまで再び殴らんばかりの勢いだったが、
「じゃあ、もっと俺たちを信用しろ」
今度はとんと醍醐の胸を拳で突いた。
「…お前は俺の──いや、俺たちのかけがえのねェ仲間だからな」
「京一…」
京一は吐き出すようにふんッと最後に言うと、照れ臭そうに醍醐を睨みつけていた。
醍醐は滅多に見ることの出来ない、親友の本気で照れた表情を見ながら、自分の力で立ち上がる。
「くくく…、俺も京一に説教されるようじゃ、まだまだ修行が足らんな…」
「あッたりめェだッ。こう見えても俺は苦労人だからなッ」
そう言いながら横を向く京一を、醍醐は久方ぶりに腹の底からこみ上げた笑い声で包んだ。
「ったく、勝手に笑ってろ。ひーちゃん、俺の木刀返してくれッ」
しかし、黙って差し出す龍麻のやや瞳を潤ませた表情を見て
「ひーちゃん、俺何か変なコト言ったか?何だかひーちゃんまで殴ったような気分になるぜ、そんな顔されると」
「……殴られたわ、京一に。私の心を思いっきりね。今回の醍醐君の件、他の仲間に知られたくないって思ってたから、敢えて皆には連絡を入れてなかったの。アン子が気を廻してくれたお陰で助かったけれど、もしかしたら……。私も醍醐君と同じ、…まだ仲間を信じるよりも、自分がやらねばって気負う気持ちを捨てきれてなかったのね……」
「俺は女に手を上げる気はねェよ。それに、お前は小蒔を、そして醍醐を信頼してたじゃねェか、あの時誰よりも」
京一の優しい言葉に、龍麻は強張った表情を少し柔らげる。
「それにもし本当に反省してるんだったら…」
「??どうすればいいの?」
そう聞き返しながらも、内心龍麻は京一の次の言葉を予想できていた。
「そりゃもー、へへッ、ここにキス」
にやにやとしながら顔を近づけてくる京一を見て、龍麻がやっぱりと溜息をつくと同時に、
「【水流尖】」
「【Hard Rain】」
「【雷光ブラスター】」
次々と如月、アラン、雨紋から攻撃の手が伸びてくる。
「だぁああ、俺を殺す気かッ!」
慌てて避ける京一に、三人はじわじわと包囲網を固める。
「一遍死んできたらどうだい?骨なら拾ってあげるよ…」
「Go to Heaven、ボクが責任もって天国に案内スルね!」
「珍しく格好いいトコ見せ付けてと思ってたンだが、やっぱアンタ間抜けだぜッ」
やや肩を落とし気味の龍麻に、葵がにこやかに笑いかけてくる。
「うふふ、男の子の友情って、やっぱりいいわよね」
「それ本気で言ってるの、葵?」
「だって、ほら───」
葵が指し示した先には、どうにか追求を避けて人心地ついた京一に、醍醐が丁度話し掛けていた。
「京一、ありがとう。俺は…俺はお前たちに会えて良かった…」
「ばッ、ばかやろーッ。今更恥ずかしいコト言うんじゃねェ。気色わりィヤツだなッ」
本気でゾッとしたような声を上げる京一を、一同は遠慮することなく笑い飛ばした。
自分が笑い者にされて、不愉快な気分になった京一は、醍醐に当り散らす。
「あー腹減ったッ!さっさと何か食って帰ろうぜ。もちろん、お前の奢りでなッ!!」
「賛成ッ!!」
小蒔も手を上げるが、その手を素早く龍麻が捉えると、
「小蒔、今日は男の子の友情に心打たれたのだから、私たちは遠慮して…」
と言い、にっこり笑ってこう続けた。
「だから、私たちは私たちで、女の友情を深めましょう!」
「あッ、それ、もっと賛成ッ!!そうだよね、たまにはラーメン以外も食べたいし〜」
「うふふふ、それに龍山先生のところにいる雪乃さんと雛乃さんも迎えに行かないと」
「ミサちゃ〜ん、何食べようかな〜、んふふふふ〜、と〜っても楽しみ〜」
その一連の会話を聴いて唖然とした男性五人が見守る中、仲睦まじく女性四人は残り二人と合流すべく龍山の家の方に向って歩き始める。
「あ、そうだ──醍醐クン」
少し進んだところで、小蒔だけが引き返してきた。
「ん……?」
龍麻にフラれ、がっくりとする京一らをラーメン屋に連れて行こうとしていた醍醐が、自分を呼ぶ小蒔の声に気がついて振り返る。
「えへへッ…あのね…」
おかえりなさい───。
そう小蒔は恥ずかしそうに言うと、また龍麻たちの方に向かって小走りに去っていった。
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