試 練

ユズリ葉作

※注:この話は黒和物ノ御題15【死屍】の続きです



 一頻り泣き終わると、顔を上げる。
 もう一度、そこに横たわっている人へと手を伸ばし…何故そこで“死んでいるのか”。
 “死んでしまったのか”を見極めようと先ほど揺するだけだった体へと手を這わせることにした。

 手を這わしてみればそれは成人男性のようで、自分よりずっと大きな手足に筋肉によって僅かに隆起した胸。全体的に引き締まっている印象を指にと感じた。
 ならば腕に覚えのあるものだったのかもしれない。
 そんな事を考えながら、男の身を包む衣服がどういうものか手に触れて確かめながら…腰を辿り足元まで手を這わす。
 すると足首まで来て、そこに先ほど触ったばかりの感触を見つけた。

 冷たく無機質な金属に鎖。
 そう…男の足首にも枷が付けられていたのだ。
 それに若干の驚きを覚えながら、先ほど自分の物をそうして引いてみたように彼の足枷にも付けられた鎖も引いてみる。

 ジャラリと重い重い鎖。
 それが徐々にと手元に集まってくる。

 彼の足枷を見つけた時からある程度、予期はしていたと思う。
 だが想像することと実際にそうだと事実を突き付けられのはどんなに違うことだろう?

 男の鎖はどんどんと引き寄せる距離を短くし…やがて自分の足首を直接、引くようになった。
 男の足枷の鎖の先には、自分の足枷が繋がっていたのだ。

 先ほど重いと思いながらも引いてみた鎖の先には…この男が居た。

 それに衝撃を受け、暫し暗闇の中で放心する。
 心の中には何故、自分とこの男は鎖で繋がっているのだろうか?という事や、純粋に生あるものが持つ死への嫌悪感だけで…。
 先ほど取り戻したばかりの冷静な自分がまた感情に揺れだそうとするが…その前で留まると、暗闇の中で男へと視線を向ける。

 手を伸ばし…男の容姿はどうなのだろう?と。
 もし見知った相手だったら…と、顔へ手を這わせようとした。
 …が。
 男の上半身から肩を伝い顎へと移動しようとしていた手が首で止まる。
 首は生き死に関わらず生き物独特の柔らかい皮膚を有していて、それは這わせていた掌からも分かるが…その中ほどに感じた指の違和感へと手は自然に止まったのである。
 指先は先ほどの足枷とはまた違った薄く鋭利な無機質さを捕らえていた。そしてそれは先端を首へと埋没させ…柔らな皮膚を分断させている。
 分断された皮膚からは先ほど自分の手を塗らした血液が脈々と流れ出していたようで…今は、その流れも無くなったのかただ引きつるような皮膚の感触だけを指に伝えた。

「……。」

 一瞬どうしようか迷う。
 遺体をそのままにしておくか、それとも…と。
 明らかにその薄く鋭い金属は刃物で、男の命を絶ったのはそれであろう。
 ならば、もう息を引き取っている男の首にそれをそのままにしておくのは無慈悲な事かもしれない。
 痛みを感じなくなってしまった肉体でも仏としての自尊はまだあろう…と、結論付けるとその無機質なものへと手を這わす。
 それは、丸みを帯びた刃で…刃自体は短く直ぐに取っ手のような木質に触れる。握れるようになったその木質を握るとぐっと力を込め、一気に抜き去った。
 肉の蠢くようなおぞましい感触を刃から取っ手を握った手にと伝え、男の体から抜き去って軽くなったそれを改めてと手で確かめてみる。
 偶然とはいえ、手に握ったその得物は…無用なものが無くなってみればよく分かる。
 …自分の掌に実にしっくりと来ていることに。
 握った取っ手。握れば握るほど、その感触は自分の記憶へと呼びかけて…やがて理解した。

 これは自分のモノだ、と。
 そう。これが男の首元に刺さっていたのなら…男は自分が殺したのだ、と理解した。

 理解してみて…妙にその事が納得出来る自分へと驚いてみる。
 先ほどはあれほど揺れ動いた心が、それが自分の手によって“なったもの”だと知った瞬間から逆に冷え冷えとしていること。

 そして、それが自然と思える事が…不思議に思えてならなかった。


 暫しそうして自分の得物を手に、自分の心の機微を見つめていたが…せっかく手に入れたそれへと注意を戻すと自分の足首を戒めていた鎖に振り下ろす。
 得物はよく研がれているのか、僅かな抵抗だけを残して鎖を寸断させた。
 それを暗い中、音と手で確認すると立ち上がる。
 先刻触れたきりの壁へとまた手を這わせ、今度こそは…と、壁を伝う。
 伝えば八畳程の狭い部屋…納屋みたいなところに自分が居るのだと理解した。

 ならば何処かに出口があるだろうと、今度は慎重に壁を伝ってみる。
 僅かな感触の違い。段差の違いに息を潜め…やがて一筋の隙間を見つけた。
 そこに反対の手で手にしていた獲物の先を差込み、捻る。

 捻れば若干の抵抗の後、その隙間は広がって…やがて、目は眩しい光を捉えた。
 一筋の光も差さない暗闇に居たせいかその光は目に痛くて…日の光をまっすぐに捉えたように強い。
 段々と広がっていく穴に光は広がり、代わりにとばかり痛みを訴える目を瞑りながら…指を引っ掛け腕を通し、小さな自分の体が優に通れるように穴を広げる。
 やがて広がりきり、ようやく通り抜け終えれば…眩しい眩しいと思っていた光は何のことは無い、柔らかく乳白色を有した闇夜を照らす月の光だった。

 月へと細めた目を戻し、周りの状況を見回す。
 そして、その時になってやっと気付いた。
 自分を観察するように自分へと顔を向け立ち尽くしている人物に。

「…終わったか。」

 暗い森を背にした彼の人はその森に紛れるように全身黒装束で…顔には異なる面を付けている。
 その容姿を見つめて…やっと何故自分が此処に居たのか思い出した。

 そう…此処には“入れられた”のではない。自分で“入った”のだ。
 あの男を始末するために。

 自分の唯一の肉親に自分が今し終えてきた任を報告しようとして、声が出ないことを思い出す。
「……。」
 ヒュ、ヒュ…と空気だけが漏れる喉を仕方がないとばかりに見せてみれば、その人はそれに気付いたようで一歩近寄り、しゃがむ。
 視線を合わせるように私の喉に触れ、私が手にしていた得物へと視線を這わせた。
「ふ…む。喉も潰されたか。…せっかくお前にとやった鎖鎌も鎖が斬られておるしの。」
「……。」
 それだけ言って立ち上がり、黒い装束を翻す。
「村に戻って手当てしよう。…行くぞ。」
 そうして歩き出した彼にと自分も歩み寄る。
 長い間、そうして動かしていなかったせいか…足元は酷く覚束なかったが、それでも必死になって彼の隣へと歩み寄った。
 すると彼はそうした私に気付いたのか、口元を覆ったくぐもった声で一言…。
「始末ご苦労だったな、酒門。」
 と、漏らす。
「…帰って、その身の始末を付けたら若に顔を見せに行くが良かろう。何日も顔を出さぬから、心配しておる。」
 と、微かに苦笑して見せた。

 悼む言葉も。褒める言葉も少なかったが…そうして受け入れてくれるその言葉は確かに嬉しいものだった。
 月の光の中。泥だらけで血塗れのこの身でも…この道の先にある、この先で待ってくれている人や今隣にと居てくれる肉親に心を暖めるとそっと微笑む。

 この先幾度もこうして血に塗れることになろう。
 それでもこの月の下だけは…月の光だけは変わらずに自分を慰めてくれる。

   …何よりこの夜の事を如実に思いださせてくれるなら…

 帰ってからも続く明日への日に思いを馳せると、そっと瞼を閉じた…―――――――――





 目次に戻る 後書きを読む

作者のサイトへ