≪九≫
「実験の様子はどうだ───」
計器類とコードが複雑に配置された実験室で、ジルが研究員の一人に問い掛ける。
「サイ粒子抽出機をテレモニターに接続、被験者の念動波を原子結晶化し、抽出、培養、増幅──しかる後、粒子断面及び検出数値がモニター化されます」
「うむ、続けろ」
機械の稼動音と、そこから洩れる熱を帯びた乾いた空気、そして無言で研究員らが操作する音だけがこの空間をしばらくの間支配していた。
「出ました、モニターをご覧下さい───」
ジルはモニターに映し出された数値を見て、頬を紅潮させた。
「素晴らしい、この≪力≫、まさしくワシが捜していたもの。よもや、こんな島国で出会おうとは…。この≪力≫を解明すれば、我が帝国は更なる進化を遂げる」
<シロウとやらはしくじったようだが、ワシは大いなる≪力≫を手に入れることができる>
かつて死蝋から送られてきた、中途で終った研究資料の数値と遜色の無いデータに、ジルは満足した。
しかし、研究員は更に数値が伸びていると報告する。
「PSY(超能力)レベルが最高値に達します。このままではメーターを振り切りますッ!!」
おお、と興奮の声と共に、ジルは第三帝国の復活も近いと頷き、稼動中の実験機に近付こうとする。
そこには数値を検出する実験の為、肌を晒された上に見当もつかぬ薬品を照射され続けている葵の姿があった。
あたかも、地上を彷徨う内に捕らわれた哀れな人魚のように───
<………>
恥辱と、重なる実験の苦痛で葵の精神は大きく傷付けられていた。
<…龍麻……>
自分が最も信頼する人の名前、その名前を唱えることで、この苦境を耐え抜こうと必死になっていたが、それももう限界に近付いていた。
<助けて…龍麻────>
朦朧とする葵の意識の中に、遠く警報機のような音が流れ込んで来た。
「何事だ!」
侵入者ですという、当たり前の答えしか言わない研究員を馬鹿にするような雰囲気で、サラが詳細な報告をする。
「男二名、女二名、こちらへ向っています。ここに到着するまで、後8秒、7秒──」
「馬鹿め、この学院に入り込んで生きて出られると思うか。19(イワン)21(トニー)用意しろ」
実験を退屈そうに眺めていた二人は、ジルの号令を聞いた途端に興味と愉悦に満ちた表情に変え、後3秒後には開かれる扉に向って前進した。
「あ、葵ッ────!!!」
サラのカウントダウン通りに突入した四人の目には、葵が無体な姿で実験を受けている様子が飛び込んできた。
「貴様ら、その機械を止めろッ!」
醍醐が一喝するが、その前方は既に≪力≫を解放し始めている少年二人の姿が邪魔していた。
「邪魔するヤツは蹴散らすだけだぜッ」
そう京一は言ってはみるが、目の前にいるのが年少の子供だと思うとどうにも手出しが出来ないでいる。
「子供と思って侮ってもらっては困る。ここにいるのは私が創り上げた革命(レヴォルツォーン)の為の兵士だ。貴様らは17(サラ)の透視に現れた者たちだな。はははッ、丁度良い、ワシの兵士たちの≪力≫を試すにはまさにうってつけの獲物だ」
「創り上げた…兵士ですって?」
先程のマリィの言葉を裏付けるような発言を愕然として聞く四人に、更にジルが嘲弄するような言葉を浴びせる。
「ワシは長い間研究してきた──大地を流れる大いなる≪力≫を。そして創り上げたのだ、≪力≫を授かるのに相応しい人間を。それに引き換え、貴様らは特別な人間ではない。偶然にその力を授かったに過ぎないのだ。貴様らにはあるというのか?≪力≫を使うだけの資格が────≪力≫というものは選ばれし民のみが有することが出来る物なのだ」
「……ナチズムに完全に犯されているのね、あなたは」
「ちッ、反吐が出るぜ」
「ただの人である貴様らが何を言おうと、ワシには痛くも痒くもないわ。───うん?お前は…20(マリィ)」
無断で入ってきたマリィを冷厳な視線で睨みつけるが、マリィはジルでは無く、その奥の人物に意識を集中させている。
「………!!!アオイ…」
「何だその顔はッ」
だがマリィはその言葉に応えず、ただ葵の捕らわれている実験機の方ばかりを見つめている。
「調整が足らなかったようだな。こいつらを始末したらもう一度レベル2から調整をやり直さねば」
手短に診断を下すと、研究員の一人に準備を進めておけと命じる。
「あなたは葵だけでなくマリィにまで何をする気なのッ!」
医学を志す者として許すべからぬ発言をしたジルに、龍麻は普段は余り見せない怒りの波動を揺らめかせる。
「私の兵士(ゾルダード)が持つ崇高な≪力≫、それは至高の子供たちだけが持つ純粋な残酷さ。それを手に入れる為には成長を抑制し、そして俗な甘い感情を排除せねばならない。そう、ワシの偉大な研究結果で、永遠に成長することも汚れることも無い、いつまでも美しく輝く帝国の民を創り上げることが出来たのだ」
「die gewahlte Nation(選ばれし民)が何だっていうの!冗談じゃないわ、あなたのように≪力≫をそんな風に考える人がいるから、人は≪力≫を誤った方向に持っていってしまうのよ。≪力≫なんて崇高なものじゃない!────ましてや選ばれた者が権利として振るうものでは決してないッ!!」
最後の言葉を発したと同時に、龍麻の身体から以前比良坂の事件の時に見せたものと同じ黄金の≪氣≫がゆらりと立ち昇り、一同がそれに目を奪われた瞬間閃光のように弾けた。
「な、何事だ、この現象は」
初めて目撃したジルはややうろたえながらも素早く辺りを見回す。すると研究員らが悲鳴に近い声で計器類が全てダウンしたと告げる。
「し、信じられません…。今の一瞬の波動でメーターが完全に振り切れました…」
「ひーちゃん…」
龍麻の身体から発した黄金の≪氣≫の余波で浮き上がっていた黒髪が静かな音を立ててセーラー服の襟に流れ落ちるのを見て、京一が気遣うように声を掛けて来た。
「大丈夫よ…。あの時とは違うわ」
そう応える龍麻の表情は、何かに取り付かれたかのようだった前回の時とは異なり、既に穏やかな、だがどこか大人っぽい笑顔を見せていた。
「お、お前は一体何者だ…」
ジルの問い掛けにも、同じ表情で応える。
「私は私…。ただの高校生で有りたいと願っている者よ。さあ──私たちの大切な友人を返して貰いましょうか」
ジルは内心歯噛みした。これほどの≪力≫の使い手を見たことが無かったからである。
<こうなっては、最も潜在能力の高いあやつを使うしかあるまい>
「20(マリィ)!お前に名誉挽回のチャンスをくれてやろう。こいつを殺せ!」
「エッ…」
「命令に従えばお前の嫌がっている調整も免除してやる。さあ、お前の≪力≫を発揮するのだ。」
「デモ…タツマ…マリィ友ダチッテ言ッテクレタ…。ソシテ、マリィニ優シクシテクレタアオイヲ、タツマハ返シテクレッテ…。ワカラナイ、ワカラナイ…」
どうすれば良いのか混乱するマリィに、ジルは出来損ないめと、苦々しく言葉を口にする。
「マリィ…。これはあなたが自分で判断しなさい…。あなたはジルが創り上げた兵士でも道具でもないの。 ……あなたは一人の人間なんだから」
───わたしは兄さんのものじゃないわッ。
わたしは生きているのッ。わたしは自分で考えられるのッ───
<紗夜…>
龍麻は、かつて自分を庇ってくれた少女が兄に向って魂を振り絞るように叫んでいた言葉と、最後に見せた笑顔を思い出していた。
そしてその龍麻の感情を、一番感じ取っていたのは、やはり葵だった。
<龍麻…あなた、もしマリィが攻撃してきたら甘んじて受ける気なのね…なら私には何が出来るの…>
まだ朦朧とする状態ながらも、葵はマリィに向って必死に呼びかける。
「(マリィ…、マ…リィ…)」
「アオイ……」
「(……どうか…龍麻を…)」
葵の心を受取ったマリィは今まで決してジルに見せなかった、自分の本当の気持ちを正直に表した。
「……アオイトマリィハ友ダチ。ダカラ…アオイヲ、ソシテタツマモマリィガ護ルッ!!」
「馬鹿め、ワシを裏切るのかッ!ワシが拾ってやった恩を忘れて!!大体貴様のような兵士が、この学院以外に受け入れられる訳が無いッ!爪弾きにされ、のたれ死ぬのがオチだぞ」
「ワタシハ兵器ジャナイ…ワタシハ生キテル…ワタシハ人間ダモンッ!!」
そう強く宣言したマリィの身体から、自分たちと良く似た≪氣≫が立ち昇り、そしてそれは輝ける炎の鳥のように象られていった。
「やはり失敗作か…消去する他ないようだな」
マリィが自らの手駒から失われても、まだジルには得体の知れない≪力≫を宿す龍麻さえ最初に始末すれば勝利できるという絶対の自信があった。
「全員あの女のみを狙うのだッ」
そう命じたジルの言葉通り、イワン・トニー・サラが龍麻一人を標的に絞ってきた。
だが、その行く手を阻むように炎の壁が立ち上がった。
「Your cheep attack have no effect.(あなたのそんな攻撃、何の効き目は無いわッ)許サナイ…許サナイッ!友ダチ傷ツケルヒト…」
「マリィ…ありがとう」
いつの間にやら自分の横に立っているマリィに、龍麻は心から礼を言う。それが少々気に食わない京一が、またもマリィの髪の毛をくしゃっとさせながら声を掛ける。
「へッ、ひーちゃんのピンチを救うのはこの俺の役目だぜ、引っ込んでなチビ助」
「マリィ、チビ助ナンテ名前ジャナイ。Go along(あっち行って!)」
そう言いながら、マリィは自分の指先から炎を煌煌と放つ。その炎の勢いを見て、京一は慌てて抜群の反射神経を駆使して仰け反って避け、それは術を唱えようとしていたサラへと真っ直ぐに命中する。サラはその一撃だけで気絶してしまった。
「す、すご…」
ひーちゃんを除けば最強の≪力≫の持ち主かもと、小蒔と醍醐は唖然としてマリィの闘い振りを傍観してしまった。
「それは当然よ…。マリィは朱雀の≪力≫を授かっているんですもの」
龍麻は顔は前方を見据えたまま、仲間たちに説明した。
「朱雀の≪力≫…。つまりは俺や如月、そしてアランと同じ宿星の持ち主だったということだな」
だから先程、あのような形の≪氣≫が発露したのかと納得した。
「これで四神が全て揃ったということか…」
炎を乗り越えて立ち向ってくるイワンを、重量級の拳で沈めた後、醍醐は龍麻に再び問い掛けた。
「ええ…。それだけ事態が切迫しているということの表れかもしれないけれど…」
反対側から鋭い蹴りを入れてきたトニーを、龍麻はすっと紙一重でかわすとそのまま掌打を鳩尾に叩き込んだ。
「二人とも、喋ってねェで真面目に闘えよッ!!」
京一は、無力なくせに学院長の手前こちらに立ち向わざるを得ない研究員たちを、手加減をしながら相手をするという不本意な役割を担わされたので、やや不機嫌さを増したようだった。
真面目という言葉がここにいる仲間の中で最も似合わない男に注意されて、龍麻と醍醐は肩をすくめる。
「でも後残っているのは……」
「ジルが居ないよッ、ひーちゃん」
小蒔の指摘通り、いつの間にかジルの姿だけが煙が消えたように掻き消えていた。
≪拾≫
「どこまでも姑息な男だなッ」
中途半端な戦闘を強いられた挙句、主犯格に逃げられたので京一は憤懣やるかたないといった様子だった。
「同感ね。でも今は追いかけるよりも葵を助け出さないと…」
「アオイ、アオイ───ッ!!」
マリィは葵が閉じ込められている実験機のガラスを、小さな拳で力いっぱい叩いていた。
「どれかを動かせば開くんだろうが…」
しかし、先程の龍麻が起こした≪氣≫の波動の影響で、軒並みここにある機械の類はその役目を終らせていた。
「ごめんなさい…」
自分の無思慮な行動を深く反省する龍麻に、京一はにやりと笑いながら、
「仕方ねェな。こうなりゃ──こんなモン、手っ取り早くこうすればいい」
京一は木刀を構えなおす。
「ちょっと離れてろ、チビ」
そう言うやいなや、京一は自分の木刀に≪氣≫を溜めて、それを葵の入っている実験機に向ける。
「おい待て京一、美里が中にいるんだぞ」
制止する醍醐を無視して、京一はそのまま自身の≪氣≫を直撃させる。飛び散るガラス片が葵を傷付けないように、割れた瞬間にタイミングを合わせて、龍麻が≪氣≫を盾にしながら葵を抱きかかえた。
目のやり場に困った醍醐は自分の着ていた学ランを小蒔に手渡したので、小蒔は葵に素早く着せ掛ける。
「醍醐クン、ありがと。それに引き換え、まったく──京一ってば考え無しで行動するんだからッ!!」
ポカッと京一を殴った後、小蒔は自分の荷物からスポーツタオルを取り出して、全身濡れている葵を庇ったはずみで、同じように濡れてしまった龍麻に手渡した。
「葵、大丈夫?」
今の状況がまだはっきりと認識出来ないのか、葵はぼうっとした表情を顔に浮べている。
「……私、いったい……。龍麻…、来てくれたのね…」
「ごめんね、遅くなって…」
濡れた葵の身体を拭きながら謝る龍麻の言葉を、ゆっくりと首を振って葵は否定した。
「私…とても恐かった…。でもきっと来てくれるって…龍麻が。皆もありがとう…。それにマリィも…。あら……これは私の制服?」
黙って差し出されたのは、マリィがきちんと畳んで保管しておいた葵のセーラー服だった。
「ありがとうマリィ」
「アオイ…痛イトコロ無イ?」
心から心配しているマリィに、大丈夫よと明るく答える。
「ヨカッタ……」
「本当、良かったよ、葵も、そしてマリィもね。───あ、男連中はさっさとあっちを向く!このまんまじゃ葵が着替えられないじゃないッ!!」
小蒔が指差して命令するの気に入らないのか、命令内容が気に入らないのか、京一はぶつぶつと文句を言う。
「いいじゃねェか。減るもんでもなし」
「減るんだよ、キミが見たら」
「ほおー、面白ェ。何が減るのか言ってもらおーじゃねェか」
京一はにやにやとした笑いをしながら小蒔をやり込める。
「ま、お前なんか減ろうにも減る場所がねェけどなッ」
大声で笑う京一の顔面に、小蒔が今度は容赦の無い鉄拳制裁を加えた。床に派手な音を立てて倒れる京一を見て、醍醐は慌てて身体を入り口側に反転させる。
そのやり取りに、マリィは小さな笑い声を上げた。
「何だ、チビ、お前笑えんじゃねェか」
不承不承後ろを向いている京一が、次にマリィをターゲットにしてからかう。
「チビって失礼な言い方は止めて。ちゃんとマリィっていう名前で呼んでちょうだい」
今度は龍麻が京一の傍らに近付いて注意を加える。勿論、葵の姿が見えないように自分の身体でガードしながらだったが。
「ちェッ、信用ねェな……ま、ひーちゃんのを拝めたから俺は満足だけどよ」
濡れた加減で、自分も白のセーラー服の下から身につけている下着が透けているというのをすっかり失念していた龍麻は、頬を桜色に染めながら慌てて胸元を隠した。
「へへッ、ひーちゃんって白のブラ…」
その言葉を聞いて、更に真っ赤になった龍麻は腹部に掌打を一撃加えて、再度京一を床に沈めた。
倒れている京一を、やれやれと言いながら、醍醐が背中から乱暴に掴んで引き起こす。
くすくすッとまた愉快そうに笑うマリィを見て、葵も龍麻も小蒔も一緒に笑い合った。
「ほら、葵、早く着替えないと風邪引くよ。ほらひーちゃんもちゃんとタオルで拭いて服を乾かさないと」
世話を焼く小蒔の言葉に従って、葵も龍麻も大人しく言うことを聞く。
「あれ、ブラが無いよッ」
「(…………)」
「(…………)」
男二人が背後にいることをすっかり忘れ果てたのか、小蒔が構わず大きな声で話す。
「ソコニ落チテルヨ」
「ああホントだ。サンキュー、マリィ」
「アオイノ胸…大キイネ。マリィノ胸ハ小サイノニ…。タツマトドッチ大キイノ?」
「(な、何だとォ〜!!)」
言われた当人たちよりも、背後の京一の≪氣≫が高まったのを龍麻は感じ取った。
「えっと、それは…何と言えばいいのか…」
<葵の方が大きいわよと素直に言えばいいの?でも後ろに京一たちがいるし…>
龍麻が答えに迷っていると、マリィは葵の胸にしがみ付いてきた。
「あ、ちょっと、マリィったら…」
「アオイノ胸モ柔ラカイ…。サッキノタツマモ…」
「(くッ……羨ましいぜ、このガキ)」
これ以上京一を刺激するのも問題ありかと、龍麻はマリィを引き剥がそうと思ったのだが、葵はマリィがあまりにも安らいだ表情をしているので、しばらくそのままでと目で龍麻に合図を飛ばしてきた。
「アッタカイ……」
「この子…きっとママの顔も覚えてないんだろうね…。許せないッ、こういう子供たちを利用しているヤツを。早く追い掛けよう!」
小蒔の思いは、皆も同じだった。
ようやく着替えを済ませた葵を加え、五人は今後の作戦を立てる為に部屋の中央に集まった。
「追い掛けるってのは当然だけどよ、このチビはどうすんだ?」
「そうだな、これ以上子供を巻き込むのは…いくら四神の一人とはいえ…」
悩む醍醐に、葵は連れて行きましょうと提案する。
「それに…マリィは子供じゃないのよ…」
「えッ、マリィ、キミっていくつなの?」
「……16」
自分たちと二歳しか変わらないとは信じられない容姿に、驚きを隠せない一同だったが、先程のジルの言葉からそれは真実なんだろうという結論になった。
「大キクナルト≪力≫ガ弱クナルッテ…。デモ、マリィ、薬モ注射モキライ」
「この子たちも同じように研究材料とされていたのね…」
ジルに見捨てられ床に倒れている三人の子供たち(マリィの話からかんがみると年齢は未詳だが)を、悲しそうに龍麻は見つめた。
「マリィト同ジ、見捨テラレタ…ジル様ニ」
先程闘ったかつての仲間たちに、マリィもまた、同じように悲しみの視線を注いでいた。
「でも、マリィはもうボクたちの仲間だよ」
「ナカ…マ?」
小蒔の言葉を戸惑いながら口ずさむ。
「ええ、マリィと私たちはもう友だちになったんですもの」
「友ダチ…」
葵の言葉に、まだ言い馴れない言葉を使っているこそばゆさをマリィは感じた。
「友ダチ…マリィトメフィストミタイニ…?」
龍麻の笑顔に、マリィも一緒ににっこりと笑う。
「よっしゃ、そしたら…って、おいマリアセンセーは?」
葵はここに連れてこられる前までは地下牢で一緒だったといい、マリィもあの後の地下牢に近付かなかったので詳しいことは分からないと言った。
「取り敢えず、もう一度その地下牢に行ってみるしかないか…。どうする、皆で移動するか?」
「ごめんなさい、ちょっと私調べたいことがあるから、もう少しここに居たいの」
「そうか…。それなら俺と京一で行くから、女子はここで待機していてもらおう」
「えーッ!俺と醍醐だけでかッ?」
不満タラタラの京一を、マリア先生を助ける為にさっさと行くぞと強引に引っ張り出した。
「龍麻、何を調べたいの?」
「うん…。もしかしたら、その…マリィの成長を正常化させるのに役立つ研究資料が無いかなって思って」
「そうね…、何かヒントになる物位なら有るかもしれないわ」
「ボクよく分かんないと思うけれど、でも協力するよッ」
「マリィモ手伝ウ」
それから四人は手分けして、散乱している研究室の資料を漁っていった。とはいえ、殆どが専門用語や英語・ドイツ語で書かれている文書ばかりなので、どれを選べばよいのか判断できなかった。それでも後で時間があれば龍麻が解読するだろうといくつかの資料やフロッピーディスクを抜き取っていた。
龍麻は一番立派な机の引出しを探っていた。机の上には先程の葵の実験データを打ち出した紙が置かれていた。それを手にし、今度は引出しを開けてみると、その片隅に未完のレポートが放り込まれていた。
作成者の名は──死蝋影司だった。
<これは…。ということは、あの時私が拉致された時の資料なのかしら…>
被験者の名前は敢えて書かれてはいなかったが、female(17)と記述されているので、これはほぼ自分を指しているのだろうと推測した。
その文章中の、『被験者が発する特異な波動については今後注目すべき調査対象にする』と書かれている箇所に、ジルによるものと思われる印がつけられていた。そして横にはドイツ語でこのように走り書きがされていた。
“我々の捜し求めているモノに極めて似てはいるが、しかし別物であることが判明したため対象から外す”と───
<…これって…私と葵の波動が似ているってことなの?もしそうだとしたら…やっぱり>
ここの所ずっと疑念を抱いていた事柄の答えが、もやが晴れたようにくっきりと頭の中に浮かんできた。
だが、そのことに気を取られていた為、自分の背後で倒れていたトニーが意識を取り戻して、再び攻撃をしてきたことに気が付くのが遅れてしまった。
「テキハ…コロセ…」
「危ないッ!」
咄嗟に葵に庇われて龍麻は床に倒れこんだ。トニーは壊れた表情でコロセと呟くと、再び意識を失ってしまう。
「葵、肩から血が出てるよッ」
小蒔が悲鳴を上げた通り、龍麻を庇う代わりに、自身がトニーの≪氣≫の攻撃を受けて負傷してしまっていた。
「葵…」
龍麻が居たたまれない表情のまま葵に謝ると、
「良かった、龍麻が無事ならばそれでいいわ…」
肩に走る痛みに軽く顔をしかめながらも、笑顔を見せようとする。
「コイツッ、葵とひーちゃんによくもッ!」
「止めて小蒔。その子が悪いんじゃないの。ごめんね…私…また何もしてあげられない…」
葵の言葉は、龍麻と小蒔の心の中を抉った。彼らのように歪んだ思想の持ち主によって洗脳されてしまった人間を救うには、この≪力≫なんて何の役にもたたない…と。
「ごめん…葵…私のほうこそ」
そう呟くと、無意識の内に葵の傷口に龍麻は手をかざしていた。すると、いつも葵が皆を癒しているのと同じ現象が起こった。
「…龍麻が…どうして?」
「分からないわ…。でもこうすればいいって…勝手に手が動いたの…」
龍麻ははっきりとした理由を明かさないまま治癒術を掛けつづけた。
<ごめん二人とも。今はこう言うしか出来ないの…>
「すごいね、ひーちゃん。これで攻撃も回復も両方できるね」
「ううん、私の治癒術なんてまだまだ弱いから、戦闘では役に立てそうにないわよ」
龍麻の言葉通り、葵や高見沢に比べ倍以上の時間を費やして、ようやく葵の傷が完治した。
「アオイ、良カッタ怪我ナオッテ…。モウ痛クナイ?」
「マリィもありがとう。本当にあなたって優しい子ね。今まで辛かったでしょうに…」
「ミンナ…マリィノコト出来損ナイッテ…失敗作ダッテ…」
「そんなこと無いわ、マリィ。あなたは優しくてとってもいい子よ…。これからはもうあなたのことをそう呼ぶ人はいないわ。だって、あなたはもう自由なんだから」
「ジユ…ウ…?」
「そう、誰もあなたに命令しない。ぶったりもしない。あなたは自由なのよ」
「自由の言葉も知らされずにこんなところに連れてこられて…ホント酷すぎるよッ、ね、ひーちゃん」
「ええ…。出来損ないだなんて言われたら…本当に辛い思いをするわよね…」
沈痛な面持ちで龍麻が応える。その言葉には真情がこもり過ぎているように感じられた。
程無く、しんみりとした空気を打ち破るようにして京一と醍醐が戻ってきた。
「地下には誰も居なかったぜッ!!………?どうした、妙に暗い顔をして」
「ううん、何でも…。二人ともご苦労様。それで、マリア先生が逃げ出せたという可能性は現場状況的に見て考えられる?」
「それは無理だろう。何も抉じ開けた様子は無かったし、大人が抜け出せそうな穴一つも見当たらなかった…」
「もしかしたら…マリア先生のこともジルはとても興味があったようだから…先生を連れ出したのかもしれないわ」
葵の証言から、だったらここはジルを追う方を優先しようと結論を下した。
「…ジル様ダッタラ…ヨク屋上ノヘリポート使ッテ移動スル」
「ヘリポートか…、よしッ急いで追い掛けよう」
「マリィモ、マリィモ一緒ニ行クッ」
お願いだから連れて行ってと頼んでくるマリィを、龍麻を含め五人は当然のように了承する。
「当たり前でしょ、マリィは私たちの仲間なんだから」
「アノ…Thanx(ありがとう)」
「Your welcome(どういたしまして)、さあ屋上に行きましょう、一緒に」
≪拾壱≫
「いたぞ、あそこだッ」
屋上に差し掛かる階段の、最後の踊場で、目的のジルとそして一緒に連行されているマリアの姿を発見した。
だが、マリアは五人の姿を見ると顔色を変えて叫ぶ。
「早く逃げなさいッ」
「何言ってんだ、俺たちがセンセーをサクサクっと助けるから心配するなって」
「そうだよ、マリア先生を見捨てるなんて──」
マリアの言葉を否定する京一と小蒔に、更に厳しい表情で命令する。
「いいから、早く。この建物には大量の爆薬が仕掛けられているのッ」
何だってと驚く一同に、ジルは高笑いをする。
「すでに点火の秒読みは始まっておる。ワシの崇高な研究を愚民共に暴かれる訳にはいかんからな」
「崇高な研究って、これのことかしら?」
龍麻が掲げたのは、いくつかの資料とフロッピーディスクだった。
「残念ね、ジル。いい加減に観念してマリア先生を解放しなさい」
「ふん、小娘が生意気な口を利く。だがお前が持っていた所でそれらの内容が分かる由も無い。それに…これが目に入らないと見える」
ジルの手には短銃が握られ、その銃口はマリアに向けられていた。
「そこを一歩でも動いたら引き金を引くぞ──」
「最後まで卑怯な真似を…」
軽蔑と怒りに満ちた目で見上げるが、ここはマリアの命が懸かっているので相手の言い成りにならざるを得ない。
「こんなところで捕まる訳にはいかんのだよ。ワシの頭脳とこの研究資料があれば受け入れてくれる国など幾らでもある。さあ、その娘を寄越すのだ。そうすればこの女と引き換えにしてやろう」
「…龍麻…マリア先生…」
ふらりと近寄ろうとする葵をマリアが叱咤する。
「だめよ美里サンッ」
「さあ、来るんだ。どうする?もう猶予は余り無いぞ」
<この娘の≪力≫さえ手に入れれば我が帝国の再建できる日も近い。そうなれば他の兵士は用済みだ…>
冷酷な考えを巡らせているジル目掛けて、紅蓮の炎がまっしぐらに放出された。
「Fire!!」
それを避けるためにジルが体勢を崩した隙に、マリアはジルが手にしている短銃を弾き飛ばし、階段を駆け下りた。
「ぐウ…。この出来損ないが…」
マリィの一撃で火傷を負った手を押さえつつ、裏切られた憤りと内奥を侵食し始めた絶望感に、ジルは顔を歪める。
「形勢逆転ッ──だな。さあて今度こそ観念してもらうぜ、おっさん」
京一が近付こうとしたが、強い陰の≪氣≫を感じた為、その場で警戒の態勢を取る。
「はははッ、無様だな、ジル」
「…ようやく出やがったな、鬼道衆ッ!」
「お初にお目にかかる──鬼道五人衆が一人、我が名は雷角」
霧のようにジルの傍らに現れた雷角に、ジルは縋るように助けを乞う。
「ジルよ…莫大な金を湯水のように使い、何百人という子供を殺してきた…その結果がこれか?」
雷角は軽蔑の気持ちを露にして、ジルを見下す言葉を吐く。
「貴様が名誉を回復したいのならば、最早手段はただひとつ…」
───奥底に蜷局(とぐろ)巻く、憤り、怒り、恨み…それを解放するが良い
「な、何だ…」
身体に異変を覚えて、ジルが声を裏返す。
「変生せよ…」
「まさか…こいつも鬼に…」
醍醐は目の前で繰り広げられつつある光景のなれの果てを予感した。だが、佐久間の時と違い、何とかして食い止めようという気持ちが不思議と湧き上がらなかった。
「…俺は冷たい人間なのだろうか…」
「違うぜ…醍醐。こいつは人間の皮を被った鬼だった、もともとな。それが本来の姿に戻るだけだぜ」
辛辣な言葉を京一は投げつける。
「京一…マリィの前であまり酷いこと言わないで」
葵の腕の中で怯えた悲鳴を上げるマリィをかばうよう前に立つ龍麻は、瞬きもせず変生を続けるジルを見つめる。
「龍麻…お前…」
「私には倒すべき相手の変わり行く姿を、そしてその死を最後まで見届ける必要がある。それが≪力≫を受け、尚且つそれを振るう者として課せられた義務だと思うの…」
ひいてはそれが≪力≫への自戒の気持ちにも繋がるのではないのかしらと龍麻は言うと、後は口を閉ざしジルの変生を見届けた。
「いい姿だな、ジルよ…」
咆哮するジルを従え、雷角は五人に屋上に来るように命じる。
「これが鬼道五人衆最後の一人ね。気合を入れて闘わないと…彼らももう後が無いから。ですので、マリア先生は一足先に脱出して下さいッ」
「何を言うの緋勇サン。教え子のあなたたちだけを危険な目に晒す訳にはいかないわ。ワタシも一緒にここにいます」
「……マリア先生の教師魂は嬉しいのですけれど…」
頑として残るというマリアに、龍麻はそれだったらと真摯な態度で頼み事をする。
「こっちの方がもっと危険かもしれないですが…あの子たちを逃がしてあげて下さい。マリア先生の教師としての優しさをあの子たちにも分けてあげて下さい。私たちは一緒に残ると言ってくれた気持ちだけでもう十分ですから…」
仲間たちの手前闘うことに対して揺るぎない決意を見せている龍麻の、その心の裏で未だ悩み苦しんでいる物を少しでも取り除けるのならばと思い、マリアは迷わず了承する。
「…分かりました…私の出来る限り努力してみます…」
マリアが階下に去ってから、小蒔はあの子たちを助けるなんて危険なんじゃないのと訊ねてきた。
「だから、マリア先生には最初にサラと呼ばれていた女の子から助けてあげてって言っておいたの。彼女には透視の≪力≫があるみたいだから、きっとこの現状も把握できると思うわ。さあこれで…心置きなく闘えるわね、皆も、私も───」
龍麻の言葉に皆は一層闘志を漲らせて屋上に上がった。
「遅かったな…逃げ出したのかと思ったぞ。せいぜい常世の果てで我らの仲間に許しを請うがいい!」
挑発の言葉を口にする雷角は、中央よりやや後方で槍を構えて待ち構えていた。その横には変生したジル、そして取り囲むように下忍・中忍がずらりと姿を見せていた。
「ひゅー、大した歓迎ぶりだぜッ。それじゃとっとと始めるか」
軽口を叩く京一と、思う存分暴れさせてもらおうと言う醍醐を見て、小蒔は、
「何だかんだ言って、この二人は似たもの同士だよねッ」
呆れ顔で龍麻を見る。
「そうね、でもこういう時には頼もしい限りだわ。葵、今回は防御より攻撃を重視するから、攻撃力を上げる術をお願いッ」
「短期決戦ね。分かったわ」
葵はすぐに【智天使(ケルプ)の青】を唱え始めた。
「醍醐君はすぐに【白虎】の≪力≫を解放して」
「ああ…任せておけ」
醍醐は内に眠る自分のもう1つの≪力≫を引き出そうとする。
「小蒔はいつもの通り援護射撃をお願い」
「オッケー、それじゃあ頑張るぞッ」
手際良く弓に矢を番えると、いつでも射出できる体勢をとる。
「今回の攻撃の要はマリィ、あなたよ」
「マリィガ?」
「そうよ、私が合図したら自分の使える技の中で、一番効果範囲の広いのを使ってくれる」
「ウン、分カッタ」
マリィは頼られたのが嬉しいとばかりに、力強く頷いた。
「それじゃあ、私は右翼を攻めるから、左はよろしくね、京一」
「俺にはそれだけか…」
「もう分かりきっているでしょう、あまり時間が無いんだから…」
さっさと自分のポジションに移動する龍麻の背中に、京一は尚も言う。
「頼られてンのは嬉しいけどよ…言葉で言って欲しい時も有るんだよな…」
分かりましたと、龍麻は信頼感に満ちた目で京一を見る。
「……今日も頼りにしているから、京一……相棒としてね」
その言葉に、半分涙目になりながらも、それはそれで良しとしておくかと自分に言い聞かせた。
「いくぜ、【剣掌・旋】!」
「【円空破】」
二人の≪氣≫を主体とした技が左右から同時に打ち込まれたため、下忍や中忍たち早くも混ぜんとした状況に追い込まれてしまった。
中央からは、【白虎】の≪力≫を宿して、常以上に防御力・攻撃力の上がった醍醐が龍麻と同じ【円空破】を使い、徐々に前進して行く。
龍麻と京一は屋上の柵ぎりぎりの位置で技を使うので、全く背後の心配をせず、前方のみに注意を払うことが出来た。
雷角側の方が数の上では圧倒的に有利なはずが、屋上という限られた空間を生かした龍麻らの戦法によって、ほぼ互角の闘いを強いられている。
「こんな筈では…」
不甲斐ない部下たちの闘い振りに苛立ちを隠せない雷角は、仕方なく前方に進んでいた。
<中央さえ突破出来れば…後は非力な女共しか残っていない…>
そうなれば左右に分かれて展開している龍麻と京一を孤立した状態に追いやることが可能だと睨んでの上である。
<幸いあの男は術に対する防御力は薄そうだ…、我の雷術を用いれば…>
だがその動きを複数の敵を一度に相手にしながらも龍麻は見逃さなかった。
「マリィッ!今よッ!!」
龍麻は通る声で呼びかけると、もう一度駄目押しの【円空破】を自分に近付いて来た敵に仕掛けた。
「し、しまったッ!」
いつの間にやら自分たちが中央に固められていたことに、雷角はようやく気がついた。
「へへッ、今頃気付いたって遅せェぜ、【剣掌・発剄】」
「そういうことだ」
【虎蹴】を雷角に繰り出した直後、醍醐の大きな身体を隠れ蓑にしていた小柄なマリィが、ようやく出番だと姿を見せた。
「サバオ・フェニックス───!!」
マリィの気合を込めた指先から清浄な炎を纏った不死鳥が発現し、中央に固まっていた敵の一群をその超高温の火炎の翼で焼き払った。
「……やっぱり本物だな…【朱雀】の≪力≫は…」
不死鳥が虚空に消えたときに、残った敵は虫の息の雷角と、そして背後で蠢いているジルだけだった。
マリィの≪力≫の凄さに、醍醐は心底感嘆する。
「後はあの二人だけか…、どうする、ひーちゃん?」
もう背後を気にする必要の無くなった京一が、龍麻の方に近付いて来た。
「…私が…闘う…」
「葵?でも…葵には…」
攻撃できる術を全く持っていない葵の申し出に、龍麻は戸惑うだけだった。しかし葵は護られてばかりいる自分は嫌なのだと言う。
「マリィだって一生懸命闘っているのに…」
普段は控え目だが一度言い出したら譲らない葵の性格を、この5ヶ月の間でよく知らされている龍麻は、説得するのを早々に諦めた。
「分かったわ、葵。だったら、前にやったように私と≪氣≫を合わせてくれる?」
方陣技を使おうと作戦を切り替えた。二人の会話を聞いていたマリィは、自分も参加すると言い出した。
「ありがとう、マリィ…でも大丈夫?」
「Don't Warry! マリィニ任セテ!!」
初めて方陣技を行うとは思えない位息の合った二人の、それぞれの詠唱が同時に終ると、
『アポカリプス・ケルブ』
それぞれの≪氣≫から具現した神々が、炎を纏い雷角とジルに襲い掛かる。
そして次に龍麻が葵と≪氣≫を合わせて、光の束を降り注ぐ。
雷角とジルは共に断末魔の叫びを上げながら地面に倒れ伏した。
「終ったねッ」
喜ぶ小蒔が、龍麻ら三人に近付こうとした時、建物全体を揺るがすような爆発音が聞こえてきた。
「まずいッ、もう爆発が始まったかッ!早く逃げるぞ、龍麻、美里ッ!!」
醍醐の叫び声を聞いて、雷角が肩をぴくりと動かした。
「……そうか…お前が美里…あお…い…。そうだったか…」
苦しげな息の下で、雷角が葵に言葉を投げる。
「…因果は変わらず巡るということか…、クククッ、お前はもう逃れられぬ…我々の手からはな…」
九角様がお前を待っているぞと言い残すと、雷角はその姿を大気の中に散らしていった。そして他の四人の時と同じ様に、その跡には黄色い光を放つ宝珠が乾いた音を立てて転がっていた。
「早くしろ、美里。チビもボンヤリしねェでちゃんと付いて来いよッ」
マリィは龍麻に手を引かれながら、階段に向って走り始めるが、扉に近付いた所でくるりと後ろを振り返る。
「Goodbye my home….Goodbye…master Jill……(さよなら…私の故郷…。さよなら…ジル様)」
そう呟くと、二度と振り返ること無く出口に向って走り始めた。
≪拾弐≫
間一髪であったが、どうにか全員無傷で学校の外まで逃げおおせることができた。
「マリア先生、ちゃんと脱出できたかな…。それと天野さんも」
小蒔が心配そうに、今は姿が見えない二人を気遣う。
「まあ、絵莉ちゃんはああ見えても修羅場を潜り抜けてるし、何より強運だから平気だろうが、マリアセンセーはひょっとすると…」
「ワタシがどうかしましたか?蓬莱寺クン」
突然表れたマリアの声と姿に、全員驚いて振り向く。
「先生、ご無事だったんですね」
「ええ、何とか間に合ったわ。……緋勇サン、安心して、あの子たちも無事だから」
ただし三人ともショック状態で、今は抜け殻のようになっていると付け加えたが、
「そうですか…、良かった…」
「建物が無残に爆発した割には、怪我人も少ないそうよ。だれかがすぐに通報したんじゃないかって、駆けつけた消防の人が言っていたわ」
「それは天野さんのお陰かな?じゃあ、天野さんも無事だね」
自分たちの関係者全員の無事が分かった為、醍醐は騒ぎが大きくなる前にいつもの様にここを離れようと提案した。
「でも、このコはどうするの?」
小蒔は龍麻と手を繋いでいるマリィを心配そうに見つめる。その言葉を聞いて、マリィは無意識の内に龍麻の手を握っている指の力をぎゅっと強くする。
マリアが保護した三人と同様、マリィもそれなりの施設に送られるのが妥当な考え方だろう。だが、マリィにはもうそんな寂しい思いをさせたくは無い、そう全員が思った。
<どうしよう…家に連れて行こうかしら…でも両親が…>
自分も養子であるが故に、マリィを引き取りたいという気持ちは強くとも、実行には今一つ踏ん切りが付かないでいる。
他の四人にしても、未成年者としてそれぞれの家庭の扶養家族の一員であるので、家族の許可が無い以上軽々しく引き取ろうなんて言い出せる訳も無い。
やっぱり当面は一人暮らしをしている自分が──そう切り出そうとした時、
「マリィ、こっちにいらっしゃい…」
葵が優しい口調でマリィに話し掛けてきた。
「葵…」
龍麻は瞬時に葵の言わんとすることが理解できたが、それを止めようとも、そしてマリィを促そうともしなかった。全ては本人たちに委ねようと決心した。
「…………」
黙りこくるマリィに、葵はもう一度、今度ははっきりと呼びかける。
「マリィ…、私の家にいらっしゃい」
「エッ…?」
その言葉に、マリィも、龍麻以外の他の四人も驚きの声を上げる。
「私と一緒に暮らすのはいや?」
「……ウウン」
「これからは、私の家がマリィのお家になるの。ねッ、一緒に暮らしましょう。私がお姉さんになってあげる」
「オネエサン…」
今まで口にした記憶の無い言葉を復唱するマリィに、そうよと、嬉しそうに葵が頷く。
「美里…お前本当にいいのか?」
気遣いを見せる京一に、葵は決意を固めた表情で応える。
「このコは今までずっと牢獄の中にいた…。同じ年の女の子の楽しみを何一つ知らないで…」
「…そっか……」
そういうことなら、別に止めはしないと京一は言う。
「父も母もきっと許してくれるわ。だって妹が出来たんですもの」
「……イモウト…」
またも口に上らせたことの無い言葉だったが、その言葉はマリィを心の底から温かくする力があった。
「私がお姉さんじゃ…いや?」
「ソッ、ソンナコトナイッ。ダッテ、マリィ、アオイノコト好キダモンッ」
必死に否定するマリィを、葵もまた心の底から愛しいと思った。
「ありがとうマリィ。それじゃあ行きましょう」
「ウン」
仲良く手を繋いでいる葵とマリィの少し後ろを龍麻が歩いていく。
「…何だか複雑な気分…」
隣を歩いている京一に、語り掛けるでもなく言葉を口にする。
「マリィが葵に懐いてるのが気に触るのか?」
京一が訊ねる言葉を、半分は否定する龍麻だった。
「嬉しいんだけれど、葵に妹が出来て羨ましいなって思ってるの。……無理にでも家で引き取れば良かったかな…」
と、ここまで言うが、やっぱりダメだと左右に首を振って自分の言葉を打ち消す。
「マリィにはもっと大勢の家族に囲まれて幸せになってもらわないと。それが相応しいのは葵のお家の方だわ」
「そっかー、ひょっとしてひーちゃんも家族に飢えてんだな。だったら、俺が一緒に暮らしてやるぜ、それとも、いっそ二人の子供────」
バコっと音を立てて、後ろから小蒔が持っていた鞄で京一の後頭部を殴る。
「もうキミは、そうやってすぐに話を下世話な方にもっていくんだからッ!」
叩かれた後頭部を撫でながら、京一は反撃する。
「うるせーッ、屋上でいちゃいちゃと二人して弁当食ってる奴らに、俺のことをとやかく言われたくねェぜ」
「京一、俺は何も言ってないぞ…」
そう言いながら、醍醐は≪氣≫を高め始めた。
結局、新宿につくまでの間賑やかに口喧嘩+αを繰り広げる京一らを、マリィは終始楽しそうに笑いながら見ていた。そんなマリィの屈託の無い笑顔を見て、龍麻と葵は護るべき大切なものをまた一つ見出せたと感じていた。
───そして、この二人の因果と浅からぬ縁を持つ敵との邂逅───
その時は刻一刻と迫っていた。
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