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外法都市 第拾参話其ノ弐

 ≪伍≫

「結局最後の授業まで戻ってこなかったな」
「そうだね。お昼休みに様子を見に行ったときはよく眠っていたから、そのままそっと寝かしておいたんだけど」

 小蒔は昼休みの様子を三人に説明する。ちなみに龍麻は数学の授業をサボった為、京一は居眠りをしていた為、揃って職員室に呼び出しを食らっていた。

「ま、いいんじゃねェか。あいつにも休息は必要だろう。日頃から生徒会だ何だって仕事をし過ぎているからな」
「キミみたいに部長の仕事を副部長に押し付けているのとは大違いだね」

 小蒔の突っ込みに、京一は俺のことはほっとけよとむくれる。龍麻はその様子を笑って見ていたが、ふと真面目な表情に切り替える。

「でも、もう半日も眠り続けているなんて…」
「もしかしたら実験の後遺症かも知れんな。一度桜ヶ丘に連れて行った方が」

 桜ヶ丘という言葉に黙り込む京一に対して、小蒔はその意見に賛同を示す。

「ねェ、それはそうとして、今日はこれからどうするの?葵の体調も悪いし、不動に行くのはまたにする?」
「…それは駄目よ」
「ひーちゃん…」
「龍麻」

 龍麻から否定の意見が出るとは思わなかった為、三人は驚きの目で見つめ返してきた。

「私たちだけででも封印に行かないと。何より鬼道衆の動きが気になるわ」

 言外に昨日の襲撃を匂わせながら、龍麻は意見を述べる。

「あァ、確かにいつまでも持ってるワケにはいかねェしな」
「あッ、そうか、宝珠はひーちゃんが預かっててくれてたんだったよね。…ゴメン。そうだよね、いつまでも手許に置いとくのは不安だもんね」
「理由はそればかりじゃないけど…」

<早く決着を付けてしまいたい。例の《力》が覚醒してしまう前に>

「それじゃ決まりだな。よし俺たちだけで行くとするか」

 醍醐が重々しく宣言すると、その言葉に重なって入り口から葵の声が飛び込んできた。

「…待って、みんな…」
「葵、もう起きても平気なのッ!?」
「まだ無理をしないほうがいいんじゃないか」

 小蒔と醍醐の心配する言葉を振り切るように、葵は真っ直ぐに龍麻の方に向かって歩いてきた。

「もう大丈夫よ。だから私も連れて行って」
「葵…」
「酷いわ、龍麻。私ちゃんと龍麻の言う通りにしていたのに、置いていこうとするなんて」

 でもまだ体調が悪いのではと渋る龍麻に、葵は訴える。

「私もちゃんと見届けたいの。今まで私たちがやって来たことの結末を…」
「……」
「身体ならもう大丈夫。だいぶ良くなったから。だから…お願い」

<だから…私を見捨てないで…たとえ足手まといにしかならなくても…>

「分かったわ。…本当にごめんなさい葵」

 真摯な表情で謝る龍麻に、葵は良かったと呟く。

「あ、でも他のみんなの意見を聞かないと」

 龍麻は残った三人の意見を促す。

「俺は別に本人が行きたいッていうなら反対しねェぜ」
「ボクは…うん、葵の気持ち、良く分かるな。やっぱり最後はみんなで一緒に見届けたいもんね」
「…まぁいいだろう。だが途中で具合が悪くなったらいつでも言ってくれ。俺たちに変な気を遣うことはないからな」
「ええ、ありがとうみんな」

 何だかんだ言っても、やっぱり五人揃って行動するのが当たり前になっているので、これでいいんだと全員が笑顔を浮かべる。

「よしッ、それじゃ行こうとするか。最後の不動へよ──」



 新宿から中央線、総武線と乗り継いで、ようやく最終目的地の最勝寺、通称『目黄不動』に辿り着いた。

「ふー、やっぱ今日のトコが一番遠かったね〜」
「そうね…」

 葵がやや疲れた声を出したので、京一は二人にここに残っていろと声をかける

「祠の方は俺たちで探して来るからよ。で、ひーちゃんはどうする?」
「もちろん、ここに残っているわ。醍醐君と二人頑張ってね」
「そー言うと思ってたぜ。それじゃそっちの二人は頼んだぜ」
「ええ」

 それはもちろん何時襲ってくるか分からない鬼道衆に備えての言葉であった。ぴりぴりとした緊張感を改めて感じながら、小蒔はそっと龍麻と葵に話しかける。

「あいつら、どっかでボクたちのコト見ているのかな?」
「そうね…襲うタイミングを伺っているのかもしれないわ…。龍麻は昨日怪我もしたし…気をつけてね」
「ええッ、ひーちゃん、昨日怪我したの?」

 驚く小蒔に、龍麻は面目ないと照れ笑いを浮かべる。

「ちょっとね…。でも葵が居てくれたから大事にはならなかったし、今日は気を付けるから」
「ええ…何があるか分からないもの」
「向うの目的が全然分からないからね、用心するに越したことはないと思うよ」

<向うの目的…それは分かっているんだけれど>

 ふうとため息混じりに龍麻が彼方を見遣ると、遠くから京一が祠が見つかったぜと大声で合図してきた。

「これが…最後の祠ね…」
「別に今までと何も変わり映えは無いけれど、でも、ドキドキするよねッ」
「そうだな。龍麻それじゃあ頼むぞ」

 宝珠を捧げようと祠に近づこうとしたが、

──…こんな結界如きで…防げるものか…我等の悲願を…

「えッ…?」

 龍麻は不穏な気配を感じ取って左右を見渡した。

「どうした、ひーちゃん」

 龍麻の顔色が変わったので、京一はすかさず木刀を構えつつ辺りを伺った。だが辺りには疑わしい人影も何も感じられない。

「誰も居ねェぜ」

 拍子抜けした様子で京一が言うので、龍麻も今のは神経が高ぶっている余りの空耳だったかと苦笑し、そして最後に一つ残っていた黄色の宝珠をいつもと同じように静かに祠に安置した。

 ややあって祠から結界が発生し始め、全員がこれで全ての祠を封印できたとほっと一息ついた。

 その時───

 ───目覚めよ

 葵の頭の中に鈴の音色と共に、呼びかけてくる声が響き渡った。

 ───目覚めよ、菩薩眼の娘──

 その声は同時に龍麻の頭の中にも流れ込んでくる。

 ───目覚めよ…そして戻れ…我が元へ───

<やめてッ>

 その声に抗おうと必死になっている龍麻は、自分の内から何かが抜け落ちていく感覚に捕らわれていた。指先や唇が妙に冷たく痺れて、目の前の世界がぼやけ始める…。耐え難い不快感から眩暈を覚えた。

 だが、ふいに鈴の音も、呼びかける声も、龍麻の耳に届かなくなった。代わりに聞こえたのは、

「あ、葵ッ───!」

 目の前で崩れるように倒れた葵を見て叫ぶ、小蒔の悲鳴だった。




 ≪六≫

 意識を失った時、葵は自分の中に何かが入り込んでくる感覚に捕らわれていた。

 そしてその感覚が薄れていった時、自分は暗闇の中に放り出されていることに気が付く。だが、ここがどこなのか見当が付かない恐怖感よりも、そこに漂っている《氣》への懐かしさが葵の気持ちを満たしていった。

『そこにいるのは誰?』

 突然かけられた声に驚き振り返ると、そこに居たのは見慣れぬ衣装を身に纏い、手にはこれも古めかしい剣を持った、自分と同じ年かさの少女。

『た、龍麻?』

 自分のよく知る人間そっくりの顔立ちの少女を見て、葵は思わずその名を口に出してしまった。

『それって誰の名前?』

 少女は怪訝そうな顔で葵を見つめ返す。

『あなた…こんなところに来るなんて、一体何者なの』
『私の名前は──』

 葵は条件反射的に自分の名前を告げようとしたが、

『待って、口に出さなくていいわ』

 少女は手を伸ばしてきて、葵の手を握ってきた。そして得心の行ったようにうなずくと、

『ここでは迂闊に自分の名を名乗らない方がいいわ』

 葵に忠告をしてきた。

『なぜ?それに、ここって…』
『ここは黄泉(よも)つ国…。死者の魂が集められる場所ね』
『死者…もしかして私…』

 青ざめる葵を見て、くすくすと少女は口元にだけ笑みを浮かべる。

『それは間違いよ、残念ながら…という言葉は似合わないわね、この場合』

 間近で見る美貌はぞっとする位で、そのいでたちと相乗効果を成して人間臭さを全く感じさせない。

『あなたがここに飛ばされたのは、あなたの中に宿る記憶のせい…それがあなたの意識だけをここに運んできたの』
『私の…記憶…?』
『…魂に刻まれた記憶…それは消そうと思っても消える物ではないわ…。知ってて、私とあなたはかつては一人の人として存在していたのよ…』
『一人の人として…』
『遠い遠い昔ね、でも──』

 少女はふっと顔を曇らせる。

『“私たち”の《力》を恐れる人々によって、“私たち”は存在を二つに裂かれてしまった…あなたは私の言ってみれば半身みたいな存在って訳ね』
『それは…』

 葵は少女の想像もつかない言葉に圧倒された。だが、ふと疑問が頭をかすめていく。

『だとしたら…あなたはなぜここに留まっているの』

 ここは死者の国だと少女は言い、けれども彼女の半身である(らしい)葵は生者だと言う。

『あら、私だっていつまでもここに留まっているっていう訳ではないわ…。刻(とき)が満ちるのを待っているだけよ』
『刻が満ちて…それで…』
『生まれ変わるのよ…新しい【器】としてね』

 淡々とした口調のまま、少女はまたも葵の理解に苦しむ言葉を紡ぎ出した。

『“私たち”はね、元々ある存在を受け入れる【器】として生を繰り返していたの…それを繰り返していく内に、その《力》が強大化していって…それを恐れた人々によって《力》を二分化されてしまったのね。で、私の方がそっくりそのまま【器】としての使命を引き継いでしまったのよ』
『あなた…恐ろしくは無いの…』
『何が?』

 事も無げに自分に課せられている使命を語る少女に、葵は他の存在を受け入れるのは恐ろしくは無いのかと問いかける。

『だって、自分の存在が…消されてしまうかもしれないのよ』

 その怖さを葵は既に体験している。自分にこの《力》があると初めて自覚した旧校舎で、そして夕べの戦闘で…。呼びかけられた声に応じる内に芽生えた《力》に、それまでの自分が押しつぶされそうな恐怖を。

『怖くなんか無いわ…』

──【器】には感情は無用だから。必要なのはそれを受け入れ、次代に引き継ぐこと…

 そう言い放つ少女の姿が、葵の目には急に寂しく、儚げなものに映った。

『駄目よッ。そんなことを言っては!どんな人にだって自分自身の人生を歩む権利があるのよ』
『あなた…泣いてくれるの、私の為に…』

 いつの間にか自然と涙を流していた葵に、少女は戸惑いつつ、先よりも柔らかい声をかける。

『ありがとう…あなたは優しい人なのね…』

 そして、再び葵の手を引くと、

『さあ、あなたはそろそろここから立ち去らないと…みんなが心配しているわ』
『みんなが…』

<そうだ、私は皆と一緒に不動巡りをしていたのだったわ>

『そうよ。あなたにここは相応しくないわ』

 そう言うと、手に持った剣で目の前の空間を切り裂いた。突然まぶしい光が差し込んできたので、葵は目をつぶりながらも、少女に訊ねた。

『あなたは…またこの暗い空間で、たった一人きりになってしまうの』
『…私はここから先には進めないの…まだ刻が満ちていないから…』

 ぽつりと呟く少女の言葉はどこか哀しそうだったが、葵の手をもう一度ぎゅっと握り緊めると、

『でも…どんなに刻が経っても、あなたの優しさを、言葉を…私は忘れない…。いつまでも…。だから…寂しくは無いわ』

 最後に透き通るように美しい笑顔を見せ、葵の手を離した。



<行ってしまったわね>

 葵が消えた空間を見つめていた少女を、突然地の底から湧き上がる声が包み込む。

 ──余計なマネをしてくれる

 暗闇に響き渡る声が、少女の行動を非難する。

 ──いま少しであの娘が完全に覚醒する…それを…

「お黙りなさい」

 少女は剣を構えて、声の主を威嚇する。

 ──お前だって、あの娘が覚醒さえすれば、この暗闇から這い出ることが適うのだぞ

「生憎と、あなた方の思惑に踊らされるのは御免こうむるわ」

 ──【器】の分際で生意気な口を利く…。感情は必要無いのではなかったか

「私自身の使命に関してはね。でも…それ以外の存在に対してとなると話は別よ」

 ──やはり我らとは相容れられぬ忌々しき片割れよ、そうだな“緋勇”──

「“九角”の名を語る亡霊には用は無いわ。さっさと根の堅洲国(かたすくに)へでも消えて、そしてあの娘には二度と手を出さないちょうだい」

 ──クククッ、強気な発言だな。だが、そなたがあの娘にした気遣いも直ぐに無用のものとなる。あの娘の中に残っている緋勇の《氣》は間も無く消え去る。そして…“緋勇”の存在そのものも間も無く…

「勝手なことを…」

 ──何せ今の“緋勇”を受け継ぐ者は、極めて不安定な存在だからな…アレがどっちに転ぶのか、せいぜいそこで眺めているがいい…──

「……………」

 声が遠ざかり再び一人きりとなった空間で、少女はひそやかなため息を漏らした。




 ≪七≫

 意識を取り戻した葵がまず目にした光景は、涙を流しながら自分の名を必死に呼びかける小蒔の姿だった。

「…ここは…?私、一体…」
「ここは桜ヶ丘だよ、葵」
「目黄不動で宝珠を封印した後、いきなり倒れたんだ」
「いきなりみんなで来るんだもん、舞子ビックリしちゃったァ〜」

 口々に皆が自分が倒れた時の様子を説明してくれ、ようやく葵は自分の現在の状況が理解できた。

「でもぉ、意識が戻って良かったねェ〜」
「高見沢さんにまで心配かけてしまって…。私どの位眠っていたの?」
「ん〜、ちょうど5時間ぐらいかな」

 小蒔は自分の腕時計を見て答える。時計の針はもう9時を廻っていた。

「そんなに…」

 慌てて起き上がろうとする葵を、小蒔がまだ横になっていた方がいいと止める。

「ひーちゃんだって体調悪くしてるんだし…」
「そういえば…龍麻の姿が」

 自分がいる病室内に見当たらないと、葵が気が付いた。

「ついでに京一の姿も一緒に見えないけどね。あいつはひーちゃんの方に付き添ってるから」
「そんなに具合が悪いの、龍麻は」
「いや、意識は失わなかったんだが、…今は大事を取って隣の病室で休んでいるはずさ」

 醍醐の言葉が終わらぬ内に、病室の扉が開いた。

「おや…どうやら気が付いたようだね。どうだい、具合は」
「もう大丈夫です…」
「そうか。大分良くなったようだね。ローゼンクロイツ学院とかいったかい、その時の実験の後遺症がまだ残っているのかもしれないねェ。ここで治療を続けているマリィという娘も回復するのに少し時間が掛かるだろうしな」
「そうですか、それより龍麻の方は──」
「私の方はもう平気よ」

 岩山の巨体の向うから龍麻と京一が姿を表した。

「緋勇の方はもう家に帰っても問題無いだろうが、お前さんは朝から具合が悪かったんだろう。家の者には連絡を入れておくから、今日はここで泊まっていけ」
「でも…」
「そうした方がいいよ、葵。今日だって無茶し過ぎたから、また具合が悪くなっちゃたんだし」
「桜井さんの言う通りだよ〜。だから、もう少しゆっくりしていってね〜」

 葵は今日の自分の行動を思い返して、確かに皆の言う通りだと納得した。


「それじゃ、ボクたちはこれで帰るねッ」
「ごめんなさい、また皆に迷惑をかけてしまって…」
「水臭いことをいうな。仲間を思いやるのは当然のことだ」
「そうだぜッ。ま、今日はこのままゆっくり寝ちまうことだな」
「葵…それじゃあ、また明日ね」

 労わりの言葉を口にして部屋を出て行く仲間たちの最後尾にいる龍麻を、葵は思わず呼び止める。

「何かしら…?」

 葵は龍麻の顔を改めてじっと見る。

<見れば見るほどさっきの少女にそっくりだわ…>

「龍麻…。本当に…いつもの龍麻よね?」
「?………勿論よ」

 葵の言葉に龍麻は首を傾げつつ、律儀に答える。

「ごめんなさい、妙なことを言って…やっぱり今日の私おかしいわね」
「……おやすみ、葵」
「ええ、おやすみなさい…龍麻…」


 病室の扉を閉めた龍麻は、一気に肩に疲れが圧し掛かってきたように背後の壁にもたれ掛かった。

「…大丈夫か、ひーちゃん」
「京一…、ん、もう大丈夫」
「無茶は禁物だよ、緋勇。お前だって本来だったらまだ動ける状態じゃないんだ。全く…こんな時に厄介なことになったもんだねェ」
「こんな時だからですよ、岩山先生」

 苦笑を浮かべつつ龍麻は冷静に自分の今の状態を把握していた。葵が倒れた時、自分の中の何かが多大な《氣》の脱力感を伴い欠落した。普通だったら身動きもとれない状態に陥るだろうが、元々人並みはずれた《氣》の量を持ち合わせていた龍麻だからこそ、あたかも貧血のような症状で済んだのだった。

<でも…本当に《氣》がすっかり弱まってしまった…>

 今、自分の掌で練りだせる《氣》は余りにも頼りないものだった。

「どうかこのことは他の人には内緒にしてくださいね。でないと…」
「みんなの士気に関わってくるというコトだな。分かった。他言はしないと約束しよう。だが、あの娘は薄々気付いているようだな」
「ええ。だから今は葵の側にいたくないんです。これ以上葵の気持ちを掻き乱したくはありませんから」
「成る程。……京一!」
「は、はいッ!」

 突然名指しで呼ばれて、京一はびくっと反応する。

「京一、お前が緋勇をしっかりと護るんだぞ」
「そんなの言われるまでもねェ…いや有りません」

 岩山の自分をねめつける視線の粘っこさに、内心ヒヤッとした京一だったが、しかし岩山は医者としての顔を強めて、龍麻に忠告をする。

「緋勇、時間が経てば《氣》の方は回復するだろう。それまで無茶は禁物だぞ」
「はい…」




 ≪八≫

 病院の門を抜けたところで、龍麻らは小蒔と醍醐の二人と合流し、揃って家路へと付く。

「万が一って場合もあるからな、夜間は出来るだけ行動を一緒にしておいた方がいいだろう」
「そうね、中央公園辺りまで辿り着ければ、それぞれの家も近いし。その辺までは一緒に帰りましょう」

 夜も更けたというのに、まだぱらぱらと窓に灯りの点っている高層ビル街を通り抜け、無人の中央公園に差し掛かった所で、京一が龍麻を、醍醐が小蒔をそれぞれ自宅まで送っていくことにし、今日は解散となった。


「ひーちゃん」
「何?」

 二人きりになったところで、京一は岩山から言われたことをもう少し説明して欲しいと言ってきた。

「そうね…何て言ったら理解してもらえるかしら…」

 龍麻はしばし考え込んでから、京一にだけ自分が知っている事実を全て告げることにした。そして、その事実は京一を驚愕させるに十分な内容だった。

「子供の頃…《力》を暴走させたって話は前にもしたわよね。その時の私を助けてくれたのが…鬼道衆の頭目である九角天童」
「何だって…」
「私と九角天童とは、実の母親が姉妹で、つまりはいとこ同士という関係なの。そして私の母親は九角家の長女だった。だから私の身体を流れる血の半分は鬼道衆の…。あの時、母方の祖父が私を呼び寄せたのは、恐らく菩薩眼の《力》を継承しているかもという期待があったからだと思うの。でも実際には私にはそんな《力》は無かった。有ったのは…」

──ただ周囲を破壊するだけの、不完全な《力》──

「私は出来損ないの菩薩眼の娘だったという訳。いえ、ある意味もっと性質(たち)が悪かったの。“緋勇”の《力》を併せ持ってしまっていたから…」

 その二つの《力》が反発し合ったのが、ひょっとすると自分が暴走した最大の原因だったのかもしれないと付け加える。

「“緋勇”の《力》ってのは?」

「…分からない、それについての詳しいことは何一つ伝えられてないの。ただ私が察するに、そこまで徹底して隠蔽しているということは、九角の血が伝える菩薩眼の《力》よりも、更に他人に知られてはまずい事情のある《力》なのではないかなってこと」

 いずれにせよ、あの時のショックで龍麻は長い間幼少時代の記憶が封じ込められていた。それは同時に自分の身体に流れる血の持つ《力》も封じ込めることに繋がったのは、今考えると偶然の結果だと言い切れるのだろうか?

 ともあれ、それが再び発現したのが昨年の冬。そして、その後修行を重ねていく内に、自分の中に宿る異質な存在が徐々に輪郭をはっきりとさせてきた。それを疎ましいと思いつつ、だがその疎ましいものが自分の《力》をこれ程までに支配していたとは、皮肉な結果だねと龍麻は小さく笑う。

「それが何なのか、恐らくは九角の血に関わる物なのだろうと推測していたけれど、今日はっきりと理解できたわ」
「それがひーちゃんが言う、美里の方に宿った菩薩眼の《力》か」

 京一の言葉に龍麻は首を縦に振る。

「葵も九角家の血を引いていたなんて初めは思いもしなかったけれど」
「思いがけねェことだらけだぜ、今の世の中。とにかく美里に龍麻の《力》が移ってしまったのは間違いねェんだな」
「うん。だって、《氣》が弱まっているでしょう…」

 だが、それだけではないと、龍麻は言う。自分の中に宿っていた異質な“九角の《力》”は、もう一方の“緋勇の《力》”と絶妙なバランスを成していたのだった。

「それが崩れてしまったらどうなると思う?今までのような闘い方が出来なくなる。少なくとも《氣》を使った技に関しては…」

 そこまで話をすると、龍麻は下を俯いた。月明かりを受け、地面に長く黒いしみのように伸びている自分の影を目で辿りながら、龍麻は徐々に心の奥底から震えが上がってきた。

「……どうしよう…私…」

 立っているのも辛そうな龍麻を、京一は自分の胸元にひきよせ抱きしめる。

「大丈夫だって、俺が、俺たちがひーちゃんのコトをしっかり護ってやっから」
「そうじゃない…そんなことを心配しているんじゃないの」

 睫毛まで細かく震えさせながら、龍麻は京一の方を見上げた。

「…また…同じように《力》を暴走させてしまったら…」

 《氣》が前より弱まったとはいえ、それでも修行を全くしていなかった子供の頃よりは当然の如く強い。だからこそ、それが暴走すればあの時とは比べ物にならない破壊力を持つのは最早疑いようも無い。

「もしそうなったら…」

 涙を零す龍麻を、暫くの間京一はただ抱き締めていた。


「なあ、ひーちゃん…」

 龍麻が少し落ち着いた頃かと思った京一は、龍麻の名をそっと呼んだ。

「俺は、未来や仮定の話は全部明るいことだけにしようって決めてんだ。例えば、もし九角のヤローをぶち斃したらひーちゃんとどっかデート行こうかとか」

 京一の言葉に、龍麻は涙で濡れた黒い瞳を見開く。

「例えば、もし…ひーちゃんが良いっていうんなら…」

 ついと龍麻の白い頬に手を伸ばすと、指先で涙を拭い、そして微かに開かれた桜色の唇に自分の唇を重ねた。初めの数回はいつものように軽い触れ合いに近いキスだったのだが、段々と京一の腕に力が込められるにつれ、触れている互いの唇もより強く重ねられる。

「…ひーちゃんを俺のもんにしてェ…」

 龍麻は耳元で低く囁かれた言葉に操られたように、いつしか自然と京一の方に身体を預けていく。熱く絡みついてくる京一の舌にびくっと一瞬身体を震わせたが、「いいだろ」という京一の言葉に、耳たぶまで緋色に染めながら、龍麻は微かにうなずく。

 京一は龍麻を腕に抱え、人気のない木陰に誘導すると更に強く抱きしめた。やや苦しげな吐息を漏らしながら身じろぎをする龍麻の胸元から伝わる熱っぽさに、京一はそこへ吸い込まれるように手を伸ばすと、やがて制服の赤いスカーフが音を立てて地面にひらひらと舞い落ちる。

<…いよいよ、だぜ…>

 龍麻はすでに何も考えられないという様子で、瞼を閉じ、京一の成すがままに身を委ねている。

<俺とひーちゃんの輝ける未来への第一歩だッ…にしても、ひーちゃん…マジで色っぽいぜ>

 暗闇に隠れていた龍麻の常とは違う艶っぽさを漂わせた美貌が、突然くっきりと光に浮かび上がり、京一を喜ばせる。

<ん?光…光だと…?>

 次の瞬間、眩しい光が京一たちを照らし出した。



「ったく…最低だぜ」

 京一は憤懣やるかたない表情で歩いている。

 あの時、公園を巡回していた警察官が、近くの木立でする不審な物音を確認しようと、懐中電灯を手に持ち近付いてきたのだった。せっかく盛り上がっていた場を台無しにされた上、龍麻といえば、自分たちを照らし出す懐中電灯の明かりで我に返ると、自分がとんでもなく京一に密着しているのに顔を真っ赤にするのと同時に、京一を文字通り突き飛ばしてその腕から逃れてしまい、まさに京一は、二重にショックを受けてしまったのだった。

<ひーちゃん……あんなコト言ってたけど、ちっとも弱くなってなんかいねーぜ>

 龍麻の攻撃による衝撃で、地面に片膝をつきつつも、京一はその痛みに必死に耐える。

『くぅ〜、きいたぜ、今のは…。さすが真神、いや東京で最強の女だよな…』
『ご、ごめんなさい、京一』

 だが二人の声を聞いて、警察官にはこんな夜更けに公園内にいたのが、近くの学校の高校生だと判明してしまった。

『まったく…最近の高校生は…。ちょっと署まで一緒に来なさい』

 そして、二人は仲良く(?)交番でたっぷりとお説教を食らうハメになった。


「もうちょっとでいいトコだったのによぉ…」
「でもお巡りさんのおっしゃる通りよ。まだ私たち高校生だし」
「だぁぁッ!高校生だからっていうのが何なんだよ〜。こうなりゃ、とっとと卒業して誰からも文句言わせねェようにしてやるッ」

 頭をかきむしって吼える京一を、龍麻はおかしくなって声を出して笑う。

「…やっと笑顔になったな」
「うん。何だか京一の言葉を聞いていたら、自分が取り越し苦労しているような気になってきて。未来のことなんてまだ分からないもの、だったら出来るだけ楽しいことを考えるようにすればいいのよね」
「この件に関しては未来よりも、今楽しい方がいいんだけどなー」

 性懲りも無く伸びてくる京一の手を、龍麻はぴしゃっと叩き落す。

「駄目です」
「さっきは良いって言ってくれたのに」
「さっきはさっき。もう過ぎたことなんだから」
「ちッ…」

 舌打ちを軽くしてから、京一はあることを思い出した。

「ひーちゃん、昨日のアレ、まだ持ってるか?」
「昨日のアレって………。あ、もしかして指輪のこと?」

 そういえば、昨日の戦闘の時外してポケットにいれたまま、今の今まですっかり忘れていたと、龍麻は照れながら告げる。

「はい、これね」

 無造作に取り出された指輪を京一は受け取ると、

「ひーちゃん。いつかちゃんと俺が自腹で買うから、それまではコイツで我慢しててくれ」

 再び龍麻の右の薬指にそれをはめる。

「未来の約束ってヤツだぜ。まずは九角を倒して楽しい学園生活を取り戻すのが第一だけどよ」

「……うん」

 京一の言葉を聞いてから指にはめられた赤い宝石を見ると、最初にこれを見たときに抱いた不快な印象が払拭されていただけではなく、不思議と心の中に火がともったように勇気が満ちてくる気さえしてきたのであった。


 マンションの入り口で別れ際、龍麻は京一の方を真っ直ぐと見つめた。

「今日は私の話を聞いてくれてありがとう。…今までずっと黙っていてごめんなさい」
「良いって。こっちこそ無理矢理話しさせちまったからな、あやまるのは俺の方だぜ」
「ううん、いずれは分かってしまうことだったのだし、こういうことは自分の口から言った方が後々すっきりするものね。それに、今はすごく嬉しいの、京一がちゃんと真面目に聞いてくれたから…半分敵の血が混ざっている私の言葉を。」
「血がどうのこうのなんて関係ねェよ。それよりさっきの話は美里にもしといた方が良いんじゃねェか」
「明日学校で会ったらすぐに話をするつもりよ。きっとショックだろうけれど大丈夫よね葵…」
「ああ、大丈夫。少なくとも俺たちは仲間だぜ、何があろうとな。第一、もう仲間内に虎やら亀やらがいるんだから、今更そこに菩薩眼てのが割り込んできても別に驚かねェよ」
「あッ、それは酷い言い方だわ」

 京一の言葉に、醍醐や如月に悪いなと思いながらも、こらえ切れず笑う龍麻は、早く明日になって葵に会いたいと、心のもう一方で強く願っていた。

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